『歎異抄』の文庫本を買おうとネットで調べると、角川文庫から新訳として千葉乗隆訳があった。
某大型店に行くと見つからなかったので、店員に「角川文庫の『歎異抄』はないですか」と尋ねると、「はあ?」という返事。
それで紙に『歎異抄』と書くと、調べてくれたのはいいが、「タンイショウ」で検索しているのだ。
『歎異抄』ぐらい誰でも知っていると思っていた私の傲慢でした。
お勤めの最後には『御文』を読む。
蓮如は地域の有力者や道場に手紙(御文)を与え、みんなが集まった時にその手紙を読む、という教化方法をとっていた。
今ならビデオ法話というところである。
ところが現在では、『御文』を読んでも、おそらくほとんどの人にはなんのことやらさっぱり理解できないだろう。
意味がわからないのはもちろん、耳で聞いただけでは何を言っているのかチンプンカンプンだと思う。
たとえば「仏恩報謝のために、つねに称名念仏をもうしたてまつるべきものなり」、字を見ればどういう意味かわからないこともないと思う。
しかし、「ブットンホウシャ」とか「ショウミョウネンブツ」といった真宗の基本的用語を聞いて、どういう字なのか、意味は何かをわかる人は、今や少数派ではないだろうか。
私は『御文』を読む時には現代語訳にして読むのだが、そうなると「仏さまのご恩に報いる仏恩報謝のために、つねに南無阿弥陀仏と声に称えて、称名念仏をもうさなくてはいけない」というような、長々とした文章になり、これはこれで何のことやら混乱してしまう気もする。
現代に通じる真宗にするためには、まず専門用語をどうするかという問題があるが、現代の言葉に置き換えればいいというものでもない。
『正信偈』や『阿弥陀経』の現代語訳でお勤めしたからといって、意味が理解できるかどうか疑問に思う。
どうしたものやら、はてさて。
森絵都『カラフル』、藤野千夜『ルート225』など、子供だけに読ませるのはもったいない本が理論社から出ている。
安東みきえ『天のシーソー』もその一つ。
小学校5年生のミオが主人公の6篇の短編。
いずれも最後にホロッとさせるところがうまい。
なぜ読後感がいいのか。
ミオは人の痛みがわかり、そして人を傷つけたことに気づく子なのである。
悪いことをしたと気づけば、謝らずにはおれない。
たとえば「マチンバ」である。
町に住んでいるので、ヤマンバならぬマチンバとあだ名されている老婆の家を、ピンポンダッシュするミオたち。
ところがある日、逃げようとしてマチンバのシクラメンの鉢をミオは割ってしまう。
他の子どもたちは逃げたが、ミオは玄関先に立って老婆が出てくるのを待ち、憎たらしいことばかり言う妹のヒナコもミナの後ろに黙って立っている。
小6の次女にこの本を読ませ、もしもシクラメンの鉢を割ったらどうするかと聞いたら、「逃げる」と答えた。
大きな声で言えないが、以前スーパーの駐車場に車を停めようとして、よその車にぶつけた時、私はすぐに逃げた。
子供が一緒にいたのに。
考えてみれば、私だって子供のころ、何か悪いことをしたなと思った時、心にちくっと痛みを感じたものだが、年とともに心の面の皮が厚くなったのか、痛みに鈍感になってきた。
バイオリンの先生は、スーパーの駐車場で他の車にこすってしまった時、その自動車の持ち主が来るまでずっと待っていて、弁償したそうだ。
ミオのような人も世の中にはいるわけです。
私もせめてトラックのおねえさん(「毛ガニ」)のように、「わかった」と約束したことぐらいは守りたいものです。
「天のシーソー」は、転校生のサノという男の子をめぐる話である。
ちょっとした気づかいのできる優しい子であるサノは、同級生を自分の家に連れて行くことをしない。
家がどこなのか、ミオたちは学校帰りにあとをつける。
サノは「佐野」という表札のあるレンガ造りの洋館の中に入る。
ところが翌日、サノの家は実は「ゴミ屋さんみたいなとこ」だということがばれてしまう。
あとをつけられていることを知っていたサノは、自分の家を素通りし、父親がいたのに知らん顔をしていたのだ。
わびるミオにサノはぽつりぽつりと言う。
これは原罪についての話かなと思った。
北森嘉蔵『日本の心とキリスト教』に、原罪が次のように定義されている。
どういうことか。
仏教の言葉で言えば宿業ということか。
ギリシャ悲劇では登場人物は「そうせざるをえないことをする」が、それはオイディプスが知らずに父親を殺し、母親と交わったように、そのように運命づけられたことを行なったのであり、本人にとって避けることのできないことなのである。
しかし原罪は、自己の意志で「そうしたいことをする」のである。
土屋賢二『ツチヤ教授の哲学講義』に、「彼は学生だ」「彼は正直だ」と「彼は長身だ」という文は根本的に違う、とある。
「彼は学生だ」ということは自分で選んだ結果だが、「彼は長身だ」というのは選択した結果ではない。
同じように、「彼は正直だ」も自分で選ぶことができる。
「本当の自分とは何か」ということも、その「自分」ということが「選ぶことのできる自分」(性格、仕事など)なのか、「選ぶことのできない自分」(容姿、年齢など)なのか。
選ぶことのできないことについては「自分とは何か」問うことができる。
しかし、本人が選ぶものについて、「本当はどっちなのか」と問うのはヘンだとツチヤ教授は言う。
サノは自分で選んで父親を無視し、よその家を自分のうちだとミオたちに思わせた、ということになる。
しかし、原罪という考えに立つと、サノは嘘をつくことを避けることはできないのである。
自分の家や父親を恥ずかしく思っているサノは、そうしたいから自分の意志で目をそらす。
ところが、息子が自分を恥じていることを察していて、何も言わない父親の気持ちをサノは知っている。
知っていながら、サノは知らん顔をせざるをえない。
級友の前で父親を無視することは避けえないことなのである。
サノはそういう自分の罪に気づいている。
だから読者はほっとする。
谷田和一郎『立花隆先生、かなりヘンですよ』は、立花隆のニューサイエンスかぶれを批判した本である。
谷田和一郎は立花隆のオカルト的なものに対するパターンをこう書いている。
この実例が、かなり長い。あまりに長いものだから、途中で論理の道筋がよくわからなくなっていき、いつのまにか最初の批判的なトーンは薄れて、最終的にはオカルトに肯定的な結論が導き出されていく。
立花隆の臨死体験についての論法である。
こうした論の進め方はニューエイジャーに一般的に見られる。
「まず初めに結論ありき」なのである。
そして実例(と称するもの)をあげ、「そうらしい」「ありうる」「かもしれない」という曖昧な表現を使いながら仮説(すでに用意されてある結論のこと)を述べ、こういう実例が積み重なると否定できないと言い、いつの間にか「これ以外考えられない」と断定するわけだ。
ところが、実例がはたして真実かどうかは検証されないし、神秘体験となると、体験していない者にはわからないと言って、反論を認めない。
心霊主義の創始者とも言えるフォックス姉妹は、霊との交信はいかさまだったと告白している。
ところが、本人が明らかに否定しているにもかかわらず、霊との交信は事実だったと書いている本は少なくない。
もうひとつ、オカルト作家がオカルトの話を書いても、新興宗教の教祖がオカルト的なことを言っても、もちろんそれは許容の範囲内にあるが、大学教授、博士、著名人(立花隆のような)がオカルト肯定論を語ったら、信じる人が出てくるわけだから、その害毒は大変なものであるということ。
まあ、島薗進の言うように、ニューエイジ(スピリチュアリティを含む)は「新宗教以後の宗教運動」(かなり怪しい宗教運動ではあるが)だし、オカルトにしろ似たり寄ったり、とてもじゃないが科学とは言えない。
で、宗教とは何かということだが、土屋賢二『ツチヤ教授の哲学講義』の定義。
宗教では、常識からすればとても信じがたいようなことを多くの人が信じているんですよね。それが宗教です。
反論することもできないし、証明することもできないこと、たとえばイエスが神の子であること、最後の審判、信仰すれば幸運になる、悪いことをすればバチが当たるetcを宗教は説き、信者は信じる。
それに対して、哲学は「非常に厳密に吟味する学問です」とツチヤ教授は言う。
哲学にかぎらず、科学的とはそういうことだと思う。
小須田健『面白いほどよくわかる図解世界の哲学・思想』に、こう書かれている。
「もうこれは正解ではなくなったのではないか」と、絶えず自己吟味をして、自分に対して批判的な目をもち続けることが大事なのではないでしょうか。
「今の自分にはわからないことがありうる」という観点を保ち続けることが大切なのです。
立花隆たちニューエイジャーのたわごとは他山の石であります。
信仰は体験によって強化される。
ずっと以前、夜行列車で創価大学の学生と一緒になり、あれこれと話をしたことがある。
その学生の一家はそろって創価学会の熱心な信者で、どうして創価学会の教えを信じているかと尋ねた。
すると、高校のころすごく悩んだことがあり、お兄さんが「自分もそういうことがあった。とにかく勤行してみろ」と言うので、一生懸命勤行していたら、何かに包まれている経験をした、だから創価学会を信じている、ということだった。
これは一種の神秘体験だが、ご利益体験というのもある。
私は身体が弱くて、ある人から「先祖を大切にしたら元気になる」と教えられ、こうやってお坊さんに来てもらうようにした、そのおかげか病気をしなくなりました、と話された人がいる。
真宗の教えを聞いている人だって体験には弱い。
別院で法座があったおり、近くに座っていたおばさんたちが「あの人はすごい。阿弥陀さんを見た」と尊敬するように話していた。
釈尊の悟りは神秘体験かどうか、釈尊は神秘体験をどう考えていたか、諸説あるが、私としては、釈尊は神秘体験自体を否定しないが、特別な価値があるとは考えていないと独断している。
問題は、いかにして神秘体験の呪縛から解放されるか、である。
亀井鑛『日暮らし正信偈』を読んでいたら、そのことについて書かれてあってうれしくなった。
このように前置きし、「そんな錯覚から事なく切り抜けられた方」を亀井さんは紹介されている。
その方が37、8歳のころ、農薬の薬害とストレスの鬱病が重なり、耳鳴り、めまい、ものが二重に見えるなどに苦しんだ。
近くの禅寺へ座禅に通って、何ヵ月かしたある春の朝、
神秘体験とご利益体験を合わせた体験である。
ところが、この喜びをある真宗寺院の住職に報告したら、「そげなもん、屁にもならん」と吐きすてるように言われた。
ご本人も「以来、たしかに耳鳴りめまいは消え、体調もよくなったけれど、あの光り輝く感動は、記憶だけで蘇らない、つづかない」と思った。
そして夏になって、真宗寺院の講習会で話を聞き、「あ、そうか。この〝屁にもならん〟ところに、念仏の生きた真の意味がひそんでいるのか」とうなずけたという。
体験したことを握りしめて絶対化すること、それはまさに執着そのもので、「屁にもならん」と知らされる、それが体験という呪縛を乗り越える道なんだと思う。
カンボジア難民だった葉沢業久さんのお話を聞いた。
4年あまりのポルポト政権下での間の筆舌しがたい苦労(その時、葉沢さんは6歳から10歳)を、葉沢さんは涙を流しながら話された。
30年前のことなのにである。
ポルポト政権下では、生き延びるためには他人を密告しないといけないこともあった。
密告すればその人は死ぬとわかっていても。
そのため人間関係が壊れてしまい、いまだに人を本当には信用できない、つい疑ってしまう、とある僧侶が言われたそうだ。
そんなの昔の話だ、と言えるのは第三者だからである。
少しは勉強しなければと、山田寛『ポル・ポト〈革命〉史』、小倉貞男『ポル・ポト派とは?』などを読んだ。
カンボジアでは、1975年から1979年までの3年8ヵ月の間に、800万人たらずの人口のうち、約150万人が虐殺や処刑、飢えや病気で死んでいる。
ポル・ポト軍がプノンペンを制圧するや、すぐさま市民を市内から追い出し、農村やジャングルに強制移動させ、重労働をさせた。
知識人(医者や教師、技術者、留学生など)をはじめとして、革命を汚染すると見なされた人は殺された。
通貨や市場を廃止し、外国からの援助を断ったから、食糧や日用品が不足し、飢えが日常化して、死者が続出した。
大人は信用できないというので、子供が兵士になったが、ベトナム軍に蹴散らされて多くの子供兵士が死んだ。
子供が医者や薬剤師になり、治療を受けた病人が死んだ。
どうしてこういうことが行われたのだろうか。
『ポル・ポト〈革命〉史』を読んでやるせない気持ちになったのは、あれだけ滅茶苦茶なことを行なったポル・ポト派が罪に問われていないことである。
それどころか、反ベトナムの三派連合政府の一員となり、1999年まで存続している。
おまけに、帰順したポル・ポト派の幹部たちのほとんどが恩赦を受けて、罪を問われていない。
彼ら幹部たちはポル・ポトに責任を押しつけて、のほほんと生活をしている。
結局、ポル・ポトは死に(病死か他殺かは不明のまま)、二人が逮捕されただけである。
そして、ポル・ポト派を裁く国際裁判はいまだに行われていない。
どうしてこういうことになったのかというと、まずベトナム(=ソ連)の力がインドシナ半島で強くなることを警戒した中国、タイがポル・ポト派を支援し、アメリカもそれに同調したため、ポル・ポト派は生き延びた。
その後も政治の駆け引きと責任逃れ、すなわち中国やタイ、アメリカの思惑と、カンボジア政府要人もポル・ポトと無関係とは言えない人が多いため、裁判が行われないのである。
このことを思うと、イラクのフセイン元大統領の裁判などは茶番である。
ということで、ポル・ポト派の責任が問われないまま、30年がたってしまった。
2003年、「カンボジア・デイリー」の投書欄に、「この国にもヒトラーのように国を愛し、スターリンのように真面目な、立派な指導者が欲しい」という、15歳の高校生の投書が載ったそうだ。
ポル・ポト時代を知らない人が増え、風化しているのである。
桜木和代弁護士はこう言っている。
ポル・ポトはどういう人間なのか。
独裁者というのは目立ちたがりが多いようだが、ポル・ポトは表に出ることを好まず、国民の前に出ることはほとんどなく、私生活を語らなかった。
1976年4月に首相に就任した時も、国際的には知られていなくて、経歴や写真も公表されていない。
ポル・ポトは猜疑心が強くて人を信用せず、つねに暗殺を怖れていたので、側近も次々と粛清している。
そういう人物なのに、話にはユーモアがあり、人を魅了したそうだ。
シアヌークですら柔和で微笑し礼儀正しく話すポル・ポトに感心し、カリスマまで感じてしまう。
葉沢さんはベトナムの国連難民キャンプに約8年間生活していた。
そこで田沼武能『難民キャンプの子どもたち』を読んだ。
田沼武能が写したキャンプの子どもたちの写真を見ると、言葉を失ってしまう。
飢饉、干魃といった天災が原因の場合もあるが、難民の多くは内戦によって生まれる。
1996年に約2600万人(パレスチナ難民を除く)もの難民がいる。
何とかならんのか、と声を大にして言いたいが、じゃ、お前は何をしているのか。
『ツチヤ教授の哲学講義』によると、ツチヤ教授は哲学の考え方には二つあるという。
形而上学とは何か。
たとえば、神とか、価値とか、存在とか、意味が形而上学的なものである。
「この世界は何のために存在しているのか」とか、「神は存在するか」とか、「自分とは何か」とか、こういった形而上学の問題を解決し、深遠な真理を解き明かすものが哲学だと思われている。
しかし、ツチヤ教授はそれを否定する。
たとえば、「本当の自分とは何か」という問題である。
「本当の自分とは何か」、プラトンはふつう「人間」と呼んでいるものは本当の意味では人間ではなく、人間のイデアこそが本当の意味で人間であると主張している。
しかしツチヤ教授は、「人間のイデアが本当の人間なんだ」ということは「AはAである」と言っているにすぎない、「人間」と呼ばれているものは本当の人間ではないと否定するのは言葉の使い方を変更しようと主張していることだ、形而上学は言葉の規則に反対を唱えているだけだ、と言う。
形而上学的な問題に答えはないということである。
スピリチュアル・ペインということが医療の現場で問題にされている。
闘病生活が長引いている人や、死を目の前にした人が、「私の人生は何だったか」「なぜ死ななければならないのか」「どうして苦しい思いをしてまで生きなければならないのか」「死んだらどうなるのか」といった苦痛な問いを持つ、それをケアしましょうということである。
しかしながら、こうした問いは形而上学的な問題だから、答えがない。
田畑正久『生死を超えて』だったと思うが、中学生がナイフで教師を刺して死亡させたという事件があり、そのお通夜の席で同僚の教師が「どうして、死んだの」と嘆き悲しんでいたら、側にいた医師が「出血多量で死にました」と答えた、ということが書かれてあった。
医師の答えは場にふさわしくはないが、しかし医学的には正しい答えである。
宗教的な答えはいろいろあろうが、「そういう業を作ったからだ」が答える仏教者もいるだろう。
ウィトゲンシュタインだったら、「答えはない」と答えるのだろうか。
ツチヤ教授はこう言う。
天願大介『AIKI』という映画にこんなセリフがある。
これにはほとほと感心した。
プラトンは、形而上学的な真理を知らなければ、われわれの人生は意味を失ってしまうと考えた。
しかし、ツチヤ教授は疑問を呈する。
そしてこう言う。
つまりは、「なぜ死ななければいけないのか」「どうしてこういう目に遭ったのか」「いかに生きなければいけないのか」といった問いに答えられないからといって、それで悲惨だということにはならない。
だからといって、そうした問いが無意味だとは思わないし、スピリチュアル・ペインは大切な問題である。
しかし、答えの出ない問いは、問いの立て方が間違っているのではなかろうか。
ならば答えを探すよりも、正しい問いは何かを考えていかないといけないと思う。
じゃ、何が正しい問いなのかとなると、これまた難問ではありますが。
安易に答えを与えるスピリチュアリティの先生より、ツチヤ教授のような人を本願寺は招いてほしいものです。
高倉会館の日曜講演で、樫尾直樹慶応義塾大学助教授が「現代社会における霊性文化と宗教」という講題で話をするそうだ。
霊性文化というとスピリチュアリティである。
樫尾氏は2004年12月10日に真宗大谷派教学研究所の研究会で「現代スピリチュアリティ文化の諸相-その歴史的意味と宗教サバイバル-」という講題で話をしている。
スピリチュアリティを研究することは大切である。
しかし、スピリチュアリティは諸先生方がお話をされてきた伝統ある高倉会館で講演すべきものだろうか。
スピリチュアリティのどこが真宗の教法なのか。
いやはや、大谷派も末期症状である。
スピリチュアリティについて肯定的な講演だったら、と不安になって、樫尾氏がどういう人か調べてみた。
島薗進東大教授の影響を受けている人のようで、スピリチュアリティについて客観的に研究しているというより、スピリチュアリティの立場から論じている人らしい。
江原啓之、飯田史彦、天外伺朗たちを持ち上げることはしないまでも、彼らに好意的なのではなかろうか。
もしもそういう類いの話であれば、大谷派はスピリチュアリティを真宗の教えと共通するものだと認めたことになる。
樫尾氏の関係しているサイトであるスピナビの説明。
樫尾氏のスピリチュアリティ定義。
「見えない力」「自分を超えた何か」「つながり」ということが何か、また定義をしないといけないのだが、おそらく実体的な「力」であり、「何か」であり、「つながり」だと思う。
それは、通常の感覚では認識できない実在(リアリティ)であり、瞑想などによる変性意識の状態によってしか体験できないものを指していると思う。
このように樫尾氏は言うが、じゃあ、スピリチュアリティを批判する私なんか「誠実で謙虚でまっとうな人間」ではないのかとひがんでしまいました。
この調子じゃ、瞑想を本願寺や教区で行なったり、ソニーの土井利忠氏が親鸞聖人讃仰講演会に来たりということも十分あり得る。
実際、ヨガ教室をしている末寺や別院は多い。
カウンセリングの勉強会もよく行われている。
ヨガやカウンセリングで救われるのなら真宗は不要である。
教学研究所や親鸞仏教センターがスピリチュアリティを受け入れたら、大谷派の教学は変わってくる。
瞑想によって浄土を見ることができるとか、浄土にいる死者と会話を交わすことができるとか、そういうふうになったら、大谷派を離脱したくなる。
毎日新聞の「中島岳志的アジア対談」で、作家の雨宮処凛との対談が載っていて、これが面白かった。
中島岳志は、若者の「自分探し」が過激な右傾化につながる現象を危惧しており、似た事態がアジアの他国にも起きているというところから、雨宮処凛との対談となった、とある。
31歳の雨宮処凛は「小学校のころからいじめを受け、自殺未遂や家出を繰り返す。高校卒業後、東京で右翼団体に加入」という経歴の持ち主である。
雨宮処凛は右翼時代をどう振り返るかと聞かれ、このように答える。
そして、このようにも言う。
「自分も必要とされている」ということを、小林政広『バッシング』という映画の主人公も同じことを言っていた。
『バッシング』は、イラクで人質になった人たちが日本に帰ってから誹謗中傷を受けたという事件をモデルにしている。
期待して見に行ったのだが、主人公が単なる甘ちゃんとしか思えず、がっかりだった。
主人公は仕事をクビになったり、イタズラ電話がかかってきたりして(どういうことがあったためか、映画では説明されない)、神経がささくれ立って、イライラしているのはわかる。
それにしても、性格がいかにも頑なで、これじゃあねと思ってしまう。
たとえば、コンビニでおでんを買うのに、一種類ずつ別の容器に入れてもらい、汁をたっぷり入れてくれと店員に注文するのだが、なぜか不機嫌そうに怒ったように言うのだ。
小林政広監督は主人公を、人とうまくつき合うことのできないキャラクターとして描いているのである。
主人公は雨宮処凛が、
と言っている、まさにその通りのどん詰まり感の中にいるわけである。
映画の最後、主人公は再び旅立つ(どこへなのか、これも説明なし)。
その理由を継母(どうして姉妹のように見える大塚寧々なのか)にこのように語る。
自分は何をやってもダメで、勉強はできないし、友達は少ないし、大学は落ちたし、仕事もない、だけどあそこに行ったら自分を必要としてくれる人がいる、子供たちが「有子、有子」と言ってくれる、だから行くんだ。
人から相手にしてもらったから、喜んでもらえたから、大切にしてもらえたから、という気持ちはわかるが、それだけの理由で危険なところに行くというのでは、常識はずれだ、自分勝手だと非難されても仕方ないのではないか。
モデルになった女性が気を悪くするんじゃないかと思う。
自分は誰からも相手にされていない、自分はいてもいなくてもいい人間なんだ、ここには居場所がない、必要とされている場所があればどこでもいい。
自分探しというよりも、居場所探しと言うべきか。
雨宮処凛も右翼バンドをやめて、イラクで人間の盾をしようと試みたそうだ。
居場所を求めて、右でも左でも、あるいはカルトにでも転がっていく。
以前なら左に向かうのが主流だったわけだが、今は右である。
なぜなら、右のほうが「分かりやすい敵を示してくれる」からである。
雨宮処凛はこう言っている。
自分が必要とされる居場所を探しているのは若い人だけではない。
毎日新聞の「雑誌を読む」に、斎藤環「右翼テロと歴史の罠」という文章がある。
加藤紘一議員の実家が放火によって全焼した。
浅野健一によればマスメディアは事実を伝えていない。
そして、
と述べる。
放火事件の犯人は65歳、右翼団体のなかでも閑職だったそうだ。
放火は居場所がなくなった彼なりの自分探しなのだろうか。
中島岳志は
と言っているが、放火事件は一つの表れかもしれない。