三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

終末を待望する人たち

2023年11月11日 | キリスト教

ダーレン・アロノフスキー『ザ・ホエール』に、引きこもっている主人公のアパートに、キリスト教の一派であるニューライフの宣教師が訪れる場面があります。
終末がもうじき訪れ、自分たちは天国に行くが、信仰しない人は地獄に堕ちるので、一人でも多くの人を救おうとして訪問したわけです。

ニューライフの教義がどのようなものかわかりませんが、『ザ・ホエール』で語られる終末思想はキリスト教福音派やエホバの証人などと同じように思います。

イエスが再臨(キリストが再びこの世に現れる)して、携挙(信徒を空中に引き上げる)があり、艱難(患難とも。天変地異や疫病の流行、戦争、飢饉など)が起こる。(この順序には諸説あり)

A・R・ホックッシールド『壁の向こうの住人たち』はルイジアナ州でティーパーティーの支持者たちにインタビューした本です。
2010年の調査によると、アメリカ国民の41%が2050年までにキリストの再臨が「おそらく」、あるいは「必ず」起こると信じている。
アメリカでは5000万人が携挙を信じている。(アメリカの人口は約3億3千万人)

A・R・ホックッシールドがインタビューしたハロルド・アレノはこう語ります。

もし魂の救いが得られれば、天国へ行ける。天国は永遠だ。そこへ行けばもう、環境のことを悩まなくなる。それがいちばんたいせつなことだ。

工場の廃液によって自分や家族、親戚がガンになったのに、環境破壊や公害問題は信仰に比べると大したことではないと考えているのです。

アレノ夫妻と息子ダーウィンは携挙を信じています。
終末のときに大地が焼かれ、千年後に地球は浄化される。
それまではサタンが暴れまわる。

ダーウィン・アレノはこう語ります。

神がご自分の手で修復なさるまでは、神が最初に創造なさったとおりのバイユー(アレン家が住む場所)を見ることはできないでしょう。でもその日はもうすぐやってきます。だから人がどんなに破壊しようとかまわないんですよ。

終末を信じる人たちにとって、環境破壊、戦争、災害、伝染病などは終末のしるしであり、喜ばしいことだと思っているようです。

グレース・ハルセル『核戦争を待望する人びと 聖書根本主義派潜入記』には、アメリカにはイエスの再臨と世界の終末を信じる人が大勢いて、かなりの影響力を持っていることが述べられています。

善であるアメリカとサタンに率いられた軍隊が核兵器を駆使するハルマゲドンは避けられない。
しかし、このことは歓迎すべきことである。
なぜなら、キリストが再臨すれば自分たちは天上に引き上げられる(携挙)からである。
彼らにとって地球はかけがえのない惑星ではない。
資源が枯渇しようと、環境を破壊しようと、もうすぐ終末なのだから。

『核戦争を待望する人びと』の原著は1986年の出版です。
サタンであるソ連はすでに崩壊していますが、終末を信じる人たちの考えは揺らいでいないようです。

新型コロナウイルスの流行、ロシアのウクライナ侵攻などが起きると、イエスの再臨が近いと喜ぶ人がいるのです。
そういう教えは現実を軽んじているように思います。

統一教会も終末の前の患難を説いています。(すでに文鮮明が救世主として再臨している)
https://familyforum.jp/2023062448410

藤田庄市「宗教2世(カルト2世)、その苦闘の歩み」(井上嘉浩さんと共にカルト被害のない社会を願う会「Compassion」)に、エホバの証人の信者だった女性が息子から次の質問をされ、答えることができなかったと書かれています。

・予言がはずれたこと
エホバの証人では、この世の終末がいつ来るかが、何度も予言している。
しかし、終末の予言はいつもはずれ、いまだに終末が来ない。
予言がはずれたのではなく、調整されたとする。
ハルマゲドンが近いということは教義の中心である。

それは調整ではなく,変更でしょう。


・エホバの証人は自分たちだけが唯一の神を知っていると主張する
信者はエホバの証人の出版物以外の書籍は読んでいない。

神は存在するかもしれないけど、他のキリスト教の本や宗教の本を読むのを禁じていて、どうして唯一と言えるのか。証拠はあるのか。本物のお札を知っているからニセ札を見抜くことができる。根拠もなく、ただ信じているだけではないか。


・エホバの証人の救済論におけるエゴイズム
まもなくハルマゲドンが来て、エホバの証人の信者だけが天国で楽しく暮らすが、それ以外の人は地獄に堕ちると説く。

組織は信者でない人たちが殺されるのを待っているんだ。


鋭い指摘です。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マルコス・アギニス『マラーノの武勲』(2)

2023年04月09日 | キリスト教

『フェイブルマンズ』で、ユダヤ人はキリストを殺したと言いがかりをつけられた主人公(スティーヴン・スピルバーグ)は、ガールフレンド(福音派?)に、2000年前にはいなかった、イエスも弟子たちもユダヤ人だなどと説明します。

マルコス・アギニス『マラーノの武勲』にも同じようなやりとりがありました。
フランシスコが9歳の時、父が息子ディエゴに自分たちはユダヤ人だと説明するのをこっそり聞きます。

「ぼくらはユダヤ人なの?」
「そうだ」
「なりたくないよ・・・そんなものには」
「オレンジの木がオレンジ以外になれるかい? ライオンがライオン以外の動物になることなどできないだろう?」
「だけど、ぼくらはれっきとしたキリスト教徒じゃないか。それに・・・ユダヤ人は裏切り者だ」
「では、我々が裏切り者だと言うのかい?」
「イエス・キリストを殺したのはユダヤ人なんだから」
「わたしが彼を殺したと言うのかい?」
「違うよ・・・そんなわけないじゃない。でも、ユダヤ人は・・・」
「わたしはユダヤ人だよ」
「ユダヤ人はイエスを殺し、十字架にかけたんだ」
「だったら、おまえが殺したのかい? おまえはユダヤ人なのだから」
「違うよ、ぼくが殺したんじゃない!」
「おまえが殺したのでもなくわたしが殺したわけでもないとなると、〝ユダヤ人〟つまり〝ユダヤ人全部〟が罪人ではないことは明らかだ。それに、いいかい。イエスは我々と同じユダヤ人だったんだよ。イエスを崇拝している人々の多くがイエスの血を、彼のユダヤ人としての血を憎んでいる。実に矛盾したところがある。ユダヤ人一人ひとりがどれだけイエスに近い存在であるのか、彼らにはそのことがまったく理解できないんだ」
「それじゃあ、父さん、ぼくらは・・・つまりユダヤ人はイエスを殺していないの?」
「わたしはイエスの逮捕はもちろん、彼に対する偽証にも加わっていないし、磔にだってしていないよ。おまえはそんなことをしたかい? わたしの父は? 祖父は?
福音書では〝数人の〟ユダヤ人たちがイエスの死刑執行を要求したと書かれているが、〝ユダヤ人全員が〟とは言っていない。なぜなら、もしすべてのユダヤ人がというのならば、そこにイエスの使徒たちや聖母マリア、マグダラのマリア、アリマタヤのヨセフなど、いわば初期のキリスト教共同体を形成した者たちも含まれてしまうからだよ。ユダヤ人であるイエスを捕らえたのは、当時ユダヤ王国を支配していたローマの権力者たちさ。ローマ人こそが牢獄で彼を拷問にかけた。イエスを、ユダヤの王を騙る人間だと中傷し、同胞たちを解放しようとした一人のユダヤ人を嘲笑しようと茨の冠を被せたのも、ほかならうローマ人たちだ。それに磔刑だって彼らによって発明されたものだよ。十字架で死んだイエスと盗人だけじゃない。イエスの生まれる前から、そして彼の死後、かなりの歳月が経過するまで、何千人ものユダヤ人が磔にされて殺されたんだ。イエスの右脇腹に槍を突き刺したのもローマ人だし、彼の衣服を分配しようとくじで決めたのもローマの兵士たちだった。一方、慈悲深い態度でイエスの亡骸を十字架から降ろし、立派に埋葬したのはユダヤ人たちだった。イエスを忘れないように彼の教えを広めていったのだってユダヤ人たちだった」
「じゃあ、どうしてユダヤ人は責められるの?」
「我々が服従せずに抵抗するから、憤慨しているのさ」
「ユダヤ人はイエス・キリストを認めないから?」
「争いの焦点は宗教ではない。キリスト教徒は我々の改宗を願っているわけじゃない。それなら話は簡単だったろう。すでにユダヤ人社会全体を改宗させたのだから。本当はね、彼らは我々の全滅のために戦っているんだよ。何が何でも絶滅させたいんだ。おまえのひいおじいさんは髪を引きずられて無理やり洗礼を受けさせられたが、毎週土曜日にシャツを着替えていたという理由でのちに拷問にかけられた」


マルコス・アギニスはユダヤ人として差別された経験を持ちます。
この会話はおそらく何度も自問したことではないでしょうか。
マルコス・アギニスは現在は不可知論者だそうです。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マルコス・アギニス『マラーノの武勲』(1)

2023年04月02日 | キリスト教

『紳士協定』(1947年)は反ユダヤ主義をハリウッドで始めて正面から取り上げた映画だそうです。
同じ年に製作された『十字砲火』もユダヤ人差別をテーマにしています。
反ユダヤ主義を取り上げた映画はその後も作られていますが、スティーヴン・スピルバーグの自伝的映画『フェイブルマンズ』もその一つ。

1964年、17歳の時にアリゾナ州からカリフォルニア州に引っ越したスピルバーグは、高校で「キリストを殺したことを謝罪しろ」と難癖をつけられます。

マルコス・アギニス『マラーノの武勲』の注にこうあります。

ユダヤ人に対し、長年にわたってなされてきたキリスト殺しとの非難、および体系的に教えられてきたユダヤ人は裏切り者であるとの言及が、カトリック教会によって正式に撤回されたのは、1962年に開催された第2回バチカン公会議の席上でのことだった。

スピルバーグに言いがかりをつけた生徒はたぶんプロテスタントだと思います。

町山智浩さんによると、スピルバーグ家が住んでいた地域は、1950年代、60年代はユダヤ人がほとんどいなかったそうです。

ユダヤ系がたった1人だと、白人の他の生徒たちがいじめるんですよ。すごいいじめをやったみたいです。民族差別を。で、なんというかですね、お金、小銭をスピルバーグに投げたりするんですよ。「ユダヤ人は金が好きなんだろう?」って言って、投げるんです。(略)
学校ではね、本当に殴られて、彼は大怪我もしています。で、大問題になったりしてるんですよね。

https://miyearnzzlabo.com/archives/94452

映画でも殴られるシーンがあります。
他の生徒たちはその場を見て見ぬふりをして通り過ぎます。



『マラーノの武勲』の解説によると、マルコス・アギニスの両親は東ヨーロッパからアルゼンチンに移住したユダヤ系で、家族のほとんどをナチスに殺害されています。
マルコス・アギニスが生まれたコルドバ州の町では、アギニス家は数少ないユダヤ人家族であり、周囲から差別を受けた。

小学6年の時、欠勤した担任教師の代わりに校長が授業をした。
国家と非愛国者について話題にし、非愛国者とはだれかと問うた。
そして、「それはジプシーとイスラエル人だ。イスラエル人たちは祖国から追放された民でね、キリストを受け入れなかったから非愛国者なんだよ」と言った。
入学時から好印象を抱いていた校長の言葉にショックを受けた。

ペロン政権(1946年~)は中学校でカトリックの宗教教育を義務化した。
ユダヤ人の保護者たちは、信仰の違いを理由に出席しなければ子どもたちが嫌な思いをするのではと危惧し、参加させることにした。
2年目に宗教を担当したのは温和な司祭だった。
だれかがユダヤ人の宗教について質問すると、司祭はためらうことなく「彼らは信仰など重視しない。唯物論者で、金のためだけに生きているからだ」と断言した。

『マラーノの武勲』の主人公は、17世紀に実在したフランシスコ・マルドナド・ダ・シルバというユダヤ人です。

1492年、スペインが統一すると、改宗に応じなかったユダヤ教徒とイスラム教徒はスペインから追放された。
フランシスコの曾祖父はポルトガルに逃げた。
ポルトガルでもキリスト教に改宗したユダヤ人(新キリスト教徒)に対する大規模な殺戮が起こる。
1536年、ポルトガルに異端審問所が設置された。

父のディエゴ・ヌーニェス・ダ・シルバは1548年にリスボンで生まれる。
ポルトガルでも異端審問が行われたので、ディエゴはブラジルに移住した。
ところが、ブラジルはポルトガル以上に異端審問所が非道だったので、スペイン領のペルー副王領に移った。
新キリスト教徒はユダヤ人であることを隠して生きる。

注によると、「マラーノ」とはこういう意味です。

キリスト教に改宗したにもかかわらず前の信仰を秘密に維持していたユダヤ教徒やイスラム教徒を侮蔑的に形容した言葉。乳離れしたばかりの若い豚の意で、不潔さや強欲さを彷彿とさせる。当初は破門者を指すのに使用されたが、13世紀以降、強制的に改宗させられたユダヤ人やユダヤの慣習を保持していると嫌疑をかけられた者たちに向けられるようになり、あらゆるユダヤ人、特に新キリスト教徒を指す侮蔑語になった。


フランシスコは1592年に現在のアルゼンチン、トゥクマンで生まれる。
ユダヤ人であることが知られることを怖れ、コルドバに引っ越す。
しかし、フランシスコが9歳の時、父はユダヤ教信奉の罪で逮捕され、リマに連れて行かれた。
財産は異端審問所の経費にするために没収される。
1年後、兄も逮捕。
姉2人は修道院に入り、母親は死亡した。
フランシスコは修道院で教育を受ける。

1610年、リマに行き、大学で医学を学んで、父と同じ医師になった。
釈放された父と再会する。
父は拷問を受けたため身体が不自由になっている。
父によって自分はユダヤ人だという意識を持つようになった。

父が死亡した翌年の1618年にチリに移る。
ユダヤ人であることを知られないためである。
そして、ユダヤ人だとは教えずに結婚する。

ところが、娘が生まれ、2人目が出産間近であるにもかかわらず、姉にユダヤ教を信仰するよう勧めたために密告された。
1627年、ユダヤ教信奉の罪で逮捕される。
財産は没収され、知人から白い目で見られるということを経験しているのに、なぜ逮捕されるようなことをしたのでしょうか。
妻や子供のことは考えなかったのかと思います。

それでも、謝罪すれば父のように釈放される可能性はあります。
なのに、ユダヤ教の信者であることを認め、異端審問官と何度も神学論争をする。
フランシスコはリマの異端審問所でユダヤ教信奉の罪で死罪判決を受け、1639年に火刑に処される。

異端審問所には取調べや裁判の記録が残っており、マルコス・アギニスはそうした記録などをもとに『マラーノの武勲』を書いたそうです。
解説によると、リマの異端審問所では1569年の開設から1820年の閉鎖までに、1442名の被告を処罰し、32名に死刑を執行しています。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バート・D・アーマン『捏造された聖書』(2)

2020年02月04日 | キリスト教

バート・D・アーマン『捏造された聖書』には、2~3世紀のキリスト教異端についても書かれています。

聖書を複製する書記は意味が通るように聖書の言葉を書き直すこともあったし、神学的理由で書き直すこともあった。
神学的理由の一つが異端を否定するため。

さまざまに異なる信仰を持つキリスト教徒たちは、自分たちの真理を他の者たちに教えこもうと努めていた。
こうした論争の中から、最終的にたったひとつの宗派が勝ち残った。
その宗派こそ、キリスト教の信経を定めた宗派だ。
その信経によれば、創造主である唯一神が存在し、その子イエスは人間であると同時に神であり、その死と復活によって救済がもたらされた。

2~3世紀のキリスト教の異端
・養子論者
イエスは人間であって神ではないという主張。
イエスは神ではなく、血と肉を備えた人間であり、それを神が、一般には洗礼の際に、「養子」として採用した。

養子論的キリスト論を奉じた宗派の一つがエピオン派で、イエスの信徒はユダヤ人でなければならないと主張した。
エピオン派は、神は唯一であると信じていたので、イエス自身は神ではなく、私たちと変わらない人間だと考えた。

イエスは普通の人間同様、親であるヨセフとマリアの性的結合によって産まれ(だから母親は処女ではなかった)、それからユダヤ人の家で育てられた。
イエスはユダヤ律法の遵守においてきわめて義であったので、神は洗礼の際に養子として採用した。
その時以来、イエスは自分が神から与えられた使命(他者の罪への犠牲として十字架の上で死ぬこと)を果たすために呼ばれたと感じ、召命に忠実に従った。
神はこの犠牲を讃え、イエスを死から甦らせ、天に上げ、今も来るべき審判の日に地上に舞い戻る時を待っている。

・仮現論者
キリストを完全なる神と見なす。

イエスは完全な血肉を備えた人間ではなく、神以外の何ものでもない。
肉体のように見えるものを持って地上に現れたから人間のように見えるだけ。
つまり、餓え、渇き、苦悩し、血を流し、死んだかのように見えるだけなのだ。

よく知られた仮現論者はマルキオン。
マルキシオンは使徒パウロの生涯と教えに完璧に入れ込んでいて、パウロこそが教会の黎明期以来の唯一の「真の」使徒だと信じていた。

パウロは、神の前に正しく立つことのできる者はキリストを信じた者だけであって、ユダヤの律法に書かれていることを実践した者ではないと述べている。

マルキシオンはユダヤの律法とキリストの福音とは全くの別物だと考えた。
律法と福音は同じ神に由来するということはあり得ないということになる。
そこでマルキシオンは、イエスとパウロの神は旧約聖書の神とは別物であると結論するに至る。

つまり、ふたりの別の神がいるというわけだ。ひとりはユダヤ教の神、世界を創造し、イスラエルを自らの民と呼び、彼らに過酷な律法を与えた神だ。もうひとりはイエスの神、ユダヤ教の創造神の暴虐な天罰から人々を救うために、キリストを世に送りこんだ神だ。


イエスはこの物質世界を創った神に由来するものではないので、この物質世界に属していない。
だから、イエスが現実にこの世に誕生したということはあり得ないのであり、物質的な肉体を持ってはいなかったのであり、実際に死んだのでもない。
そう見えたというだけの話にすぎない。

・分割論者
イエス・キリストを2つの存在であるとし、一方は人間、もう一方は神だと考えた。

人間イエスが一時的に神的存在であるキリストに乗り移られ、それによって彼は奇蹟を行ない、教えを説くことができるようになった。だがイエスの死の前にキリストは彼を見捨て、彼は独りで磔刑に臨まなくてはならなくなったのだ。


分割的キリスト論を好んで唱えたのはグノーシス派。
グノーシスとはギリシア語の知識を意味する言葉から来ている。
救済のための秘密の知識の重要さを強調した。

私たちの住む物質世界は唯一なる真の神の創造したものではない。それは神界の災いの結果として生じたもので、その時、神的存在のひとりが何らかの神秘的な理由によって天界を追われた。彼女が神性を失った結果、劣位の神によって物質世界が創られた。この劣位の神が彼女を捕え、地上の人間の肉体の中に閉じ込めた。だから人間の一部は、自らの中にこの神の火花を持っている。彼らは自分が何者なのか、どこから来たのか、どうやって来たのか、そしてどうやったら故郷に帰れるのか、等々の真実を学ばねばならない。この真実を学ぶことこそが救済への道である。
この真実というのは、秘密の教え、神秘的な「知識(グノーシス)」であって、天界の神的存在のみがそれを伝えることができる。グノーシス派キリスト教徒にとって、キリストとは救済の真実を啓示する神的存在だ。多くのグノーシス派の教義では、キリストは人間イエスの洗礼の際に彼の許にやって来た。そして彼に使命を果たす力を与え、最終的には彼を見捨てて十字架で死なせた。だからこそイエスは、「わが神、わが神、何故あなたは、私をお見捨てになったのですか?」と叫んだのだ。グノーシス派にとっては、キリストは文字通りイエスを見捨てたのだ。


私には、イエスが神の子であり、処女懐胎によって生まれ、肉体の復活をしたという考えとどっちもどっちのように思えます。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バート・D・アーマン『捏造された聖書』(1)

2020年01月26日 | キリスト教

バート・D・アーマン『捏造された聖書』の「はじめに」で、アーマン自身の経歴が述べられています。

高校の時にキリスト教福音主義に身を捧げることになった。
聖書は無謬なる神の御言葉であり、聖書の言葉それ自体が聖霊の霊感によってもたらされたものだ、だから聖書にはひとつも誤りはない。
このように信じて疑わなかった。
ところが、アーマンは本文批評を研究する中で疑問を持つ。

本文批評とは、現存する写本を比較考量することによって、本来の聖書原文を再現しようとする学問。
田川建三ほか『はじめて読む聖書』によると、旧約聖書の成立年代は、紀元前7世紀前半から紀元後1世紀の末、およそ700年間をかけて編集された。
新約聖書は、紀元50年代に執筆されたパウロの手紙がもっとも早く、70~90年代初頭に執筆された4つの福音書と使徒行伝が続く。
正典としての成立年代は、紀元393年にヒッポで開かれた教会会議で27巻の文書が聖典として確認された。

しかし、アーマンによると、たとえオリジナルの言葉が神の霊感に基づくものであっても、もはや地上のどこにも現存しません。
なぜなら聖書が書写されることで、写し間違い、書き間違い、綴りの間違い、省略などが生じるし、意図的な改変(訂正、追加など)がなされることもあったし、一部は失われた。

古代ギリシア語テキストは、句読点が全く使われず、大文字と小文字の区別もされず、単語と単語の間のスペースすらなかったそうです(連続書法)。

ぎなた読みといって、「弁慶が、なぎなたを持って」を「弁慶がな、ぎなたを持って」と句切るような読み方があります。
「ここではきものを脱いでください」だと、「ここで、はきものを脱いでください」なのか「ここでは、きものを脱いでください」なのかわかりません。
どこで区切るかで全然意味が違ってきます。
聖書もぎなた読みをしてしまいかねない文章で書かれてたわけです。

聖書の日本語訳も困難を極めているそうです。
本田哲郎『聖書を発見する』に、山上の垂訓の初めの言葉「心の貧しい人々は幸いである」について書かれています。
「心の貧しい人」だったら、精神的に貧しい、つまり信仰のない人かと思う、よくわからない言葉です。

新共同訳の翻訳作業にあたって、いったんは「心の貧しい人々は、幸いである」は改訳しましょうということになった。カトリック、プロテスタントの聖書学者もほとんど一致して、この表現は原文を偽っているという共通認識に立った。けれども、すったもんだした挙げ句、最後の最後にひっくり返った。学者同士の見解の相違が原因ではない。日本聖書協会の方針・判断によってなのです。


なじまれている表現を変えてしまったら、聖書の印象が変わってしまって売れなくなるので、「定着度の高い表現は変えない」ということだそうです。
これも一種の「捏造」かもしれません。
本田哲郎氏は「心底貧しい人たちは、神からの力がある」と訳しています。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダニエル・L・エヴェレット『ビダハン』

2019年08月24日 | キリスト教

 1951年生まれのダニエル・L・エヴェレットは、17歳の時にキリスト教福音派の信仰に入り、18歳で結婚します。(妻の両親はアマゾンの伝道者)
聖書をピダハン語に翻訳するため、SIL(夏期言語協会)から派遣され(経費と給料はアメリカの福音派教会が払う)、1977年にアマゾン川で狩猟採集の生活をしているピダハン族の村に入ります。
ウィキペディアによると、国際SILは非営利のキリスト教信仰に基づく少数言語のための組織です。

妻と娘がマラリアにかかって死にそうになったりとか大変な目に遭ったにもかかわらず、30年以上もピダハン族の村に通います。
『ピダハン』(2008年刊)を読むと、ピダハン族の魅力が伝わります。

話す人が400人を割っているピダハン語は、世界の言語のなかでもかなり特異な言葉。
音素が11しかない。(日本語は23音素、英語は44音素らしい)
右左の概念がない。
数の概念がない。
色の名前がない。

エヴェレットは聖書の翻訳をしては、村人に聞いてもらっていた。
すると、「おまえはわたしたちにアメリカ人のように暮らしてもらいたがっている。だがピダハンはアメリカ人のように暮らしたくない。おれたちはひとりよりたくさん女が欲しい。イエスは欲しくない。しかしおれたちはおまえが好きだ。おまえはおれたちといていい。だがおれたちは、もうおまえからイエスの話を聞きたくない」と言われてショックを受ける。

当時の自分の気持ちとしては、彼らに無意味な生き方をやめ目的のある生き方を選ぶ機会を、死よりも命を選ぶ機会を、絶望と恐怖ではなく、喜びと信仰に満ちた人生を選ぶ機会を、地獄ではなく天国を選ぶ機会を、提供しにきたつもりだった。


ピダハン語がかなり上達したころ、自分がなぜイエスを信じ、救い主と考えるようになったかを話した。
話をする者のイエスを受容する前の人生がひどければひどいほど、神の救いの奇跡は大きく感じられ、イエスを信じていなかった聴衆が信じようとする動機も大きくなるということだ。
それでこんな話をする。

以前はわたしもピダハンのようにたくさんお酒を飲んだ。女に溺れ、幸せでなかった(略)。継母が自殺したこと、それがイエスの信仰へと自分を導き、飲酒やクスリをやめてイエスを受け入れたとき、人生が格段にいい方向へ向かったことを、いたって真面目に語って聞かせた。


それまでの経験だと、この話をすれば、聴衆はエヴェレット自身が味わってきた苦難の連続に感極まり、そこから救いだしてくれた神に心打たれて「ああ、神様はありがたい!」と嘆息する。
ところが、ピダハンたちは一斉に爆笑した。

「どうして笑うんだ?」
「自分を殺したのか? ハハハ。愚かだな。ピダハンは自分で自分を殺したりしない」


ピダハンは自分たちが実際に見るものしか信じないから、イエスを見たことがないエヴェレットの話も信じない。
そもそも、ピダハン族は直接的な体験しか話さないので、過去や未来がない。
神に相当する単語がないし、創造神話はない。
葬式など儀式がない。
ということは、宗教もないらしいです。

幼児も一人の人間として認めるから、赤ちゃん言葉がない。
「心配する」に対応する語彙がなく、「心配だ」と言うのを聞いたことがない。
抑うつや慢性疲労、極度の不安、パニック発作などの精神疾患が見られず、精神的に安定している。
貧しくても満たされているピダハンは貧しいという概念がない。

人の手など借りずとも、自分のことは自分で守れるし、守りたいピダハンは、救いを求める必要も感じていなかった。
人々が自分たちの生活に何か満たされていないものを感じていなければ、新たな信仰を受け入れるとは考えにくいし、まして神や救いを求めようとするはずもない。

キリスト教のメッセージは世界のどこでも通じると決め込んでいたエヴェレットの自信に根拠などなかった。
エヴェレットはピダハン族に福音を拒否され、自分の信念に疑念を抱くようになる。

ピダハンはわたしに、天国への期待や地獄への恐れをもたずに生と死と向き合い、微笑みながら大いなる淵源へと旅立つことの尊厳と、深い充足とを示してくれた。


ピダハンへの敬意が膨らんできたエヴェレットは、自分が大切にしてきた教義も信仰も、ピダハンからすればたんなる迷信であり、エヴェレット自身も迷信だと思えるようになった。

聖書やコーランのような聖典は、抽象的で、直感的には信じることのできない死後の生や処女懐胎、天使、奇跡などを信仰する。ところが、直接体験と実証に重きをおくピダハンの価値観に照らすと、どれもがかなりいかがわしい。彼らが信じるのは、幻想や奇跡ではなく、環境の産物である精霊、ごく正常な範囲のさまざまな行為をする生き物たちだ。ピダハンに罪の観念はないし、人類やまして自分たちを「矯正」しなければならないという必要性ももち合わせていない。おおよそ物事はあるがままに受け入れられる。死への恐怖もない。彼らが信じるのは自分自身だ。


1980年代の終わりごろ、聖書の言葉も奇跡も信じていないと認めるにいたったエヴェレットは、そのことを人に知られてもいいという心境になるまで20年が経った。
キリスト教の信仰は不要と考えたエヴェレットは宣教をやめたので、妻から離婚されます。

ピダハンは類を見ないほど幸せで充足した人々だ。わたしが知り合ったどんなキリスト教徒よりも、ほかのどんな宗教を標榜する人々よりも、幸福で、自分たちの環境に順応しきった人々であるとさえ、言ってしまいたい気がする。




ジョエル・エドガートン『ある少年の告白』は実話をもとにした映画。
自分は男性が好きだと気づいた主人公は、福音派の牧師である父親の勧めで同性愛を治す矯正セラピーへ参加して・・・という話。
今でも、同性愛は病気であり、治療すべきだと考える人が大勢いて、こんな施設までがあるのかと驚きます。
福音派の独善性(思い込み)は好きにはなれません。
ほとんどの宗教は地獄で脅すわけですが、ピダハンの生き方のほうが健全だと思います。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キリスト教と寛容(3)

2019年07月17日 | キリスト教

 3.渡辺一夫『寛容について』
渡辺一夫『寛容について』は1942年から1970年に書かれた雑文をまとめたものです。
16世紀ヨーロッパ、特にフランスルネサンス期の血で血を洗うような宗教戦争について書くことをとおして、戦争、そして敗戦後の日本、あるいは戦後の世界がどのようにあるべきかを問うています。

現代の我々は、少なくとも神の名によって殺し合うことはやめにしたことに思いいたりますと、あの当時流された血を決してむだにしてはならぬし、そこから多くの教訓を学びとらねばならない筈です。


新旧両派の不寛容は恐るべきものだった。
自分の教義と異なる教義を寛容することは指導的な改革者たちの思いも及ばぬところであり、宗教改革は指導者たちも戦慄するような結果を招いた。
中世の理想が世界から異端者を一掃することであったとすれば、新教徒の目的は反対者全部を国土から排斥することだった。

神の名によって殺戮し、正義の名の下で果たし合いをする人間に対して、非人間的で愚劣な行為であり、解決は他に求めねばならぬと説くこと、またそうした考えを抱き通すことこそが「精神の真の特権」である。
渡辺一夫はユマニスト(人文主義者)、なかでも中心人物であるエラスムスを高く評価します。

エラスムスの晩年には、ヨーロッパ各地で宗教戦乱が拡大し、不寛容が「歴史を作って」いた。
カトリックもカルヴァン派もそれぞれが火刑台を用意し、キリストの名によって殺戮することを常習とするにいたった。
ユマニストたちはキリスト教本来への復帰を熱望していた。

エラスムスは容赦なくキリスト教会の制度の欠陥や聖職者たちの行動を批判した。
批判をするだけで、現実を変える力を持ち合わせないユマニストは、所詮無力なものだと言われる。

しかし、終始一貫批判し通すことは、決して生やさしいことではありませんし、現実を構成する人間の是正、制度の矯正を着実に行うことは、現実を性急に変えようとして様々な利害関係、と結びつき、現実変革の方法に闘争的暴力を導入して多くの人々を苦しめることよりも、はるかにむつかしいことだと思います。


キリストの名のもとでキリスト教徒がお互いを殺し合うことがいかに愚劣であるか、こうした自覚を与えてくれたものは、ユマニスムの隠れた地味な働きである。
ユマニストが現代も生き続けているなら、経済問題や思想問題のために争うことも愚劣だと観じ、それらは人間が正しく幸福に生きられるようにするためにあるという根本義を必ず人々は悟るだろう。

ルネサンス期のフランスにおいて、旧教会側が不寛容で狂信的な圧力を振った。
そのために、宗教改革運動に身を投ずるにいたって人々がたくさんいる。
その一人であるカルヴァンは宗教改革運動の一方の頭領となり、自分が正しいと思った「神」に仕えねばならぬという「使命観」を抱かざるを得なくなり、その結果、旧い狂信に新しい狂信を対立せしめざるを得なくなった。

ジュネーブに拠点を置いて活動するカルヴァンは神政政治を敷き、厳格な統制と絶対権力を実践し、自由は完全に粉砕された。
誤った教理を持つ者、自分を批判する者を追放、斬首、そして火刑までして弾圧した。

カステリヨンは『異端者について』でカルヴァンを批判し、次のように言っています。

この異端者という呼び名は、今日では、極めて不面目な、極めて唾棄すべき、また恐ろしいものになっていますために、もし誰かが、その敵を直ちに倒そうと思いましたら、相手を異端者として告発するのが何よりも便利な方法となっているくらいです。

「異端者」と同じ呼び名の例として、渡辺一夫は「アカ」「非国民」をあげていますが、現在だったら「反日」「売国奴」でしょうか。

さらにカステリヨンは、異端者というものは「我々及び我々の意見と一致しない」人々にすぎず、党派宗門がたくさんあれば、当然、異端者と呼ばれる人々の数も増すわけであり、一つの村で善良な信者だと言われていた人でも、宗派の違う隣村へ行けば、異端者と見なされることもあり得ると述べているそうです。

ルネサンス期のユマニストは「これはキリストと何の関係があるか」と問うた。
キリスト教徒同士でありながら、キリストの名を掲げてお互いに殺し合うような愚劣さに対しても、自分の名声と利益とのためにキリストの言葉を歪める人々の暴状に対しても、瑣末な論議に耽って根幹となる精神を見失っている神学者に対しても、この言葉は投げかけられた。

不寛容というものの背後には、必ず目前の利害関係に捕らわれた哀れな心があり、利害関係を浄化するに必要な人間的反省の欠如が見られるように思います。そして、個人であろうと時代であろうと、「これはキリストと何の関係があるか?」と、自らに、また他人に反問し内省する心根なり風潮なりが少しでも多ければ、個人的・時代的不寛容は、よほど緩和される筈と思います。

渡辺一夫は「これは人間であることと何の関係があるか」と言い換えて問います。

そして、「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか?」という問いを立て、「不寛容たるべきではない」と論じます。

過去の歴史を見ても、我々の周囲に展開される現実を眺めても、寛容が自らを守るために、不寛容を打倒すると称して、不寛容になった実例をしばしば見出すことができる。しかし、それだからと言って、寛容は、自らを守るために不寛容に対して不寛容になってよいという筈はない。(略) よしそのために個人の生命が不寛容によって奪われることがあるとしても、寛容は結局は不寛容に勝つに違いないし、我々の生命は、そのために燃焼されてもやむを得ぬし、快いと思わねばなるまい。

しかしながら、ヘイトスピーチに対しても言論の自由を認めるべきかどうか、難しい問題です。

寛容と不寛容とが相対峙した時、寛容は最悪の場合に、涙をふるって最低の暴力を用いることがあるかもしれぬのに対して、不寛容は、初めから終わりまで、何の躊躇もなしに、暴力を用いるように思われる。今最悪の場合にと記したが、それ以外の時は、寛容の武器としては、ただ説得と自己反省しかないのである。

暴力を用いてもよい最悪の場合とはどんな場合を渡辺一夫は考えていたのでしょうか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キリスト教と寛容(2)

2019年07月14日 | キリスト教

 2.山内進『北の十字軍』
十字軍はエルサレムを奪還するための軍隊かと思ってたら、山内進『北の十字軍』によると、スペインへのレコンテキスタも十字軍だし、ヨーロッパ北方の異教徒への十字軍もあったそうです。

12世紀の神学者である聖ベルナールとローマ教皇エウゲニウス三世によって推進された十字軍は三方に分かれて出発した。
1 エルサレム(1145年)
聖地への巡礼を確保し、聖地を回復するため。

2 スペイン(1146年)
レコンテキスタ
この2つはどちらもイスラム教徒への攻撃。

3 スラブ民族のヴェンデ人(1147年)
現在のポーランド、バルト三国への十字軍。

異教徒を殺戮し、キリスト教世界を拡充することが熱狂的に同意された。
ベルナールは「異教徒たちが改宗するか、一掃されるか」を求めた。
キリスト教への改宗は、単に信仰の次元に限定されるものではなく、キリスト教的生活様式、法と文化を総体として受け入れることを意味した。

十字軍の理論的根拠となったのがベルナールの著作『新しい騎士たちを称えて』です。
キリストの騎士たちは、敵を殺すことで罪を犯すとか、自身の死によって危険がもたらされることを危惧することはなく、主のための戦いを安心して行うことができる。
なぜか。

キリストのために殺すか死ぬかすることは罪ではなく、最も名誉あることだからである。殺すのはキリストのためであり、死ぬのはキリストをうることである。キリストは、当然のこととしてかつ喜んで、敵を罰するために彼らの受け入れた。彼は、さらに快く、死した騎士の慰めに専心する。私はいいたい。キリストの騎士は恐れることなく殺し、さらに安んじて死ぬ、と。キリストのために殺し、キリストのために死ぬのであれば、ますます良い。キリストの騎士は理由もなく刀を帯びているのではない。彼は、悪行を罰し、善を誉め称えるための神の使いなのである。悪行者を殺害しても、彼はまさしく殺人者ではなく、もしそういえるとすれば、悪殺者である。

この考えは、一殺多生を唱え、敵を殺すことは菩薩行だと説いた仏教者と通じます。

1414~1418年のコンスタンツの公会議が開かれ、1410年にタンネンベルクで戦ったドイツ騎士修道会とポーランド・リトアニアがお互いの正当性を主張した。
そして、武力によって異教徒を征服し、改宗させることによって、キリスト教を拡大することはキリスト教の精神と合致するか、異教徒の権利はあるのかなどが問われた。

ドイツ騎士修道会のヴォルムディトの主張の骨子
1 異教徒に対する正戦論
騎士修道会が異教徒に対するキリスト教の擁護および布教の防護壁にして、出撃の砦だった。
2 このような騎士修道会に対する戦争は不法であり、反キリスト教的だ。

ポーランドのクラクフ大学学長のパウルス・ウラディミリの主張
14世紀のホスティエンシスという教会法学者の「キリストの生誕以来、すべての裁判権、統治権、名誉、所有権が異教徒からキリスト教徒へと移り、今日では、裁判権、支配権もしくは所有権といったものは異教徒の下には存在しない。キリスト教徒は神聖ローマ帝国を認めない異教徒たちを攻撃しなければならない。異教徒たちに対する戦争は、常に正当で合法である」という見解を、ウラディミリは「この主張は危険であり、公会議はこれを必ずやそう宣告しなければならない」と訴えた。

少々長いですが、ウラディミリの主張をご紹介します。
教皇権は「教会という囲いに属さない」「異教徒」にも及ぶ。キリスト教徒も異教徒もともに等しく保護される「羊」だ。

教皇は彼らを助けねばならず、「正当な原因が理性ある者たちに要求するのでない限り、彼らを攻撃してはならず、傷つけてもいけない」。なぜなら、「権利の生ずるところから不法(権利侵害)が生じてはならないからである」。 したがって、「キリスト教の君主たちは、正当原因がない限り、ユダヤ人やその他の異教徒たちを自己の支配地から追放してはならず、彼らから掠奪してはならない」。(略) たとえ神聖ローマ帝国の存在を認めようとしない異教徒がいたとしても、ただそのことを理由として、彼らから「支配権、所有権もしくは裁判権を奪うことは許されない」。彼らもまた神が創造されたものであり、「神の権威によって、罪なくしてそれらを有するからである」。(略) 異教徒に対して信仰を強制することも許されない。「異教の放棄は自由意思によらねばならない。この召命が効力を有するのは、神の恩寵によるしかないからである」。 それゆえ、「修道会に対してあたえられたという、異教徒の土地の征服を許可するローマ教皇の諸々の勅書」は、それが異教徒の土地に対する権利を一般的に否定するものであれば、「偽造」の疑いがこい。もし異教徒の権利がその勅書のために「合法的な理由なく」奪われるとすれば、それは「法そのものによって無効である」。

神聖ローマ帝国皇帝は、自己の帝国を認めない異教徒たちの土地を征服する許可をあたえることはできない。

「平和のうちに暮らす異教徒と戦う、あるいはむしろ彼らを攻撃するプロイセン騎士修道会は、決して正戦を実行してはいない。」 なぜなら、およそ法たるものは、「平和のうちに生活を送ろうと望んでいる者たちを攻撃する者たち」を認めないからである。(略) 「キリスト教徒による異教徒に対するそのような攻撃は、単に隣人愛に反するだけでなく、他人の物を非合法に奪うのであるから、それは窃盗であり、強盗である」。(略) しかも、「異教徒を武器もしくは圧迫によってキリスト教信仰へと強制することは、合法的ではない」。これは、隣人に対する不法であり、善を生み出すための悪でもない。

ウラディミリは、異教徒は実力によって奪われたものの返還をキリスト教徒の裁判所に対して請求することができるという見解に到達する。

「強奪されるか引き抜かれた物をキリスト教徒の裁判所に請求する異教徒に対して、正義が拒絶されてはならない。」

最後の総括で「キリスト教徒は罪を犯すことなく窃盗を行い、強盗することができるとか、領土を侵略し異教徒それもキリスト教徒と平和のうちに暮らそうと望んでいる異教徒の財産を侵害することができる」という結論は、「明らかに、すべての強奪と暴力を禁止している律法「盗んではならない」「殺してはならない」に反している。人類共同体の法が異教徒に対して許しあたえることは、一般に彼らに対して否定されてはならない」と述べています。
まことにもっともです。

15世紀になると、スペインやポルトガルがアフリカ・アジア、そしてアメリカを「発見」し、侵略するようになる。
十字軍の思想やイベリア半島のレコンキスタの延長線上に、アメリカ大陸やアフリカの征服・植民活動がある。
異教徒が住んでいる地域を攻撃し、支配し、キリスト教化するという思想は、アフリカとアメリカへのキリスト教世界の拡大のひな形を提供した。

16世紀のスペイン国際法学にとって、異教徒は支配権と財産権を有するか否か、キリスト教徒は彼らから正当かつ合法的に彼らの土地、財産、生命、自由を奪いうるか否かがもっとも重要な問題だった。
というのも、ローマ教皇の教勅は、異教徒の不動産を奪い、征服し、捕獲し、服従させ、「彼らの人格を永遠の隷属」の下におき、「改宗させる、完全かつ自由な権限」をポルトガルとスペインの王に授けたからである。

しかし、インノケンティウス4世(教皇)、トマス・アクィナス(神学者)、ラス・カサス(聖職者)、ウラディミリ、ビトリア(法学者)たちは、異教徒の権利を認め、異教徒も支配権と財産権を有し、異教徒ということだけを理由に、彼らを攻撃したり、生命、自由、財産を奪うことに反対した。

とはいえ、新世界での征服行動と支配の実態は容易には改善されず、バルト海沿岸地帯と同様に、異教徒の先住民に対して攻撃と征服、生命、自由、財産の掠奪が実行された。

異教徒を征服し、支配下に置くことが当然と思われていた時代でも、暴力による支配に反対する思想を生み出していることは忘れてはならないと思います。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キリスト教と寛容(1)

2019年07月11日 | キリスト教

 1.J・B・ビュアリ『思想の自由の歴史』

世界中で排他的、非寛容的な風潮が高まっています。
ずっと以前読んだJ・B・ビュアリ『思想の自由の歴史』はキリスト教の非寛容さについて書かれていたことを思い出しました。
キリスト教はローマ帝国によって弾圧された被害者かと思ってたら、ちょっと違います。

ローマの政策の一般原則はローマ帝国全体を通じてあらゆる宗教、あらゆる思想を寛容するということだった。
瀆神も罰されず、ティベリウス帝は「もしも神が侮辱されるならばそれは神々自身に始末させるがよい」と言ったくらいである。
キリスト教の不寛容に対して、ローマ社会は極めて寛容だった。

ローマ人にとってキリスト教は、永い間ユダヤ人の一宗派として知られていたに過ぎなかった。
ユダヤ教はローマ当局と衝突したこともあり、排他性と不寛容性のために寛容な異教徒から不評と疑惑で見られていた。
しかし、ユダヤ教は放任しておく、しかもユダヤ教自身の狂信性が招来した憎悪からユダヤ人を保護してやる、というのがローマ皇帝の変わらない政策だった。

ユダヤ教が生まれながらの教徒だけに限定されていた間は容赦されていたが、伝播する形勢を示すと新しい問題が起こった。
仲よく共存してきたあらゆる信条に対して敵対的で、その帰依者は人類の敵であるという信条が弘通するのを見れば、統治者の心には、ユダヤ教がイスラエル人以外にまで伝播することは、究極においてローマ帝国に対する危険となりはしないかという危惧の念が起こっただろう。
なぜならユダヤ教の精神はローマ社会の伝統と基礎に矛盾するからである。

ローマ社会もキリスト教に対してかなりの不寛容を示した時期があった。
なぜキリスト教に対して不寛容だったというと、ローマ社会の寛容を脅かすキリスト教の不寛容を抹殺して、自らの寛容を保とうとしたからである。

ローマ社会に対する敵意とその頑固さにおいて、キリスト教はその母胎であるユダヤ教に似ていた。
しかし、ユダヤ教は少数の改宗者をつくったにすぎないが、キリスト教は多くの改宗者をつくった。

トラヤヌスの時代にはキリスト教徒であることは死をもって罰せられるべき罪であるという原則が確立され、それ以後、キリスト教は非合法宗教となった。
しかし実際には、この法律は厳重にも、または形式的にも適用されたわけではない。
皇帝たちはできることなら血を流すことなしにキリスト教を絶滅したいと望んだ。
キリスト教徒が逮捕された場合、逃亡がしばしば見逃された。

キリスト教徒の迫害は官憲の希望によるより、あらゆる神々を公然と憎悪し、世界の破滅を祈る神秘的な東洋の宗教に対して恐怖を感じた民衆によって教唆されたものである。
洪水、飢饉、火災などが起こると、それがキリスト教徒の妖術のせいにされることが多かった。

3世紀、キリスト教はなお禁じられてはいたものの、全く公然と寛容されていた。
教会は大っぴらに組織され、宗教会議はなんの干渉も受けることなく開かれた。
ちょっとした局地的な弾圧が試みられたことはあったが、大きな迫害はただ一回あっただけである。

キリスト教徒はのちになって一大殉教神話を創作したが、事実はこの世紀全体を通じて犠牲者は多くなかった。

多くの残虐行為が皇帝たちのせいにされているが、彼等の治下においてキリスト教会が完全な平和を楽しんでいたことを我々は知っている。


それに対して、キリスト教徒は非キリスト教的政府に対して自分自身のためだけの自由の権利を要求した。
キリスト教が禁制とされていた2世紀間は宗教的信仰は強制されるべきものではないという根拠から、信教の寛容を要求した。
キリスト教徒が憎悪し誹謗するグノーシス派をもし政府が弾圧したとすれば、キリスト教徒は政府を喝采しただろうということは考え過ぎではない。

いずれにしろ、キリスト教国家が確立された暁には、キリスト教徒は自分たちが主張した原則を完全に忘れてしまうだろう。
殉教者は良心のために死んだのであって、自由のために死んだのではなかった。

自分たちの信仰が優勢な宗旨となり、国家的権力を獲得するや、信仰の自由という見解を放棄し、思想の抑圧について政策をとりはじめた。
キリスト教は中世ではアルビ教徒たち異端者をきびしく罰して処刑した。
また、異端審問所の原則は、百人が冤罪に苦しむとも、一人の有罪を逃してはならないということである。

J・B・ピュアリ(1861年生まれ)はキリスト教にはすごく批判的です。

聖書は道徳的進歩と知的進歩とに対する障碍であるということは真実である。なぜなら聖書はある時代の思想と習慣とを神によって規定されたものとして祭り上げてしまうからである。キリスト教は遠い昔の書物を採用することによって、人間の発展の途上に何より厄介な邪魔物を横たえたのである。

『思想の自由の歴史』は1931年の本です。
書かれていることが現在ではどのように評価されているのでしょうか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリント・イーストウッド『15時17分、パリ行き』

2018年06月28日 | キリスト教

クリント・イーストウッド『15時17分、パリ行き』は、2015年、アムステルダムからパリ行きの列車に乗った幼なじみ3人が、銃を乱射しようとしたテロリストを取り押さえたという事件を描いた映画。
本人たちが自分自身の役で出演しています。

3人は子供のころからの友達で、サバイバルゲームという戦場ごっこが好きな戦争オタク。
スペンサーとアレクは軍隊に入ります。
アレクはアフガニスタンに駐留しましたが、友人への電話で「退屈だ」と言ってるのにはいささか驚きました。

テロリストが銃を構えるのを見たスペンサーはテロリストに向かって突進します。
アメリカの高校で起きた銃の乱射事件で、ホワイトハウスを訪れて銃規制を求めた高校生に、トランプ大統領は「銃に熟練した教師がいれば攻撃されてもすぐに解決できる」と述べています。
http://www.news24.jp/articles/2018/02/22/10386263.html
同じ論法で、軍隊で訓練を受けたからテロリストに立ち向かえたんだ、テロを防ぐためには民間人も軍隊で訓練を積むことが必要だということになります。

リチャード・リンクレイター『30年後の同窓会』は、2003年、バグダッドで21歳の息子が戦死した男が、ベトナムで一緒に戦った元海兵隊員2人と再会して、という話です。
3人とも戦争で戦ったこと、そしてアメリカという国に誇りを持っています。
以前だったら、反戦、厭戦映画になるような題材ですが、戦争や国家に対する考えが大きく変わっていることの表れでしょう。

もう一つ、『15時17分、パリ行き』を見てて、あれっと思ったのが、スペンサーとアレクが中学の校長から「ADDだから薬を飲みなさい」と言われ、怒った母親が転校させたということです。
転校先の私立中学はキリスト教福音派のようです。

『ワンダー 君は太陽』では、自宅で母親から教育を受けてた主人公は5年生の時に私立中学校に入ります。
学校の門には「pro school」とありましたが、どういう学校なんでしょうか。
主人公をいじめてた子が停学になると、怒ったいじめっ子の母親が「寄付をたくさんしているのに」などと文句を言って、息子を転校させます。
アメリカでは、こんなふうに簡単に転校するのは珍しくないのでしょうか。

『15時17分、パリ行き』ですが、3人とも熱心なキリスト教徒の家庭で育ちました。

彼らは単に自分たちがいるべき場所にいたのだと感じているようだね。3人の中には違う捉え方をしている青年もいる。例えばアンソニーの父親はサクラメントの教会で牧師をしている。だから彼には宗教的な背景があって、今回の出来事を神が見守っ力を貸してくれたのだと考えているんだ。3人とも少しずつ捉え方が異なっている。でも基本は同じで運が良かったと思っている。運命が味方してくれたとね。

 

しかし、スペンサーやアレクもインタビューでは、アレックスのように神について語っています。

アレク「衝動的な行動だったし、神の見守りで生き延びられた」
アレク「テロに遭遇する確率は低い。しかも命も落とさずテロに立ち向かい、あの時あの場にいたことは単なる偶然とは思えない。
スペンサー「キリスト教の家庭で育ったから、神は常に身近な存在だ。神は乗り越えられる試練しか与えないと考えてる。あの瞬間それを思い出したよ」
アレックス「運命が僕らを導いた。僕らは使命を与えられたんだ。今はあの時の冷静さが理解できる。神が守ってくれたんだよ」
スペンサー「あの時の僕らはまさに神の使いだったんだ。善き行いができて光栄だね」



映画の中でも、アレックスが「自分が動かされると感じたことは?」とスペンサーに尋ねると、「生きるっていうことは大きな目的に向かっているんじゃないかと思う。自分でもわからないけど、運命に押されている気がする」(たぶん)と答えていたり、アフガニスタンに向かうアレクに母親が「いつか大きなことをするような予感がする」(たぶん)と声をかけます。
クリント・イーストウッドもこのように語っています。

「その時、何を考えた?と尋ねると彼は『何も』と答えた。何も考えずに、高性能ライフルを持った男に突っ込んだんだ。理論的には勝ち目のない賭けだが、テロリストが引き金を引くとライフルは不発だった。それは奇跡じゃないのかって? わからないね。でも、スペンサーはきっと自分は神に愛されていると思ったんじゃないかな。幼い頃からキリスト教学校で学んできたから。聖フランシスコの平和の祈りを暗誦するしね」
それは「主よ、私をあなたの平和の道具にしてください」という祈りだ。
「運命がスペンサーの人生をそこに導いたんだと私は解釈する」

http://bunshun.jp/articles/-/6389

学校では思うにまかせなかったし、軍隊に入っても望んだ部署には配属されなかった。
けれど、すべては神が「他者を救う」という私の使命を果たすためにちゃんと計画されていたことなんだ。
そういう感じではないかと思います。
だったら、『アメリカン・スナイパー』の主人公のように、戦争で心を病み、殺された人はどうなんだと思ってしまいます。

クリント・イーストウッドの監督作品は傑作ぞろいで、『15時17分、パリ行き』もいい作品ですが、キリスト教福音派が喜ぶような内容であることも事実です。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする