三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

マーティン・スコセッシ『ラスト・ワルツ』

2018年07月17日 | 映画

『ラスト・ワルツ』(1978年)を見ました。
1976年のザ・バンド解散ライブの映画です。
大物ミュージシャンが次々とゲストとして登場し、最後はボブ・ディラン。
しかし、タイトル・クレジットではエリック・クラプトン、ニール・ダイアモンド、ボブ・ディラン、ジョニ・ミッチェル、ニール・ヤング・・・という順。
マディ・ウォーターズの貫禄には圧倒されたけど、私としてはニール・ヤングの「ヘルプレス」が一番。
『70年代アメリカン・シネマ103』にマーティン・スコセッシの言葉が載っていて、そこに

ぼくのいちばん好きなシーンのひとつは、「ヘルプレス」を歌うニール・ヤングが他の連中のマイクにつまずくところた。皆まるで街の通りの隅に立っている連中のように見える。あのニール・ヤングの辛そうな感情のあふれた目を見るたびに、ぼくは泣いてしまう。

とあって、うれしくなりました。(つまずくところは映画では見えないと思う)
筈見有弘氏は「ヤングの目はうつろで、彼の演奏に懸命に合わせそうとするザ・バンドの姿がほほえましい」と書いています。


筈見有弘氏は

エリック・クラプトンはブルースを極めた男だが、そんな彼が尊敬するギタリストは、ザ・バンドのロビー・ロバートスンなのだそうだ。クラプトンはロバートスンのほうをあやしい目で見ている。

と続けています。
エリック・クラプトンは1945年生まれ、ロビー・ロバートソンは1943年生まれで、ちょっと先輩。


なぜ解散するのかとマーティン・スコセッシに聞かれたロビー・ロバートソンは、「16年間一緒にやってきた。20年も続けるなんて考えられない」、そして、「素晴らしい奴らが音楽に死んでいった」と答えています。
しかし、ウィキペディアには、ロビー・ロバートソン以外のメンバーは解散を望んでいなかったとあります。
解散の時点でロビー・ロバートソンは33歳。
何かの終わりを象徴しているような映画でした。

みんな楽しそうに歌ってるけど、40年後にボブ・ディランがノーベル文学賞をもらうとは誰も頭に浮かびもしなかったでしょうね。

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クリント・イーストウッド『15時17分、パリ行き』

2018年06月28日 | 映画

クリント・イーストウッド『15時17分、パリ行き』は、2015年、アムステルダムからパリ行きの列車に乗った幼なじみ3人が、銃を乱射しようとしたテロリストを取り押さえたという事件を描いた映画。
本人たちが自分自身の役で出演しています。

3人は子供のころからの友達で、サバイバルゲームという戦場ごっこが好きな戦争オタク。
スペンサーとアレクは軍隊に入ります。
アレクはアフガニスタンに駐留しましたが、友人への電話で「退屈だ」と言ってるのにはいささか驚きました。

テロリストが銃を構えるのを見たスペンサーはテロリストに向かって突進します。
アメリカの高校で起きた銃の乱射事件で、ホワイトハウスを訪れて銃規制を求めた高校生に、トランプ大統領は「銃に熟練した教師がいれば攻撃されてもすぐに解決できる」と述べています。
http://www.news24.jp/articles/2018/02/22/10386263.html
同じ論法で、軍隊で訓練を受けたからテロリストに立ち向かえたんだ、テロを防ぐためには民間人も軍隊で訓練を積むことが必要だということになります。

リチャード・リンクレイター『30年後の同窓会』は、2003年、バグダッドで21歳の息子が戦死した男が、ベトナムで一緒に戦った元海兵隊員2人と再会して、という話です。
3人とも戦争で戦ったこと、そしてアメリカという国に誇りを持っています。
以前だったら、反戦、厭戦映画になるような題材ですが、戦争や国家に対する考えが大きく変わっていることの表れでしょう。

もう一つ、『15時17分、パリ行き』を見てて、あれっと思ったのが、スペンサーとアレクが中学の校長から「ADDだから薬を飲みなさい」と言われ、怒った母親が転校させたということです。
転校先の私立中学はキリスト教福音派のようです。

『ワンダー 君は太陽』では、自宅で母親から教育を受けてた主人公は5年生の時に私立中学校に入ります。
学校の門には「pro school」とありましたが、どういう学校なんでしょうか。
主人公をいじめてた子が停学になると、怒ったいじめっ子の母親が「寄付をたくさんしているのに」などと文句を言って、息子を転校させます。
アメリカでは、こんなふうに簡単に転校するのは珍しくないのでしょうか。

『15時17分、パリ行き』ですが、3人とも熱心なキリスト教徒の家庭で育ちました。

彼らは単に自分たちがいるべき場所にいたのだと感じているようだね。3人の中には違う捉え方をしている青年もいる。例えばアンソニーの父親はサクラメントの教会で牧師をしている。だから彼には宗教的な背景があって、今回の出来事を神が見守っ力を貸してくれたのだと考えているんだ。3人とも少しずつ捉え方が異なっている。でも基本は同じで運が良かったと思っている。運命が味方してくれたとね。

 

しかし、スペンサーやアレクもインタビューでは、アレックスのように神について語っています。

アレク「衝動的な行動だったし、神の見守りで生き延びられた」
アレク「テロに遭遇する確率は低い。しかも命も落とさずテロに立ち向かい、あの時あの場にいたことは単なる偶然とは思えない。
スペンサー「キリスト教の家庭で育ったから、神は常に身近な存在だ。神は乗り越えられる試練しか与えないと考えてる。あの瞬間それを思い出したよ」
アレックス「運命が僕らを導いた。僕らは使命を与えられたんだ。今はあの時の冷静さが理解できる。神が守ってくれたんだよ」
スペンサー「あの時の僕らはまさに神の使いだったんだ。善き行いができて光栄だね」



映画の中でも、アレックスが「自分が動かされると感じたことは?」とスペンサーに尋ねると、「生きるっていうことは大きな目的に向かっているんじゃないかと思う。自分でもわからないけど、運命に押されている気がする」(たぶん)と答えていたり、アフガニスタンに向かうアレクに母親が「いつか大きなことをするような予感がする」(たぶん)と声をかけます。
クリント・イーストウッドもこのように語っています。

「その時、何を考えた?と尋ねると彼は『何も』と答えた。何も考えずに、高性能ライフルを持った男に突っ込んだんだ。理論的には勝ち目のない賭けだが、テロリストが引き金を引くとライフルは不発だった。それは奇跡じゃないのかって? わからないね。でも、スペンサーはきっと自分は神に愛されていると思ったんじゃないかな。幼い頃からキリスト教学校で学んできたから。聖フランシスコの平和の祈りを暗誦するしね」
それは「主よ、私をあなたの平和の道具にしてください」という祈りだ。
「運命がスペンサーの人生をそこに導いたんだと私は解釈する」

http://bunshun.jp/articles/-/6389

学校では思うにまかせなかったし、軍隊に入っても望んだ部署には配属されなかった。
けれど、すべては神が「他者を救う」という私の使命を果たすためにちゃんと計画されていたことなんだ。
そういう感じではないかと思います。
だったら、『アメリカン・スナイパー』の主人公のように、戦争で心を病み、殺された人はどうなんだと思ってしまいます。

クリント・イーストウッドの監督作品は傑作ぞろいで、『15時17分、パリ行き』もいい作品ですが、キリスト教福音派が喜ぶような内容であることも事実です。

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『オール・アイズ・オン・ミー』

2018年03月31日 | 映画


ラッパーの伝記映画であるF・ゲイリー・グレイ『ストレイト・アウタ・コンプトン』やベニー・ブーム『オール・アイズ・オン・ミ-』を見ると、出てくるラッパーたちに攻撃性や暴力性を強く感じます。
金遣いが荒いのに、妙にしみったれ。
自信たっぷりしゃべりまくって、相手を威圧する。
けんかっ早く、すぐにキレて手を出す。

2PACは刑務所で年を取った受刑者に「自分は一生ここを出られない。50秒の判断で50年を無駄にするな」と諭されます。
でも、その受刑者も次の場面でナイフで人を刺す。
2PACにしても、出所後も切れやすい性格は変わらず、すぐに殴ったり、銃をぶっ放します。

デス・ロウ・レコードの社長は金を盗んだと言って、社員をボコボコにする。
それを見ている2PACがイヤな顔をしたように思いましたが、似たようなことをしてるわけで、当然だと思ってたかもしれません。
社会に抗議し、世界を変えるとか人を導くとか言っても、これじゃ暴力と金による支配じゃないかと思います。

どうしてそんなに暴力的なのか。
ウリ・ニーズィー、ジョン・A・リスト『その問題、経済学で解決できます。』に答えかもしれないことが書かれてありました。

シカゴハイツ第170学区は、50%がヒスパニック系、40%がアフリカ系の生徒。
90%以上は食糧配給券を受け取る貧しい家の子供で、中高生の50%が中退する。
シカゴの暴力が吹き荒れている32校のうち、一番平穏になった学校でラッパーのカニエ・ウェストのプライベート・コンサートを開くことになった。
賞を勝ち取った高校は生徒の約70%がヒスパニック系、30%がアフリカ系。
平穏の校風委員会を作り、出席率を改善すること、学校の中だけでなく校外でも暴力事件を減らすという目標を決め、40%も非行が減少した。

子どもたちが本当にほしいと思っていたものは、コンサートではなく、「安全に勉強できる場」だと『その問題、経済学で解決できます。』は言います。
危ない学校の子どもたちは勉強に集中できない。
殺されるかもしれないという恐怖で頭がいっぱいだから。
銃撃が起きると出席率が50%に下がる。
学校の近くで発砲事件があったら、やる気のある子どもが命の危険をさらしてまで学校に行くだろうか。

2PACが高校のころ(?)、引っ越したその日に痴話ゲンカから目の前で人が殺されます。
犯罪の発生率が高く、銃による死亡が多い地域で生まれ育っていれば、ヤワだったら生きられないことを身をもって学ばざるを得ません。

大阪ダルクの倉田智恵さんがこんなことを話しています。

だいたい薬物依存症の女性が選ぶ男性は一緒なんです。スミの入ったヤクザっぽい、なんかいかがわしい、道でケンカでもするような男性をいつも選ぶんです。組織にいたとか、覚醒剤を使ったことがあるとか。暴力をふるわなくても、暴力的な言葉を吐く。または攻撃的なコミュニケーションしかできない。「選ぶ男性はよく似てるね」と言ったら、「そうですかね」って不審な顔をされるんですね。
危険にさらされるとわかっているのに寄ってしまう。あとで「危ないよ。気をつけや」と言われても、「なんで? やさしそうじゃない」と聞いたら、「なに言うてんの。経歴見てごらん。ちゃんと書いてあるじゃない」と言われて、初めて「えっ」と思うんですね。
人を痛めつけるような攻撃性を持っている人がわからないんですよ。それはなぜかというと、そういう暴力にさらされて育ってきたから。恐さというものを身体が遮断してきているから、暴力的な人がわからない。感覚的にわからないんですよ。暴力を受けてない人はわかるんですね。「なんか恐いな、この人は」とか。

なぜかダメ男とばかりつき合う女性がいますが、こういうことかと思いました。
2PACも、どう見てもヤバイ男と親しくなります。

倉田智恵さんは、とにかくイヤだと思ったら離れられる距離感を保つことが大切だと言います。
しかし、一人では難しいと思います。
「おかしいよ」とか「やめたほうがいい」と言ってくれる人がいないといけません。
もっとも、高校の同級生だったジェイダ・ピンケット=スミスの忠告を2PACは聞こうとしませんでしたが。

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2017年キネマ旬報ベスト・テン

2018年02月18日 | 映画

「キネマ旬報ベスト・テン発表特別号」です。

日本映画
1位『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』314点
2位『花筐/HANAGATAMI』242点
3位『あゝ、荒野』237点
4位『幼な子われらに生まれ』195点
5位『散歩する侵略者』172点
6位『バンコクナイツ』164点
7位『彼女の人生は間違いじゃない』117点
8位『三度目の殺人』110点
9位『彼女がその名を知らない鳥たち』103点
10位『彼らが本気で編むときは、』100点
まあ、順当なところでしょうか。

11位『ビジランテ』95点

12位『エルネスト』81点
意外な高評価。
13位『家族はつらいよ2』70点
これまた意外。
14位『アウトレイジ 最終章』68点
15位『禅と骨』65点
16位『光(大森立嗣)』62点
17位『愚行録』60点
18位『夜は短し歩けよ乙女』59点
19位『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』56点
20位『勝手にふるえてろ』51点

その他

21位『美しい星』
24位『光(河瀬直美)』
河瀬直美はキネマ旬報ベストテンの評価はいつも低い。

外国映画
1位『わたしは、ダニエル・ブレイク』223点
2位『パターソン』209点
そんないい映画だったですかね。
3位『マンチェスター・バイ・ザ・シー』154点
4位『ダンケルク』143点
5位『立ち去った女』133点
6位『沈黙・サイレンス』127点
7位『希望のかなた』101点
キネマ旬報から愛されている。
8位『ドリーム』98点
9位『ムーンライト』91点
10位『ラ・ラ・ランド』89点
こちらもまずまず順当なところです。

11位『残像』86点
12位『エル ELLE』77点
12位『メッセージ』77点
14位『婚約者の友人』63点
14位『ノクターナル・アニマルズ』63点
16位『ローサは密告された』61点
17位『お嬢さん』60点
18位『ブレードランナー2049』59点
19位『ありがとう、トニ・エルドマン』54点
主人公の行動にはまったく共感できない。
19位『タレンタイム~優しい歌』54点

その他
21位『エンドレス・ポエトリー』
21位『女神の見えざる手』
23位『ベイビー・ドライバー』
37位『新感染ファイナル・エクスプレス』
38位『哭声/コクソン』
この2作より『お嬢さん』のほうが上位とは。
65位『セールスマン』
アカデミー外国映画賞なのに。
75位『ハクソー・リッジ』
4人しか選んでいない。がっかり。
89位『ワンダーウーマン』
こちらは2人だけで、11点。
『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』は誰も選んでない。ティム・バートンは賞味期限切れか。

驚いたのが、読者選出ベストテン。
2位『忍びの国』
キネノートでは71.6点。評論家は1人も選んでいない。
8位『ラストレシピ』
10位『帝一の國』
キネマ旬報の読者はこの手の作品が好みだとは。

SCREEN外国映画ベストテン
1位『ドリーム』120点
2位『ダンケルク』
2位『ラ・ラ・ランド』
4位『わたしは、ダニエル・ブレイク』
5位『マンチェスター・バイ・ザ・シー』
5位『メッセージ』
7位『ムーンライト』
8位『ノクターナル・アニマルズ』
9位『パターソン』
10位『ベイビー・ドライバー』68点
すべて英語の映画です。

11点『ブレードランナー2049』59点

12位『エル』
13位『新感染』
14位『沈黙』
15位『エンドレス・ポエトリー』
16位『レゴバットマン』
17位『女神の見えざる手』
18位『残像』
19位『希望のかなた』26点
19位『婚約者の友人』
19位『否定と肯定』
19位『ローさは密告された』
19位『ワンダーウーマン』

その他
27位『立ち去った女』
見ていないのでは?

ヨコハマ映画祭
1位『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』
2位『幼な子われらに生まれ』
3位『彼女がその名を知らない鳥たち』
4位『あゝ、荒野』
5位『彼女の人生は間違いじゃない』
6位『彼らが本気で編むときは、』
7位『愚行録』
8位『三度目の殺人』
9位『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』
10位『アウトレイジ 最終章』
次点『散歩する侵略者』

今年のベストテンは『スリー・ビルボード』と『シェイプ・オブ・ウォーター』が1位争いと予言します。

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2017年キネマ旬報ベスト・テン予想

2017年12月31日 | 映画

毎年恒例のキネマ旬報ベストテンの予想です。
選出対象は、2016年12月16日から2017年12月31日までの公開作品となっています。
年によって期間が異なるのも変な話ではあります。

邦画のベストテン
『幼な子われらに生まれ』
『あゝ、荒野』
『彼女がその名を知らない鳥たち』
『散歩する侵略者』
『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』
『三度目の殺人』
『光』(河瀬直美)
『愚行録』
『ビジランテ』
『花筐/HANAGATAMI』

11位から20位
『彼女の人生は間違いじゃない』
『彼らが本気で編むときは、』
『光』(大森立嗣)
『美しい星』
『アウトレイジ 最終章』
『バンコクナイツ』
『夜は短し歩けよ乙女』
『牝猫たち』
『風に濡れた女』
『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』

洋画のベストテン
『沈黙 サイレンス』(日本を舞台にした外国映画は評価が高い)
『ラ・ラ・ランド』
『ムーンライト』(アカデミー作品賞)
『ドリーム』
『マンチェスター・バイ・ザ・シー』
『わたしは、ダニエル・ブレイク』(カンヌ映画祭パルムドール)
『ダンケルク』
『パターソン』(ジャームッシュなので)
『希望のかなた』(カウリスマキなので)
『ハクソー・リッジ』
ほとんどアメリカ映画になってしまいました。

11位から20位
『残像』(ワイダの遺作だからベストテン入りか)
『エンドレス・ポエトリー』(ホドロフスキーなので)
『オン・ザ・ミルキー・ロード』(クストリッツァなので)
『メッセージ』
『ベイビー・ドライバー』
『ノクターナル・アニマルズ』
『エル ELLE』
『女神の見えざる手』
『哭声/コクソン』
『立ち去った女』
『セールスマン』(アカデミー賞外国映画賞だけど・・・)
こちらはなるべくアメリカ映画以外のものを。


他にも
キム・ギドクの『The NET 網に囚われた男』
ダルデンヌ兄弟の『午後8時の訪問者』
ジャファル・パナヒの『人生タクシー』
『ブレードランナー 2049』
『ゲットアウト』

『新感染 ファイナル・エクスプレス』
『ローガン・ラッキー』
『MERU/メルー』
などもいいとこに行くんじゃないかと思います。

私のベストワンは『夜は短し歩けよ乙女』と『私の少女時代』(現在のシーンはガッカリだったが)です。

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チャイタニヤ・タームハネー『裁き』

2017年11月01日 | 映画

チャイタニヤ・タームハネー『裁き』は最初に、野外の舞台で老いた歌手が政治批判の歌を歌っていると、警察官がやって来て逮捕します。
丁々発止の裁判劇になるのかと思ってたら、弁護士や女検事の日常が長々映し出され、それが伏線というわけでもありません。

チャイタニヤ・タームハネー監督はインタビューでこう語っています。

カーストは目に見えない無意識の力として、この映画全体に作用している。インドのカースト制度は、この場で説明するにはあまりにも複雑過ぎるので言及を控えるけど、映画の中に人の姓を読むシーンをたくさん入れたということだけ言っておく。この映画の登場人物の姓は社会階層を表しているんだ。(略)食べ物もカーストや階級を表現する重要なメタファーになった。その人がどこに住み、何を食べるかは、社会におけるその人の場所を理解するための重要なツールになると思う。

http://eiga.com/news/20170707/16/

『裁き』は、裁判を通してインド社会、カースト制度や民族・言語の違い、職業差別などを描いているのでしょう。
でも、どうもよくわからないので、インドに詳しい人の解説が聞きたいと思ってたら、「アジア映画巡礼」というブログがあり、すごく詳しく説明してありました。
http://blog.goo.ne.jp/cinemaasia/s/%E8%A3%81%E3%81%8D

65歳の歌手カンブレが「ワドガオン虐殺抗議集会」(字幕での説明はない)で、「社会はこんなにも混乱し、矛盾している」「その中で重圧は最下層にいる我らへ押し寄せる」「立て、反乱の時はきた」「己の敵を知る時だ」と歌っている途中で逮捕されます。


舞台の横断幕の左右に写真が貼ってあり、この写真で被差別カースト、つまり「ダリト」(「抑圧された者」という意味、指定カースト)の集会だとわかるそうです。

左側の写真がアンベードカル(インド憲法の父)で、右側が被差別カースト出身のアンナーバーウー・サーテー)とムスリムのアマルシェークという民衆詩人。
http://blog.goo.ne.jp/cinemaasia/e/4049790e00217c1567bdede6eb365cee

弁護士とスボードが警察(?)で尋ねると、自殺幇助罪の容疑だと言われます。

カンブレが歌う「下水清掃人は下水道で窒息しろ」という趣旨の歌を聴いた下水清掃人が自殺したからだと言うのです。

カンブレの裁判で、弁護士がマラーティー語ではなく英語かヒンディー語で話してほしいと裁判長に頼みます。

ムンバイに住んでいるのにマラーティー語が聞き取れないわけです。
弁護士のヴォーラーという姓は、パンフレットの石田英明先生の説明によると、グジャラート州の商人カーストに多い名前だそうです。
http://blog.goo.ne.jp/cinemaasia/e/e740bb6826325fdb838d7aa2e6593ebc

この弁護士は父がマンションの所有者で、裕福な家庭です。

高級食品スーパーで買い物をしたり、ナイトライフを楽しむ独身貴族でもあります。
http://blog.goo.ne.jp/cinemaasia/e/ae0ffd23aa514882e106ea9ebc8b874c

それに対して、女性検事は中流(の下ぐらい)家庭だそうで、つつましい生活を送っています。

休日に検事一家4人は食堂でランチを食べます。
弁護士一家4人が食べる場所はレストラン。
食堂とレストランの違いは、真っ白なテーブルクロスが敷かれているかどうかだそうです。
http://blog.goo.ne.jp/cinemaasia/e/93e7a7452dfbcbc973365530b39b6f9d

食事の後、検事一家は芝居を見にいきます。

どんな内容かというと、娘が北インドからムンバイに来た男と結婚したいと連れてきますが、父親は男を追い出し、移民は出て行け、マハーラーシュトラ州はマラーター人のものだみたいなことを言っておしまい、観客は拍手喝采。

移民といっても外国人ではなく、国内の他の州から移ってきた人のことです。

検事にとって、グジャラート州出身の弁護士は追い出されるべき移民なわけです。

カーストのことに話は戻って、スボードは弁護士の助手かと思ってたら、依頼人で、ダリト(不可触民)だそうです。

弁護士の家に行くと、弁護士の両親から「テーブルに座って一緒に食べて」と言われ、スボードは断るのですが、結局は母親に押し切られてテーブルにつきます。

「アジア映画巡礼」には、この場面は冷や汗シーンだとあります。

カースト制度を厳格に守っている人にとって、ダリトの人と同じテーブルで食事をするのは何よりも避けたいことだからです。

しかし、監督のインタビューを読むと、インドの観客は名前や言葉でこの人はどのカーストで、どの出身で、職業は何かが分かるんじゃないかと思います。

ですから、弁護士の両親はスボートに名前や出身地などを聞いているので、スボードがダリトだとバレてるんじゃないでしょうか。
http://blog.goo.ne.jp/cinemaasia/e/85b67de6cf31127b3d8596dba2dcef32

インドにはジャーティと呼ばれる職業別の身分差別があり、ジャーティの数は数千にも分類されているそうです。

汚れを扱う洗濯屋やごみ拾い、清掃人などは特に汚い存在として差別されています。

検事は、下水清掃人は下水道で発生するガスの危険性を熟知しているため、装備なしに入ることはない、安全装備を身につけていなかったから自殺だと主張します。

しかし弁護士は故人の妻から、夫が普段から安全装備なしで清掃作業をしていた、毎日酒を飲んで下水に入っていったが、においをごまかすためだという証言を引き出します。

大場正明氏によると、チャイタニヤ・タームハネー監督は下水清掃人の過酷な環境について書いた記事に触発されたそうです。

2007年の時点で、インド全土で毎年少なくとも22,327人の男女が公衆衛生に関わる仕事で命を落としており、マンホールで毎日少なくとも2~3人の労働者が死亡している。
http://www.newsweekjapan.jp/ooba/2017/07/post-40_1.php
『裁き』の裁判では、下水清掃人の置かれた状況が明らかにされますが、裁判ではまったく問題にされていません。

裁判は毎回、短時間の審理で、「次は1カ月後に」でおしまい。

検事はカンブレが100年前の禁書を持っていることを問題にするし、目撃証人は1人だけで、しかも他の裁判でも証人になっている、いわばプロ証人。
検事は同僚との会話で、「(カンブレは)懲役20年でいいのよ」と無茶なことを言う。
弁護士が被告は病を抱えているので保釈してほしいと願い出ても、裁判官はカンブレが支払うことのできない高額の保釈金を宣告します。

下水清掃人の妻がやっと裁判に出廷し、夫は自殺するようには見えなかったと証言。

カンブレは無罪になったのか、保釈で出たのか、そこらはよくわかりませんが、冊子を印刷する工場から警察に再び連行されます。

映画の初めのほうで、弁護士がムンバイ報道協会での講演で、警察によるでっち上げ事件と、別件を口実にした再逮捕の連鎖について語りますが、カンブレも同じ。
カンブレの逮捕は反体制派への不当弾圧なわけです。

今度の罪状はテロ活動をしているという容疑です。

長々とどうでもいいことを読み上げる検事に対して、弁護士が「どこに爆弾や殺人兵器があるんですか」とか質問すると、検事は「爆弾や兵器を含む全てのものです」とか、わけの分からない説明(忘れた)をします。

裁判官は地裁は1カ月の休暇だと宣言し、人々が法廷から出て、電気が消されます。

これで映画が終わるのかと思ったら、休暇をリゾート地で過ごす裁判官の話になります。
若い父親に子供のことを裁判官が聞くと、男性は子供がしゃべることができない、療法士に期待していると答え、裁判官は「いい占い師に相談して名前を変えなさい」と言い、そして中指に黄瑪瑙(だったと思う)の指輪をしなさいと勧めます。

「アジア映画巡礼」によると、インドのほとんどの人は占星術を使う占い師に何かにつけて頼るのが常で
、どの石をどの指にはめるかも占い師に教えてもらうそうです。
http://blog.goo.ne.jp/cinemaasia/e/15d94d9d7d0058cfc6c744a363ba89a5
こんな脱力シーンで『裁き』は終わります。

先日、初めて裁判の傍聴に行きました。

判決の言い渡しが3件、いずれも判決文を読み上げ、被告に説明して、5分程度でおしまい。
部屋が明るくて、映画で見る法廷とは印象が違ってました。

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映画の中の風景

2017年09月24日 | 映画

マーレン・アデ『ありがとう、トニ・エルドマン』はドイツの映画で、お節介焼きの父親がルーマニアのブカレストで働く娘を訪問するという話。
娘はコンサルタント会社に勤めるキャリアウーマン。
どんな仕事をしているかというと、社員を退職させ、外部委託することで、経費を削減すること。
顧客の社長にルーマニアについて聞かれた娘は、若い人は修士を出て数カ国語が話せるとほめます。
これは愛想半分だろうけど、ヨーロッパ最大のモールがあるというので、父親を連れて行きます。
『ありがとう、トニ・エルドマン』を見ると、ルーマニアはこれからどんどん発展していくように感じます。

 

ところが、クリスティアン・ムンジウ『エリザのために』というルーマニア映画では、警察医の父親が、この国はダメだからと、娘にイギリスの大学に留学させようと苦闘します。

 

娘は白昼、高校のすぐそばで襲われるし、アレクサンダー・ナナウ『トトとふたりの姉』では、スラムに住むロマの姉弟のまわりはヤク中だらけ。

 

こういった映画を見ると、ルーマニアは治安が悪いとしか思えない。
同じルーマニアの映画でも、そこで描かれる風景が違うわけです。

高野秀行さんのブログに片桐はいり『わたしのマトカ』が紹介されていて、どういう本かも知らずに読みました。
http://aisa.ne.jp/mbembe/archives/3873
「マトカ」はフィンランド語で「旅」という意味。
『かもめ食堂』の撮影のためにフィンランド1カ月滞在したときの見聞録です。
フィンランドだけでなく、ニューヨークの地下鉄、カンボジアの朝日などにも触れられていて、ほほーと思います。
北海道のホテルでマッサージを頼むと、しなしなのおばあさんが現れる。

そもそもはじめから大して力が入っているわけでもないから、わたしもついうとうととしてしまう。うつぶせで、背中越しにとぎれとぎれのおしゃべりを聞きながら、すっかり寝入ってしまった。どれくらい眠ったろうか。はっと気がつくと、なんだか背中が生あたたかい。こわごわ見るとわたしの上で、おばあちゃんが寝息をたてていた。親亀子亀のような形である。


フィンランドの遊園地でのこと。
それなりに人出があり、胃袋が裏返るような新種のアトラクションもあった。
しかし、である。

フィンランドの人たちはみごとにみんな無表情なのだ。お面のような顔のままで、たてにななめに振り回されている。おもしろいのかこわいのか、見た目からでは判断できない。特に叫び声をあげるでもなく、降りたとたんにさんざめくでもなく、淡々と安全ベルトをはずし、何ごともなかったみたいな顔をして次の乗り物に向かう。でも実際体験をしてみると、これがかなりの難易度なのである。声も出さず、表情も変えずに楽しむことは、わたしにはできなかった。

アキ・カウリスマキの世界ではないか!
映画に出てくる登場人物は現実の人たちだったのか!
アキ・カウリスマキはリアリズム作家とは知らなんだ。

片桐はいりさんの弟さんがグアテマラに住んでいて、1993年にグアテマラに行ったときのことも書かれています。
テレビの時報で時計の時間を合わせようとしたら、局によって時間が違うと弟さんが言います。
それで『グアテマラの弟』も読みました。
というのが、グアテマラでは1960年から内戦が始まり、1996年に終わりますが、内戦についてどういうふうに書かれてあるのかと思ったからです。

『グアテマラの弟』は2006年にグアテマラを再訪したときの紀行です。
そのためか、1992年にリゴベルタ・メンチュウがノーベル平和賞を受賞していることや内戦のことははまったく触れられていません。
『私の名はリゴベルタ・メンチュウ』とは別の国の話のように感じます。

しかし考えてみると、内戦の間だって、マヤ文明の遺跡に観光客が訪れていたわけです。
『ブラックレイン』の大阪や『ロスト・イン・トランスレーション』の東京が現実の大阪や東京だと思う日本人はいないでしょう。
ルーマニアにしろフィンランドにしろ、そしてグアテマラにしても同じ。
いろんな顔をしていて、そのうちのある一面でしか映像はとらえることができない。
あたりまえのことに、今さらながらなるほどと思った次第です。

(追記)
「ユニセフニュース」vol.255に、グアテマラで働くユニセフ職員の篭島真理子さんが「治安の悪さや貧富の差、男性優位や先住民への差別などが存在することが普通で当たり前」と書いています。

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ナチスとソ連

2017年09月17日 | 映画

映画(特にハリウッド映画))における絶対的な敵役はソ連であり、ナチスでした。
思いついたところでは、『レイダース/失われたアーク』『イングロリアス・バスターズ』『007 ロシアより愛をこめて』などなど。

強制収容所のような実際の話をもとにしたものならともかく、娯楽映画でドイツやソ連が悪役なのは、おそらく文句を言われないからだと思います。

『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』ような実在の国をバカにした映画なら、当然のことながらあちこちからクレームが出ます。

 

ソ連の崩壊後、ソ連は悪役の座を降りましたが、相変わらずナチスは絶対的悪として君臨しています。
最近の映画では、ナチスドイツではないけど、パティ・ジェンキンス『ワンダーウーマン』は第一次世界大戦時のドイツが悪役です。
ドイツが毒ガスを使用したことは事実ですが、当然ながら第一次世界大戦でアメリカやイギリスが絶対的善だというわけではない。
なのに、ドイツ兵がバタバタと殺されて、それでメデタシというのはあまりにも脳天気です。
ドイツ人が見たらどう感じるのか気になります。

史実を描いた作品としては、アンヌ・フォンテーヌ『夜明けの祈り』は、ポーランドに侵攻したソ連軍兵士が、修道院に押し入って修道女たちを強姦し、7人が妊娠したという実話をもとにしたもの。

ショーン・エリス『ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦』は、プラハの虐殺者と言われた親衛隊大将のラインハルト・ハイドリヒ暗殺計画を描いています。



実際にあったこととはいえ、70年以上前のことを今さらほじくり出さなくてもと考えるドイツ人、ロシア人がいるかもしれません。


ただし、この2つの映画は、単純にソ連やナチスを非難しているわけではありません。

『夜明けの祈り』では、院長は修道女たちのことを考えて産まれた赤ん坊を捨てます。
修道女たちは人に肌を見せること、触られることを禁じられており、自分は地獄に落ちるのではと苦しみ、自殺した修道女もいます。
杓子定規な教えへの批判だと感じました。

そして、ハイドリヒを暗殺すれば、ヒトラーはチェコスロバキア人への報復を必ずすることは間違いないので、レジスタンスの中でも暗殺への反対意見がありました。

実際、5千人(ウィキペディアによると1万3千人)が殺され、絶滅させられた村もあるので、レジスタンスの行動を美化しているわけではありません。

これらの映画がどの程度まで史実通りなのか、どこをどのように創作しているのか、そこは問題だと思います。

たとえばホ・ジノ『ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女』は高宗の皇女である徳恵翁主が主人公ですが、ネットで調べると、徳恵翁主の描かれ方は史実とはかなり違っています。

 

中国では抗日映画が作られているそうですが、どの程度史実に忠実なのでしょうか。

関東大震災における朝鮮人虐殺はなかったと否定する人がおり、それどころが朝鮮人の暴動は事実だという主張さえあります。

「ナチスのホロコーストはなかった」というような歴史修正主義が日本では大きな力を持っている一例でしょう。
日本で朝鮮人虐殺を主題とする映画を製作することは無理だろうし、韓国で作られたとしても日本での上映はできないと思います。

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アレクサンダー・ナナウ『トトとふたりの姉』

2017年09月05日 | 映画

アレクサンダー・ナナウ『トトとふたりの姉』は本当にドキュメンタリーなのかと思いました。

ルーマニアのブカレストに住むトト。
母親は麻薬取り引きの罪で禁固7年の実刑、服役中。

父親は顔も知らない。
保護者のいない三姉弟が暮らす水道もないアパートは、近所のヤク中のたまり場になっていて、目の前で注射を打っている。

長姉(17歳)13歳で大麻をやり、今はヘロインを使用、エイズの陽性。

次姉(14歳)児童クラブで勉強を教わるが、偶数が何か分からず、自分の生まれた年が何年か計算できない。
トト(10歳)児童クラブでヒップホップを習い、大会で2位になる。

次姉とトトは孤児院に入る。

その孤児院に赤ん坊を抱いた小さな女の子がいて、「何人兄弟?」と聞くと、「今は5人兄弟」と答える。
「今?」と尋ねると、「前は8人兄弟だった。お父さんが子供を売った」と言う。
誰に売ったのか、何のために買ったのか、その子たちは何をしているのか。

母親が仮釈放で刑務所から出でくる。

迎えに行ったトトと次姉に、帰りの汽車の中で母親は、両親も兄弟もみんな刑務所に入っていたとかなんとか、機嫌悪そうにぶつくさ言う。
家族のみんなが未来がない。

撮影されたのは2012年ごろ。
5年間でこの姉弟はどうなったか、今はどうしているのかと思うと気がふさぎました。
ネットで調べると、『トトとふたりの姉』は50以上の映画祭に招待され、監督はトトや次姉と一緒に参加することもあるそうで、ホッとしました。
https://cinemarche.net/documentary/totosisters/

ルーマニアはそんな状況なのか、それに比べて日本はいい国だと思ったのですが、考えてみるとそうは言えない。

貧困によって食べることができない子供たちに食事を提供する子供食堂が全国で増えています。
30年以上、子供たちに食事を作ってきた中本忠子さんの話だと、やって来る子供のほとんどは親が薬物依存だったり刑務所に入っており、子供の目の前で覚醒剤を使用する親もいるそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=By5_GkYh7Us
トトの環境とさほど変わらない生活をしている子供たちが日本にも少なからずいるわけです。

ロバート・チャールズ・ウィルスン『時を架ける橋』はタイムトラベルもののSF小説。

未来から来た男が「この先20年くらい、かなり荒れた時代になるだろう」と言います。
『時を架ける橋』は1989年の作品ですから、2009年までは世界は荒れた状態が続くということで、ええっ、えらい悲観的だと私は思ったわけです。
たしかに、1989年にはベルリンの壁が崩壊、1991年のソ連崩壊と、米ソの対立はなくなったけど、1992年はボスニア・ヘルツェゴビナの内戦、1994年のルワンダでの大虐殺、2001年にアメリカで同時多発テロ、そしてアフガニスタン侵攻、2003年にはイラク戦争によりフセイン政権の崩壊というふうに、世界はたがが外れてしまったようです。
だけども、私のまわりでは同じような日常が続いていて、荒れた時代、荒れた社会であっても、それとは無関係に暮らしている。
そして、トトや姉たちはその世界からはじき出されているわけです。

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岩井俊二『リップヴァンウィンクルの花嫁』

2017年08月05日 | 映画

去年の5月、岩井俊二『リップヴァンウィンクルの花嫁』を見ました。
体調が悪く、熱を測ると39.1度だったけど、この日が最後なので、解熱剤を飲んで映画館へ。
映画を見ながら死んだら『ベニスに死す』のダーク・ボガードみたいだと思いながら席に座りました。

岩井俊二らしい映像には満足しましたけど、主人公の七海があまりにもお馬鹿さんだし、後味が悪い。

小説にはそこらがうまく説明されているかと思い、図書館で予約したら、1年ちょっと経って、ようやく手にすることができました。

真白のアカウントがリップヴァンウィンクルだから、リップヴァンウィンクルの花嫁は七海。


映画の細かいところは覚えていないですが、小説は、男女が一線をどう越えるかという22歳、処女の悩みから物語は始まります。

七海の両親の離婚と再婚による家庭喪失のいきさつが詳しいので、親に相談できない気持ちは理解できます。

七海は自信がなく、意志が弱くて優柔不断、人に甘える性格だけど親しい人間は一人もいないということはわかりますが、やっぱりお馬鹿さん。


ネットで知り合った人と結婚することになった経緯や気持ちを、SNSでつぶやくわけですが、それを婚約者が見つける。
SNSなんて山ほどの人が利用しているわけで、いくらなんでもたまたま見る確率は少ないと思ったら、小説では、マイナーなSNSの「婚活編」でつき合うようになったとあります。
アカウントは変えていても、同じSNSでつぶやいたら見つかる可能性があると思わないのもアホな話です。
しかも、コメントした安室を信じて頼り切るわけで、この無防備さは何なのか。

両親が離婚していることを婚約者に言わない。
結婚式に招待する親族が少ないというので、何でも屋ににせの親族を斡旋してもらう。

その費用が20万円。
夫の浮気調査に30万円。
浮気相手の男からの救出に20万円。

こうしたあれやこれやが夫の母親の知るところとなり、離婚されてしまう。
結婚式での親族がニセモノだということをどうして姑が知ったのか。
何でも屋の安室以外あり得ないのに、七海は疑うことをしません。

家を追い出されて途方に暮れているところに、安室から電話がかかり、七海は、

「ここはどこだろう? ここはどこですか?」
「……どうしたらいいですか?」
「自分のいるところは……でもここはどこなんでしょう」
「あたし、どこに行けばいいの?」
「……帰るところがなくて」
と、声を上げて泣き出す、
この場面は岩井俊二でなければ描けない映像です。



とはいえ、大学の同級生で、一緒に鍋を食べた似鳥に連絡して泊めてもらえばいいのではとは思いました。

七海が結婚してから不幸のつるべ打ち、安室は七海をどこまで堕とすつもりか、風俗に売り飛ばすという話はイヤだなと思ってたら、住み込みのメイドで、月に百万円というウソのような話を持ってくる。


映画では、ホテルのシーンで安室が七海をだましているのがわかりますが、小説では最後らへんで謎解きされます。

ネタバレですが、末期ガンの真白から、一緒に死んでくれる人を探してほしいと頼まれた安室は、1千万円で請け負い、七海に白羽の矢を立てたわけです。
安室は葬儀屋に経緯を説明する。
「いや、この人も元々僕のクライエントで。最初は結婚式の代理出席で知り合いましてね。そっから何度もお仕事頂きまして。亭主の浮気調査から始まって、別れさせ屋仕掛けてそのネタを亭主の母親に売りましてね。孤立無援にしたところで、ここに連れてきたと。だからもともとは平和な普通の主婦だった人です」

ラストはさわやかな終わり方ですが、どうせまた安室にいいように利用されるんだろうなと思うと、イヤな感じでした。

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