三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

ミキ・デザキ『主戦場』

2019年07月30日 | 戦争

『主戦場』は、櫻井よしこ、杉田水脈、ケント・ギルバート、藤岡信勝、山本優美子、渡辺美奈、吉見義明といった人たちがミキ・デザキ監督のインタビューに応じ、慰安婦問題について語ります。

テキサス親父のトニー・マラーノ氏は風呂敷かぶせてなんとかのアメリカ版を楽しそうにしゃべってるし、マネージャーの藤木俊一氏は「フェミニズムを始めたのは不細工な人たち」と平気で言い切るし、カメラの前でそんなあからさまも女性差別を口にしていいのかと心配になるほどです、 https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/06/vs-23_3.php

加瀬英明氏が最後に出てきますが、あまりにもおバカなのにびっくり。
人の本は読まないと言うんですから。
吉見義明氏を知らないし、秦郁彦氏の本も読んでいない。
それでどうやって慰安婦問題を語ることができるのかと思います。
これだけホンネをよくもまあ引き出したもんだと、出崎監督の手腕には感心しました。

櫻井よしこ氏の後継者と言われていたケネディ日砂恵という女性の発言は重みがありました。
「花田編集長の右向け右!」には、ケネディ日砂恵氏のプロフィールに「慰安婦問題など歴史を素材にした反日言説・行動に疑問を持ち、日米文化の狭間で生きるなかでうまれた思索をフェイスブックで発信し、反響を呼んでいる」と書かれています。
https://www.genron.tv/ch/hanada/archives/live?id=130

ところが、そのケネディ日砂恵氏が肯定派に変わります。
それは秦郁彦氏の本(たぶん『南京事件』)を読み、南京で日本軍による虐殺が実際にあり、2~4万人は殺されていると思うようになったと語っています。
そうして、慰安婦問題についても考えが変わったというわけです。
ちなみに、デザキ監督は秦郁彦氏に出演依頼をしたけど断られたそうです。

ケネディ日砂恵氏は、あるジャーナリストが慰安婦問題の記事を書いたり調査をするために6万ドル渡したと語っています。
最初2万ドル、翌月2万ドルを要求され、というふうに。(交通費、宿泊費などは含まない)

さらには、このジャーナリストはブログに、櫻井よしこ氏から金をもらっていると書いているとケネディ日砂恵氏は話します。
このことの真偽をデザキ監督に問われた櫻井よしこ氏は「微妙な問題なので」とかわします。
この場面を見て、あまりにも言葉の軽い杉田水脈氏は櫻井よしこ氏の後継者にはなれないと思いました。 
 

藤木俊一氏たち5人が上映中止を求めて訴訟を起こしております。
慰安婦問題否定派が主張を述べた後に、反対側による反論で彼らの主張が間違っていることにされてしまい、しかも否定派の再反論の機会を与えていないという批判はたしかにその通り。
「月刊Hanadaプラス」に山岡鉄秀「従軍慰安婦映画『主戦場』の悪辣な手口」という記事があります。
ケネディ日砂恵氏の発言にも反論がなされています。
https://hanada-plus.jp/posts/1974

しかし、否定派の再反論には、当然肯定派も再再反論するだろうし、これではいつまで経っても終わらない。 ドキュメンタリーは中立ではあり得ないと思います。

性奴隷という言葉はおかしいんじゃないかと、私は思ってました。
奴隷というと、鎖につながれ、鞭で打たれているようなイメージがあったので。
しかし、「奴隷制というのは、人が別の人によって全的支配を受けることをいう。元慰安婦が高額の支払いを受けていても、外出をしていても、それは全体的な支配のもとで許可を得てそれができていたのだから、奴隷制ということになるんです」という説明に納得。
もちろん、別の定義をする人もいるでしょうが。

慰安婦像をあちこちに設置するのはやりすぎではとも感じていました。
これも、すべての性被害者を象徴するものであるなら、それもありかなと。

渡辺美奈さん(「女たちの戦争と平和資料館」事務局長)は「大きな人権団体などが、慰安婦問題についてレポートを書く、と。そのとき相談をされれば、20万人という数字は使わずにもう少しアバウトな数を使うことを勧めます。40万人と聞けば、40万人という数字を使おうと思うんです。わざわざどれが一番いいかと考えずに、多いほうを使うということも多分あると思うんですね」と言っています。
8歳から10歳の慰安婦がいたと演説する人の映像も出てきます。
どちらもが極論と誇張した話をしていたのでは、双方が折り合うことはないでしょう。

ケネディ日砂恵氏は次のように指摘します。

ナショナリストは、日本が弾圧されることで、自分の名誉を傷つけられたと感じる。だから自尊心を守るために、日本を擁護する。

 https://mainichi.jp/articles/20190426/mog/00m/040/004000c?pid=14509

ネット上では韓国へのむき出しの憎悪が目に余るほどです。
しかし、昭和天皇は1984年、全斗煥大統領を迎えての宮中晩餐会で、「今世紀の一時期において、両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり、再び繰り返されてはならないと思います」と遺憾の意を表しています。
1990年、宮中晩餐会で平成天皇は盧泰愚大統領に、「我が国によってもたらされたこの不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、私は痛惜の念を禁じえません」と謝罪しました。
1996年、平成天皇は金大中大統領歓迎の宮中晩餐会のおことばで、「一時期、わが国が朝鮮半島の人々に大きな苦しみをもたらした時代がありました。そのことに対する深い悲しみは、常に、私の記憶にとどめられております」と述べています。
抽象的な言い方ですし、慰安婦問題に触れているわけではありませんが、過去の日本の罪を天皇は認めているわけです。

ハンス・ロスリング『ファクトフルネス』にこんなことが書かれています。

歴史を美化すればするほど、わたしたちや次の世代の人たちが、真実にたどり着けなくなってしまう。悲惨な過去について学ぶのは気が滅入るかもしれないが、真実を知るためには避けて通れない。 過去をきちんと学べば、昔に比べたら、いまがどれだけ恵まれているかに気づくこともできる。そして次の世代はきっと、前の世代と同じように、たまには一歩後退しても、長い目で見れば平和、繁栄、問題解決の道を歩むことができるはずだ。

 もちろん、慰安婦問題について論じた文章ではありません。
しかし、日本のマイナス面を語ることを自虐史観だと非難する人への批判としても使えるように思います。

もう一つハンス・ロスリングの言葉をご紹介。
1990年に、子供が命を落とす原因の7%がはしかだったが、現在は1%になった。
しかし、アメリカでは親の4%が子供への予防接種は大事ではないと考えている。
67カ国を対象にした調査でも、13%が予防接種に懐疑的で、フランスでは35%以上。

「どんな証拠を見せられたら、わたしの考えが変わるだろう?」と自分に聞いてみよう。「どんな証拠を見せられても、ワクチンに対する考え方は変わらない」と思うだろうか? もしそうだとしたら、それは批判的思考とはいえない。

 ワクチンを慰安婦問題と置き換えると、ぴたりと当てはまるように思います。

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アメリカの多様性

2019年07月23日 | 日記

ジョン・ワッツ『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』は、スパイダーマン(ピーター・パーカー)が高校の研修旅行に行きます。
同級生は国際色が豊か。
スパイダーマン役のトム・ホランドはイギリス出身の白人。
あこがれのMJのゼンデイヤは、父がアフリカ系アメリカ人、母はオランダ系アメリカ人。
親友のネッド・リーズ役のジェイコブ・バタロンの両親はフィリピン人。
アンガーリー・ライスは白人ですが、オーストラリア生まれ。
ジョージ・レンデボーグ・Jrはドミニカ共和国生まれ。
恋敵役のレミー・ハイはオーストラリア生まれで、父は中国系のマレーシア人、母はイギリス人。
トニー・レヴォロリの両親はグアテマラ出身。

WASPはいないし、両親が黒人の俳優もいません。
ピーター・パーカーはクイーンズ住まい。
クイーンズのジャクソンハイツでは167の言語が話されているそうですが、人種の人口比はどうなのでしょうか。

映画の脚本作りに行き詰まったミランダ・ジュライは、無料配布される雑誌の「売ります」広告を出している人に会いに行きます。
『あなたを選んでくれるもの』は、そこで出会った人たちのことを書いた本です。
写真もたくさん。
インタビューを申し込んでも、たいていは断られたそうですが、応じてくれる人は変な人ばかり。

最初は革ジャケットを10ドルで売る60すぎの男。
性転換をしている最中で、化粧をし、女性の服を着ている写真にまず驚きます。
他人の写真アルバムを売るギリシャから来た女性。
ウシガエルのオタマジャクシを売る男子高校生。
GPSを足首につけている男性。


キューバ移民の女性と弟。
古いドライヤー5ドル。
などなど、10人へのインタビューです。

カメラマンとアシスタントを連れ、会ってくれた人に50ドルを支払っています。
ということは、最初から出版する予定だったのか。
となると、変わった人を選んで本にしたのかと疑問が沸いてきます。
中には本人が読んだらどう思うんだろうというとこもあり、たとえばフルーツサラダをいやいやもらって帰り、すぐに捨ててしまったことも書かれています。
インタビューした人に『あなたを選んでくれるもの』を謹呈していないのでしょうか。
モキュメンタリーなのかと思いながら読みました。

レイチェル・ドレッツィン『いろとりどりの親子』は障害を持つ子供とその親、6組の親子のドキュメンタリー映画です。
その中で、子供に障害がないと思われる家族が出てきます。
6年前、16歳の息子が8歳の子供を殺して無期懲役になります。
両親、そして弟妹もカメラに向かって自分の気持ちを語るんですね。
刑務所にいる息子と電話で話したり、面会の時に一緒に写真を撮ったり。
日本ではあり得ない話で、ここらがアメリカのよさだと思います。
とはいえ、「加害者のくせに」などとネットで叩かれないのか気になります。

渡辺靖『沈まぬアメリカ』は2015年の出版なので、トランプの登場によって古くさくなったかと思ったら、そんなことは全くありません。
アメリカの大学の海外分校、ウォルマート、メガチャーチ、セサミストリート、政治コンサルタント、ロータリークラブ、ヒップホップを手がかりに、アメリカ文化の世界中への拡散、越境、浸透が語られます。
渡辺靖氏は「アメリカの文化的影響力というのは――少なくとも規範や制度の世界的拡張という点に関しては――世間で言われているほど普遍的でも、圧倒的でもないのではないか」と最後に書いています。
しかし、私の読後感は逆で、これからさらにアメリカ文化が世界を覆うようになるのではと思いました。

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キリスト教と寛容(3)

2019年07月17日 | キリスト教

 3.渡辺一夫『寛容について』
渡辺一夫『寛容について』は1942年から1970年に書かれた雑文をまとめたものです。
16世紀ヨーロッパ、特にフランスルネサンス期の血で血を洗うような宗教戦争について書くことをとおして、戦争、そして敗戦後の日本、あるいは戦後の世界がどのようにあるべきかを問うています。

現代の我々は、少なくとも神の名によって殺し合うことはやめにしたことに思いいたりますと、あの当時流された血を決してむだにしてはならぬし、そこから多くの教訓を学びとらねばならない筈です。


新旧両派の不寛容は恐るべきものだった。
自分の教義と異なる教義を寛容することは指導的な改革者たちの思いも及ばぬところであり、宗教改革は指導者たちも戦慄するような結果を招いた。
中世の理想が世界から異端者を一掃することであったとすれば、新教徒の目的は反対者全部を国土から排斥することだった。

神の名によって殺戮し、正義の名の下で果たし合いをする人間に対して、非人間的で愚劣な行為であり、解決は他に求めねばならぬと説くこと、またそうした考えを抱き通すことこそが「精神の真の特権」である。
渡辺一夫はユマニスト(人文主義者)、なかでも中心人物であるエラスムスを高く評価します。

エラスムスの晩年には、ヨーロッパ各地で宗教戦乱が拡大し、不寛容が「歴史を作って」いた。
カトリックもカルヴァン派もそれぞれが火刑台を用意し、キリストの名によって殺戮することを常習とするにいたった。
ユマニストたちはキリスト教本来への復帰を熱望していた。

エラスムスは容赦なくキリスト教会の制度の欠陥や聖職者たちの行動を批判した。
批判をするだけで、現実を変える力を持ち合わせないユマニストは、所詮無力なものだと言われる。

しかし、終始一貫批判し通すことは、決して生やさしいことではありませんし、現実を構成する人間の是正、制度の矯正を着実に行うことは、現実を性急に変えようとして様々な利害関係、と結びつき、現実変革の方法に闘争的暴力を導入して多くの人々を苦しめることよりも、はるかにむつかしいことだと思います。


キリストの名のもとでキリスト教徒がお互いを殺し合うことがいかに愚劣であるか、こうした自覚を与えてくれたものは、ユマニスムの隠れた地味な働きである。
ユマニストが現代も生き続けているなら、経済問題や思想問題のために争うことも愚劣だと観じ、それらは人間が正しく幸福に生きられるようにするためにあるという根本義を必ず人々は悟るだろう。

ルネサンス期のフランスにおいて、旧教会側が不寛容で狂信的な圧力を振った。
そのために、宗教改革運動に身を投ずるにいたって人々がたくさんいる。
その一人であるカルヴァンは宗教改革運動の一方の頭領となり、自分が正しいと思った「神」に仕えねばならぬという「使命観」を抱かざるを得なくなり、その結果、旧い狂信に新しい狂信を対立せしめざるを得なくなった。

ジュネーブに拠点を置いて活動するカルヴァンは神政政治を敷き、厳格な統制と絶対権力を実践し、自由は完全に粉砕された。
誤った教理を持つ者、自分を批判する者を追放、斬首、そして火刑までして弾圧した。

カステリヨンは『異端者について』でカルヴァンを批判し、次のように言っています。

この異端者という呼び名は、今日では、極めて不面目な、極めて唾棄すべき、また恐ろしいものになっていますために、もし誰かが、その敵を直ちに倒そうと思いましたら、相手を異端者として告発するのが何よりも便利な方法となっているくらいです。

「異端者」と同じ呼び名の例として、渡辺一夫は「アカ」「非国民」をあげていますが、現在だったら「反日」「売国奴」でしょうか。

さらにカステリヨンは、異端者というものは「我々及び我々の意見と一致しない」人々にすぎず、党派宗門がたくさんあれば、当然、異端者と呼ばれる人々の数も増すわけであり、一つの村で善良な信者だと言われていた人でも、宗派の違う隣村へ行けば、異端者と見なされることもあり得ると述べているそうです。

ルネサンス期のユマニストは「これはキリストと何の関係があるか」と問うた。
キリスト教徒同士でありながら、キリストの名を掲げてお互いに殺し合うような愚劣さに対しても、自分の名声と利益とのためにキリストの言葉を歪める人々の暴状に対しても、瑣末な論議に耽って根幹となる精神を見失っている神学者に対しても、この言葉は投げかけられた。

不寛容というものの背後には、必ず目前の利害関係に捕らわれた哀れな心があり、利害関係を浄化するに必要な人間的反省の欠如が見られるように思います。そして、個人であろうと時代であろうと、「これはキリストと何の関係があるか?」と、自らに、また他人に反問し内省する心根なり風潮なりが少しでも多ければ、個人的・時代的不寛容は、よほど緩和される筈と思います。

渡辺一夫は「これは人間であることと何の関係があるか」と言い換えて問います。

そして、「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか?」という問いを立て、「不寛容たるべきではない」と論じます。

過去の歴史を見ても、我々の周囲に展開される現実を眺めても、寛容が自らを守るために、不寛容を打倒すると称して、不寛容になった実例をしばしば見出すことができる。しかし、それだからと言って、寛容は、自らを守るために不寛容に対して不寛容になってよいという筈はない。(略) よしそのために個人の生命が不寛容によって奪われることがあるとしても、寛容は結局は不寛容に勝つに違いないし、我々の生命は、そのために燃焼されてもやむを得ぬし、快いと思わねばなるまい。

しかしながら、ヘイトスピーチに対しても言論の自由を認めるべきかどうか、難しい問題です。

寛容と不寛容とが相対峙した時、寛容は最悪の場合に、涙をふるって最低の暴力を用いることがあるかもしれぬのに対して、不寛容は、初めから終わりまで、何の躊躇もなしに、暴力を用いるように思われる。今最悪の場合にと記したが、それ以外の時は、寛容の武器としては、ただ説得と自己反省しかないのである。

暴力を用いてもよい最悪の場合とはどんな場合を渡辺一夫は考えていたのでしょうか。

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キリスト教と寛容(2)

2019年07月14日 | キリスト教

 2.山内進『北の十字軍』
十字軍はエルサレムを奪還するための軍隊かと思ってたら、山内進『北の十字軍』によると、スペインへのレコンテキスタも十字軍だし、ヨーロッパ北方の異教徒への十字軍もあったそうです。

12世紀の神学者である聖ベルナールとローマ教皇エウゲニウス三世によって推進された十字軍は三方に分かれて出発した。
1 エルサレム(1145年)
聖地への巡礼を確保し、聖地を回復するため。

2 スペイン(1146年)
レコンテキスタ
この2つはどちらもイスラム教徒への攻撃。

3 スラブ民族のヴェンデ人(1147年)
現在のポーランド、バルト三国への十字軍。

異教徒を殺戮し、キリスト教世界を拡充することが熱狂的に同意された。
ベルナールは「異教徒たちが改宗するか、一掃されるか」を求めた。
キリスト教への改宗は、単に信仰の次元に限定されるものではなく、キリスト教的生活様式、法と文化を総体として受け入れることを意味した。

十字軍の理論的根拠となったのがベルナールの著作『新しい騎士たちを称えて』です。
キリストの騎士たちは、敵を殺すことで罪を犯すとか、自身の死によって危険がもたらされることを危惧することはなく、主のための戦いを安心して行うことができる。
なぜか。

キリストのために殺すか死ぬかすることは罪ではなく、最も名誉あることだからである。殺すのはキリストのためであり、死ぬのはキリストをうることである。キリストは、当然のこととしてかつ喜んで、敵を罰するために彼らの受け入れた。彼は、さらに快く、死した騎士の慰めに専心する。私はいいたい。キリストの騎士は恐れることなく殺し、さらに安んじて死ぬ、と。キリストのために殺し、キリストのために死ぬのであれば、ますます良い。キリストの騎士は理由もなく刀を帯びているのではない。彼は、悪行を罰し、善を誉め称えるための神の使いなのである。悪行者を殺害しても、彼はまさしく殺人者ではなく、もしそういえるとすれば、悪殺者である。

この考えは、一殺多生を唱え、敵を殺すことは菩薩行だと説いた仏教者と通じます。

1414~1418年のコンスタンツの公会議が開かれ、1410年にタンネンベルクで戦ったドイツ騎士修道会とポーランド・リトアニアがお互いの正当性を主張した。
そして、武力によって異教徒を征服し、改宗させることによって、キリスト教を拡大することはキリスト教の精神と合致するか、異教徒の権利はあるのかなどが問われた。

ドイツ騎士修道会のヴォルムディトの主張の骨子
1 異教徒に対する正戦論
騎士修道会が異教徒に対するキリスト教の擁護および布教の防護壁にして、出撃の砦だった。
2 このような騎士修道会に対する戦争は不法であり、反キリスト教的だ。

ポーランドのクラクフ大学学長のパウルス・ウラディミリの主張
14世紀のホスティエンシスという教会法学者の「キリストの生誕以来、すべての裁判権、統治権、名誉、所有権が異教徒からキリスト教徒へと移り、今日では、裁判権、支配権もしくは所有権といったものは異教徒の下には存在しない。キリスト教徒は神聖ローマ帝国を認めない異教徒たちを攻撃しなければならない。異教徒たちに対する戦争は、常に正当で合法である」という見解を、ウラディミリは「この主張は危険であり、公会議はこれを必ずやそう宣告しなければならない」と訴えた。

少々長いですが、ウラディミリの主張をご紹介します。
教皇権は「教会という囲いに属さない」「異教徒」にも及ぶ。キリスト教徒も異教徒もともに等しく保護される「羊」だ。

教皇は彼らを助けねばならず、「正当な原因が理性ある者たちに要求するのでない限り、彼らを攻撃してはならず、傷つけてもいけない」。なぜなら、「権利の生ずるところから不法(権利侵害)が生じてはならないからである」。 したがって、「キリスト教の君主たちは、正当原因がない限り、ユダヤ人やその他の異教徒たちを自己の支配地から追放してはならず、彼らから掠奪してはならない」。(略) たとえ神聖ローマ帝国の存在を認めようとしない異教徒がいたとしても、ただそのことを理由として、彼らから「支配権、所有権もしくは裁判権を奪うことは許されない」。彼らもまた神が創造されたものであり、「神の権威によって、罪なくしてそれらを有するからである」。(略) 異教徒に対して信仰を強制することも許されない。「異教の放棄は自由意思によらねばならない。この召命が効力を有するのは、神の恩寵によるしかないからである」。 それゆえ、「修道会に対してあたえられたという、異教徒の土地の征服を許可するローマ教皇の諸々の勅書」は、それが異教徒の土地に対する権利を一般的に否定するものであれば、「偽造」の疑いがこい。もし異教徒の権利がその勅書のために「合法的な理由なく」奪われるとすれば、それは「法そのものによって無効である」。

神聖ローマ帝国皇帝は、自己の帝国を認めない異教徒たちの土地を征服する許可をあたえることはできない。

「平和のうちに暮らす異教徒と戦う、あるいはむしろ彼らを攻撃するプロイセン騎士修道会は、決して正戦を実行してはいない。」 なぜなら、およそ法たるものは、「平和のうちに生活を送ろうと望んでいる者たちを攻撃する者たち」を認めないからである。(略) 「キリスト教徒による異教徒に対するそのような攻撃は、単に隣人愛に反するだけでなく、他人の物を非合法に奪うのであるから、それは窃盗であり、強盗である」。(略) しかも、「異教徒を武器もしくは圧迫によってキリスト教信仰へと強制することは、合法的ではない」。これは、隣人に対する不法であり、善を生み出すための悪でもない。

ウラディミリは、異教徒は実力によって奪われたものの返還をキリスト教徒の裁判所に対して請求することができるという見解に到達する。

「強奪されるか引き抜かれた物をキリスト教徒の裁判所に請求する異教徒に対して、正義が拒絶されてはならない。」

最後の総括で「キリスト教徒は罪を犯すことなく窃盗を行い、強盗することができるとか、領土を侵略し異教徒それもキリスト教徒と平和のうちに暮らそうと望んでいる異教徒の財産を侵害することができる」という結論は、「明らかに、すべての強奪と暴力を禁止している律法「盗んではならない」「殺してはならない」に反している。人類共同体の法が異教徒に対して許しあたえることは、一般に彼らに対して否定されてはならない」と述べています。
まことにもっともです。

15世紀になると、スペインやポルトガルがアフリカ・アジア、そしてアメリカを「発見」し、侵略するようになる。
十字軍の思想やイベリア半島のレコンキスタの延長線上に、アメリカ大陸やアフリカの征服・植民活動がある。
異教徒が住んでいる地域を攻撃し、支配し、キリスト教化するという思想は、アフリカとアメリカへのキリスト教世界の拡大のひな形を提供した。

16世紀のスペイン国際法学にとって、異教徒は支配権と財産権を有するか否か、キリスト教徒は彼らから正当かつ合法的に彼らの土地、財産、生命、自由を奪いうるか否かがもっとも重要な問題だった。
というのも、ローマ教皇の教勅は、異教徒の不動産を奪い、征服し、捕獲し、服従させ、「彼らの人格を永遠の隷属」の下におき、「改宗させる、完全かつ自由な権限」をポルトガルとスペインの王に授けたからである。

しかし、インノケンティウス4世(教皇)、トマス・アクィナス(神学者)、ラス・カサス(聖職者)、ウラディミリ、ビトリア(法学者)たちは、異教徒の権利を認め、異教徒も支配権と財産権を有し、異教徒ということだけを理由に、彼らを攻撃したり、生命、自由、財産を奪うことに反対した。

とはいえ、新世界での征服行動と支配の実態は容易には改善されず、バルト海沿岸地帯と同様に、異教徒の先住民に対して攻撃と征服、生命、自由、財産の掠奪が実行された。

異教徒を征服し、支配下に置くことが当然と思われていた時代でも、暴力による支配に反対する思想を生み出していることは忘れてはならないと思います。

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キリスト教と寛容(1)

2019年07月11日 | キリスト教

 1.J・B・ビュアリ『思想の自由の歴史』

世界中で排他的、非寛容的な風潮が高まっています。
ずっと以前読んだJ・B・ビュアリ『思想の自由の歴史』はキリスト教の非寛容さについて書かれていたことを思い出しました。
キリスト教はローマ帝国によって弾圧された被害者かと思ってたら、ちょっと違います。

ローマの政策の一般原則はローマ帝国全体を通じてあらゆる宗教、あらゆる思想を寛容するということだった。
瀆神も罰されず、ティベリウス帝は「もしも神が侮辱されるならばそれは神々自身に始末させるがよい」と言ったくらいである。
キリスト教の不寛容に対して、ローマ社会は極めて寛容だった。

ローマ人にとってキリスト教は、永い間ユダヤ人の一宗派として知られていたに過ぎなかった。
ユダヤ教はローマ当局と衝突したこともあり、排他性と不寛容性のために寛容な異教徒から不評と疑惑で見られていた。
しかし、ユダヤ教は放任しておく、しかもユダヤ教自身の狂信性が招来した憎悪からユダヤ人を保護してやる、というのがローマ皇帝の変わらない政策だった。

ユダヤ教が生まれながらの教徒だけに限定されていた間は容赦されていたが、伝播する形勢を示すと新しい問題が起こった。
仲よく共存してきたあらゆる信条に対して敵対的で、その帰依者は人類の敵であるという信条が弘通するのを見れば、統治者の心には、ユダヤ教がイスラエル人以外にまで伝播することは、究極においてローマ帝国に対する危険となりはしないかという危惧の念が起こっただろう。
なぜならユダヤ教の精神はローマ社会の伝統と基礎に矛盾するからである。

ローマ社会もキリスト教に対してかなりの不寛容を示した時期があった。
なぜキリスト教に対して不寛容だったというと、ローマ社会の寛容を脅かすキリスト教の不寛容を抹殺して、自らの寛容を保とうとしたからである。

ローマ社会に対する敵意とその頑固さにおいて、キリスト教はその母胎であるユダヤ教に似ていた。
しかし、ユダヤ教は少数の改宗者をつくったにすぎないが、キリスト教は多くの改宗者をつくった。

トラヤヌスの時代にはキリスト教徒であることは死をもって罰せられるべき罪であるという原則が確立され、それ以後、キリスト教は非合法宗教となった。
しかし実際には、この法律は厳重にも、または形式的にも適用されたわけではない。
皇帝たちはできることなら血を流すことなしにキリスト教を絶滅したいと望んだ。
キリスト教徒が逮捕された場合、逃亡がしばしば見逃された。

キリスト教徒の迫害は官憲の希望によるより、あらゆる神々を公然と憎悪し、世界の破滅を祈る神秘的な東洋の宗教に対して恐怖を感じた民衆によって教唆されたものである。
洪水、飢饉、火災などが起こると、それがキリスト教徒の妖術のせいにされることが多かった。

3世紀、キリスト教はなお禁じられてはいたものの、全く公然と寛容されていた。
教会は大っぴらに組織され、宗教会議はなんの干渉も受けることなく開かれた。
ちょっとした局地的な弾圧が試みられたことはあったが、大きな迫害はただ一回あっただけである。

キリスト教徒はのちになって一大殉教神話を創作したが、事実はこの世紀全体を通じて犠牲者は多くなかった。

多くの残虐行為が皇帝たちのせいにされているが、彼等の治下においてキリスト教会が完全な平和を楽しんでいたことを我々は知っている。


それに対して、キリスト教徒は非キリスト教的政府に対して自分自身のためだけの自由の権利を要求した。
キリスト教が禁制とされていた2世紀間は宗教的信仰は強制されるべきものではないという根拠から、信教の寛容を要求した。
キリスト教徒が憎悪し誹謗するグノーシス派をもし政府が弾圧したとすれば、キリスト教徒は政府を喝采しただろうということは考え過ぎではない。

いずれにしろ、キリスト教国家が確立された暁には、キリスト教徒は自分たちが主張した原則を完全に忘れてしまうだろう。
殉教者は良心のために死んだのであって、自由のために死んだのではなかった。

自分たちの信仰が優勢な宗旨となり、国家的権力を獲得するや、信仰の自由という見解を放棄し、思想の抑圧について政策をとりはじめた。
キリスト教は中世ではアルビ教徒たち異端者をきびしく罰して処刑した。
また、異端審問所の原則は、百人が冤罪に苦しむとも、一人の有罪を逃してはならないということである。

J・B・ピュアリ(1861年生まれ)はキリスト教にはすごく批判的です。

聖書は道徳的進歩と知的進歩とに対する障碍であるということは真実である。なぜなら聖書はある時代の思想と習慣とを神によって規定されたものとして祭り上げてしまうからである。キリスト教は遠い昔の書物を採用することによって、人間の発展の途上に何より厄介な邪魔物を横たえたのである。

『思想の自由の歴史』は1931年の本です。
書かれていることが現在ではどのように評価されているのでしょうか。

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ヨハン・ノルベリ『進歩』とハンス・ロスリング『ファクトフルネス』(2)

2019年07月08日 | 

貧しい子供の命を助けると人口が増え続けると思われがちです。
私もそう思っていましたが、実際は正しくない。

女性1人あたりの子供の数が多い国は、乳幼児死亡率が最も高い国々。
貧しい子供を助けないと人口は増え続ける。
親は子供が大人まで生き延びると想定できると、子供の数が減らして子供の教育期間を増やすほうがいいと思うようになる。

1950年には赤ちゃんの15%が1歳になる前に亡くなっているが、2016年は3%。
5歳までに亡くなる子供の割合(乳幼児の死亡率)は、1800年が44%、2016年が4%。
幼児・児童死亡率が1950年以来改善を見せていない国はない。

1人あたり所得1万ドル以上の国で、幼児死亡率2%以上の国はない。
1人あたりの所得が1000ドル以上の国は、1900年には幼児死亡率が20%だったが、2000年には7%で、経済成長していない国でも幼児死亡率は3分の2減った。

1800年頃はイギリスでは児童労働があたりまえで、子供が働き始める平均年齢は10歳だった。
劣悪な環境で働く子供(5~14歳)は、1950年は28%、2012年は10%。

15歳以上の識字率は、1800年が10%、2016年が86%。
安全な飲料水を利用できる人の割合は、1980年に58%、2015年に88%。
1歳児のうちに何らかの予防接種を受けている子供の割合は、1980年が22%、2016年が88%。

女性が教育を受けていると、その子供の生存率が上がる。
避妊について学び、避妊具を入手できるようになれば、子供の数が減り、子供によい教育を受けさせることができるようになり、子供はよい収入の仕事につくことができる。

所得と女性1人あたりの子供の数とは関連する。
女性1人あたりの子供の数は、1800年が6人弱、1965年が5人、2017年は2.5人。
1965年、途上国(125カ国)の女性は子供を平均5人以上産んだ。
先進国(44カ国)でも女性1人あたりの子供の数は3.5人以下。

バングラデシュが独立した直後の1972年は、平均寿命は52歳で、女性1人あたりの子供の数は7人だったが、現在、平均寿命は73歳になり、女性1人あたりの子供の数は2人になった。

アメリカは、1800年に女性1人あたり子供7人、1900年には3.8人、2012年には1.9人に減った。
子供の数の変化は、西洋世界では200年かかったのに、発展途上国では60年で起きている。

災害による死亡者数(10年間の平均)は1930年代が97万1000人、2010~2016年が7万2000人。
自然災害による死亡者数は、100年前に比べると25%になった。その間、人口は50億人増えているから、死亡率は100年前の6%。

2016年に、4000万機の旅客機が飛び、死亡事故が起きたのは10機。
旅客機の飛行距離100億マイルあたりの死亡者数は、1922~33年が2100人、2012~16年は1人にすぎない。

死刑制度がある国は、1863年が193カ国、2016年は89カ国。
合法的な奴隷制度が行われている国は、1800年に193カ国、2017年には3カ国。

とはいっても、やっぱり戦争とか環境とか、世の中が悪くなっている気がします。
ハンス・ロスリング『ファクトフルネス』は「人はなぜ世界を悲観的にとらえ続けてしまうのか?」と問い、「ドラマティックすぎる世界の見方」が原因だとします。
しかし、世界はそれほどドラマティックではない。
「事実に基づく世界の見方」は、時を重ねるごとに少しずつ世界はよくなっている。
「暮らしが良くなるにつれ、悪事や災いに対する監視の目も厳しくなった。しかし監視の目が厳しくなったことで、悪いニュースがより目につくようになり、皮肉なことに「世界は全然進歩していない」と思う人が増えてしまった」

2015年、ネパールの地震で10日間に9000人が亡くなった。
同じ10日間に汚染された飲み水による下痢が原因で9000人の子供が世界中で亡くなっている。
しかし、地震のほうがニュースになりやすい。

アメリカでは過去20年間にテロで3172人が亡くなった。
同じ20年間で140万人が飲酒が原因で亡くなった。
飲酒による殺人や飲酒運転だけに限定すると、1年あたりの犠牲者は7500人。
しかし、アルコールの犠牲者はほとんどテレビに映らない。

1950年代、DDTの危険性が指摘された。
人体にとって有害だとして使用が禁止された。
しかし、DDTのメリットはデメリットを上回る。

「環境保護運動にも、ある副作用があった。多くの人が、まるでパラノイアにでもなったかのように、化学物質汚染を怖がるようになってしまった」
規制が厳しくなる理由の多くは、死亡率ではなく恐怖によるものだ。
こうした間違った、実際とは正反対の話が広まってしまうのは、よいニュースより悪いニュースのほうが話題性があるので、メディアは悪いニュースばかり伝えるから。

疑問もあります。
福島原発の事故で約1600人が避難後に亡くなったが、死因は放射線被曝ではなく、被曝で亡くなった人は1人も見つかっていない。
ハンス・ロスリングは「人々の命が奪われた原因は被ばくではなく、被ばくを恐れての避難だった」と書いています。
避難すべきではなかったとか、子供の甲状腺ガンが増えているのは原発事故と無関係だと言ってるようです。

ヨハン・ノルベリ『進歩』には、二酸化炭素排出量の抑制する技術や安全な原子炉の技術も進んでいるとあるし、中国では森林被覆面積は年に200万ヘクタール以上も増えているそうです。
ほんとに中国の森林は増えているんでしょうか。

(追記)
緒方貞子さんがインタビューに答えて、このように語っています。

1989年にベルリンの壁が壊され、1990年にドイツは統一されました。今、解決しないと思われていることでも、永遠に解決しないわけではありません。時間はかかるけど、努力を続けることで解決することもあるのです。(「With You」第34号)


以前、公害問題が騒がれていた時、防止対策に費用がかかりすぎて企業がつぶれると言う人がいました。
しかし、車の排気ガス規制は技術革新によって可能になりました。
地球の温暖化防止にしても、真剣に取り組めば新しい技術が生まれることを期待したいです。

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ヨハン・ノルベリ『進歩』とハンス・ロスリング『ファクトフルネス』(1)

2019年07月05日 | 

ウディ・アレン『ミッドナイト・イン・パリ』は、主人公が1920年代のパリにタイムスリップしてフィッツジェラルドやヘミングウェイたちと会い、さらにはベルエポックの19世紀末に行きますが、抗生物質がないからイヤだと、現在に戻ります。
ウディ・アレンらしいオチでした。

ヨハン・ノルベリ『進歩』とハンス・ロスリング『ファクトフルネス』を読むと、昔がそんなにいいわけではなく、現在はあらゆる面で状況が大幅に改善されていることがわかります。
https://www.gapminder.org/

何もかもが毎年改善するわけではないし、課題は山積みだが、人類が大いなる進歩を遂げたのは間違いない。
この進歩は17世紀、18世紀の知的啓蒙主義から始まり、19世紀の産業革命で貧困や飢餓が制圧されるようになった。
20世紀後半のグローバリゼーションで技術や自由が世界に広がると、人類を厳しい生活条件から解放した。

2017年、世界の全人口の85%は先進国と名づけられた中に入る。
いまだに途上国と名づけられた中にいるのは全人口の6%、13カ国だけ。
2000年から2011年にかけて、世界の中低所得国の1人あたり所得は倍増した。

食料生産が増加し、衛生状態が改善され、子供の死亡率が低下し、子供の数が減り、親の所得が増え、子供の教育水準が上がり、平均寿命が延びた。

極貧ラインを1日2ドルとして1985年の購買力で補正すると、1820年には世界の94%が極貧生活だった。
1950年は72%、1966年は50%、1981年が44.3%、1999年が29.1%。

1997年頃、インドと中国では人口の42%が極度の貧困だった。
2017年までに、インドでの極度の貧困率は12%、中国では0.7%に低下した。
インドでは1993~94年から2011~12年にかけて、貧困率が24%近く下がったが、ダリット(不可触民)の貧困率は31%も下がった。
ある地区では、電気扇風機を持つ、つまり電気を使えるダリットの世帯は3%から49%に増えた。

過去140年で、10万人以上が死亡した大規模飢餓は106件発生している。
1900年から1909年にかけて、飢餓で2700万人が死に、1920年代から1960年代までの各10年ごとに、1500万人が飢餓で死んでいる。
1990年代には140万人に下がり、21世紀では飢餓の死者数は60万人近く。
100年前から人口は4倍に増えているのに、餓死者は100年前の約2%に減った。

栄養失調の人の世界人口に占める割合は、1945年に約50%だったが、1970年が28%、2015年が11%に減っている。

200年前、英仏の住民の2割はカロリー不足のためにまったく働けなかった。
大人が健康な肉体機能を維持するのに必要なカロリーが手に入れられなかったので、最大でも一日数時間ほどゆっくり歩くのが精一杯のエネルギーしかなく、働けるだけの食べ物を生産できなかった。

人類が豊かになっているのは、まともな生活水準が安上がりになっているから。
農業技術が改善し化学肥料や農薬が使われるようになったので、人口が急増した以上に食料供給が増えた。
国が豊かなら、国民はそれだけ健康になる。

150年前には穀物1トンの収穫と脱穀に25人が丸一日働かねばならなかったが、コンバインを使えば1人が6分働くだけですむ。
19世紀末、アメリカでは一世帯が年間の食料を買うには1700時間の労働が必要だったが、今は260時間もかからない。

1961年から2009年までに、農地は12%しか増えなかったのに、農業生産は300%ほど増えた。
1ヘクタールあたりの穀物生産量は、1961年が1.4トン、2014年が4トン。
そして、機械化により生産性が2500倍に高まった。

18世紀半ばには、英仏で1人あたり1700~2200キロカロリー程度だったのが、1850年には2500~2800キロカロリーになり、1950年の西欧では3000キロカロリー。
現在、1人あたりのカロリー摂取が1日2000キロカロリー以下の国はザンビアだけ。

さらには、貿易の拡大、インフラ整備、安い電力と燃料、食品包装と冷凍技術などにより、食料を余ったところから不足しているところに移動できるようになった。
過去25年で飢餓になりそうな状態から20億人が救われた。

世界の平均寿命は、1800年頃は約30歳で、生まれた子供の半分は成人までに死んだが、1973年は60歳、現在は72歳。
平均寿命が延びたのは子供の死亡率が低下したから。
現在、低所得国に住む人は9%で、それらの国の平均寿命は62歳。
国連によれば、2100年には世界の平均寿命はいまより11年ほど延びるという。

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