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三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

トランプ大統領は人類の未来に何をもたらすか(2)

2025年06月28日 | 日記
町山智浩『トランピストはマスクをしない』には、こんなことも書かれています。

アメリカでは毎年1万2000~3万6000人が治療費を払えないためインフルエンザで亡くなる。
コロナの検査も貧しい人は受けられない。

2020年3月12日、ケイティ・ポーター下院議員が疾病予防管理センター(CDC)の医師に質問した。

「保険がないとコロナの検査にいくらかかるかご存じですか」
「い、いえ」
「だいたいでいいです」
「すみません。わかりません」
「1331ドルです。陽性で隔離入院になると4000ドルかかります。アメリカでは国民の4割が400ドルの医療費を払えず、3割が治療を延期しています」

レッドフィールド所長に尋ねた。
「コロナに感染するのは金持ちだけですか」
「誰にでも感染します」
「CDCには、検査や治療を無料で国民に提供すると決定する権限が法律で定められていますよね。それを行使しますか」
「そのために全力を尽くすとだけは言えます」
「いえ、それじゃダメです。この危機において、国民の検査を無料にしますか」
「詳細を精査して」
「詳細は手紙に書いて1週間前にあなたに届けました。検査を無料にしますか」
「その方法を話し合っている最中で」
「方法は明日考えましょう。無料にしますか」
「あなたは素晴らしい質問者ですね。答えはイエスです」
「素晴らしい。アメリカの皆さん、聞きましたね。保険のあるなしにかかわらず、誰でも検査を受けられることになりました」

日本の国会審議で、質問にちゃんと答えない(答えられない)首相、大臣、官僚に、野党議員がこういった突っ込みをしてほしいです。
この決定にトランプ大統領はどうしたのか気になります。

横田増生『トランプ信者潜入一年』からです。
アメリカでは、毎年約1000人が警官によって殺害されている。
黒人男性が警官に殺害される割合は、白人男性の約3倍。
黒人と白人の平均年収の差は1.7倍で、黒人の無保険者の割合は白人の1.8倍。

白人に比べ貯蓄高が低い黒人は、コロナ禍であっても、感染リスクの高い職業に従事することが少なくない。
また、密集した集合住宅で生活していることなどから、新型コロナに感染しやすくなる。
さらに、医療へのアクセスが乏しいことや、高血圧や肥満、糖尿病などの基礎疾患により、重症化するリスクが高まる。

制度的人種差別という言葉がある。
収入格差や資産格差、教育格差や医療格差など多くの面で、黒人は白人と同じ条件を享受することができない。

制度的人種差別とは、貴堂嘉之さんによるとこういう意味です。
社会的な弱者が不利となる仕組みが社会構造に組みこまれていて、黒人が黒人として生まれただけで、以後の人生が自動的に不利になってしまう。その悪循環から抜け出せない。そうして、個人の自助努力では克服しがたい構造的な差別のこと。

トランプやトランプ支持者は制度的人種差別の存在を認めません。
2020年5月、ミネアポリスで黒人男性のジョージ・フロイドが白人の警察官によって窒息死させられる事件が起きた。

制度的人種差別が原因だったが、トランプ大統領は否定した。
警官は素晴らしい仕事をしている。その中に、たまたま悪いやつがいるだけなんだ。警官が大きなプレッシャーにさらされて、事態をうまく処理できないこともある。そんなとき、首を絞めることだってあるだろう。けれど、制度的な人種差別があるなんてまったく信じられない。
https://www.fsight.jp/articles/-/48675

不法移民について「トランプ政権の移民摘発、背後に巨大ビジネス 米政府は移民取り締まり関連企業に対する支出を1~5月に前年比50%増額」(ウォール・ストリート・ジャーナル2025年6月3日)という記事があります。
https://jp.wsj.com/articles/the-billion-dollar-business-behind-trumps-immigration-crackdown-667e3932?st=M279mK

移民の摘発でも金儲けしているわけです。
やることなすことすべて「今だけ 金だけ 自分だけ」のトランプです。

トランプの手法をまねた政治家が増え、支持を広げています。
日本もポピュリズム政党が陰謀論、排他主義、歴史修正主義を唱えて議席を増やしており、嘆かしく思う日々です。

「サービス終了に伴い、10月1日にブログ記事の新規投稿及び編集機能を終了させていただく予定です」とのことなので、このブログはこれでおしまいにします。
長い間ありがとうございました。

トランプ大統領は人類の未来に何をもたらすか(1)

2025年06月23日 | 日記
今年1月にトランプが大統領になって、世界は悪い方向に進んでいるように思います。

2025年4月11日、トランプ大統領は共和党の晩餐会で「一部の政治家にあれこれ言わせてはいけない。だって世界中の国々が電話をかけてきて、私に媚びへつらっているのだから。みんな取引がしたくて必死なんだ。『お願いです、お願いです、大統領。取引してください。何でもしますから』ってね」と自賛しました。
https://jp.reuters.com/video/watch/idOWjpvCD85LZWM3XB7SRFZZD9599UX6E/

「権力は人を酔わせる」という言葉がありますが、そのとおりの状態にあるようです。
トランプ大統領は平和主義者で、戦争で悲惨な状態にある人たちを助けようとしている、と書いてある記事を読んだことがあります。
しかし、ウクライナとロシア、ハマスとイスラエルの停戦交渉はやめたようです。

6月20日、トランプ大統領は、インドとパキスタンの紛争やセルビアとコソボの紛争で仲介役を務めたのに、ノーベル平和賞に選ばれないことに不満を漏らしました。
6月21日、パキスタン政府はトランプ大統領をノーベル平和賞に推薦することを決めました。
トランプ大統領に媚びたのでしょうか。

ところか、6月22日、アメリカ軍はイランの核施設を攻撃したのです。
日本政府はどういう対応するのでしょうか。
まさか媚びへつらうことはないと思うのですが。

6月4日、トランプ米大統領は12か国からの入国を原則として禁止する文書に署名しました。
2017年にも入国禁止措置をとっています。
トランプ大統領は「国境を開放したバイデン前大統領の政策のせいで、世界中の危険な地域からのビザの有効期限が切れた外国人によるテロが相次いで起きた」と主張しています。

そのどちらにもソマリア、スーダン、リビアが含まれていることに驚きました。
というのが、それらの国にガザの人たちを移住させようとしているからです。

3月14日、トランプ政権はガザ住民の受け入れを協議をするため、スーダンとソマリア、ソマリランドの当局者と接触しました。
5月16日、トランプ政権がガザの住民をリビアに移住させる計画を策定中だと報じられました。

「危険な地域」にガザの住民を追い出そうとしているわけです。
スーダン、ソマリア、リビアは内戦をしており、スーダンの難民は約1700万人、ソマリアの難民は約450万人です。
ソマリランドはソマリアから分離独立しました。
政情は安定しているようですが、承認している国連加盟国はありません。
アメリカも未承認です。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/42aeae30f0940b27a7441330d458e7a1

そもそもガザの人たちが移住を希望してはいません。
住民の考えも聞かず、内戦で国家としての体をなしていない国に一方的に移住させようと考える人間にノーベル平和賞を与えられるものでしょうか。

トランプ大統領の政策は朝令暮改です。
たとえば不法移民の摘発です。

6月14日、トランプ政権は、移民・税関捜査局に食肉加工工場を含む農業部門やホテル・レストランでの不法移民摘発を原則一時停止するよう指示しています。
全米農場労働者組合が強制送還措置の免除をトランプ政権に要請していたからだそうです。

カリフォルニア州で連邦移民・関税局による移民摘発への抗議に対し、6月7日、トランプ政権は州兵の動員を命じ、さらに海兵隊を派遣しました。
国民の声を聞こうとしていません。

平和的デモへは厳しい扱いをするのに、2021年の連邦議会襲撃事件で有罪とされた約1600人に1月20日、恩赦を与えました。
すると、6月6日、極右団体リーダー5人が起訴中に権利を侵害されたとして、政府を相手取り1億ドルの損害賠償を求める訴訟を起こしました。

連邦最高裁判所の判事9人のうち、6人が保守派で、そのうち3人をトランプ大統領が指名しています。
この損害賠償請求についてトランプ大統領がどう考えているかわかりませんが、連邦最高裁判所判事の多くは忖度するのではないでしょうか。

2017年からの第一期政権でもトランプ政権はおかしなことをしていました。
町山智浩『トランピストはマスクをしない』にこんなことが書かれています。

ホセ・アンドレスは21歳でスペインからアメリカに移民したシェフで、全米にレストランを持つ。
2010年、ハイチ大地震の被災者に無料で食事を提供するNGOを立ち上げ、それをドミニカ、カンボジア、ペルー、ウガンダ、ニカラグアなどに広げ、飢えに苦しむ数百万の人々を救い、ノーベル平和賞にもノミネートされた。
2018年、メキシコとの国境の壁を築く予算を通さない民主党に、トランプは連邦機能の停止で対抗した。
各地の連邦職員は無給で働くことになったため、ホセ・アンドレスは食事を配給した。

トランプ政権はWHOからの脱退、国連人権理事会からの離脱をし、国連の拠出金を大幅に減額しています。
そのため、国連WFP(世界食糧計画)は資金不足のため食料支援の縮小を余儀なくされるなど、国連機関は活動が困難になっています。
トランプ大統領はホセ・アンドレスさんの爪の垢を煎じて飲んでほしいです。
https://note.com/bizrep_l/n/n33c2895a6269

トランプ再選

2024年11月15日 | 日記
アメリカ大統領選はトランプの圧勝でした。
トランプは女性候補に連勝です。
黒人と女性、大統領になるためにはどちらがマイナスかというと、女性のようです。

貧困層、黒人、ラティーノ、女性の多くは差別的発言(暴言)をくり返すトランプには投票しないと思っていました。
トランプを支持する政治家やコメディアンもあからさまな差別発言をしています。
しかし予想は大はずれ。

小塩真司『「性格が悪い」とはどういうことか』に、ダークな性格の特徴があげられています。
マキャベリアニズム
「力のある人は味方につけておきたい」
「復讐するなら最適のタイミングを待つべきだ」
「自分が不利になるようなことを伝えるべきではない」
「人をうまく動かすのは難しいことではない」
「嘘をつくことも時には必要だ」
サイコパシー
「損か得かを考えることが大切だ」
「他の人が苦しんでいても気にならない」
「他の人のために何かすることはばからしい」
ナルシシズム
「私はほめられて当然だ」
「注目の的になりたい」
サディズム
「人が苦しむ様子をつい見てしまう」
「正直言うと、人を傷つけてみたい」
https://note.com/nenkandokusyojin/n/n5a69b4cb4584
いずれもトランプを念頭に置いたのかと思ってしまいました。

そんなトランプを支持する人が多いのはなぜか。
一つはトランプに希望を見いだしたから、そして自分勝手でいいというお墨付きをもらったいうことだと思います。

「ミスター・デモクラシーに聞く 民主主義退潮と「もしトラ」の危険性」は、スタンフォード大のラリー・ダイアモンド教授へのインタビューです。(毎日新聞2024年10月18日)
21世紀に入って民主主義の退潮傾向が顕著な原因が2つある。
①中間層や労働者層の大部分が抱いている「子どもたちは自分たちと同じような暮らしができないのではないか」という将来への懸念。
グローバル化で製造業が海外移転することに伴う雇用不安。
技術革新に加え、ロボット工学と人工知能の革命が多くの労働力を奪っている。
生活費は高騰し、特に家を持つことができないなど、経済的な余裕を失っている。
②移民の波。
外国生まれの人口の割合が12%を超えるとポピュリストたちが反発を起こす傾向がある。
https://mainichi.jp/articles/20241017/k00/00m/030/146000c

移民に仕事を奪われている。
白人が少数派になるかもしれない。
失業率の高さ、物価上昇、格差拡大などから、子供が自分と同じような暮らしができるだろうかという不安を持つ中間層、労働者層の人に、不法移民という仮想敵を作り、不安感を煽り立てる。

そして、アメリカが強くなるために、
・不法移民を追い出す
・法人税、所得税を減税し、輸入品には高い関税をかける
という解決法を提示しました。
こうした主張に未来への希望を見いだしたのだと思います。

自分のことだけ考えればいい、他人のことを気にかける必要はない、ということですが、不法移民としてアメリカに来たトランプ支持者はこんなことを語っています。

「私は苦労してこの国で生活の基盤を築いてきた。不法移民が新たに流入すれば、仕事も奪われ、治安も悪化する。トランプ氏を完全に支持する」。3歳で母親と一緒にメキシコから「不法移民」として米国に移住し、現在は米国籍を取得した幼稚園教諭のアデリーナ・ペレスさん(54)は訴えた。(毎日新聞2024年10月2日)
https://mainichi.jp/articles/20240930/k00/00m/030/006000c

この母子は1986年にレーガン政権が入国している不法移民を恩赦した恩恵に浴したと思います。
なのに、母親と同じように命がけで密入国した人たちを排除すべきだと言っているわけです。

アメリカファーストとは、自分さえよければいいということです。
困っている人に良心がとがめ、何かしなくては、と考えることはない、
支持者はトランプから自分の欲望に忠実であれというメッセージを受け取ったのでしょう。

トランプ再選を喜んでいるのは強権主義、独裁国家の首脳がほとんどだと思います。
トランプは連邦最高裁判事の高齢の保守派判事3人を若い保守派(極右)判事に入れ替えるかもしれません。
上院と下院は共和党が多数を占めています。
三権分立の維持が危うくなりそうです。
おまけに、米軍幹部を粛清するための委員会を新設する大統領令を検討しているというニュースまであります。
トランプは習近平やプーチンのような独裁者になろうと考えているのではと危惧します。

トランプは、
・ウクライナへの支援をやめる。
・ヨーロッパや日本、韓国が金を払わないと守ってやらない。
・ユニセフなどの国連機関への分担金を出さない。
・世界保健機関やパリ協定から脱退する。
・環境規制は撤廃する。
・地球温暖化対策はしない
といったことをするかもしれません。
厚生長官にワクチン接種に反対するロバート・ケネディ・ジュニアを起用するそうです。

ヨーロッパでもこうした主張をする極右政党が支持を広げています。
トランプの経済政策が成功して、アメリカの物価は安定し、中間層の賃金が増えたとしても、世界はどうなるのかと、ため息が出ます。
まさに、今だけ、金だけ、自分だけ、です。

反知性主義という伝統

2024年10月06日 | 日記
リチャード・ホーフスタッター『アメリカの反知性主義』に、1952年の大統領選挙戦について書かれています。

対立するふたりの候補の知性と俗物根性の対照が争点の的になった。
アドレイ・スティーヴンソンは非凡な知力と際立つスタイルをもつ政治家。
ドワイト・D・アイゼンハワーは凡庸で、人当たりの悪いニクソンとコンビを組んでいた。
アイゼンハワーの圧勝はアメリカが知識人を否認したものだと、知識人自身も、その批判派も受け取った。

「タイム」はこう書いている。
(アイゼンハワーの勝利によって)長年不安材料だった、恐るべき事実が白日の下にさらされた。それは、アメリカの知識階級と民衆のあいだには、巨大で不健全な断絶があるという事実である。

トランプの登場で分断ということが初めて問題になったのかと思っていましたが、町山智浩『最も危険なアメリカ映画』によると、アメリカには反知性主義の伝統があります。
アメリカにおいて教養や学歴を否定する「反知性主義」こそはキリスト教福音派の根幹だった。チャールズ・フィニー、ドワイト・ムーディ、ビリー・サンダー、それにジェリー・ファルウェルといった福音派のリーダーたちは皆、貧しさゆえにまともな学校教育を受けられず、聖書以外の本も読んだことがないことを誇りにしていた。だからこそ純粋に神を信じられるのだと。

アメリカにおいて、反知性主義は宗教だけでなくポピュリズムの根底にある。
アメリカでは、優れたリーダーよりも自分に近い人を求める人のほうが多い。

1828年の大統領選挙に当選したアンドリュー・ジャクソンは孤児同然に育ち、学歴もないたたき上げだった。
投票者の圧倒的多数は東部のインテリよりも野卑なアンドリュー・ジャクソンを選んだ。

レーガンも知的でないことが売りだった。
自分は政治や経済の素人であることを恥じず、逆に強調することで庶民に親近感を抱かせた。
ジョージ・W・ブッシュもそうだった。

ケルアック『オン・ザ・ロード』について、坪内祐三さんと翻訳した青山南さんが対談しています。
坪内「刊行当時はニューヨーク・タイムズで絶賛されたわけですよね」
青山「でも、ベストセラーのリストを見ると、57年の10位までには入っていない。(略)1950年代のベストセラーのリストを見ると、50年の小説のベスト10はヘミングウェイの『河を渡って木立の中へ』とか。まだ、ヘミングウェイ人気の時代なんですね。51年がジェイムズ・ジョーンズの『地上より永遠に』。基地の話ですよね」
坪内「『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は51年ですけど、10位に入っていないんですね。やっぱり純文学系は入っていない」
青山「そうですね。59年のミッチナーの『ハワイ』とか、58年は例のソヴィエトの時代ですけど、パステルナークの『ドクトル・ジバゴ』、ダントツの1位ですよね。『オン・ザ・ロード』は57年に出て、ベストテンに三週間くらい入ってたらしいですけど」
坪内「ニューヨーク・タイムズで絶賛されて、わっと爆発的なベストセラーになった本というイメージがあるんですけど、リストに入っていないということは、やっぱり一般大衆と知識人層が乖離してたんですね。デイヴィッド・ハルバースタムの『ザ・フィフティーズ』を読むと、50年代はテレビが普及して、赤狩りのマッカーシーがテレビをうまく利用したりとか、街頭演説もテレビをうまく使った人が勝ったとあるんですけど、一方でニューヨークのジャーナリストとか作家たちは、テレビを持っていると、ださいとバカにされていた。テレビっていうのは大衆のもので、大衆とインテリが乖離していく時代という印象を、このリストを見て感じますよね」

トランプのメディアを上手に使い、知識人に反発する人だけでなく、多くの人をうまく取り込みます。
2015年、共和党大統領選候補の討論会があった。
ポール・オフェットは『反ワクチン運動の真実』に、小児神経科医とトランプが子供のワクチン接種と自閉症に関連性があるかと議論しているのをテレビで見て、ワクチンと自閉症は関係があると主張するトランプの発言に、自分の子供が自閉症になったらという考えが頭をかすめたと書いています。

リチャード・ホーフスタッターによると、知能と知性は異なります。
信頼できない、不必要、非道徳的、破壊的といわれるのは知性の人である。
知識人は見栄っぱりでうぬぼれが強く、軟弱で尊大であり、不道徳で危険で、社会の破壊分子であるともみられている。
知性は一種のののしり言葉として使われることがあるが、知能はそのようなことはない。

情操教育や、古い宗教的道徳的諸原理が信頼できる人生の指針であり、小学校においても、身体と情緒の発達に逆らって知識のみを重視しすぎる教育は、社会的退廃をひき起こす恐れがある。

反知性主義はある程度の力をもつスポークスマンがいる。
スポークスマンは概して無学でもなければ無教養でもなく、むしろ知識人のはしくれ、自称知識人、認められない知識人などである。

反知性主義の指導者は次のような人がいる。
福音主義の聖職者、自分の神学を説明できる原理主義者、洞察力に富んだ人物をふくむ政治家、実業家、右翼の編集者、作家、反共主義の識者、共産主義の指導者。

リー・アイザック・チョン『ツイスターズ』は、竜巻を研究する女性が、竜巻カウボーイが人々をハイテンションにさせるのを見て不愉快に感じます。
ところが、このYouTuberはTシャツなどの売上げを竜巻の被害に遭った人のために使ういい奴で、しかも大学も出ててと、次第に女性研究者は好きになります。

末は博士か大臣かという言葉があるように、日本では知性への憧れ、尊敬がありますが、アメリカでもそうなのかもしれません。
日本も今は反知性主義が人気のようですが。

トランプが大統領に再選されたら

2024年09月29日 | 日記
2024年のアメリカ大統領選挙が近づきました。
ハリス副大統領のほうが支持率がやや高いそうですが、トランプが当選するかもしれません。
トランプはボロが出ているはずなのに、なぜ人気があるのでしょうか。

横田増生『トランプ信者潜入一年』によると、トランプがアメリカ史上最も嫌われている大統領だそうです。
トランプ政権の発足から支持率が50%を超えたことがない。
キリスト教福音派が支持しているといっても、白人がほとんどで、黒人の福音派はトランプを支持しない。

2020年の大統領選挙では120年ぶりとなる66%という高投票率だった。
投票率が低かったら、トランプが再選されたかもしれない。

なぜ2016年の大統領選挙でトランプが当選したのでしょうか。
横田増生さんはカート・アンダーセン『ファンタジーランド』から引用しています。
トランプが大統領になると決意したきっかけは、アメリカ人の心の奥底にある2つの気質と結びついた新たな陰謀論が人びとの間に根付いたと信じたからだ。その気質とは、非白人や外国人への恐怖感と嫌悪感である。また、トランプは、政治はショーでありでっち上げだとアメリカ人の一定数が信じるようになるまで待ってから、大統領選挙に出馬した。

政治がショーであり、でっち上げ(陰謀論というウソ)ということを、トランプは2008年の大統領選挙で副大統領候補だったサラ・ペイリンに学んだ。
サラ・ペイリンを副大統領候補とすることを推薦した共和党の選挙参謀はこう語る。
サラ・ペイリンは平気でウソをつく人だった。ネット上のウソを拾い上げ、あたかも事実であるかのように話した。その後、アメリカの政界で事実と虚構や、真実とウソの間の境界線が消え去り、それが蔓延するようになった。
サラ・ペイリンはウソと陰謀論をSNSによって広めた。

キリスト教では、この世界の背後には神という目には見えない支配者がいて、自らの意思で宇宙全体を導き、計画を実行しているというのが、その基本的な考え方。
現実世界で見えている点と点を結ぶと大きな絵が浮かび上がってくる。
これは陰謀論と同じ構造だ。

アメリカでは近代の合理主義と啓蒙主義から生まれた国なので、ものごとはすべて合理的に進むという歴史的認識がある。
だから、少しでも不合理なことや、意図せざる物事が起き始めると、何かがおかしいのではないか、だれかがよからぬことを企んでいるのではないかという論理が自然に発生する。
説明のつかないものを、どうにかして納得しようとする時、キリスト教の基本構造とアメリカ固有の合理主義史観が合わさることで、陰謀論の温床ができあがる。

トランプはSNSの政治への利用方法や庶民的な言葉で語りかけることの重要さ、さらには陰謀論を使って世論を撹乱するサラ・ペイリンの方法を学んだ。
トランプは疑惑を提示するだけで説明しない。

新型コロナウイルスについてもいい加減な発言ばかりしていた。
「コロナの99%は「完全に無害」 トランプ氏発言の誤り、FDA長官も訂正せず」(2020年7月)
https://www.cnn.co.jp/usa/35156318.html

「トランプ氏、新型コロナ「消えてなくなる」 感染・死亡増の現実否定」(2020年8月)
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-08-05/QELC7XT1UM1B01

横田増生さんはこう書いています。
2020年5月1日、ミネソタ州の自宅待機命令に抗議するデモの取材をする。
エリザベス・ドミニック(63歳)はナース・プラクティショナー(正規の看護師より上級職で、看護師と医者の中間のような存在)。
どうして抗議のデモに参加したかって? 看護師や医者には箝口令が敷かれていて、新型コロナの現状を話すことができないの。実際は、一部の左寄りメディアが報道しているほどひどくなく、すでにイリノイ州では州全体の経済を再開できるほど安全な状態なのよ。
2020年5月以降も大勢がコロナによって死亡しています。

トランプは2020年の大統領選挙で不正があったと、今も証拠もなしに言い続けています。
連邦議会議事堂襲撃では、トランプは、暴力沙汰はなかった、あるいはアンティファがやったと言って、責任を転嫁した。
事件で死傷者が出ているのに、それをでっち上げと決めつける。
https://www.fsight.jp/articles/-/48675

自分の主張の正しさ、ウソではないことは自分が証明しなければならないが、トランプは自分の発言を本当だと証明しない。
トランプ自身が証明できないことを知っており、証明するつもりもないからだ。
ウソを証明するのは、敵対する陣営の仕事だとして放棄している。
だから、何度、事実確認(ファクトチェック)で、間違いを指摘されようとも平気なのだ。

民主主義の脆弱性を説いたスティーブン・レビツキー、ダニエル・ジブラット『民主主義の死に方』は、4点の特徴がある政治家には要注意だと説く。
1.民主主義のルールを否定・軽視する。
2.政治的な対立相手の正当性を否定する。
3.暴力を許容・促進する。
4.メディアを含む対立相手の市民的な自由を率先して奪おうとする。

いったん扇動政治家(デマゴーグ)が政治の頂点まで上り詰めると、その暴君が民主主義を破壊するのを食い止める手段は限られている。いずれの民主主義国家も、こうした独裁者が政権をとることを前提として作られていないからだ。

トランプが大統領に再選されたら何をするか心配です。
日本では日本維新の会の人気に陰りが見えますが、石丸現象が起きています。
ポピュリズム政治家の発言を信用している人が少なくないように思います。

障害児殺しと青い芝の会(4)

2024年07月03日 | 日記
1948年に優生保護法が施行されました。
横塚晃一『母よ!殺すな』、横田弘『障害者殺しの思想』は優生保護法、そして改正に反対しています。

谷口彌三郎参議院議員、福田昌子衆議院議員『優生保護法解説』の序文に、優生保護法案の提出理由について次のように記されている。
従来唱えられた産児制限は、優秀者の家庭に於ては容易に理解実行せらるるも、子孫の教養等については、凡そ無関心なる劣悪者すなわち低脳者のそれにおいてはこれを用いることをしないから、その結果、前者の子孫が逓減するに反して、後者のそれはますます増加の一途を辿り、あたかも放置された田畑に於ける作物と雑草との関係の如くなり、国民全体としてみるときは、素質の低下すなわち民族の逆淘汰をきたすこと火を見るより明らかである。
また最近わが国では、精神病や精神薄弱者の増加が目立って著しく、それが各種の調査や統計の上に明らかに現れてきている。メンデルの法則や最近目覚ましい人類遺伝学の展開によって、かかる者の遺伝が如何に恐るべきものであるかは疑う余地もない今日、不良な遺伝分子を有する者の子孫の出生を防止するとともに、戦時中「国力の基礎は人口に数に比例する」との考えから、母性の健康までも犠牲にして出生増加に専念した態度を改めるべきで、すなわち新憲法の精神に測り、母性の健康を保護する目的で、或る程度人工妊娠中絶の合法的適用範囲を拡大し、以って政策的に人口の急激な増加を抑えると同時に民族の逆淘汰を防ぐことは、我が国の直面する重大な問題である。
file:///C:/Users/enkoj/Downloads/31-N2-49.pdf

優生保護法はナチスと同じ発想で作られた法律です。
ナチスは身体障害者、精神薄弱者を民族の強化という名において虐殺したが、そのきっかけは重症児を持つ一母親の政府機関に宛てた手紙であったという。
私の子供は足も立たず両手とも利かず、長年寝たきりの生活です。この子にとって生きていることがなんになるでしょう。死んだほうがよほど幸せです。この子のために私達の将来はまっくらです。

1933年にドイツで制定された「遺伝病子孫増殖防止法」について、ドイツ議会は立法理由として次のとおり述べている。
遺伝的に健康なる家族が大部分子供一人主義または子供を持たぬ主義に傾いて行っているのに反して、無数の低脳者及び遺伝性素質者は無制限に繁殖して行き、その病的にして非社会的な子孫が社会全体の重荷となりつつある(略)のみならず、毎年数百万の全額が精神薄弱者、保護児童、精神病患者及び非社会者のために消費されているのであって、しかもこの費用は健康な子供に恵まれた家庭によってあらゆる種類の租税の形で支払われつつあるのである。(『ナチスの法律』木村亀二「ナチスの刑法」1934年)
https://www.jspn.or.jp/uploads/uploads/files/activity/houkoku08.pdf

1972年、優生保護法一部改正の動きがあった。
改正案は現行優生保護法のうち、妊娠中絶を認める条項の中から「経済的理由」を削除して、それと入れ換える形で新たに14条4項を設けることを骨子としている。
四 その胎児が重度の精神又は身体の障害の原因となる疾病又は欠陥を有しているおそれが著しいと認められるもの。

提案理由は「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止すると共に母性の生命・健康を保護するという目的のもとに優生手術・人工妊娠中絶・優生保護相談などに関し必要な事項を定めているものでございますが」から始まる。
近年における診断技術の向上等によりまして、胎児が心身に重度の障害をもって出生してくることを、あらかじめ出生前に診断することが可能になってまいりました。
胎児が障害児だとわかったとたん、合法的に抹殺できる改正案は障害者抹殺の思想をむき出しにしている。

横田弘さんはこのように書いています。
生産第一主義の社会においては、生産力に乏しい障害者は社会の厄介者・あってはならない存在として扱われてきたのですが、この法律は文字どおり優性(生産力のある)は保護し劣性(不良)な者は抹殺するということです。つまり生産性のないものは「悪」ときめつけるのです。

1973年、優生保護法改正案に対し、青い芝の会代表は厚生大臣にあてた抗議文を作り、厚生省に提出した。
その2日後、青い芝の会会員約50名が署名を持って国会に本法案反対の請願をした。

その直後、代表8名は厚生省で精神衛生課長以下数名の当局者に詰問した。
当局の答えはわざと的を外したような支離滅裂であったが、再三にわたる詰問に「最近サリドマイド児をはじめとする胎児性障害児が激増の傾向にある。両親に遺伝的素質がなくても障害児が発生する場合があり、それを防ぐために今度の改正案を作った」と答え、精神衛生課長は重ねて「私は医者で、つくづく思うのですが、障害者が一人もいなくなれば、この世の中がどんなに幸せになるでしょう」と言い放った。

斉藤邦吉厚生大臣は「優生保護法改定案」を国会に提出した時の説明でこのように言い切っている。
人工中絶をどうしてもやった方がいいという面もございます。たとえば妊娠中にいろいろな医学的な面から奇形児が生まれるであろう。重症の心身障害児が生まれるおそれがあるという場合には、これは、生命の尊重とはいいながら、そういう方々は一生不幸になられるわけでありますから、こういう場合には、新しく人工中絶を認める必要があるのではないか。

1974年、青い芝全国常任委員会副会長小山正義と斉藤邦吉厚生大臣とのやりとり。
斉藤厚生大臣「君たち障害者として大変な想いをして生きているのにもかかわらず君らと同じような境遇を背負った子孫を残したいのか」
小山正義「大学をでたから、大臣になったから優秀な子孫と云えるのか」
斉藤厚生大臣「そうではないが、そんなに腹をたてることではない。誰でも願うのは体が健康なことではないか。それならあなた方一人一人が国会議員に云いなさい。
優生保護法改正案は結局廃案になった。

1977年、厚生省の外郭団体として日本家族計画遺伝相談センターが設置された。
任意相談から、親族調査を行い、異状と認められた胎児を堕胎する制度である。
遺伝病の因子を持つ親が子供をつくるべきかどうか迷って相談に来ると、遺伝子カウンセラーが適切なアドバイスをするため、関係者の家系図を書いてくることが条件の一つ。
危険率が40%あって、病気も重いようなときは避妊、妊娠中絶を助言するかもしれない。
現在、出生前診断の結果で中絶する人が増えており、優生保護法改正案のようになっているわけです。

滝田洋二郎『病院に行こう』(1990年)に、足を骨折して入院した患者2人が車イスで飲みに行く場面があります。
タクシーを呼ぶわけですが、後ろの席に座っている人が「乗れるわけない」と笑ってました。
私もそう思ってたら、車椅子の人が乗れるタクシーが来たのです。
介護タクシーの存在を知りませんでした。
私は社会が障害者に考慮していないことに疑問を持っていなかったわけです。

障害児殺しと青い芝の会(3)

2024年06月27日 | 日記
親が障害のある子供を殺す事件が起きるたびに減刑嘆願運動が行われ、事件の大きな要因として施設不足、福祉政策の貧困、国家の責任などがあげられていました。

横塚晃一『母よ!殺すな』に、1970年の横浜の障害児殺人での嘆願書が引用されています。
現在重症児(者)を受け入れる施設があまりにも不足している。毎日、施設を訪れ嘆願すれど受け入れがたく、様々な状況から発作的にやむをえずヒモで殺した。大人になっても不憫と思ってのこと。

青い芝の会が県民生部社会課、県議会の心身障害者政策懇談会、各党の県会議員と横浜市議、担当の金沢警察署などに対し、意向を話し、意見書を手渡して歩いた。
しかし、「あなた方の気持ちもわかるが、もっと多くの施設があればあのような事件は起こらないのではないか」「裁かれねばならないのは国家である」といった反発が返ってきた。
施設があれば事件は起きなかったということです。

1965年、総理大臣の諮問機関として設置された社会開発懇談会が「社会開発に関する中間報告」において、障害者への対策としてリハビリテーションとコロニーが言及された。
①心身障害者は近時その数を増加しており、障害者は多く貧困に属しているので、リハビリテーションを早期におこなって社会復帰を促進せよ。
②社会で暮らすことのむずかしい精薄については、コロニーに隔離せよ。

横田弘『障害者殺しの思想』は、障害者を施設に入れればいいという考えを批判しています。
多くの健全者が障害者の気持ちが分かるとか、障害児が殺されるのはやむを得ない、とか、施設をつくれとか、施設に入れてしまえば、とか考えるのはどうしたことだろう。
やはり、障害者(児)は悪なのだろうか。
「本来、あってはならない存在」なのだろうか。
本当に健全者は、障害者が憎いのだろうか。
障害者は殺してしまえ、という論理なのだろうか。

1972年に経済審議会は新経済五ヵ年計画の中で「重度心身障害者全員の施設収容」を謳った。
横塚晃一さんはこの計画を問題にしています。
「植物人間は、人格のある人間だとは思ってません」という太田典礼の言葉こそ、「経済審議会が2月8日に答申した新経済五ヵ年計画のなかでうたっている重度心身障害者の隔離収容、そして胎児チェックを一つの柱とする優生保護法改正案を始めとするすべての障害者問題に対する基本的な姿勢であり、偽りのない感情である。

では、障害者施設はどんなところなのでしょうか。
1968年、府中療育センターが開設した。
一部屋に50人ずつ収容される。
入口は常に鍵がかけられ、職員の出入にもいちいち鍵をかけはずしする。
入口の内側に職員の詰所があり、そこから部屋が一望できるようになっている。
外来者は入口までしか行くことができない。
中にいる障害者はおそろいのパジャマ一枚で、私物はほとんど持たされない。
外泊、外出は親が二週間前に申し入れを行い、許可を得なければならず、保護者以外では許可されない。
まるで刑務所のようです。

入所者の訴えにより、青い芝の会が府中療育センターに運営方針を改めるよう再三交渉した。
しかし、いつも「私達は大事な子弟を預かっている責任上、当然のことをやっているまでだ。管理運営上これが好都合なのだ」と突っ放された。
http://www.arsvi.com/d/i051970.htm

横田弘さんは、親が障害児(者)を施設に預ける場合、最寄りの施設に入れるのではなく、なるべく遠いところへ入れようとする傾向が著しいと言っています。
施設に入れて後は知らん顔というのでは、重度者はますます疎外され、地域社会から隔離されてしまう。

横田弘さんが街を歩いていると、「どこの施設から来たのか」と言われ、ひどいのになると「どこの施設から逃げてきたのか」と言われたことがあるそうです。
親兄弟や地域社会から隔絶された施設が、障害者にとって、一般社会にとってどういう意味を持つだろうか。

私自身、正直なところ障害者は施設で生活すればいいと思っていました。
筋ジストロフィーの人が自立生活をしていると聞いて、食事から何から誰かに介助してもらわないといけないのに、それがどうして自立生活なのかと思いました。
障害者の不妊手術にしても、障害のある子供が産まれたらどうするのか、子供を育てられるのかといった、優生主義、差別偏見の気持ちもあります。

障害者の自立とはどういうことでしょうか。
大橋由香子さん。
障がいのある人がヘルパーさんに車椅子を押してもらってスーパーに行き、自分の意思で買い物をするような生活を障がい者解放運動では「自立生活」というのだと知り、人の助けを借りることと自立とは矛盾しないのかも、と発見しました。

小児科医で脳性マヒの熊谷晋一郎さん。
一般的に「自立」の反対語は「依存」だと勘違いされていますが、人間は物であったり人であったり、さまざまなものに依存しないと生きていけないんですよ。だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。

施設よりも、親が相談できる機関、悩みを打ち明ける場所、在宅で世話ができるシステムが必要です。
ところが、今も状態は変わっていません。
障害者施設での職員による暴行、虐待が今も後を絶えません。
横田弘さんの「殺人を正当化する考えから作られた施設とは殺人の代替ではないか」という言葉はもっともだと思います。
障害者に限らず、困った時に肩身の狭い思いをせずに相談でき、助けを頼むことができる社会であるべきです。

障害児殺しと青い芝の会(2)

2024年06月23日 | 日記
横塚晃一『母よ!殺すな』によると、1970年、母親が横浜で障害のある子供を殺した事件では、障害者本人、家族、福祉関係者からも母親への同情の声があったそうです。

脳性マヒ当事者の会である青い芝の会で、「殺した親の気持ちがよくわかり、母親がかわいそうだ」「施設がないから仕方ない」「あの子は重度だったらしいから生きているよりも死んだほうがよかった」などの意見が出された。
「殺した親に同情しなくてもよいのか。あなた達の言うことは母親を罪に突き落とそうとするものだ」という言葉も障害者の一人から出た。

新聞に掲載されたある女性の投稿。
私の妹は障害がもっとも重く施設にいる。私が週一、二回面会に行き、妹が年に一、二回帰宅するのを何よりの楽しみにしている。もし私が先に死んだら面倒をみる者がいなくなる。私は死ぬにも死ねない。自分は罪に問われてもいい。妹が一分でも先に死んでくれるのを望む。

ある福祉関係者は「数年前西ドイツでおきたサリドマイド児殺しにつき某女子大生にアンケートを求めたところ、ほとんどが殺しても仕方がない、罪ではないというように答えた」と語っていた。
「犬や猫を殺しても罪にならない。だから今度の場合も果たして罪と言えるのかどうか」と言った人もいる。

青い芝の会会員が意見書を神奈川県庁へ持って行き、県会議員などに手渡して意見を述べたが、「あなた方に母親の苦しみがわかるか」「母親をこれ以上ムチ打つべきではない」「施設が足りないのは事実ではないか」などと非難された。

青い芝の会の主張が報道されると、反発も大きかった。
新聞社への投書に「可哀そうなお母さんを罰すべきではない。君達がやっていることはお母さんを罪に突き落とすことだ。母親に同情しなくてもよいのか」などの意見があった。

横塚晃一さんによると、「今回私が会った人の中で、殺された重症児をかわいそうだと言った人は一人もいなかった」とのことです。

思うのが、親が障害児を殺すのはやむを得ないのか、そして施設があれば問題は解決するのかということです。

横浜の事件は特殊な事例ではありません。
1967年、歯科医が重症の息子を殺した事件があった。
施設がないための悲劇といったマスコミキャンペーンとともに、身障児を持つ親の会や全国重症心身障害児を守る会を中心として減刑嘆願運動が展開され、裁判の結果は無罪だった。
重症児をもつ母親が無罪の判決を「ほんとうによかった。他人ごとではない」と言っている。

1972年、76歳の父親が37歳の脳性マヒの息子を殺した。
妻が胃病で入院し、父親が一人で息子の世話をしていた。
あまりに可哀想な老父さんです。警察署の方々にお願い致します。どうかこの老い先みじかい老人のお父さんを無罪にしてあげて下さい。私も老い先みじかい老女です。悪意でやったことではありませんから、どうか、そのへんを寛大にお許ししてあげて下さい。お願い致します。亡くなられた息子さんも父親に涙を流して感謝しておられるでしょう。お願い致します。 一老女。

親への同情論は殺した親の側に立つものであり、障害者の存在は抜け落ちている。
それらは全て殺した者(健全者)の論理であり、障害者を殺しても当然ということがまかり通るならば我々もいつ殺されるかもしれない。我々は殺される側であることを認識しなければならない。

横田弘『障害者殺しの思想』に、障害者とゴジラなど怪獣は共通すると述べられています。
あの映画の中に出てくる怪獣たちの姿、動作から来るイメージは、障害者、特に私たち脳性マヒ者に非常に似通っている。そして、その障害者に似通っている怪獣たちが行うことと言えば、平和な、人びとがおだやかな暮らしを楽しんでいる街を、ある日、突然、何処からともなく沸きだして破壊しつくして人びとの生命まで危うくさせるというパターンが常である。
しかも、そうした人びとの生活全体を危機に追い込んで行った怪獣たちは、必ず最後には、人びとの強い味方であり、正義の使者である○○マンによって亡ぼされ、この地上から消滅させられてしまうのだ。
怪獣が障害者の隠喩なら、桃太郎が退治した鬼は社会に迷惑をかける存在だということになります。

一般社会人が、重症児を自分とは別の生物とみるか、自分の仲間である人間とみるか(その中に自分をみつけるのか)の分かれ目である。

殺された重症児を自分とは別世界の者と考えている。
というのも、子供が殺された場合、その子供に同情が集まるのが常である。
それは殺された子供の中に自分を見る、つまり自分が殺されたら大変だからである。

これを障害者(児)に対する差別と簡単には片付けられない。
これが障害者に対する偏見と差別意識だということはピンとこないのは、この差別意識が現代社会において余りにも常識化しているからである。

親が障害児を殺す事件でのマスコミのとりあげ方の基本は、障害児を抱えた家庭が不幸であり、親だけが同情されるべき存在として表現される。
1978年、横浜市で脳性マヒの長男(12歳)の前途を悲観した母親が息子の首を絞めて殺し、2日後に飛び降り自殺した。

この事件を報道した新聞には、生まれつき体が不自由な重度障害児だとある。
生まれたときから右手足が不自由で、言葉がほとんど話せず、精神年齢は幼児と同程度だったという。用便の世話から食事まで生活ではすべて母親のかよの助けが必要だった。食事どき、肉類などは、かよがかみ砕いて口移しに食べさせていた。

しかし、神奈川新聞によると全く異なる。
自分で歩くことも、しゃべることもでき、音楽好きな明るい子供で、小学部の最年長で下級生の面倒もよくみていた。
下校時には「サヨナラ」と先生方と握手するなど、学校の人気者であった。

横田弘さんは批判します。
被害者である勤君が脳性マヒという身体的障害を持っていたこと、そしてそれが、現在の社会体制の中では「悪」であり「不幸」であり、その「不幸」は死ぬこと(殺されること)によってのみ救われるという位置づけをもった存在であったこと、そうした「悪」であり「不幸」な存在である脳性マヒ児を産み出した存在として、日常的に社会から疎外の対象とされたかぞという、言わば現在の社会そのものから必然的に生じた事件なのである。

横田弘さんの言葉は父親も聞きとれず、住んでいる県営住宅の人たちは「私の言葉が聞きとれるとは思われない」。
脳性マヒ者は程度の差があっても、言語障害を伴うのがほとんどなのである。そして、その言語障害の結果、精神機能に何らかの障害があると思われがちなのだ。
『障害者殺しの思想』は横田弘さんの話を筆記したものです。

横田弘さんは言い切ります。
はっきり言おう。
障害者児は生きてはいけないのである。
障害者児は殺さなければならないのである。
そして、その加害者は自殺しなければならないのである。

原一男『さようならCP』に横田弘さんが出演しています

障害児殺しと青い芝の会(1)

2024年06月14日 | 日記
成田悠輔さんの発言が国会でも問題になりました。
どうしたら今のこの高齢化とさまざまな人生のリスクを軽減できるだろうかということを考えて、たどり着いた結論は集団自決みたいなことをするのがいいんじゃないか、特に集団切腹みたいなものをするのがいいんじゃないかということです。(略)ここで僕たちが議論すべき大義はいわば高齢化して永遠と生き続けてしまうこの世の中をどう変えて社会保障などという問題について議論しなくてもいいような世界を作り出すかということだと思います。そのためにはかつて三島由紀夫がしたとおり、ある年齢で自らの命を絶ち、高齢化し老害化することを事前に予防するというのはいい筋ではないかと。
横に座っている古川俊治さん(自民党国会議員)は成田悠輔さんの発言に笑っています。

(10分5秒のところから)
同じ趣旨の発言は他のところでもしています。

三島由紀夫は45歳で死んでいます。
1985年生まれの成田悠輔さんは10年以内に死ぬつもりなのでしょう。

成田悠輔さんは障害者について語っていませんが、主張していることは太田典礼や植松聖死刑囚と同じ社会的弱者の抹殺です。

日本安楽死協会を設立した太田典礼は、戦前から産児調節運動を行い、衆議院議員として旧優生保護法の施行(1948年)に寄与しました。
植物人間は、人格のある人間だとは思ってません。無用の者は社会から消えるべきなんだ。社会の幸福、文明の進歩のために努力している人と、発展に貢献できる能力を持った人だけが優先性を持っているのであって、重症障害者やコウコツの老人から〈われわれを大事にしろ〉などと言われては、たまったものではない。(『週刊朝日』1972年10月27日号)
太田典礼は85歳で死亡しますが、安楽死ではありません。

もっとも、太田典礼や植松聖死刑囚のような考えは私の中にもあります。
石井裕也『月』は津久井やまゆり園事件をモデルにした映画です。
主人公は小説が書けなくなり、障害者の施設で働きます。
息子は先天性の心臓病で、胃瘻をし、寝たきりのまま3歳で死亡しました。
40過ぎで妊娠した主人公は障害を持った子供が生まれるのでは、と悩みます。

犯罪白書によると、殺人事件のうち家族間によるものは2019年で54・3%と、半数以上を占め、30年前から15ポイントも増えています。

家族が加害者という殺人事件には、介護疲れによる殺人、親子心中が含まれます。
介護を理由とした家族間での殺人は厚生労働省の統計によると年間20~30件起きています。
親子心中事件は毎年少なくとも30件以上起こり、40人以上の児童が親子心中によって死亡しています。
そのうち母子心中が65.1%を占めています。
多くは母親がウツ病だったり、子供に障害があって苦にしたりといったことがあります。

障害者や認知症の人たちが殺されるのはやむを得ないと思う人(裁判官や検察官も)が多いから、被告は情状酌量され、刑期が短かくなったり執行猶予がついたりすることがあります。

1970年、横浜で2人の障害児を持つ母親が下の女の子(当時2歳)をエプロンの紐でしめ殺した事件がありました。
横塚晃一『母よ!殺すな』、横田弘『障害者殺しの思想』に、この事件について詳しく書かれています。

事件が発生するや、マスコミは「またもや起きた悲劇、福祉政策の貧困が生んだ悲劇、施設さえあれば救える」などと書き立てた。
地元町内会や障害児をもつ親の団体が減刑嘆願運動を始めた。

神奈川県心身障害者父母の会が横浜市長に提出した抗議文。
施設もなく、家庭に対する療育指導もない。生存権を社会から否定されている障害児を殺すのは、やむを得ざるなり行きである、といえます。日夜泣きさけぶことしかできない子と親を放置してきた福祉行政の絶対的貧困に私たちは強く抗議するとともに、重症児対策のすみやかな確立を求めるものであります。

母親に同情が集まって減刑嘆願書が出される動きに、脳性マヒ当事者の会である青い芝の会は抗議しました。
横塚晃一さんと横田弘さんも青い芝の会の会員です。

横田弘さんはこう言います。
障害者は「殺されたほうが幸せ」という論理が、やがて、障害者は「本来あってはならない存在」という論理に変わり、そして、社会全体が障害者とその家庭を抹殺していく方向に向かって行く。

起訴までに1年1か月の時間を費やし、横浜地裁で公判が開かれるや、1か月で結審した。
起訴まで日時を費やした理由が「全国の施設の状況を調べ」ることにあった。
弁護側が情状酌量を主張するために行うのではなく、検察が起訴するか否かということで調査したという。

横浜地裁の判決は懲役2年執行猶予3年だった。
刑法に「人を殺したる者は死刑又は無期若しくは3年以上の懲役に処す」とあるのに、この裁判では検察の求刑は懲役2年だった。

横塚晃一さんはこう批判しています。
おざなりな裁判であった。検察側の被告を追及する態度がまるでなく、我々の提出した意見書、障害者としての体験文などを参考資料として裁判の席上にのせることを弁護側が拒否したのに対し、抵抗することなく従い、求刑に当たっては、殺人の場合、刑法上最低懲役3年なのに、懲役2年を求刑したことからも明らかである。

でも今日でなくてもいい

2024年06月08日 | 日記
大内啓『医療現場は地獄の戦場だった!』に、エリザベス・ボービア裁判について書かれていました。

エリザベス・ボービアは先天性の重度の脳性四肢麻痺のため、顔や右手の数本の指を動かせるだけだった。
しかし、意思能力があり、会話や食事もできた。
右手で電動式の車いすを操作し、たばこを吸った。
結婚、妊娠するが流産する。
生計が苦しくなって父親に援助を求めたが、断られて離婚。
https://spitzibara.hatenablog.com/entry/66483624

エリザベス・ボービアは食事に吐き気を覚えるようになり、餓死するまでの疼痛緩和と必要な処置を病院に要望した。
しかし、栄養補給のための鼻腔チューブを挿入された。

28歳の時、餓死するためにチューブの撤去を求めて提訴した。
カリフォルニア州ロサンゼルス地区上位裁判所は棄却だったが、1986年、カリフォルニア州立控訴審裁判所は「意思能力があれば、ボービアは残りの人生を尊厳とともに平穏に生きる権利をもっている」と述べ、病院に経管栄養チューブを抜くように命じた。
その後、エリザベス・ボービアは治療を引き続き受け、経管栄養を続行すると決心した。

彼女は、経管栄養の中止と死ぬことをのぞんでいたわけではなく、自分の意思が尊重されることを望んでいた。もっと言えば、強制的に生かされることではなく、自分の意思で生きるという選択をすることを望んでいたということだろう。いや、裁判中に、気持ちが変わったのかもしれない。
エリザベス・ボービアは2008年の時点で生存が確認されているそうです。

ボストンの病院の救急医である大内啓さんは気管内挿管について書いています。
気管内挿管をして人工呼吸器につなぐ際、一回の挿管で成功する率は全米で97%。
しかも、65歳以上の高齢者の3分の1は、挿管後10日以内に死亡する。
2020年のコロナ死者のピーク時、ニューヨークでは挿管後の死亡率が8割以上だった。

抜管でき、退院できても、元のQOL(生活の質)には、よほどの例外を除いて戻れない。
杖を用いて歩いていた人は、車椅子が必要になる。
自分の力で車椅子を利用していた人は、押してもらわなければならなくなる。
ベッドの上で起き上がれた人が、起き上がれなくなる。
自発呼吸できた人が、呼吸器が必要になる。

私の経験では、弱りゆく人に、「呼吸器に繋がれないと息ができず、寝たきりの状態が、今後一生続くのであれば、あなたは死んだほうがマシだと思いますか」
と質問すると、50パーセント強の人が「死んだほうがマシです」と答え、50パーセント弱の人が「いいえ、生きているほうがいいです」と答える。

車にひかれて、いきなり寝たきりになったり、指ひとつ動かせず、しゃべることもできなくなったりしたら、「死んだほうがマシだ」と思うに違いない。
しかし、難病であるとか、がんであるとか、10年ほどかかって徐々にそういう状態になっていくなら、例外を除くと「死んだほうがマシだ」とは思わない。
なぜなら、不自由、苦しいと思う状態に少しずつ慣れていくからだ。
本人だけでなく、家族ら周りの人も少しずつ慣れていく。

その時は死にたいと思っても、時間とともに思いはだんだん変わるようです。
佐野洋子『今日でなくていい』にこんな話があります。
97歳の友達の母親が、「洋子さん、私もう充分に生きたわ。いつお迎えが来てもいい。でも今日でなくてもいい」と云ったっけ。
いつ死ぬかわからぬが、今は生きている。生きているうちは、生きていくより外ない。生きるって何だ。そうだ、明日アライさんちに行って、でっかい蕗の根を分けてもらいに行くことだ。それで来年でっかい蕗が芽を出すか出さないか心配することだ。そして、ちょっとでかい蕗のトウが出て来たらよろこぶことだ。いつ死んでもいい。でも今日でなくてもいいと思って生きるのかなあ。この日本で。
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エリザベス・ボービアもいつ死んでもいいけど、今日でなくていいと思っているのではないでしょうか。