三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

死刑について考える18 被害者支援

2008年04月29日 | 死刑

ネットで実名公開・非難も 少年審判参加の被害者遺族
 少年審判での意見陳述を認められた被害者遺族が、審判廷で加害者の少年に物を放り投げたり、閉廷後、ネットに少年の実名を書き込み、態度を非難したりするケースがあったことが二十七日、日弁連少年法問題対策チームの調査や関係者の証言で明らかになった。「悪魔」「(あなたが)死ぬまで許さない」などと陳述する被害者もいたという。
 政府は今国会に被害者の審判傍聴などを認める少年法改正案を提出している。これに先行して、裁判官の裁量で審判での意見陳述を認めたケースで混乱が出ていることは、改正案の審議にも影響を与えそうだ。
 関東地方の傷害致死事件の審判では、被害者の親が「悪魔、人間とは思えない」「あなたは一生幸せになってはいけない」と陳述。別の傷害事件の審判でも、被害者の親が「(賠償は)十億、二十億でも足りない」「死ぬまで許さない」と述べた。
 怒りをぶつけられた少年の一人は少年院で自殺を図ったが、命を取り留めたという。
 別の地方で昨年開かれた審判では、出廷を認められた親が閉廷後に少年の実名、調書の内容、審判での様子、少年に対する批判的な感想をネットに書き込んだ。その後、関係者の指摘で、実名は一部を伏せた形に修正されたという。
 対策チームの山崎健一弁護士は「審判の一部に被害者が出席するだけでも問題が生じているケースがある。被害者の審判傍聴を認めれば影響はさらに大きく、少年に更生を促す働き掛けが困難になるのではないか」と話している。
(中国新聞2008年4月27日)

被害者遺族が加害少年を許せない気持ちになるのは当然である。
しかし、怒り、恨み、憎しみを持ちつづけることは本人にとってつらいことだし、人間はいつまでも怒り、恨み、憎しみを持ちつづけることはできない。

オクラホマ連邦ビル爆破事件で娘さんが殺されたバド・ウェルチ氏はこう語っている。
「私はジュリーが殺されるまで、ずっと死刑反対の信念を持っていました。でも、娘が殺されてから1年間、私は死刑賛成になりました。1年かかってやっと、「このままじゃいけない」という気持ちになったのです。どうしてそう思ったのかというと、処刑の日、二人の犯人を自分の手で処刑台に送ることを想像してみたら、それは自分にとって決して癒しのプロセスにはならない、ということに気がついたのです。犯人を葬りたいという気持ちは、私にとって復讐以外の何ものでもない。この復讐という気持ちこそ、犯人が犯行に及んだ原因だったのです」
(「死刑を止めよう」宗教者ネットワーク第10回死刑廃止セミナーの講義録より)

人間の気持ちは変化するものである。
被害者の殺してやりたいという思いも変わってくることがある。

「事件が起きた6ヵ月後に、被害者家族の中でアンケートがとられました。そのときは被害者家族の85%が死刑に賛成だったんです。その中には私自身もいました。けれども、事件から6年2ヵ月後にマクベイの処刑が行われた時点で、168人の犠牲者家族(2000人以上になります)の50%は死刑反対になったんです。ですから、被害者家族として一番大切なのは時間なんです。ある人は2年かかった。他の人は、3年、4年、5年かけて死刑反対になった。6ヵ月の時点ですでに死刑反対だった人も15%いたんです」

裁判や審判の時点で死刑を求めても、その後に死刑には反対の気持ちを持つようになる人が多いのだから、事件後間もない裁判や審判で被害者遺族が自分の気持ちを述べるべきなのかどうか疑問に感じる。

「怒りや憎しみ、復讐の気持ちを持ったままでは、癒しのプロセスには入れません。癒しに入るためには、それを越えなければいけないのです。なぜそう言えるのか。私もその道を通ってきたからです。ですから、まだ数家族の人たちが怒りや憎しみ、復讐の気持ちにとらわれていることは、とても悲しいことです」
とバド・ウェルチ氏は語る。
だからこそ、滝川一廣氏(精神科医・臨床心理学者)が
「被害者への支援は、いたずらに加害者への憎しみを煽るようなことになってはならない。むしろその逆ではないか。加害者への憎しみが消えていくような支援こそ、もっとも力となる被害者支援なのではないか」(佐藤幹夫『自閉症裁判』)
と言っているように、「怒りや憎しみ、復讐の気持ち」が消えていくような支援こそが本当の被害者支援なのだと思う。

被害者だけでなく加害者も変わる。
1995年に起きたオクラホマ連邦ビル爆破事件で168人がなくなり、主犯は死刑になったが、共犯(爆弾の材料を調達)のテリー・ニコルズは、最初に連邦裁判所で仮釈放なしの終身刑の判決を受ける。
次にオクラホマ州がニコルズを起訴し、これまた仮釈放なしの終身刑だった。

どうして死刑を免れることができたのか、弁護士にインタビューした布施勇如氏はこう説明している。
「州による二つ目の裁判の争点は、「被告のニコルズが、今後を社会にとって危険な存在であり続けるかどうか」という一点だったそうです。ニコルズは刑務所の中ですり切れるまで聖書を読んだそうです。弁護人の依頼で、刑務官3人が、刑務所の中で変化したニコルズの人間性について証言しましたが、うち一人は、ニコルズを指して「彼は私の命の恩人だ」と言ったそうです。その刑務官は、自分自身の結婚生活がうまくいかずに自殺も考えていた。ところがニコルズは、常にその刑務官のそばにいて祈ってくれた。(略)「非常に思いやりのある、深い心の人だった」と証言したのだそうです。
そうして弁護人は陪審員に対して、「あなた方の目の前にいるこの人間は、生きながらえさせる価値のある人間です」と訴え続けた。(略)陪審員の死刑の評決には全員一致が必要です。結局、弁護人が言うには、死刑を回避できた秘訣とは、「今ここにいる彼」を判断する陪審員を選ぶことができたという幸運につきる、ということでした」

こういう話を聞くと、何となくうれしくなる。
被害者の方たちも悪い気持ちはしないのではないかと思う。
加害者が更生することによって被害者の憎悪の気持ちが少しでもやわらぐとしたら、加害者が更生する手助けをすることも被害者支援になるのではないだろうか。

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佐藤幹夫『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』

2008年04月26日 | 厳罰化

レッサーパンダの帽子をかぶった男が19歳の女性を殺した事件が2001年にあった。
この男は軽い知的障害と自閉症だった。
一審では検察の求刑どおり無期懲役の判決、被告自身が控訴を取り下げて刑が確定した。

『自閉症裁判』は裁判の傍聴記、そして被害者遺族、弁護人、加害者の家族や関係者などに取材している。
被害者の両親や親戚の方の言葉は重たい。
悲痛な気持ちが伝わってくる。
だけども、無期懲役は重すぎると思う。

加害者は人との会話がうまくできず、人が言っていることもあまり理解できないらしい。
『自閉症裁判』を読むと、警察の取調には問題があるし、自白調書は警官の作文だし、裁判長は被告がどういう人間かわかっていながら厳罰を科したように感じる。

「(受刑者のなかに障害を持つ人が多くいる事実)ここにあるのは何か。福祉の支援からこぼれ、家族も離散し、あるいは家出し、食い詰め、追い込まれた挙句の愚行である。刑務所を出所しても引き取り手はない、戻る場所もない、働き手として雇ってくれるところもない。ホームレスまがいの暮らしを余儀なくされるなかで、再び同様の行為をして刑務所に戻っていく。
ここから窺われることは、まぎれもなく、知的なハンディをもつ人たちが、事実関係をうまく語ることのできないまま自白供述を取られ、裁判に乗せられ、覚束ない証言のままに刑務所に送られていく、という現実である。そして福祉が支援の手を差し伸べてこなかったという現状である」
「裁判所が供述調書の証拠採用を可としたことに対し、弁護人は、その後も異議を申し立てていくのだが、すべて棄却された。知的ハンディや発達障害をもつ人びとの刑事裁判では、それはいまだ超えられずにいる高い高いハードルである」

大石剛一郎弁護人はこのように判決を批判している。
「大衆感情がどうであれ、マスコミがどんな報道をしようと、警察の取調べにわずかでも疑問があれば法理を通す。どのように「凶悪」な被告人であれ、法廷ではあくまでも法理に沿ってその罪が裁かれる。刑事裁判とはそのようなものだ、という気概がかつての裁判所にはあった。いま、それを失くしつつある。それができなければ、もはや裁判ではない。(略)
今回の判決で裁判所が判断を示さず、意図的に避けたものが多くある。(略)
なんのためにこうした点に関する判断を避けたのか。とにかく重い刑を課す、その目的の達成だけを目指したものだからだ、と言わざるをえない。(略)
この判決の意味はなにか。被告を「社会から永久に排除せよ」ということに尽きる」

副島洋明弁護人は次のように言っている。
「私たちの冒陳は、その最後を次のような言葉で終わっている。「私たち弁護人は、この裁判の場がその反省と責任を被告人に自覚させ、感銘させる教育的更生の場であるべきだと考えている。この裁判の審理においては、被告人自身、自らの行為についての自己反省の〝裁きの場〟となるよう、強く要請したい」と。
はたして被告人の彼にとって、この裁判はどのような裁判であったか。私たちのいう〈反省と責任を自覚させる教育的更生の場〉となったといえるのかどうか。私たちはこの点においても、彼にとってこの3年の裁判の意義は大きかったと強く感じている」

そして、こうマスコミ批判している。
「長い時間をかけて裁判所に問いかけてきたいくつもの争点があったのに、その重要な点は、一部の新聞を除いてまったく報じていなかった。三年半前も、警察と一体になった虚偽報道をに終始したが、今回の判決も事件の真相や背景、裁判の争点について、なんの取材もなく、弁護人からすれば、よくこんな記事を書いて報道できるなとあきれてしまう」

被害者はもちろん、加害者や家族も被害者ではないかと感じる。
加害者は父親から虐待され、学校ではいじめらつづけ、就職すると職場で凄惨ないじめに遭う。
おまけに父親は知的障害で金銭感覚がなく、母親は高校三年の時に死亡している。
悲惨なのが妹は13歳の時に母が死んでからは家計を支えるために働き通し、21歳でガンになり、事件の時には末期だった。
妹の「これまで生きてきて、何も楽しいことはなかった」という言葉には絶句するしかない。
この家族には福祉の手がまったく差し伸べられていなかった。
見捨てられていたわけである。
この惨状を知った障害者支援グループが生活支援に乗り出す。
「はじめは誰にも心を開かなかったあの娘がな、声をあげて笑うようになったんだ」
しかし、妹は「自分はいま、事件が起きたことによって転機が訪れ、生涯で最も充実した時間を送らせてもらっている。でもこの生活は、亡くなった女性の犠牲の上に成り立っているのでは」という後ろめたさを持っていたそうだ。
なんともため息の事件、そして裁判である。

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マスコミ報道の過熱と安田弁護士逆転有罪判決

2008年04月23日 | 厳罰化

山口県光市の母子殺害事件の裁判をめぐるテレビ報道について、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会は15日、「多くが極めて感情的に制作されていた。広範な視聴者の知る権利に応えなかった」とする意見書を発表した。
個別の番組名を挙げた指摘はしなかったが、「被告弁護団対被害者遺族という対立構図を描き、前者の異様さに反発し、後者に共感する内容だった」とし、「公平性の原則を十分に満たさない番組は、視聴者の認識、思考や行動にストレートに影響する」と指摘した。
(産経新聞4月15日

光市事件裁判の高裁判決が22日にあった。
マスコミの狂乱ぶりは恐ろしい。
上空には6機のヘリコプターが旋回し、26席の傍聴券を求める人が3886人。
今までの公判では1000人前後だったから、4倍に増えている。
そのほとんどはマスコミが動員したアルバイトで、老人が少なくない。
もちろん傍聴券の列に並んだ人の大部分が動員された人だなどとは報道されない。

テレビは9時すぎから裁判の特番をやりだし、どのチャンネルも裁判の実況中継をしてた。
ある局は昼過ぎ、夕方、そして夜と、裁判のニュースを流しつづけた。
なんと号外も出ている。
そんな過剰報道は今までの裁判ではなかったのではないだろうか。

判決が出ると、記者がカメラの前で「元少年に死刑判決です」と興奮してしゃべり、その後ろを何人かの記者が走ってる。
それを見た妻は「人を殺すのがそんなに面白いのか」ともらした。
こうした「感情的」な報道姿勢そのものをBPOが問題にしたのではないか。
そして光市事件の高裁判決の翌日である23日、安田弁護士自身の事件の判決があった。

旧住専の回収妨害、弁護士の安田好弘被告に逆転有罪判決
旧住宅金融専門会社(住専)の大口借り手だった不動産会社に資産隠しを指示し、差し押さえを妨害したとして、強制執行妨害罪に問われた弁護士、安田好弘被告(60)の控訴審判決が23日、東京高裁であった。
池田耕平裁判長は1審・東京地裁の無罪判決を破棄し、罰金50万円(求刑・懲役2年)の逆転有罪を言い渡した。
(読売新聞4月23日)

この事件、一審では裁判長が判決の際にこう言っている。
「「あなたが当裁判所に起訴され、本日でちょうど満五年となります」
無罪判決を言い渡した後、川口政明裁判長は安田氏に語りかけた。一九九八年十二月六日、安田弁護士は警視庁に逮捕され、同二十五日に東京地検から起訴された。
裁判長は続けた。
「審理が少し長引きご迷惑をおかけしました。私は、わたしなりに事件の解明に努力したつもりです。いろいろ話したいこともありますが、中途半端に余計なことを入れるのはやめておきましょう」 そして「今度、法廷でお会いするときは、今とは違う形でお会いできることを希望します」。こう結ぶと、もう一度「被告人は無罪」と繰り返し、法廷を後にした」
西日本新聞2004年1月22日

この判決は明らかに光市事件とセットである。
最初から筋書きが決まっていたのだろう。
安田弁護士の有罪判決は、お上には逆らうな、逆らったらどうなるかわかるだろ、という見せしめとしか思えない。
西日本新聞はこう書いている。
「より「根本的」な問題は、なぜ安田氏が逮捕されたか、ということだ。その理由を重ね併せると、恐るべき権力犯罪のにおいがしてくる。
当時、麻原裁判での安田氏の強力な弁護活動に検察はてこずっていた。一方で、世間からは遅々として進まぬ裁判への批判が高まっていた。
さらに、安田氏を告発したのは、不良債権処理という「国策」を遂行していた中坊公平氏率いる旧住管機構である。当時、中坊氏こそが「正義の旗手」であり、中坊氏の債権回収に世間は喝さいを送っていた。
最後に、安田氏は捜査機関にとって長年、手ごわい「敵」であり、「じゃま」な存在だった。
“民意”を追い風にした、こうした政治的背景が「安田氏逮捕」に見え隠れする」

最高裁ではひょっとしたら実刑判決が出るのではないか。
それくらいのことをしかねないという危惧を抱かせる状況ではある。

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マイケル・S・ガザニガ『脳のなかの倫理』

2008年04月20日 | 

マイケル・S・ガザニガ『脳のなかの倫理』を読む。
ちょっと面白かったところをいくつか。

「一卵性双生児は、一個の受精卵が何らかの理由によりふたつに分裂したために生まれるもので、この分裂が起きるのは、通常、受精後一四日以内である。ひとりの人間が、ふたりの人間になるわけだ。さらに奇妙なことに、ふたつに分かれた受精卵が再び合わさって、ひとつの受精卵に戻る場合がある。こういったことも起こりうるとすれば、受精の瞬間に「個人」や「魂」の独自性が生まれているなどとは考えがたい」

霊魂を認める立場だと、受精と同時に霊魂が宿ったと考えるのが普通だと思う。
ところが、受精と同時に霊魂が宿るとすると、それから受精卵が分裂して一卵性双生児が生まれた場合、霊魂も分裂することになる。
ベルナルド・ベルトルッチ『リトル・ブッダ』は、チベットの高僧がチベット人の女の子とアメリカ人の男の子に転生するという映画で、二人に転生することは時々あるとチベット僧が言ってたが、これはつまり霊魂が分かれたということだったのか。
でも、それはあまり聞かない話で、どの時点で霊魂が受精卵、もしくは胎児に宿ることになるのか、そこらを考えると、霊魂の実在はあやしいものになってくるように思う。

「脳が何らかの知覚能力を失うと、その原因が脳の損傷であれ脳梁の切断であれ、失われた能力を自覚する意識もまた失われるらしい。
老化の場合も同じである。認知症やアルツハイマー病の患者は、自分の記憶が失われたことにほとんど気づいていない。はじめのうちは物忘れがひどくなったのを自覚しているものの、症状が進んで周囲の事物を認識する能力も失われると、自分がそうしたやっかいな状態にあるとは気づかなくなる」

物忘れがひどくなり、「わしは今何を探しているのやら 大山登美男」状態になっている私は、呆けたのかと気になる今日この頃である。
しかし、本当に呆けてくると、自分が呆けているのではと思わなくなるらしい。
とんちんかんなことをしても、自分でうまいことつじつま合わせをするそうだ。
となると、心配をしている私はまだ大丈夫かという気になってくる。
もっとも、「周囲の事物を認識する能力」が失われて、まだ大丈夫と思い込んでいるだけかもしれないが。

「行動遺伝学の研究によって明らかになり、広く受け入れられている法則が三つある。第一の法則は、あらゆる行動特性に遺伝性が認められること。第二の法則は、同じ家庭で育った影響は、遺伝の影響よりも小さいこと。第三の法則は、人間の複雑な行動特性に個人差が見られる理由には、遺伝子や家庭環境以外の要因が占める割合が大きいことである」
「行動遺伝学の第二の法則は、家庭環境の影響は遺伝の影響ほど大きくない」
「血のつながったきょうだいが大人になると、一緒に育った場合も離れ離れに育った場合も、似方に違いは見られない」
「どうやら、きょうだいが共有する家庭環境はわずかな役割しか果たしていないらしい」

私の子供たちにしても、それぞれ性格や好み、考えなどが違う。
環境は同じはずだから、持って生まれたもの、つまり遺伝子の違いかと思っていたが、それだけではないらしい。
また、子供が生まれると完璧な子育てをして理想的人間になってもらいたいという妄想を親はいだきがちである。
親がいくら張り切っても思い通りの結果が出るかどうかはわからない。
兄弟でも「行動に差異」が生じるのはどうしてなのだろうか。

「遺伝子と共有環境の影響では、きょうだいのあいだで行動に差異が生じる理由の約50パーセントしか説明がつかない」
「共有する環境が問題なのではなく、共有「していない」環境が重要らしいのだ」
「私たちの言葉の訛りが、ほぼ間違いなく親ではなく子供時代の仲間の訛りに似ることからも、仲間集団の重要性がわかるだろう」
私の子供たちが小さいころ、東京弁をしゃべらないよう指導していたが、いくら注意しても子供たちは「~しちゃって」「~じゃん」などを使う。
たしかに言葉は親よりも友達やテレビの影響のほうが大である。


「しかし、仲間集団の影響だけで、行動に差異が生じる理由の残り50パーセントは説明できない」
「行動に差異が生じる理由のあと48パーセントはどこからくるのか」

「事故や病気、衝撃的な体験などの、規則性がなく突発的で特異な出来事」という意見があるそうだ。
つまりはよくわからない、ということだろう。
人間というのは不思議なものである。

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命令と責任

2008年04月17日 | 戦争

小泉堯史『明日への遺言』の中で、捕虜を殺した罪に問われた岡田資中将は裁判で、米軍の無差別爆撃は国際法違反だと主張する。
もっともな批判だとは思うが、だからといって搭乗員38人を捕虜として扱わず、略式な手続きで処刑していいということにはならない。
検事の「無線士は爆撃とは無関係ではないか」という質問に対する、「搭乗員は有機体として一つだ」という答えは屁理屈だと思う。

そして岡田中将は、部下は司令官である自分の命令に従っただけだ、自分に全責任があると言うのに対して、検事は「B29の搭乗員は命令を拒むことができたか」と質問する。
たしかに、自分の部下は命令に従っただけだから罪はない、しかし米軍機搭乗員は無差別爆撃の責任があるというのは矛盾である。

これは命令と責任の問題で、岩川隆氏は『孤島の土となるとも』でこのように問うている。
「BC級裁判は、どの地でも“命令”についての論議に始まって“責任”についての解釈で終わる一面がある。末端の兵たちは“命令されたから実行した”と言い、上官の場合は何も知らなくても“責任あり”として罰せられる。命令されたからやむなく従ったというような場合、“個人”の責任はどのような範囲で追及されるのだろうか。あるいは、上官の命令もしくは上官の責任というものをどのように解釈したらいいのか」

たとえば、俘虜を殺害した責任は誰にあるのか。
直接、処刑した者にまず責任がある。
しかし上官の命令に従って行なったにすぎない。
もし命令に従わなかったならば、軍法会議にかけられて処刑されるかもしれないのだから、いかに理不尽だと思っていても拒むことはできない。
その上官だってその上の指揮官の命令に従ったにすぎない。
上官の命令は天皇の命令というわけだから、結局のところすべての責任は天皇にあるということになってしまう。
しかし、天皇が俘虜の殺害を命じたわけではなく、どういう俘虜がいるのか、俘虜はどういう扱いをされているか、おそらく全然知らないだろう。
となると、いったい誰が責任を負わなければならないのか。

「“責任”の観点からみれば、これは一種の無責任体制でもある」
と岩川隆氏は言う。
誰か一人に責任を押しつけて、それでおしまいというのはおかしい。
かといって、一億総懺悔もある種の責任逃れである。

自身が戦犯として死刑を宣告され、のちに減刑された加藤哲太郎氏は『私は貝になりたい』でこう書いている。
「罪を戦争に帰して、あとは知らん顔をする。この知らん顔が曲者である。知らん顔をする理由は、いろいろあるだろう。けれど、この知らん顔をすること自体が、罪の意識があればこそではないか。冷静になって考えてみて、罪を犯したと思えばこそ、知らん顔をせざるをえなくなるのだ。
だから、罪は戦争にあるのではなく、戦争に参加した各人にある。人殺しが犯罪であることは当然だ。戦争はイコール殺人そのものではないとしても、殺人のともなわない戦争は考えられない。こう考えれば、戦争は犯罪であるといくら叫んだとしても、それはトートロジー(同語反復)ではないだろうか。戦争は犯罪であるとしても、あとは知らん顔をしたならば、ずいぶん変なことになってしまう。そんな便利な言葉で、自分の良心をごまかすことができれば恐ろしいことだ。戦争は犯罪である、ということは、戦争だからどんな悪いことをしても仕方がない、ということに通じている。そうだ、戦争は犯罪である、だから、自分が戦争であんなことをしたのは仕方がなかったというより以上には考えない、あるいは考えようと欲しない人たちは、またいつの日か、強制されて軍隊にとられたら、また同じ過ちをくりかえさないだろうか、大きな疑いが持たれる。いな、恐らく、その人はまた同じ過失をくりかえすに相違ない」

責任をどう考えていくか、これは極めて宗教的な問いだと思う。

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小泉堯史『明日への遺言』

2008年04月14日 | 戦争

小泉堯史『明日への遺言』は、「東海軍司令官だった岡田資中将と部下19名が、空襲の際、パラシュートで降下した搭乗員を捕虜として扱わず、正式な手続きを踏まずに処刑したことで殺人の罪に問われていた」裁判を描いた映画である。
岡田資中将は搭乗員38人を処刑した責任をすべて引き受け、自分一人が死刑になる。

石垣島事件といって、撃墜されて落下傘降下した3名の米軍兵を殺した事件がある。
この事件の戦犯裁判では、起訴された士官・下士官・兵の数は全部で46名、最初の判決では死刑41名、28年禁固刑1名、5年1名、無罪2名、病気による免訴1名であった。
異常なほど重たい判決だが、どうしてかというと、お互いに責任をなすりつけたからである。
減刑運動が起こり、再裁判の結果、死刑13名、終身刑7名、20年2名などに減刑され、さらに占領軍総司令部が再々審を行なった結果、死刑7名、終身刑1名、40年1名に減刑された

BC級戦犯裁判がいい加減な裁判だったかは、岩川隆『孤島の土となるとも』を読むとよくわかる。
勝者が報復のために敗者を裁いた裁判である。
だが、それにしても38人で1人死刑、3人で41人→7人死刑というのはあまりにも不公平だ。
裁く側の処罰感情が強く表れたためだろう。
これは他のBC級裁判でも言えることである。
もっとも、死刑というのはそもそもが不公平なものなのだが。

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報道ステーションが死刑執行に疑問符

2008年04月11日 | 死刑

<死刑>4人を執行 鳩山法相命令は3回目、計10人に
法務省は10日、4人の死刑を執行したと発表した。執行されたのは坂本正人(41)=東京拘置所収容▽岡下香(61)=同▽中元勝義(64)=大阪拘置所収容▽中村正春(61)=同=の各死刑囚。死刑執行は2月1日以来。鳩山邦夫法相による命令は3回目で計10人に上る。現在、収容中の死刑囚は104人になった。
毎日新聞4月10日

10日の報道ステーション、鳩山法相による死刑執行が10人になったというニュースを伝えたあと、古舘伊知郎氏は死刑を執行する刑務官の気持ちはどうなのでしょうかというようなコメントをした。
古舘氏は死刑に反対、もしくは疑問を感じているのだろうか。

報道ステーションでは、死刑の確定が増えているとグラフで説明していた。
それだと凶悪犯罪が増えていると誤解されるかもしれない。
ついでに、2007年の殺人認知件数は戦後最低だという明るいニュースも伝え、殺人が減っているのにどうして死刑判決が増えているのか、そこらを検証してほしかった。
メディアは殺人が戦後最低を記録したというニュースを報道していないらしいので、スクープになったのに残念。

 ↑は浜井浩一・芹沢一也『犯罪不安社会』の図です。

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仏教の読み方の特殊性

2008年04月09日 | 仏教

『歓喜の歌』という映画を見に行ったとき、「ただいまより「かんきの歌」を上映いたします」というアナウンスが流れた。
「かんき」じゃなくて「かんぎ」だろう、漢字の読みも知らないのか、と思ったけど、ひょっとして私が間違っているかもと一瞬不安になった。
で、それはそれで放っておいたのだが、先日、点訳の校正が返ってきて、その中に「歓喜」を「かんぎ」としていたのが「かんき」に直されていて、「「かんぎ」は仏教読みではないでしょうか」と注があった。
ええっ、と思った。
辞書を調べると、たしかに「かんぎ」は仏語となっている。
それに、古いATOKでは「かんぎ」では「歓喜」に漢字変換できない(新しいのはOK)。
なんとねえ、と感心した。

それで思ったのが、仏教読みと一般読みの違いである。
「懺悔」は仏教の言葉で、本来は「さんげ」と読むのだが、新しいATOKでも「さんげ」ではダメ。
「礼拝」は仏教では「らいはい」と読むが、「れいはい」のほうが一般的だろう。
他にも「乞食*」「回心」「開発」「教化*」「自然」「声明」「肉食」「遊戯*」「利益」(*は仏教読みだとATOKで変換できない)など、一般の読み方と仏教読みが違うものはたくさんある。

私は「教皇」は「きょうおう」、「枢機卿」は「すうききょう」だと思ってたら、「きょうこう」「すうきけい」だとキリスト教徒の人に教えてもらった。
ちなみに「きょうおう」では変換しないし、『大辞林』には「きょうおう 教皇」はないが、『大辞泉』には「きょうおう 教皇」の項がある。
『大辞泉』は「すうきけい」、『大辞林』は「すうききょう」、どっちでもいいのかもしれないが、どうなのだろうか。
何にせよ、知ったかぶりは恥を招くと思った。

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障害者福祉施設の建設が反対で難航

2008年04月06日 | 日記

愛知県に住む某氏より、名古屋で計画されている障害者福祉施設の建設が認可されているのに、住民の反対で難航している、という中日新聞の記事(2008年3月2日)を送ってもらった。

この施設はどういうことをするかというと、
「この施設は身体、知的、精神障害者に加え高齢者も対象としたユニークな複合型施設」「社会復帰するために必要な日常生活訓練や、就労に必要な技術を習得する訓練を原則は通いで、必要なら泊まって身につけてもらう」
ということで悪い話じゃないと思うのだが、
「「絶対反対」「許しません」―。マンションが建ち始めた住宅街で、厳しい文言のポスターが掲示板や民家の壁などに張られている」
そうだ。

どうして反対するのか、その理由は、
「住民が反対する背景には、うつ病や統合失調症、アルコール依存症などの精神障害者と知的障害者が新施設の利用対象者となっていて「怖い」「住民に危害が加えられるのでは」といった漠然とした不安がある」
ということらしい。

こうした反対は過去にもあった。
「(運営主体の社会福祉法人は名古屋市とともに)1995年度、97年度、2000年度にそれぞれアルコール依存症を対象にした回復訓練施設の整備を計画、市もその都度予算計上したが、いずれも住民の反対で実現していない」
というわけで、記者は
「住民たちは漠然とした不安から反対しているが、不安を取り除くために必要な努力が施設を運営する側と財政支援する市に決定的に足らなかった。それがこれだけ問題をこじれさせた原因だろう」
と結論づける。

たしかに、市と社会福祉法人が住民への説明をちゃんとしなかったのはどうしてか、疑問である。
正直なところ、行政はやる気がないんでしょうね。
それにしても、住民がどうしてそこまで不安に感じるのか、よくわからない。
そんなに不安がられたのでは、身内に知的障害者や統合失調症者がいる人は気を悪くするだろうに。
不安なのは障害者を知らない、つまり事実を知っていないからだ。
これは犯罪不安も同じ。
知らないということは罪を作ることになるわけだ。

じゃ、障害者はどこに行けばいいのか。
地元住民だって、彼らが社会復帰しなくてもいいとか、排除して当然だと思っているわけではないと思いたい。

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スピリチュアリティといのち

2008年04月03日 | 仏教

「親鸞仏教センター通信」に、本多弘之先生の「癒しから救いへ」という文章が載っている。
「苦悩の状況からのあえぎのように、「癒し」を求める現象が、スピリチュアル・ブームとして騒がれている。新自由主義の指標とされる「自己責任」論理の横暴さが、実は自己より大きな社会的な責任による困難な事情を押し隠し、大事な情報を知らせずに、結果の責任のみを個人に押しつけている。その苦境の事実にあえぐわれら一般市民は、努力しながらも苦悩の事態を処理することができずに、せめてもの精神的な解放感を求めて「癒し」に走るほかないのではなかろうか。その癒しを「スピリチュアル」というカタカナで表示するから、精神の深みの問いが、軽薄な商業主義のまやかしに巻き込まれてしまっているように思われる」

もっともな指摘である。
しかし本多先生は、だからスピリチュアルという言葉は使わないようにしましょうとか、使い方に気をつけるべきだ、という論にはならない。

「実は「スピリチュアリティ」は、人間が自己自身の存在の根拠を求める大事な言葉だったのではないか」
と本多先生は言い、そして
「この弱さと不安とに催されて、存在の大地といわれるような生存の岩盤を求めるこころが、宗教的な救いを求める要求なのではなかろうか。その要求によって出遇う精神を、「救いとしてのスピリチュアリティ(霊性的自覚)」と表現してみたいと思う」
言っている。

言われることはわかるつもりである。
本多先生は
肉体、精神、霊性(スピリチュアル)という意味で、大事な言葉だと言われているのだろう。
鈴木大拙も霊性という言葉は使っている。

ところが、19世紀の心霊主義(スピリチュアリズム)からニューエイジに連なるスピリチュアリティの流れがある。
ウィキペディアの「スピリチュアリティ」の項を見ると、
「霊魂などの超自然的存在との見えないつながりを信じるまたは感じることに基づく、思想や実践の総称である」
とあるし、霊媒がスピリチュアル・カウンセラーと称している。
これがスピリチュアリティの一般的理解だと思う。
スピリチュアリティという言葉を聞いて、スピリチュアル・ケアという意味合いを連想する人は少ないだろう。
霊性的自覚という言葉にしても、どういう意味として受け取られるかというと、本多先生が考えるような受けとめではないだろう。

寺川俊成先生は「いのち」という言葉についてこう語っている。
「私は、宗門の中の方々が「いのち」という言葉をお使いになる傾向がだんだん強まりまして、やや多く使い過ぎるという印象をもっています。多用に過ぎるという問題性と、いのちという言葉によって信心の大切なものを表すときに、充分適切であろうかという違和感を持っております」
「如来のいのちというような言い方をすることも、ないわけではありませんけれども、私は生存といういう意味でいのちという言葉をまれに使いますが、積極的な意味で「いのち」という言葉を使うのは、なるべく避けているのです」

「いのちという言葉は、多義にわたって、肯定的、肯定されるべき了解と、超えられ、批判されるべき生命理解とが混合するのですね。ですから大切な御遠忌テーマをあらわす言葉としては、充分適切かどうか疑問が残らないわけではないのです」
(「真宗」2007年2月号)

まさにその通りだ。
スピリチュアルという言葉にしても肯定されるべき意味と、批判されるべき意味がある。
「スピリチュアリティ」は「いのち」と比べてより誤解されやすい言葉なのだから、仏教や真宗を論じる時にはなるべく使うべきではないと思う。
そもそも、本来はキリスト教の用語をわざわざ使う必要があるのだろうか。


本多先生の講演録『親鸞思想の解明』第3巻の序文を書いているのが帯津三敬病院名誉院長の帯津良一氏である。
どうしてこういったニューエイジ系の人物に序文を書いてもらうのかも疑問である。
否定されるべき意味としてのスピリチュアルだと誤解されるのではないだろうか。

コメント (37)
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