三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

櫻井義秀、中西尋子『統一教会』2 勧誘・教化

2012年03月30日 | 問題のある考え

統一教会は、どのように勧誘し、入信させ、献身させるのか。
「マインド・コントロールという概念が極めて広く捉えられているために、元信者達は催眠術にでもかかったかのように教団に引き寄せられていったと思われるが、そうではない。教団は直接信者の心を虜にすることで彼らを支配しているのではない」

信者を支配するための策略とは?
アメ(統一教会の信者達との心情的交わり)とムチ(家系の衰退、先祖解怨、地獄の恐怖、霊界の働き)を交互に使い分ける。

1,教えの秘教化戦略
「統一原理を知らされたのは神に選ばれたあなただけなのだとおだてた後に信者との取引を始める。真理を知って実行しなければ大変なことになりますよと」
つまり、義務感と使命感である。

2,巧みな環境の置き換え

「勧誘されたばかりの人には信者が自分達が持てるだけの誠意、時間、持ち物を与えて、信者になることを決意させる」
つまり、心地よさと居場所を与えるわけである。

3,徹底して信者を搾取する

「踏み絵を踏ませる。試練を与えれば与えるほど、信者はそこに意味を自ら見いだしていく」
つまり、信者の認知的錯誤を利用する。

統一教会には独特の勧誘・教化プログラムがある。
その順序は[正体を隠した勧誘]→[手相・姓名判断]→[ビデオセンター]→[ツーデーズセミナー]→[ライフトレーニング]→[フォーデーズセミナー]→[新生トレーニング]→[実践トレーニング]→[伝道]→[マイクロによる訪問販売]
「各過程に明確にプログラム化された教化システムがあり、指導者や信者達が新規の加入者を教導するマニュアルがある」

・正体を隠しての勧誘
「統一教会はこの30年近く、統一教会の名前や活動内容を予め学生や市民に説明した上で布教活動をしてこなかった。新規に入会する人達は全て文化系サークル、教養講座、鑑定所等への勧誘と誤解させられ、偽装団体内部で人間関係ができあがり、ある程度の教化活動が終了した段階でここは宗教組織であること、統一教会という世間では誤解されている団体と知らされている」

信者は、育ちがよく、勉強や仕事を真面目にする人が多い。
そういう人には声をかけるが、精神的に弱い人、無職やバイト、非行少年など「お荷物になる信者はいらない」ので相手にしない。

街頭での勧誘トークから一部引用

「人生って一度きりだから一つの生き方しか選べませんよね。いろんな哲学者の思想を全て実践するってわけにはいかない。だとしたら、最高のものを学んで最高の人生を送りたいと思いませんか。人類の歴史で多くの思想家や宗教家が登場してきて、いろんなことを教えてくれたはずなんですが、世界から戦争や貧困はなくならないし、私達だって人生のいろんな悩みから解放されたわけじゃない。対症療法だけやってもダメなんです。根本的な問題解決をしないと。実は明確な解答があるんです。このビデオセンターではそうして内容が明確に説かれているんです」
真面目人間の気持ちをくすぐるこのお誘いは、オウム真理教などとも共通する。

・ビデオセンター
統一教会では『奇跡の輝き』『ゴースト』『クリスマスキャロル』のビデオを見せるそうだ。
いずれも地獄の苦しみを描いている映画で、こういう使われ方をしているとはね。
『奇跡の輝き』は、子どもが死んでウツ病になった妻が自殺して地獄に堕ち、夫が妻を救うというお話で、私は見てて腹が立った。
ところが、ある研修会での質疑応答の時に、大本の信者が研修とまったく無関係に、『奇跡の輝き』を推奨したので唖然としたことがある。(ご本人は親切のつもりでしょうが)

・入信後の献身
「学習期間の後、伝道と物品販売の実習を行うが、ここで統一教会の実践的信仰(階梯に基づいた指導と服務、実績不足を不信仰の結果として反省、神・霊界の働きを伝道件数・物品販売額として実感させるなど)を体験するよう訓練される」

マイクロバスで寝泊まりしながら、スーパーで買える珍味などをバカ高い値段で売ろうとするためには強い信仰が必要となる。

統一教会信者の信仰の特徴、及び彼らが信仰を見つめる方法
(1)マゾヒスティックな信仰である。
客観的にはさして商品価値のない雑貨を飛び込みで朝から晩まで売り歩かせられ、家の人から「否定」的言辞を受け、売上実績に満たないということで上司から「否定」の叱責を受ける。叩かれれば叩かれるほど、その信仰は正しいもの、価値あるものと信者が思い込むように教え導く教説とシステムがある。

(2)体験主義的な信仰である。
数値で信仰の度合いが示されるために、信者の心情は安定することがない。不安を解消し、自分を慰め、この状況に意味を与えてくれる教説を希求するような状況を常に作り出しているのが、伝道でありマイクロ(訪問販売)である。導かれる人や売上があれば神の恵み、霊界の援助であり、なくても神が与えてくれた試練となる。

(3)途中で離脱するものに計り知れない後ろめたさを残す信仰である。
神、真の父母と称される教祖夫妻、教団幹部、隊長等の上司に常に心情や行動を見通されているという心理状態において逃げ場がない。逃げるものが受けねばならない報いは、現世の一族郎党はおろか霊界の先祖達全てに及ぶと言われているので、いったんこの信仰に囚われると責任感の強いものは投げ出すことができない。

そうは言ってもくじける人が出てくる。
「これは子供達に一生受験勉強をしなさいと精励しているようなものであり、早晩モラール(志気・意欲)の低下は避けられない。そこで統一教会は二つの内的動機づけを与える。一つは霊界を意識する生活である。これは信者が姓名判断や家系図診断に従事することで、統一教会の霊界・霊能儀礼が知らず知らずのうちに内面化され、霊界や霊を恐れるようになる(略)。もう一つは、祝福という希望への情動をかき立てる契機だ」
霊能と祝福については次回に。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

櫻井義秀、中西尋子『統一教会』1

2012年03月27日 | 問題のある考え

『統一教会』の筆者の立場
「筆者は統一教会の諸活動が社会問題化していると認識しており、布教方法と資金調達方法は違法行為だと捉えている」

筆者のカルトの定義
「筆者なりにカルト的信仰を定義するならば、組織に依存させられた信仰である。個人を既成観念から解放し、自由にするような信仰のあり方ではない。その人の自分なりの考えや親子・友人関係、社会人としての自立した生活基盤を、組織の言葉、教団内の人間関係、教団から与えられる仕事に全て置き換えさせ、信者を個別に管理して初めて成り立つ宗教といえる」

統一教会の教説
「統一教会では、原罪はサタンと人類始祖のエバが姦淫・不倫をおかし、神に背いた悪の血統がアダムを経て人類全てに相続されていると考える(堕落論)。イエスは子孫を残さず天に上げられたので神の救済計画(復帰摂理)は失敗したが、神は人類に再臨主を遣わし、神の王国建設は現在も続くのだという。その再臨主が文鮮明であり、文夫妻の司式による「祝福」(合同結婚式)によって無原罪の子をなし、神を中心とする家庭を完成させるというのが統一教会の活動目標である」
統一教会の教説は文鮮明の独創ではなく、文鮮明以前に同じような教えを説いていた人がいるし、韓国には自称再臨主は文鮮明のほかに何人もいるそうだ。

『統一教会』に書かれてある統一教会の教説と批判を読んでも、私にはどうして多くの人が信仰するようになるのかわからない。
エバのせいで人間は生まれながらに罪を背負っているなんて、無実の罪に苦しむようなものである。
エバが不倫してとか、そういうおとぎ話を信じるのは不思議だと思っていたが、統一教会の教説のもう一本の柱は霊信仰だと、『統一教会』にあり、ちょっとだけ納得した。
「統一教会の教えによれば、人間は死後「霊人体」となって霊界に行く。原罪を持ったまま霊人体となった先祖は地獄で永遠の苦しみを受けているのだが、地上にいる子孫の善行により功徳が先祖に転送され先祖は安らぐのだという。ところが、このことを知らずに功徳を送らなかった人は死後、霊界で先祖の霊達に責められる」
この教説の前半は伝統的、後半と統一教会独自だそうだ。

統一教会の病気治しも悪霊祓いである
病気の原因である悪霊を叩いて追い払う。
この点からも、統一教会は東アジアの民間信仰の影響が強いそうだ。
「霊の働きを中心に据えた教義や儀礼は、祟り信仰に慣れた日本人には現実味があり、霊に対する畏怖の念が、信者の教会にすがる態度、逆らうことの困難さを増幅していたと考えられる」

もちろん、患者を叩いて病気が治るわけはない。
ある日本人女性は大金を払い、総本山である清平でさんざん叩かれても治らず、「ここでは治らないから、帰りなさい」と見放された。
日本に帰って手術をしたのだが、脊髄腫瘍だったという。

先祖を救う方法は祝福(合同結婚式)である。
「統一教会の世界観では、霊界と現実世界があり、相互に交信可能だし、霊人が地上人に影響力を行使することも可能であれば、地上の人間が霊人となった先祖を供養により慰撫することもできるという。信者はこの世において統一教会に入信して祝福を受け、真の家庭を築かなければ救済に与れないし、統一教会の教えを受けずに亡くなった先祖達は、死後において統一教会の研修と祝福を受けて真の家庭を築かなければならない。どちらの場合も、信者が統一教会にしかるべき金額の献金を納入しなければことは進まないとされる」
信者は霊界で救済を待つ先祖達も救う義務を有しているわけである。
「地獄にうごめく悪霊や恨みを抱いた祖霊は極めてパワフルな影響力を地上の人間に行使するとされるのだが、こと天国への門を叩くことに関してはまことに無力であり、子孫のなけなしの献金を鶴首して待つ身の上なのである」

こうして「客観的には青年信者であっても数百万円、壮婦であれば資産に応じて1000万円から数億円の献金を要請されるままに出し続け、それ以外の選択の余地がないような精神状態に追いつめられて」いくわけである。

被害の訴えがありながらも、いまだに統一教会が日本で活動を続けているのは、政権与党の庇護(金丸信、山崎拓、安倍晋三、中山文科相たち)や、統一教会に好意的な発言をする大学人の力も大きい。

強制脱会
「ディプログラミング等外部からの介入行為により強制的に脱会させられたものがいる」
ディプログラミングとは、信者に有無を言わせずに閉所に隔離して脱会を説得する行為。
「(この)人達だが、隔離された体験において精神的に傷つき、その後ひっそりと生活をされている方々も多い」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボランティアについて

2012年03月23日 | 日記

グレアム・グリーン『燃えつきた人間』は、コンゴにあるハンセン病療養所が舞台の小説である。
癩偏愛狂(レプロフィル)という言葉が出てくる。
療養所を経営している修道会の神父に療養所の院長がこんなことを言う。
「あなたは修道女が経営していたジャングルの中の小さな病院をおぼえておいででしょう。DDS(ハンセン病の治療薬)で治療することが発見されたとき、あそこには間もなく五、六人の患者しかいなくなりました。修道女たちの一人がわたしに何を言ったとお思いです?『おそろしいことですね、先生。いまにここには癩病がひとりもいなくなるんでしょうね』あそこにはレプロフィルがたしかに一人はいたわけです」
世のため、人のためにと思って身を粉にして働いていたのに、ある日突然、これからすることがなくなってしまうのでは、と不安になったわけである。
神父はこう答える。
「想像力を欠いた一人の老嬢、善を行いたい、役に立つ人間になりたいと切望している女。そういう人々のための場所は、世のなかにはあまりたくさんないのです。そこへ、彼女の天職の実践の道が、DDS錠剤の毎週の服用によって、彼女からとりあげられつつあるのです」

考えてみると、ボランティアをするためにはハンセン病患者のような苦しんでいる人がいないとできないわけで、人の不幸を待ち望む気持ちがないとは言えない。

ボランティアとは
・しなければいけない
・せずにはおれない
・やりたいからする
のどれだろうか。
ボランティアとは「自分のためにする行いが人のためにもなる行為」だというような言葉があるそうだ。

深作健太『僕たちは世界を変えることができない。』は期待せずに見に行った映画だが、拾いものでした。
題名がいい。(句点は余分)
私立医大生が、150万円でカンボジアに小学校を建てることができると知り、友だちを誘い、サークルを作る。
20人ぐらい集まったのだから、1人が一カ月に5千円ずつ貯めれば、一年で6万円、20人だから120万円。
150万円を貯めるのはそんなに難しくないと思う。
中心となるのは私立医大生の3人と、父親が医者の学生だし。
それはともかく、サークルでパーティー券を1人5万円ずつ分担すると提案したら、「そんなのできない」ともめて、「なんでカンボジアなんだ。日本にだった苦しい生活をしている人はいる」という意見も出てくる。

これはよく言われることである。
「FORUM90」Vol.119に雨宮処凛氏と太田昌国氏の対談が載っていて、雨宮処凛氏が「犠牲の累進性」ということを話している。
「たとえば日本の貧困の問題を訴えると、いやアフリカのスラムの子どものほうがもっと大変なんだ、ということをすぐ言われる。そういう言い方を犠牲の累進性と呼びます。当事者の声を上げにくくさせるという効果があるんですね」
雨宮処凛氏が石原慎太郎氏と対談したときにネット難民の話をしたら、「正社員でも過労死しそうに大変だ、みたいなことを言っても、それは非正規の人に比べたらたいしたことはないと言われるし、非正規の人が辛いと言っても、いや国内のホームレスに比べたらたいしたことない、国内のホームレスも第三世界の人に比べたらたいしたことないみたいな」、そういう反応だったそうだ。

困っている人がいるから何とかしなければということに対して、

日本→カンボジア→アフリカ
というふうにもっとかわいそうな人がいるから、日本では何もしなくていい。
ところが、アフリカへ何か支援を、となると、
アフリカ→カンボジア→日本
となって、どうしてわざわざアフリカに、となる。
結局は何もしない。

渡辺和子氏の話。
マザー・テレサの講演のあと、大学生たちが「カルカッタに奉仕に行きたい。マザーに頼んでもらえないか」と申し出た。
マザー・テレサはうれしそうな顔をして、「わざわざカルカッタまで来なくてもいいんですよ。自分のまわりにあるカルカッタで喜んで働く人になってほしい」と伝えてほしいと話したそうだ。
『僕たちは世界を変えることができない。』の大学生たちにとっては、カンボジアの子どもたちが自分のまわりにあるカルカッタだったわけである。

自己満足だろうと偽善だろうと、何もしないよりは何かすべきだ。
本田哲郎神父「祈るだけで、何か目に見えないところで神がうまくはたらいてくれると信じるというのは単なるごまかしにすぎない。アフリカのエイズ患者救済のために祈りましょう、と言ってみんなで祈る。でも、それによってその人たちが助かったか。それなのに、宗教者として何かやったかのような気になってしまう。それは宗教者の怖さ、欺瞞です」
「行動の伴わない祈りは単なる自己満足にすぎない」(「宗教者として社会の現実に向き合うとはどういうことか」「現代と親鸞」第21号)
ただし、自己満足を与える偽善的行為だと自覚しておかないといけないと思う。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高瀬毅『ナガサキ消えたもう一つの「原爆ドーム」』2

2012年03月19日 | 日記

高瀬毅『ナガサキ消えたもう一つの「原爆ドーム」』によると、浦上天主堂の廃墟が取り壊されることになったのは、長崎市長と長崎教区司教へのアメリカからの働きかけが大きな要因である。

1954年3月の第五福竜丸事件などがあり、アメリカは「教会ルート」と「市長ルート」ではたらきかけた。
「田川市長の「心がわり」のきっかけとなった姉妹都市提携と市長の渡米、山口司教による米国での天主堂再建の資金集めが、ほぼ同時期に行われた」

1954年7月、浦上天主堂再建委員会が発足する。

総工費は6千万円で、信徒たちの寄付は3千万円が限度。
山口司教は1955年5月~1956年2月までアメリカに渡り、再建資金を集めた。

一方、1955年、長崎市にはアメリカのセントポール市との姉妹都市提携の申し入れが持ち込まれた。
田川市長は1956年8月から9月までの一カ月あまり、アメリカ全土を訪問する。
訪米以降、田川市長の考えが「保存」から「撤去」へと転換した。
「廃墟の存置に反対したことはなかった田川市長が、残すことに消極的な姿勢を見せ始めた」

1958年2月17日の市議会で、田川市長の答弁。
「今日、長崎市の観光資源として役立っておることはまちがいないと思いますが、これが平和を守るために不可欠のものであるかどうかという点になってまいりますと、簡単に決め得べきものではないと、私はこう思っております。(略)浦上天主堂の残骸が原爆の悲惨を物語る資料として十分なりや否や、こういう点に考えを持ってまいりますときに、私は率直に申し上げます。原爆の悲惨を物語る資料としては適切にあらずと。平和を守るために存置する必要はないと。これが私の考え方でございます」

「この資料をもってしては原爆の悲惨を証明すべき資料には絶対ならない、のみならず、平和を守るために必要不可欠の品物ではないというこういう観点に立って、将来といえども多額の市費を投じてこれを残すという考えは持っておりません」

「あの原爆直後の長崎、広島をそのままの姿において戻して残してこそ、その目的は達する。ただ単なる一片のものを残してみて、これならば自分たちが爆撃を受けた残骸よりもまだ小さいじゃないかという逆にそういった考えを持つ。そこで原爆の悲惨事というものはあの物をもって私は証明し得ないではないかと、そういう考えをもっているわけでございます」

「核兵器をもっているソ連、アメリカ、イギリス等は屡々(しばしば)発表いたしております通り、これなくして平和は守れないんだという言い分なので、(略)立論の相異というものが出て来ると、こういうふうに私は考えておるのでありまして、これを残すことによって平和が守れるか守れないか、この点に立って考えてみますと、私はこれがあるために平和を守るための唯一不可欠のものではない」
なんなんだこれは、という市長の答弁である。

翌18日、「旧浦上天主堂の原爆資料保存に関する決議案」が全員一致で可決。
浦上司教区の山口司教に市議会議長が決議文を手渡す。
2月26日、田川市長は山口司教と会見し、天主堂の廃墟を現在地に残すことを要請した。
さらに3月8日、市議会議長と浦上天主堂原爆資料保存委員会正副委員長とが山口司教を尋ねて、廃墟の保存を要請した。
しかし、3月14日、廃墟の取り壊しが始まった。
ずいぶんと急な話である。

高瀬毅氏はアメリカの新聞などをも調べている。
田川市長は記者に対して「広島は原爆投下を宣伝のために利用しようとしている」と発言しているそうだ。
「田川市長は、原爆投下記念日の文章の中で広島を批判し、原爆によって焼かれてしまった女性は、広島の二十五人の女性のように整形手術のために渡米する要請などはしないだろう、と語っている」
記事を書いた記者の受け止め方でニュアンスは違ってくるので、田川市長がこのとおりに話したかどうかはわからないが

「それでも、田川市長が広島と長崎の戦後復興の仕方に明らかな違いがあると認識し、それを米国にアピールしようとしていることは否めなかった」

田川市長の心変わりは圧力ではなく、懐柔されたという感触を持つと高瀬毅氏は言う。
「旅費、滞在費などはおそらく米国から出されたのではないか、というのが私の推測だ」

もっと驚くのが、セントポール市の新聞に載った山口司教の言葉。
「再建プロジェクトを進め、残りの爆破の傷跡を消し去ることを望んでいる」
そして、こんなことも言っている。
「カトリック教徒は、この試練を、戦争を終わらせるための殉死とみなし、罪に対しての神の最後の鎮静だと考える」

「私たちは、広島で日本人が受けた犠牲は神の前では十分ではなかったのだと感じている」
教会の再建資金がほしかったにしても、あまりにもひどい。

同じようなことを永井隆医師は『長崎の鐘』(昭和24年刊)に書いている。

「米軍の飛行士は浦上を狙つたのではなく、神の摂理によつて爆弾がこの地にもち来たらされたものと解釈されないこともありますまい。(略)これまで幾度も終戦の機会はあつたし、全滅した都市も少なくありませんでしたが、それは犠牲としてふさわしくなかつたから神は未だこれを善しと容れ給わなかつたのでありましよう。然るに浦上が屠られた瞬間始めて神はこれを受け納め給い、人間の詫びをきき、忽ち天皇陛下に天啓を垂れ終戦の聖断を下させ給うたのであります」
このトンデモ発言、書名を知らなければアヤシイ宗教の教祖が書いたのかと思ってしまう。
『長崎の鐘』はベストセラーになり、映画化され、主題歌もヒットしたのだが、おかしいと思う人はいなかったのが不思議である。

GHQでは、『長崎の鐘』出版をめぐって容認派と反対派に意見が分かれた。
「容認派が評価したのは、原爆を神の摂理と書いている点である。「原爆で死んだ浦上の信者たちは神に選ばれた羔(こひつじ)と書き、原爆を神の摂理ということで地震や噴火といった自然災害のように描き、政治問題にしていない」というのだった」

「『長崎の鐘』の出版を仲介した式場三郎氏が検閲当局との交渉の中で、「著者は実に柔和な態度で、原子爆弾の投下は正当であったことを認めている」という手紙を出している」(高橋眞司『続・長崎にあって哲学する』)
原爆投下を肯定する永井隆の本はアメリカにとってはなはだ都合がよかったわけである。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高瀬毅『ナガサキ消えたもう一つの「原爆ドーム」』1

2012年03月16日 | 戦争

いささか古い記事です。
<南三陸町>防災対策庁舎解体の意向を町長が表明
 東日本大震災の津波で多数の職員が死亡・行方不明になった宮城県南三陸町の防災対策庁舎について、佐藤仁町長は20日の定例会見で、解体する意向を明らかにした。町は津波被害を象徴する建造物として、保存を含めた庁舎の在り方を検討していたが、遺族や行方不明者の家族らが難色を示していた。
 佐藤町長は会見で「将来への教訓とするため、県外からは残した方がいいとの指摘が多かったが、今後も町に住み続ける遺族らの思いを尊重し、解体の方向で進めていきたい」と述べた。
 解体時期は未定。17日から遺族宅を訪問し、解体の方針を説明しているという。
 夫で町職員の三浦洋さん(当時40歳)を失った妻菜緒さん(36)は「庁舎の前を通る度つらかったが、それ以上に見せ物のようになっているのが嫌だった。解体することになって良かったと思う」と話した。(毎日新聞9月20日)

私の叔父は、原爆ドーム永久保存運動があった昭和42年ごろ、「原爆ドームなんか壊せばいい」と言ってた。
20年経っても、心の傷は少しも癒えていなかったわけである。
だけど、原爆ドームが保存されてよかった。
南三陸町の庁舎も残しておいてほしい。

広島と長崎の違いは、原爆ドームが長崎にないことである。

高瀬毅『ナガサキ消えたもう一つの「原爆ドーム」』の「もう一つの原爆ドーム」とは、長崎に落ちた原爆によって廃墟となった浦上天主堂のこと。
1958年に取り壊されたので、写真で窺うしかない。
「無残に崩れ落ちた教会と残された一部の壁。顔の半面が黒く焼けたマリア像や、イエス・キリストの使徒たちの像。首が吹き飛んだものもある」
「廃墟が宗教施設であるだけに、観る者に「人類の終末」を感じさせる、普遍性をもった風景写真になっていた」
当時、保存を求める声は大きかった。
長崎市の原爆資料保存委員会は、1949年の発足当初から1958年まで「保存すべき」という答申を出していた。
当時の田川長崎市長も保存については前向きだった。
浦上天主堂は長崎司教区の財産だから、市の考えだけで保存できない。
「ただ、教会サイドもある時期まで市と歩調を同じくしていた形跡がある」
ところが、1958年3月14日、浦上天主堂の取り壊し作業が始まった。
なぜ浦上天主堂の廃墟が取り壊されることになったのか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』2

2012年03月13日 | 

レベッカ・ソルニットは『災害ユートピア』で、「災害時には二つの集団がある」と言う。
・利他主義と相互扶助の方向に向かう多数派
・冷酷さと私利優先がしばしば二次災害を引き起こす少数派
多数派は一般市民であり、少数派には権力者・エリート・メディアが含まれる。

「市民たちは自分たちで組織を作り、互いの面倒を見合った。災害が起きた直後には、政府はまるで打倒されたかのようにヘマをやり、市民は反乱を起こしたかのようにうまくやる」

権力者やエリートは、自分たちが管理しないと民衆は収拾がつかない状態に陥ると信じているので、災害が起きると、暴徒による暴動・略奪・放火・強姦・殺人が起こることを恐れる。
その恐怖感から弾圧的な手を打ち、それが二次的な災害を呼ぶケースもある。
「権力者たちのこの恐怖に駆られた過反応を〝エリートパニック〟と呼んでいる」
エリートパニックの中身は「社会的混乱に対する恐怖、貧乏人やマイノリティや移民に対する恐怖、火事場泥棒や窃盗に対する強迫観念、すぐに致死的手段に訴える性向、噂をもとに起こすアクション」である。

たとえば2005年のハリケーン・カトリーナの場合。

「町(ニューオリンズ)は無法地帯と化し、集団レイプや大量殺人が横行しているとの噂が広まったが、のちにそれは事実ではなかったと判明した」

ニューオリンズでは被災者の間で助け合いが見られた。
軍のヘリが10~15mの高さから食料や水を落とすと、それを集めて、みんなで分け合っている。
多くの人が被災者に救いの手を差し伸べ、何千名もの住民の命が助かった。

しかし、その後、「警官や自警団員、政府高官、報道関係者を含む他の人々が、ニューオリンズの住民を危険な人たちであると決めつけ、水没し腐敗した町から避難させるどころか、病院から救出することすら危ないと判断したせいで、数百人もの人々が命を落とす羽目になった。町を脱出しようとした人々の中には、銃を突きつけられて押し戻され、銃殺された人もいた」
外部からニューオリンズに来たボランティアや支援物資は閉め出され、被災者は被災地から出ることが許されなかった。

ニューオリンズ市長と警察署長が「恐怖と不安の雰囲気をつくるのに一役買った」
市長は「スーパードームにはギャングのメンバーが数百人いて、レイプや殺人を犯している」と報告している。
略奪を阻止するために緊急要員(主に警官と州兵)を配備した州知事は「隊員たちは撃ち方も殺し方も知っていて、必要なら、そうすることも厭わないし、わたしもそうしてくれることを期待している」と、市民を殺す許可を暗に出した。

1906年のサンフランシスコ地震の際にも、行政は市民を暴徒と見なし、軍隊は略奪者を射殺するよう指示したそうだ。

ニューオリンズの白人自警団は「他の人々は野蛮になるだろうから、自分はそれに対する防衛策を講じているにすぎない」というので、多くの黒人を殺した。
こうした軍隊や警察、自警団の行動は南京虐殺や関東大震災での朝鮮人虐殺、そして大杉栄たちの暗殺を思わせる。

メディアは噂の裏付けをとらず、「ニューオリンズは完全な無法地帯に陥った」「暗い通りでは、凶暴なギャングどもが警察のいないことをいいことに、やりたい放題に振る舞っている。無謀にも家から外に出ようものなら、強盗に襲われるか、撃たれかねない」などと、虚偽の報道した。

「略奪」とは不正確な言葉だとレベッカ・ソルニットは言う。
「それは二つの異なる行為を含めもっている。一つは〝窃盗〟。もう一つは〝調達〟、すなわち、緊急時に必要な物資を確保することを意味する」
ニューオリンズでは調達だった。
「ほとんどの人が自身が生き延びることや、弱い人を助けることに精一杯で、物にまで考えが及んだ人は、割合からすればごく少数だった。(略)食料、水、おむつ、薬やその他の多くのものが不足し、店から補給されるようになった」

エリートやメディアがパニックになるほうが重大だと、レベッカ・ソルニットは指摘する。
「なぜなら、彼らには権力があり、より大きな影響を与えられる地位にあるからです。彼らは立場を使って情報資源を操れる」

マスコミとエリートが引き起こす二次災害の一例が、2001年の世界貿易センターである。
粉砕されたビルのかけらが混じった空気の有毒性に多くの人が気づいた。
「空気の質に関する環境保護庁の報告書は、科学的証拠に基づき、警告を発する内容だったのだが、ブッシュ政権はそれを安心させる内容に改ざんして報道したのだった。そして、ジュリアーニ(ニューヨーク市長)は検閲と広報活動でそれに同調した。(略)専門家は、グラウンド・ゼロにいる全員が汚染対策として防毒マスクなどの予防措置をとるべきだと明言したが、このガイドラインを守った者は少数で、市当局も強制もしなければ、他の安全基準を導入することもなかった」
これって福島原発事故の政府発表やその後の対応そのままじゃないですか。

そしてメディアの弊害。
「メディアは市民の無法ぶりとより厳しい社会管理の必要性を強調するが、それらは災害管理における軍の役割の拡大を求める政治論をうながし、強固にする」
これまた日本でも、権力者とメディアの癒着によって、治安悪化→厳罰化、北朝鮮脅威論→軍備増強、という思考回路を植えつけている。

なぜ権力者やエリートは市民を信じないのか。
「競争を基盤にした社会では、最も利己的な人間が一番高い地位に登りつめる」
自分が残酷にも利己的にもなれるから、他の人も同じだと思い、市民を恐れるわけである。
そして、災害による変化が彼らの権力基盤を揺るがすと思い込む。

レベッカ・ソルニットは心理療法家にも厳しいことを言っている。

2001年のアメリカ同時多発テロの時、

「推定九千人の心理療法士がロウワー・マンハッタンに殺到し、手当たりしだい、見つけた人を治療した」そうだ。
「異常な状況の中で、普通と違った心理状態になることは正常なことであり、必ずしも専門家の介入は必要としない」
ある社会科学者は「トラウマ産業」という言葉を使っている。

「何を信じるかが重要だ」とレベッカ・ソルニットは言う。
権力者やメディアか、それとも普通の人々か。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』1

2012年03月10日 | 

東日本大震災の際、海外のメディアは、被災者が混乱せずに冷静に対応していることに感銘を受け、日本人を讃えた。
大きな災害が起こると、日本以外の国では暴動、掠奪、支援物資の奪い合いなどが起こるものだと私も思っていた。

ところが、レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』によると、「地震、爆撃、大嵐などの直後には緊迫した状況の中で誰もが利他的になり、自身や身内のみならず隣人や身も知らぬ人々に対してさえ、まず思いやりを示す。大惨事に直面すると、人間は利己的になり、パニックに陥り、退行現象が起きて野蛮になるという一般的なイメージがあるが、それは真実とは程遠い」
どうやら災害が起きても秩序が保たれ、人々が冷静に行動するのは日本だけではないらしい。

災害が起こると人々はどういう行動を取るか、普通は次のように考える。
「集団パニックが起き、人々は我先にと出口へ殺到する。誰もが他の人を踏みつけてでも逃げようとし、まわりに対する思いやりは完全に失ってしまう。パニックが少し収まると多くの人々がヒステリーを起こすか、またはあまりのショックに無力な状態に陥る。火事場泥棒や略奪、もしくは他の形態の利己的で搾取的な行為に走る者もいる。そのあとは、不道徳と、社会の混乱、精神錯乱が蔓延する」
ハリウッドのパニック映画でおなじみのイメージである。
恐怖で判断力を失い、野獣のような本能に回帰した人々は利己的な行動をとるので、軍隊によって制圧し、国民をコントロールしなければならないというような。

しかし、エンリコ・クアランテリは700例以上の災害を研究した結果、「残忍な争いが起きることはなく、社会秩序も崩壊しない。利己的な行動より、協力的なそれのほうが圧倒的に多い」と言っている。
たとえば空襲。
社会学者や精神分析医は、ドイツが空襲すればイギリスの民衆はヒステリーを起こし、混乱、パニック、そして社会秩序が崩壊する、と警告したが、空襲下のロンドンではそんなことにはならなかった。

災害時には人々の行動はおおむね理性的で、普段見せない底力を発揮し、連帯感と共感を持って助け合い、協力し合う。

避難しながらお互いが譲り合う、障害者が避難する手助けをする、命令されなくても食料・おむつなどを分け合う・無料でふるまう、自らの危険を顧みずに逃げ遅れた人の救出・保護をする、被災者を救出するために自動車や船を提供する、自宅へ被災者の受け入れをする、町の復興と再建へ協力するなど、無数の利他的な行為が見られる。
しかし火事場泥棒はめったに起きない。

「生き延びる人々は普段より気さくで、情け深く、親切になる」
日常生活では疎外感と孤立感を感じているが、災害時には帰属感と一体感を覚える。
「どの災害においても、苦しみがあり、危機が去ったあとにこそ最も強く感じられる精神的な傷があり、死と喪失がある。しかし、満足感や、生まれたばかりの社会的絆や、解放感もまた深いものだ」

2005年、ニューオリンズをハリケーン・カトリーナが襲った際、カリフォルニアから来たボランティアのブライアンは「最初は理想主義的な理由でボランティアをやっていると信じていたけど、注ぎ込むより、得るもののほうが大きかった。うんと大きい」と話している。

そういえば野口善國弁護士の話によると、阪神大震災の時には非行少年がボランティアに励んだそうだ。
「阪神大震災の時、数人の子を面倒を見ておりましたが、お母さんたちが来て言うには、「うちの子があんなに立派だとは思わんかった」と言うんです。「なんでですか」と聞いたら、朝から晩まで人を助けて歩くんです。埋まった人があすこにいるというと、みんなもう必死で助けるわけです。帰ったらヘトヘトになって口もきけんぐらい疲れているんだけれど、連日、助けて歩いてる。そういう立派なことをしているんだと言って、お母さんが大喜びしてるんです。
ダメだと言われる非行少年でも、そういう能力が必要な場が与えられ、環境と活動の場が整えられると、必ず能力を発揮する。そういうことがあるんです」
なるほど。

デボラ・ストーン「他人を助けると、自分は必要とされている価値のある人間で、この世での時間を有効に使っていると感じさせる。他人を助けることは、生きる目的を与えてくれる」
ボランティアとは人のためではなく、自分のためなんですね。
レベッカ・ソルニット「災害が起きると、人々は集まる。この集まりを暴徒と見なして恐れる人もいるが、多くの人はパラダイスに近い市民社会の体験としていとおしく思う」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死刑と被害者の気持ち

2012年03月06日 | 死刑

死刑に賛成する人は被害者感情を声高に言いますが、香山リカ氏はこう反論しています。
「精神科医としては、被害者、いろんな犯罪の被害者の方や被害者遺族という立場の方の心のケアというのにあたることもあって、もちろんその方たちの苦悩や怒りや苦しみというのは相当なものですよね。その人たちの心のダメージというのも相当なものだと思いますが、その方たちは、その行われたことの軽い重いに関係なく、例えば、その方たちが本当に犯人が憎い、死刑にしてもらいたいというようなことをおっしゃることも確かに、診察室の中でもあります。でもその話、その発言の真意というものを、よく耳を傾けて聞いてみると、それは決して実際に死刑を執行してほしいという意味ではなく、今の量刑の中の一番最高、一番の極刑をしてほしいというぐらい私は大変なのだ、ある種の比喩として言いたい、それぐらい私は傷ついた、それぐらい私は本当に心のダメージを受けているんだということの一つの表現としてそういうことをおっしゃっていて、決して加害者の、特定の人物に死刑という懲罰を与えてほしいということをストレートに言っているのではない場合を多々私は感じます」(「フォーラム90」Vol.120)
極刑を求めるのは自分の苦しさをわかってほしいというメッセージであり、死刑になれば被害者や遺族の傷が癒えると考えるのは第三者の思い込みかもしれません。

河野義行氏はこのように語っています。
「死刑はね、正当化されているけれども、あくまでも殺人じゃないですか。生きているものの生命を断っているわけです。だから、よくいわれるのは、「死刑というのは、国家による計画的殺人」ですが、まさにその通りです」
河野義行氏は麻原彰晃のことを話す時、「麻原さん」と「さん」づけします。
被害者感情を理由に死刑を求めているが、という問いに、河野義行氏はこう答えています。
「被害者を興味の対象で見ている。一人の人格を持った人で、その人はその人の基本的人権があってプライバシーがあるっていう見方じゃなくて。それは、日本人が持っている一つの部分で、他人の不幸を楽しむ心というのもあるわけです。かわいそうって言いながら、実は楽しんじゃってる人がいるということです。それを感じるから苦痛になるわけです。世の中、そっとしておく優しさも必要だと思う」

光市事件の死刑判決の後、岡村勲あすの会顧問が本村洋氏に「おめでとう」と声をかけ、本村洋氏は「ありがとうございます」と答えていましたが、本村洋氏はめでたいという心境ではなかったと思います。


河野義行氏は一時、犯人扱いされ、マスコミにひどく叩かれました。

「当時、ずいぶんいやがらせの手紙、電話、それから無言電話がかかってるわけです。そういうなかで、事件に関与してなかったということがわかったときに、全国から千通ぐらい、お詫びの手紙が来てるわけです。「信じて疑っちゃった」と。そういうなかで、「疑って無言電話をした」というのは一つもない。だから、そういうふうにやった人っていうのは、私は当初、正義感があってやったかなと考えてたけど、それは違うと思う。正義感じゃなくて、他人の不幸を楽しむとか、もてあそぶとかしてるだけという感じを受けているんです」
死刑賛成の理由として被害者感情を持ち出す人の中には、他人の不幸を楽しんでいる人がいるということでしょう。
週刊新潮は河野義行氏に最後まで謝罪しなかったそうです。

「Ocean 被害者と加害者の出会いを考える会」のニュースレターに、田鎖麻衣子氏がフィンランドの被害者支援協会で聞いた話を書いています。
「フィンランドでは、被害者が、加害者の厳罰を求めることはないのですか」と田鎖麻衣子氏が尋ねると、「被害者にとって最も大切であり、関心があるのは、犯罪によって壊されてしまった自分の生活を立て直し、前に向かって生きていくことです。加害者がどのような刑罰を受けるかは、直接関係がありません」という答えが返ってきたそうです。
本村洋氏も記者会見で「被害者がいつまでも下を向いて事件のことだけ引きずって生きるんでなくて、事件のことを抱えながらも、前を向いて、笑って、自分の生活を、人生をしっかりと歩んでいくことが大切だと思うんで、そういう温かい目で今後みなさんに見守っていただければなと思っております」と語っています。

生活を立て直し、前に向かって生きるということですが、「薬物をやめたいのなら、まずあなたが被害者のイスから立ち上がりなさい。被害者であると思い続け、言い続けているかぎり、薬物をやめることはできません。自分のイスを探しなさい」という言葉を以前紹介しました。
被害者のイスから立ち上がって自分のイスを見つけるお手伝いをすることが被害者支援だと思います。

被害者のイスから立ち上がるということは、どこかで転換があったからでしょう。
水俣病認定申請患者協議会の会長だった緒方正人氏は「かつては親父の仇を討とうとして何度も工場ごと爆破しようと思ったほど憎しみを抱いていた」そうです。
ところが、緒方正人氏は水俣病認定申請を取り下げました。
その理由をこう語っています。
「ふと、「もし自分がチッソや行政の中にいたらどうしただろうか」と思ったのです。以前は、「毒とわかっても十年もたれ流すなんてことを自分は絶対しない。そんなことをするのは人間でない」、そういう立場に立っていました。しかし「もし自分が彼らと同じ立場だったら…」。この問いを否定できない自分がいる。そこに自分の根拠が崩れてしまったのです。自分の中にもチッソがいたのです。それは何かで頭を殴られたような衝撃でした。
かつて被害者という視点だけで水俣病事件を考え、加害者の責任を問うてきた自分が、自分自身の罪を自覚せざるを得なくなったのです。つまり、水俣病事件の根源に、人間の罪があるのだと」(同朋新聞2月号)

緒方正人氏の言葉は、河野義行氏のなぜ死刑に反対なのか、その答えに通じているように思います。
「制裁は自己で行うものだと思っているからです。だって、自分が本当に悪いことしたと思わなければ、判決で死刑といわれたって反省しないと思う。人によっては死ぬことが怖くない人もいるでしょう。「俺、なんにも悪いことしてないよ。人殺ししただけじゃないか」っていう人がいるかもしれない。だから、それは個々において、同じ罰でも違うわけじゃないですか。やったことに対して、本当に悪いことをしたと思えばその人は、自己制裁する。自分で悩むことも自己制裁だと思うんです。真の意味の制裁は、他人が加えられないと思ってる」

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光市事件とメディアの責任 2

2012年03月02日 | 死刑

光市事件の最高裁判決のニュースや新聞記事で、いわゆる「友人」からの手紙のことをいまだに取り上げていました。
この手紙についてはすでに書いていますが、まとめてみたいと思います。

「友人」とはたまたま拘置所で一緒になった人であって、中学や高校の友だちではありません。
手紙のやりとりをした当初は、テレビゲームやマンガ、家族のことや下ネタといった他愛もないこと、あるいは強がりやかっこつけが中心で、反省の言葉もつづられています。

ところが、「友人」は警察に脅され、手紙を提出します。
「出所してしばらく経ったころ、自宅に僕が起こした傷害事件の担当刑事と、光市母子殺害事件を担当する刑事が訪ねてきました。『最近どうだ』『ちゃんと仕事しているのか』というひととおりの挨拶が終わったところで、本題が切り出されました。『ところでお前、光市の事件の犯人と文通しとるのう。検察側から要望がきとる。1点の真実でいいから、判断材料がほしい。本当に公正な裁判が行なわれるために、出してくれ』と。
刑事は『犯人を死刑にするために』なんて言いません。僕は子どものことから警察と折衝してきましたから、警察のもの言いはだいたいわかっています。『建前だな』と思いました。刑事たちは福田君からの手紙を絶対に持って帰るという感じでした。僕は当時、まだ執行猶予中で、断ればどんな微罪をふっかけられて逮捕されるかわからない。逮捕されれば執行猶予は取り消され、刑務所送りです。断れませんでした」(増田美智子『福田君を殺して何になる』)

「友人」は仕方なかったと語っていますが、警察に手紙を渡した後は「ふざけた内容」の手紙を出しては、アホなことを書かそうとしています。
そして手紙を検察に持っていっては文通をするということを9カ月間続けていたそうです。
さらには「週刊新潮」に手紙を売り、世論は激昂しました。

増田美智子氏「A君自身が福田君から不利になる言質をとるために福田君をあおりたて、返ってきた手紙を嬉々として検察に提出していたのではないかとも思えるほどだ」と疑問を呈しています。
検察はアホなことを書かせるよう煽れと「友人」指示していたのではないかという疑いは誰もが感じるでしょう。

ということで、控訴審の判決文ではこの手紙を特に問題にしていません。
「被告人の上記手紙の内容には,相手から来た手紙のふざけた内容に触発されて,殊更に不謹慎な表現がとられている面もみられる(鑑別結果通知書中では,被告人が,「仲間の中ではにぎやかに軽い調子で振る舞い場を盛り上げる」と,また,少年調査票中では,「高校2年時,Dから花火をズボンのポケットに突っ込まれて火傷を負った件に関しては,『ぶっ殺してやろうと思った』と口走ったり,小学校高学年時嫌がらせを受けたエピソードを述べる際には『喧嘩すれば勝つのだが』と,強がりを見せていた」とそれぞれ記載されているほか,少年調査票中では,被告人が,「外面では自己主張をして顕示欲を満たそうと虚勢を張る」とも指摘されている。)とともに,本件各犯行に対する被告人なりの悔悟の気持ちをつづる文面もあり,これに原審及び当審各公判廷における被告人の供述内容や供述態度等を併せかんがみると,鑑別結果通知書や少年調査票中で指摘されているように,被告人は,自分の犯した罪の深刻さを受け止めきれず,それに向き合いたくない気持ちの方が強く,考えまいとしている時間の方が長いようであるけれども,公判廷で質問をされたという余儀ない場合のみならず,知人に対して手紙を書き送るという任意の場合でも,時折は,悔悟の気持ちを抱いているものと認めるのが相当である。したがって,被告人の反省の情が不十分であることはもとよりいうまでもないが,被告人なりの一応の反省の情が芽生えるに至っていると評価した原判決の判断が誤りとまではいえない」

今枝仁弁護士は手紙についてこのように説明しています。
「これは私は、手紙の相手が酷いと思います。仮に相手をA君とします。
 A君は、検察に「こういう手紙をもらっている」として被告人の手紙を提出しながら、並行して、被告人に手紙を書き、その中で被告人を挑発し、誘惑してことさら不謹慎な手紙を書かせています。
 「天国からのラブレター」を差入れ、「こんなん書いてるけど、どう思う?」と感想を求めたのもA君です。ほとんど「おとり捜査」です。
 一方被告人は、自分の認識している事実とは異なる事実に反省を求められ、親からも見捨てられ、親しく話や手紙ができるのはA君でした。A君とは拘置所の部屋が隣りだっただけの関係なのに、A君を「親友」と呼びます。
 A君には分かってもらいたい、A君に離れていってほしくない、そういう寂しい状態の被告人が、A君が手紙の中でふざけた手紙や本村さんへの非難に迎合して、書いたものに過ぎません。少年記録にも、「その場ごとの期待に合わせて振る舞う順応性を見せる。」「周囲の顔色をうかがいながら行動することが習性になっている。」等と評価されています」

実際の手紙は、マスコミが伝えた手紙の文章とはちょっとニュアンスが違っています。
「ま、しゃーないですね今更。被害者さんのことですやろ?知ってま。ありゃーちょうしづいてると、ボクもね、思うとりました。…でも、記事にして、ちーとでも、気分が晴れてくれるんなら好きにしてやりたいし。紳も癇癪、起こさずに見守ってほしい。…すまん思うてる。心遣いは今のボクにはかえってつらいやんか。「友達のエール」だからこそ、エネルギーにも変わるしな。ほんま、おおきに」

「私をはげます人たち!大変うれしく思いもすると共に、私は一生、殺人を背に負って生きねばならぬ身であり。キズを癒すべく所も、はげまされると、ある所は直り、ある所は崩れゆく…。これがキミはわかるかな?私はキミたちのように人の外面にキズを付けたのではなく、私は人の内面にキズを付けた人間である…。誰がゆるし、誰が私を裁くのか…そんな人間はこの世にいないのだ」

「選ばれし人間は人類のため社会道徳踏み外し、悪さをする権利がある.(ドストエフスキー・罪と罰)

確かにね、神のゲーム、チェスの場の人間なんて、ポーンでしょ?駒でしかないのだよ.オレも、キミも、その友人たちも」
手紙を見ますと、「友人」を親友として信頼していたことがわかります。
しかし信頼していた「友人」は、文通をしながら裏切っていたのです。


どうして「友人」を親友と信じていたか、相手に合わせるようなことをなぜ書いたのか。

それは、寂しさと精神の発達が未熟だったことがあると思います。
今枝弁護士「家裁の記録は、「発達レベルは4、5歳程度」という部分だけではなく、随所において、被告人の精神的未熟性と、退行的心理状態を認定しています」と書いています。
人を疑わない幼さ、優しさに弱く、嫌われたくないという思いが強い、そういう点は父親の暴力、母親の自死と関係あると思います。

光市事件裁判のニュースで、「友人」からの手紙の一部をナレーターが語りながら、手紙が映されていました。

ということは、テレビ局などのメディアは「友人」との文通の経緯や手紙の内容を知りながら、作為的に前後の文脈を無視して不謹慎な部分だけを取り上げることで、ただ単に反省していないだけではなく、言葉で表現できないほどのクソ野郎だというイメージを作ったわけです。

森達也「治安が悪化しているとの間違った幻想がメディアによって拡散している。(略)治安に関するデータだけでも多くの人が正確に把握すれば、メディアがきちんと伝えれば、もしかしたら、意識が変わるきっかけになるんではないかと思います」(「フォーラム90」Vol.115)

コメント (30)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする