『須恵村の女たち』はロバート・J・スミスがエラ・ルーリィ・ウィスウェル(夫ジョン・エンブリーの死後、再婚してウィスウェル姓)の日録をもとに、ジョン・エンブリー『須恵村 日本の村』を参考にして書いた本です。
ジョン・エンブリーは性についても以前とは変わっていると書かいています。
夜這いや婚前交渉、女性の浮気など減っており、これも国や村の政策が影響している。
ところが、エラが10歳から23歳まで日本で生活していたので日本語が堪能だったためか、『須恵村の女たち』を読むと、性について女性があけすけに語っているように思われます。
寡婦はちょっとした贈り物をすれば近づきやすいと考えられている。
寡婦は性的には自由であり、隣人の冗談の対象であり、冗談を言い合う関係にある。
通ってくる既婚者や若い男が何人もいる寡婦がいるし、男好きと揶揄される女も。
村では愛人を囲うとか免田村の芸者屋に通う余裕のある人は多くない。
部落の寡婦はこの問題の解決策の一つである。
ジョン・エンブリーは性についても以前とは変わっていると書かいています。
夜這いや婚前交渉、女性の浮気など減っており、これも国や村の政策が影響している。
ところが、エラが10歳から23歳まで日本で生活していたので日本語が堪能だったためか、『須恵村の女たち』を読むと、性について女性があけすけに語っているように思われます。
寡婦はちょっとした贈り物をすれば近づきやすいと考えられている。
寡婦は性的には自由であり、隣人の冗談の対象であり、冗談を言い合う関係にある。
通ってくる既婚者や若い男が何人もいる寡婦がいるし、男好きと揶揄される女も。
村では愛人を囲うとか免田村の芸者屋に通う余裕のある人は多くない。
部落の寡婦はこの問題の解決策の一つである。
妻妾同居の家もあった。
妻の浮気も珍しくない。
再婚や離婚はごく普通で、10回結婚した女もいる。
電気がなかったころは、若者が家族にわからないようにお手伝いの部屋に入るのは簡単で、男が寝床に潜り込むまで娘が気づかないこともあった。
男は手ぬぐいで顔を覆っているので、誰だかわからない。
ところが、電気のある家は灯りがつけっぱなしで、秘め事を難しくしている。
しかし、夜這いが続いているのも事実。
娘が妊娠したら、親は子供が生まれる前に結婚させようとする。
妊娠した娘は下の階層の男と結婚することになる。
寡夫と結婚する娘も多い。
1935年には以前よりも未婚の若い女性が結婚前に性関係を持つことはあまり見られなくなったし、私生児も少なくなった。
1903年(明治36年)の婚外子の割合は9.4%で、1943年(昭和18年)の4.0%の2倍強。
https://x.com/danjokyoku/status/1552834728163971072/photo/1
1903年(明治36年)の婚外子の割合は9.4%で、1943年(昭和18年)の4.0%の2倍強。
https://x.com/danjokyoku/status/1552834728163971072/photo/1
道徳的になった理由の一つは学校教育。
純潔を保たねばならないという教育を受けている。
若い男は売春宿や料理屋があるので、村の女の子を追いかけない。
離婚も減った。
1883年(明治16年)の人口1000人あたりの離婚率は3.39で、2020年(令和2年)の約2倍。
1935年の離婚率は0.70。
夫が大酒飲み、暴力を振るう、姑との折り合いが悪いなどで、我慢の限界を超えると離婚した。
以前は離婚しても簡単に再婚できた。
それは労働力を必要としていたから。
離婚が減ったのは、持参金の額が大きくなり、結婚式の費用も多額になったから。
昔は5円で結婚できた。
5円あれば料理屋や売春宿で女を買える。
今は結婚に多額の金がかかるので、離婚する前に考えることになる。
結婚の年齢が高くなったこともある。
以前は女性が十代で結婚するのは普通だった。
エラ・エンブリーは1951年と1968年、1985年に須恵村に再訪しています。
1950年に死んだジョン・エンブリーの追悼会が1951年に行われ、エラが出席しました。
宴会は1935年の時と全く同じだった。
どんなふうだったかというと、宴会で歌と踊りを楽しんでは、午前さまになることもしばしば。
性行為に関する冗談と、それを真似た踊りは頻繁に行われる。
宴会での既婚の女の踊りには性的な特徴がある。
歌に合わせて性交の真似や誇張をするのは、女性の性的な感情の表現である。
女たちは猥談と噂話が好きで、煙草、酒、性に楽しみを見いだしていた。
一晩に2回は普通、5分で最高潮に達する、など。
田植えでは卑猥な冗談で笑い声が出る。
1951年の宴会もこんな感じだったのでしょうか。
しかし、1968年には全く違っており、村人は礼儀正しくなった。
しかし、1968年には全く違っており、村人は礼儀正しくなった。
戦前の農村は江戸時代と変わらない生活だったと、杉浦正健『あの戦争は何だったのか』にありますが、まったく変わらないということはあり得ません。
全国どの村も少しずつ変化しているのでしょう。