全身の筋肉が衰える難病「筋萎縮性側索硬化症」(ALS)の女性患者から依頼を受け、京都市内の自宅で薬物を投与して殺害したとして、京都府警は23日、宮城県名取市でクリニックを開業する大久保愉一容疑者(42)=仙台市泉区=と、東京都港区の山本直樹容疑者(43)の医師2人を嘱託殺人の疑いで逮捕し、発表した。2人は女性の主治医でなく、SNSを通じて知り合ったとみられる。(略)
山本容疑者側の口座に林さんの側から150万円前後が振り込まれていたことも確認されたという。(朝日新聞2020年7月23日)
釈尊は安楽死についてどのように考えていたでしょうか。
ネットで検索すると、小池清廉「臨死問答と重病人看護」(2007年)と「初期仏典における痛悩者への対応」(2012年)という論文がありました。
http://ur2.link/SzYq
http://ur2.link/S7UQ
小池清廉さんは医師で、1960年代以来、知的障害者、身体障害者、精神障害者及びこれらの重複障害者や終末期患者等のための施設現場で従事すると同時に、仏典を学ぴながら医療倫理・生命倫理問題を考究しているそうです。
小池清廉さんは「臨死問答と重病人看護」の冒頭で以下のように問題提起しています。
今日の欧米では、自己決定権に基づく「死ぬ権利」が主張され、オランダ等では安楽死の法制化がなされ、またそのための運動が先進国で見られる。日本でも、一部で同様な主張がされているが、この思想の受容には抵抗する考えがかなりつよいといえよう。「死ぬ権利」の主張を中心とする生命倫理運動に対して、日本文化の一底流をなすと考えられる仏教思想は、批判的な問題提起ができるのではないかと筆者は考えている。
死期が迫っている比丘や信者に、釈尊たちはどのような対応をしたのでしょうか。
死が近づいた重病の比丘や優婆塞(在俗信者)は釈尊か仏弟子を招き、病床において最後の教誡を受けようとする。
釈尊や仏弟子は病床に赴き、病人を見舞い、病状を尋ね、病状は進む一方で、もはや助からないことを知る。
病人にとっての大問題は解脱できるかということである。
死の直前まで仏道の完成が要請されている。
苦痛が極まる瀕死の状態において、真剣な問答がなされる。
重病人である出家者は問いに答え、篤信の信者もそれらの問いに答えるか、または傾聴し、信者に相応しい行為をする。
そこで、その病人の命終がよいこと、すなわち輪廻がないことが告げられる。
釈尊または仏弟子が去って、病人は命終する。
優婆塞にも真摯な臨死問答が行なわれている。
給孤独は重患に陥ったので、舎利弗を招いた。
舎利弗は給孤独が病状回復の見込みのないことを知って、六根、六識、五蘊、両世等への執着がないかどうか教誡する。
これは比丘に対する説法であり、初めて聞いたことに給孤独は感泣した。
在家信者への通常の説法はどういうものだったのか気になります。
釈尊は重病人の看護について、サンガの責任において比丘が病気の比丘の看護を担当することを定めた。
重病人看護はサンガの成員である出家者にとって大切なつとめとされた。
そして、終末期であっても看護を続けるべきだと説き、看護放棄を禁止した。
諸律は、医薬、住居、食養、身体の清潔保持、大小便の世話などについて、かなり丁寧に指示している。
とはいえ、介護をめぐり、病人に対する看病比丘の不適切な行為や看病放棄、病比丘の身勝手な療養態度が少なくなかった。
律には、看護困難な病人は療養態度が悪く、利己的で、苦痛に耐えられない、そうでない病人は看護が容易であるなどと記述されている。
また、不適切な看護者とは、薬を作れない、病状を理解できない、欲のために看護して慈悲の心がない、汚物を除くのを嫌がる、法を説いて病人を喜ばせることができないとしている。
・腹病を患って看病されることなく、自身の大小便の中に浸かって臥していた比丘がいた。釈尊は重病比丘を助け起こし、阿難とともに病者の身を拭い、身の回りの世話をされた。比丘たちに「なぜ看護しないのか」と問うと、「この病比丘は他の比丘の看護などをしなかったからだ」と答えた。
・長らく病んでいる比丘の看病人は「長い間看病して来たが、病比丘は死ぬことも治ることもなさそうだ、今は看護できないから、置き去りにして死ぬようにしよう」と思った。それから間もなく、病比丘は命終した。
小池清廉さんは「綺麗事でないサンガの現実を垣間見る思いもする」と書いています。