三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

湯沢雍彦『明治の結婚 明治の離婚』

2018年04月24日 | 

徳川夢声の母親は男ができて夫と離婚してるし、徳川夢声の恋人だった伊沢蘭奢も夫と息子を捨てています。
結婚しても妊娠するまでは籍を入れなかったり、子供を赤の他人に養子に出すこともあったそうです。
明治時代は離婚率が高かったというし、結婚観が今とは違っていたのかと思って、湯沢雍彦『明治の結婚 明治の離婚』を読みました。

全国離婚件数がが集計されるようになったのは明治13年からで、年間を通じての統計は明治15年から始まった。
明治15年 婚姻率 8.42 離婚率 2.62
明治20年 婚姻率 8.55 離婚率 2.84
明治25年 婚姻率 8.51 離婚率 2.76
明治30年 婚姻率 8.45 離婚率 2.87
明治35年 婚姻率 8.77 離婚率 1.43
明治40年 婚姻率 9.13 離婚率 1.29
明治45年 婚姻率 8.51 離婚率 1.17

明治中期(16~30年)のころの離婚率(人口千人あたりの年間離婚件数の比)は2.5ないし3.4の高さ。
江戸時代後半の離婚率もほぼ同じ高さだった。

東京府の明治12年の統計によると、結婚した男6339人、女8667人、離婚した男3406人、女4203人。
男女の差が大きすぎるので信用しがたいが、離婚の割合が高いことは事実であろう。

明治10年代、20年代の離婚は、都市住民ではなく、農山漁村の住民が多い。
明治16年から20年にかけての離婚率は、西日本より東日本のほうが高い。

嫁が労働力として期待されながら、同居の家族の意にそわないと、簡単に追い出し離婚されるという傾向は、明治末期まで盛んにあった。

離婚が多かった背景
① 庶民の意識の根底に、結婚は生涯続けなければならないものという認識が乏しかった。
②  親、とくに姑が離婚を迫ることが多く、息子である夫は親の意向に反対できなかった。
③ 離婚の理由は不要だった。
④ 離婚の手続きがルーズで、届出を必要としないところが多かった。

追い出し離婚、逃げ出し離婚が多い、処女性より労働力が求められた、再婚についての違和感がほとんどない、などが背景にある。

明治32年(1899)以降、離婚率は急激に低下している。
離婚数は31年が前年度より2万5千件、20%近く少なくなり、離婚率は2.87から2.27に、32年が3万3千件、33%も減少し、離婚率は1.50と下がり、32年は30年の半分近くにまで落ち込んだ。
といっても、明治33年(1900年)の離婚率は、アメリカ0.70、フランス0.25、ドイツ0.15と、日本に比べるとずっと低い。

離婚後の暮らしの見通しが立たなくなり、夫婦を続けるほかなかったことも、離婚が減った理由としてある。
そして、明治31年に民法と戸籍法が成立し、戸籍の管理が厳格になったということも、離婚率を下げた原因だった。
25歳未満の者が離婚するには、結婚を同意する親などの同意が必要となった。

庶民は婚姻届を出さない手段によって、早期に離別できる道をとるようになった。
大正9年(1920)、届出していない配偶者がいると答えた者は全夫婦の17%だった。
明治30年代には20%以上あったのではないかと思われる。
婚姻届を出さないまま離婚する夫婦もいただろうから、離婚率はもっと高くなります。

明治末の婚姻率は8ないし9で、年ごろになった者はほとんど全員が結婚した。
ふつうの男女は親のすすめる縁談に従い、生活の場や金銭の保障を考える生活手段として結婚した。
その理由は、女性は食べていくためであり(就職・収入の道がほかになかった)、男性は家庭雑務を任せ、家を継ぎ、あとつぎを得るためだった。

2014年の報告書によると、アメリカでは25歳以上の男女で結婚したことのない人の割合は、1960年から約50年間で、男性は10%から23%に、女性は8%から17%に倍増しており、その数は約4200万人だと、金成隆一『ルポ トランプ王国』にあります。

初婚同士の両親(異性婚)のもとで育つ子どもの割合は、1960年の73%から、2014年の46%に減少し、シングル・ペアレント(一人親)の家庭の子どもは9%から26%に増加したそうです。
結婚に関して考え方が大きく変わっているわけです。

女性が経済的に男に頼らなくてもよくなった現在の日本では、生活の手段として結婚する女性はほとんどいないでしょう。
濱野智史「ワンチャンという価値観」(「更生保護」2014年3月号)にこんなことが書かれています。

若者たちの間でいま蔓延しつつある価値観の一つが「ワンチャン」である。「ワン・チャンス」、文字通り「一回きりのチャンス」という意味。アイドルオタクの若者たちからこの言葉を聞く。
今のアイドルオタクは多様になり、一見、アイドルなどにはハマりそうにない、モテそうだし、恋愛にも不自由しなさそうなイケメンの若者もたくさんいる。
なぜアイドルにハマるのかというと、「アイドルの子たちと「ワンチャン」でつながりたい」、つまり「アイドルの子と本当の恋愛関係になりたい」と考えているからだ。
なぜか。
いまの若者たちにとって、現実の恋愛は「つまらない」、というより「する意味が見いだせない」のである。
なぜなら、いまの日本社会の将来は絶望的だからである。
どうせ子供も満足に産めなさそうなら、結婚する意味もないし、ということは恋愛をする意味もないのである。
その代わりに台頭するのが、アイドルとの疑似恋愛ゲームなのである。
「ワンチャン」を巡る心理は、非常に「刹那主義」的な現代若者の価値観から出てきたものである。どうせ(長期的な目で見て)結婚も恋愛もする意味がないなら、(いま目の前にいるかわいいアイドルとの)疑似恋愛にハマるほうが楽しい。「いまさえ良ければいい」という発想なのである。

日本人の結婚観、家庭観はこれからもっと変わっていくんでしょう。

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平安時代の結婚

2018年04月19日 | 日記

『源氏物語』では、男が女に歌を送り、女が返し、歌のやり取りをして、そうして女の部屋に夜這いをすることが多いです。
なので、平安時代の結婚とは一夫多妻、通い婚だと思っていました。
しかし、婚礼の儀式があったり、夫婦が同居していたりで、実際はどうだったのかと思い、工藤重矩『源氏物語の結婚』、服藤早苗『平安朝の母と子』『平安朝の父と子』を読んで、その疑問はある程度氷解しました。

・平安時代の婚姻制度は一夫一妻制であった。

平安時代、結婚成立の条件は律令(養老律令)の中の戸令(こりょう)に定められている。そこには婚姻許可の年齢、婚主(保証人)のこと、婚約・婚姻解消の条件、棄妻の条件、その手続き等々が規定されている。また罰則規定である戸婚律には、重婚を犯せば男は懲役一年、女は杖刑一百とも定められていた。それゆえ、法的に妻として扱われるのは一人のみであった。

工藤重矩氏によると、平安貴族の婚姻状況の実態は、一夫一妻多妾の状態でした。
法的な妻は一人だが、妾がいても世間的には容認されるという意味であり、妾が必ずいるとか、多くいるという意味ではない。

配偶者を有する男が複数の女性と夫婦的関係を継続していても、複数の婚姻届を出さなければ重婚として罰せられることはないし、子供も男が認知すれば子としての権利が生じる。
継嗣や遺財処分等に関して、妾やその子の存在を認めた運用規定が存在していた。
その点では現在も平安時代と似ており、平安時代の婚姻制度が現代にまでつながっている。

工藤重矩氏はこのように説明しますが、服藤早苗氏によると「正式に結婚する妻は、道長のように二、三人であることが多い」し、律令の規定が実際に適用されたわけではないそうです。
一夫一妻と一夫多妻、どっちだったんでしょうか。

・最上流貴族の男の最初の結婚は、特別の事情がなければ、親が決める。
親同士が決める正式な結婚は家と家との関係になるので、離婚はきわめて困難だった。
妻は離婚されないかぎり、子の有無や夫の愛情いかんによってその座が左右されることはない。
また離婚しないまま妻が妾に落とされたり、妾が妻に昇格したりすることもない。
妾はあくまでも妾であって妻ではない。

・正式に結婚した妻とそれ以外の女性たちとの間には、妻としての立場、社会的待遇等において大きな差があった。

律令的な意味での妻とそれ以外の女性たちとの間には社会的待遇に明確な区別があり、とくにその子の扱いには、昇進速度や結婚相手等に大きな差があった。

男親の娘に対する扱いの差は、正妻の娘はより重く、妾等の娘はより軽く扱われるのが常である。
父親が気を配って結婚させる場合でも、妾等の娘は一段軽く扱われる。

同居の正妻の子供と、次妻・妾の子供とは、父親としての対応が違っていた。
藤原行成の日記である『権記』に、正妻が出産した子供たちは見えるが、他の女との間に生まれた子供は出てこない。
平安中期の貴族層にあっては、妾や数度の関係しかもたなかった女性が出産した場合、女性が強い意思表示をしないかぎり、男性は父としての自覚をもたず、認知さえしなかった。
天皇の孫でも、母の出自・血統が低いと、貴族の正式の妻になるこさえ難しかった。

・夫婦は同居し、妻以外の女性とは同居しないのが原則である。
貴族は夫が正妻の両親に婿取られ、一定期間、妻の両親と同居する「婿取婚」で、女が嫁として男の両親に嫁取られることはほとんどなかった。

ただし、「婿取婚」とは生涯にわたって夫が妻方に住み、妻の一族として生活することを指すが、平安時代の婿取婚はそのような婚姻形態ではない。
妻のほうに住んでいても、子供は父の姓を名乗る。

同居慣習が広がり、平安中期には貴族層でも夫婦同居が一般的になる。
同居といっても、夫の家にではなく、新婚当初は夫が妻の両親家に住み、一定期間たつと妻の両親と別居する。
あるいは、最初から妻の両親の援助で新婚夫婦が独立して居住する。
家屋の提供者が夫方の父母でも、同居は妻の両親とであり、夫の両親と同一屋敷で同居することは、一般的にない。
夫は妻の実家から援助を受け、妻が死んだ場合、子供は妻の実家で育てることが多かった。
その一方、妻ではない女性には、男の訪れを待つ以外に男と逢う手段がない。

『源氏物語の結婚』は、『源氏物語』など平安時代の恋愛物語の構造を説明しています。
ヒロインの母親がいかなる立場にあると設定するかで、物語の構想は制約を受ける。
妻以外の女性たちと男との関係が、恋愛物語や日記文学の主たる対象となっている。
男親の庇護がないという状態が恋愛物語のヒロインの条件。
なぜなら、両親のもとで大事に養育されている娘には、若い男が容易に近づけない。
正妻の娘を恋の相手として恋愛物語を構想するのはきわめて難しい。
だから、男の恋の相手は正妻ではなく、男親の庇護のない娘という設定になる。
そして、正妻は男に理解のない冷たい女と設定されざるを得ない。
現代の恋愛小説も同じで、相手が家族持ちというような障害があるほうが面白いです。

ちなみに、「妻」は差別語だ、「さしみのつま」は「端っこ」という意味だと言う人がいます。
しかし、「つま」という日本語は、男女を問わす「連れ合い」「パートナー」を意味する古語なんだそうです。

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再審請求と冤罪

2018年04月08日 | 死刑

裁判官だった原田國男氏が『裁判の非情と人情』で死刑について書いています。

私がかかわった死刑囚の死刑が執行されたと後日報道で知ると、心からその冥福を祈る。被害者遺族の方々からすれば、被害者の冥福こそ祈るべきで、死刑囚の冥福を祈るなどけしからんと思われるであろう。死刑の言渡しは、正当な刑罰の適用であって、国家による殺人などではないということはよくわかるが、やはり、心情としては、殺人そのものである。法律上許されるとはいっても、殺害行為には違いはない。
目の前にいる被告人の、首に脈打つ血管を絞めることになるのかと思うと、気持ちが重くなるのも事実である。言渡しの前の晩は、よく眠れないことがある。

そして、このように言い切ります。

自信たっぷりの死刑判決など本来ないのである。

ところが、死刑執行後の法務大臣のコメントはいつも自信たっぷりのように感じられます。

2017年7月13日、西川正勝死刑囚が再審請求中だったにもかかわらず死刑を執行されたことについて、安田好弘氏がフォーラム90の集会で話をしています。(「フォーラム90」Vol.154「死刑が緩和される方向に向けて」)

金田法務大臣「法務大臣臨時記者会見の概要」

一般論として、仮に再審請求の手続中はすべて執行命令を発しない取扱いとした場合には、死刑確定者が再審請求を繰り返す限り、永久に死刑執行をなしえないということになり、刑事裁判の実現を期することは不可能となるものといわなければなりません。したがって死刑確定者が再審請求中であったとしても、当然に棄却されることを予想せざるをえないような場合は、死刑の執行を命ずることもやむを得ないと考えています。


1999年、小野照男死刑囚が再審請求中の執行があった。参議院法務委員会での質問に対する臼井法務大臣の答弁もほぼ一緒。

もし再審請求の手続き中はすべて執行命令を発しない取り扱いをするものということであるならば、死刑確定者が再審請求を繰り返す限り、永久に刑の執行をなしえないというということになりまして、刑事裁判の実現を期するということは不可能になるものと言わなければならないところでございます。従いまして、死刑確定者が再審請求中であったと致しましても、当然、棄却されることを予想せざるをえないような場合におきましては、執行を命ずることもやむを得ないと考えております。

法務官僚の作文が17年後にも生きている。
つまり、死刑執行は政治家が決断しているのではなく、法務官僚が行っており、執行の説明さえも彼らが考え、大臣が記者会見で話す言葉さえも用意している。

「再審請求中に執行できないならば永久にできない」
「再審が棄却されることが明らかな場合は執行できる」

三権分立のもと、再審は裁判所だけが判断することになっているのであり、行政が判断することは許されていない。
なのに、再審が認められるかどうかを法務大臣、あるいは法務官僚が判断して執行するのは越権行為である。

免田栄さんの再審は第6次再審で認められた。
赤堀政夫さんは第4次再審。
奥西勝さんは第7次再審でいったん再審開始決定が出ている。
徳島ラジオ商事件は第6次再審。
こういうことが再審の実態で、再審請求を繰り返さないと再審は実現できない。
にもかかわらず、法務省は「理由もなく繰り返す」と非難している。

原田國男氏は「それにつけても、最近不思議だと思うことがある」と、冤罪事件についてこのような疑問を呈しています。

氷見事件、足利事件、東電OL殺害事件において再審が認められて、被告人はいずれも無罪となり、真犯人が別に存在することまで明らかになった。
ところが、裁判所は知らん顔を決め込んでいる。
法務検察と裁判所において、再発防止策を具体的に検討したふしはない。

結局、裁判所が最終的に再審無罪を確定させたのであるから、自浄作用は、まさに、正常に働いており、問題はないという見方がされているのかもしれない。しかし、それも弁護団等の多大な尽力があったからこそ、実現したのである。


冤罪について法曹にはこんな考えがあるそうです。
・冤罪は存在しない。再審にしろ、通常の裁判にしろ、無罪となったのであるから、裁判所の判断は、最終的に正しかった。裁判所が無罪としている事件は、その意味で、冤罪とはいえない。
・冤罪とされる事件の多くは、判断が分かれ、微妙なものであって、被告人が真犯人である可能性は残っているから、冤罪とはいいきれない。
・冤罪が生じるのは、刑事裁判制度の不可避の現象であって、これを少なくすべきなのは、当然であっても、制度自体を廃止できない以上、限界がある。
・我が国はこれまで無実の者を死刑にした例はない。
・冤罪は、死刑に特有なことではなく、あらゆる犯罪に起こりうることだから、冤罪を理由に死刑を廃止すべきだというなら、他の刑罰も廃止すべきではないか。

そもそも、我が国の刑訴法学者の多くは、冤罪不存在論か冤罪不可避論に立ち、冤罪問題について、実に冷淡であり、これは世界的にみても特異な傾向であろうと、原田國男氏は言います。

一般国民は、冤罪事件といえば、強盗殺人や殺人で、しょせん、裁判官が判断することであり、自分には関係がないと考えてきたであろう。

たしかに、国民の多くは冤罪問題についてさほど関心があるようには思えません。
冤罪事件があれば、最高裁や法務省に抗議デモがあってよさそうなものです。

平川宗信氏は「国民に主権意識がなさすぎます」と断じます。
主権者として、自分たちが死刑を存置し、自分たちが殺しているのだという自覚がない。
主権者意識がないという根底には、社会を支え、国を支えている個人という意識がない。

私は、死刑囚の首にかかっている縄は、その端が一億本余に分かれていて、私たち一人一人がその端を引っ張っているのだという話をします。(「フォーラム90」Vol.150)


鎌仲ひとみ氏の話の中に「あなたの家のコンセントの先は原発につながっている」ということがありましたが、死刑も原発も私と無関係な事柄ではないわけです。

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高橋昌一郎『反オカルト論』

2018年04月04日 | 問題のある考え

高橋昌一郎『反オカルト論』は「教授」と「助手」との会話で話がすすみ、読みやすくて面白く、ためになる本です。

・フォックス姉妹とスピリチュアリズム(心霊主義)
死者の霊と交流できるという霊媒師のトリックに一流の科学者やコナン・ドイルたち文化人がだまされた。
それに対して、霊媒のインチキを暴くフーディーニ。

あらゆる手段を尽くして観客を騙すことが、手品の目的なのである。

しかし、霊媒を信じ、擁護する人が多くいた。

科学者は、平気で信頼関係を覆してインチキをする人がいるとは考えない。
詐欺師である霊媒は、まさかそんなことはしないだろうということをする。
科学者、はいったん騙されると一般人以上に信じこんでしまう。

2000年に発覚した旧石器発掘捏造事件もその一例。
「神の手を持つ男」と呼ばれていた人物が、前もって発掘現場に石器を埋めておいて、それをあたかも発見したかのように捏造することを20年以上にわたってしていた。
そして、その捏造石器を資料として論文を書いた考古学者が大勢いた。

人は、苦悩が深ければ深いほど、その苦悩から解放してくれる話に、安易に飛びつきやすくなってしまう。


奇術師のジェームズ・ランディがユリ・ゲラーのトリックを暴いても、ユリ・ゲラーの超能力を支持し、物理学の基本法則を見直すべきだと考える科学者が今もいる。
その時代の一流知識人をトリックで騙すのは容易だということである。

・STAP事件
フーディー二が書いたとされる『狡猾な若い女性はいかにしてバカな「科学者たち」を騙したか』という冊子は、ある女霊媒師のトリックを暴露した。
その人間模様はSTAP細胞と小保方晴子氏を連想させる。

どんなに再現に失敗しても「STAP細胞は存在しない」とは言い切れない。いくら交霊会のトリックを暴いても「霊は存在しない」とは証明できないのと同じ論法だ。

その論法で人を騙すのが霊媒師だが、科学者も同じことをする。

常温核融合のマヤカシが明らかになり、ある物理学者は「安易に実験結果を信じる軽率な科学者、組織の名誉を汚す理事、税金を浪費する政治家、大衆を煽る浅薄なジャーナリスト、彼ら全員が、オカルトを生み出してしまったんだ」と嘆いていたという。

STAP事件は現代社会における「オカルト事件」なのかもしれない。


小保方晴子氏は、文章や画像を他者の論文やサイトから無断でコピペし、実験データの写真を切り貼りし、実験そのものを捏造した。
理研は、最終的に小保方晴子氏による捏造・改竄・盗用などの研究不正を認定した。
小保方晴子氏の博士論文は約100ページ中の20ページがコピペ、参考文献もコピペで、26カ所の研究不正が認定され、博士学位を剥奪した。

朝永振一郎『物理学とは何だろうか』にこのようにあります。

科学というものは、いつの時代においても、その前の時代のそれを踏まえて進められ積み重ねられてだんだんにできてきたものです。

STAP細胞はそうではなかったということです。

2014年度の理研の総予算が約834億円、2013年度の笹井氏の研究費は約5億8千万円。
STAP事件で株価操作やファイナンスで大儲けをした人がいる。
理研がSTAP事件の対応のために使った経費は8360万円。
2年間に小保方晴子氏に支給した研究費は給与以外に4600万円で、その大部分は税金だった。
しかし理研は、小保方晴子氏が理研を退職後に懲戒解雇相当にし、疑問をうやむやのまま、責任を取る者はいなかった。

なのに、いまだに小保方晴子氏を擁護する意見が少なくないどころか、小保方晴子氏は陥れられたといった陰謀説が唱えられている。
小保方晴子氏も『あの日』で、自分は陰謀の犠牲者だと自己正当化しているそうです。

私がES細胞を混入されたというストーリーに収束するように仕組まれているように感じた。実際に、これら一連の発表は、私の上司にあたる人たちによって、周到に準備され、張り巡らされた伏線によって仕掛けられた罠だったとも受け取れた。

その陰謀の黒幕が若山照彦氏だと、小保方晴子氏は告発しています。

『あの日』の売り上げは発売1か月以内で26万部を超えたそうです。
印税が1割と仮定した場合、1冊1400円(税別)×1割×26万部で、およそ3640万円の収入です。

アマゾンのレビュー858、平均4.2です。(2018年4月4日)
星5つ 60%
星4つ 11%
星3つ 9%
星2つ 3%
星1つ 17%

ところが、須田桃子『捏造の科学者』はレビュー195で、平均3.2。
星5つ 30%
星4つ 23%
星3つ 14%
星2つ 6%
星1つ 27%

星1つのレビューにこんなのがあります。
「何の知識もない、ただ成功していた小保方に嫉妬して狂った正義ヅラした悪人が書いた書籍。」
小保方晴子氏が犠牲者だと信じ、味方になっている人がいかに多いかです。

なぜか。

一般に、虚偽や幻想を真実であるかのように語る行為は、「詐欺」か「病気」の範疇に分類されるはずなんだがね。カルト宗教の教祖や、自己啓発セミナーの主宰者は、まさに「魅力的」で「ピシッとよどみない文」で断定する人物が多いんだよ。

妖精を信じるコナン・ドイルみたいだと、「助手」は言います。

なぜ人は荒唐無稽な話を信じてしまうのでしょうか。

人は、何でも妄信するように生まれついていると考える方がわかりやすい。

 

結局、人間は、見たいものを見て、信じたいものを信じるということだよ。


森友問題の文書改竄、イラク派遣部隊の日報隠蔽を大したことではないと言い切る人がいますが、通じるように思います。

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