三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

小林美希『ルポ保育格差』

2020年06月16日 | 

小林美希『ルポ保育格差』の第1章「どの保育所に入るかで大違い」に、保育士による園児への虐待が書かれています。
子供が泣いても怒りつづける、腕をつかんで振り回す、部屋から閉め出す、部屋に閉じ込める、昼食を食べさせない、ビデオを見せて放っておくなど。
こんなことが実際になされているのかと驚きました。
知的障害者施設、児童養護施設での虐待、暴行を耳にすることがありますが、同じようなことをしている保育所があるとは。

内閣府が発表した2016年の事故報告集計によると、認可保育所で意識不明が5件、骨折が368件など年間に474件の事故が起こり、そのうち死亡事故は5件だった。
認可外保育所では7件の死亡事故が起こっている。
園児に無理に食べさせたり、無理に寝かせることの延長線上に死亡事故がある。

待機児童の解消を急ぐあまり、急速に事業者が増えて保育所が乱立。
保育士が不足し、保育士や園長が資質を問われないまま採用されている。
保育が流れ作業と化して、保育の質が劣化した。
いい保育所であっても、園長が代わることで質が低下する場合もある。

もうけたいというだけの事業者もいる。
2017年度上半期に行われた立入調査では、約4分の3の企業主導型保育所で問題が見つかり、指導が行われた。

知人が住んでいる市では、公立の幼稚園が民間に委託されるようになったそうです。
公立だと、ベテランの保育士の給料が高くなるがクビは切れない。
私立にしたら、非正規の保育士を増やし、人件費を切り詰めることができる。
しかし、経験不足の保育士が増えることになり、保育の質が低下した。

小泉政権の規制緩和で、非正規は2割までという歯止めが外れ、今や公立でさえ保育士の約半数が非正規雇用となった。
認可保育所であれば、保育者はすべて有資格の保育士である必要があるが、東京都の認証保育所の場合は保育士の割合は6割以上でよく、小規模保育や企業主導型保育は2分の1でいいなど、規制が緩和されている。
もっとも、保育士であっても、その人の資質に左右されるのでは、資格の意味がない。

そんな保育所でも、数が足りないために生き残ることができる。
こうして、保育の質の向上に努める現場と、質を問えない状況で保育士確保で精いっぱいの現場で、保育の質の格差が拡大している。

新型コロナウイルスの感染拡大で、医療従事者の子供の預かりを拒む保育所があるそうで、これも本当だろうかと思ったのですが、なるほどなと思いました。

現場は低賃金で過重労働、長時間労働で疲弊している。
保育所を運営する費用の委託費は、人件費や給食費がいくらかかるかという費用が見積もられ、それが保育所に支払われる。

ところが、2000年に営利企業の保育参入が認められると、委託費の弾力運用という制度のもと、本来は7~8割の人件費比率が2~3割というケースまで出てきた。
事業者は利益を出すために人件費を削り、行事を減らす。

国が想定する人件費比率を保育所が遵守すれば、公定価格の保育士の年収の基準額は約380万円になる。
ところが、2018年の内閣府の調査では、常勤保育士の年収は約315万円。
月給が手取り15万円、年収300万円以下の保育士も珍しくない。

自治体が私立の認可保育所に支払う人件費が保育士の人件費に回っていない。
理事長や園長だけが高収入だったり、不正に私的流用されることもある。
ということは、保育士の処遇改善のために行政が予算を増額しても、保育士の給料は上がらず、別の用途に流用されてしまうかもしれません。

そもそも、正規と非正規との格差が大きい。
2014年の厚労省の調査では、正社員では92.5%が雇用保険に加入しているが、正社員以外では67.7%。
健康保険と厚生年金は、正社員の加入がそれぞれ99.3%と99.1%だが、正社員以外では54.7%と52.0%。
退職金制度も、正社員は80.6%に適用されているが、正社員以外は9.6%。
賞与支給制度は、86.1%と31.0%。

女性の多くは非正規です。
2016年、妊娠期に当たる25~44歳の女性の雇用状況は、正規の職員・従業員が554万人、非正規の職員・従業員が499万人で、女性の約半数は非正規雇用。

非正規は育児休業を取るハードルが極端に高い。
保育士も育休がとれないことがある。
妊娠解雇に遭えば無職となるから、0歳児のうちに保育所に預けなければいけない。
これでは女性が働けないし、子供を産み、育てることが難しい。

日本では、1人の女性が生涯に産む子どもの数にあたる合計特殊出生率は1.42(2018年)で、3年連続して低下している(2以下だと人口が減る)。
なぜ出生率が低いのか。
先進国ではいちばん厳しい男女差別が主因だと、出口治明さんが指摘しています。
https://plus.alc.co.jp/2019/07/apu/

ジェンダーギャップ指数は、各国の男女の格差を分析した指数で、2019年は日本は調査対象となった世界153カ国のうち121位、2018年は110位からさらに下がり、G7で最低。
家事、育児、介護は男女が等しく担うのが世界の流れなのに、日本が男女差別を温存しては、移民を増やしても、移民が子供を産まない。

男女差別をなくすもっとも優れた政策がクォータ制.
議員や会社役員などの女性の割合を、あらかじめ一定数に定めて起用する制度のこと。

フランスは1994年に1.66で下がった出生率は、10年あまりで2.0まで上昇した。
シラク3原則と婚外子を差別しない民事連帯契約をワンセットの政策パッケージとして導入したから。

シラク3原則とは、
1 子どもを持っても、新たな経済的負担が生じない。
2 無料の保育所を完備。
3 育児休暇から女性が職場復帰する際、ずっと勤務していたものとみなして企業は受け入れる。

出口治明さんの提案をどうして実施できないのかと思います。

どの保育園に入るかで、その子の一生が決まると言っても過言ではない。

『ルポ保育崩壊』を読み終えると、冒頭にある多田裕さんのこの言葉の意味がわかります。
小林美希さんは、これなら安心という保育所も何カ所か紹介していますし、取り組みを始めた自治体に触れています。

では私の子育てはどうだったのか、親としての資質が私にはあるのかと考えると、忸怩たる思いがします。
どの親の子供として生まれるかで、その子の一生が決まる。

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J・D・サリンジャーの翻訳

2020年06月07日 | 

角川文庫の『倒錯の森』(鈴木武樹訳1970年刊)を何十年ぶりかで再読しました。
意味がわからない文章があちこちにあり、どういう意味なのにか知るために、「ブルー・メロディ」(『倒錯の森』所収)の訳を、渥美昭夫訳(『サリンジャー選集3』荒地出版社1968年刊)で読み比べました。

鈴木「その師団を指揮するのは、わたしが偶然、知ったところでは、ある准将で、彼は、司令車に乗るときはたいてい、《ルーガー》のピストルとカメラマンとをそれぞれ両脇に控えさせているとのことだった」
渥美「偶然に知ったことだが、その師団はある准将の指揮下にあり、その准将というのが司令官専用自動車にのるときは、きまってドイツ製のピストルと写真部員とを彼の両脇にしたがえているとのことだった」

鈴木「そのあとには、数年の期間にわたって、一連の、まったくよく当たった叢書が続くわけだが、これらはいずれも、まったく読めない教科書ばかりで―今日でも、きわめて広範囲に―『よくできるアメリカの高校生のための知識叢書』として知られているものである」
渥美「その後、数年間にわたって、とても読むに堪えないのだが実によく売れた教科書のシリーズが続々刊行された。それらは今日でもなお「米国高校生用高等百科シリーズ」として、あまりにもよく知られているものである」(ラドフォードの父親の出版社が出している本のこと)

鈴木「ラドフォドの少年時代には、大切な脚注が二つ、付いていた。それは彼の父親の本には載っていなかったが、いずれもずいぶん近しいもので、いったん事が起これば、たちまち、ちょっとした意味を一つ、持つようになるのだった」
渥美「ラドフォードの少年時代には二つの重要な注釈を加えなければならない。それらは父の本にはのっていなかったが、いざというときにすぐ頭にうかぶほど身近な意味をもつものであった」

鈴木「彼が彼女について気づいていたことといえば、だいたい、彼女は書き取り会ではいつもいちばん先に外に出される、ということくらいのものだった」
渥美「彼はその子にあまり注意をはらわなかった。ただ、綴り字(スペリング)競争では彼女がいつも真っ先に落伍するということに気がついていただけだった」(ペギーについて)

鈴木「彼は日が暮れたあとのブラック・チャールズの店には付きものの、あの騒音と煙と跳躍とにはあずかれなかったが、午後には午後で、同じくらい、あるいはもっと嬉しいものがあった」
渥美「日が暮れると、彼はブラック・チャールズの店の騒音やけむりや踊りをなつかしく思った。しかし彼は午後のあいだにそれと同じか、あるいはもっといいものを手に入れたのである」

鈴木「そのあと、うちへ歩いて帰るときのその歩きぶりが―口はきかず、ただときおり、石かブリキの罐を蹴とばしたり、あるいは、葉巻きの吸い殻をつくづくと踵で二つに切ったりするだけなのだ。彼女はおあつらえむきな女の子だったのである」
渥美「その後で歩いて家へ帰る道すがら、彼女が話しもしないで時々、石ころや空きかんを蹴とばしたり、靴のかかとでタバコのすいがらを二つに切ったりするのも好きだった。要するに彼女は申し分がなかった」

鈴木「ラドフォドとペギィはまた歩きはじめた。考えこんだ様子で、永遠の変貌をとげて。この午後は、その後どうなったかはわからなかったが、いまでは永久に、赤・金まだらの木を一本と、消防夫の帽子をひとつと、とび方をほんとうに知っている猫を一匹、含むことになったのだ」
渥美「ラドフォードとペギーは先へ歩きつづけたが、すっかり考えこんでしまい、以前とはちがった気分になっていた。つかのまの出来事ではあったが、この猫のおかげで、この日の午後はなにか永遠のものとなった。―赤と金色の木。消防夫の帽子。ほんとうに上手に跳ぶことのできる猫」

鈴木「ブラック・チャールズは、おもわず見とれるようなナイフで、すてきな様子をした箱の紐をみな切った。ペギィは冷たい豚のあばらの専門家だった」
渥美「ブラック・チャールズはすばらしいものの入っていそうな箱のひもを、見ていて気持のいいようにナイフで片はしから切って行った。ペギーは冷たい豚の肋肉(スペアリブ)ばかり食べていた」

鈴木「カジノをしはじめた」
渥美「トランプをはじめた」

鈴木「虫垂突起だよ」
渥美「盲腸だ」

鈴木「ジョウンズ夫人は車まで行く途中でこの荷物のはしを下に落としてしまった」
渥美「ジョーンズ夫人は自動車まで運ぶ途中で、かかえていたリーダの足を落としてしまった」(腹痛に苦しむリータを運ぶ場面)

鈴木「白いアヒル服を着た付添い人で」
渥美「ズックの洋服をきた看護人だった」

おそらく、サリンジャーの文章は長く、しかもこみ入ってて、翻訳しにくいと思います。
鈴木武樹訳と渥美昭夫訳のどっちがより正しいのか、英語がさっぱりの私にはわかりませんが、渥美昭夫訳は何が書かれているかわかります。

逐語訳と意訳とどちらがいいかは難しい問題で、以前は外国小説を大学の先生が訳翻訳することが多く、堅苦しい直訳がありました。
鈴木武樹訳はその典型かもしれません。
ユーモア作家ジェイムズ・サーバーの『虹をつかむ男』はどうも笑えなかったのですが、これも鈴木武樹さんの訳でした。

『フラニーとズーイ』も鈴木武樹訳で読みましたが、つまらなかった記憶があります。
村上春樹訳と比較したら面白そうですが、面倒なのでやめときましょう。

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