三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

2019年キネマ旬報ベストテン予想

2019年12月31日 | 日記

いつものようにキネマ旬報ベストテンを予想してみました。
まずは邦画から。

『新聞記者』
『宮本から君へ』
『火口のふたり』
『よこがお』
『ひとよ』
『蜜蜂と遠雷』
『半世界』
『愛がなんだ』
『旅のおわり世界のはじまり』
『岬の兄妹』
1位と2位は政治的な意味がちょっとあります。

10位以降。
『さよならくちびる』
『天気の子』
『凪待ち』
『楽園』
『タロウのバカ』
『町田くんの世界』
『長いお別れ』
『男はつらいよ お帰り 寅さん』
『カツベン!』
『空母いぶき』

『台風家族』
『閉鎖病棟』
『ニッポニアニッポン』
『殺さない彼と死なない彼女』
『僕はイエス様が嫌い』
『ウィーアーリトルゾンビーズ』
『ホットギミック ガールミーツボーイ』
『惡の華』
『翔んで埼玉』

では洋画を。
『運び屋』
『ジョーカー』
『存在のない子供たち』
『ROMA/ローマ』
『COLD WAR あの歌、2つの心』
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』
『家族を想うとき』
『アイリッシュマン』
『グリーンブック』
『女王陛下のお気に入り』

『ブラック・クランズマン』
『スパイダーマン: スパイダーバース』
『帰れない二人』
『象は静かに座っている』
『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』
『バイス』
『バーニング 劇場版』
『ボーダー 二つの世界』
『サタンタンゴ』
『イメージの本』(ゴダールの作品はなぜか上位にくるので)

『真実』
『トイ・ストーリー4』
『ブラインドスポッティング』
『ビール・ストリートの恋人たち』
『荒野にて』
『THE GUILTY/ギルティ』
『天才作家の妻 40年目の真実』
『マリッジ・ストーリー』
『サンセット』
『国家が破産する日』
『ピータールー マンチェスターの悲劇』

洋画はまだまだたくさんあります。
はたしてどれだけ当たっているでしょうか。



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ボー・バーナム『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』

2019年12月27日 | 映画

クールとは、「イケてる」「カッコいい」ということ。
14歳のケイラは、Youtubeに自分のチャンネルを作り、「自分らしくなるには」「自信を持つには」といった自己啓発的なメッセージを発信しています。
しかし、視聴する人もチャンネルに登録する人もほとんどいない。

現実のケイラは、生徒同士の投票で「学年で最も無口な子」賞に選ばれるような子で、学校には話をする人もいないようです。
イケてないわけです。

同級生の誕生日の水着パーティーにしかたなく行きます。
お腹はぼてっとしてて、水着から肉がはみ出てる。

ボー・バーナム監督はケイラのイタい水着姿を強調して撮っています。

それでも、学校でその同級生の女の子に話かけますが、まるっきり無視。
スクールカーストの最底辺なわけで、見ててつらくなります。

『エイス・グレード』のHPには、オバマ前米大統領が2018年の年間ベスト映画に選出、モリー・リングウォルドは「思春期を描いた映画の中で、過去最高かもしれない」と大絶賛しているとあります。

オバマ前大統領やモリー・リングウォルドの中高生時代がケイラみたいだったとは思えませんが、学校が楽しくない、親しい同級生がいないという学生生活を過ごした人は多いのかもしれません。
クールでなければならない、しかし私はクールではない、ダメ人間だと思って、しんどい思いをしている人が少なくないのでしょう。

ケイラは父親と2人暮らし。
父親は干渉しすぎではありますが、娘をとにかくほめる。

6年生の時のタイムカプセルには2年後の私へのメッセージがあり、学校を楽しみ、友達がたくさんいて、恋人もいるかも、という自分の声を聞く。
現実はまったく違ってる。
ケイラはそのタイプカプセル、つまり夢と希望を燃やしてしまいます。

タイムカプセルを燃やしながら、父親に「私が母親になって、娘が私みたいだったら悲しいと思うだろう」と言ったら、父親は「ケイラのような子がいて幸せだ」とか、「誇りに思っている」とか言ってほめまくる。
100%受け入れているわけです。
それで『エイス・グレード』の終わり方もすんなり納得。

池谷裕二『できない脳ほど自信過剰』に、しつけについてこんなことが書かれています。
たとえばドアを開けることは、開けないと外に出れないから、イヌやネコもドアを開ける。
しかし、ドアを閉める行為は自然には身につかない。
ドアを閉めることはマナーだから。
おもちゃを片付ける、歯を磨く、挨拶をするなどを身につけるためには、人に「こうしなさい」と教えてもらわないといけない。
だから、しつけは必要。

しつけには「ほめる」(強化)と「叱る」(弱化)の2つの方法がある。
① ほめるだけ。
② 時にほめ、時に叱る。
③ 叱るだけ。
どれが一番効果があるか。

ネズミを使った実験で、迷路を右に行くようにネズミに学習させるため、右の道の先にチョコレートを置く方法(強化)と、左に進んだら電気ショックを与える方法(弱化)を行う。
結果は、チョコレートを使うだけの場合がもっとも学習成績がいい。
次が強化と弱化、チョコレートと電気ショックの組み合わせ。
電気ショックだけだとほとんど学習できない。
叱ると、探索しようという意欲、つまり自発性が減ってしまう。
人間の感情とネズミの実験とを一緒にしてはいけませんが、ほめることの大切さを思いました。

もう一つ、8年生ということは中学2年なのに、来年度は高校に入るとはどういうことなのかと不思議に思いました。
ネットで調べると、アメリカの小中高は学区によって異なっているが、一般的には6・2・4制で、1年から5年までが小学生、6年から8年が中学生、9年から12年が高校生なんだそうです。

ケイラ役のエルシー・フィッシャーのインスタグラムを見ると、そんな太っているようには見えません。
『エイス・グレード』のためにクリスチャン・ベールのように肉体改造したのでしょうか。



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若宮健『なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか』

2019年12月19日 | 

ずっと以前はパチンコに時々行ってましたが、機種がフィーバーになり、あっという間に玉がなくなってしまうようになってからは足が遠ざかってしまいました。
今はやり方すらわかりません。

韓国では2006年にパチンコを禁止したことを知り、それで若宮健『なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか』を読みました。
2010年の本ですから、今とは状況が違っているかもしれません。

パチンコといっても、韓国ではメタルチギといい、日本の中古パチンコ台を輸入して、盤面と液晶はそのままで、クギは根本から切断してある。
メダルを台の中央部に設けられた皿に流し込んでスタートボタンを押し、大当たりになると商品券が出る仕組み。
ネットでメタルチギの画像を見ることはできますが、どういう仕組みになっているかチンプンカンプンです。
http://kyoumomake.blog.fc2.com/blog-entry-880.html

2006年8月、韓国ではパチンコによる依存症の危険性を認識して禁止に踏み切り、パチンコ台を約100万台没収した。

韓国が健全なのは、被害が多くなれば迅速に対処する誠意を持っていることである。対処するスピードが日本と比べたら格段に速い。パチンコも、あっという間に禁止してしまった。


人口が日本の半分の国で、日本と同じくらいの店数があった。
禁止になる前は、認可を受けた店だけでも全国で1万5000軒はあり、無認可の店を含めると2万軒はあったという説もある。
一方で、パチンコがらみの自殺や犯罪が増えて社会問題となった。

2006年、不当な高配当が出るように変造した機械の許認可、禁止されている換金行為をめぐる贈収賄事件が発覚し、当時の盧武鉉大統領の甥の関与が疑われ、野党やマスコミによるパチンコ批判が高まった。
8月に警察庁がパチンコ台の一斉撤去の命令を通達し、同年中にはほぼすべてのパチン台が撤去された。
2007年には、ゲーム機(パチンコ台)の製造・販売業者も逮捕起訴され、実刑と、販売で得た金の没収を命じる判決を下している。

韓国がパチンコを禁止したことによる経済効果は、消費に対しては間違いなくあった。
ゲームセンターの売り上げが約3兆円もあったのだから、禁止によって一般消費に3兆円が流れた。
特に車の販売額が伸びた。

ところが、韓国でパチンコが禁止されたことを報じた日本のメディアは皆無だった。
若宮健さんは、ギャンブル依存の問題は韓国よりも事件が多発している日本のほうが深刻だ、年金受給者、生活保護者、主婦、社会的な弱者がターゲットになっていると指摘しています。
韓国では、ゲームセンター(パチンコ店)利用者の42.7%が月収200万ウォン(約20万円)以下の低所得者。

日本のパチンコ店には「打ち子」というサクラがいて、打ち子の報酬は1日で1万5000円から2万円ぐらい。
角の目立つ台に打ち子を座らせ、ドル箱を20箱を積ませて、客をその気にさせる。
今は遠隔操作と顔認証システム。
遠隔操作はパソコンでできるので、経営者が自宅にモニターを設置して、自由に出玉を操れる。
顔認証システムとは、店の入り口にカメラを設置して、客の顔を検知すること。
顔画像をデータベース化し、他の店と共有すると、最近勝っているか、負けているかなど、正確な情報を知ることができる。
これじゃ客が勝つわけがありません。

パチンコの問題に、この国(日本)の政治、行政、マスコミの病根が凝縮されている。一言でいえば、「数千人の莫大な利益のために、数百万人を泣かせる行為」が、パチンコなのである。この国では、一部の人間の利益のために、法的には違法なバクチが、長年放置されてきたのだ。
日本のマスコミは、パチンコ依存症による犯罪が多発しても、ほとんど問題にすることはない。日本の新聞で、パチンコ業界を批判する記事は、ほとんど見ることはない。

ギャンブルがらみの事件、事故が絶えず、被害が大きなパチンコの問題に対して、正常な国であれば、韓国のようにマスコミがキャンペーンを張り、世論が共鳴し、政治家を動かし、パチンコ禁止に追い込んでいるはずである。
それなのに、韓国よりも事件が多発している日本では、マスコミからはパチンコを糾弾したり、禁止の声がほとんど上がらない。
パチンコ店が何事もなかったように営業でき、違法な賭博を放置している国は、世界中で日本ぐらいだろう。
若宮健さんの慨嘆はもっともです。

2009年1月のデータでは、年間の広告宣伝費の1位がトヨタで4845億円。
パチンコ機械大手のSANKYOの2010年3月期の広告宣伝費が67億9000万円。
パチンコ店の最大手のマルハンの2010年3月期の売り上げが2兆1209円。
広告収入がほしいマスコミにとって、パチンコ業界は大切なわけです。

パチンコの経営者を小作人とするならば、パチンコ台のメーカーが地主で、その上に悪代官という警察が君臨している。


警察だけでなく、行政全般がパチンコ業界に甘いようです。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/a334b95d32ceeb19213d3ca5d59a1de9

パチンコ店にATMを設置する店が多い。金融庁監督局では、ATMの設置場所について届出などは必要がないとしている。

違法な賭博場に、ATMの設置を認めるなどは、日本の常識が世界の非常識と言われても仕方がない。金融庁も警察も、関係する機関はすべて黙認なのである。
ATMまで設置して、国民をバクチ漬けにする国がまともな国とは思えない。


ソウルのCBS放送のプロデューサーの発言。

業界には、政治家からマスコミ、官僚たちがぶら下がっています。これまたお金です。お金が手に入るならば、マスコミも官僚も政治家も、国民の不幸を考えようとしません。


日本はカジノを解禁しました。
行政、民間、業者のいずれも金が儲かればいいという考えなわけで、これは原発と同じです。
2003年、韓国に江原ランドというカジノがオープンした。
「韓国速報」2008年10月14日の記事。

江原ランド開場以後、カジノ関連自殺者と路上生活者、および詐欺・窃盗が毎年増加し、売春まで行われるなど、社会的副作用が深刻化していることが明らかになった。


韓国がパチンコを禁止できて、なぜ日本はパチンコを禁止できないのかと思うし、ましてやカジノを公認するなんて狂気の沙汰です。
日本より韓国のほうがましなのかと思ってしまいます。

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森達也『i -新聞記者ドキュメント-』

2019年12月13日 | 映画

安倍首相の応援団と言われるジャーナリストの門田隆将さんがこんなツイートを。

https://twitter.com/kadotaryusho/status/1198129028097380352

首相が「自分主催の会」で誰を招いてもいいのでしょうか。
桜を見る会に反社会的勢力が出席していたことがわかりました。
今までなら、この時点で内閣総辞職してもおかしくないはずですが。

そもそも、予算が約1700万円で、毎年大幅に予算超過、今年なんか3倍強の約5500万円の支出。
どうして監査の時に問題ならなかったのか。
そして、招待者の名簿を短期間(会の終了後一週間とのこと)で廃棄するのも不自然。
他にもあれこれおかしいところはありますが、またうやむやのままになりそうです。

森達也『i』は東京新聞の望月衣塑子記者に取材したドキュメンタリー映画。
前川喜平さんが、安倍首相は国民をなめていると語っています。
そりゃそうです。

共同通信の世論調査によると、「桜を見る会」に関する安倍晋三首相の発言を「信頼できない」との回答は69・2%、「信頼できる」は21・4%なのに、安倍内閣の支持率は下がったといっても48・7%で、不支持率は38・1%。(共同通信11月24日)

参議院で安倍首相は「私は招待者の取りまとめ等には関与していない」と答弁しましたが、首相の地元事務所ぐるみの関与が明らかになると、「私の事務所が内閣官房の推薦依頼を受け、参加希望者を募ってきた。私自身も意見を言うこともあった」と答弁を変えています。
つまり、ウソをついたわけです。
こんな説明でも「信頼できる」という人が2割もいるのが不思議です。

とはいえ、モリカケ問題の政府の説明に納得していない人も3分の2でしたが、衆議院選や参議院選で、公明党の協力があるにしても、なぜか圧勝しています。
そんなんだから、安倍首相が国会を軽視し、国民をなめるのは当たり前です。

マスコミに期待したいところですが、『i』を見て思ったのが、官邸での記者会見で、望月衣塑子さんの質問に菅官房長官は仏頂面で、木で鼻をくくったような返答をしているのに、他の記者はなぜ突っ込んだ質問をしないのか、新聞社はなぜ抗議しないのか、ということです。

さらに驚いたのが、反社会的勢力の定義についてのニュース。

「反社会的勢力、定義するのは困難」答弁書閣議決定 「桜を見る会」巡る質問主意書に
 政府は10日、「反社会的勢力」の定義について「その時々の社会情勢に応じて変化し得るものであり、限定的・統一的な定義は困難だ」とする答弁書を閣議決定した。政府による「反社会的勢力」の過去の使用例と意味については「政府の国会答弁、説明資料などでの使用のすべての実例や意味について、網羅的な確認は困難」とした。(略)
政府は2007年に策定した「企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針」でこの言葉を用いている。初鹿氏はこの指針が反社会的勢力を「暴力、威力と詐欺的手法を駆使して経済的利益を追求する集団・個人」と定義していることに触れ、「異なる定義があるなら対応を変更する必要が生じかねない」と指摘。これに対し答弁書は「現在、企業は指針を踏まえて取り組みを着実に進めている」と、正面からは答えなかった。(毎日新聞2019年12月10日)

これでは警察が反社会勢力を取り締まることもできません。

第一次安倍政権で閣議決定した反社の定義を、第二次安倍政権が否定する。
国会の答弁でもそうですが、首相の都合が悪くなれば、すぐに前言を翻し、しかもそれが問題なく通用してしまうのが今の日本です。

河井案里参院議員の選挙事務所が運動員に法定の上限を超える3万円の日当を支払ったと報じられ、夫の河井克行法相は法務大臣を辞任しました。
運動員に3万円を払ってなかったら辞めるはずはありませんから、事実なのでしょう。
しかし、いまだに誰も公選法違反で逮捕されていません。
おまけに、夫婦そろって国会には欠席を続けています。
検察は何をしているのでしょうか。
https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=592237&comment_sub_id=0&category_id=256

知人と話していると、どうせいくら騒いでも、というあきらめムードがあります。
今の日本はどこかの独裁国家みたいなもんで、末期的症状を呈している気がします。



(追記)
共同通信社が12月14~15日に実施した全国電話世論調査によると、安倍内閣の支持率は42・7%、不支持率は43・0%で、不支持が支持を上回りました。
しかし、読売新聞社が12月13~15日に実施した全国世論調査で、安倍内閣の支持率は48%となり、前回11月15~17日調査の49%からほぼ横ばいだったそうです。

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「子どもと暮らしを守る公務が貧困を生む?」

2019年12月06日 | 日記

大学生1・2年生の「就職したいと思う企業・業種ランキング」アンケート調査で、地方公務員が1位だそうです。
しかし、公務員の仕事は厳しいようです。

精神疾患の休職率 児童福祉司、教員の4倍
 全国の児童相談所(児相)に勤める児童福祉司のうち、2018年度にうつなどの精神疾患で休職した人が、2・2%にあたる57人にのぼることが毎日新聞の調査で判明した。母数が違い単純比較はできないが、多忙とされる教員の精神疾患の休職率(0・55%、17年度文部科学省調査)の4倍にあたる。子どもを保護する際の保護者対応などに苦慮する心理的負担が背景にあるとみられ、専門家は「児童福祉司の人員増だけでは負担解消にはならない」と指摘する。(毎日新聞2019年11月27日)


弁護士会の「子どもと暮らしを守る公務が貧困を生む?」というシンポジウムに行ってきました。
チラシと講師の方たちのお話を私なりにまとめました。

児童相談所が察知しながら子供を救えない事件が繰り返し発生している。
子供を守るためには、児童虐待やDV被害者の発見、支援にあたる児童指導員、保健師、保育士、教員、スクールカウンセラー、DV相談員等の業務を充実させることが不可欠。

ところが、小泉内閣による2000年代の「聖域なき構造改革」以降、福祉や教育、男女平等をはじめとする生活関連の公務サービス予算は縮小傾向をたどった、
三位一体改革のため、税源のない地方自治体は財政難で人件費が出せないので、不安定雇用、低賃金で乗り切るため、職員を削減して非正規を増やした。
家事、育児、介護は家でしている仕事だから誰でもできる、給料が安くてもいい、という発想。
その結果、仕事の重さと待遇の悪さ、賃金の安さで人手不足、そしてサービスの悪化となった。

同時に公務員バッシングが続けられてきた。
公務員はいい給料をもらって生活が安定している、定時で帰れると思われている。
しかし、困った人の相談を受ける公務員も困った状態にある。

求められる公務サービスは増大し、そうした住民サービス、各種相談業務を非正規公務員が担うようになった。
負担過多(物理的・人的)、支援者の知識・経験不足など、支援を阻む要因があるが、非正規公務員の問題も原因の一つ。

総務省によると、2016年、臨時・非常勤職員の数は全国で64万人(女性が全体の約4分の3)で、2012年から約2万4千人増加した。
もっとも、総務省の調査にあがっていない人たちがいるので、実数はもっと多い。

非正規公務員は、最初は補助的な仕事をしていたが、今は担当業務の中心を担う。
家庭児童相談室は全国に855室あり、家庭児童相談員は1623人。
そのうち非正規公務員が93%で、女性が86%を占める。

そもそも家庭児童相談員は児童相談所の仕事を補完する軽微な相談だったが、2004年の児童福祉法の改正により、家庭児童相談員が主体的に児童虐待など、児童相談所が行なっていた業務を担うことになった。
子供の虐待通告を受けて、48時間以内の安否確認を含め、児童福祉司の仕事を引き受ける。

婦人相談員はもともとは売春婦の自立支援が仕事だったが、業務が拡大し、ストーカー被害やDV被害の支援も行うようになった。

スクールソーシャルワーカーは、生活困窮、児童虐待、不登校、イジメ、引きこもりなどの支援を行う。

非正規公務員は相談業務が多いが、話を聞くだけだから簡単な仕事だと思われている。
しかし、児童虐待、DV、生活困窮の問題は専門的支援が必要。
専門職の質の向上が求められ、関係の法律や施策、制度など学び、理解して把握しなければいけない。
しかし、非正規公務員は他県での研修が自己負担となる。

家庭相談員、児童相談員をしている講師は、365日24時間対応という激務なのに、手取りで12万円で、大卒の初任給を上回らないそうだ。
別の講師は10年間昇給なし、手当なし。

調理員は年に200万円未満で、おまけに時給なので夏休みは無給。
厚生年金や社会保険を引かれると、時給が安いから生活できない。
スクールソーシャルワーカーは各中学校に1人で、時給で働く。

非正規公務員を保護する法律がない。
専門家なのに使い捨てにされる。

2018年に導入された「会計年度任用職員」制度は、非正規公務員の処遇改善を目的としているが、「1年有期」の不安定な非正規公務員を合法化・固定化することになりかねない。
1年有期ではできない仕事もあるのに、いつ切られるかわからない。
担当者が変わると、相談者は同じ話を繰り返さないといけないし、信頼関係が築きにくい。

おまけに、苦情を上司に言ったら首を切られるかもしれないので言えない。
正規職員から「正規職員よりも仕事ができるようになってはいけない」「あなたの代わりはいくらでもいる」と言われることがある。

民間(会社)とは違い、公共は利益にならないことを行うのである。
ところが、たとえば保育所の民間委託にしても、民営化で給料が下がり、仕事量が増え、サービスが悪くなるくせに、働き手に過剰な負担を強いる。

先日、非正規公務員にボーナスが支給されるというニュースがありました。

非正規公務員にもボーナスを支給 47都道府県、来年度から
 非正規労働者の待遇改善を含む政府の「働き方改革」を背景に、47都道府県が来年度から、非正規の職員にもボーナスに当たる期末手当を支給することが1日、共同通信のアンケートで分かった。都道府県の非正規職員は2016年で13万8千人。年間の人件費は判明分だけで計約130億円膨らむ見通しで、国の財政支援を求める声が相次いだ。年末の政府予算編成で焦点の一つになりそうだ。
 改正地方自治法などが来年4月に施行され、市区町村も含め期末手当が支給できる。自治体全体の非正規職員は64万3千人。平均月給は17年度の事務職員で14万5千円。「官製ワーキングプア」とも呼ばれる。(共同通信2019年12月1日)
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松沢裕作『生きづらい明治社会』(2)

2019年12月01日 | 

松沢裕作『生きづらい明治社会』によると、都会での貧民の生活はこんな感じです。

長屋に住んでいても、布団を持たない世帯も珍しくない。
木賃宿の滞在者には家族連れもいて、10畳から15畳の大部屋に3~5家族が滞在していた。
毎日、布団を借りるより布団を買ったほうが安上がりだし、木賃宿より長屋を借りるほうがまし。
しかし、まとまったお金がないので、それができない。
少額のお金が入っては、毎日出ていくのが彼らの生活だった。
土木や建設の現場で働く日雇い労働者は、雨の日は仕事がないので、手持ちのお金があっても、その時に使いはたしてしまう。

明治23年(1890年)に施行された大日本国憲法には、憲法25条(「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」)に相当する条文はない。
生活が困難になってしまった人が国家から保護を受ける権利は、アジア・太平洋戦争以前の日本では保障されていなかった。

現代でも、アパートを借りることができず、ネットカフェで寝泊まりする人がいます。
アパートを借りるには保証人が必要だし、敷金・礼金もいる。
毎月の家賃を払うためには安定した仕事がないといけない。
食事にしても、外食よりも自炊のほうが安くつくが、一日中働いているから、買い物をして食事を作るという余裕がないので、外食に依存する度合いが高まる。
貧しければ貧しいほど、貯蓄の余裕がなくなり、あらゆるものを少額の現金でその都度購入しなければならなくなる。

生活保護へのバッシングがあります。
生活保護を受ける資格がある世帯の約80%は生活保護を利用していない。
不正に利用された生活保護の額は、生活保護として使われた金額の1%以下。

本当は、日本の生活保護制度の問題は、生活保護からこぼれてしまっている人の多さにあるのに、ごく一部の「ずるをして生活保護をもらっている人」のことばかりが注目されてしまっているのです。


松沢裕作さんは、「通俗道徳」という考えが我々に深く根づいていると書いています。
よく働き、倹約して、貯蓄さえすれば、人間はかならず一定の成功を収めることができる、人が貧困に陥るのはその人の努力が足りないからだ、という考え方のことを日本の歴史学界では「通俗道徳」と呼ぶ。

勤勉に働けば豊かになる。倹約をして貯蓄をしておけばいざという時に困ることがない。親孝行をすれば家族は円満である・・・。しかしかならずそうなるという保証はどこにあるでしょうか。勤勉に働いていても病気で仕事ができなくなり貧乏になる。いくら倹約をしても貯蓄をするほどの収入がない。そういう場合はいくらでもあります。実際のところ、個人の人生に偶然はつきものだからです。
ところが、人びとが通俗道徳を信じ切っているところでは、ある人が直面する問題は、すべて当人のせいにされます。

通俗道徳をみんなが信じることによって、すべてが当人の努力の問題にされてしまう。
ある人が貧乏であるとすれば、それはあの人ががんばって働かなかったからだ、ちゃんと倹約して貯蓄しておかなかったからだ、当人が悪い、となる。
自己責任ということです。

その結果、努力したのに貧困に陥ってしまう人たちに対して、人びとは冷たい視線を向けるようになります。そればかりではありません。道徳的に正しいおこないをしていればかならず成功する、とみんなが信じているならば、反対に、失敗した人は努力をしなかった人である、ということになります。経済的な敗者は、道徳的な敗者にもなってしまい、「ダメ人間」であるという烙印をおされます。さらには、自分自身で「ああ自分はやっぱりダメ人間だったんだなあ」と思い込むことにもなります。
これは支配者にとっては都合のよい思想です。人びとが、自分たちから、自分が直面している困難を他人のせい、支配者のせいにしないで、自分の責任としてかぶってくれる思想だからです。

こうして、貧困から逃れるためには、通俗道徳にしたがって必死で働くことが唯一の選択肢となった。

助け合いも政府の援助も期待できない社会では、成功した人はたいていが通俗道徳の実践者。
その結果、貧困層や弱者に「怠け者」の烙印を押す社会ができあがった。
通俗道徳は江戸時代からであり、通俗道徳の「わな」に人々がはまってしまったことを安丸良夫さんが指摘したそうです。

明治13年(1880年)、東京府会では施療券を存続させるか、廃止するかが議論になった。
当時は公的な健康保険制度がなく、貧困者は医療を受けることが難しかったため、病気にかかった貧困者が申請して施療券を受け取ると、指定された病院で無料の治療を受けられるという制度だった。

沼間守一府会議員は「施療券をもらって入院をもとめる貧困な患者をみると、自己管理ができていなくて、体を大切にしなかった結果のようなものもいる」と批判している。
病気は自己責任だという考えである。
翌年の東京府会で、貧困対策の費用は削減され、施療券制度は廃止された。

大倉喜八郎が70歳をすぎた明治44年(1911年)に『致富の鍵』という回顧談を出版している。
その中に、「人間は働きさえすれば食うだけのものはチャンと与えられるように出来ている」とある。
「富まざるは働かないからである。貧苦に苦しむは遊惰の民である」とも述べている。
一見するとまともな通俗道徳の教えは、「ダメ人間にならないためには、どんな手段をつかっても、他人を蹴落としても成功しなければならない」という過酷な競争社会を生み出してしまう。

日露戦争(明治37年~38年)の戦死者と戦傷者は11万8千人で、当時の世帯の1.3%。
本人や家族はほとんど何らの補償も受けられなかった。
日露戦争の講和条約への不満から日比谷焼き打ち事件が起き、主に警察署と交番が襲撃された。

その後、似たような事件が次々と起きた。
1906年の電車運賃値上げ反対運動、1908年の増税反対運動、1913年の桂太郎内閣打倒運動、1914年のシーメンス事件、そして1918年の米騒動。
明治末から大正初期の東京では、数年おきに暴動が起きている。
参加者の6~7割が15歳から25歳の若い男性だった。
この若い男性の職業は、職人、工場労働者、人力車夫、日雇い労働者の比率が高く、都市の下層民が中心だった。
生活が苦しく、いくら頑張っても豊かになる道を閉ざされている若い男性のやりきれなさが噴出した。

日本では大きな災害などがあっても、暴動や略奪が起きないと言われています。
しかし、かつての日本人は暴動という形で政府に抗議していました。
格差がさらに広がると、百年前のように抗議行動が頻発するかもしれません。

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