三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

反マスクとエボラ出血熱陰謀論(1)

2022年11月29日 | 陰謀論

ネットを見てたら、反マスクの人が少なくないのに驚きます。
しかし、毎日新聞の世論調査(2022年11月22日)によると、「新型コロナウイルス対策のマスク着用をどう思うか」という質問に、
「これからも着用を続けたい」53%
「そろそろ外す機会を増やしたい」43%
「マスクはしていない」3%
https://mainichi.jp/articles/20221122/ddm/002/010/086000c
マスクをしない人は少数派です。

なぜ反マスクなのか。
・新型コロナウイルスの毒性はインフルエンザと変わらない。欧米ではマスクをする人はほとんどいない。
60歳未満では重症化率、致死率ともに季節性インフルエンザと同じくらいですから、もっともな意見と思えます。
しかし、60歳以上では季節性インフルエンザの3~4倍の重症化率、致死率です。
人と話をする時などはマスクをつけたほうがいいと思います。

・マスクをするのは身体に悪い。
反マスク派の考えはこちらでしょう。
マスクが身体にどのように悪いのか、そこらがはっきり指摘していないように思います。
夏には熱中症になると言ってましたが、冬だと問題はないはずです。
マスクをしても感染を防げないとも言われます。
ネットを調べると、マスクは飛沫感染をある程度防げるそうです。

・マスクは世界征服をたくらむ秘密組織の陰謀。
これは論外ですが、反マスク派の人は「コロナは存在しない」「ワクチンは毒」という反コロナ、反ワクチンでもあるようです。

全国有志医師の会というのがあり、「新型コロナワクチン接種事業の即時中止を強く求めます」とのことです。
医師347人、歯科医師150人、獣医師56人、その他の医療従事者720人 合計1273人とありますから、「医師の会」というより「医療従事者の会」です。
https://vmed.jp/
ワクチンを接種しない人、マスクをしない人が増えそうな気がします。

批判したツイッターです。
https://twitter.com/high_non_sense/status/1596882261898858497
全国有志医師の会には、波動医学、ナノオゾン水、Oリングテストなど疑似科学とされるものを医療に使っている医師がいるそうです。

左巻健男『陰謀論とニセ科学』にこんなことが書かれています。

インチキ治療でお金を巻き上げる医師やクリニック。根拠はないのに健康に良いと信じ込ませて儲ける健康系商品販売業者など、世には陰謀論やニセ科学を信じさせて金儲けをする人たちが大勢います。

たとえば、Oリングテスト、波動測定器、ニセ科学的水商品など。
ニセ医学でだまそうとする商品には、その説明にいくつかのキーワードが見られる。
波動、抗酸化作用、エネルギー、活性化、免疫力、万能など。

トム・クイン『人類対インフルエンザ』の原著は2008年の出版。
新型コロナウィルスの大流行と、それに伴う医療崩壊を予言しています。

現在では、鳥インフルエンザウイルスと豚インフルエンザウイルスが大きな脅威と見なされている。しかし将来パンデミックの中心となるのは、それらのウイルスがヒトインフルエンザウイルスと複雑に混じり合ったものであることは、ほぼ間違いない。大都市には人間がかつてないほど密集しているため、そんなウイルスの格好の標的となりやすい。しかも新型インフルエンザとなると、人間には全く免疫がない可能性もある。
パンデミックを引き起こすウイルスが誕生しやすいのは、鳥や豚などの家畜が密集しているそばに、大勢の人間が住んでいるような地域である。きわめて厄介なことに、世界にはこのような地域がいくつかある。とりわけ懸念されているのが中国南部だ。この地域では、人間が大量の鳥と生活空間を共有している。そのため、鳥インフルエンザウイルスが種の壁を飛び越えて人間に感染する危険がきわめて高い。すべてとは言わないが、非常に致死率の高い新型インフルエンザウイルスの大半が、この地域で生まれているものと思われる。

インフルエンザウイルスと新型コロナウイルスとは別のウイルスですが、パンデミックが中国で起きる可能性があると、以前から指摘されていたそうです。

人類はまだ、この鳥インフルエンザに対する歴史的免疫がない。鳥インフルエンザウイルスが鳥から人間へ伝染するだけでなく、人から人へ伝染するようなウイルスに変異したら、スペイン風邪をはるかに上回る大惨事を招く恐れがある。


医療崩壊の危険性も警告しています。

日本を含むほとんどの先進国では、ここ50年以上、大規模な救急医療サービスを設ける必要がなかった。そのため、こうしたサービスを円滑に機能させるために必要な技術や知識が不足している。今から救急病院のネットワークを整備しておくことが急務だろう。

ところが、日本では病院や保健所の統合がなされていました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

滅罪とカルマの浄化(5)

2022年11月22日 | 仏教

 4 苦行(つづき)
統一協会に1億円以上の献金をしたり、借金をしてまで献金する人がいることが明らかになっています。
しかし、京都仏教会HPによると、献金の強要は非難されるべきではありません。

物欲を捨て、執着を離れ、あるが儘にすべてを受け入れ、生を神にゆだねて生きるということを知性で理解することはできても、現実にそのように生きることは容易ではない。したがって、宗教によっては献金の指導通してこれを実践的に体得せしめようとする教団もあるのである。そして物欲を離れる体験を得させるためには、しばしば当人が無理だと感じるほどの金額であることが必要になる場合がある。もちろん、それは対象者の信仰の状態を見極め、慎重に指導を進めなければならないわけで、指導に失敗すればトラブルに発展することもありえる。しかし、このような指導は一概に批難されるべきものではなく、実際このような体験を通して信仰に生きる喜びを獲得する者もいるのである。

http://www.kbo.gr.jp/books/kenkai-02.htm

加藤基樹「苦行と滅罪」(『日本の宗教と文化』)にこうあります。

「御布施」とか「香典」というものには苦行とか滅罪という意味があります。(略)「身銭を切る」ということで苦行性というふうにいえます。

「無理だと感じるほど」の献金を強いられて、無理をしてまで工面するのは苦行でしょう。

 5 罪とケガレ
肉体は不浄であり、苦行によって肉体を浄化すべきだと考えられました。
断食、断穀、断塩は肉体を清浄にするためです。
アップル荒井しのぶ「法華経と苦行と滅罪─東アジア仏教のパースペクティブ1」にこうあります。

身体の不浄性は煩悩という内的存在の不浄性と関連付けられている。したがって、このような不浄観念が「(罪を重ねてゆく身体を、良い服や食べ物で)更に覆い養はず」というように、断穀断塩、蔬食という、生体に対する抑圧的行為に結びついていると考えられよう。すなわち、断食行という苦行は、罪をつくる主体である自己の内的存在の不浄性に対峙し、浄化するため、すなわち滅罪のために、その内的存在の「仮舎」であるところの身体を極限まで制限し抑圧すること、また捨身行者にとっては身体それ自体の損壊をすら目的とした宗教行動と考えられる。


また、世間も不浄だと考えられています。

浄穢の観念が罪の有無に基づく形で発達したことで、それはとりわけ空間的認知の点から、仏道修行者が苦行を行う山林/山岳と在俗の人々の属する里、都市である「人間(じんかん)」を、それぞれ浄穢を軸にして観念する思考法として展開した。


山林や山岳は清浄であり、人間の住む世界が不浄=罪というわけです。

深山について「清浄善根の境界」とし、欲愛などの煩悩を持つ者達が住む地を「人間」としており、その浄穢の違いは「罪が滅しているかどうか」によって決定されている。

https://www.totetu.org/assets/media/paper/k024_266.pdf

オウム真理教でも世俗=罪だと説いていました。
広瀬健一『悔悟』です。

当時私は、会話をするなどして非信徒の方と接したり、街中を歩いたりすると、カルマ(悪業)が自身に移ってくるのを感じました。これは、気体のようなものが振動(ヴァイブレーション)を伴いながら身体に入ってくるような感覚でした。また同時に、表現し難い不快な感覚も誘起されました。まるで、自身の生命活動を維持している源が、蝕まれるような。そして、この感覚の後に私は、自分が気味悪い暗い世界にいるヴィジョンや、奇妙な生物になったヴィジョン――カンガルーのような頭部で、鼻の先に目がある――などを見ました。


罪とケガレ、滅罪と鎮魂(ケガレを祓う)は関係があるそうです。
滅罪は奥の深いテーマです。

 6 滅罪の得益
①死後に三悪道に堕ちない
②死後に人・天に生まれる
③死後に仏国土に往生する
④来世の安楽
⑤除災招福

オウム真理教では、カルマの浄化は三悪道に堕ちない手段です。
滅罪も本来は解脱が目的ですが、実際には現世における災いを防ぎ、利益を得ることが求められていました。

アップル荒井しのぶさんはこう指摘しています。

『霊異記』当時の人々の滅罪の捉え方は、煩悩などの執着を断ち切って解脱するとか、罪空思想など仏教教理の上からの理解の仕方ではなく、大祓の儀式によって全ての罪が悉く無くなるように、災いや苦しみとしてあらわれる罪を祓い、贖い、免れることという理解だったと考えられる。

https://www.totetu.org/assets/media/paper/k022_222.pdf

滅罪に期待した庶民の信仰の目的が現世利益です。
加藤基樹さんによると、お百度参りも苦行です。
お百度参り(裸足、お茶断ちなど)という苦行で病気の原因である罪を滅することで、病気平癒が叶うと信じられました。
これは代受苦という考えです。

カルマの浄化を求める気持ちは日本人にとってごく自然な感情なのかもしれません。

河口慧海『チベット旅行記』に、カムの人は泥棒が多く、聖地を巡礼して今まで作った罪を消すと同時に、これからも泥棒をするので、これから作る罪も消してもらうよう祈るといったことが書かれています。
滅罪行は過去の業だけでなく、未来の業をも消すと信じられているわけです。

 7 滅罪批判
『歎異抄』に滅罪の利益を批判しています。

一念に八十億劫の重罪を滅すと信ずべしということ。この条は、十悪五逆の罪人、日ごろ念仏をもうさずして、命終のとき、はじめて善知識のおしえにて、一念もうせば八十億劫のつみを滅し、十念もうせば、十八十億劫の重罪を滅して往生すといえり。これは、十悪五逆の軽重をしらせんがために、一念十念といえるか、滅罪の利益なり。いまだわれらが信ずるところにおよばず。


中村元『仏教語大辞典』の「懺悔」の項にこうあります。

大乗仏教では、自己の罪を認めた者は諸仏の前に懺悔し、帰投し、摂受されて罪の恐れから解放されるという形のものになった。


私たちは罪報を恐れるわけですが、本当の滅罪は罪をなくすのではなく、罪の報いを恐れる必要がなくなったということではないかと思います。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

滅罪とカルマの浄化(4)

2022年11月11日 | 仏教

 4 苦行による滅罪
釈尊は苦行を否定していますが、多くの宗派では苦行を行なっています。
滅罪のための苦行には、
・過去世から現在までの悪業を清算する。
・肉体と精神を浄化する。
・自分の悪業によって来世で受ける苦しみを軽くする・なくす。
・浄土往生する。
・他者の罪を消す(回向)。
・他者の業苦を自分が代わって受ける(代受苦)。
といった意味があるようです。

アップル荒井しのぶ「法華経と苦行と滅罪─東アジア仏教のパースペクティブ1」に、こうあります。

実践の過程で身体上に「苦痛を受ける」ことこそが、自己の滅罪、浄化を、身体感覚の上に確認する行為となりうる。


熊野では断食行・断穀・断塩、火断、捨身行、焼身行、山林修行、水行・滝行といった苦行による滅罪が行われていました。
平安時代から吉野の金峰山や熊野へ多くの人が参っていますが、一般の人にとって巡礼は苦行であり、滅罪行という意味もありました。

多くの苦行僧が仏や菩薩、天、神などを見ています。

我宿罪の故に仏身を見ず。(略)罪滅するを以ての故に、現に諸仏を見る。(『観仏三昧海経』)

清浄化の証しとして見仏という神秘体験をしうると考えられていた。
https://www.totetu.org/assets/media/paper/k024_266.pdf

アップル荒井しのぶさんは『観普賢菩薩行法経』の色を見る神秘体験を紹介します。

釈迦牟尼仏及び分身の諸仏を見たてまつらんと楽わん者、六根清浄を得んと楽わん者は当に是の観を学すべし。此の観の功徳は諸の障碍を除いて上妙の色を見る。


広瀬健一『悔悟』にも、オウム真理教の極厳修行で色を見たとあります。

極厳修行において、麻原とシヴァ神を24時間にわたって礼拝――立位の姿勢から五体を床に投げ出しての礼拝を繰り返す――したときのことです。(略)私は赤・白・青の三色の光をそれぞれ見て、ヨガの第一段階目の解脱・悟りを麻原から認められました。特に青い光はみごとで、自身が宇宙空間に投げ出され、周囲一面に広がる星を見ているようでした。

このように、教えの正しさと苦行の得益を神秘体験によって実感するわけです。

統一協会でも苦行による滅罪が説かれます。
櫻井義秀、中西尋子『統一教会』に罪と罪の清算についてこう書かれています。

罪とは何か。それは原罪、遺伝罪、連帯罪、自犯罪という四つである。「堕落論」によれば、原罪はアダム、エバの堕落によって人類全てが受け継いだ罪、遺伝罪は先祖が犯した罪、連帯罪は国家や民俗などが犯した罪、自犯罪は自分が犯した罪である。このうち原罪は祝福を受けることによって清算される。残りの三つ、遺伝罪、連帯罪、自犯罪は善行の積み重ねによって清算しなければならない。日本人女性信者達の韓国での生活はこの三つの罪の清算のためにある。


罪の清算は統一教会の言葉でいえば「蕩減」です。
蕩減の本来の意味は、借金を全部帳消しにすることです。

祝福(合同結婚式)では、アダムとエバが性の罪を犯したので、自らも罪を償う意味で新郎新婦が蕩減棒でお互いに尻を3回叩きます。
「オヤヂの呟き」という統一協会脱会者のブログに「蕩減棒の思い出」があります。

祝福の行事の一つ蕩減棒の儀式がやって来た。バットよりも一回り細い棒(何の木かは不明)で、新郎新婦がお互いのお尻を力一杯に叩く。最初は男性が女性のお尻を三回、続いて女性が男性のお尻を三回、六千年の蕩減を清算する為に、力一杯。先輩家庭から『総ての罪の清算だから、決して加減をしない様に』と言われていたから、やりましたよ。(彼女の六千年の罪が清算出来ます様にと念じながら)一発目ジャストミート! 奥方様は3メートル位飛んで行きました。顔面蒼白。すると、そこの宿舎のアベル(責任者)が小声で、『もう少し緩くしてあげて…』。

https://plaza.rakuten.co.jp/norihiro5/diary/200806120000/

統一協会では日本人が作った罪を清算しないといけないと説かれます。
合同結婚式で韓国人と結婚した日本人妻は、離婚や脱会は蕩減が重くなって地獄で永遠に苦しむと教えられている。
夫が仕事をせず酒を飲んでは妻を殴ることは日本人が韓国に対して作った罪の報いだから、それに甘んじることが罪の清算になると、肉体的苦痛によって実感する。
これも苦行による滅罪だと思います。

『ミリンダ王の問い』に、如来が暴力や殺人によって利益を与えると説かれています。

大王よ、如来は人々の利益のために〈かれらを〉打ち、人々の利益のために〈かれらを〉落とし、人々の利益のために〈かれらを〉を殺すこともするのです。大王よ、如来は人々を打ったのちにかれらに利益を付与し、落としたのちにも人々に利益を付与し、殺したのちにも人々に利益を付与するのです。


苦しみを与えて導くことを、オウム真理教ではカルマ落としと言います。

麻原は、竹刀で信徒を叩くことがありました。竹刀が折れるほど強く。また、様ざまな〝働きかけ〟をして、信徒を精神的に苦しめることもありました。よく聞いたのは、信徒の苦手とする課業を故意に指示し、信徒が強いストレスにさらされる状況を形成することです。このような方法で対象のカルマを浄化することを、「カルマ落とし」といいました。(広瀬健一『悔悟』)

https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/cd331bfbd4debe96de283f7a614bbd39

日本人妻は、自分が作った罪ではないのに罪の報いを受けると信じ込まされているわけです。
業報思想の問題の一つは、自分が現世で作った罪だけでなく、過去世で作った罪、あるいは先祖が作った罪の報いまでもが説かれていることです。
ですから、過去世や他人の罪も消さなければいけないことになります。
そんなことはほぼ不可能です。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

滅罪とカルマの浄化(3)

2022年11月03日 | 仏教

 3 罪、罪報、滅罪の方法(つづき)
③十悪
積善、すなわち善業を積むことで、マイナス(罪)をなくし、プラス(得益)を得る。
十善戒を守るだけでなく、供養や布施をする、読経や写経をするなども善業。

とはいえ、西村玲「不殺生と放生会」に引用されている『金光明経』によると、殺生の滅罪は困難です。
屠殺は畜生が来世に人として生まれることを阻む罪であるから、殺された畜生は冥府で屠殺者を怨む者となる。
あらゆる罪は懺悔すれば滅するが、殺生の罪だけは懺悔してもなくならない、
なぜならば、怨む者がひたすら訴えるからである。

『梵網経』にある戒、肉食を禁止し放生を勧める次の文言を根拠とする。

なんじ佛子、故さらに肉を食せんか。一切の肉は食することを得ざれ。それ肉を食するものは、大慈悲の仏性の種子を断つ。(梵網経・三食肉戒)

 

なんじ佛子、慈心を以ての故に、放生の業を行ぜよ。まさにこの念を作すべし、一切の男子はこれ我が父、一切の女人はこれ我が母なり。我れ生生にこれに従って生を受けずということ無し。故に六道の衆生は、皆これ我が父母なり。しかも殺し、しかも食せば、即ち我が父母を殺し、亦た我が故身を殺すなり。一切の地水はこれ我が先身、一切の火風はこれ我が本體なり。故に常に放生の業を行ずべし。生生に受生する常住の法なり、人を教えても放生せしめよ。(梵網経・二十不行放救戒)

眼前の動物は、六道を輪廻する衆生であり、かつて代々の父母であり我が身である。
動物や虫魚を殺して食べるのは父母を殺して食べることと同じ。
file:///C:/Users/enkoj/Downloads/eco-philosophy6_047-053.pdf

波逸提法では、虫や植物の殺生も罪になります。
・掘地戒 大地に生命があると世間では信じられているので、自分の手で大地を掘ったり、他の人に指示して大地を掘らせてはならない。
・伐草木戒 植物に生命がやどるので、自分で草木、樹木を伐ったり、他の人に伐らせてはならない。
・用虫水戒 虫が死ぬから、水の中に虫があるのを知りながらその水を用いたり、泥や草の上にその水をそそいではならない。
・奪畜生命戒 殺そうという意志をもって動物を殺してはならない。
・飲虫水戒 水の中に虫があるのを知りながらその水を飲んではならない。
http://www.suijoji.sakura.ne.jp/asia/kairitu.html

④仏法を誹る
アップル荒井しのぶ「日本古代の法華経滅罪信仰の形成と民間への浸透について(1)」によると、『法華経』は、「滅罪の呪力を持つ経典であるが、誹るならば厳罰がある」と、『霊異記』では理解されていました。

『法華経』誦経者等を誹謗する者への護法神による刑罰としての悪報。
・乞食の僧を迫害したために呪縛された男が、その僧の観音品読誦で助かる。
・法華経持経者を誹ったために、口が歪む。
・法華経誦持の人を嘲ったために、口が歪み悪死する。
・法華経書写の経師が淫行の為に、女とともに悪死する。
・猿聖と呼ばれる法華経読誦の尼をあざけり笑った人が、空から降りた神人によって悪死する。
・法華経書写の人を悪口したために、口が歪む。
・子供の作った塔を壊したために、悪死する。
https://www.totetu.org/assets/media/paper/k022_222.pdf

日蓮『佐渡御書』に「法華経の行者を過去に軽易せし故に」とあります。
岡田榮照「日蓮に於ける滅罪」はこのように説明しています

日蓮にとつて受難こそ、体験的滅罪であり、流刑を通じて自己に於ける過去の罪障の苦果と甘受し、自己自身に対する折伏を随件していたと考えることは、従来忽諸に附せられていたかに思われる。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/13/1/13_1_170/_pdf/-char/ja

日蓮は過去世で『法華経』の行者を侮り軽んじた業報によって佐渡に流罪になるなどしたと受け取ったわけです。

⑤生死の罪
生死とは輪廻のことですから、何度も輪廻しないといけない罪が生死の罪です。
『観無量寿経』は称名による滅罪を説きます。

悪業をもってのゆえに地獄に堕すべし。命終わらんと欲る時に、地獄の衆火、一時に倶に至る。(略)
十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ。仏名を称するがゆえに、念念の中において八十億劫の生死の罪を除く。命終の時、金蓮華を見る。猶し日輪のごとくしてその人の前に住す。一念の頃のごとくに、すなわち極楽世界に往生することを得ん。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

滅罪とカルマの浄化(2)

2022年10月22日 | 仏教

 3 罪、罪報、滅罪の方法
罪と悪とは同じなのか、それとも違うのか、気になったので、中村元『仏教語大辞典』を調べてみました。

①悪いこと。人をそこなう事がら。理法に背いて現在と将来に苦を招く力のある性質。
②悪の行為。悪業のこと。


①つみ。悪。
②人としての道に反すること。


罪悪

悪とみなされる罪。

となると、悪とみなされない罪があるのかと思います。
たぶん罪と悪は同じようなものと考えていいのでしょう。

小笠原亜矢里「『観無量寿経』における滅罪について」に、『観無量寿経』で滅罪の対象とされるのは主に①罪、②業障、③悪業だとあります。
『仏教語大辞典』を調べました。

業障

①悪業のみをなす障り。
②悪の行為によって生じた障害。
③成仏をさまたげる悪業。


悪業

悪い行ない。好ましくない果を招く、身・口・意一切の動作をいう。すなわち十悪。人は自身の業(行為)にひかれて六道に行く。修羅道以下は悪業によってつれていかれる悪道である。

これまた似たような意味です。

滅罪

懺悔・念仏・陀羅尼などによって罪を滅すること。こうした滅罪を目的に儀式化されものが悔過・懺法などである。


滅罪の対象となる罪、滅罪の方法、滅罪によって得られる得益は経典によってさまざまです。
滅罪の方法としては懺悔、悔過、積善、供養などがあり、具体的には布施、読経、写経、造像、斎会、観仏、称名、祈禱、沐浴、苦行、斎戒、不殺生、放生、出家といったことです。

①破戒
戒律を破れば罰則があります。
波羅夷はサンガからの追放。
僧残は一定期間、比丘としての資格が剥奪され、その後に懺悔する。
不定、捨堕、波逸提、提舎尼、衆学、滅諍は懺悔する。
http://www.horakuji.com/lecture/vinaya/construction.htm

懺悔とは何か、『仏教語大辞典』です。

人に罪のゆるしを請うこと。犯した罪を仏の前に告白すること。悔い改めること。


具体的には布薩と自恣です。
布薩

半月ごとに同一地域の僧が集まって自己反省し、罪を告白懺悔する集まり。


自恣

安居が終わった最終日に修行僧が互いに自己の犯した罪を告白し、懺悔して許しを乞うこと。


懺悔と同じような言葉が悔過です。

①過ちを悔いること。懺悔すること。
②仏前に懺悔して、罪報を免れることを求める儀式。古くは「悔過」と訳されていたが、その後「懺悔」と訳されるようになった。

奈良時代に吉祥悔過や薬師悔過などが行われていましたが、密教の流通とともに廃れていきます。

②破和合僧
出家の功徳が『ミリンダ王の問い』に説かれています。
デーヴァダッタがサンガを破壊したことで、一劫の間、地獄で苦しみを受けることを釈尊は知っていたのに、なぜ出家を許したのかというミリンダ王の問いにナーガセーナが答えます。

かれの無限の業は、わが教えの下で出家したならば終りをつげるであろう。前生〈につくった業〉に基づく苦しみは、終りをつげるであろう。だが、出家したとしても、この愚かな人間は一劫の間、〈苦しみをうける〉業をなすであろう」と知って、デーヴァダッタを出家させたのです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

滅罪とカルマの浄化(1)

2022年10月11日 | 仏教

中野義照『印度古法典概説』に消罪について書かれてありました。

消罪しない者は輪廻転生の苦海に入り国家も共業合成して不安不平とならざるを得ないのである。
目に見えざる罪咎を祓い善を生ぜん為に、慎みある生活を為し衣食を摂し性欲を却け応分の布施を為し聖地を巡礼し聖典を読誦するが如きことは、法律的生活以外の仏教の生活に於いて既に古くから行われて来たことであり、密教が流行するに及びて以後の大乗仏教国の消罪法は全く婆羅門教道教のそれと外貌を一にする迄になって居る。


消罪とは滅罪のことだと思います。
中野義照師の文章を読み、オウム真理教のカルマの浄化は消罪(滅罪)だと気づきました。

オウム真理教は仏教の教義から多くを取り入れており、カルマの浄化もその一つです。
オウム真理教の教義では、業(カルマ)によって輪廻する境界が決まるから、三悪道に堕ちることを防ぎ、輪廻転生から解脱するためにはカルマ(悪業)を浄化、すなわち滅罪する必要があります。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/d6d3a340f9f9659d7c9a8a7ef2e69d2c

 1 滅罪の意味
まずは滅罪の意味をネットで調べました。

滅罪 迷いの世界に生死輪廻する原因となる罪悪を除滅すること。除罪とも言う。そのための方法として、称名・観仏・礼拝・懺悔・陀羅尼などが挙げられる。(『新纂浄土宗大辞典』)

http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E6%BB%85%E7%BD%AA

 2 滅罪を説く経典
多くの経典が滅罪を説いていますが、いくつかご紹介。

日本で最初に受容された護国三部経は滅罪の功徳を説きます。
・『法華経』
光明皇后は、全国に「法華滅罪之寺」を建て、これを「国分尼寺」と呼んで『法華経』を信奉した。
『源氏物語』に、死期の迫った紫の上(43歳)は法華経千部供養を行なったとある。

年ごろ、私の御願にて書かせたてまつりたまひける『法華経』千部、いそぎて供養じたまふ。わが御殿と思す二条院にてぞしたまひける。七僧の法服など、品々賜はす。


ウィキペディアに、「ツォンカパは主著『菩提道次第大論』で、滅罪する方便として法華経を読誦することを勧めている」とあります。

①『金光明最勝王経』
藤谷厚生「金光明経の成立と展開」
『金光明経』の中心テーマは懺悔滅業の思想である。
個人の懺悔によってその個人の悪業が浄化すると説かれていたものが、内容の発展において具体的な懺悔滅業の実践法が体系化して説かれた。
経典受持による功徳によって、個人のみならず国家の救済までも説かれるようになる。
このような護国の思想の背景には、国家自身の業が前提となっている。
つまり、国家にも善業(安楽)と悪業(困苦)があり、悪業を滅除することによって国家が安泰となる。
しかも、国家の業は王自身の業とも密接に関わっている。
王は国家に代わって善根功徳(王が経典(法)を受持し講説すること、また仏や僧を供養すること)をなすことによって国家が善根を積むことになる。
その功徳によって国家の悪業を善業へと転換し、国家の安泰が得られるようになる。
このように、護国の思想の根底には滅業の思想が前提となつている。
file:///C:/Users/enkoj/Downloads/%E9%87%91%E5%85%89%E6%98%8E%E7%B5%8C%E3%81%AE%E6%88%90%E7%AB%8B%E3%81%A8%E5%B1%95%E9%96%8B-2.pdf

②『観無量寿経』

十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ。仏名を称するがゆえに、念念の中において八十億劫の生死の罪を除く。


③道元『修証義』

彼の三時の悪業報必ず感ずべしと雖も、懺悔するが如きは重きを転じて軽受せしむ、又滅罪清浄ならしむるなり。(過去現在未来の悪業の報いを受けなければならないといっても、懺悔するなら悪業の報いは軽くなる。また滅罪は心は浄らかにさせる)

他にもたくさんあると思います。

中野義照師が書かれているように、平安時代、密教が渡来して以後は滅罪の方法は密教の修法が中心となったそうです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カー問答

2022年09月26日 | 

平凡社『国民百科事典』の「探偵小説」の項に、中島河太郎が選んだ日本と外国のベスト100がありました。
推理小説の歴史で重要な作家、作品を中心に選ばれています。
ジョン・ディクスン・カーは『ユダの窓』と『皇帝のかぎ煙草入れ』です。
カーは多くの人が論じ、ベストを選んでいます。
江戸川乱歩の「カー問答」はカーのファンに大きな影響を与え、何人もが「カー問答」を書いています。

江戸川乱歩「J・D・カー問答」(「宝石」(1950年8月号、『続・幻影城』所収)
第一位
『帽子収集狂事件』
『プレーグ・コートの殺人』
『皇帝のかぎ煙草入れ』
『死者はよみがえる』
『ユダの窓』
『赤後家の殺人』
昭和29年5月の追記に『火刑法廷』を、第一位の作品群に加えてもよいと思うと書いています。
第二位
『三つの棺』
『白い僧院の殺人』
『読者よ欺かるるなかれ』
『夜歩く』
『曲がった蝶番』
『死時計』
『アラビアンナイトの殺人』
第三位
『孔雀の羽根』
『弓弦城殺人事件』
『一角獣の殺人』
『殺人者と恐喝者』
『猫と鼠の殺人』
『死が二人をわかつまで』
『仮面荘の怪事件』
『絞首台の謎』
『蝋人形館の殺人』
『盲目の理髪師』
第四位
『髑髏城』
『毒のたわむれ』
『剣の八』
『パンチとジュディ』
『青銅ランプの呪』
『青ひげの花嫁』
「カー問答」を書いた時点でカーの長編は合作も含めて49冊、乱歩はそのうち29冊を読んでいます。

第四位だからつまらないかというとそうでもない。
カーのそんな不思議な魅力を大勢が論じています。

松田道弘「新カー問答」(『とりっくものがたり』1979年)
第一位
『火刑法廷』
『緑のカプセルの謎』
『貴婦人として死す』
『爬虫館の殺人』(『爬虫類館の殺人』)
『ビロードの悪魔』
『喉切り隊長』
いずれも乱歩が読みのこした19冊から。

瀬戸川猛資・松田道弘「新々カー問答」(ミステリマガジン1993年5月号)
一般ファン向けベスト5
松田道弘
『火刑法廷』
『三つの棺』
『緑のカプセルの謎』
『プレーグ・コートの殺人』
『ユダの窓』

瀬戸川猛資
『ユダの窓』
『火刑法廷』
『緑のカプセルの謎』
『ビロードの悪魔』
『読者よ欺かるるなかれ』

好事家向け(ある程度カーを読み込んだ人、カーは読んでないけど推理小説は大量に読んでいるというような人向け)
松田道弘
『九つの答』
『時計の中の骸骨』
『五つの箱の死』
『墓場貸します』
ばがばかしいというのでは
『読者よ欺かるるなかれ』
『魔女が笑う夜』

瀬戸川猛資
『火よ燃えろ!』
『死人を起こす』(『死者はよみがえる』)
『爬虫館の殺人』(『爬虫類館の殺人』)
『魔女が笑う夜』
『アラビアンナイトの殺人』(『アラビアン・ナイトの殺人事件』)

瀬戸川猛資「ジョン・ディクスン・カーが好き」(『夜明けの睡魔』)でもベストを選んでいます。
カーの代表作
『火刑法廷』
2番目
何を持ってきてもよろしい。
『三つの棺』
『修道院殺人事件』(『白い僧院の殺人』)
『ユダの窓』
『読者よ欺かるるなかれ』
『緑のカプセルの謎』
『火よ、燃えろ!』
『ビロードの悪魔』
奇妙な愛着を感じる場合
『五つの箱の死』
『魔女が笑う夜』

芦辺拓・二階堂黎人「史上最大のカー問答」(二階堂黎人『名探偵の肖像』1996年)
芦辺拓
正統的なベスト
『火刑法廷』
『三つの棺』
『緑のカプセルの謎』
あと選ぶとして
『赤後家の殺人』
『皇帝のかぎ煙草入れ』
『帽子収集狂事件』

二階堂黎人
『三つの棺』
『ユダの窓』は必ず決まり。
3番目が
『連続殺人事件』
『プレーグ・コートの殺人』
その他に
『夜歩く』
『白い僧院の殺人』
『赤後家の殺人』
『火刑法廷』『孔雀の羽根』
『曲がった蝶番』
『緑のカプセルの謎』
『囁く影』
これらはA級

『名探偵の肖像』に収録されている二階堂黎人「ジョン・ディクスン・カーの全作品を論じる」は少し違ってます。
カー初心者のためのお勧め本。
客観的に見たベスト(S級とA級)
S級(古典的名作、クイーンで言えば「X」、「Y」に相当)
『三つの棺』
『ユダの窓』
『プレーグ・コートの殺人』
A級(超傑作、ここに挙げられた作品から、S級を選んでもおかしくない)
『夜歩く』
『白い僧院の殺人』
『赤後家の殺人』
『火刑法廷』
『孔雀の羽根』
『曲がった蝶番』
『連続殺人事件』
『緑のカプセルの謎』
『囁く影』
B級(佳作級。S級とA級、そして、次のD級以外はみんな素晴らしい佳作である)
D級(やや面白みにかけるもの、珍品、でも面白い)
『絞首台の謎』
『盲目の理髪師』
『剣の八』
『エレヴェーター殺人事件』
『青銅ランプの呪』
『パンチとジュディ』
『亡霊たちの真昼』
『深夜の密使』
なぜかC級はありません。

霞流一「初心者のためのディクスン・カー入門」(2011年)
https://honyakumystery.jp/1323124945
カー初体験としてお勧めの本
『火刑法廷』
『三つの棺』
『囁く影』
『ビロードの悪魔』
『緑のカプセルの謎』
『貴婦人として死す』
『読者よ欺かるるなかれ』
バカ本
『魔女が笑う夜』
『震えない男』
『連続殺人事件』

山口雅也「結カー問答」(『貴婦人として死す』2016年)
江戸川乱歩と松田道弘のベストについてはほとんど異論はないが、それら以外にもいいのがまだありますよという前提で推挙してみたいのが、
『猫と鼠の殺人』
『孔雀の羽根』
『パンチとジュディ』
『四つの凶器』
『五つの箱の死』
『殺人者と恐喝者』

瀬戸川猛資、鏡明、北村薫、斎藤嘉久「ジョン・ディクスン・カーの魅力」(『ユダの窓』2015年)を読んで、ご都合主義、とってつけたようなハッピーエンド、アホなトリック、笑えないドタバタなど、それらはカーの魅力であり、笑って楽しめばいいことがわかりました。

松田道弘さんは「ためしに何人かのマニアがえらんだカーのベストテンをみてごらん。クリスティーやクイーンでは考えられないような選出作品のバラツキがでてくる」と書いています。
クリスティーやクイーンについても多くの人がこんなに熱く語っているのでしょうか。
読んでみたいです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

響野湾子

2022年09月19日 | 死刑

「年報・死刑廃止2013年 極限の表現 死刑囚が描く」を知人から借りました。
特集は死刑囚が死刑囚表現展に応募した文芸作品や絵画についてです。
池田浩士選「響野湾子詩歌句作品集」には心惹かれる歌がたくさんありました。
以下、無断引用です。

2006年
土壇場の明日あるかも知れぬ夜に命いとひて風邪薬飲む

2007年
刑死まで一度は見たし区切り無い月に太陽満天の星空

2009年
あの青き空を切り取り独房の暗きに貼りて置きたしと思ふ
神様・神様・神様僕はなぜ殺人者なぞになったんだろう
刑死者の住まひし部屋を半年余空房にしてまた人の住みをり
我が刑死待ちて望みし人ありて慎める事慎みて生く
定年の看守は死囚の我れの手を狭き食器孔より握りて去れり
死囚の我に規制設けて来し手紙出所時交付と告げられにけり
贖罪てふ都合のいと良き言葉あり馴々しげな甘き言葉よ
最後かも知れない夜に抱かれて「人」に逢ひたし「人」に逢ひたし
この星の裏側にある大地には違ふわたしが居そうな気がする
あれ程に忌嫌しが恋しがり満員電車の人・人・人波
一条の煙りとなりて去る時はわずかばかりの雨降ればよし
獄中に三千余人住みしてふ我れに一人の話し相手無けれど

2010年
獄中に内職を得て折る紙袋(ふくろ)世の買物に使われるは嬉し
独房に月の駱駝を隠しいて旅する時を静かに待ちをり
硝子より脆き心を隠し持ち生きねばならぬ処殺来るまで
ゆくあての無き鬼もゐて鬼は外
天の川漕ぎ去る人の背の淋し

2011年
万余もの亡くなりし震災を天罰とのたまふ知事は死刑存置者
忘却を望み生きれと染み付きし殺人者の血身に流れけむ
交流のとぼしき我を気づかひて「巨人負けたぞ」と語り来る看守
綺麗事の精神論で刑を説く看守は我の瞳(め)を見ずに説く
若き日の我れの夢なぞ聞きに来る看守も居りてなごむ日のあり
我が帰り疑ひ持たず母はまだ古き背広を取りてあるらし
山川が幾重にあれど赦されば歩きても帰らむ古里という地に
「殺される」事の無き日の元旦に初湯をもらふすみずみまで洗ふ
ほぼ歩くことの無き日の牢獄に足裏の皮はうすくなりけり

2012年
看守の瞳(め)盗みて独房(へや)に持ち込みぬ鉢の土塊ひと日嗅ぎをり
思ひ切り放れるボール一つ欲し夢書きつらぬ獄外(そと)に放らぬ
我が刑を忘すれし母の認知症神の救くひと思ひて会ひをり
生きし事の全て厭わし時ありて遺書なぐり書く独房(へや)の暗きに
覚悟らしき思ひはあれど刑のあれば夕食の手の箸の震へり
「穀潰し」「人非人」よと罵りぬ定年で去りし刑吏も懐つかし
我に来る死の訪ずれ取り置きぬ肌の通さぬ下着一式
悟り得し顔して受けむ教誨の時こそ湧けり雑念と未練

響野湾子こと庄子幸一死刑囚は2019年8月2日に執行されました。
64歳でした。
今年、『響野湾子俳句集: 千年の鯨の泪櫻貝』が出版されています。
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784434304088

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ネトウヨと保守と右翼

2022年09月08日 | 日記

伊藤昌亮『ネット右派の歴史社会学』に、行動する保守」を名のる団体・個人がNHKやフジテレビなどに過激な抗議活動をしたことが書かれています。

保守とは何か。
保守と右翼は違うのか。
ネトウヨは保守なのか。

適菜収『安倍でもわかる保守思想入門』を読みました。
人間の理性に懐疑的であることが保守主義の本質。
人間の理性は完全であって、明るい未来が描けるという考えは保守ではない。
人間は合理的には動かないし、社会は矛盾を抱えて当然だという前提から出発する。
保守は人間が不完全であり、人間の理性や知性には限界があることを認めるから、この道しかないという言い方を保守政治家はしない。
保守は安易な解決策に飛びつかない。
理性的に考えれば、理性で解決できないことのほうが多いことに気づく。

リベラルや左翼は理性を信頼する。
きちんと論理的な思考を積み上げていけば正解にたどり着くと信じている。
理性の拡大の延長線上に理想社会を見いだそうとする。

保守主義者は理想を示すものではない。
保守は左翼のように自由や平等を普遍的価値と捉えない。
自由の暴走はアナーキズムに行き着くし、平等の暴走は全体主義に行き着く。
保守主義は特定のイデオロギーを警戒する。
非常識な人がいたら、「非常識だ」と注意する。
乱暴な人がいたら、「乱暴はやめろ」と警告する。
それが保守であり特定の理念を表明するものではないから、保守は思考停止を戒める。

保守と右翼は直接関係ない。
復古主義や右翼は過去の一時期に理想を見いだす動きである。
理想主義という面においては、理想郷を未来に設定する左翼とそれほど変わらない。

保守が過去を重視するのは、未来につなぐため。
伝統の重視は過去の美化ではない。
保守は伝統に培われた常識を大切にし、非合理的に見える伝統や慣習を理性により裁断することを警戒する。
伝統とは、人間の行動、発言、思考を支える歴史的に培われた制度や慣習、価値観のこと。
保守が伝統を重視するのは、個々の事例における先人の判断の集積と考えるから。

原理主義と右翼について中島岳志さんの説明。(「真宗」2017年3月号)
原理主義あるいは復古主義は、古代は素晴らしかったが、その後、外国から入ってきて駄目になった、元に戻ろうという思想。
過去の人間も、現在の人間も、未来の人間も不完全である以上、過去のある一地点に回帰したところで、それは過去の問題に直面するだけである。

保守が立脚すべき立場は、どこかの時代を絶対化、理想化することではない。
人間が不完全である以上、その人間によって構成される社会も不完全だから、昔に戻っても何も解決しない。
未来の人間も不完全なら、未来には未来の問題があるから、未来も絶対ではない。
完成された時代など存在しないから、どの時代も絶対化できない。

保守は何も変えないのではなく、保守するために変わらなくてはならないという立場。
世の中が推移していくので、大切なものを守るために変わっていかないといけない。
ただし、一気に変えようとしてはならない。
伝統や慣習に謙虚になりながら、漸進的に変えていこうというのが保守思想。

伊藤昌亮『ネット右派の歴史社会学』に書かれている右翼の歴史の要約。
明治以降、右翼は反体制的・革新的な勢力として保守に対抗する側に位置づけられた。
反体制派が、民族の立場から近代化に反対する右翼と、階級の立場から反対する左翼に分かれ、真ん中の保守を左右から挟撃するという構図である。

ところが、戦後、右翼団体はアメリカの反共政策のもとで左翼勢力の伸張を抑え込もうとする保守政権と結びつき、反共活動の尖兵として左翼を弾圧する側になる。
右翼団体は保守政権や財界と結びつき、天皇中心主義や国粋主義などを標榜しながら、親米反共の旗印を掲げて活動するようになった。

70年安保の前に登場した新右翼は民族派と称し、反米反ソの立場だった。
その後、再び保守と連帯し、体制的・保守的な勢力として左翼と対抗する。
日本では権力に追従するのが保守ということになっている。

樋口直人『日本型排外主義』による、既成右翼の特徴。
既成右翼に関する代表的な研究は、天皇制に象徴される権威主義的な伝統主義と反共主義を戦後日本の右翼イデオロギーとしている。

①天皇および国家に対する絶対的忠誠
②共産主義、社会主義またはこれに同調する勢力への反対、警戒
③理論よりも行動の重視
④民族的伝統、文化の護持と外来思想、文化への警戒
⑤義務、秩序、権威の重視
⑥民族的使命感
⑦命令系統における権威主義
⑧家族主義的全体主義
⑨保守的傾向
⑩家父長的人間関係
⑪インテリ層に対する警戒
⑫一人一党的傾向
⑬少数精鋭主義
ところが、天皇を中心とする復古主義は古くさすぎて興味を持てない人が増えた。

物江潤『ネトウヨとパヨク』によるネトウヨとパヨクの定義は、「強い政治的主張をもつ対話できない人」です。
「保守・リベラル」と「ネトウヨ・パヨク」との違いは、対話が可能かどうか。
ネトウヨと保守は本来相容れないように思われます。

渡辺靖「アメリカニズムと不寛容社会」(たばこ総合研究センター編『現代社会再考』)にこんなことが書かれています。
今の日本社会は、コミュニティーの関係が薄くなり、個人が孤立化している。
その一方で、付和雷同的な傾向がある。
つながりから解放されると、一人ひとりは自立しているが、孤独な個人となってしまう。
周囲に頼れる人がいない、そういう社会では、隣人でさえ信頼できず、多数派や国家権力に自ら進んで服従していく。
孤独になっていくベクトルと、特定の多数派や権力にすがっていくベクトルが矛盾しない。

バブル崩壊後30年以上も経済停滞が続き、格差は拡大しているということもあり、排外主義の声が高まって極右政党が支持を広げています。
これからの日本、どうなるのか心配です。

渡辺靖さんの、信頼と寛容はセット、信頼してるから寛容になれるという言葉、そのとおりだと思います。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ネトウヨと被害者意識

2022年08月28日 | 日記

ネトウヨの主張は被害者意識がひそんでいるように感じます。
反権威、反知性は、権威や専門家にバカにされているという劣等感。
陰謀論は、日本を陥れようとする秘密組織によって被害を被っているという妄想。
排外主義や歴史修正主義にも被害者意識がうかがえます。
中国や韓国が言いがかりをつけて日本を非難しているとか。

吉田嘉明DHC会長

今、多くの番組で東大や早稲田出身の教授、在日帰化人のジャーナリストや文化人、一見性別不明の左翼芸能人らが特に珍重されているようです。私が在日帰化人の問題に触れると、すぐに「ヘイトだ」「差別発言だ」と言われますが、私は決して差別主義者でもレイシストでもありません。(産経新聞ウェブメディア)

在日が日本を支配しつつあるという思い込みは在日特権陰謀論とでも言いますか。

トランプ前大統領の、メキシコから不法移民が入らないよう国境に壁を作るとか、イスラム圏7カ国からの入国を制限するといった主張も同じです。

在特会の桜井誠と西村修平は、まったくの虚構をもとに排外主義運動を展開したと、樋口直人『日本型排外主義』に書かれています。
在日特権という虚構はアイヌ、沖縄、被差別部落などへの利権攻撃につながるし、生活保護受給者へも向けられます。
NHK党はNHK批判だけしているわけでなく、歴史修正主義、生活保護バッシングなどネトウヨ的主張もしているそうです。

樋口直人さんは排外主義を「国家は国民だけのものであり、外国に出自を持つ(とされる)集団は国民国家の脅威であるとするイデオロギー」と定義します。

極右といっても、ヨーロッパではバリエーションはかなり存在し、共通項はナショナリズムと排外主義くらいしかない。
樋口直人さんは、石原慎太郎は極右であり、日本維新の会は極右政党だとします。
石原慎太郎さんの三国人発言などは明らかな排外主義です。

排外主義も主張はさまざまですが、樋口直人さんによると、日本の排外主義運動には3つの源流があります。
①既成右翼の一部
②歴史修正主義的な右派市民運動
③ネット右翼

冷戦時の保守にとっての仮想敵国はソ連であり共産圏だった。
既成右翼にとって在日外国人は重要な問題となってこなかった。
90年代後半からは反日勢力としての東アジア近隣諸国が攻撃の対象となった。

西村幸祐は2011年3月、桜井誠の暴走に「思想的、政治的に一線を画せざるを得ない」と明言。11月には「チンピラの恫喝・脅迫、言いがかりと何ら変わらず、ただの弱い者イジメの街宣ではないか」などと断じた。
西村幸祐さんだって威力業務妨害で逮捕・勾留されているのに。

永吉希久子「ネット右翼とは誰か」(樋口直人他『ネット右翼とは何か』)によるネット右翼の定義。

①中国・韓国への否定的態度
②保守的政治志向
③政治・社会問題に関するネット上での意見発信や議論

ネット右翼はこの3つの条件をすべて満たす。
①と③の条件を満たすが、②の保守的政治志向が見られない場合はオンライン排外主義者と定義する。

保守的政治志向の有無は、「靖国公式参拝」と「憲法9条の改正」に対する賛否と、「国旗・国歌を教育の場で教えるのは当然である」と「子どもたちにもっと愛国心や国民の責務について教えるよう、戦後教育を見直すべき」への同意の程度で測定。

オンライン排外主義者は保守的政治志向を必ずしももたない。
オンライン排外主義者のうち、靖国公式参拝には39.0%、憲法改正には29.2%、国旗・国歌教育には51.7%、愛国心教育には35.8%が賛成している。

ネット右翼とオンライン排外主義者の共通点と相違点
①ネット右翼は自民党や安倍首相に好感をもち、保守を自任している。
③反中・反韓や日本の伝統的な姿を重んじる
ネット右翼は権威に従順であることを重視し、現政権(安倍政権)に肯定的であり、政治に自分の声が届いていると感じている。
④政治・社会問題の情報源としてインターネットや本・雑誌、所属団体からの情報を利用する人ほどネット右翼になりやすく、テレビを利用する人ほどなりにくい。

保守系雑誌・書籍やインターネット上の情報を通じて「マスコミが報じない真実」を学習することでネット右翼へと近づいていく。
オンライン排外主義者は「一般市民の声は、エリートや政治家の意見よりも正しいことが多い」と考える傾向がある。

排外主義は保守にとどまらない層に広がっていて、そこからオンライン排外主義者が生まれていると考えられる。


なぜ他国の人間、特に東アジア、開発途上国の人を嫌うのか考えてみました。
・異なる文化、言語、習慣を受け入れることへの忌避感
・仕事を奪われるのではという不安
・治安が悪化するのではという不安
つまり、今までの生活が変わることへの抵抗感があると思います。

『日本型排外主義』に、排外主義の活動家34名の聞き取りがされています。
その主張には在日韓国人や在日朝鮮人に対する激しい憎悪がある。
敵視の対象はリベラルのイメージで語られることが多い政治家や知識人にも向けられる。
日本の排外主義の活動家を調べても、際だった特徴が見つけにくい。
外国人と接点があったのは15名で、そのうち12名は影響がないと答えている。
外国人との直接的な接触によりネガティブな意識を抱いたのは3名。
外国人と接した経験が排外主義と結びつくことはほとんどない。
拉致問題がきっかけと答えた人もいる。
マスメディアを敵視し、マスメディアの情報を疑う一方、ネット空間に信頼を寄せる。

外国人との関わりはないし、ネットの不確かな情報しか持っていないのに、なぜか排外主義になるのです。
しかし、幕末に攘夷という排外主義が勢力をふるいましたが、結局は西洋文明を受け入れました。
鬼畜米英と叫んでいたのが、敗戦でアメリカン・デモクラシーを受け入れました。
多文化の日本は避けられないと思います。

樋口直人さんの調査によると、排外主義運動とつながるきっかけとなった出来事として、歴史修正主義だと答えた人がいます。
歴史修正主義には、自分の国にとってマイナスとなる出来事は認めないわけで、そこに被害者意識を感じます。
中国は南京虐殺、韓国は従軍慰安婦問題を利用して日本をおとしているというふうに。

三笠宮崇仁『日本のあけぼの』(1959年)にこうあります。

偽りを述べる者が愛国者とたたえられ、真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を、私は経験してきた。もっとも、こんなことはかならずしも日本に限られたことではなかったし、また現代にのみ生じた現象ともいえない。それは古今東西の歴史書をひもとけばすぐわかることである。さればといって、それは過去のことだと安心してはおれない。つまり、そのような先例は、将来も同様な事象が起こり得るということを示唆しているとも受けとれるからである。いな、いな、もうすでに、現実の問題として現われ始めているのではないか。紀元節復活のごときは、その氷山の一角にすぎぬのではあるまいか。そして、こんな動きは、また戦争につながるのではないだろうか。


斉加尚代『教育と愛国』を見てたら、関東大震災の朝鮮人虐殺や、張作霖爆殺事件の主犯は河本大佐だと書いている教科書は不採択なるのではと危惧しました。
https://www.youtube.com/watch?v=xCbWMJJ0qyg

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする