三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

カー問答

2022年09月26日 | 

平凡社『国民百科事典』の「探偵小説」の項に、中島河太郎が選んだ日本と外国のベスト100がありました。
推理小説の歴史で重要な作家、作品を中心に選ばれています。
ジョン・ディクスン・カーは『ユダの窓』と『皇帝のかぎ煙草入れ』です。
カーは多くの人が論じ、ベストを選んでいます。
江戸川乱歩の「カー問答」はカーのファンに大きな影響を与え、何人もが「カー問答」を書いています。

江戸川乱歩「J・D・カー問答」(「宝石」(1950年8月号、『続・幻影城』所収)
第一位
『帽子収集狂事件』
『プレーグ・コートの殺人』
『皇帝のかぎ煙草入れ』
『死者はよみがえる』
『ユダの窓』
『赤後家の殺人』
昭和29年5月の追記に『火刑法廷』を、第一位の作品群に加えてもよいと思うと書いています。
第二位
『三つの棺』
『白い僧院の殺人』
『読者よ欺かるるなかれ』
『夜歩く』
『曲がった蝶番』
『死時計』
『アラビアンナイトの殺人』
第三位
『孔雀の羽根』
『弓弦城殺人事件』
『一角獣の殺人』
『殺人者と恐喝者』
『猫と鼠の殺人』
『死が二人をわかつまで』
『仮面荘の怪事件』
『絞首台の謎』
『蝋人形館の殺人』
『盲目の理髪師』
第四位
『髑髏城』
『毒のたわむれ』
『剣の八』
『パンチとジュディ』
『青銅ランプの呪』
『青ひげの花嫁』
「カー問答」を書いた時点でカーの長編は合作も含めて49冊、乱歩はそのうち29冊を読んでいます。

第四位だからつまらないかというとそうでもない。
カーのそんな不思議な魅力を大勢が論じています。

松田道弘「新カー問答」(『とりっくものがたり』1979年)
第一位
『火刑法廷』
『緑のカプセルの謎』
『貴婦人として死す』
『爬虫館の殺人』(『爬虫類館の殺人』)
『ビロードの悪魔』
『喉切り隊長』
いずれも乱歩が読みのこした19冊から。

瀬戸川猛資・松田道弘「新々カー問答」(ミステリマガジン1993年5月号)
一般ファン向けベスト5
松田道弘
『火刑法廷』
『三つの棺』
『緑のカプセルの謎』
『プレーグ・コートの殺人』
『ユダの窓』

瀬戸川猛資
『ユダの窓』
『火刑法廷』
『緑のカプセルの謎』
『ビロードの悪魔』
『読者よ欺かるるなかれ』

好事家向け(ある程度カーを読み込んだ人、カーは読んでないけど推理小説は大量に読んでいるというような人向け)
松田道弘
『九つの答』
『時計の中の骸骨』
『五つの箱の死』
『墓場貸します』
ばがばかしいというのでは
『読者よ欺かるるなかれ』
『魔女が笑う夜』

瀬戸川猛資
『火よ燃えろ!』
『死人を起こす』(『死者はよみがえる』)
『爬虫館の殺人』(『爬虫類館の殺人』)
『魔女が笑う夜』
『アラビアンナイトの殺人』(『アラビアン・ナイトの殺人事件』)

瀬戸川猛資「ジョン・ディクスン・カーが好き」(『夜明けの睡魔』)でもベストを選んでいます。
カーの代表作
『火刑法廷』
2番目
何を持ってきてもよろしい。
『三つの棺』
『修道院殺人事件』(『白い僧院の殺人』)
『ユダの窓』
『読者よ欺かるるなかれ』
『緑のカプセルの謎』
『火よ、燃えろ!』
『ビロードの悪魔』
奇妙な愛着を感じる場合
『五つの箱の死』
『魔女が笑う夜』

芦辺拓・二階堂黎人「史上最大のカー問答」(二階堂黎人『名探偵の肖像』1996年)
芦辺拓
正統的なベスト
『火刑法廷』
『三つの棺』
『緑のカプセルの謎』
あと選ぶとして
『赤後家の殺人』
『皇帝のかぎ煙草入れ』
『帽子収集狂事件』

二階堂黎人
『三つの棺』
『ユダの窓』は必ず決まり。
3番目が
『連続殺人事件』
『プレーグ・コートの殺人』
その他に
『夜歩く』
『白い僧院の殺人』
『赤後家の殺人』
『火刑法廷』『孔雀の羽根』
『曲がった蝶番』
『緑のカプセルの謎』
『囁く影』
これらはA級

『名探偵の肖像』に収録されている二階堂黎人「ジョン・ディクスン・カーの全作品を論じる」は少し違ってます。
カー初心者のためのお勧め本。
客観的に見たベスト(S級とA級)
S級(古典的名作、クイーンで言えば「X」、「Y」に相当)
『三つの棺』
『ユダの窓』
『プレーグ・コートの殺人』
A級(超傑作、ここに挙げられた作品から、S級を選んでもおかしくない)
『夜歩く』
『白い僧院の殺人』
『赤後家の殺人』
『火刑法廷』
『孔雀の羽根』
『曲がった蝶番』
『連続殺人事件』
『緑のカプセルの謎』
『囁く影』
B級(佳作級。S級とA級、そして、次のD級以外はみんな素晴らしい佳作である)
D級(やや面白みにかけるもの、珍品、でも面白い)
『絞首台の謎』
『盲目の理髪師』
『剣の八』
『エレヴェーター殺人事件』
『青銅ランプの呪』
『パンチとジュディ』
『亡霊たちの真昼』
『深夜の密使』
なぜかC級はありません。

霞流一「初心者のためのディクスン・カー入門」(2011年)
https://honyakumystery.jp/1323124945
カー初体験としてお勧めの本
『火刑法廷』
『三つの棺』
『囁く影』
『ビロードの悪魔』
『緑のカプセルの謎』
『貴婦人として死す』
『読者よ欺かるるなかれ』
バカ本
『魔女が笑う夜』
『震えない男』
『連続殺人事件』

山口雅也「結カー問答」(『貴婦人として死す』2016年)
江戸川乱歩と松田道弘のベストについてはほとんど異論はないが、それら以外にもいいのがまだありますよという前提で推挙してみたいのが、
『猫と鼠の殺人』
『孔雀の羽根』
『パンチとジュディ』
『四つの凶器』
『五つの箱の死』
『殺人者と恐喝者』

瀬戸川猛資、鏡明、北村薫、斎藤嘉久「ジョン・ディクスン・カーの魅力」(『ユダの窓』2015年)を読んで、ご都合主義、とってつけたようなハッピーエンド、アホなトリック、笑えないドタバタなど、それらはカーの魅力であり、笑って楽しめばいいことがわかりました。

松田道弘さんは「ためしに何人かのマニアがえらんだカーのベストテンをみてごらん。クリスティーやクイーンでは考えられないような選出作品のバラツキがでてくる」と書いています。
クリスティーやクイーンについても多くの人がこんなに熱く語っているのでしょうか。
読んでみたいです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

響野湾子

2022年09月19日 | 死刑

「年報・死刑廃止2013年 極限の表現 死刑囚が描く」を知人から借りました。
特集は死刑囚が死刑囚表現展に応募した文芸作品や絵画についてです。
池田浩士選「響野湾子詩歌句作品集」には心惹かれる歌がたくさんありました。
以下、無断引用です。

2006年
土壇場の明日あるかも知れぬ夜に命いとひて風邪薬飲む

2007年
刑死まで一度は見たし区切り無い月に太陽満天の星空

2009年
あの青き空を切り取り独房の暗きに貼りて置きたしと思ふ
神様・神様・神様僕はなぜ殺人者なぞになったんだろう
刑死者の住まひし部屋を半年余空房にしてまた人の住みをり
我が刑死待ちて望みし人ありて慎める事慎みて生く
定年の看守は死囚の我れの手を狭き食器孔より握りて去れり
死囚の我に規制設けて来し手紙出所時交付と告げられにけり
贖罪てふ都合のいと良き言葉あり馴々しげな甘き言葉よ
最後かも知れない夜に抱かれて「人」に逢ひたし「人」に逢ひたし
この星の裏側にある大地には違ふわたしが居そうな気がする
あれ程に忌嫌しが恋しがり満員電車の人・人・人波
一条の煙りとなりて去る時はわずかばかりの雨降ればよし
獄中に三千余人住みしてふ我れに一人の話し相手無けれど

2010年
獄中に内職を得て折る紙袋(ふくろ)世の買物に使われるは嬉し
独房に月の駱駝を隠しいて旅する時を静かに待ちをり
硝子より脆き心を隠し持ち生きねばならぬ処殺来るまで
ゆくあての無き鬼もゐて鬼は外
天の川漕ぎ去る人の背の淋し

2011年
万余もの亡くなりし震災を天罰とのたまふ知事は死刑存置者
忘却を望み生きれと染み付きし殺人者の血身に流れけむ
交流のとぼしき我を気づかひて「巨人負けたぞ」と語り来る看守
綺麗事の精神論で刑を説く看守は我の瞳(め)を見ずに説く
若き日の我れの夢なぞ聞きに来る看守も居りてなごむ日のあり
我が帰り疑ひ持たず母はまだ古き背広を取りてあるらし
山川が幾重にあれど赦されば歩きても帰らむ古里という地に
「殺される」事の無き日の元旦に初湯をもらふすみずみまで洗ふ
ほぼ歩くことの無き日の牢獄に足裏の皮はうすくなりけり

2012年
看守の瞳(め)盗みて独房(へや)に持ち込みぬ鉢の土塊ひと日嗅ぎをり
思ひ切り放れるボール一つ欲し夢書きつらぬ獄外(そと)に放らぬ
我が刑を忘すれし母の認知症神の救くひと思ひて会ひをり
生きし事の全て厭わし時ありて遺書なぐり書く独房(へや)の暗きに
覚悟らしき思ひはあれど刑のあれば夕食の手の箸の震へり
「穀潰し」「人非人」よと罵りぬ定年で去りし刑吏も懐つかし
我に来る死の訪ずれ取り置きぬ肌の通さぬ下着一式
悟り得し顔して受けむ教誨の時こそ湧けり雑念と未練

響野湾子こと庄子幸一死刑囚は2019年8月2日に執行されました。
64歳でした。
今年、『響野湾子俳句集: 千年の鯨の泪櫻貝』が出版されています。
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784434304088

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ネトウヨと保守と右翼

2022年09月08日 | 日記

伊藤昌亮『ネット右派の歴史社会学』に、行動する保守」を名のる団体・個人がNHKやフジテレビなどに過激な抗議活動をしたことが書かれています。

保守とは何か。
保守と右翼は違うのか。
ネトウヨは保守なのか。

適菜収『安倍でもわかる保守思想入門』を読みました。
人間の理性に懐疑的であることが保守主義の本質。
人間の理性は完全であって、明るい未来が描けるという考えは保守ではない。
人間は合理的には動かないし、社会は矛盾を抱えて当然だという前提から出発する。
保守は人間が不完全であり、人間の理性や知性には限界があることを認めるから、この道しかないという言い方を保守政治家はしない。
保守は安易な解決策に飛びつかない。
理性的に考えれば、理性で解決できないことのほうが多いことに気づく。

リベラルや左翼は理性を信頼する。
きちんと論理的な思考を積み上げていけば正解にたどり着くと信じている。
理性の拡大の延長線上に理想社会を見いだそうとする。

保守主義者は理想を示すものではない。
保守は左翼のように自由や平等を普遍的価値と捉えない。
自由の暴走はアナーキズムに行き着くし、平等の暴走は全体主義に行き着く。
保守主義は特定のイデオロギーを警戒する。
非常識な人がいたら、「非常識だ」と注意する。
乱暴な人がいたら、「乱暴はやめろ」と警告する。
それが保守であり特定の理念を表明するものではないから、保守は思考停止を戒める。

保守と右翼は直接関係ない。
復古主義や右翼は過去の一時期に理想を見いだす動きである。
理想主義という面においては、理想郷を未来に設定する左翼とそれほど変わらない。

保守が過去を重視するのは、未来につなぐため。
伝統の重視は過去の美化ではない。
保守は伝統に培われた常識を大切にし、非合理的に見える伝統や慣習を理性により裁断することを警戒する。
伝統とは、人間の行動、発言、思考を支える歴史的に培われた制度や慣習、価値観のこと。
保守が伝統を重視するのは、個々の事例における先人の判断の集積と考えるから。

原理主義と右翼について中島岳志さんの説明。(「真宗」2017年3月号)
原理主義あるいは復古主義は、古代は素晴らしかったが、その後、外国から入ってきて駄目になった、元に戻ろうという思想。
過去の人間も、現在の人間も、未来の人間も不完全である以上、過去のある一地点に回帰したところで、それは過去の問題に直面するだけである。

保守が立脚すべき立場は、どこかの時代を絶対化、理想化することではない。
人間が不完全である以上、その人間によって構成される社会も不完全だから、昔に戻っても何も解決しない。
未来の人間も不完全なら、未来には未来の問題があるから、未来も絶対ではない。
完成された時代など存在しないから、どの時代も絶対化できない。

保守は何も変えないのではなく、保守するために変わらなくてはならないという立場。
世の中が推移していくので、大切なものを守るために変わっていかないといけない。
ただし、一気に変えようとしてはならない。
伝統や慣習に謙虚になりながら、漸進的に変えていこうというのが保守思想。

伊藤昌亮『ネット右派の歴史社会学』に書かれている右翼の歴史の要約。
明治以降、右翼は反体制的・革新的な勢力として保守に対抗する側に位置づけられた。
反体制派が、民族の立場から近代化に反対する右翼と、階級の立場から反対する左翼に分かれ、真ん中の保守を左右から挟撃するという構図である。

ところが、戦後、右翼団体はアメリカの反共政策のもとで左翼勢力の伸張を抑え込もうとする保守政権と結びつき、反共活動の尖兵として左翼を弾圧する側になる。
右翼団体は保守政権や財界と結びつき、天皇中心主義や国粋主義などを標榜しながら、親米反共の旗印を掲げて活動するようになった。

70年安保の前に登場した新右翼は民族派と称し、反米反ソの立場だった。
その後、再び保守と連帯し、体制的・保守的な勢力として左翼と対抗する。
日本では権力に追従するのが保守ということになっている。

樋口直人『日本型排外主義』による、既成右翼の特徴。
既成右翼に関する代表的な研究は、天皇制に象徴される権威主義的な伝統主義と反共主義を戦後日本の右翼イデオロギーとしている。

①天皇および国家に対する絶対的忠誠
②共産主義、社会主義またはこれに同調する勢力への反対、警戒
③理論よりも行動の重視
④民族的伝統、文化の護持と外来思想、文化への警戒
⑤義務、秩序、権威の重視
⑥民族的使命感
⑦命令系統における権威主義
⑧家族主義的全体主義
⑨保守的傾向
⑩家父長的人間関係
⑪インテリ層に対する警戒
⑫一人一党的傾向
⑬少数精鋭主義
ところが、天皇を中心とする復古主義は古くさすぎて興味を持てない人が増えた。

物江潤『ネトウヨとパヨク』によるネトウヨとパヨクの定義は、「強い政治的主張をもつ対話できない人」です。
「保守・リベラル」と「ネトウヨ・パヨク」との違いは、対話が可能かどうか。
ネトウヨと保守は本来相容れないように思われます。

渡辺靖「アメリカニズムと不寛容社会」(たばこ総合研究センター編『現代社会再考』)にこんなことが書かれています。
今の日本社会は、コミュニティーの関係が薄くなり、個人が孤立化している。
その一方で、付和雷同的な傾向がある。
つながりから解放されると、一人ひとりは自立しているが、孤独な個人となってしまう。
周囲に頼れる人がいない、そういう社会では、隣人でさえ信頼できず、多数派や国家権力に自ら進んで服従していく。
孤独になっていくベクトルと、特定の多数派や権力にすがっていくベクトルが矛盾しない。

バブル崩壊後30年以上も経済停滞が続き、格差は拡大しているということもあり、排外主義の声が高まって極右政党が支持を広げています。
これからの日本、どうなるのか心配です。

渡辺靖さんの、信頼と寛容はセット、信頼してるから寛容になれるという言葉、そのとおりだと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする