某氏から、ドルジェタクの度脱とオウム真理教のポアの違いは「カルマを背負う」という概念の有無だとの指摘をもらった。
なるほど、ドルジェタクには、度脱したら相手のカルマを引き受けることになるという発想はないように思う。
それは償債も同様である。
考えてみると償債とは自分勝手な理屈だと思う。
悪いことをしたら三悪道に堕ちる。
悪道に堕ちるよりも現世でけりをつけたほうがいい。
だから、自ら進んで殺されるなどの非業の死を遂げることによって業報を果たす。
そして、三悪道に堕ちることを防ぐ。
理屈としては一応もっともではあるが、しかしおかしい。
殺す側からすれば、殺すことによって相手の業を消すかもしれない。
しかし、殺したことによって、今度は自分が悪業を作ることになる。
殺される側にしたら、殺されることによって自分の業を果たすわけだが、そのために他の人間に悪業を作らせるという新たな罪を作ることになる。
これじゃ業は永遠に消えないのではないか。
他人のカルマを背負うという問題、自己の救済のために他者に悪業を作らせるという矛盾を麻原彰晃なりに解消したのが、「心の解放されていない者は、これを行なってはならない」ということだと思う。
もっとも、心の解放されている者とは麻原彰晃しかいないわけで、心の解放されている者は何をしてもかまわないという理屈になるわけだが。
仏教ではずっと業報を恐れてきた。
吉川忠夫『読書雑志』によると、『六度集経』にこんな話があるそうだ。
一人の婆羅門の修行者が喉の渇きをおぼえて、国人が蓮華を植えている池の水を飲む。
「吾は其の水を飲みしに、其の主に告げず。斯れは即ち盗みなり。夫れ盗みの禍為るや、先ず太山(地獄)に入り、次いで畜生と為り、市に屠売せられて以て宿債を償う。若し人と為ることを獲るも、当にと為るべし。吾、早く今に於いて畢し、後患を遺す無きには如かじ」というので、婆羅門は国王のもとへ罪の裁きを求めた。
池の水を飲んだぐらいで地獄に堕ち、畜生として殺され、奴隷になるわけである。
『智度論』にもこうある。
「我は今、悩を受くるも亦た本行の因縁なり。今世の所作に非ずと雖も、是れ我が先世の悪報なり。我は今、之れを償う。応に当に甘受すべし。何ぞ逆らう可けんや」
ほんのちょっとしたことであっても、報いとしてさまざまな苦しみを何度も受けなければならない、という教えは残酷だと思う。
ところが、『歎異抄』には「念仏者は、無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報も感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なり」とある。
業報からの解放が救いなわけである。
宿世ということを櫟暁師は、過去世ではなく、「自分の意志以上の処」という意味だと話されている。
「自分の意志や自分の能力ではどうしてみようもない迷であります。それを宿業というのでありましょう」
どうにもならない、不如意を認めてまかせることが業報からの解放なら、なんとなくうなずけます。
「償債」という言葉を私は知らなかったが、債務の償還、借金の返済という意味なんだそうだ。
この償債、仏教や道教などの文献では独自の意味で使われていると、吉川忠夫『読書雑志』にある。
「「償債」なる言葉に、宿世における罪業を非業の死をもって償うという観念が託されているのである」
たとえば、禅宗の二祖とされる慧可の最期。
慧可は匡救寺の門前で無上道について説法をはじめた。
匡救寺では辯和法師が講義をしていたが、聴講者は講席を抜け出して慧可の説法のもとに集まった。
腹にすえかねた辯和は県令に讒言し、慧可は処刑された。
慧可の最後を償債とよんだ。
つまり、償債とはカルマの清算ということである。
後漢の訳経僧安世高の最期も償債である。
話はこみ入っているのだが、安世高は前世では首を切られて死んだが、それはさらにその前世における罪の報いだと、安世高自身が語っている。
安世高は前世で自分を殺した少年を探しだすと、少年は以前に犯した罪を悔いる。
そして、少年と会稽へ行き、市場に入ったとたん安世高は喧嘩のまきぞえをくって一命を落とした。
安世高は業がいまだに尽きていなかったために、現世でも殺されたわけである。
吉川忠夫氏は「幾重にも積みかさなった宿世からの罪業、一人の少年によって斬られてだけではまだなお「余報」がのこるほどの深く重い罪業を背負った人間の姿を安世高に託したのである」と書いている。
「宿世における罪業の報いを非業の死によって果たす」という話は、曇無讖や竺法慧らの最期もそうで、これら高名な僧侶が前世の報いとして殺されて命を終えているとはいささか驚きでした。
吉川忠夫氏は「償債の観念が仏教の輪廻応報の思想と一体のものであることは疑いがない」と指摘する。
『高僧伝』「安世高伝」には、「三世の徴有ることを明らかにせり」と記されている。
三世とは、前世、現世、来世のこと。
「仏教に接した中国人にとってもっとも理解がむつかしかったのは、仏教の輪廻の思想と応報の思想であったという。(略)中国人が仏教の輪廻の思想と応報の思想とになじみにくかったのは、そもそも中国には過去、未来、現在を貫通する三世の観念がなく、また「積善の家には必ず余慶有り、積不善の家には必ず余殃有り」、善を積んだ一家にはきっと幸福が子孫に及び、不善を積んだ一家にはきっと災厄が子孫に及ぶ、という『易経』の言葉に代表されるように、応報を個人にかかわる問題ではなく、祖先と子孫との家族間に生起する問題と考えることが伝統となっていたからである」
「ところが、仏教本来の思想では、応報はあくまで個人にかかわる問題である」
家ではなく、個人への応報という考えには輪廻の思想が必要になる。
というのは、応報の思想とは善行には善報、悪行には悪報がおとずれるということだが、個人の応報だと現実にはそうなるとはかぎらない。
そこで、応報と輪廻が合体して、「行為にたいする応報には、現生において受ける報いである現報、来生において受ける報いである生報、二生、三生、あるいは百生、千生の後に受ける報いである後報、これらの三種がある」という都合のいい理屈が生まれるわけである。
ただし、償債とは殺されることだけではないそうだ。
「非業の死はいかにもドラマチックであり、「三世の徴有ることを明らかにする」うえにまことに効果的だと考えられたからであろう。しかしながら、償債はなにも非業の死を遂げることによってのみ果たされるわけではない。死後の埋葬を行わず、自分の肉体を鳥獣に布施するところのいわゆる屍陀林の葬法が、宿世からひきずってきた罪業にけりをつけ、来世にまで背負いこまぬことを保証する償債の行為と考えられていた」
カルマの法則は仏教だけではなく、道教にも取り入れられた。
「輪廻応報の思想と一体の償債の観念は、本来、仏教に固有のものであったはずであるが、それはやがて道教にもとりいれられるところとなった」
道教では謫仙(仙界からの追放)と償債の観念が合体している。
王志謹という道士の語録にこういうことが書かれている。
「ありとあらゆる感情むきだしの誹謗中傷、なぐりあい罵りあいの喧嘩口論、面とむかっての嫌がらせなどなど、すべて前世の因縁が結んだところの旧くからの冤(あだ)なのであって、現世で返済せねばならず、何はともあれ歓喜してひきうけるべきである。言い訳することはさしひかえ、わが身にひきとって辛抱してこそ返済しおわったということになるのだ。いさかいをおこすなら、それでもう債務を返済しないのとおなじこと、煩悩はいっそう深く積まれ、冤は重ねて結ばれ、永久にけりをつける時はない」
これと同じように、カルマの法則を援用して道徳をもっともらしく語る人は宗教界以外にも結構いますね。
償債や謫仙ということだが、吉川忠夫氏は「誤解をおそれずにあえて言えば、キリスト教の原罪の観念にきわめて近いものが示されているといってよいのではあるまいか」と言うが、それはどうかと思う。
吉川忠夫氏はこのことについて説明していないのでよくわからないが、自分ではどうすることもできない罪を背負って生まれてくるという点で近いということかもしれない。
日常の軽視ということだが、正木晃『性と呪殺の密教』の注に、『バガバッドギータ』のこんなエピソードが書いてある。
アルジュナ王子は親族同士が殺し合うはめになり、血を分けた人々や親しい友人たちと戦わなければならなくなったために、戦意を喪失した。
クリシュナはアルジュナ王子に、肉体が滅びても個我は永遠に存続する、だから殺すとか殺されるとかいうことは、肉体の生滅にすぎず、大した問題ではないので、必要以上にこだわってはならないと説く。
そして、正木晃氏はこのように説明する。
「『バガバッドギータ』では肉体が滅びても個我は永遠に存続するのだから、殺すとか殺されるとかいうことは、肉体の消滅にすぎず、大した問題ではないと語られる。一方、ドルジェタクは、自分も相手も実在はせず、ともに幻化にすぎないのだから、殺すとか殺されるとかいうことは問題にならないと主張する。この両者は、片方はヒンドゥー教的な実在論、片方は仏教的な非実在論というぐあいに、まったく相反していながら、神の視点あるいは絶対真理の視点から、個別の生命体を無意味として切って捨てる点において、じつによく似ている」
クリシュナの言ってること、靖国の論理と似ていると思いませんか。
密教は仏教のヒンドゥー教化だと言う人がいるくらいで、輪廻の実在を信じるドルジェタクが非実在論者かはともかく、個の生命を軽んじるこういう考えの根本には現世の否定があると思う。
島薗進『現代宗教の可能性』に、「いったん出家してしまうと、一般社会がどうなるかに対する関心はどんどん薄れていく」とあることとも通じる。
悟りということからすると、一般社会がどうなろうと、一般人がどうしようと卑小な問題だということになる。
藤田庄市氏は『「世俗の尊さ」と「宗教的理想」』という講演でこんなことを話している。
「聖と俗と言ったときに、無意識のうちに何となく聖が上で、尊く優れていることを前提としていないか、と私は感じます」
「ここでいう「俗」とは、金儲けをしたいとか、昇進したいとかを言うのではありません。毎日を大事に生きること、何か超自然的な存在を因果関係にもち込まないで、きちんと自身で考え判断していくこと、慎ましやかに生きていくことなどが、俗の意味です」
「世俗の大事さをあらためて感じたのは、取材でオウム裁判の傍聴をしているときでした」
「(遺族の)調書と証言を聞いて私が感じたのは、オウムに殺された方たちが、いかに日々を懸命に生きていたかということでした」
「私は、世俗と言いますか、日常生活とか家族の尊さというものにあらためて気づきました」
「いわゆる欲望をそれほど出さず、超越的存在と関わりなく生きている。関わりなくというか、それでごまかさない。ごまかしの効かない生活ということが、世俗かなと傍聴席で感じていました」
「井上(嘉浩)氏は、裁判では反省し、麻原に反旗を翻して果敢に闘ったようなイメージがあると思うのですが、私はあまりそのようには感じていません」
「弁護士の要請により、仮谷さんの息子さんと井上氏が対話することを、裁判長が許可しました。そのとき井上氏は、「遺族の苦しみを自分の苦しみとして生きていきたい」と謝罪の言葉を述べました。遺族の苦しみを自分の苦しみとしてこれから生きていきたいなどと言ったら、宗教者はまず騙されるでしょう。しかし、仮谷さんの遺族は「あなたに苦しんでもらっても、われわれは少しもたすからない。そうではなく、あなたが本当に反省することだ」と言われました。法廷で井上氏の反省の浅さが見事に暴露された場面だと思います」
「麻原彰晃氏が、盛んにサリンについて言い始めた時期の『真理インフォメーション』という冊子に、「例えば、アリが十億匹いたとして、ある魂が火焔放射器を持っていたらどちらが強いだろうかと。これは何を意味するか。これはまさに魂の価値を意味する」という麻原の言説が載っています。この魂とは、人間という意味です。オウム信者の魂の価値と凡夫の魂の価値とでは、信者のほうが優れており、アリ十億匹に対してオウムの連中が火焔放射器でガーッと焼き殺すというようなイメージです。これは象徴的な文章ですが、彼らは基本的にこういう優越感をもっていましたし、残党はいまもそうでしょう」
「日々暮らしている人の、生活の尊さを感じさせる言葉を聞くとき、このオウムの人たちのような宗教犯罪者の言い分は浅薄だと感じます」
「妙好人は、それこそ日々の生活のなかで、信心をまさに蓮の華の如く美しくしていくわけです」
妙好人のことはリップサービスが混じっている気がするが、それはともかく、藤田庄市氏のオウム真理教批判は、坊さん批判でもあるし、ニューエイジやスピリチュアル批判でもあると思う。
世俗べったりでも困るが、世俗の軽視はもっと困る。
ラマ・ケツン・サンポ師は「密教は、瞑想があたえるあざやかな直接体験を得ることで、すみやかに覚醒にいたろうとするものである」と、神秘体験によって悟りを得るのが密教だと説明している。
中沢新一氏もこう書いている。
「ラマによる灌頂と口頭伝授をつうじて、わたしの前に開示されたゾクチェン=アティヨーガの世界は、そうした言葉どおり、わたしを深々とした神秘体験のとば口に導いてくれた。現象の世界をつきやぶって、本然の心の輝きが、見開かれた修行者の眼前に、たちのぼる虹、とびかう光滴、あざやかな光のマンダラとしてたちあらわれるようになる」
神秘体験にあこがれながら、神秘体験を経験したことのない私があれこれ言うのもなんだが、神秘体験はそんな大したもんなのだろうかと今は思う。
神秘体験の疑問として、ある神秘体験を経験したとして、その体験が悟りと関係あるかないのかを誰が判断するか、ということがある。
空海が室戸岬の岩屋で求聞持法を行い、明けの明星が空海の口に飛び込んできたという話がある。
だけど、ヤマギシ会の特講でも変性意識になるそうで、太陽が身体の中に入ってきたと言う人もいるそうだ。
ヤマギシ会のは睡眠不足と疲労、精神的に追い込まれるなどによって幻覚を見たんだろうけど、空海の体験はそれとどう違うのかと思う。
ある神秘体験が悟りか魔境かは、師匠や指導者、あるいはマニュアルに従って判断されるということになるのだろう。
オウム真理教ではどういう体験したかを自己申告し、それによってその信者のレベルがどの程度かを決めていたという。
しかし、師匠の判断が正しいかどうかがわからない。
師匠に盲従しなければならないのなら、師匠が間違っていても、弟子は従うしかない。
また、神秘体験を求める中で精神に異常をきたすことがある。
それをどうやって防ぐか。
伝統教団では危険を制御する適切な指導方法が伝えられているそうだ。
でも、ある先生が『観経』の「清浄業処」(業処は観想)の説明の中で、タイの僧院で修行していた日本人僧が精神的におかしくなったという話をされたことがある。
まして、新宗教は経験の積み重ねがないから、何らかの事故が起こりやすいという危険がつきまとう。
オウム真理教でも、修行中の弟子が死亡した事故があり、それきっかけとなって暴力的傾向が強まっている。
あるいは、クンダリニーが覚醒したら、指導者がいないと精神病になると、オウム真理教では脅していた。
また、神秘体験を経験する時間はわずかであり、生きているうちの大部分は日常の時間なのに、特殊な体験を絶対化すると、日常を軽んじることになるのではないか。
ここらへんはますますトンデモ的こじつけになってると自分でも思うが、この日常の軽視ということは輪廻の考えと無関係ではない。
ポアや度脱が正当化されるためには、輪廻の実在が前提である。
輪廻の実在は神秘体験で実証される。
ラマ・ケツン・サンポ師は「仏教は、わたしたちの心または意識が、始まりとてない無限の過去から一度たりととぎれることなく連綿と流れつづけてきた、という真実から出発する。この心の流れのことを「心の連続体」と呼ぶことにしよう。さてこの心の連続体は輪廻する世界にあらわれて、次から次へと再生をくりかえしてきた」と、霊魂の実在を認め、輪廻の実体を説く。
だから、ラマ・ケツン・サンポ師の次の話は単なるたとえではない。
ナローパがティローパのところを訪れたとき、ティローパは魚を焼いて食べていた。
「この時のティローパの行動には深い意味がこめられている。ティローパほどの卓越した密教行者には、魚のような生きものを動物の状態から救いだし、より恵まれた環境に移してやれる力がそなわっていた。そこで魚を焼いて食べていたのである。これはインドの成就者の中に昔から行われていた方法で、別の有名な成就者サラハなどは矢で射殺して生きものを救い、また別のある成就者はこの法を行なったため「狩人」と呼ばれていたという」
魚も済度されるべき衆生だから、「高度の心の状態にある者が、低い状態にある他者を殺すこと」なわけでして、魚を食べるのも一種の度脱である。
輪廻を説く人は、来世で悪道に堕ちないよう行いを正しなさいと勧める。
だけど、在家はいくら善行を積んでも解脱はできない。
出家にしても長い時間がかかる。
百年という単位ではなく、千年、一万年という長い時間を見すえている。
しかし考えてみると、一万年後にも人類が存続しているというのは楽観的すぎると思う。
もしも地球上の生物が滅亡したら、もはや輪廻のしようがない。
生まれ変わりをくり返しながら霊的に成長するという考えは、現世の軽視であると同時に、あまりにも楽観的な未来観だと思う。
ついでに言うと、終末論にしてもそうで、エホバの証人では、ハルマゲドン後に人類のほとんどが滅びるが、選ばれた人、つまりエホバの証人だけは生き残ると考えている。
これもご都合主義的独善的楽観論としか思えない。
追記
『口伝鈔』にこんな話があるのを思いだした。
親鸞が袈裟をつけたまま魚を食べたのはなぜかと聞かれて、こう答えた。
「食する程ならば、かの生類をして解脱せしむるようにこそ、ありたくそうらえ。しかるに、われ名字を釈氏にかるといえども、こころ俗塵にそみて、智もなく、徳もなし。なにによりてか、かの有情をすくうべきや。これによりて袈裟はこれ、三世の諸仏解脱幢相の霊服なり。これを着用しながら、かれを食せば、袈裟の徳用をもって、済生利物の願念をやはたすと、存じて、これを着しながら、かれを食する物なり」
これはティローパが魚を食べる理由と同じだと思う。
オウム真理教では、信者たちが麻原彰晃の命令に従ってポアという名の殺人をしたのはなぜか。
いつものこじつけですけど、そこにもチベット仏教の影響があると思う。
チベット仏教は師を絶対化し、無条件で服従しなくてはいけない。
そして、神秘体験を重視する。
この二点は関連がある。
島薗進氏によると、麻原彰晃はラマ・ケツン・サンポ、中沢新一『虹の階梯』の影響を受け、熟読し、多くを学んだことはまちがいないそうだ。
その『虹の階梯』の序に中沢新一氏はこう書いている。
「ラマによる灌頂と口頭伝授をつうじて、わたしの前に開示されたゾクチェン=アティヨーガの世界は、そうした言葉どおり、わたしを深々とした神秘体験のとば口に導いてくれた。現象の世界をつきやぶって、本然の心の輝きが、見開かれた修行者の眼前に、たちのぼる虹、とびかう光滴、あざやかな光のマンダラとしてたちあらわれるようになる」
つまり、ラマの指導に従うことによって、悟りという神秘体験が得られるというわけである。
師資相承によって教えが伝わるのだから、師を大切にしなければならないのは言うまでもない。
しかし、チベット仏教では師と弟子は「徹底的全面的な支配服従の関係」にある。
ラマ・ケツン・サンポ師は「ラマへの深い信頼、誠実、熱意、渇望、そういうものがなければ瞑想修行の成就は難しい」と話し、そしてティローパとナローパ師弟のエピソードを語る。
ティローパはナローパ(マルパの師匠)に九層の塔から飛びおりろとか、焼けた竹のとげを指の間につきたてろなどと命じる。
これはヴァジラヤーナの「弟子の心の成熟のために、弟子に暴力を加えるなどの悪業をあえて犯すこと」ですね。
ナローパはティローパから与えられたこれら24の試練をのりこえ、そうして悟りを得る。
このように、師に絶対服従しなければ成就することはできない。
「昔の成就者たちは、身体の苦しみや自分の命のことなどにまるで無頓着に、これほどまでして真理の教えを求めたものだ」とラマ・ケツン・サンポ師は話す。
これを読んで、オウム真理教元信者のこういう話を思いだした。
「(事件は)全然信じられませんでした。ただ、その当時は、「ああ、尊師はこんなウソまでついて私たちの志気を高めようとしているのか。それじゃあ、この芝居に乗っかかってやるしかないな」ってわざと信じるふりをしていたんです。
その後、(略)事件はオウムが起こしたものってほぼ確信したんです。でも私はやめなかったんですよ。一年くらい残っていたんです。
まだ残っている人もそうだと思うけれど、グルの真の意図を確かめたかったからですね。「私には理解できない、何か深い考えがあるのではないか」。それがありましたね」(カナリアの会編『オウムをやめた私たち』)
何でこんなことをしなくちゃいけないのかとか、矛盾してるじゃないかとかというように、おかしいなと疑問を感じることがあっても、これにはきっと深い意図があるに違いないとか、私を試しているんだとか、疑いが生じるのは煩悩のせいなんだと都合よく考え、無意識のうちに疑問をおしとどめる。
これは盲従である。
そのうちにどんな無茶な指示でも躊躇なく従うようになる。
師匠が間違えないという保証はない。
島薗進『現代宗教の可能性』に、「最終的な善悪の基準が、超人的とされる個人の信念に委ねられることで、独善的な暴力への批判やチェックの可能性が失われている。そこには自己中心的、自己陶酔的な暴力の正当化に対する、教義的な歯止めがない」とある。
このチェック機能の有無という問題は、オウム真理教の暴力だけの問題ではなく、あらゆる教団に、そして献金や布教など宗教的行為のすべてについて言えることだと思う。
オウム真理教の暴力のより重要な要因は何か。
島薗進『現代宗教の可能性』には、「筆者はオウム真理教でいうところの「ヴァジラヤーナ」の教えとそれに関連するさまざまな教えや実践の果たした役割が大きいと考える。ヴァジラヤーナの教えはオウム真理教の信仰世界の中核に近いところに位置しており、その比重は終末予言やハルマゲドンの観念よりもはるかに重い」とある。
ヴァジラヤーナはいくつかの意味で語られるとして、島薗進氏は四つあげている。
(1)「いっさいのものに動かされない金剛の心をつくること」
「いっさいの心を動かす要因から完全に解放され、そして自由になることである」
つまり、暴力を行使することをためらうのは煩悩だということになる。
島薗進氏は「「金剛の心」を育て断固たる意志をもった個々人が、冷静沈着に暴力を遂行し、表情を動かすこともなく(あるいは明るく生き生きさわやかしなやかに)犯罪隠蔽の行動と発言を重ね続けることができたのだった」と言う。
(2)は省略。
(3)「弟子の心の成熟のために、弟子に暴力を加えるなどの悪業をあえて犯すこと」
金剛の心口意を持たせるためには、カルマのけがれを取り除かなければならない。
「例えば、A君がB君を殴りつけたと。このとき、B君の今までの殺生などのカルマがA君に移行すると。そうすると、そこでA君はいっそう暴力的になり、そして身体を痛め、解脱に対する道筋を失われるようになると。例えば、A君がB君を罵倒したと。そうすると、今までのB君の口のカルマがA君に移行し、A君のアストラルはけがれ、そして本当の意味での神聖な、清らかなヴァイブレーションのマントラが唱えられなくなると。
しかし、ここで問題になってくることは、なぜA君がB君を罵倒しなければならなかったかであると。もし、A君の心の働きの中にB君を本当に真理に目覚めてほしいと、本当に真理を実践してほしいという心があったならば、例えば暴力を振るったり罵倒したりしたとしても、A君の心は成熟するであろうと。(略)なぜならば、A君は自分のなした行為、例えば殴ると、この行為によって自分の身のカルマはけがれると、例えば罵倒することによって口のカルマがけがれるということを知っているからであると。知っているというのは、頭の中で知っているだけじゃなくて、実際に経験しているからであると。しかし、もしA君がここでB君に対してそれを行なわなければ、B君は地獄へ落ちてしまうだろうと。A君がそう考えたとしたならば、これぞヴァジラヤーナであると」
島薗進氏はこれをまとめて
「この例では、①A君はB君に暴力を振るう。②A君はそれによって自己に悪業の報いがあることをよく知っている。③しかしB君が地獄へ落ちるのを妨げるには、暴力を振るうしかないことを知っている、という条件の下で、A君が暴力を振るうことをヴァジラヤーナの実践として肯定している」
暴力を振るうことで相手のカルマを自分が背負うことになるが、暴力によって相手を救うことになるというふうに、暴力が肯定される。
もっとも、このA君は誰でもいいわけではない。
ヴァジラヤーナの条件は、「身、それから口のカルマから完全に解放されていること」なので、「心の解放されていない者は、これを行なってはならない」
つまり、暴力の行使はグルやグルに近いレベルに到達した者にのみ許されるということである。
(4)「高度の心の状態にある者が、低い状態にある他者を殺すこと」
「例えば、ここに悪業をなしてる人がいたとしよう。そうするとこの人は生き続けることによって、どうだ善業をなすと思うか、悪業をなすと思うか。そして、この人が若し悪業をなし続けるとしたら、この人の転生はいい転生をすると思うか悪い転生をすると思うか。だとしたらここで、彼の生命をトランスフォームさせてあげること、それによって彼はいったん苦しみの世界に生まれ変わるかもしれないけど、その苦しみの世界が彼にとってはプラスになるかマイナスになるか。プラスになるよね、当然。これがタントラの教えなんだよ」
島薗進氏はオウム真理教の暴力が二つの点で変化してると指摘する。
「師弟関係にある内輪のものに対する暴力から、一般他者、ないしは敵や妨害者と見なされた者に対するそれへの変化」
もう一つは、
「生存する相手の成長を願った教育的意図をもつ暴力から、そうした意図を放棄し、悪業を犯させないという善なる意図の名のもとに、こちらの利益に従って殺害を行なうこと、その意味での「ポア」による「救済」への変化」
つまり、弟子の指導のために行われる暴力が、一般人が悪を造るのを防ぐための殺害に変わってきたのである。
藤田庄市氏は『「世俗の尊さ」と「宗教的理想」』という講演でこんな話をしている。
オウム真理教では四無量心(慈悲喜捨)の捨を「聖無頓着」と言っていた。
「聖無頓着の修行、外的条件に心が動かされない精神を、彼らは手に入れようと修行しました。その修行によって、してはいけないことまで肯定できる状況になって、相手がどう考え、どう感じているのかなどを考えなくなる」
つまり、ヴァジラヤーナの「いっさいのものに動かされない金剛の心をつくること」とは、こういうことなわけです。
それで、藤田庄市氏は、
「麻原氏は、坂本さんを殺した早川紀代秀氏に対して「聖なる道は善悪を超えている。お前は善悪の観念が強いからそれを捨てなければいかん。人間的な情も執着になるから捨てよ」ということを言っています」
と話し、早川紀代秀と弁護人のやりとりを紹介する。
弁護人から「(坂本弁護士の)家族まで殺れと麻原に言われたときに、躊躇しなかったのか」と法廷で聞かれた早川紀代秀は、「躊躇はあった。しかし、子どもも含めてポアせよと言われ、かわいそう、やりたくないという気持ちが出ても、それが自分の良心であると思えないようになっている。本当の慈悲はグル(尊師)にしかない。ポアしろと言われれば、慈悲のないわれわれは反抗できない。やりたくないのは自分が汚れた気持ちだからだと思ってしまう」と答えている。
「相手の苦しみに無頓着になることが、慈悲だというわけです。禅宗では、これとおなじようなことが、いまも言われているのではないでしょうか」と藤田庄市氏は言い、そして
「宗教者は「善悪を超えている」というようなことをよく言うでしょう」
「こういうことは危険なのだと自覚してほしい。「聖」というものが非常に高みにあると思い込んでいるから、そういうことを平気で言うのだろうと思います」
と批判している。
ここらは難しい問題である。
正木晃氏は『性と呪殺の密教』で、ドルジェタクの度脱とオウム真理教のポアとの違いを、「ドルジェタクにしても、度脱の対象は彼を殺害しようとした者のみに限定されていて、オウム真理教のように、無関係の人々を無差別に大量に殺害する事態は絶えてなかった」と言う。
しかし、ドルジェタクがどういう人を殺そうとしたか、その実態はよくわからないし、殺人という行為をもっともらしく正当化した理屈は「聖」ということなわけで、オウム真理教が落ちた落とし穴は身近なところにあるんだと思う。
島薗進『現代宗教の可能性 オウム真理教と暴力』に、「実際のチベット密教の信仰生活においては、暴力の噴出は長く抑制されてきた」とあるが、これは間違い
正木晃『性と呪殺の密教』によると、「悪人に対する救済とは、その人物がそれ以上悪いことをしないうちに、はやく殺して、浄土に送り届けてやることである。それがホトケの慈悲というものである」というポアの論理はオウム真理教独自のものではなく、インド後期密教やチベット密教にすでに存在し、度脱という人を呪殺する修法が実際に行われていた。
で、ドルジェタクに話は戻って、「彼(ドルジェタク)は自分に敵対する者を、仏教における智恵の神、文殊菩薩の化身にして冥界の王たるヴァジュラバイラヴァ(ヤマーンタカ)を主尊とする密教修法によって、つぎつぎに葬り去っていったのである。彼が用いた秘儀を「度脱」という。度脱は、ある特定の人物を、それ以上の悪事を重ねる前にヴァジュラバイラヴァの秘法を駆使して呪殺し、ヴァジュラバイラヴァの本体とされる文殊菩薩が主宰する浄土へ送り届けるというものである。ドルジェタクは、おのれの行為を慈悲の実践にほかならないと主張した」
度脱によって本当に人が呪い殺されるのかと思うが、サキャ派の祖コンチョク・ギャルポの父親やカーギュ派の始祖マルパの長男など、有名な僧侶を次々と度脱したとされるのだから、大した呪力だったわけである。
マルパの直弟子から、度脱は仏法にあるまじき罪深い行為だと詰問されたドルジェタクは、「度脱は解脱への近道にして、慈悲の道であり、ひいては慈悲の武器にほかならない」と答えている。
「度脱、すなわち呪殺の行為は、利他行である。救済しがたい粗野な衆生を利益する、まさに仏の大慈悲である。
勝義においては、殺すということもなければ、殺されるということもない。幻化による幻化の殺はありえないのと同じである。
性的ヨーガと度脱の実践なしに、密教はありえない」
度脱は慈悲の行為であるから殺人の範疇に入らないというわけである。
一切は空、つまりすべての存在は本来は実在しないから、殺しても殺したことにならない。
あるいは唯識、すなわちこの世の森羅万象は心が生成した幻ならば、性的ヨーガで現実の女性を相手に性行為をしても、その女性は自分の心が生み出した存在だから、性的ヨーガを実践しても戒律に触れない。
もっともらしい屁理屈です。
度脱はドルジェタクが創始したものではない。
『グヒヤサマージャ(秘密集会)・タントラ』には、
「糞尿と経血を食べ、つねに酒などを飲み、ヴァジュラ・ダキーニと性的ヨーガに入り、住位の特徴によって殺生をなせ」
「阿闍梨を誹ったり、そのほか最勝の大乗を侮ったりする者たちは、努めて殺されてしかるべきである」
「殺された者たちは、かの阿閦如来の仏国土において仏子となるであろう」
などと説かれているそうだし、『理趣経』でも性行為を修行として認め、殺人が正当化されている。
インド後期密教ではなぜ度脱が行われるようになったのだろうか。
正木晃氏によると、ヒンドゥー教徒やイスラム教徒の仏教徒迫害は過酷かつ凄惨で、仏教徒が自衛のために呪術をはじめとする対策を講じざるを得なかったらしい。
「度脱は敵対するヒンドゥー教徒やイスラーム教徒から弾圧され過酷な運命にさらされていた仏教徒が、自衛のための対抗手段として開発した霊的技法だった可能性が高い。つまり、度脱は本来、相手の圧倒的な暴力に対して、有効な暴力装置をもちえない者たちの、ほとんど唯一の対抗手段だったのである」
これまたほんまかいなという話ではあります。
ドルジェタク自身も若いころ、敵対する行者に度脱されかかって瀕死の状態になったことがある。
その時には師に助けられ、そうして師から度脱の行法を習得したのである。
度脱はプトンやツォンカパたちによって否定されてはいる。
度脱という言葉を使ってはいないが、日本でも度脱が行われていたそうだ。
調伏法と息災法というセットで、度脱にかなり近い発想にもとづく修法が行われてきた。
「調伏法は悪をなす者を降伏させ無力にする修法ということになる。そして、悪をなすほどの者はそう簡単には退散しないので、最終的には呪殺することもやむを得ないという話になる。もちろん、この調伏法を私利私欲のためにおこなうことは厳禁され、悪に苦しむ多くの衆生を救済する最後の手段として、あくまで慈悲の心によって、いいかえれば菩薩の行為として、これをなすことが絶対的に要請される」
息災法とは災いを息む修法。過去世からの罪業も含めて、罪業を滅して解脱に導く。
「やむなく呪殺した悪人をもそのままに捨て置かず、息災法によって救済することが求められている」
調伏の対象となった最大の人物は平将門だそうだ。
将門を滅ぼした大元帥法は明治4年まで宮中において続けられたという。
そして太平洋戦争末期、ある密教僧によってルーズベルト大統領を調伏させたという話があり、正木晃氏によると「この話が単なる噂以上のものである」ということで、いやはや。
現在でもカトマンドゥやパタンには「霊能者がかなりの数いて」、「この一帯では、呪いの効果は歴然と認められており、誰が誰を呪っている、霊能者を頼んで呪い返しをした、というふうな話をよく耳にする」んだそうな。
正木晃氏は、「この種の論理が、なにもこの時期の密教のみならず、世界の宗教史上、幾度となく、主張されてきた事実も、私たちは認めなければならない。キリスト教にも、イスラームにも、まったく同じといっていい論理が、少なくともかつては存在した」と言う。
そして、「極言すれば、現代の死刑制度もまた、こうした論理と無縁ではない」と、度脱と死刑に共通性をみる。
全面的に賛成である。
自分でもしつこいと思うが、以前引用したあるブログの記事。
「お坊さんでしたら"死刑回避"っていう"現世利益"にこだわらず、むしろ来世での救い、死を受け入れて浄土への往生を諭すのがお仕事なんじゃないのかしら?っと思うわけで。現世利益にこだわるのは学会さんだと思っていました。むしろ罪を悔いて刑に服し救済を願う。そのときに"南無阿弥陀仏"っと唱えることで、阿弥陀様が浄土に連れていってくださるのではって。そう諭すことが真宗の僧侶の仕事であって、死刑・・・厳罰化に反対するのが本来の仕事ではないと、感じたりとか。なんか、ちょっと・・・ずれてる気がして」
この人の言ってることと同じ話を死刑囚に対してした教誨師がいたと、免田栄『免田栄 獄中ノート』に書いてある。
「浄土真宗の教誨師が来て、前世において死刑囚になる因を持っていたから現世において死刑囚になっている、故にそのままの姿で処刑されねば救われない」(免田栄『免田栄 獄中ノート』)
でも、悪人を死刑にすることでよりよい状態に生まれさせるというのは、度脱と同じ発想である。
島薗進『現代宗教の可能性 オウム真理教と暴力』によると、オウム真理教はヒンドゥー教やインド後期密教の論理を土台としている。
オウム真理教で説かれるヴァジラヤーナには性的ヨーガと同じようなものがある。
『ヴァジラヤーナコース 教学システム読本』に、タントラヤーナは「わたしたちの最も低い次元のエネルギーの一つである性エネルギーを上昇させるための修行である」とあり、セックスによる修行を含意していると島薗進氏は指摘する。
そして、麻原彰晃『超能力「秘密の開発法」』には、「タントラ」「左道」「房中術」による「幽体離脱」の能力開発についての解説にこんなことが書かれてあるそうだ。
「▼失敗しないための四つの条件
①相手の選び方
相手となる異性は男性でも女性でも、年下で美しく、気立てがいい人を選ぶようにする。(略)
④その後の処理
次にセックス後の処理であるが、処理した時としない時では違うので、別々に説明しよう。
射精した時は、セックスのあとすぐに眠りに入る。最低六時間寝てから、陽気を巡らせるツァンダリーを行なう。
女性の場合も、男性と同様、ツァンダリーを行なう」
「相手が終わったら、あなたが男性の場合は陰茎をピクピク動かす。女性だったら膣を締め付ける。それと同時に次のことを観想する。
〈男性の場合の観想法〉
相手の女性の性器から分泌された愛液が、赤いエネルギーを発していることを観想する。その赤は、鮮血のような、また炎のような赤である。あなたは、陰茎をピクピクさせながら、赤いエネルギーを陰茎で吸い上げているという気持ちを持たなければならない」
そうして吸い上げたエネルギーをムーラダーラ・チャクラから背骨を通らせて上へあげ、ブラフマ孔へ到達させ、そこでそのエネルギーを蓄えておく。
「それがすんだら時間をおかず、すぐに陰茎をピクピク動かして、エネルギーの移動を繰り返す。全部で三回エネルギーをブラフマ孔に蓄えたら終了する」
島薗進氏は、麻原彰晃がエクスタシーの統御と利用の実践が「解脱と超能力獲得のための、たいへん有効な方法であると考えていた」と説明している。
性的ヨーガは難しくてできそうにもないけど、ピクピクなら今度やってみるかと挑戦する諸兄がいそうである。
房中術、接して漏らさずというあれですが、インド後期密教と関係ありそうに思ったけど、年代的には房中術のほうが先である。
房中術は不老長生が目的だし、性的ヨーガは悟りを得るための手段という違いはあるが、どちらもセックスを修行法にしているわけで、人間の考えることは洋の東西を問わず似たり寄ったりということか。
伊坂幸太郎『重力ピエロ』にこういうセリフがあった。
「人間は賢いからさ、セックスの最中にも自己欺瞞や勘違いばっかりだ。相手を支配しているだとか、辱めているだとか、道徳的であるとか、道徳的でないだとか、余計なことをぐちゃぐちゃ考えるんだ。宗教や神にまで結びつける奴もいる」
どうなんでしょうね。
羽田野伯猷「チベット人の仏教受容について」という論文で、Rwa翻訳官ドルジェタク(?~1110以降)という、敵対する人間を度脱(呪殺)し、若い女性(瑜伽母)とセックスするチベット僧の名前を知った。
正木晃『性と呪殺の密教』はこのドルジェタクを取りあげた本である。
ドルジェタクをゲルク派の宗祖ツォンカパも高く評価していた。
その理由の一つは、正木晃氏によると、ドルジェタクは「きわめて優れた仏典翻訳家だった。しかも、ただたんに翻訳家にとどまらず、彼自身がすぐれた霊的能力の持ち主であり、実践をなによりも重視する密教の導入にかかせない逸材といってよかった」ということ。
ドルジェタクの仏典翻訳は、当時から非常に優れているという定評があり、現在でもその評価は変わらないそうだ。
「ドルジェタクが本場インドの教えとチベット的に変容を遂げた教えとを混同しなかった点も大きい。つまり、ドルジェタクの翻訳は正確なのである」
というのも、ドルジェタクはナーランダー寺で7年間修学している。
「ドルジェタクが卓越した翻訳事業を展開できた理由は、まず第一に、彼がインドの超一流の学僧に師事して、本場の正統な教えを学びかつ的確に理解できたからである。ネパールやインドに留学したチベット人はあまたあるが、ドルジェタクのように、そのころ最高の仏教学府だったナーランダー大僧院に何年もとどまり、最優秀の師のもとで研鑽を積むことができた例はほとんどない」
また、当時は法の伝授には謝礼が必要だったため、ドルジェタクには莫大な収入があった。
その金銭の使い道だが、「ドルジェタクの金の使い方は、おおむね立派だった。彼は莫大な財産のほとんどを、仏法興隆のためにつぎ込んだ」
インドとネパールの師匠に何度も布施をし、僧院にたびたび献金している。
サムイェー寺の修復を何年もかけて行い、費用は自分一人で出した。
慈善事業や教化事業にも大いなる功績を積んでいる。
ここまではいいとして、ドルジェタクは性と殺というチベット密教の闇の領域に深く関わっていたと、正木晃氏は言う。
チベット密教には性的ヨーガという性を導入した修行、そして度脱(呪殺)という修法がある。
性的ヨーガとは性的パートナー(瑜伽母)との性行為によって真理を獲得する。
どんなことをするのかというと、インド後期密教では灌頂は四つ設定されて、そのうちの秘密灌頂では、「受者が導師に、「大因」と称される妙齢の女性を性的パートナーとして捧げ、導師は彼女と性的ヨーガを行ずる。導師はおのれが射出した精液を、女性の膣内から取り出し、受者の口中に「菩提心」として投入する。これで受者には菩提心が植えつけられたことになる。資料によっては、精液を女性の経血と混ぜて、投入するともいう」というように、何ともはやなのである。
当時は実際に精液や経血が用いられたが、現在では性行為をせずに瞑想によって同じ体験をするそうだし、また精液ではなくヨーグルト、経血ではなく赤サフランの粉末で染めたヨーグルトで代替されるとのことです。
ラマ・ケツン・サンポ、中沢新一『虹の階梯』にも、空性大楽の瞑想法についてこんなことが説かれている。
「大楽はへそから四、五センチ下のチャクラ(秘密チャクラ、道教の丹田にあたるところ)に生まれる。身体の熱はすべてここから発する。ここがツァンダリーと呼ばれるところである。普通、男女が性交する時には、このツァンダリーがわずかにふるえ、快楽をもたらす熱を発している。空性大楽の瞑想はこのツァンダリーを大きくヴァイブレートさせて、空性の体験に結びついた、とらわれることのない大いなる楽をもたらすのである。
まず秘密チャクラの位置に、八弁の白い蓮花を観想しなさい。その上に真紅の「ア」字があらわれる。特殊な呼吸法にあわせて意識を集中すると「ア」がふるえ、赤い火が燃えあがってくるようになるだろう。この炎は中央管をしだいしだいに上昇し、頭頂大楽チャクラにある逆さになった白い「ハム」字を溶かしはじめる。「ハム」字がわずかに溶けはじめた時には、性交の快感と同じ体験を得るだろう。しかし呼吸法にしたがって「ハム」字からさらに甘露が溶けだして中央管を下り落ち、各チャクラをみたしていく時には、その強烈さ、その持続性、その純粋さにおいて、性交とは比較にならない四つのすばらしい楽がもたらされるのである」
「この瞑想法の達人たちは、精液をもらすことなく、性交の快楽を空性大楽につくり変えることができる能力をもつようになる」
「実際の性交はこの瞑想のための単なる足がかりにすぎないのであって、多くの密教行者は性交など必要とせず、創造的想像力でこの空性大楽の瞑想を完成させたものである」
何やら瞑想法の達人になろうという気にさせる説法です。
関係ないけど、『ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲』を見てて、白ゼブラと黒ゼブラの合体シーン、あれは性的ヨーガというか、ヤブユムだと思ったようなことでした。
ドルジェタクは妻が死んだあと、5人の若い女性をパートナー(瑜伽母)として性的ヨーガを実践している。
5人目の瑜伽母を迎えた時、ドルジェタクは80歳ぐらいの年で、瑜伽母は12歳だった。
「民衆の怒りが爆発し、あわや危機一髪というところまでいってしまった」
その時には、「強大無比の霊力を発揮して、またまたドルジェタクは危機を脱し去る」ということで、何とも波瀾万丈の人生なのである。