三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

アメリカの権利 1

2012年07月31日 | 戦争

ダグラス・ラミス氏は『要石:沖縄と憲法9条』でこんなことを言っている。
オバマが大統領に就任して間もなくノーベル平和賞を受賞した。
しかし、パキスタンにいたビンラディンを裁判にかけることをせずに暗殺した。
アメリカは他国の主権を侵害できる、国際法を無視してもいいとしたブッシュ(息子)の行動にオバマは従ったと、ダグラス・ラミス氏は指摘する。

9.11以降、アメリカ政府は自分たちに三つの権利があると言い出した。
「第一は、先制攻撃を行う権利。次に、外国の政府を交代させる権利。第三に、一度もアメリカに入ったことのない外国人を逮捕・監禁し裁く権利」
この三つの権利に基づいてアメリカは行動している。
先制攻撃とは体のいい侵略戦争だし、政権交代の強制は「内政干渉」である。
ただし、9.11以前からアメリカは三つの権利を行使していた。


アメリカは反植民地主義の伝統があるというタテマエだが、その一方でアメリカにとって都合悪い政権(親ソと見なした政権など)が誕生するとつぶしにかかる。

「地歴高等地図」(平成19年度版)のアメリカ大陸中央部の地図には、「アメリカ合衆国のおもな介入(19~20世紀)」の矢印がある。

メキシコ 1913~18年

ホンジュラス 1903~25年 1983~89年
グアテマラ 1954年 1966~67年
エルサルバドル 1932年 1981~92年
ニカラグア 1912~33年 1981~90年
パナマ 1901~20年 1989~90年
キューバ 1898~1902年保護国化 1917~33年 1961~62年キューバ危機
グレナダ 1983~84年
ハイチ 1915~34年 1994~96年
ドミニカ 1903~04年 1916~24年 1965~66年

これらの国では、それ以外の年には民主的な政権だったかというと、もちろんそうではなく、親米独裁政権である。

どうしてフセインとカダフィとアルカイダがだめで、サウジアラビアなどの王国ならいいのか。
アフリカの独裁国家には目をつむるのはなぜか。
独裁者とアメリカ企業がもうかる仕組みだからである。

デイビッド・ハルバースタム『ベスト&ブライテスト』にこんなことが書かれてある。
31年間、独裁体制で国を私物化したドミニカ共和国のトルヒーヨ大統領が1961年に暗殺された。
「ロバート・ケネディを頭としてマクナマラその他二、三の有力者からなるグループは、早急に、だが限定的な介入を計るべきだと考えた。彼らは、CIA諜報員から、介入があればそれに呼応し、然るべきドミニカ人を中心とした大衆運動を組織し共和国を共産主義者の手から守る、という連絡を受けていた。
国務長官代理を務めていたボールズは、彼らの企てが非合法であると感じ、そのような介入に反対した。彼らが、事は緊急を要すると主張したのに対し、ボールズは、いましばらく事態の推移を見守るべきだと論じた。ここに及んで、当時まだあの横柄な態度をとり続けていたロバート・ケネディは、ボールズが根性のない骨なし野郎だという軽蔑の言葉を、雨あられのように浴びせかけ、周囲の人びとの眉をひそめさせたのである」
ロバート・ケネディがこんな人だとはがっかり。

1965年4月、ドミニカ共和国の独裁政権に左翼勢力が立ち上がると、ジョンソン大統領は迅速な行動に出た。
「ドミニカの情勢が十分確認されていないにもかかわらず、アメリカ大使が暴動を大げさに報告し、反政府勢力は共産主義者が牛耳っているというまったく根拠のない情勢分析を伝えるや、ジョンソンは武力行使を即決した。政府首脳でこれに反対したものは一人もいなかった。また、第三国にアメリカが武力介入する法的根拠がないと主張するものも一人もいなかった。武力行使は徹底したものであった。海兵隊ばかりではない。空挺部隊も参加し、総兵力二万二千がドミニカに送り込まれた。反乱がどのような性格のものであったにせよ――アメリカ政府はその点について確実な情報を持っていなかった――それは鎮圧された。
アメリカの腕力がことを決したのである。もちろん、左翼からの抗議はあった。このような冒険に不安を感じる人びとも文句をつけた。だがジョンソンは、それらの声にまったく耳を傾けなかった。目的は達せられたのだ。暴動は鎮圧されたのだ」

ドミニカで起きたことはほんの一例である。
その国の国民の幸福のためではなく、アメリカ企業の利益を優先する。
「問題なのは、現地の人びとに何がよいことかという純粋な問いではなく、何がアメリカにとって都合よく、同時に現地でも受け入れられるかという発想をするところにあった」

それでも、1961年のキューバ侵攻作戦をフルブライトは道義的な理由から反対している。

「フルブライトは主張した。この種の隠微な行動に出ないところに、われわれが民主国家としてソ連との違いを誇りにできる点があるのでないか。「カストロ政権打倒のために、直接的行動に出るのは言うに及ばず、それを背後から支援することについても、もう一点つけ加えたい。そのような支援は、アメリカの国内法、およびアメリカが締結している諸条件の精神、そしておそらくその文言にも、抵触するものと思われます。たとえ隠密裡であれ、この種の行動に対する支持は、国連その他の場で常にアメリカがソ連について非難する偽善と冷笑的行為に他なりません。この点は、世界も見落とさないでしょうし、われわれの良心も黙視できないところであります」」
だけど、いまだに同じことが繰り返しているのはご存じのとおり。

グアテマラの独裁政権に立ち上がった先住民族たちの記録である、ジェニファー・ハーバリー『勇気の架け橋』を読んだのは十年ちょっと前だが、本当に感動した。
1954年、ユナイテッド・フルーツというアメリカのバナナ会社を保護するために、アメリカは軍事クーデターを起こして、政権を転覆させた。
チリのアジェンデ政権と同じことをしたわけである。
その後、グアテマラの親米独裁政権は何十年も富を独り占めし、国民を弾圧し、先住民を迫害した。
ゲリラと見なされた人は拉致されて拷問。
約800万人の人口のうち、20万人が虐殺されたという。
こんなひどいことが行われていたのを知らなかったことに恥ずかしい思いをした。

あるゲリラの言葉「自分はもっとも幸運な人間だと思う。もし、生きて戦いの最後を見届けられなくても、自分には達成感がある。自分や仲間たちは架け橋としての役割を果たしたのだから。ひどい過去から、ひどいことがもう二度と起きない未来への架け橋としての」

ジェニファー・ハーバリーには『エヴェラルドを捜して』という本もあり、いつか『勇気の架け橋』と合わせて紹介したいです。

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戦争で儲ける人たち

2012年07月27日 | 戦争

戦争に必要なものはたくさんある。
武器、弾薬、食糧、兵士など、とにかくお金がかかる。
ということは、戦争によってお金が動き、もうける人がいるということである。
国内が戦場になると、国土は疲弊し、国民は巻き添えを食う。
多くの人が殺傷され、財産を失い、窮乏する。
では、戦争でもうける人はどういう人か。
戦場にいない人。
戦闘は自国の中ではしない、自分の国の外で戦争するんだったらOK。

臼井勝美『日中戦争』にこんなことが書かれてある。
新民会の小山貞知「運送界における粮棧のごとき、庶民金融における質屋のごとき種類のものまでも日本人の企業下におかんとし、いたずらに民業を奪うがごとき感をいだかしむる」
「日本人が勝手に軍の威をかり、石鹸、ペンキ、麦粉工場等々、現在動きあるものを手当たり次第合弁もしくは買収を強要する」
日本は領土的野心はないといいながら、権益を独り占めし、中国を属国扱いしたわけである。

1940年3月、汪兆銘政府の成立。

4月、支那派遣軍総司令部は布告を発表する。
その中で、「中国人に対して略奪暴行したり、理由なき餞別、饗宴を受けたり、洋車に乗って金を払わなかったり、あるいは討伐にかこつけて敵意のない民家を焼き、良民を殺傷し、財物をかすめるようなことがあっては聖戦をまっとうすることはできない」と将兵を戒めた。

1942年11月、青木一男大東亜大臣は「支那人からみれば大企業、例えば鉄山とか炭鉱とかが取られたというのならばまだよいが、小売商まで全部が日本人に奪われたと考えている。しかもこれらの日本人がみな軍に泣きついては、自分に都合のよいように事を運ぶのに腐心している」と言っている。(臼井勝美『新版 日中戦争』)
日本の占領地経営はこういう状態だったのだから、抗日運動が起こるのもやむを得ない。

保阪正康氏は『昭和史の深層』でこんなことを書いている。

「私はこれまでこの作戦に参加した将校の何人かに話を聞いている。名前はあげないが、「南京での虐殺、放火、強姦などがあったのは事実だ」と認めている」と大体が認めている。ある将校は今から二十年ほど前になるが、「この証言は決して私の名前をださないこと。そして君がその事実にふれるときも部隊名は決して書かないこと。なぜならこれから話すことが一部は私の命令で行われたと家族が知ったら、あるいは子孫が知ったら大変なことになるからだ」と言い、具体的にどのような形で虐殺が行われたかを明かしている」

ある大隊長は「そういう軍紀の乱れは将校は大体が知っていた。だが私とて皇軍の将校としてそんな恥知らずのことを認めるわけにはいかないので、そんな虐殺はなかったということにしている」と証言している。

そして、保阪正康氏は「南京戦参加の将校のオフレコを条件に語る事実があまりにもひどかったことだけは記しておきたい」と言う。

南京攻略戦に参加した大隊長の言「私の陸士時代の集まりでもこの話はしないことになっている。論争になるからね。なぜ論争になるかといえば、皇軍はそういう不法行為は決して犯さなかったというグループがいてね。彼らは大体が現場を知らないで東京にいた省部の連中だね。つまりは認めるという勇気がなく建て前でしか歴史を語れない連中だと思う」

もちろん日本だけの話ではない。
アンソニー・コステロ特技下士官 第3陸軍師団「俺たちはむしろ、こういう決定をしている大将たちに怒っている。あの人たちは地上に降りてこないし、撃たれることもない。血だらけの死体や焼かれた死体、死んだ赤ちゃん、そういうもの全部見なくてもいいんだ」(ダグラス・ラミス『要石』)

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陳舜臣「旗と城」

2012年07月23日 | 日記

ネットでは、卒業式に君が代を歌わない教師をクビにするのは当然だという意見を見かけるが、そういう考えの持ち主は祝日に国旗を掲げているのだろうか。
それにしては、日の丸を見かけることはあまりない。
なぜか。

陳舜臣氏は「旗と城」(『日本的中国的』昭和47年)に、こんな説を出している。
「戦後、日本では祝祭日に国旗を出す家がすくなくなった。これは、日の丸がいやな戦争の記憶とつながることのほかに、日本人の気質のなかに、旗をかかげることに消極的なものがあるからではなかろうか?
日本人は旗が好きではなかった。源平合戦の白旗、赤旗も、敵味方を区別する必要に迫られて、やむなく使ったらしく、竿に模様もなにもない布地をくくりつけただけの、いかにも愛想のないハタであった」
日の丸も凝った意匠ではない。

「遊牧の民族は、先頭がどのあたりにいるのか、行方はどちらかといったことをしらせるために、どうしても旗好きになる。そして、町が城壁で囲まれている、いわゆる城郭都市でも、旗はさかんに使われる。城壁のうえに、翩翻とひるがえる旗は、

――ここには備えがあるのだ。大将軍が守っているのだ。
と、掠奪の機会をうかがっている蛮族にたいして、威嚇する効果をあげている」
これは旗というより紋章じゃないかと思う。
ウィキペディアには「紋章とは、個人及び家系をはじめとして、地方自治体や国家、並びに学校、公的機関、組合(ギルド)、軍隊の部隊などの組織及び団体などを識別し、特定する意匠又は図案である」とある。
自他を識別するだけなら、源平の旗のように色分けすればいいわけで、凝った図案なのは自己主張というか、自分がどこに所属しているかを人に知らせる意図があるんじゃなかろか。

日本が中国から採り入れなかったものに、科挙や宦官、纏足、そして「町ぜんたいを城壁で囲む城郭都市の形式も、その一つであった」と陳舜臣氏は言う。

「もし平城京や平安京を、五メートル以上の城壁で囲まねばならぬとすれば、大へんな大工事となるはずだ。日本の人民は、その造営でへとへとになったであろう。
そのかわり、城壁には房のついたあざやかな旗をずらりとならべて、いまよりはすこし旗好きな国民になっていたかもしれないが」
日本では城郭都市が造られなかったから、日本人は旗が好きではないという理屈は、話としてはおもしろいが、あまり説得力はないように思う。

話は飛んで、三浦しをん『神去なあなあ日常』の舞台は三重県中西部にある神去村。

といっても実在する村ではない。
美杉村がモデルらしくて、となりの奈良県御杖村には神末という地名がある。
山仕事をする人たちも花粉症に悩まされるそうだ。
それはともかく、「なあなあ」とは神去の言葉で、「ゆっくり行こう」「まあ落ち着け」というニュアンスであり、さらには「のどかで過ごしやすい、いい天気ですね」という意味まである。

イタリアやドイツのように近代に入ってやっと統一国家となった国や、ポーランドのように他国に侵略され分割された国や、アメリカのようにいろんな民族の移民によって成り立っている国なら、自分がどこに所属しているかを明らかにすることや、国家統合のシンボルが必要かもしれない。

しかし日本だったら、条例を作って君が代、日の丸を強制するよりも、「なあなあ」のほうが過ごしやすいように思う。

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国旗と国歌

2012年07月19日 | 日記

アメリカでは公立学校の教室に星条旗が掲げられ、生徒は毎朝、国旗に向かって「忠誠の誓い」を述べることになっているそうだ。
そういえば、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の『キンダガートン・コップ』で、小学生が国旗への忠誠の誓いを述べるのを誇らしくシュワちゃんが見てるシーンがあった。
人種、民族、宗教、文化の異なる国民を一つにまとめるために国旗が神聖視されているのである。

杉田米行『知っておきたいアメリカ意外史』によると、「星条旗が大きな意味をもつようになった最大の転機は、南北戦争で、南部連合が独自の旗を用いたことである。このため、北部にとって星条旗は、国家統合の重要なシンボルとなったのである」

「忠誠の誓い」は1890年代にバプテスト派の牧師ベラミーが作ったものに、いくつか修正を加えたもの。
1892年、公立学校の生徒が忠誠の誓いを述べたのが始まりらしい。
1898年、ニューヨーク州では公立学校で国旗への敬意を毎日表明することを義務づける「国旗敬意表明法」が定められ、他の州にもこの動きが広まった。

ところが、憲法で信教・思想の自由が保障されている。
国旗への敬意の強制に関する裁判が行われた。
1940年、エホバの証人の信者の子どもが信仰上の理由から学校で国旗への敬礼を拒否したために退学となったのは不当だと、親が訴えた。
連邦裁判所は退学処分は正当だという判断を下した。
ところが、この判決に対する反対論が多く、3年後にはこの判例が覆された。
以降、公立学校で国旗への敬礼や国家への忠誠宣誓を法的に強制することは違憲とされたそうだ。

国旗を燃やすことも大きな問題となっている。
ベトナム反戦デモで国への抗議運動として星条旗を焼かれた。
これに反発して、多くの州で国旗冒涜禁止法が施行された。

1984年、星条旗を冒瀆しながら燃やしたグループがテキサス州法違反で訴追された。
それに対し最高裁は1989年、言論の自由を根拠に州法の違憲判決を下した。
「連邦議会では、国民を一つにまとめていくシンボルである星条旗の神聖さを守るため、圧倒的多数でこの判決を非難する決議案が採択された。さらに1989年10月、星条旗を故意に焼却したり破損したりすることを刑事罰と定めた「国旗保護法」が連邦法として制定された」
ところが、同年、国旗焼却事件が起こり、国旗保護法の合憲性が争われた。
1990年、最高裁は国旗保護法に違憲判決を下した。
2001年の9・11米同時多発テロを受け、下院は2005年6月、国旗冒涜を禁止する憲法修正法案を可決。
しかし、2006年、上院は否決した(67票に1票足りなかった)。

国旗や国歌を聖化するのは国家の危機意識の表れらしい。

大阪の高校卒業式で教職員が「君が代」をきちんと斉唱しているか、唇チェックを指示した校長がいるそうだ。
日本ではアメリカ以上に危機意識が強くなっているということか。
アメリカだったら、校長の指示は違憲だという判決が出そうな気がするけど。

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『息子がなぜ 名古屋五千万円恐喝事件』2

2012年07月15日 | 厳罰化

事件が起きると、加害者宅に匿名の電話、手紙が殺到する。
名古屋の中学生による五千万円恐喝事件でも、主犯格とされる少年の姉は「普通の人」が怖いと書いている。

40代くらいの女性から「今回の(事件の)白石さんですよね。まったくいい加減にしてくださいね。テレビを見たけど、地域、学校に謝ってくださいよ」という電話がかかり、母親が「はい、そうします。どちらさまでしょうか」と答えると、「謝っても許しませんよ」と言って電話は切れた。
他にも「この地域から出ていけ」「極悪非道の息子を生んでへっちゃらでいる」などなど。
母親「この種の電話はすべて大人の声で、しかも女性からの電話が多かったように思います」

針金を輪にしたものが家の裏口に大量に置かれていたり、車のボンネットにXと大きく書かれたり、タイヤがナイフのようなもので切り裂かれたり。

父親は会社の同僚から「よく会社に出て来れるよな」という陰口を言われる。
最もショックだったのは仲間だと思っていた人から「康介君が逮捕された後も変わらず会社に出てきて、平気な顔をしているじゃないか。早く家を売って弁済して、しばらく休職したらどうか」と言われたこと。

父母の兄弟や親戚も罵る。
インターネットには実名・住所・父母の名と生年、家族構成、勤務先などの虚実入り交じったデータが流された。
白石家の写真も公開され、引っ越したという噂が流れると「区役所に行って除住民票を取りましょう」と呼びかける、など。

警察や弁護士も当てにならない。
4月5日に本人は逮捕されるのだが、一か月前の3月6日に、父親は緑署に事件として調べてほしいと相談している。
警官は「いや、被害者の方から被害届が出ていないのでね。なんとも出来ないんですよ」と相手にしない。

弁護士に相談したほうがいいと警察からアドバイスされる。
4月7日、弁護士から「すぐ(恐喝の)弁済金として五百万円を用意してほしい」と電話があった。
4月17日、弁護士から「相手(松井さん)の弁護士さんはお話のできる人だ。すぐに二千万円を集めてください」と指示される。
しかし、警察はまだ捜査中で、実際に息子が松井君からいくら取ったのか分からない状態だった。
父親が「先生、ちょっと待ってください。おかしいじゃありませんか。それが本当に立件されて出てきた数字であれば、私は『わかりました』と申し上げますが、まだ捜査中じゃないですか。息子には当然、罰を受けさせます。しかし、とりあえず、きちんと調べたうえ、お支払いしたい」と言うと、弁護士は「そんなことでしたら、私はもう下ろさせてもらいます」と言ったという。

手をさしのべる人もいる。
「最後に、こんな私たち家族を助けてくれた人たちがいました。名前は出せないけど、私はとっても感謝しています。いろんな人にいろんなことを教わって本当に助けてもらって人生を救ってもらいました。
助けてくれる人たちがいたから、私たちは今生きていられるんだろうと思います。
本当に本当にありがとうございました」

息子が逮捕された翌日の4月6日、友人が「これから大変だろうから、しばらく娘さんを預かろう」と言ってくれ、娘は友人宅に避難した。

母親が勤める病院の院長に事情を伝えて「辞めさせてください」と申し出たら、院長は「(知っているのは)わしひとりだで、気にせんでいい」と引き止めた。

院長は自宅まで差し入れしに来て、「迷惑も全部引き受けるから、仕事を辞めないで。むしろ、仕事はしたほうがいいんだから」と言い、その後も「仕事は辞めるな」とはげまし続けた。

父親の友人から「体大丈夫か。食事したか。今から差し入れしようか」と電話があり、
「ここへ来たら大変ですよ」と母親が断ると、「そんなことは俺には関係ないから」と言って、実際に差し入れてくれた。

親しくつきあっていたわけではない近所の人から、「食べなさい、これ。体を壊したらどうしようもないから」と差し入れがあった。

母親「こうして、私たちを助けてくださった人たちがいたからこそ、私たちは死なずに済んだのだと思います」
こういう人に私はなりたい。

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『息子がなぜ 名古屋五千万円恐喝事件』1

2012年07月12日 | 厳罰化

一読し、ぞっとしました。
2000年4月に発覚した、中学生3年生が同級生や先輩から総額5千万円を恐喝された事件の主犯とされる少年(白石康介・仮名)の両親へのインタビューをまとめたのが、『息子がなぜ』である。
被害者のつらさは言うまでもないが、加害者の家族になるもの大変である。

父は会社員、母は看護師、5歳上の姉と本人の4人家族。
両親が仕事で忙しい、父方の祖父母と同居していたが折り合いが悪くなって別居など、本人がぐれた理由はいろいろある。
しかし、たとえば子どもが悪い仲間とつき合い、学校をサボり、恐喝し、警察に補導されたとして、親はどの時点で、どう対処したらいいのか。
私にはさっぱりわからない。

中学校にも問題があったらしい。
母親によると、中1のころは先輩からいじめられていた。
「お金も取られていたようです。のちに、康介は警察の取調べのなかで、「中学一年生の頃から上級生に恐喝され、殴られていた」ということを語っています。数回で十万円ほどと、康介が松井君(被害者)から取った金額には遙かに及びませんが、扇台中学では伝統的に、上級生が下級生を恐喝し続けてきたのでした」
しかし、扇台中学校校長が事件を振り返った文書にはこうある。
「不登校生とも少なく、いわゆる「荒れた学校」ではないため、管理職を含めた教職員全体の危機意識が乏しくなっていた」
どっちが本当なのか。

家族が事件を起こすといかに大変か、『息子がなぜ』を読むとよくわかる。
姉の手紙「私がこの事件で思ったことは、心ない大人の人が多すぎるということです。自分の地位やお金のことばっかりで、人の心を何とも思わないような、人の人生を壊しても奪っても何とも思わないような人をいっぱい見ました。そんな人たちに弟をどうこう言う権利はないです。人間のふりして人間じゃないような人に私の弟を攻撃するようなこと、私の親を傷つけることを言ってほしくない。
そんな人たちに何にも何にも知らないくせに知ってるみたいに言ってほしくない。みんな「知る権利」とか言うけど、人の興味をそそるための知る権利と一人の人間の人生とどっちが大切か考えてみてほしい。そういうことをしたら、その人がどうなるか、その家族がどうなるか、考えてほしいです」

たとえばマスコミ。
姉の手紙「マスコミの人は勝手に家に入ってくるし、家の前で待ち伏せしてるから家入れないし、いろんなことをいっぱい言います。(略)
加害者の家族は、人権もプライバシーもぜんぶなくなってあたり前みたいで、みんなが死ねって言ってるみたいでした。実際、いっぱい言われたし、いっぱい脅迫された。(略)
毎日毎日マスコミの人と普通の人が怖かったです。
車をパンクさせられたり、男の人に追いかけられたり、そんな中で普通に生きていけるわけがありません」

4月5日に逮捕、4月6日に事件が報道されると、早速マスコミの一団が自宅を訪れ、電話もひっきりなしに鳴る。
近所の人は大迷惑である。
母親「私は今回の事件のこと、取材陣のことで迷惑をかけ続けていることが本当に申し訳なくて、近所の家を一軒一軒訪ねて歩き、お詫びしました」
母親のその様子をテレビ局が撮影し、放映している。

両親が中日新聞の執拗な取材要請を断りつづけると、中日新聞の記者はこう言った。
「取材を受けてもらえないと、一方的な情報ばかりになって、どういう記事になるか責任は持てません」

中日新聞は事件発覚から一年後に、事件の連載記事を掲載している。
両親は取材の申し込みを断ったのだが、記事にはこんな文章がある。
「時には電話で近況を聞いた。昨年秋、自宅の玄関先で会った母親は、思いのほか表情が明るくなっていて、ほっとした」
「「こんな手紙が来たんですよ」加害少年を励ます文面がつづられた匿名のはがきを、母親は笑顔で見せてくれた」(中日新聞2001年4月5日)
両親によると、記者と電話で近況を話したことも、手紙を見せたこともないそうだ。
「そもそも息子を励ます文面の手紙も、来たことがないのだという」
まるっきりの嘘なわけである。
マスコミ不信に陥るのも仕方ないと思う。

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サム・ウェラー『ブラッドベリ年代記』

2012年07月08日 | 

映画や小説に金額が出てきても、今の日本のお金にしていくらなのかわからなく、いつももどかしい思いをする。

「明治人の棒給」というサイトから。
明治40年、夏目漱石の東京朝日新聞社での月給は200円。

明治42年、石川啄木は東京朝日新聞社の校正係としてもらった月給は25円。
月に25円で母と妻を養えるとしたら、そのころの1円は今の1万円ぐらいか。
もっとも、石川啄木は酒や女などに使って、給料の前借りをしているが。

外国だともっとわからない。
『アメリカン・ビューティー』(1999年)の主人公の家のソファーは、字幕(戸田奈津子)には4万5千ドルとあるが、4500ドルの間違いだそうだ。
1ドル=80円として計算すればいいかというと、そうはいかないと思う。
アメリカでは時給7ドルが最低レベルらしいから、日本だと7~800円ぐらいなので、1ドル=100円ということになる。
アメリカでは45万円のソファーを買う人は中流層なのか。
450万円のソファーを買うのが日本ではお金持ちだからというので、わざわざ誤訳したのだろうか。

本田哲郎神父の新約聖書訳『小さくされた人々のための福音』は、お金を日本円にして翻訳している。

ぶどう園で働く労働者の賃金は一日5千円(新共同訳「一日につき一デナリオン」)。(マタイ20、1)
サマリア人が追いはぎに傷つけられた人を宿屋に連れていき、「5千円の銀貨二枚(新共同訳「デナリオン銀貨二枚」)をとりだし、宿屋の主人にわたして、『この人を介抱してください。もし、費用がかさんだら、帰りにわたしが払います』と言った」(ルカ10、25-37)
「ある婦人が五千円銀貨(新共同訳「ドラクメ銀貨」)を十枚持っていて、そのうち一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りにさがさないだろうか」((ルカ15、8)
マリアがイエスの足に塗った純度の高い高価な300グラムのナルドの香油は150万円(新共同訳「三百デナリオン」)で売れる。(ヨハネ12、5)
1デナリオンが5千円かどうかはともかくとして、これだと感じがつかめる。

アメリカのお金の価値の変遷について、レイ・ブラッドベリの伝記であるサム・ウェラー『ブラッドベリ年代記』を手がかりとして考えてみましょう。

レイ・ブラッドベリはものをため込むたちだそうで、原稿料をいくらもらったかをちゃんと記録している。
レイ・ブラッドベリ(1920年生まれ)は高校を卒業して、街頭で新聞を売る。
平均して週に10ドルの稼ぎ。
週に10ドルは、親と同居して「自分の服を買い、映画代と本代と雑誌代をまかなうだけの収入」とのことである。
今のお金に換算するといくらぐらいか。

ドルの時代ごとの価値を計算してくれるサイトがある。(日本円でもこんなサイトがあればいいのに)
1938年の10ドルは2010年の153.11ドル。
1ドル=100円として、ブラッドベリ青年は週に約1万5千円を稼いでいた。

1941年、最初の原稿料を手にする。

一語半セントで、27ドル50セントだった。
402.67ドルだから、約4万円。

1945年、パルプ誌からの収入は平均して一篇につき、4~50ドル。

その年、主流文学雑誌に三篇が売れ、合計して千ドルになった。
1947年、「ハーパーズ」に短編が250ドルで売れた。
その年に結婚。

1952年、週に80ドルか90ドルの稼ぎだったが、75ドルのリトグラフを三か月の分割払いで買う。

1952年の80ドルは2010年の649.74ドル。
650ドル×100円×52週=338万円
90ドルだと730.96ドルで、52週で3,796,000円
妻と二人の子どもを抱えてこの収入では生活は楽ではない。

カート・ヴォネガット『バゴンボの嗅ぎタバコ入れ』の解説に、カート・ヴォネガットの処女作「バーンハウス効果に関する報告書」(1950年)が750ドル、50年代半ばには1篇2700ドルになり、年平均4、5篇の短編をスリック雑誌(上質の紙を使って写真が多く使われる雑誌)に売れば、十分生活していけた、とある。
ブラッドベリとは桁違いの原稿料である。

1955年の2700ドルは2010年の21733.55ドル。
2万1千ドル×4篇×1000円=840万円
カート・ヴォネガットは800万円から1千万円の収入だったということになる。
これなら十分生活できる。


で考えたのだが、印税が10%として、千円の本が1万部売れて100万円の印税収入。

小説を年に4冊出版しても400万円の収入にしかならない。
毎年4冊以上の、しかもそこそこ売れる小説を書き続けていくのは楽ではないと思う。
なるほど、小説だけを書いて生活している小説家が少ないのもわかる。

1953年、『白鯨』の映画脚本を書くことになった。

脚本執筆料は1万2500ドル。(2010年では100716.87ドル、約1千万円)
週に600ドルずつ17週もらい、加えて経費として週に200ドルが支払われる。
妻と娘二人、そして娘たちの子守りもアイルランドに同行するのだが、旅費や宿泊費を誰が持ったのかはわからない。
映画の脚本料は制作費の5%だそうだが、『白鯨』の制作費は450万ドルだから、レイ・ブラッドベリは0.3%弱しかもらっていない。
それでも映画の脚本料は小説を書くよりも収入になるのではないかと思う。

1953年の1ドルは2010年の8.06ドルだから、物価は約8倍ほど上昇したことになる。
日本ではどうなのか。
ネットで調べてみると、昭和28年の公務員の初任給は8700円、昭和29年の大工の日当640円、昭和28年は米10キロ680円、新聞の購読料が月280円、ビール107円、銭湯は大人15円、コーヒー50円。
人件費は20倍、物の値段は10倍ぐらいか。
日本のほうが物価上昇率が高いから、2010年のドルに換算し、それを100倍するのでは正確ではないと思う。

1955年、テレビ番組『ヒッチコック劇場』用に脚本を書き、脚本料は2250ドル。
1969年、『刺青の男』の映画化権を8万5000ドルというかなりの高値で売った。
2010年のお金にして499703.90ドル(約5千万円)だから、『白鯨』の脚本料の約5倍。

ベストセラーを一作書き、それを映画会社に売り、さらに自分で脚本を書けば、それだけで一生食べていける気がする。
『コーマン帝国』にピーター・ボグダノヴィッチやジョー・ダンテ、ジョン・セイルズといった、今は映画を作っていない(と思う)監督が出ていたが、何で生計を立ててるか知らないが、それでもいい生活をしているようで、なにやらうらやましくなる。

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ショーン・マクナマラ『ソウル・サーファー』と福音派

2012年07月05日 | キリスト教

ショーン・マクナマラ『ソウル・サーファー』は、13歳のときにサーフィンをしてて、鮫に襲われて片腕を失うが、プロ・サーファーになったベサニー・ハミルトンの実話をもとにした映画。

悪くはないが、キリスト教のにおいの強さが気になる。
家族そろって教会に通い、兄弟は教会の青年会(?)活動に積極的に参加し、教会の女伝道師(性格が悪そうに見える)の話を素直に聞く。
それがどうしていけないのかと言われると困るのだが。

どうもなあと思ってたら、エンド・クレジットのSpecial Thanksの最初と最後にJesus Christという名前が出てきた。
れれれと思ってウィキペディアを見ると、ベサニー・ハミルトンはI Am Secondというキリスト教福音派と関係があるそうだ。
進化論なんて頭から信じてなさそう。
ベサニー・ハミルトンと親友はサーフィンの練習のために学校に通わず、自宅学習をしているというシーンがあるが、学校で聖書に反する知識を学ばせたくないからだと邪推したくなる。

ネットで調べたら、Youtubeにベサニー・ハミルトンへのインタビューがあった。

Nick interview with Bethany (英語、日本語字幕)

こんなことを話している。
「私はとても小さい時にもう神に人生を任せた」
「直ぐに、それは神が計画した私の人生だという気がした」
「神は私の人生に計画を与える。それに神は私を愛している。だから、神は私に忍耐と力とサーフィンに対する新たな情熱を与えてくれた。そして、私は諦めないことにした」
「サーフィンは私にとって一番大切なものというわけじゃない。イエス・キリストこそ一番大切。イエスに力と希望をもらって日々を過ごす」etc

インタビュアー(障害者)が「あなたは神があなたに与えた計画を実行するためその事故を起こしたと思えるの」と問うと、「ええ、そう思う。神は理由があって私に腕を失わせたと分かっている。その理由は今分かった。だって、たくさんの素晴らしいことが私の人生で現れた。私の信仰を人達に話す機会ができたし、サーフィンをし続けられるし、片手でサーフィンのことを人に話せるし、片手でもサーフィンレースに出られるし、希望を失った人は多い。私の経験を聞いて、彼らの人生が変わった。だから、全然腕を取り戻したいという気持ちはない」と答える。

あらゆることは全能の神のお考え。
だから、ベサニー・ハミルトンが鮫に片腕を食べられたのも、神の意思なのである。

2004年、津波の被害に遭ったタイのプーケット島に、ベサニー・ハミルトンたち教会のメンバーはボランティアに行く。
彼らは、津波で何万人もの人が死んだのも神のお考え、残された人にとっては神の与えた試練だと思いながら、被災者の世話をしたのだろうか。

『ラビット・ホール』という映画は、一人息子が交通事故で死んだ夫婦が主人公である。
夫婦で子どもを亡くした親の会に出席しているが、娘を亡くした人が「娘は天使になって神様のそばにいる」と話すのを聞いて、母親はキレる。
「そんなに天使が必要なら、自分で作ればいいのよ。だって神なんだから」
正論だと思う。

信仰によって障害や子どもを亡くしたことを受け入れることを非難しているわけではない。
だけども、と思う。

本田哲郎『聖書を発見する』に、福音主義、原理主義の人は、
「富、健康、長寿こそ神の祝福のしるしであって、貧困、病気、短命は神の罰だという人たち」とある。
渡辺靖『アメリカン・デモクラシーの逆説』に、こんな例が紹介されている。
2005年8月、アメリカ南東部を襲って1800人の死者を出したハリケーン「カトリーナ」に関して、キリスト教保守派の組織「リベント・アメリカ」(「アメリカを悔い改める」という意味)の創設者マイケルマーカベージは「同性愛者の祭りを毎年催しているニューオリンズへの神の審判だ」と述べ、同派のテレビ伝道師ジョン・ヘイギーは反カトリックの立場から「カトリーナは罪の都市に対する神の罰だ」と発言した。
石原慎太郎都知事の「大震災は天罰」「津波で我欲洗い落とせ」という暴言と同じことを福音派が言っているわけだ。

タイの人たちはほとんどが仏教徒である。
さすがに『ソウル・サーファー』では、石原都知事のようにあからさまに「津波は神の罰だ」なんて言わない。
でも、そんな勘ぐりをしたくなるキリスト教福音派の宣伝映画でした。

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大原清秀「神主殺人事件 上関原発の真実」

2012年07月02日 | 日記

消費税増税法案に反対票を投じた自民党、公明党の議員はいないのだろうか。
自分の考えを持っていないというか、言われるままというのはどこかの国みたい。
反対する議員がいる民主党のほうがまだ人間らしいと思います。(もちろん皮肉)大飯原発の再稼働に反対している民主党議員は約120名だが、自民党には何人いるんだろうか。
次の衆議院選で民主党が惨敗するのはわかっていて、消費税率を上げようというのだから、野田首相も大したものである。(分裂したから、どっちにしろ民主党政権はこれでおしまい)

「週刊金曜日」に「野田首相、原発事故の責任を取らないと閣議決定」( 6月29日)という記事がある。
「大飯原発3、4号炉の運転再開について、野田佳彦首相は「最終的には総理大臣である私の責任で判断を行いたいと思います」と5月30日の記者会見で述べた」
ところが、「政府は6月29日、「政治的判断を必要とする国政上の重要な問題であり、内閣の首長である野田内閣総理大臣がこれに関与し責任を持って判断を行うという趣旨で述べた」との答弁を閣議決定したのだ。その一方で、事故発生時の賠償については「原子力事業者がその損害を賠償する責めを負う」などと従来の枠組みの説明にとどまっている」

「週刊金曜日」には、「首相の任務として再稼働を決めた」が、「自分のした事の結果、事故が起きてもその被害について責めを負う気はない」とあるが、野田首相はそこまではっきりとは言っていない。
高木孝一元敦賀市長を見習って、「国民の生活」のためには金がいる、将来のことなんて考えておれるか、と正直に言えばいいのに。

某氏にもらった小冊子に、大原清秀「神主殺人事件 上関原発の真実」という文章があった。
上関原発の予定地は田ノ浦というところである。
田ノ浦には四代正八幡宮があり、宮司は林春彦という人だった。
林春彦宮司は土地を中国電力に売却することを拒んだ。
ところが、氏子のほとんどは原発賛成派だったのである。
「林宮司がどうしても土地売却に応じないので、原発賛成派の人びとは金で買収しようとした。それでもダメだとなると今度は集団で脅しをかけた。それもダメとなると女を使って林宮司を籠絡し、スキャンダルを起こさせようとした。それでも林宮司は動じなかった」

そこで原発賛成派はどういう手を使ったのか?
「林宮司名義の辞職願を偽造し、東京の神社本庁に出した。神社本庁は直ちにこれを受理、林宮司を解任し、別の宮司を持ってきた。その別の宮司は、すぐさま田ノ浦の杜を中電に売却した」

2003年、林宮司は有印私文書偽造で訴えた。
ところが、林宮司は山口地裁で倒れて亡くなってしまう。
というので、「神主殺人事件」なのである。
わかりやすい話ではないですか。
金がほしい、手に入れるためには何でもする、ということだから。

裁判は林宮司の弟が受け継いだ。
2007年、判決が出た。
「林宮司が神社本庁に提出したという辞職願は、明らかに何者かによる偽造である、というものであった。この事実は動かず。ところが、裁判所の結論は、その後の神社の杜の中電売却は有効である、というものであった」
他人のハンコと署名を偽造して人の財産を売りとばしても、売却は有効だ、という信じられない判決である。

大原清秀氏はこう書く。
「そうかァ、だったらオレも、他人のハンコを偽造して、他人の財産を売りとばして大もうけしようかなァと思っちゃう」
東京代々木にある神社本庁の外壁には「鎮守の杜を守りましょう」という垂れ幕が下がっているそうだ。

他にも「神主殺人事件」には、上関原発にまつわるほんまかいなということが書かれてあるが省略。
一つだけご紹介するのは、愛媛県伊方町(伊方原発のある町)の公務員だった人の話。
「私はかつて役人として、原発誘致を推進した者です。過疎の町を活性化するには原発しかない。そう信じ、人々を説得してまわりました。大間違いでした。電力会社は町民を雇ってくれると申しましたが、大ウソ。中高年など雇ってはくれませんよ。確かに一時は大金が落ちて町は潤い、道路や文化ホールはできましたが、維持するのが大変で、いま町の財政は赤字です。原発はたとえて言えば麻薬です。お金が欲しかったら、原発二号機を建てさせろ、三号機も建てさせろと国は必ず言ってきます。まるで麻薬づけなんです」

まさに中嶌哲演の言う札束汚染、人心汚染である。
中国電力は450億円をすでに使っているそうで、そりゃ原発賛成派が札束中毒に汚染されるなという話。

民主党もダメなら誰に投票しようか、というので維新の会を支持する人が増えているんだと思う。
小出裕章氏は「原発事故の総括」というインタビューの中でこう言っている。
「ただし、騙されないで欲しいことはあります。橋下市長などに対して、「今の酷い社会を変えてくれるかもしれない」と、期待をかける人がいますが、そんなことをしたら余計に悪くなるだけです。どんな社会を作りたいのか? を、1人ひとりがしっかり考えることなく、誰かに依存するなら、悪い方向へ行くと思います」(人民新聞オンライン6月19日)
飯田哲也という人は橋下大阪市長のブレーンだそうだが、しっかり考えているのかと思う。

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