三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、インチキ宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり、そしてそのことを日記にまとめてみたり。

井川意高『熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録』

2018年08月13日 | 

西日本での水害でドタバタしている隙に、カジノ法案が強行採決されてしまいました。
カジノの一般的な法律は2017年に作られ、今回の法案はその実施法案。

福島みずほ「いのちとくらし、平和憲法をまもりぬく」では、カジノ法案にも触れています。
賭け麻雀をすると賭博罪で逮捕されるのに、民間がカジノをつくっても賭博罪にならないのはなぜか。
利用者はほとんどが外国人だと言っていたが、今は7~8割が日本人だろうと試算されている。
ギャンブル依存病防止のため週に3回しか入れないように制限するというが、科学的根拠はない。

連結子会社から106億8000万円の金を融資させ、バカラで使いきった大王製紙社長井川意高氏の『熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録』を読みました。
会社経営や有名人との交流などといった自慢話が半分で、懺悔しているとは感じられません。

井川意高氏が初めてカジノに出かけたのは、1996~97年にオーストラリアに家族旅行に出かけたとき。
2003年ころからマカオに時々行くようになる。
最初は金を借りるという発想がなく、300万円の種銭をすって帰国した。
2回目のマカオで金を借りるシステムを知った。
2007年6月に大王製紙の社長に就任。
2008年になると、カジノに通う頻度が上がる。
2010年、資金繰りが行き詰まり、グループ企業の子会社から金を借り入れる。
2011年が明けたころから完全に歯止めがきかなくなる。
2011年3月に父親が20億円分の借り入れの事実に気づいたので、FXで損したと嘘をつく。

2011年4月以降、ほぼ毎週マカオに出かけてバカラをやり続けた。
金曜日の夕方に仕事を終えると、その足で羽田空港に向かい、マカオではほとんど眠らずに勝負をし続ける。
2011年9月、子会社7社から106億8000万円を借り入れていた事実が、社内メールの告発によって発覚し、会長を辞任。
2011年11月、特別背任の容疑で逮捕。

連結子会社から55億3000万円を借り入れた会社法違反(特別背任)で起訴、求刑は懲役6年。
保釈金は3億円で、現金で支払う。
55億3000万円は株を売却して全額返済した。
2013年9月に懲役4年が確定。
99%をギャンブルに、1%を飲み食いに使った。

カネを借りることに強い抵抗をもつ私が、異常なほどの金額の借金をしてしまった。逆に言えば、カジノは私という人間を根本から揺るがすほど、蠱惑的なまでの吸引力をもっていた。


「マジック・モーメント(魔法の時間)」と呼ばれる、連続勝利が起きることがある。
150万円を4時間半で22億円にしたことがある。

ギャンブラーはそんな常識人のような発想はしない。4時間かけて500万円が2000万円に膨らんだのであれば、8時間かければ1億円を3億円にまで爆発させることだってできるはずだ。元手がゼロになってしまう可能性は思考から排除し、倍々ゲームの未来を自分本位の脳内確率で夢想してしまう。


どこのカジノでも、大勢の客が出入りする「ザラ場」で何百万円、何千万円を賭ける客はあまり多くなく、そうした観光客を目当てにしていては、カジノの収益はさして上がらない。
VIPルームに上客を呼び込み、高待遇をしながら金を使わせる。

マカオのカジノでは、VIPルームで勝負するには800万香港ドル(約1億円)を積まなければならない。
その代わり、飛行機はビジネスクラス、ホテルはスイートルームを無料で提供してくれる。
シンガポールのマリーナ・ベイ・サンズでは1ゲームに約3900万円を賭けることができた。

金銭感覚が麻痺しているというよりも、ただひたすら高揚感に支配されてしまう。


次の文章はギャンブル依存症者の心理はこういうものかと妙に納得させます。

カジノのテーブルについた瞬間、私の脳内には、アドレナリンとドーパミンが噴出する。勝ったときの高揚感もさることながら、負けたときの悔しさと、次の瞬間に湧き立ってくる「次は勝ってやる」という闘争心がまた妙な快楽を生む。だから、勝っても負けてもやめられないのだ。地獄の釜の蓋が開いた瀬戸際で味わう、ジリジリと焼け焦げるような感覚がたまらない。このヒリヒリ感がギャンブルの本当の恐ろしさなのだと思う。
脳内に特別な快感物質があふれ返っているせいだろう、バカラに興じていると食欲は消え失せ、丸1日半何も食事を口にしなくても腹が減らない(略)カネか時間が切れるまで、勝負はいつまでも続く。もし私に仕事がなく、資金が無尽蔵にあるならば、何日だろうが何週間だろうがマカオやシンガポールのカジノで勝負し続けたはずだ。


『熔ける』は刑務所に入るまでのことまでですが、文庫版には、刑務所での生活、そして出所後のことが加筆されています。
罪の意識はあまりないようだし、ギャンブル依存症だという自覚も感じられません。

驚くことに、井川意高氏はカジノ法案に反対ではありません。

私は「なんで他人がオカネを使うことをそんなに心配してくれるの?」と質問したい。まったくおかしな話だ。

自分のこずかいならともかく、会社の金を100億円以上も使って実刑判決をもらった人がよく言うもんだとあきれます。
井川意高氏自身のように、ギャンブルにのめり込んで借金をこしらえ、横領したり窃盗したりする人は後を絶たないことを知らないのでしょうか。

たしかに、盗人にも三分の理はあります。

メディアはカジノを批判する前に、パチンコや競馬、宝くじの問題点を指摘するべきだ。そちらを放っておいて「カジノを作るな」と反対するのは、明らかに論理が破綻している。

もっともな意見ですが、このあとがひどい。
依存症者は自分が依存症であることを否認しますが、井川意高氏もひたすら自己正当化します。

さらに言えば、ギャンブル依存症の人にとって、カジノを開いたほうが少しは救いになる。宝くじの控除率は約55%だ。100円の宝くじを買えば、55円を寺銭として胴元が取る。配当されるのは残りの45円だけだ。競馬は馬券のうち25%前後を胴元が抜き、パチンコの控除率は10~20%に達する。世界的に見て、これはバクチではなく「搾取」と言っていい。ギャンブラーにとってみれば、最初から25%も55%も寺銭を抜かれたら、勝負に勝てるわけがないのだ。
その点、カジノの控除率は平均3%程度にとどまる。ルーレットは4%弱、バカラは平均2.3%であり、カジノの控除率はパチンコや競馬、宝くじよりもはるかに低い。日本にカジノができれば、ギャンブラーが胴元による「搾取」に遭わなくて済むのだ。


バカラが客に優しいのなら、どうして100億円も損したのか。

「自分は破滅するかもしれない」という瀬戸際でやっているからこそ、ギャンブルにはたまらない快感がある。月収20万円の若者が、パチンコにハマって借金をしてしまう。「この次負ければサラ金を返せなくなって、逃げなければいけない。あるいは首をくくらなければいけない」。こういう瀬戸際で勝ったときの快感はたまらない。
カジノができようができまいが、ギャンブル依存症の賭博師は必ずどこかでプレイするだけなのである。

井川意高氏は「刑務所にまで堕ちた私が、同じ轍を踏むことはもうない」と断言します。
どこか他人事です。

井川意高氏によると、カジノができても、簡単には黒字にならないとそうです。
普通の観光客が出入りする「ザラ場」で少額のプレイをされても、商売にはならない。

私のような客がVIPルームにいるおかげで、カジノ全体が黒字になっているのだ。

日本ではVIPルームは作れないだろうし、有名人は行かない。
海外の富裕層に日本の新参カジノが営業をかけるのは容易ではない。
そして、負けた金を回収するノウハウが外国のカジノにはあるが、日本人はそういうノウハウがないので苦労するだろう。
外資系カジノが参入しないかぎり、日本のカジノ運営は混乱を極める。
つまり、カジノ法案は外資系カジノを儲けさせるという売国的法律ということでしょう。

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マーガレット・ミラーとロス・マクドナルド

2018年06月23日 | 

ミステリー作家のマーガレット・ミラー(1915~1994)とロス・マクドナルド(1915~1983)は夫婦です。
マーガレット・ミラーの小説を何冊か読みました。

『狙った獣』(1955年)の解説に宮脇孝雄氏はこう書いています。

概してアメリカのミステリには現代文明の不安な部分を敏感に反映するようなところがあり、50年代の作品群にもその傾向が見受けられる。単純化すれば、戦争の余燼をひきずる男たちはハードボイルドを書き、戦後の繁栄を目の当たりにした女たちはサスペンス小説を書いた、といえなくもないだろう。(略)
50年代は「家庭の時代」であったといわれている。TVにはホーム・ドラマが登場し、頼りになる父親と、賢い主婦と、利発な子供という、今ではいくぶん脳天気にも見える理想のアメリカン・ファミリー像が定着した。60年代に一世を風靡したホーム・ドラマ『奥様は魔女』のように、家庭の主婦は、最新式の電化製品を駆使する魔法使いの役割を期待されていた。

そうか、魔女の奥様とは電化製品を自在に操る主婦の暗喩なのか。

では、マーガレット・ミラーが描いた「繁栄の陰の部分」とは何か。
『悪意の糸』(1950年)の解説に川出正樹氏がこう書いています。

マーガレット・ミラーが訴えたかったものは、当時理想とされた女性像がいかに欺瞞に満ちたものであるか、ということでした。第二次世界大戦後の好景気に沸き、大量消費と郊外住宅地での家庭生活こそがアメリカを代表する生活様式と慫慂された「家庭の時代」はまた、「主婦の時代」とも言われ、妻であり母でもある女性のあるべき姿がマスメディアを通じて喧伝された時代でした。そんな世相にあってミラーは、女性たちの抱える不安や不満、懊悩や鬱憤を摘出し、悪が為され、報いが還ってくるミステリを生涯書き続けたのです。


マイケル・ムーアは自身の作品『シッコ』だったか『キャピタリズム』で、自動車の組み立て工だった父は自分の月給で家族を養い、母は専業主婦だったと言ってます。
トランプを支持した人たちは50年代のアメリカに戻りたいのでしょう。

しかし、実際の50年代は理想的な社会だったかどうか。
マイケル・モス『フードトラップ』に、1955年には女性の38%近くが働いていたとあります。
1980年には51%です。

マーガレット・ミラーとロス・マクドナルドの私生活は不幸に見舞われ続けだったそうです。
「出版・読書メモランダム」というサイトと、ロス・マクドナルド『動く標的』の柿沼瑛子による解説に、トム・ノーラン『ロス・マクドナルド』という評伝によって2人の一人娘リンダについて書かれています。
http://odamitsuo.hatenablog.com/entries/2010/08/16
http://www.webmysteries.jp/translated/kakinuma1803.html
ロス・マクドナルドが4歳のときに父親が家族を捨てたため、看護師の母親が生計を支え、親戚を頼ってカナダ中を転々とした(ロス・マクドナルドによれば高校卒業までの16年間に50回)。
市会議員の娘だったマーガレットは同じ高校の出身。
2人は1938年に結婚する。

娘のリンダは車好きで、フォードに乗り、次第にスピード違反の常習者になっていた。
それだけでなく、不良少年たちと性的体験も重ね、服装、髪型、化粧もはすっぱな感じになり、酒やドラッグにまで手を出すようにもなっていた。
しかし、マクドナルドはリンダを理想化していたこともあって、その一面しか見ておらず、常に彼女をかばい続けていた。

ところが、16歳のときの1956年2月、リンダは飲酒運転で2人の少年をひき逃げし(1人は死亡)、さらに別の車と衝突するという交通事故を起こした。
両親が著名な作家だったため、マスコミは連日、報道する。
リンダは8年間の保護観察処分に付されることになる。

リンダを診た心理学者によれば、分裂症的パーソナリティ体質だった。
事故前後の記憶がはっきりと戻らず、別の男が運転していて逃げたという目撃証言もあり、真相は不明のまま。

『殺す風』(1957年)にこんな文章があります。

なんとまあハリーは分別なしの馬鹿だったのだろう。夫というよりも、いきすぎた自由放任主義の父親みたいなもの、やっきになって子供のあやまちをかばいたがり、いちばん心休まる説明をとびつくように受け入れる。

夫と娘のことを皮肉って書いているように思えます。

リンダはカリフォルニア大学ディヴィス校に入学するが、街に出て酔っ払い、門限を破って外出禁止処分。
1958年になって、またも学内で酒を飲み、大学からの公式譴責処分を受けた。
1959年5月、寄宿舎の階段の吹き抜けでの飲酒を舎監に目撃され、懲戒委員会の審査事項に加えられた。

1959年5月30日、顔見知りの2人の男にネバダ州との境にあるカジノへのドライブに誘われて出かけ、翌朝になっても戻らなかった。
大学側は両親に連絡し、リンダの事件担当判事は保護観察違反だとして、彼女を州全域に指名手配するように指示した。
マクドナルドは失踪したリンダの捜索に乗り出し、キャンバスでリンダの女友達から事情を聞き出す一方で、近郊の警察、精神病院とも連絡をとり、本物の私立探偵を雇い、テレビ局や新聞社に働きかける。
6月9日、リンダから自宅にいるマーガレットに電話がかかってきた。
ただちに私立探偵がリンダを迎えに行き、11日に精神病院に入院する。

その2年後から、失踪した娘を探すリュー・アーチャー物の『ウィチャリー家の女』『縞模様の霊柩車』『さむけ』が書かれますし、マーガレット・ミラーも代表作を続けて書いています。
小説家というのは大したものです。

リンダは30歳のとき、薬物の多量摂取で死にました。
『心憑かれて』に載っている1989年のインタビューで、マーガレット・ミラーはリンダの一人息子が先月亡くなったと語っています。
マクドナルド一家は「家庭の時代」「繁栄の時代」の闇を表しているといえるでしょう。

ロス・マクドナルドは62歳の1977年に入ってアルツハイマー病の兆候が顕著になり、67歳で死亡。
マーガレット・ミラーは晩年、ほとんど目が見えなくなっています。
1968年のマーガレット・ミラーの自叙伝に、夫や娘についてどんなことを書いているのか読んでみたいです。

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ルドルフォ・アナヤ『ウルティマ、ぼくに大地の教えを』と旧約聖書(2)

2018年06月18日 | 

加藤隆『集中講義 旧約聖書』を読むと、ユダヤ人もフロレンスと同じ疑問を持っていたようです。

紀元前13世紀、エジプトで奴隷状態にあった人々が集団で逃亡した「出エジプト」において、ヤーヴェを神とする集団が成立して、イスラエル民族、ユダヤ民族の核となった。
エジプトを脱走した集団はカナンと呼ばれる地域に侵入し、仲間になった先住民と定住生活をすることになる。

旧約聖書は、紀元前13世紀から紀元後1世紀くらいまでの時代について書かれた文書を集めたもので、紀元前5~4世紀に編纂され始め、一応完結するまで500年くらいかかっている。
いくつかの文書を集め、それをいわば「切り貼り細工」のようにしてつくられているので、矛盾や難点がある。

6日間の天地創造とエデンの園の物語という2つの創造物語が創世記に書かれてあり、この2つには矛盾がある。
最初の物語ではさまざまなものがつくられ、最後に人がつくられるが、第二の物語では人がつくられた後で植物がつくられる。
最初の物語では男女が同時につくられたようになっているが、第二の物語ではまず男(アダム)がつくられ、それから女(イブ)がつくられる。
「聖書に書かれていることはすべて真実だ」といった単純な立場を否定するべきだということが、聖書の冒頭に記されていることになる。

神はモーセに名前を名乗ることを2度にわたって行う。
2度目には「わたしは、有るところの者だ」「私は、有るように有る者」と訳すべき名を述べる。
つまり、「神は、自分が動きたいように動く者」ということ。神がどのような存在なのかは人間には理解できない。
「神は全知全能だ」と言うが、全知全能ではない人間が想定しているにすぎない。
少なくとも分かるのは、「神は全知全能だ」と主張する者は、神について「実は分かっていないのに、分かったようなことを言おうとしている者だ」ということくらいだ。
「全知全能だ」「恵み深い」などというのは、人間の側の勝手なレッテル貼りである。

紀元前10世紀後半に、南のユダ王国と北のイスラエル王国に分裂し、約200年後に北王国がアッシリアに滅ぼされる。
北王国の滅亡によって、「ヤーヴェは民を必ずしも守らない神だ」ということが事実として示される。
ヤーヴェを「頼りにならない神」と否定しないために、南王国の者たちは、民がダメなのだ、罪の状態にあると考えることにした。

加藤隆氏はこういうたとえで説明します。

ヤーヴェが何もしてくれないという状態は、結婚している夫婦において、夫がどこかに消えてしまったような状態です。強盗がきて家の半分を破壊しても(北王国の滅亡)、夫は姿を現しません。そうこうするうちに家の残り半分も破壊されます(南王国の滅亡)。しかし妻は、夫と離婚せず、結婚関係を存続させます。夫は消えてしまい、何もしてくれないけれども、彼は正式には夫であり続けます。ひとりの男性だけが夫です(一神教)。
夫が消えてしまったこと、夫が何もしてくれないことについて、妻は、「不適切な女だからだ」と考えます(罪)。自分が「不適切」であり、夫は「正しい」ので、彼女が夫を責めることはありません。彼女が夫に何か要求することもあり得ません。夫がいないのだから、他の男性と彼女が関係をもつ可能性があるかのようですが、彼女は「不適切な女」なので、他の男性と新たな関係をもつための条件が整っていません(多神教的傾向の消滅)。


民にどんな不幸が生じても、それは「神のせい」でなく、「民が罪の状態にある」という立場が、「神の沈黙」を正当化する構造をつくり出している。
そのため、何が起こっても、民が神を見捨てることはない。

しかし、神の行動に理由をつけ、「民の罪」が「神の沈黙」の理由だということは、ユダヤ民族の思い込みかもしれない。
民が罪の状態にあるから、神は沈黙したということなら、人間の側の態度によって、人間が神を動かすことができることになる。
この考えは、神を操ることができるという前提が隠されている。
しかし、「民は罪の状態にあるという考え方」はユダヤ教において支配的な立場になっていく。

神はかつて「希望のメッセージ」を述べるが、状況の改善は生じておらず、神は実質的なことはしていないので、いつまでも希望にとどまっている。
聖書全体を読むと、神はほとんど何もしないということが書かれてあると言ってもいいくらい。
人間の側が罪の状態にあるのでは、「救われていない」という状態にいつまでも留まっているということになる。
「罪」の状態にあるということは、人間の判断や行為は、神との関係を修復する上で何の価値もない。
人間の側にどんな変化があったにしても、その者が「正しい」となる余地はない。

しかし、その者の状態を正しいものにすればよいという考えが生じ、「神の前での正当化」を行う人がいる。
何が正しいかを知っていて、しかも実践できる、それが救いの道だという態度が、「信仰」や「敬虔」の態度である。
「敬虔主義」は、自分の態度によって神を左右できるという人間中心的態度に依拠している。
「自分は正しい」と思い込んで安心したいので、自分と同じようにしない者たちは救われないのだと自分に言い聞かせることで、安心を補強する。
「信仰」は神への信仰であり、神に忠実であることだが、「神に忠実であるとはどのようなことか」を自分の人間的判断で決定している。
だから、絶えず「信仰」が強調されねばならない。

ギリシアの支配(紀元前4世紀~前1世紀)以降、「律法」が絶対的な権威をもつ「律法主義」が支配的になる。
「律法」の掟を完璧に守るなら、神の前の義が実現して救われることになるとされる。
しかし「律法」を完璧に理解し、完璧に遵守することは不可能で、誰も救われないことになる。
「律法主義」においては、「人が罪の状態であること」、「神が動かないままであること」が前提となっており、「律法」を介しての救いは実現しない。

紀元前3世紀~前2世紀になると、黙示思想が目立ってくる。
人間の試みはすべて無駄で、神が一方的に「この世」を滅ぼすとされる「終末」が考えられた。
しかし、「終末」は実現しない。
「救い」に関してユダヤ教は八方塞がりの状態になっている。

旧約聖書では、「人が何をしても救われない」「神の介入を待つしかない」ということが確認されている。
イエスの立場は、「罪」の状態にあるはずの者に対して、神が一方的に介入して、神とその者の間に生き生きした関係が生じるようになったと考える。

この説明ではフロレンスが納得しないでしょう。
もっとも、ルドルフォ・アナヤ『ウルティマ、ぼくに大地の教えを』はキリスト教を否定しているわけではないように思います。

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ルドルフォ・アナヤ『ウルティマ、ぼくに大地の教えを』と旧約聖書(1)

2018年06月06日 | 

『ウルティマ、ぼくに大地の教えを』はメキシコ系アメリカ人のルドルフォ・アナヤが1972年に書いた小説です。

1945年ごろのニューメキシコ州を舞台に、7歳の少年アントニオのまわりに起きる出来事をめぐる物語。
父親の家系はヤノ(大草原)で馬に乗って牛飼いをしていた。
農家に生まれた母親はアントニオが神父になるのが夢。
家族はスペイン語を話す。
町の人たちはほとんどがカトリックで、子供たちもカトリックでなければ地獄に堕ちると信じている。

年老いた呪術師のウルティマはアントニオ一家と一緒に住むようになる。
母方の伯父たちは、呪いをかけられて死にかけた弟を助けてもらったのに、ウルティマが襲われた時に助けようとしない。
人々を救うにもかかわらず非難されるウルティマはイエスを連想させます。

アントニオは黄金の鯉を見に行き、友達からこんな話を聞く。
大地がまだ若いころ、鯉を食べることが禁じられていたのに、飢えに襲われた人々は鯉をつかまえて食べた。
神々は罪を犯した人間達をすべて殺そうとしたが、人間を愛していた神が反対し、人間達を鯉に変え、川の中で暮らすように決めた。
人間を愛していた神はとても大きく金色の鯉に姿を変え、人間達の世話をすることにした。

唯一神のキリスト教とは違う神様です。
もし古い宗教が、その信者の疑問に答えられなくなったら、それはその宗教が変わるべき時がきたということなのかもしれない、とアントニオは考えます。

同級生のフロレンスは神を信じていない。
フロレンス「母さんが死んだとき、ぼくは三歳だった。父さんは飲み過ぎて死んで、それで。姉さん達は売春をやってて、ロージーの店で働いているんだ……。
それで自分で考えたんだ。幼い子供にこんなつらい思いをさせて、神様は平気なんだろうかって。ぼくはこの世に生んで下さいなんて頼んだわけじゃない。神様が勝手にこの世に送りだし、魂を吹きこみ、ぼくを罰する。なんでだ? ぼくが神様に何をした。なんでこんな目に合わなくちゃいけないんだ、ええ?」
ぼく「もしかしたら、神父様のいったとおりなのかも。神様はぼくたちの前に、乗り越えるべき障害をお置きになったのかもしれない。そしてぼく達が、そのつらくて苦しい障害を乗り越えたとき、良きカトリック教徒になり、天国で神様とともにいる権利を与えられるのかも」
フロレンス「それも考えてみたんだ。だけどやっぱり、こうなるんじゃないかなあ。つまり、もし神父様のいうように神様が賢いのなら、ぼく達が良きカトリックかどうかなんて試す必要はないはずだ。それにさあ、まだ何も知らない三歳の子供を試してどうするんだよ。神様は全知全能だということになってる。それはそれでいい。だけど、じゃあなんで、悪いものやいやなものなしでこの地球を作らなかったんだろう? なんでたがいにいつも親切でいられるようにぼく達を作らなかったんだろう?(略)泳ぎにいくと何人かは小児麻痺になって、死ぬまで体が自由に動かなくなってしまう! それって正しいことなのか?」
ぼく「わからないよ。昔はすべてがうまくいっていたんだ。エデンの園では罪もなく、人間は幸せだった。だけど、ぼく達人間が罪を犯してしまったから……」
フロレンス「ぼく達が罪を犯したって? ばかばかしい。罪を犯したのはイヴだろ。イヴが掟を破ったからって、なぜぼく達が苦しまなくちゃいけないんだよ、ええ?」
ぼく「ただ掟を破っただけじゃないんだ。ふたりは神様のようになろうと思ったんだ! 覚えてないかい、ほら、神父様がいってたじゃないか。あのリンゴには知恵が詰まっていて、それを食べると、いろんなことがわかってしまうって。そして神様みたいに、善と悪について知ってしまったんだよ。だから神様はふたりを罰した。それはふたりが知恵を欲したからなんだ」
フロレンス「それもおかしくないか? なぜ知恵を求めることが人を苦しめることになるんだ? ぼく達が学校にいくのだって、勉強をして知識を得るためだし、公教要理に通うのだって、知識を……」
ぼく「もしぼく達が知識なんか持ってなかったら、どうだろう?」
フロレンス「野原にいるばかな動物達と同じになっちゃうんじゃないか」

神の沈黙ということです。
恵み深い全知全能の神がどうして幼い子供を罰するのか、どうして神は不幸や災厄に何もしないのか。
フロレンスの疑問にアントニオは答えることができません。

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湯沢雍彦『明治の結婚 明治の離婚』

2018年04月24日 | 

徳川夢声の母親は男ができて夫と離婚してるし、徳川夢声の恋人だった伊沢蘭奢も夫と息子を捨てています。
結婚しても妊娠するまでは籍を入れなかったり、子供を赤の他人に養子に出すこともあったそうです。
明治時代は離婚率が高かったというし、結婚観が今とは違っていたのかと思って、湯沢雍彦『明治の結婚 明治の離婚』を読みました。

全国離婚件数がが集計されるようになったのは明治13年からで、年間を通じての統計は明治15年から始まった。
明治15年 婚姻率 8.42 離婚率 2.62
明治20年 婚姻率 8.55 離婚率 2.84
明治25年 婚姻率 8.51 離婚率 2.76
明治30年 婚姻率 8.45 離婚率 2.87
明治35年 婚姻率 8.77 離婚率 1.43
明治40年 婚姻率 9.13 離婚率 1.29
明治45年 婚姻率 8.51 離婚率 1.17

明治中期(16~30年)のころの離婚率(人口千人あたりの年間離婚件数の比)は2.5ないし3.4の高さ。
江戸時代後半の離婚率もほぼ同じ高さだった。

東京府の明治12年の統計によると、結婚した男6339人、女8667人、離婚した男3406人、女4203人。
男女の差が大きすぎるので信用しがたいが、離婚の割合が高いことは事実であろう。

明治10年代、20年代の離婚は、都市住民ではなく、農山漁村の住民が多い。
明治16年から20年にかけての離婚率は、西日本より東日本のほうが高い。

嫁が労働力として期待されながら、同居の家族の意にそわないと、簡単に追い出し離婚されるという傾向は、明治末期まで盛んにあった。

離婚が多かった背景
① 庶民の意識の根底に、結婚は生涯続けなければならないものという認識が乏しかった。
②  親、とくに姑が離婚を迫ることが多く、息子である夫は親の意向に反対できなかった。
③ 離婚の理由は不要だった。
④ 離婚の手続きがルーズで、届出を必要としないところが多かった。

追い出し離婚、逃げ出し離婚が多い、処女性より労働力が求められた、再婚についての違和感がほとんどない、などが背景にある。

明治32年(1899)以降、離婚率は急激に低下している。
離婚数は31年が前年度より2万5千件、20%近く少なくなり、離婚率は2.87から2.27に、32年が3万3千件、33%も減少し、離婚率は1.50と下がり、32年は30年の半分近くにまで落ち込んだ。
といっても、明治33年(1900年)の離婚率は、アメリカ0.70、フランス0.25、ドイツ0.15と、日本に比べるとずっと低い。

離婚後の暮らしの見通しが立たなくなり、夫婦を続けるほかなかったことも、離婚が減った理由としてある。
そして、明治31年に民法と戸籍法が成立し、戸籍の管理が厳格になったということも、離婚率を下げた原因だった。
25歳未満の者が離婚するには、結婚を同意する親などの同意が必要となった。

庶民は婚姻届を出さない手段によって、早期に離別できる道をとるようになった。
大正9年(1920)、届出していない配偶者がいると答えた者は全夫婦の17%だった。
明治30年代には20%以上あったのではないかと思われる。
婚姻届を出さないまま離婚する夫婦もいただろうから、離婚率はもっと高くなります。

明治末の婚姻率は8ないし9で、年ごろになった者はほとんど全員が結婚した。
ふつうの男女は親のすすめる縁談に従い、生活の場や金銭の保障を考える生活手段として結婚した。
その理由は、女性は食べていくためであり(就職・収入の道がほかになかった)、男性は家庭雑務を任せ、家を継ぎ、あとつぎを得るためだった。

2014年の報告書によると、アメリカでは25歳以上の男女で結婚したことのない人の割合は、1960年から約50年間で、男性は10%から23%に、女性は8%から17%に倍増しており、その数は約4200万人だと、金成隆一『ルポ トランプ王国』にあります。

初婚同士の両親(異性婚)のもとで育つ子どもの割合は、1960年の73%から、2014年の46%に減少し、シングル・ペアレント(一人親)の家庭の子どもは9%から26%に増加したそうです。
結婚に関して考え方が大きく変わっているわけです。

女性が経済的に男に頼らなくてもよくなった現在の日本では、生活の手段として結婚する女性はほとんどいないでしょう。
濱野智史「ワンチャンという価値観」(「更生保護」2014年3月号)にこんなことが書かれています。

若者たちの間でいま蔓延しつつある価値観の一つが「ワンチャン」である。「ワン・チャンス」、文字通り「一回きりのチャンス」という意味。アイドルオタクの若者たちからこの言葉を聞く。
今のアイドルオタクは多様になり、一見、アイドルなどにはハマりそうにない、モテそうだし、恋愛にも不自由しなさそうなイケメンの若者もたくさんいる。
なぜアイドルにハマるのかというと、「アイドルの子たちと「ワンチャン」でつながりたい」、つまり「アイドルの子と本当の恋愛関係になりたい」と考えているからだ。
なぜか。
いまの若者たちにとって、現実の恋愛は「つまらない」、というより「する意味が見いだせない」のである。
なぜなら、いまの日本社会の将来は絶望的だからである。
どうせ子供も満足に産めなさそうなら、結婚する意味もないし、ということは恋愛をする意味もないのである。
その代わりに台頭するのが、アイドルとの疑似恋愛ゲームなのである。
「ワンチャン」を巡る心理は、非常に「刹那主義」的な現代若者の価値観から出てきたものである。どうせ(長期的な目で見て)結婚も恋愛もする意味がないなら、(いま目の前にいるかわいいアイドルとの)疑似恋愛にハマるほうが楽しい。「いまさえ良ければいい」という発想なのである。

日本人の結婚観、家庭観はこれからもっと変わっていくんでしょう。

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週刊金曜日編『検証産経新聞報道』

2018年01月13日 | 

週刊金曜日編『検証産経新聞報道』によると、産経新聞の2017年3月期連結決算では、売り上げが10年間で4割も減っています。
上半期は営業利益、経常利益、中間純利益はいずれも赤字。
フジ系列局の保有株式を売却することで何とか取り繕った。

産経新聞単体では、2017年3月期決算は、売上高が前期比3.1%減、営業利益は前期比88.7%減、経常利益は前期比79.8%減。
フジテレビが業績不振なので、産経新聞への援助が減っている。

産経新聞は社債を発行するようになり、借金を返すためにまた借金をするという自転車操業状態に陥っている。

地方の支局からほとんど撤退しており、九州は福岡県北部に最近進出した程度だし、北海道、石川・福井、山陰などではほとんど存在感がない。
全国紙最低の労働条件、最低の賃金という状況。

何年前かはわかりませんが、「産経新聞」の部長クラスで年収800万円、フジテレビ系列の関西テレビは1500万円だったそうです。

他の新聞社の給料が高いのは、基本給と同額ぐらいの残業手当が出るから。
しかし、産経新聞は取材費はほとんどないし、夜回りや朝駆けはサービス残業になる。
産経新聞は「北海タイムス」化(増田俊也『北海タイムス物語』)しているわけです。

おまけに、読売新聞が「財界の機関紙」になっているので、産経新聞の利用価値が薄れている。

販売部数は朝刊が約160万部、夕刊は約47万部(東京本社は夕刊をやめている)。
ブロック紙の中日新聞グループ(東京新聞などを含む)が朝刊約309万部、夕刊約60万部だから、それより少ない。
そういう状態なのに、ネット上では産経新聞の影響力は大きいように思います。

さて、産経新聞は2014年4月からスタートさせた「歴史戦」シリーズで、「戦後の日本は相手の宣伝工作に有効な反撃を加えるどころか、自ら進んでそのわなにはまってきた。その象徴が強制連行を示す文書・資料も日本側証言もないまま「強制性」を認定した河野談話だ。世界に日本政府が公式に強制連行を認めたと誤解され、既成事実化してしまった」と、河野談話を批判しました。

http://www.sankei.com/politics/news/140401/plt1404010025-n2.html

1993年8月5日、全国紙はそろって河野談話を一面で報じた。

見出しは以下の通り。
朝日新聞「慰安婦「強制」認め謝罪」
読売新聞「政府、強制連行を謝罪」
産経新聞「強制連行認める」
河野談話には「強制性」という単語は用いられても、「強制連行」という単語はないのに、河野談話と「強制連行」を結びつける報道をしたのは、朝日新聞をバッシングした読売新聞、産経新聞だった。

産経新聞も人身取引や就業詐欺で慰安婦にされた女性が多かったことは認めている。

しかし、それは民間業者が行なったことで、政府には責任がないというわけである。
慰安所は軍の発意により、軍の施設として設置されたもので、慰安婦がどうやって集められたかは知らなかった、ではすまない。

南京事件や慰安婦問題の記憶遺産への登録申請を「ユネスコの政治利用」と非難している一方、シベリア抑留関連資料の登録は正当化する。

戦争における被害体験を記憶することに反対しているわけではないが、日本の加害については反日の策謀だと決めつける。
ダブル・スタンダードである。

「歴史戦」では植村隆元朝日新聞記者も非難していますが、
それに対する植村隆氏の反論が『検証産経新聞報道』に載っています。

1991年8月14日、慰安婦だったと最初に名乗り出た金学順さんの記者会見があった。
阿比留瑠比編集委員は「産経新聞」2012年8月30日付のコラムに、「1991年8月11日付の朝日新聞に、植村隆記者が「従軍慰安婦」を名乗る韓国人女性の記事を書いたことが始まりです。あたかも日本軍に強制連行されたかのように紹介して慰安婦問題を捏造しました。今日の日韓関係の惨状を招いた植村記者は今、どう思っているのでしょうか」と書いている。

久保田るり子編集委員も「朝日が最も検証すべきは、1991年夏の「初めて慰安婦名乗り出る」と報じた植村隆・元記者の大誤報だ。記事は挺身隊と慰安婦を混同、慰安婦の強制連行を印象付けた。しかも義父にキーセンとして売られていたことを書かずに事実をゆがめたからだ」と非難している。(2014年8月10日)

しかし、植村隆氏は金学順さんの記事に「挺身隊としてだまされて連行」とか「強制連行」とは書いていないし、植村隆氏の記事は韓国では転電されていない。

実は、産経新聞も「強制連行」という言葉を使っている。

金学順さんの大阪での記者会見の記事(1991年9月12月7日付)「金さんは十七歳の時、日本軍に強制的に連行され、中国の前線で、軍人の相手をする慰安婦として働かされた」

河野談話を受けて金学順さんに電話取材した「人生問い実名裁判」(1993年8月31日付)「金さんは日本軍の目を逃れるため、養父と義姉の三人で暮らしていた中国・北京で強制連行された。十七歳の時だ」とあり、「従軍慰安婦」というメモでは「戦時中、強制連行などで兵士の性欲処理のために従事させられた女性」


1993年2月16日、オーストラリアの経済学者ジョージ・ヒックス氏の「日本はいつまでも慰安婦になるよう強制したことはないと言い張り、元慰安婦への補償を拒んでいると、隣人たちとの苦い歴史が安らぐときがないことを自覚すべきではないか」というコラムを掲載している。


産経新聞には挺身隊と慰安婦とを混同した記事もあります。

1991年9月3日付「第二次世界大戦中「挺身隊」の名のもとに、従軍慰安婦として戦場にかりだされた朝鮮人女性たちの問題を考えようという集い」

1991年10月25日付「日中戦争から太平洋戦争のさなか、「女子挺身隊」の名で、戦場に赴いた朝鮮人従軍慰安婦」


「産経抄」(2015年1月10日)に「植村氏も小紙などの取材から逃げ回ったのはなぜか。挺身隊と慰安婦を混同したことへの謝罪がないのはなぜか」とあるが、産経新聞は植村隆氏に取材の依頼はしていない。

2015年7月21日に産経新聞から植村隆氏に取材の申し込みがあり、7月30日にインタビューが行われた。
この取材はネットで読むことができます。
http://www.sankei.com/premium/news/150829/prm1508290007-n1.html

植村隆氏は、阿比留瑠比編集委員と原川貴郎記者に、「日本軍に強制的に連行され」などと書いている産経新聞の記事を見せます。

2人とも産経新聞が過去にこうした記事を書いていたことを知りませんでした。
http://www.sankei.com/premium/news/150830/prm1508300009-n4.html
また、「慰安婦」に直接取材したこともないと答えています。

植村隆氏は2015年10月16日に産経新聞へ、慰安婦報道に関する非難について6項目の質問を送ります。

その回答は「お答えできません」をくり返すだけだったそうです。

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伊藤整『日本文壇史 3』

2017年12月27日 | 

伊藤整『日本文壇史』は仮名垣魯文から大逆事件までの文壇の動きを描いた評論で、小説的なとこもあります。

第三巻は明治24年(1891年)から28年(1895年)まで。
伊藤整は「明治文壇のうちの最も青春の匂の高い時期に当たる」と書いていますが、みんな若い。(年齢は数え。計算が合わない人がいる)

・明治24年

第一高等中学の教師だった内村鑑三(31歳)は勅語を礼拝しなかったとして攻撃され、職を退いた。
明治23年に東京専門学校文学科が新設され、明治24年、機関雑誌「早稲田文学」が創刊された。
1冊9銭、第4号は4500部ほど売れた。
東京専門学校の哲学の専任教師として招かれた大西祝は28歳。
没理想論争をした坪内逍遙(33歳)と森鷗外(30歳)が当代の二大文学論家だった。
山田美妙(24歳)は2年前から芸者上がりの女を妾にしていた。

・明治25年

正岡子規(26歳)は同い年の幸田露伴に小説を見てもらう。
幸田露伴は「国会」の小説担当の記者をしており、月給は60円だった。
内閣印刷局にいた二葉亭四迷の月給の倍である。(他の個所に、明治24年、5円昇給して35円になったと書いてある)
二葉亭四迷は明治22年、26歳で作家として生きることをあきらめた。
樋口一葉(20歳)の母や妹が針仕事をして、3人が月7円でかつかつの生活していた。
小説が「都の花」に載ることになった。
原稿料は1枚25銭、40枚で10円もらう。
田山花袋(21歳)も「都の花」に小説を載せてもらい、1枚30銭、25枚で7円50銭を得た。
「都の花」は発行部数が2500部で、文芸雑誌の王座にあった。
「女学雑誌」のために翻訳をして毎月9円の収入を得ていた島崎藤村(21歳)は明治女学校の英語教師となり、月給10円をもらう。
22歳で上京した国木田独歩は「青年文学」を手伝う。
明治21年に山田美妙の小説批評で文壇に登場した内田魯庵(25歳)は英訳の『罪と罰』を翻訳、出版した。
内田魯庵は文芸評論家として坪内逍遙、森鷗外、石橋忍月に次いでの存在だった、
東京帝国大学英文科で最も優秀な学生だった夏目漱石(26歳)は月7円の奨学資金をもらっていた。
黒岩涙香(31歳)は「都新聞」をやめ、「萬朝報」を創刊した。
町田忠治(33歳)によって東洋経済新報社が創設、「東洋経済新報」は1500部程度の販売部数。
ちなみに、1929年は6000部、1938年は19000部の
東洋経済新報社の初任給は1911年が18円、1934年が55円(大学出は70円が相場)だった。

・明治26年
河竹黙阿弥が78歳で死ぬ。
正岡子規(27歳)は大学を中退し、月給18円(すぐあとに10円とある)で「日本」の社員となり、松山から母と妹を呼び寄せた。
第一高等中学の教授をしていた落合直文(33歳)は和歌や新体詩の結社を起こす。
尾崎紅葉の内弟子だった泉鏡花(22歳)は小遣いを月50銭もらっていたが、煙草を買うと、紙や筆を買うのに金が足りなくなった。
明治女学校をやめて放浪していた島崎藤村は7銭で木賃宿に泊まり、3銭で朝飯を得た。
辞職した島崎藤村の後を受けて北村透谷(26歳)が明治女学校の教師となる(月給15円)。
斎藤秀三郎が28歳で第一高等中学の教授となる。
国木田独歩(23歳)は自由新聞社に入社するが、月給が3円で、下宿料にも足りなかった。
東京帝国大学を卒業した夏目漱石(27歳)は高等師範学校の教授になる(年俸450円)。
田山花袋はトルストイ『コサック兵』を3カ月かけて英訳から翻訳し(600枚)、博文館から出版されて30円をもらう。
当時、小家族の1カ月の生活費が10円から15円ぐらいだった。
樋口一葉は竜泉寺町に敷金3円、家賃が月1円50銭の家を借り、雑貨と駄菓子を売る店を開いた。
日に100人ぐらいの客があり、1日の売り上げが多い日で60銭、少ない日は40銭ぐらいだった。

・明治27年
明治女学校の卒業生は普通科20余名、高等科4名だった。
北村透谷が縊死した(27歳)。
読売新聞が歴史小説を募集し、高山樗牛(23歳)が2等に当選する(1等はなし)。
徳富蘆花は27歳で結婚、月8円の食費を父母に払った。
民友社の月給は11円、小学校教師の妻の月給が12円で、紡績株の配当が月10円ぐらい入った。
樋口一葉は店をやめて引っ越したが、その家の家賃は3円だった。
日清戦争のころ、「萬朝報」5万部、「東京朝日新聞」2万5千部、「報知新聞」と「東京日日新聞」1万5千部、「読売新聞」1万2千部、「中央新聞」1万部、「時事新報」「都新聞」「国民新聞」「日本」6千~8千部だった。
仮名垣魯文が66歳で死んだ。

・明治28年
夏目漱石は外人教師の代わりに松山中学の教師になる。
月給は外人教師と同じ80円で、校長の60円よりも高い。

20代で文壇をリードしたり、大学教授になったりしているわけです。
でも、『日本文壇史 3』に名前が出てくる小説で今も読まれているのは露伴『五重塔』、一葉『大つもごり』『たけくらべ』ぐらいです。
文学や学問のレベルが低かったというわけではないでしょうが。

樋口一葉の家は3人家族で月7円、一般家庭が月10~15万円で生活していたということは、1円が2万円ぐらい、1銭が200円でしょうか。

となると、木賃宿は一泊1400円、漱石の月給は160万円。
雑誌の発行部数がせいぜい2千500部、新聞が1万部ぐらいでは、作家に原稿料をたくさん払っては経営が成り立たないように思いますが、どうなんでしょうか。

もう一つ気づいたのは、結核で死ぬ人が多いこと。

島崎藤村が好きだった佐藤輔子、北村透谷の教え子の富井松子や斎藤冬子など。

坂の上に向かって歩いている時代だったんだなと思いました。

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テッド・チャン『あなたの人生の物語』(2)

2017年11月14日 | 

「地獄とは神の不在なり」
たまに、天使が降臨する世界。
何のために天使が降臨するのかはわからない。
天使が降臨すると、病気が治るなどの奇蹟がある一方、死傷者も大勢出る。
主人公の妻は天使が降臨した際に、割れたガラスに当たって失血死する。
妻は天国に行くが、夫は神を信じていないから地獄に落ちるしかない。
地獄といっても、神と永遠に縁がなくなる以外、人間界と変わらない。
しかし、夫は妻と再会するために天国に行こうとする。
天国の光を見た者は必ず天国に迎えられるので、夫は天国の光を見るために旅をする。
ところが、夫は天国の光で作り直されたにもかかわらず、結局は地獄に落ちる。
地獄に落ちるかどうかは、その人がしたことの結果ではなく、何の理由もない。

この世界の論理は、天国に行くか地獄に落ちるかは神があらかじめ定めていて、本人の信仰や努力は一切関係ない、しかも神の意思を人間が知ることはできないという、カルヴァンの予定説と同じです。

救われるかどうかは決まっていて、善行が意味を持たないのなら、何をしてもいいではないかということになります。

しかし、救われると定められた人間は神のお心にかなう行動をするはずだ、それでプロテスタントは禁欲的に自分の与えられた仕事を勤勉にはげむ。
このようにマックス・ヴェーバーは説明しているそうです。

人生、さまざまな不条理で理不尽な出来事がふりかかります。

真面目にしたからといって報われるとはかぎりません。
宗教とは、不条理な事柄に物語で意味を与えることにより、納得させ、受けとめさせるものだと思います。

カルヴァンの予定説によって人生の理不尽さがなくなるならば、それはそれでOKです。

私はそういう物語を信じようとは思いませんが。

『はじめて読む聖書』で、内田樹氏が哲学者のエマニュエル・レヴィナスについて語っています。

ナチスのユダヤ人虐殺を生きのびたレヴィナスは、なぜ死んだのは他の人で自分ではなかったのか、生き残ったものの責務は何かと問うた。
生き残った人間が「自分が生き残ったことには理由がある」ということを自分自身に納得させるためには、「死者たちがやり残した仕事をやり遂げる」しかない。
そして、仕事を託されたがために自分は生き残ったと思うしかない。

レヴィナスはユダヤ教の宗教文化を再構築することが自分の責務だと考えた。
ナチスによるホロコーストの後、多くのユダヤ人がユダヤ教から離れていった。
レヴィナスは若いユダヤ人たちにこう説いた。

人間が善行をすれば報奨を与え、邪な行いをすれば罰を与える。神というのはそのような単純な勧善懲悪の機能にすぎないというのか。もし、そうだとしたら、神は人間によってコントロール可能な存在だということになる。人間が自分の意思によって、好きなように左右することができるようなものであるとしたら、どうしてそのようなものを信仰の対象となしえようか。神は地上の出来事には介入してこない。神が真にその威徳にふさわしいものであるのだとすれば、それは神が不在のときでも、神の支援がなくても、それでもなお地上に正義を実現しうるほどの霊的成熟を果たし得る存在を創造したこと以外にありえない。神なしでも神が臨在するときと変わらぬほどに粛々と神の計画を実現できる存在を創造したという事実だけが、神の存在を証しだてる。


レヴィナスの考えはすごく説得力があると思いましたが、しかし神の不在、もしくは神が何もしないことをこのような形で意味づけしているようにも感じます。
神は世界を創造した後はほったらかしなのでしょうか。

田川建三氏が国際基督教大学で講師をしていたとき、毎週行われる礼拝でこんな説教したそうです。(『はじめて読む聖書』)

神は存在しない。神が存在するなぞと思うな。ただ、古代や中世で神を信ぜざるをえなかった人たちの心は理解しようではないか。
クリスチャンが考えている神は人によって全然違う。
神とはそれぞれの人間が勝手にでっちあげるイメージだから、それならむしろ、神なんぞ存在しないと言い切る方がクリスチャンらしいじゃないかということです。


田川建三氏は無神論というより不可知論だそうです。

私が不可知論と言うのは、知らないことについては、とことんまで何も言うな、ということです。少なくともその方が謙虚だと思います。わからない巨大な無限なものが向こうに広がっているというんだったら、正直に、その先はわからないのです、と言って、あとは黙って頭を下げればいいじゃないですか。

意味づけをしないということだと、勝手に解釈しました。

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テッド・チャン『あなたの人生の物語』(1)

2017年11月10日 | 


フィリップ・K・ディックの小説には、他の人がはたして人間なのか、それともアンドロイドなのか、さらには自分もアンドロイドで、記憶を植えつけられて人間だと思っているのではないか、ということをテーマにしたものがあります。

フィリップ・K・ディックの小説が原作の『ブレードランナー』も、人間とは何か、アンドロイドとの違いは何かという実存的な問題提起がなされています。
『ブレードランナー 2049』はレプリカントと人間の違いがもっと曖昧になっていて、もし続編が作られるとしたら『ターミネーター』の未来の世界のようになるんじゃないかと思います。

『ブレードランナー 2049』の監督であるドゥニ・ヴィルヌーヴの作品はいずれも哲学的な問題がテーマとなっています。

『メッセージ』もそうで、原作はどんなんだろうと思い、テッド・チャン『あなたの人生の物語』を図書館で借りました。
9篇の中短編は、いずれも哲学的、宗教的です。
3篇をご紹介。

「顔の美醜について」

カリーという美醜失認処置をつければ、美人とブスの違いがわからなくなる。
容姿よりも人間性や知性が大切にされる世界です。

ある大学で、新入生は恵まれない顔立ちの人びとに対する偏見、容貌差別への対応としてカリーをつけなければいけないという議案が提唱される。
この議案には過半数の生徒が支持していたが、化粧品業界が後ろにいる団体のスピーチの影響で、議案は否決される。
このスピーチはデジタル操作が行われており、視聴者の感情的反応を最大化し、効果を増大するために、声の抑揚、顔の表情などを調整するソフトが使われていた。

まず問題となるのはメディアによる情報操作、洗脳ということです。
たとえば、ロシアがツイッターやフェイスブックを利用してアメリカの大統領選挙に介入したことによってトランプが当選したという疑惑。
あるいは、ネトウヨのコメントには自民党からお金が出るという話。
http://tocana.jp/2017/09/post_13806_entry.html

会社の新入教育でも、社是を大声で言わせ、「声が小さい」と怒鳴っては何度も繰り返させるそうですが、これは一種のマインドコントロールです。

長時間のサービス残業をしたり、上司からパワハラを受けたり、さらには会社のために法律に触れることもしても、それがおかしいとは思わなくなるのも洗脳の一種です。

そして、美醜についての偏見、差別という問題。

ユニリーバがFacebookで公開した、黒人女性が着替えると白人女性に変身するという「Dove(ダブ)」の動画が炎上したので、削除して謝罪しています。
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1710/10/news118.html



考えてみると、ロゼット化粧品のCM「白子さんと黒子さん」だって似たようなもんです。


https://rosette.jp/u/cafe/story03.php

私たちは人や物事を偏見なしに見ることができません。

見た目で判断しがちで、美人だったら欠点を見逃すこともあります。
顔に自信のない人は行動にも自信のなさが表れます。

グレアム・グリーン『情事の終り』に、生まれつき顔に赤アザがある男が出てきますが、カリーがあれば誰もアザを気にしないわけで、この男が無神論者になることもなかったでしょう。

差別、偏見をなくすためには美醜が分からないほうがいいような気がします。

でも、美人画を見ても何とも思わなかったり、マリリン・モンローがセックスシンボルでなくなるというのも寂しい話です。

「あなたの人生の物語」
ネタバレになるんですが、
宇宙人の言語を学んだ主人公は過去や未来を現在と同じように体験することができるようになる。

秋吉輝雄氏(『はじめて読む聖書』)によると、ヘブライ語は過去・現在・未来の区別がない、時制のない言葉だそうです。

ユダヤ教の時間では、起こったことは全部、起こったことであると同時に起こりつつあることで、天地創造の物語も、神のなさった過去の偉大なる御わざというよりは、いままさに眼前で行われている感じだとのこと。
「あなたの人生の物語」の時間論というか、宇宙人の感覚はこれなのではないかと思いました。

主人公は娘が生まれ、そして25歳で死ぬことを知っている。

死ぬことが分かっていながら、子供を産む。

主人公は子供がいない現在と子供がいる過去を同時に生きているので、この選択はありです。

しかし、そういう芸当のできない私たちが、未来がどうなるか分かって、その未来の中には子供が死ぬというようなこともあって、それでもその未来を選ぶかどうか。
これは、子供との25年間を選ぶか、子供そのものが存在しない世界を選ぶか、ということでもあります。
これまた難問です。

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黒川祥子『誕生日を知らない女の子』

2017年08月29日 | 

黒川祥子氏は、虐待を受けた子どもは児童相談所によって保護され、親から離されたら、それで問題は解決すると思っていたそうですが、私もそのように思っていました。
『誕生日を知らない女の子』を読み、それは大きな間違いだということを知りました。

黒川祥子氏は「あいち小児保健医療総合センター」の杉山登志郎医師と新井康祥医師に話を聞きます。

杉山医師「虐待を受けた子どもは、とにかく問題行動をひっきりなしに起こす。そして自信の弱さが外に出て、イライラが募ると暴れてしまう。つまり、虐待的な対人関係を繰り返すのです」

虐待は後遺症が残る。

新井医師「虐待を受けた子は怒りや恐怖など、さまざまな感情に蓋をしているのですが、保護されて警戒が緩むと、蓋が開くんです。そうすると陰湿ないじめをしたり、激しい暴力衝動が抑えられなくなったりするんです。友達がいなくなるとわかっているのに、暴力の衝動が止まらなくなって、本気で取っ組み合いをしてしまうとか。
明らかに体格が違っていても、弱肉強食で生きてきた子たちですから、普通に小学校低学年が中学生をおどしますよ。生き抜くことしか考えられない環境で生きてきたので、たとえはよくないと思いますが、まるで動物の縄張り争いです。小学校一年でも二年でも、生きるために縄張りを作ろうと必死でやってますよ」


厚労省の統計では性的被害は3%だが、「あいち小児保健医療総合センター」の診察の内訳では17%ぐらい。

新井医師「性被害を受けた子どもはスイッチが入ってしまうと、自分も性的な行動をすることがよく見られます。性的な発言や自慰行為、性行為に至ることも珍しくありません。それが性化行動です。
たとえばこの柱の陰とか壁の裏とかで、ぱっとやってしまうんです。あらかじめお互いに話をしてあるからできるんでしょうね。柱の陰でさっとパンツを脱いで、『できた』『できなかった』って戻ってくる。これは、児童養護施設ですごく困っていることです。
小学校低学年でも性的な興奮は感じるので、性被害を受けた子は養護施設の中でも性行為をやってしまうんです」


虐待によって脳に変化がもたらされることがあるそうです。

杉山医師「子ども虐待の対応が後手に回ってうまくいっていないのは、子ども虐待がもたらす後遺症の見立てが甘いところに原因があります。複雑性トラウマというのですが、これは脳に器質的な変化をもたらします。画像などではっきりわかります。非常に重い後遺症が出ているわけだから、薬物療法と生活療法、それと心理療法を組み合わせて治療していくしかないんです」

生まれつき発達障害でなくても、虐待により大脳のさまざまな領域に機能障害が引き起こされることで、ADHD的な行動に出るなど、広汎性発達障害のように見えることもある。

新井医師「子どもが大人ぐらいの量を飲んでも、ふらつきもせず平気なんです。それどころか、『眠れないから薬をください』とも。被虐待児は、いつ殴られるかという警戒警報が二十四時間鳴りっぱなしの中で生きてきたので、頭の中がずっと過覚醒。すべての刺激にものすごく敏感になっていて、ちょっとの量では鎮静がかからないんです」


とはいえ、虐待をする親を断罪すればいいというものではありません。
佐藤喜宣氏によると、子どもへの虐待で一番精神的にダメージが大きいのは性的虐待ですが、「あいち小児保健医療総合センター」では、診察室にやってくる被虐待児の親の多くが「未治療の被虐待の既往」を持っており、とりわけ深刻なのが性的虐待により後遺症なのだそうです。
カルテを作った親の63%が性的虐待の被害があり、解離性同一性障害(いわゆる多重人格)という診断名がついたケースは42%にも及ぶ。
親も被害者だったわけです。

黒川祥子氏はファミリーホームの取材をします。

ファミリーホームは、養育者の住居において、5人から6人の要保護児童を育てていく制度だそうで、里親は個人という位置づけなのに対し、ファミリーホームは第二種社会福祉事業に分類される。
そんなのがあるとは知りませんでしたが、世の中にはえらい人たちがいるものだと感心しました。

『誕生日を知らない女の子』は、虐待を受けてファミリーホームで生活する4人の子供と、大人1人(自身が虐待を受け、自分の子供を虐待する)が取り上げられています。

虐待の後遺症がこれほどのものだとは思いもしませんでした。
ずっと以前、里親になろうかと思ったこともありますが、とてもじゃないけど私にはできないと思いました。

驚いたのが、児童養護施設の中には、子供の世話をあまりしない、すなわちネグレクト状態の施設があるということ。

職員による体罰や、子供同士の暴力、そして生活習慣、一般常識を教えない。
風呂に入っても身体の洗い方、頭の洗い方を知らなかったり、ウンチをした後に尻を拭くことを知らなかったり、熱いお茶の冷まし方(水を入れたり、フウフウして冷ましたり)を知らなかったりなどなど。

「厚生労働省は7月31日、虐待などのため親元で暮らせない子ども(18歳未満)のうち、未就学児の施設入所を原則停止する方針を明らかにした。施設以外の受け入れ先を増やすため、里親への委託率を現在の2割未満から7年以内に75%以上とするなどの目標を掲げた。家庭に近い環境で子どもが養育されるよう促すのが狙い。」(毎日新聞2017年7月31日)

https://mainichi.jp/articles/20170801/k00/00m/040/119000c
しかしながら、ネットによると、ファミリーホームや里親による虐待も少なくないようです。
http://child-abuse.main.jp/jian.html

虐待の連鎖をなくすためにも、虐待を受けた子供をどのようにして回復させるか、これまた難しい問題だとため息が出ました。

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