三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

末木文美士『仏教vs.倫理』

2006年09月29日 | 仏教

某氏から勧められていた末木文美士『仏教vs.倫理』をやっと読む。
仏教と倫理の関係からさまざまな問題提起されている。
あれこれと考えました。

釈尊の悟りの内容には「教えを説く」「衆生を救う」ということは含まれていないと末木文美士は言う。

原始仏教の原理には二つの異なる源泉があることになる。ひとつはブッダの悟りそのものに含まれているもので、最終的には四諦八正道などといわれる体系にまとめられる。もうひとつはブッダの後半生の伝道布教の動機となるもので、それは悟りそのものには含まれない無償の慈悲の原理である。

悟りと、衆生を救いたいという慈悲とは別だというわけである。

教えを人々に説いてその苦しみから救いということはブッダの最高の慈悲の行為であるが、それが必ずしもその悟りの真理の中核になかったということは驚くべきことである。まったくひとりで人里離れてひっそりと死んだとしても、ブッダの悟りの根本に背くことにはならないのである。慈悲の原理はブッダの悟りの原理とは違うところにある。


大乗仏教では自利(悟り)利他(慈悲)円満だから、悟りと慈悲は一つの体系である。
そして、小乗は自己の悟りしか考えていないと、大乗仏教は批判した。
しかし、釈尊の教えは自己の悟り(成仏)が目的だから、利他がないと批判するのはおかしいことになる。

しかも、大乗仏教によって仏になったものがいるのか(自利)、衆生を済度しているのか(利他)。
その問題を宮元啓一『ブッダ』にはあけすけに書かれてある。

大乗仏教は、もともと、だれでもその気になれば仏になれるということを強調してやまない仏教である。(略)しかし、どうなのであろうか、筆者の知るかぎり、大乗仏教の徒で、自他ともに仏になった、涅槃に入ったと認める人が、長い歴史のなかではたして登場したであろうか。答えは、まったく否なのである。(略)
部派仏教では、仏にはなれないけれども阿羅漢にはなれる。(略)それにくらべて、大乗仏教では、仏どころか涅槃も不可能なのである。大乗仏教の、「仏教」としての存在意義は、いったいどこにあるのだろうか、筆者の疑念は尽きるところを知らない。

たしかにそうだと思う。

そして、末木文美士はこう書いている。

大乗仏教は確かに衆生救済という高い理想を掲げる。(略)それはすばらしい。しかし、そもそもわれわれ凡夫にはそのような高度の救済活動ができるのか。ここに、他者としての救うブッダや菩薩が現れ、我々は救われるべき衆生となる。

救うべき菩薩から救われるべき衆生へ、という展開である。

しかし、目の前に苦しんでいる人がいたらどうすべきか、ということは大問題である。
末木文美士によると、大乗仏教にも2つの立場がある。

即身成仏・仏性説の立場 利他の実践を自らが成仏して以後の問題として先送りする。

法相宗の立場 仏になるというのは先の話であり、今は菩薩として衆生済度の行を実践すべき。

前者の立場である鎌倉新仏教は社会的実践を軽視し、後者の立場である旧仏教は社会救済事業に尽くしたのは事実である。
法相宗は利他行は往相で実践すべきと説く。
日本仏教の流れは仏性説が主流となっている。

こういうふうに末木文美士は整理しているが、社会(他者)との関わりという点から考えるならば、上座部仏教や法相宗に軍配を上げたくなる。

今月号の「真宗」に「お坊さんはどうして社会問題に疎いのでしょう」という言葉があったが、ほんと、そのとおり。

本覚思想について

具体的現象的な色(=迷いの世界)がそのまま本質的絶対的な空(=悟りの世界)と考えられて、両者が同一であると考えられるならば、迷いの世界はそのままで悟りの世界であり、迷いの世界を変える必要はない、ということになってしまう。実際、日本の本覚思想はそのような方向を極端に発展させたものである。


仏性について

絶対的能力に関しては、善人であれ、極悪人であれ、少しも変わらないことになる。仏性はみな同じであり、大小はない。ちなみに、法然の浄土教では浄土往生に関して、同じような平等性がいわれる。
ところで、ここで注意を要するのは、仏性の平等ということは、現実の不平等を少しも解消しないということである。むしろ現実の不平等を隠蔽する理論として用いられる可能性も大きい。最終的には同じように成仏するのだから、現世の不平等は我慢しなさい、という論法は容易に成り立つ。

本覚思想も仏性説も、単純に現実を肯定してしまうおそれがあるということである。
苦の衆生の救済を説きながら、苦や差別をそのまま是認してしまう教えに陥ってしまうという矛盾。
何もしなくてもいいんだということになり、さらには、何かしようとすること自体がはからいだとして否定してしまう。

この問題を考える糸口として、末木文美士は他者の問題を取り上げている。

自利は他者がいなくても実践しうるが、利他は他者なしには成り立ちえない。

菩薩であることの根拠は自己の中にではなく、他者との関わりの中にあるのである。

釈尊も永遠に衆生と関わり続ける限り、どこまでも菩薩である。その際重要なことは、菩薩の菩薩たるゆえんはあくまで他者との関わりの中にあり、仏性とか如来蔵のように、実在的な基盤があるわけではない、ということである。

「他者」とは単なる他人ではないそうだが、難しいことは私にはわからない。
だけども、救いは他との関わりの中でしかあり得ない、と思っている。

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奈良女児殺害、小林被告に死刑判決

2006年09月27日 | 死刑

奈良女児殺害事件の小林薫被告に死刑判決が下された。
今日の毎日新聞を見ると、土本武司・高村薫の両氏がコメントしている。
土本武司白鴎大教授は判決を支持するコメント。

良心と法律にのみ拘束される裁判官は死刑相当の事件なら死刑を選択しなければならない。(略)2人以上でないと死刑は出せないというのは、罪刑均衡の原則からしておかしかった。


高村薫さんは批判するコメントを寄せている。

私の感覚では理解できない判決だ。(略)個別の裁判所がその時々の世間の声に左右され、判断がまちまちになっては裁判への信頼が失われ、法治国家ではなくなってしまう。被害者が幼い女の子だから死刑、年寄りだから死刑回避となれば、人の命に差があることになってしまう。

マスコミでは厳罰化に賛成する意見が多い中、死刑判決を批判するコメントも掲載しているのはいささか驚いた。

性暴力被害者らの相互支援グループ「野の花」を運営している高野茉莉子さん(仮名)の意見を載せている。

奈良地裁の判断は「抑止力」につながると信じる。それでも「死刑で事件に決着がついた」と思ってほしくない。被害者へのケアや未然防止の取り組みなど、事件が私たちの社会に投げかけるものは多いと思うから。


高瀬浩平記者が死刑に反対する感想を書いている。

それでも、今回、被告人の更生可能性について多面的判断がなされたのか、疑問は残る。(略)私には、社会にとって、命による償いが、犯罪抑止のための最善の手段とは思えない。

毎日新聞社には「犯罪被害者の神経を逆なでするものだ」という非難が寄せられるのではないかと心配になる。

私は高瀬浩平記者の考えに賛成である。
判決では、「もはや30代後半の壮年の域になる被告が、その人格を矯正し、更生することは、きわめて困難であるといわざるを得ない」と、こいつはどうしようもない奴だから殺すしかないと言っている。
矯正が困難なことはたしかである。
しかし、不可能ではないはずだ。

本気かどうかわからないが、小林薫被告は裁判長に「死刑にしてほしい」という内容の手紙を出していたそうだし、また「死刑の判決が出るように、ふてぶてしい態度を続けていました。不愉快な思いをさせて申し訳ありませんでした」という手紙も書いているという。

小林被告には、宅間守が死にたいからと大量殺人をしたのと同じような、一種の自殺願望があるのではないだろうか。

死にたいからというので無差別殺人をする事件が多い。

自死者は年に3500人を超えているし、未遂は10万人を超えているだろうと言われている。
未遂者の0.001%、すなわち10万人に一人が、自分だけ死ぬのはイヤだ、誰かを道連れにしたいと考えても不思議ではない。
小林薫被告が自殺を考えていたかどうかはわからないが、生に対する執着(自分に対しても、他人に対しても)がないのではないだろうか。

野口善國弁護士は酒鬼薔薇についてこのように話している。

鑑定書によると、この子は人を殺しているわけですが、「殺害は同時に彼自身を殺すことをも意味していたようである」と。つまり、この子の殺人というのは自殺だというんです。自分を殺しているんです。人を殺しているように見えても、実際は自分を殺している。


これからも、死にたいからというので殺人を犯す人が増えてもおかしくない。
となると、そういう人たちを次々と死刑にしても、犯罪が減るとは思えない。
それどころか、似たような犯罪が起こる可能性が高いだろう。

野口弁護士は、まずは自分を大切にする気持ちを持つこと、それによって他人の命を大切に思う気持ちが生まれると話している。
犯罪を防ぐためには厳罰ではダメだと思う。
生きる意欲を失っている人に生きようという力をどのようにして与えるか、そのことを考えていく必要がある。

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ニューエイジのジレンマと仏教批判

2006年09月24日 | 問題のある考え

スピリチュアルはもともとキリスト教の言葉で、霊的、宗教的という意味である。
医療の分野でもこの言葉が使われており、WHOの健康の定義は「身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態」だが、それに「スピリチュアルに健康」を加えようという動きがある。
医療の現場ではスピリチュアル・ケアとか「スピリチュアルな痛み」が問題にされている。
肉体的な痛み、精神的な悼みとは違って、「なぜ死ななければいけないのか」といった苦悩を問題にしているということらしい。

ところが、ニューエイジ、精神世界、心霊主義でもスピリチュアルが使われていて、この場合はうさんくさいと考えてまず間違いない。


伊藤雅之『現代社会とスピリチュアリティ』の中で、スピリチュアリティがニューエイジ的意味で使われている。

まえがきにこう書いてある。
「宗教」という言葉に対して、ある種の嫌悪感をもつ人々が増えており、「宗教」の代わりに「スピリチュアリティ」の語がしばしば用いられるようになってきている。

スピリチュアリティはおもに当事者の個人的体験を指す。当事者の超越的体験、超自然的な感覚、人生の意味の基盤などを表すときに用いることがほとんどである。(略)
スピリチュアリティの語は、おもに個々人の体験に焦点をおき、当事者が何らかの手の届かない不可知、不可視の存在と神秘的なつながりを得て、非日常的な体験をしたり、自己が高められるという感覚をもったりすることを指す

神秘思想が宗教の代わりになっているわけである。

伊藤雅之氏は、ニューエイジが抱えているジレンマを3つ指摘している。

1、しばしば善悪の判断基準の相対化をもたらすことがある。特定の規律や倫理的基準を否定する傾向にある。既存の価値観に基づいて善悪を判断することへの躊躇。
2、「本当の自分」といっても千差万別な個人のあり方を容認しているわけではなく、反合理主義的で感性豊かな人間像を模索している場合が多い。換言すれば、「ありのままの自分」になる理想のもとに、特定の集団が求める人間像を受動的に受け入れてしまう。
3、「個人の意識変容」を最優先させながら、いかに他者とかかわるかについての問題。社会への無関心を暗に肯定する。

3についてつけ加えると、60年代には若者は社会を変革しようとしたが、変えることはできずに挫折した。
それ以降、政治や社会への関心が薄れて、自分の内面への興味が強まり、個人的なことを大事にしようという流れになった。
関心は外的な社会変革から内的な自己変容に移っていった。
このように伊藤雅之氏は指摘する。

このジレンマはオウム真理教やラジニーシ・ムーブメントといったにもぴたりと当てはまる。

そして、仏教も似た問題を抱えている。
田村芳朗氏がさまざまな哲学者や宗教家の仏教に対する批判を遁世主義、空・一如思想、神秘主義的性格と、末木文美士『仏教 vs. 倫理』に紹介されている。

遁世主義とは、仏教が世俗超越の方面ばかり強調し、世俗内の現実の問題に無関心になりがちなことである。

空・一如思想とは、すべてが空・無実体であり、悟りの世界として一体(一如)であるならば、そこでは善悪の区別をすることができなくなってしまうのではないか、という問題である。
神秘主義的性格とは、悟りの体験に究極的な価値を置くため、その他のことが軽視されることである。

遁世主義は「社会への無関心」ということであり、空・一如思想は「善悪の判断基準の相対化」である。

神秘主義的性格は体験至上主義というニューエイジの特徴であるし、「特定の集団が求める人間像を受動的に受け入れ」させるのは仏教教団も同じ。
仏教もスピリチュアル・精神世界と同じ問題を抱えていることになる。

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伊藤雅之『現代社会とスピリチュアリティ』

2006年09月22日 | 問題のある考え

伊藤雅之『現代社会とスピリチュアリティ』は、ニューエイジ・スピリチュアリティに好意的であるところが気に入らないが、和尚(オショウ)ラジニーシ・ムーブメント(ORM)を取り上げた第4章~第6章はすこぶる面白い。

伊藤雅之氏自身、10代後半に自分を変えたいと強く思っていて、哲学、宗教、心理学、そして精神世界の本を読んでいたという。
そして、ラジニーシ(オショウ)の本を読んで瞑想をし、セラピーを受け、ラジニーシがいたアメリカのオレゴン州にあるコミューンを訪れている。

ORMだが、教団の展開、ラジニーシの発言、信者の気持ちなど、オウム真理教とそっくりなのである。

教団の運営や思想、瞑想法だけでなく、事件を起こし、その言い訳まで似ている。

ラジニーシ(1931年生)によれば、人間の究極的な目的は光明を得ることであり、それは自己が宇宙全体から分離していない意識状態である。

つまりは、意識変容することで宇宙意識と一体化し、究極のリアリティがどうのこうのという、よくある教義らしい。
ラジニーシは意識変容を促進する手段として、さまざまな瞑想テクニックを開発し、グループ・セラピーを提供した。

最初は自らの思想を講演し、瞑想のキャンプを開催するだけだったが、1970年ごろを境として、サニヤシン(弟子)にイニシエーションを授けるようになる。

サニヤシンはサンスクリットの名前を与えられ、オレンジ色のローブとラジニーシの写真入りロケットをつるした数珠を身につけた。

1974年、インドのプーナに広大なアシュラムが開かれて多くの欧米人が訪れるようになると、ラジニーシは少数の弟子以外とは個人的に接することが難しくなり、アシュラムの運営は側近が担当するようになった。


地域住民との摩擦が生じ、1981年にアメリカのオレゴン州に本拠地を移す。

ORMは全体主義的になり、コミューンに永住する者はすべての個人財産を処分して寄付することが要求された。

そこでも、近隣住民との摩擦が絶えず、1985年には主治医の殺人未遂、近隣レストランでのサルモネラ菌の混入と住民約750名の食中毒、公共施設の放火などによって幹部たちの逮捕された。

ラジニーシは国外逃亡を試みて逮捕されたが、司法取引の結果、釈放、アメリカを去ってインドに戻る。

ところが、これでORMがつぶれたかというと、ラジニーシは講演など続け、信者も増えている。

1990年にラジニーシは死亡したが、組織は今でも大きな影響力を持っており、日本にもOSHO・JAPANなどの組織が活動している。
欧米ではカルトとみなされている。
どうです、オウム真理教とそっくりでしょう。

アメリカでの事件に対する教祖や信者の反応がオウム真理教・麻原とまるっきり同じなんですな。

ラジニーシはこのような言い訳をしている。

ラジニーシは一貫してスタッフの犯罪行為に一切関与していないこと、そのことをまったく知らなかったこと、さらに「光明を得ている」というのは個人の意識レベルの現象であり、特定の人間の犯罪を予期することや未来を予言できることとはまったく関係のないことを強調した。

ラジニーシは悟っているんだから、側近が事件を起こすことぐらいわかっていてもよさそうなものだが。

そして、こんなしょうもない文句を言っている。

ラジニーシはアメリカ政府を繰り返し非難し、彼の逮捕はオレゴン共同体を解体させるという唯一の目的のために行われたものだと主張した。また、ラジニーシは逮捕後、オクラホマの刑務所で放射能を浴びせられ、また有毒なタリウムを飲まされた可能性があると訴えた。

この責任転嫁、被害者意識、つまらない言い訳も麻原彰晃とそっくり。
グルとか最終解脱者と自称しているのなら、もう少しましなことを言えないものか。

信者の多くは比較的裕福な家庭に育った、教育程度の高い30歳前後の若者である。

信者たちは事件についてどう感じたかというと、ラジニーシが逮捕されても、サニヤシンたちは彼に対して疑いを抱くということはなかった。

「和尚に対する信頼が深まることはあってもその逆はないのね。というか、自分にとっては和尚を疑うということがどういうことなのかよく分からない」
「悟った人のことは分からない」

などと、信者は言っている。
思考停止しているわけだ。

そして、こう弁護している。

「何をやろうと、何かのためになるんだろうと思っていたから。人類のためになる何かを」
「自分たちの責任だと思った。あれほど、和尚が言っていたにもかかわらず、自分たちの盲目性っていうかさ、そこに宗教つくっちゃったりとかさ、誰かに従うとかさ。」
「一連の事件をラジニーシが黙認したのは、サニヤシン全般の従順な態度を戒めるためであると捉えていた」

信者は事件を意義ある出来事として都合よく解釈している。
事件は事実であり、ラジニーシの欠点は認めても、教え自体は真実だと考える人もいる。

どうしてそこまでラジニーシを信じきれるのかというと、体験があるからである。

(事件の)影響を受けなかった人というのは、自分も含めて和尚のもとで体験してるものがあるからね。

体験(特に神秘体験)を価値あるものとして意味づけすることは危険である。
瞑想というと何かいいイメージを持ちがちだが、瞑想によって逆に自我を固めるだけではないかと思ってしまう。
オウム真理教は少しも特殊ではないことがよくわかる。

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戸塚宏の脳幹論

2006年09月16日 | 問題のある考え

某氏より「選択」(2006.6)の「誤解に耐え抜く「戸塚学校」―「子捨て」の時代の救世主なのだが―」という記事のコピーをもらう。
「非行、不登校、家庭内暴力などの様々な問題を抱えた情緒障害児」をいったい誰が「直す」のか、戸塚ヨットスクールしかないじゃないか、と戸塚宏をヨイショした記事であるが、それなりの説得力はある。

しかし、今は相談窓口は行政や民間などさまざまある。
そして、不登校やひきこもりは直さなければいけない障害なのか。
そもそも非行や家庭内暴力はそれぞれ状況が違えば、原因も違う。
それなのに、すべて同じ手法で直すというのも強引な話である。
たとえばガンだって、それぞれ症状、原因が異なるから、症状、原因に応じて治療しないといけない。
どんなガンにも効果があるという治療法はアヤシイと考えたほうがいい。

民間療法の中には、どんな病気も治りますという主張をよく見かける。

先日、新聞にサメ軟骨の広告が入っていた。
それによると、悪性・良性を問わず各腫瘍、関節リウマチ、神経痛、関節炎、椎間板ヘルニア、腎炎、ネフローゼ、難聴、動脈硬化、眼精疲労、角膜炎、円形脱毛症、肉体疲労などに効果が期待できるとある。
ガンと円形脱毛症を一緒にするのはどうかと思う。
戸塚ヨットスクールもこれと似たり寄ったりである。


戸塚ヨットスクールのHPにこういうことが書かれてある。

登校拒否の子は、その後どうなるのですか?
小中学校は義務教育で、留年されては困るのであらゆる手段で登校拒否児を卒業させてしまいます。当然、高校に入学できない子が出てきます。また、高校や専門学校に入学しても続かないことが多く、(今度は義務教育ではないので)すぐに退学となります。高校中退者が毎年10万人も出るのは、主としてこのためです。いずれにせよ家でぶらぶらするだけの「無業者」になります。その多くが犯罪予備軍と言ってよいでしょう。奈良県・月が瀬村で女子中学生を車で跳ね、殺した25歳の男もその1人です。神経症の症状がひどい場合、精神科に入院させられてしまうケースも少なくありません。今、日本の精神科のベッド数は諸外国に比べてとんでもなく多くなっています。
登校拒否を長く続けていると、色々な行動異常が現れてきます。まず、自分の部屋に閉じこもってテレビ・ビデオ・ゲームばかりやっている子は、急速に「夜型」になります。深夜3~4時頃まで夜更かしをし、起きてくるのが午後2~3時頃になり、昼夜逆転します。食生活も不規則で、肥満して顔色が悪くなってきます。 そういう状態が1~2年続くと、感情が不安定になって、周囲に当たり散らしたり、物を壊したりするようになります。やがて、母親や父親に暴力をふるうようになります。これが、家庭内暴力です。そして、登校拒否と家庭内暴力に密接な関係があるように、実は、無気力・喊黙(かんもく)・非行なども、「心の病」として共通するものがあります。これらをまとめて『情緒障害』と呼びます。

学校に行かない子供は犯罪予備軍であり、心の病気であり、家庭内暴力をするようになる、とはひどい言いぐさである。
脅して、そして救いの手を差しのべるというのは悪徳商法のよくある手口。

戸塚宏によると、脳幹論によってすべてが解決する。

「選択」の記事に脳幹論が説明されている。

文明が発達したことによって現代人は精神を十分に鍛えられる機会を失い、その基礎を司る「脳幹」が虚弱化している、という仮説だ。「情緒障害児」に見られる様々な問題も、要するに根はそこにある。
とすれば、トレーニングによってそれを強くする以外ない。物理的負荷をかけることで肉体を鍛えるように、精神的負荷をかけることで脳幹を鍛える。

脳幹を鍛えることによって「喘息・アトピー・花粉症・マザコン・出社拒否など」の状況もすべて克服できると主張している。
どんな病気も直せるなんて、インチキ療法と同じである。
「選択」の記者は戸塚宏の脳幹論について専門家に問い合わせたのだろうか。

「脳幹活性ペンダント イフ」というものが売られている。
このペンダントを犬や猫の首にかけるだけで、波動によって脳幹を刺激して活性化させ、病気を治すというものである。
この商品、戸塚宏の脳幹論からアイデアを受けたのではないかという気がする。

(追記)

戸塚宏と脳幹論を批判したブログ記事です。
脳幹論への具体的な批判
https://ameblo.jp/jd92u-fdxmf93l2-d/entry-10969478988.html
精神科医から見た戸塚ヨットスクール。
http://amapsymed.hatenablog.com/entry/2016/07/17/094744
私も齊藤潤一『平成ジレンマ〜戸塚ヨットスクールと若者漂流〜』の感想を書いています。
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/65f00c835fc497de71a351f608e975b5
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/58c98316c9fb88dd55f38aecc4ecad60

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トラウデル・ユンゲ『私はヒトラーの秘書だった』

2006年09月14日 | 戦争

トラウデル・ユンゲ『私はヒトラーの秘書だった』は、1942年11月から1945年5月のヒトラーの死まで秘書を務めた著者トラウデル・ユンゲ(1920年生)が、1947年から1948年にかけて書いた手記に、編者が著者の生い立ちからヒトラーと出会うまで、そしてヒトラーが死んでから現在までの解説を加えた本である。

トラウデル・ユンゲはまえがき(出版に際して書いたもの)にこう記している。

ヒトラーの魅力に屈することがどんなにたやすいことか、そして大量殺人者に仕えていたという自覚を持って生きてゆくことがどんなに苦しいことか。

『私はヒトラーの秘書だった』に描かれているヒトラーはユーモアがあり、優しく、丁寧な態度をしめし、禁欲的である。

トラウデル・ユンゲは秘書になって間もなく、ヒトラー一行と旅行をともにした時のことをこう書いている。

ヒトラーは女性に対してとても感じのよい優しいホストだった。私たちに自分で好きなものをとるように勧め、何か希望はないかと尋ね、以前この列車でした旅や犬の話を若干のユーモアをこめて話し、自分のスタッフについて冗談を言ったりもした。私には会話の自然さがとても意外だった。

ヒトラーは言葉つかいが丁寧である。

私個人が葉巻やタバコの匂いを嫌いだと思うことはべつにしても、尊敬する人や愛する人にタバコや葉巻を勧めるなんぞ、私はしませんね。


もともと熱心な映画・演劇ファンだったが、「開戦以来この種の娯楽は控えた」。
エヴァ・ブラウンに映画を見ようと勧められても、ヒトラーは

この戦争中、国民はおびただしい犠牲を出さなければならず、私も非常に難しい決定を下さなければならない。こんなときに、私は映画なんぞ一本だって眺めていることはできん。

と断っている。
しかし、他の人が映画を見ることについては何も言わなかった。

どうしてエヴァ・ブラウンと結婚しないとかと著者がヒトラーに尋ねると、こういう答えが返ってきた。

私はよき家庭の父親にはなれないだろうし、充分に妻に尽くす時間もないのに家庭を持つのは、無責任でしょう。


トラウデル・ユンゲはヒトラーをこのように評する。

ヒトラーは、男も女もその威力から逃れきることのできない、ある種のカリスマ性を発していた。人間としては控えめだし愛嬌もあった


ヒトラーや麻原彰晃を、狂人、あるいは俗物と決めつけてしまっては、どうして多くの人を惹きつけ、自分の言いなりにさせたのかがわからなくなってしまう。

よく気がついて優しく、魅力的にふるまいながら、残酷なことを平気で行う、ヒトラーや麻原彰晃はどういう人間なのか。

雄弁と暗示力で人々を虜にし、彼ら自身の意志や確信を押し黙らせることができるような一人の人間の力が、いかに大きな危険を秘めいているか。

総統防空壕から脱出してからのトラウデル・ユンゲの人生は波瀾万丈である。
ソ連に捕まり、アメリカに捕まり、そして釈放されと、これだけで一編の小説ができる。

『私はヒトラーの秘書だった』が感動的なのは、ヒトラーの秘書だったということを、仕方なかったと自己弁護しないばかりか、自らの責任に苦しむ点である。

ヒトラーの近くにいたとはいえ、若かったし、ナチスの党員でもなかったから無罪となり、解放される。
普通なら、ヒトラーの秘書だったことについて、戦争について、自分の責任を感じることなく一生を過ごすだろうが、違った。

1960年代半ばごろから、トラウデル・ユンゲは自分の中で、「若かった」「何も知らなかった」という言い訳が通用しなくなり、自分を責める。

私は間違った方向に進んでいったのです。いいえ、もっと悪いことには、決定的な瞬間に自分で決断を下せず、人生をただ雨に降られるままにしておいたのです」

トラウデル・ユンゲ著者はウツになった時、自分の落ち込みを「ナチス体制の残虐行為に結びつけて考えるようになる。そしてますます具体的になっていく罪悪感に苦しめられたのだ。
日本人の場合、自らの戦争責任と正面から向き合っている人は少ないように感じる。
その少ない例として中国帰還者連絡会の方たちがいるが、中国に洗脳された、共産党の手下だ、などという中傷が多い。
責任を感じることと自虐とはまるっきり違うことである。

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みーんな同じ

2006年09月10日 | 日記

ロルフ・デーゲン『フロイト先生のウソ』にこういうことが書かれてある。

われわれはみな、「この世は正しい。誰もが自分に相応しい運命を割り当てられている」と心の奥底で信じている。幸運もその人に相応しい運命なら、ひどい目に遭うのも身から出た錆だ。
他人の苦しみが不当な苦しみだと感じられる場合には、「この世は正しい」という信念を根底から揺るがすことにつながりかねない。そこで、他人の不幸を目撃すると、不幸に見舞われた人が悪い、と考えるのである。少なくとも不幸の一部はその人自身のせいだ、と考えることによって、ゆらぎかけた信念を回復するのである。

この指摘、すごく示唆に富んでいる。

糸井重里のおばあちゃんは「悪い時もあれば、いい時もある。結局、人間が一生のうちに味わういいこと悪いことは、みーんな同じ」と、いつも言っていたと『私は嘘が嫌いだ』に書いてある。
同じことを思っている人は多いはずだ。
私も似たようなことをしゃべった記憶がある。

「この世は正しい」という信念(というほど確固としたものではないにしても)を持っているからこそ、結局のところ幸せの分量はみんな平等だと信じている。
そう思うことで安心感を与え、不平不満を抑えることができるのである。

しかしながら、「何でこんなことになるんだ。神も仏もあるものか」と文句を言いたいくなる時がある。
おかしいじゃないか、と。
災難に遭った時に、まず「神も仏もあるものか」と感じるということは、神や仏は「みーんな同じ」になるよう、うまいことバランスを取ってくれているんだ、と無意識に信じているわけだ。

そういった、世界の調和をもたらす存在としての神(というか信念)を否定してしまうと、今までの安定していた世界が壊れてしまう。
だから、「この世は正しい」ことにするため、「人生、楽ありゃ苦もあるさ」とか言って慰めようとする。

その程度ならまあいいのだが、デーケンが言うように、不幸や災難に遭った人に対して、「そりゃ本人の問題だ」とか「あんたの責任だ」ですましてしまいがちである。

ハンセン病を天刑病と言ったように。

児童虐待について真光ではこんなことを言うそうだ。

因縁というのは前世の話になりますが、先祖が人を殺したとか、そこまで極端じゃなくても、前世で人を虐めたというような人は、現世で殺されたり虐められたりする。
児童虐待はこれに入りますね。その子供が前世で自分の子供に同じようなことをしたからとか。虐殺なら、前世の時か先祖が戦争に加担して虐殺の一端をになったとか。
真光ってのは不幸現象にたいして、こういうとらえかたをしてます。つまり因果応報ですね。今の自分は悪くなくても、過去世の自分が今のつらい状況を作った。だから、現世であがないをさせられている。このように不幸に対しての説明づけがされてます。


糸井重里のおばあちゃんの言葉に、「そうそう、世の中ってうまくできているよね」と賛成する人(私もその一人)は、真光の教えにも納得するような気がする。

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大飢饉

2006年09月08日 | 日記

南部藩では江戸時代、7年に一度の割で飢饉があったそうだが、宮本常一編『日本残酷物語』を読むと、飢饉の際には年寄りや子供より、意外と若い者が死んでいったとある。
自分は元気だからと、弱い者たちに少ない食べ物をまず食べさせたからである。

鴨長明の『方丈記』にも同じことが書かれている。
養和の飢饉の時、仁和寺の隆暁は京都の路上に横たわる死者を供養し、二ヶ月間数えてみると遺体の数が42,300余りにも及んだ。

又、あはれなること侍りき。さり難き女男など持ちたるものは、その思ひまさりて志深きは必ず先だちて死しぬ。その故は、我が身をば次になして、男にもあれ女にもあれ、いたはしく思ふ方に、たまたま乞ひ得たる物を、まづ讓るによりてなり。されば親子あるものは、定まれる事にて、親ぞ先だちて死にける。
(またたいそう哀れなことがあった。夫婦は相手を思う気持ちの強い者が先に死んだ。そのわけは、たまたま得た食べ物を相手に譲ってしまうからである。だから親子でも、親が先立っていった)


養和年間は1181年から1182年にかけての年号で、安徳天皇の時代である。
鴨長明は1155年生、どうやって養和の大飢饉を生き延びたのだろうか。
鴨長明や親鸞、道元といった死なずにすんだ人たちは「志深き」人ではなかったということか。

過去帳を見ると、江戸三大飢饉の一つ、天保の飢饉の天保8年に亡くなった人は前後の年の2・5倍である。
死亡者が多いのは飢饉のためかどうかはわからないが。

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平常心とは

2006年09月06日 | 日記

 脊椎カリエスで寝たきりの正岡子規が、
「悟りという事はいかなる場合でも平気で死ぬる事かと思って居たのはまちがいで、如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」
と書いているのを読み、うーむ、これは深い、と思った。

夏目漱石が死ぬ一ヵ月前に、松岡譲ら弟子たちに則天去私についてこんなことを語ったと、「漱石山房の一夜―宗教的問答」(『漱石先生』)にあるそうだ。(『漱石先生』は未見です)

例へば今こゝで、そこの唐紙をひらいて、お父様おやすみなさいといつて娘が顔を出すとする。ひよいと顔を見ると、どうしたのか朝見た時と違って、娘が無残やめつかちになつて居たとする。年頃の娘が親の知らぬ間にめつかちになつた。これは世間のどんな親にとつても大事件だ。普通なら泣き喚いたり腰をぬかしたりして大騒動をするだろう。しかし今の僕なら、多分、あゝさうかといつて、それを平静に眺める事ができるだろうと思ふ。

弟子たちは「そりゃ、先生、残酷ぢやありませんか」と言ったら、夏目漱石は静かに、「凡そ真理といふものはみんな残酷なものだよ」と穏やかに答へたという。
悟りとは本能の力を打ち敗かすことかと尋ねると、

さうではあるまい。それに順つて、それを自在にコントロールする事だらうな。そこにつまり修行がいるんだね。さういふ事といふものは一見逃避的に見えるものだが、其実人生に於ける一番高い態度だらうと思ふ。

と夏目漱石は答えた。
その境地を「則天去私」とよび、「俺が自分といふ所謂小我の私を去つて、もつと大きな謂はば普遍的な大我の命ずるまゝに自分をまかせる」ことだと説明する。
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/dd8e5f9db3506a1f33947dd53b60e781

正岡子規の「如何なる場合にも平気で生きて居る事」と、夏目漱石の「あゝさうかといつて、それを平静に眺める事」とは違うような気がする。
正岡子規は毎日のガーゼ交換のたびに、激痛のために隣近所にまで響き渡る絶叫をあげる、そういう日々を過ごしている。
にもかかわらず、最後の著書『病牀六尺』ですら、さまざまなことに好奇心を持ち、驚き、妙に明るい。
その一方、娘が失明しても、「ああ、そうか」と平然とし、心が波立たないことが悟りなのか疑問に思う。

話は飛ぶが、7月に姫路で84歳の妻が80歳の夫を殺した事件があり驚いていたら、9月2日には神奈川県で86歳の妻が90歳の夫を千枚通しで十数カ所を刺して殺したという事件があった。

他人事ではない、これからはドアにカギをかけて一人で寝ないと危ないかなどと、殺されるかもしれない夫の立場で考えた。
では、妻はどう思ったのかと気になるが、聞いてもまともには答えないだろうから推測すると、どちらの事件も、夫から怒鳴られてばかりいたからというのが殺人の原因らしい。
常日頃、私の暴言に愛想を尽かしている妻としては、「殺したくなる気持ちはわかる」と共感しているかもしれない。

児童虐待についてどう思うか、いろんな人に聞いてみると、ほとんどの男性は「理解できない」と言うが、女性の場合だと、60歳以上の方は「虐待する気持ちがわからない」という答えが多く、60歳以下の方の中には「わかる」と答える人がいる。


「いくらあやしても泣きやまないので床に叩きつけたくなったことがある」とか、「一人で喫茶店に入ってコーヒーを飲んだらすごく楽で、育児放棄するのはこういうことなのかと思った」といった話を聞いたことがある。


男性が児童虐待をする人間の気持ちが理解できないのは、育児にほとんど関わっていないから、その苦労を知らないからじゃなかろうか。

経験をしなければわからないことはあって、仮定の事柄で悟ったようなことを言うのは簡単だと思う。

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