三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』

2021年07月27日 | 厳罰化

ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』は24編の短編が収録されています。

ルシア・ベルリンは1936年生まれ。
鉱山技師だった父の仕事の関係で、幼少期は鉱山町を転々とする。
父が出征したため、5歳の時に母の実家に住む。
祖父は酒びたり、母と叔父はアルコール依存症。

小学生の時、小学校の司書の財布を盗んだと誤解され、家に帰ると、母は本当に盗んだか訊きもせず、「よくもわたしに恥をかかせたね。この盗っ人!」と言って、ムチでたたいた。
財布を用務員が盗んだとわかっても、母は謝りもしなかった。

ルシア・ベルリンは3度結婚し、3回目の夫は薬物依存症。
1971年からカリフォルニアで暮らし、高校教師、掃除婦、電話交換手、ERの看護師などをして、息子4人を育てる。
このころからアルコール依存症に苦しむ。
1990年代に入ると、アルコール依存症を克服し、サンフランシスコ郡刑務所などで創作を教える。

ルシア・ベルリンの小説は、ほぼすべてが実人生に基づいているが、改変、誇張、編集がなされているし、完全なフィクションもあり、どれが本当のできごとだったかわからないと、あとがきにあります。

どの話もルシア・ベルリンと思われる人物が主人公ですが、「さあ土曜日だ」だけは受刑者の「おれ」が語り手なので、他の作品と肌合いが違います。

おれはミセス・ベヴィンズが先生の文章のクラスに入る。

今までいろんなクラスを教えてきたけど、ほんと、こんなに理解の深いクラスは初めて」と先生は言った。べつの日には、犯罪者の頭と詩人の頭は紙一重だ、とも言った。「どちらもやっていることは、現実に手を加えて自分だけの真実をつくり出すってことだから。あなたたちには細部を見る目がある。部屋に入って、ものの二分で総ての人と物を見極める。嘘を鋭く嗅ぎわける力がある。


ベヴィンズ先生は生徒たちにこう言う。

文章を書くとき、よく「本当のことを書きなさい」なんて言うでしょ。でもね、ほんとは嘘を書くほうがむずかしいの。馬鹿みたいなお題だよね、切り株なんて。それでもこんなに切実なものが出てくる。わたしには病んでうちひしがれたアル中の姿が見える。お酒をやめられなかった頃のわたしも、きっと自分をこんな切り株にたとえたと思う。


女装趣味者のヴィーがクラスに新しく入ってきた。
食パンの袋を留めるプラスチックのものを鼻輪みたいに1つ、両方の耳に20個ぐらいずつはめていた。
ヴィーの詩を聞き、みんなはヴィーを受け入れる。

ヴィーは勢いづいてさらにいくつか読み、次のクラスではすっかり打ち解けていた。奴にとってはそれくらい大事なことだったのだ―自分の声に耳を傾けてもらうということが。おれだってそうだった。一度など、臆面もなく昔飼っていた犬が死んだ話まで書いた。笑われたって構うものかという気でいたが、誰も笑わなかった。


ディキシーが「CDにはずば抜けて才能がある。そうでしょ、先生?」と言うと、ベヴィンズ先生は笑って言う。

白状する。教師をやってる人間なら、誰でも経験あることだと思う。ただ頭がいいとか才能だけじゃない。魂の気高さなのよ。それがある人は、やると心に決めたことはきっと見事にやってみせる。

「さあ土曜日だ」はルシア・ベルリンの刑務所での実体験が元になっていると思います。

寮美千子『空が青いから白をえらんだのです』を思い出しました。
寮美千子さんは奈良少年刑務所での社会性涵養プログラムの講師として、受刑者に詩を教えていました。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/c8643fa1f6c99edbc8500dcb60e0c083
ルシア・ベルリン先生が教えた生徒たちの文章を読んでみたいです。

町山智浩『最も危険なアメリカ映画』にこんなことが書かれています。
1963年、アラバマ州の教会(会衆は全員アフリカ系)が爆破され、4人の少女が犠牲になった。
1977年、ダイナマイト・ボブが起訴され、終身刑になる。
1985年に81歳で獄中で死亡するまで、ボブは後悔や謝罪、反省を口にしなかった。

2012年、ボブが獄中から妻に出した手紙が公開された。
誤字があったり、句読点がなかったりして、スペリングや文法のレベルは小学生以下。
ボブが黒人以上に恵まれない子ども時代を送ったのがわかる。

デトロイトやシカゴなど北部工業地帯の労働者たちは組合によって人種を超えた団結をして、給与や教育や福祉を充実させ、中産階級となり、子どもたちに大学教育を受けさせた。しかし、南部では、貧しい白人の鬱憤は大資本や経営者ではなく、黒人への憎しみに向けられた。組合は育たず、貧しい労働者はいつまでも貧しく無学なままだった。ダイナマイト・ボブはそれを代表するような男だった。


ボブは知能指数が39の黒人青年トミー・ハインズと二人房に入れられた。
ボブはハインズの面倒をかいがいしく見て、アルファベットを教えたり、食事や水分を与えるなどした。
妻への手紙にこんなことを書いています。

おれはなんどもなんども あいつにたべさせてやったり ミルクをのませてやろうとした あいつがほしがったから おれがあきらめて やめてしまって あいつといっしょに死んでしまうのがこわかったんだ

人間は変わるものだと思いました。

 

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宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』(2)

2021年04月24日 | 厳罰化

非行少年に共通する特徴5点+1の続きです。

④ 不適切な自己評価
問題を抱えているのに、〝自分には問題がない〟〝自分はいい人間だ〟と信じていて、自己の姿を適切に評価できないから、「自分を変えたい」という動機づけも生じないので、誤りを正せず、不適切な行動につながる。

・自分のことは棚に上げて、他人の欠点ばかり指摘する。
・ひどい犯罪をしても、自分はやさしい人間だという。
・プライドが変に高い、変に自信を持っている。逆に極端に自分に自信がない

⑤ 対人スキルの乏しさ
対人スキルが弱い子どもが特に困ること
・嫌なことを断れない
・助けを求めることができない

認知機能の弱さが対人トラブルにつながることもある。
・聞く力が弱い→友だちが何を話しているかわからず話についていけない。
・見る力が弱い→相手の表情やしぐさが読めず、不適切な発言や行動をしてしまう。
・想像する力が弱い→相手の立場が想像できず、相手を不快にさせてしまう。

+1 身体的不器用さ
発達障害や知的障害をもつ子どもは身体的不器用さを併せもつ比率が高いとされる。
・皿洗いのアルバイトをしていたが、何度も皿を割ってしまってクビになった。
・客に料理を出すときに、ドンッと勢いよく置いてしまい、客とトラブルになる。
・建築現場で親方に危ないと怒鳴られてばかりで、嫌になった辞めた。

発達性協調運動症といって、協調運動とは、別々の動作を一つにまとめる運動のことで、たとえば皿を洗う時は、皿が落ちないように片方の手で皿をつかみ、もう一方の手でスポンジで洗うのだが、それができない。

少年院に入る少年たちは、こうしたサインを出し続けている。
これらの特徴は小学2年生くらいから少しずつ見え始めるようになる。
学校にいる間はまだ大人の目が届くが、卒業すると支援の枠から外れてしまう。
本人が支援を求めることはほとんどない。
子どもの問題を理解しようとしない親もいる。
理解ある会社に勤めても、言われた仕事がうまくできない、覚えられない、職場の人間関係がうまくいかない、時間通りに仕事に行けないなどの問題を起こして辞めてしまう。

 知能指数
知能指数70未満が知的障害とされ、約2%いる。
70~84の境界知能の人を含めると16%いる。

知能指数によって知的能力がどの程度かがわかるわけではない。
知能検査では10個の検査項目で知能を測っているが、能力の一部しか見ておらず、柔軟性、対人コミュニケーションの能力、臨機応変な対応などは測れない。
知能指数が98でも、語彙力や理解力、暗算などで必要なワーキングメモリがとても低い場合がある。
能力の偏りは知能指数検査ではわからないから、学習や行動で困った様子があっても、知的には問題がないとされる。

知的に問題があるようではないのに、学校では授業中も先生の指示を聞かず、騒いでしまう子に個別知能方式で知能検査を実施したところ、視覚的な情報の記憶やその情報を基に行動することは問題なくできるのに、聴覚的な情報の記憶や処理が苦手である、いわば「見る力」は普通程度である一方「聞く力」が弱いため、口頭での指示の聞き漏らしや聞き違いが多く、授業についていけずに、授業と関係ないことをしてしまうことがわかった。(「更生保護」8月号)


軽度の知的障害は日常生活をする上では一般の人と変わった特徴は見られず、高校や大学を卒業する、自衛隊に入隊する、大型一種免許を取るなどは可能。
しかし、軽度知的障害者や境界知能の人たちは支援を必要としているのに、普通の人と区別がつかないため、要求度の高い仕事を与えられて失敗し、怒られたり、自分のせいと思ってしまう。

軽度知的障害や境界知能をもった人たちと健常者との違いが出るのは、困ったことが生じた場合で、いつもと違ったことや初めての場面に遭遇すると、どう対応していいかわからず、柔軟に対応することが苦手。

 軽度知的障害者の特徴
・所得が少ない。貧困率が高い。雇用率が低い。
・片親が多い。
・運転免許証を取得するのが難しい。
・栄養不足、肥満率が高い。
・友人関係を結び、維持することが難しい。孤独になりやすい。
・支援がないと問題行動を起こしやすい。

 子どもを虐待する親の特徴
・生真面目で〝こうあるべき〟という固定観念が強い。
・自分の弱みを人に見せない。
・困っていることを人に相談できない。
・孤立している。
・対人関係が苦手。
・経済的な困窮。
これらは軽度知的障害や境界知能の人たちの特徴と似ている。

 少年への支援
どのようにして非行を防ぐか、非行化した少年にはどのような教育が効果があるか。
困っている少年には、社会面、学習面(認知面)、身体面の具体的支援が必要。

少年たちは「少年院に来て、どう感じているか」と尋ねると、「まあまあ」「楽しい」と答え、自分の置かれている立場が理解できない。
「ほめる」「話を聞いてあげる」ことは大切だが、それだけでは子どもの問題を先送りするだけで、効果は薄くなり、根本的な解決策にはならない。

「自尊感情が低い」という言葉がよく使われるが、大人でも自尊感情が低い人のほうが多いが、それでも社会人として生活している。
問題は自尊感情が低いことではなく、自尊感情が実情と乖離していることにある。

・何もできないのに自信をもっている
・できるのに全然自信がもてない

ありのままの自分を受け入れていく強さ、社会面での支援が必要。
感情コントロールや挨拶などは自然に身につくものだが、発達障害や知的障害をもつ子どもが自然に身につけるのは難しいので、系統的に学ぶしかない。

SSTは認知行動療法に基づいているので、言葉を理解する力、想像する力、判断する力など認知機能に問題があれば、何をやっているか理解できない。
脳機能、特に前頭葉の機能低下と反社会的行動とは関連性がある。
脳機能の障害に対応した認知機能へのトレーニングは必要である。
被虐待児や反社会的行動についても、認知機能トレーニングが子どもたちへの治療となる可能性がある。

そこで宮口幸治さんは、見る力、聞く力を養うためのグループトレーニングであるコグトレを紹介します。
https://cog-tr.net/cogtr/
もっとも、素人が簡単に手が出せるものではないようです。

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宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』(1)

2021年04月16日 | 厳罰化

少年法などの改正案が衆議院法務委員会で可決されました。
18歳と19歳を特定少年と位置づけ、家庭裁判所から検察官に逆送致する事件の対象を拡大すること、起訴された場合には実名報道を可能とすることを盛り込んでいます。

少年犯罪は減っているし、凶悪化もしていないのに、なぜ厳罰化するのでしょうか。
精神科医であり、医療少年院で法務技官として勤務していた宮口幸治さんの『ケーキの切れない非行少年たち』は、「丸いケーキがあります。これを三等分にしてください」という問題に非行少年は答えられないということから題名がつけられています。
厳罰化は再犯防止や更生につながらないことがわかります。

 非行少年の生育歴
小学校2年生くらいから勉強についていけなくて、友だちから馬鹿にされたり、イジメに遭ったり、先生から不真面目だと思われたりする。
親や本人に障害があったり、家庭内で虐待を受ける子もいる。
学校に行かなくなり、暴力や万引きなどの問題行動を起こし始める。
小学校では厄介な子として扱われ、障害があっても、その障害に気づかれることはほとんどない。
社会に出ると、要求度の高い仕事を与えられ、失敗すると責められ、嫌になって仕事を辞め、職を転々としたり、対人関係がうまくいかずひきこもりになったりする。
自分は普通だと思っているので、自分から支援を求めようとはしない。

 少年院の子はどんな少年か
・簡単な足し算や引き算ができない
・漢字が読めない
・簡単な図形が写せない
・短い文章すら復唱できない
「今の首相は誰?」「オバマです」

大岡由佳さんは少年院に入った少年について、「表面的には言葉にできても、なぜそうしたのか、自分の行動を説明するのが困難なようです。本人にもよく分からない場合も多いと思われます」(「更生保護」12月号)と書いています、

海外の文献では、少年院入院者の75%から93%が何らかのトラウマの犠牲になっていると報告されており、日本でも少年院入院者の被虐待経験率は身体的虐待が男子21.9%、女子28.9%、少年鑑別所入所者は被虐待経験率が35.7%に見られ、トラウマが背景にあるかもしれない。

非行少年に、非行の反省や被害者の気持ちを考えさせるような従来の矯正教育を行なっても、ほとんど意味がない。
反省以前の問題で、岡本茂樹『反省させると犯罪者になります』を読んだとき、「反省できるだけでも上等ではないか」と宮口幸治さんは感じたそうです。

 非行少年に共通する特徴5点+1
① 認知機能の弱さ
見る力、聞く力、想像する力が弱く、不適切な行動につながる。
見る力の弱さ 相手の表情を見ることができない。
聞く力が弱さ 誰かが独り言を言ってるだけでも、悪口を言ってると誤解する。
想像する力が弱さ 五感から入った情報の歪みを修正できない。
このため、勉強が苦手、話を聞き間違える、周りの状況がよめなくて対人関係で失敗する、イジメに遭うなどする。

想像力が弱ければ努力できない。
バイクを買うためには何か月もアルバイトをし、生活を切り詰める必要があるが、他人の努力が理解できないと、努力してバイクを手に入れたことに思い至らず、簡単に盗んでしまったりする。

時間の概念が弱い子どもは〝昨日〟〝今日〟〝明日〟の3日間くらいの世界で生きています。場合によっては数分先のことすら管理できない子どももいます。このような子どもは、
〝今我慢したらいつかいいことがある〟
〝1か月後の部活の試合や定期試験に向けて頑張る〟
〝将来、○○になりたいから頑張ろう!〟
といった具体的な目標を立てるのが難しい。
目標が立てられないと人は努力しなくなります。努力しないとどうなるでしょうか。二つ困ったことが生じます。一つは、努力しないと成功体験や達成感が得られないため、いつまでも自信がもてず、自己評価が低い状態から抜け出せないことです。もう一つは、努力しないと、〝他人の努力が理解できない〟ことです。

「今これをしたらこの先どうなるだろう」といった予想も立てられず、その時がよければそれでいいと、後先考えずに周りに流されてしまったりする。

② 感情統制の弱さ
気持ちを言葉で表すのが苦手で、すぐ「イライラする」と言う、カッとするとすぐに暴行や暴言が出るという子どもたちは、何か不快なことがあると、心の中でモヤモヤするが、自分の心の中でどんな感情が生じているのかが理解できず、モヤモヤが蓄積してストレスへと変わっていく。
厄介なのは、「ストレス発散に○○したい」という文章の○○に〝万引き〟〝痴漢〟などの不適切な言葉が入る場合。

③ 融通の利かなさ
お金が必要だが、お金がないという状況で、
A アルバイトをする
B 親族から借りる
C 宝くじを買う
D 強盗する
という選択肢があっても、融通が利かないのでDの解決案しか出てこない。
解決案が一つしか出てこないと、それが最適な解決法かどうかわからないし、同じ失敗を何度もしてしまう。

・思いつきでやることが多い→いったん考えることをせずにすぐに行動に移してしまう。気づきが少ない。見たものにすぐに飛びつく。だまされやすい。過去から学べず同じ間違いを繰り返してしまう。

・一つのことに没頭すると周りが見えなくなる→やる前から絶対こうだと思って突き進む。思い込みが強い。一部にしか注意を向けられず、ヒントがあっても注意を向けられない。見落としてしまう。

融通の利かなさが被害感につながり、目が合っただけで「にらんできた」と思ったり、肩が触れただけで「わざとやった」と思う。

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渡邊博史『生ける屍の結末』

2019年08月05日 | 厳罰化

渡邊博史『生ける屍の結末』は「黒子のバスケ」脅迫事件の加害者の手記です。
1977年生まれで、逮捕時は36歳。
2012年11月から脅迫状を何度か出し、2013年12月に逮捕される。

最初のほうに「自分は最低限の生活費を稼ぐため以外に働くことはしませんでした。自分は生来救い難い愚鈍で、何をやっても人並みに務まりません。ですからどこで働いても必ず上司や同僚や後輩たちから見下され、いじめられました。自分にとって労働とはすなわち苦痛でした。働く時間を減らせるように、とにかく切り詰めた生活をしていました」と書かれてあります。

高校卒業→浪人→専門学校を卒業→引きこもり→再び専門学校→中退→アルバイトを転々
正社員になったことがない。
同性愛者で童貞、バスケのユニフォーム姿の男性に強い性的興奮を覚える。

小学校1年からいじめられ、両親や担任から暴力・暴言を受ける。
以来、自殺念慮が消えたことがない。
時折、幻聴が聞こえる。
事件の時は、風呂なしエアコンなしトイレ共同のアパート住まい。
自虐ぶりにびっくりします。

2012年9月に事件の準備を始める。
これだけのお金と手間暇をかける努力・熱意があれば、仕事に就いて普通の生活ができたのではないかと思いました。
手記はちゃんとした文章だし、細かく具体的に書かれている一方で、ふざけた筆致やオタクっぽいとこを織り交ぜています。
最初のイメージと違ってかなり頭がいいんだろう、いったいどういう人間なのか、本音はどこにあるのかとも感じました。

Q&Aで生い立ちを書いています。
小1から中学までいじめられる。
小1・2の担任は暴力教師で、些細なことですぐにビンタをする。
小5から通った塾でもいじめを受け、講師から殴られる。
両親の暴言、暴力、理不尽な対応。
アレルギー性鼻炎で鼻水が出て、それでいじめられるのに、父親は医者に行かせない。
マンガや将棋などの好きなことは禁止される。
親から「顔が汚い」「お前ほどのバカはいない」と言われる。
いつもビクビクしていた。
高1の終業式の日、両親を殺そうと計画をしたが、父親が急に倒れて死ぬ。
その後、被虐うつを発症し、21歳までつづく。
20歳過ぎで自殺未遂。
何をしてもダメなんだと思う。
でも、妹はまともに育っているそうです。

拘置所で差し入れてもらった児童虐待についての本を読んで納得した。
「虐待」という言葉は「乱用」を意味するabuseの訳語。
child abuseは「児童乱用」と訳されるべき言葉。
虐待の本質とは「両親が子供を利用して、自身の欲求を満たそうとすること」。
両親のしつけは「子供に非合理的で理不尽なガマンを強いることこそしつけの基本であり親の務め」というのが考え方の根本にあった。
このあたり、私自身が同じことをしてたなと恥ずかしく思いました。

最終意見陳述に、渡邊博史氏独自の言葉で説明しています。
「社会的存在」社会と接続でき、自分の存在を疑うことなく確信できる人間。
人間に自分の存在を常に確信させているのは他者とのつながりであり、乳幼児期に両親もしくは養育者に適切に世話をされれば、子供は安心を持つことができる。
「感情を共有しているから規範を共有でき、規範に従った対価として『安心』を得る」というサイクルの積み重ねがしつけ。
このしつけを経て、子供の心の中に「社会的存在」となる基礎ができる。
両親から与えられてきた感情と規範を「果たして正しかったのか?」と自問自答し、心理的再検討を行うのが思春期で、自己の定義づけや立ち位置に納得できた時にアイデンティティが確立され、「社会的存在」として完成する。

「生ける屍」このプロセスがうまくいかなかった人間。
感情や規範を両親から与えられず、人や社会とつながっていない。
・自分の感情や意思や希望を持てず、自分の人生に関心が持てない。
・対価のない義務感に追われ疲れ果てている。
・自立ができず、孤立している。
・心から喜んだり楽しんだりできない。
・自責の念や自罰感情を強く持つ。
両親からの虐待やいじめを受けた人間に多いタイプ。

「努力教信者」の枠内での強者が「勝ち組」で、弱者が「負け組」。

「埒外の民」自分の人生に興味が持てなかったり、自分には可能性が皆無と思い込んでしまう人間であり、努力することを思いつきすらしない。
大人になってからの精神の安定度を決めるのが「キズナマン」と「浮遊霊」。

「キズナマン」人や社会や地域とつながっている人間。
「社会的存在」であれば、自動的に「キズナマン」になれる。

「浮遊霊」人や社会や地域とつながっていない人間。
浮遊しているだけだから、基本的に無害な存在。

「生霊」浮遊霊が悪性化した存在。
渡邊博史氏自身は事件直前に「生霊」と化していた。

この世はすさまじい風が吹きすさぶ空間。
風をやり過ごす薬は、オタク化(趣味や嗜好品で現実逃避する)とネトウヨ化(不満や怒りを外敵に向けさせる)の2種類がある。
この2種類の薬は「生ける屍」にはあまり効かないが、「埒外の民」には効きやすい傾向がある。

以上は何かの本をヒントにしたのかもしれませんが、うまくまとめてあり、なるほどとうなずけます。
さらにこのように書いています。

「無敵の人」は基本的に肉体の死を望みこそすれ拒絶することはまずありません。死は地獄のような生からの解放だからです。ですから犯行時に懲役を恐れて死刑になるまでのことをやってしまう可能性があります。加藤被告(秋葉原無差別殺人事件の死刑囚)も著書の中でそのような意味のことを述べています。「無敵の人」にとって釈放とは刑務所からの開放ではなく社会への追放です。


冒頭意見陳述にも同じ趣旨のことが述べられています。

死にたいのですから、命も惜しくないし、死刑は大歓迎です。自分のように人間関係も社会的地位もなく、失うものが何もないから罪を犯すことに心理的抵抗感のない人間を「無敵の人」とネットスラングでは表現します。これからの日本社会はこの「無敵の人」が増えこそすれ減りはしません。日本社会はこの「無敵の人」とどう向き合うべきかを真剣に考えるべきです。


「無敵の人」による事件は少なくないですが、厳罰化では解決しないと思いました。

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「座間事件「実名報道はやめて!」黙殺された遺族たちの嘆願」

2017年11月30日 | 厳罰化

「女性自身」の記事です。
https://jisin.jp/serial/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84/crime/31342

「座間事件「実名報道はやめて!」黙殺された遺族たちの嘆願」
11月10日未明、座間市のアパートで切断された9人の遺体が見つかった事件で、警視庁は新たに8人の身元を確認したと発表した。これを機に、大手テレビ局、新聞社はこぞって被害者たちの実名報道に踏み切った。だが、全国紙の社会部記者は次のように語った。
「いちはやく身元が特定された東京都の23歳女性については、11月6日の時点で、遺族が警視庁を通じて、各報道機関に文面を送っています。それは《亡くなった娘の氏名報道はお断りするとともに……》という一文で始まるものでした」
そんな要請があったにも関わらず、23歳女性の実名は報じられ続けたのだ。
「10日未明に、残り8人の身元が判明したことを警視庁は会見で発表しました。そして遺族たちからの文面を報道各社に配布したのです」
それは8人の被害者たちの遺族や、遺族が依頼した弁護士たちによる9枚の“要請書”だった。冒頭で紹介した福島県の17歳高校3年生の母親による直筆書面も、そのうちの1枚だ。遺族たちが求めていたのは取材の自粛と、顔写真や実名報道をやめることだった。(略)
このように被害者遺族たちが団結して強く要請したにも関わらず、実名・顔写真報道は続けられたのだ。
「遺族に配慮して匿名報道を続けたのは一部のスポーツ紙ぐらいでした。遺族たちがここまで強く要請した背景には、座間事件が抱える2つの特別な事情があります。1つは、“死にたい”などと語っていた被害者たちがいたこと。もう1つは、白石容疑者が被害者女性たちに性的暴行を加えていたと、供述していることです」(前出・社会部記者)
埼玉県の17歳高校2年生の遺族の依頼を受けた弁護士は、本誌にこう語った。
「ネットで騒がれるぶんには、遺族も見ないようにするという対抗策がありますが、大メディアが報じている場合、避けることが難しくなります。テレビをつければ、亡くなった子や、自分たち家族のことが報じられているわけですからね。朝も夜もなく、遺族たちは苦しみ続けているのです」


「遺族に配慮して匿名報道を続けたのは一部のスポーツ紙ぐらいでした」ということに笑ってしまいました。
犯罪報道では、怪我をした人は匿名だし、性犯罪や未成年の被害者は必ず匿名です。
ところが、殺人事件となると、なぜか写真入りの実名報道となります。

おそらく全国紙やキー局の報道ニュース担当の人たちはスポーツ紙や女性週刊誌を軽く考えているでしょうけど、「一部のスポーツ紙」、そして女性週刊誌に人の痛みを知る人間らしさがありました。

今や加害者やその家族だけでなく、被害者の私生活を暴き出すことも珍しいことではありません。
犯罪被害者にも、匿名でのいやがらせの手紙や電話、ネットへの書き込みをする人がいます。
被害者が損害賠償の請求をすると、「子どもの命を金で売るのか」といった誹謗中傷を受けることがあります。
家族にとってみれば、死んだということに加えて、さらし者にされるわけですから、二度殺されるようなものです。

メディアがわざわざ実名報道をしなくても、知っている人は知っているし、第三者が名前や顔を知る必要性はないはずです。
第三者である我々が名前や顔を知りたがるのは単なる好奇心であり、野次馬根性、のぞき趣味にすぎません。

川名壮志『謝るなら、いつでもおいで』に、佐世保12歳同級生殺害事件の被害女児の父親である御手洗恭二さんへのインタビューが載っています。
御手洗恭二さんは毎日新聞に勤めています。

取材を受けなかったらどういうことが起こるか、それをまず考えた。
もし断った場合、メディアがどういう風に動くかというのを考えたら、家族に向かうんですよ、やっぱり。(略)
遺族が取材にさらされるつらさは、逆に僕自身が求めてきた側だから、よくわかる。大変だということがね。
たしかに記者じゃない仕事に就いてたら、まあアッサリ会見は蹴っ飛ばせただろうな、拒否できただろうな、っていう気持ちはある。

福岡に転勤してから、二度ほど知らない人から声をかけられます。
テレビに顔が映ったからです。

僕自身が知られてるわけじゃない? すると、仕事でもプライベートでも、これまで普通にできてたことが普通にできなくなる。(略)
極端なことをいえば「人前で笑えるか」ということなんですよ。それはもう、考える。「何であんなことがあったのに、ニコニコしてるの」って思う人がいるかもしれない。(略)

田舎だから外を歩けば人に会うでしょ。それであの事件の遺族だってわかるわけじゃない。近所のスーパーに行ったら、女性にハッと目を見開かれたり。「視線が痛い」というのはこういうことなのか、と思った。

ただでさえ好奇の目にさらされるわけですから、なるべく実名報道は避けるべきです。
浅野健一『犯罪報道の犯罪』を読み、当然のことだと思っていた実名報道が、多くの人の生活を壊し、時には自殺にまで追い込んでいることを教えられました。
スウェーデンでは、被害者はもちろん、加害者であっても匿名報道が原則(政治家の汚職など権力者の犯罪は別)だそうです。
犯罪報道では被害者はもちろん、被疑者も基本的には匿名にすべきだと思います。

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反省と更生

2017年03月12日 | 厳罰化

池谷孝司『死刑でいいです』は、2005年に姉妹を殺害して死刑になった山地悠紀夫のルポルタージュ。
いろいろと教えられることがありましたが、信田さよ子氏(心理学者、臨床心理士)と藤川洋子氏(元家裁調査官)がインタビューに答えて、更生と反省について語っていて、それをご紹介。

信田さよ子さん

私は性犯罪者の処遇プログラムもやっていますが、反省は最後です。まずはどうやって再犯を防止するか。反省を促すより、まず再犯させないというのが重要です。これは北米では常識です。でも、日本は明治以来の刑法で、時代錯誤的にまず反省を求める。でも、中途半端に反省を求めても言い逃れを生むだけです。マニュアル的に「申し訳ないことをしました」と頭を下げるだけでは駄目。反省しなくても、再犯の防止はできる。


私は、まず反省することが更生の第一歩だと思っていました。
ところが、浜井浩一氏が「罪の意識は、科学的に見て再犯を防止できるかということです。これは科学的な結論だけ言うと、罪の意識は再犯を防止できないということです」、あるいは「罪の意識は社会復帰を阻害します」と否定しているのを読んで、驚きました。

岡本茂樹『反省させると犯罪者になります』にも同じことが書かれてあり、反省を強いることは逆効果になりかねないということは、専門家にとって常識なのでしょう。

ただし、一般人には受け入れがたいと思います。

性犯罪者処遇プログラムも、人格は尊重し、褒めるのが基本です。DV加害者にもどうなりたいかを聞き、現状とのギャップを埋めるように方向づけをします。できたことを褒め、やる気をかきたてる。世の中の人は「甘い」と言うだろうけど、効果的なんです。

犯罪ではなくても、たとえば戦争責任や慰安婦問題などでも、頭ごなしに謝罪を求められると反発したくなるのも同じことかもしれません。

児童虐待にもその背景があります。

暴力を受けて育つと、暴力を肯定的に考える人が多いんですよ。

虐待は世代間連鎖するといわれているが、虐待するのは多くが父親であり、父親から母親へのDVを見て育った息子に暴力が連鎖することが分かってきた。
世代間連鎖は父から息子へという男の問題だということです。

私たちは再犯をさせないために、何が必要かを考える。「何が犯罪に至らせたか」より、「何があれば再犯を防げるか」を考えるんです。「報復」か「許す」かという二者択一ではなく、「再犯防止」という観点が重要です。いたずらに謝罪するのは反省ではない。謝罪、反省というのは、人間扱いされて初めて出ることなんですよ。

「反省→更生」ではなく「更生→反省」ということなんですね。

山地悠紀夫は発達障害だったらしく、『死刑でいいです』では発達障害について書かれています。
藤川洋子さん

相手への共感性が乏しく、反省を感じにくい子には、反省よりもまず、再犯の防止を優先して更生を考えるのが重要です。私は「反省なき更生」と呼んでいます。反省は必要ですが、より大切なのは再び事件を起こさせないことです。
うまくいっているとそう事件なんか起こしません。本人が更生することは、同時に再犯防止になるわけです。まず反省させてから更生となれば、反省できない子は先へ進めなくなる。少年に罰を与えたからといって、なかなか反省できるものではありませんが、特に発達障害の子はそうです。
もともと人間は安全感を持てないと、本当の意味で反省できないと思います。「反省しろ」と言われてもできません。親の愛情を確認できたとか、「おまえのことを大事に思っている」と言われ、無視されずにいろんな人に愛されていたんだ、と感じて初めて気持ちが届く。生きていていいんだ、ここにいていいんだ、と実感できないと、反省なんか出てきません。もともと他人の気持ちが分かりにくい人には余計、きついでしょう。


「反省なき更生」ということですが、反省しなくてもいいということではなく、更生と再犯防止を優先しようということです。

英国はチャリティーの精神が発達していますから、政府もお金を出しますが、寄付も募ってたくさん資金が集まります。「貧しい者にこそ愛を」という考え方があります。「悪いことをしたんだからくたばれ。社会のごみ捨て場でみじめな人生を送れ」という発想はない。日本の場合、世間の見方はそんな感じではないでしょうか。
日本では、英国のように高原のコテージで学習を中心にして訓練を受けているような生活を見ると、怒りを覚える人が多いでしょうね。少年の更生プログラムも理解されにくいぐらいだから。少年院の料理なんか非常に低予算だけど、それでも、事件の関係者が見学すると、中には「こんないいものを食べさせているんですか」と感情的になる人もいます。


刑務所を見学した人が、「こんないいものを食べているのか」とびっくりしてましたが、私もそう感じることがあります。
エマニュエル・ベルコ『太陽のめざめ』では、主人公(たしか15歳)は少年院か児童自立支援施設のようなところに入るわけですが、少年たちはタバコを普通に吸ってて、こんなんで更生するのかと思いました。
感情では納得できないわけです。
だけど、刑務所に入った犯罪者はいつかは出てきます。

久保貴「更生保護における保護司の機能に関する一考察」(『更生保護』2017年1月)にこうあります。

犯罪をした人や非行のある少年の社会復帰を援助する更生保護は、成熟した社会には不可欠のものです。ここでいう成熟した社会とは、犯罪や非行のない社会ではなく、犯罪や非行をした人たちが再び社会に戻り、通常の社会生活を送ることができる社会です。

久保貴氏によると、犯罪をした人を社会から排除するだけでは、安全・安心な社会を維持できません。

加害者の人権ばかり守られて、被害者の人権はないがしろにされている、という意見を耳にします。
被害者の救済や支援と、加害者の更生は分けて考えないといけないと思いました。
そして、再犯しないことも償いの一つではないでしょうか。

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岡本茂樹『反省させると犯罪者になります』

2016年04月28日 | 厳罰化

岡本茂樹『反省させると犯罪者になります』に書かれていることは、私のささやかな見聞と照らし合わせてうなずくことばかり。
岡本茂樹氏は刑務所の職員らに対しては指導・助言をするスーパーバイザーとして、受刑者(大半は殺人犯)には篤志面接委員として関わり、個人面接や授業をし、受刑者の更生を支援しているそうです。

岡本茂樹氏は大学で学生相談をしていた中で気づいたことがあった。

問題を抱えた人は、幼少期の頃から親に自分の言い分を聞いてもらえず、言いたいことを言おうものなら、すぐさま親から「甘えるな」「口答えするな」と反省させられ、否定的な感情を心のなかに深く抑圧していることです。したがって、否定的感情を外に出すことが、心の病を持った人の「回復する出発点」と考えるようになりました。


問題行動が起きたとき、厳しく反省させればさせるほど、その人は後々大きな問題を起こす可能性が高まる。
受刑者も何度も反省させられた過去があり、さまざまな感情を抑圧していた。
反省させようとする方法が受刑者をさらに悪くさせ、反省させない方法が本当の反省をもたらす。

岡本茂樹氏自身が交通事故を起こした時の経験を書いていますが、私も事故を起こした時に同じことを考えました。
反省よりもまず後悔、言い訳を考え、責任転嫁をし、自分のほうが被害者だと思う。
以前、待ち合わせの時間に遅刻した時、どうして遅れたかを説明しようとしたら、「すぐに言い訳を言う」と言われたことがあります。
相手にしたら、まずは謝罪と反省をしろということなんでしょうけど、私としては遅刻の理由を説明しようとしただけなのにと、不満に思いました。

被害者よりも自分のことを優先するのは人間の心理として自然であり、事件の発覚直後に反省することは人間の心理として不自然。
鑑別所や拘置所に入所している少年や大人の大半は、被害者のことよりも自分自身のことに必死で、「早く出たい」「刑が軽くなってほしい」と考える。
重大事件の場合には、死刑なのか、無期懲役か、有期刑か、自分の人生が決まる。
罰はできるだけ受けたくないし、受けるとしても罰はできるだけ軽いものであってほしいと考えるのは人間の本能。

少年院に入ると、反省文を何度も書かされる。
しかし、読み手が評価する文章を心得るようになるだけで、問題行動が起きた直後の「反省文」はまったく意味がない。

ところが今の日本の裁判では、「反省していること」が量刑に影響を与えるので、大半の被告人は裁判でウソをつく
裁判という、まだ何の矯正教育も施されていない段階では、ほとんどの被告人は反省できるものではないし、裁判に対して量刑に不満がある受刑者も少なくない。
刑務所でまじめに務めていることは、自分の思いや感情を誰にも言わないで抑圧することになる。

刑罰が長ければ長いほど、罰は重たければ重たいほど、それだけ人を悪くしてしまうと言えます。


最初から受刑者に被害者のことを考えさせる方法は、心のなかにある否定的感情に蓋をしてさらに抑圧を強めることになる。
「被害者の視点を取り入れた教育」という受刑者に対する更生プログラムがある。
キャンベル共同計画(刑事政策を含む社会政策に関する国際的な評価研究プロジェクト)によると、被害者の心情を理解させるプログラムは、再犯を防止するどころか、再犯を促進させる可能性があるという結果を報告している。
自分は悪いことをしたと悔やむことで自己イメージが低くなり、社会に出てから他者との関わりを避け、孤立し、やけくそになって再犯を起こす。

では、どうすればいいのでしょうか。
「被害者の視点」ではなく、「加害者の視点」から始めるほうが、本当の更生への道に至る近道になる。
「加害者の視点」から始めることで、「被害者の視点」にスムーズに移行できる。
問題を起こすに至るには、必ずその人なりの「理由」があるので、その理由にじっくり耳を傾けることによって、その人は次第に自分の内面の問題に気づくことになる。

被害者に残虐なことをしているにもかかわらず、受刑者は自分自身が殺めた被害者に対して、「あいつ(被害者)さえいなければ、自分はこんな所(刑務所)に来ることはなかった」というような否定的感情をもっている。
被害者に不満があるのであれば、まずはその不満を語らせ、そのなかで、なぜ殺害をしなければならなかったのか、自分自身にどういった内面の問題があるのかが少しずつ見えてくる。
心のなかにつまっていた否定的感情をすべて吐き出して、すっきりした気持ちになるのと同時に、被害者に対する謝罪の気持ちも深まっていく。

自分を大切にできないから、他者を大切にできない。
自分を大切にできないのは、自分自身が傷ついているから。
自分が傷ついていることに鈍感になっている場合もある。

自分の心の傷に気づいていない受刑者が被害者の心の痛みなど理解できるはずがない。
被害者の心の痛みを理解するためには、自分自身がいかに傷ついていたのかを理解することが不可欠。
それが実感を伴って分かったとき、受刑者の心に自分が殺めてしまった相手の心情が自然と湧きあがってくる。
そのときこそ初めて真の反省への道を歩み出せる。

真の反省は、自分の心のなかにつまっていた寂しさ、悲しみ、苦しみといった感情を吐き出せると、自然と心のなかから芽生えてくるものです。


再犯しないためには、人に頼って生きていく生き方を身につけること。
そのことだけでも理解できたら、再犯しない可能性が高まる。

自分の心のなかの否定的感情を支援者に受け止めてもらうことによって、受刑者は心の傷が癒され「大切にされる体験」をする。
「大切にされた経験」に乏しかった受刑者が、支援者によって大切にされることによって、受刑者は自分の内面の問題と向き合う勇気を持ち、罪と向き合える。
したがって、支援者の存在は不可欠、自分1人で過去の心の痛みに向き合うことはできない。

受刑者が否定的感情を吐き出して自分の心の痛みを理解すると、自分自身が殺めてしまった被害者の心の痛みを心底から感じるようになる。
ここにおいて、ようやく受刑者は真の「反省」のスタート地点に立てる。

佐藤大介『死刑に直面する人たち』に、無期懲役囚(名古屋アベック殺人事件の主犯格)に「反省とは何か」と尋ねると、こう答えたとあります。

反省というのは、本当に難しいと思います。実感するまでに時間がかかるんです。はじめはただ、申し訳ないと思うんです。そこからもう一つ超えるまでに時間がかかります。被害者の痛みや、命の重さがなかなか見えてこないのです。自分にとって大切な人を失うのがどういうことなのかと。


死刑判決後、母親や弁護人ら関係者からの支えを受けています。

自分の命を大切にしてもらったことで、他人の命の尊さに気づけたと思っています。

岡本茂樹氏は、幸せになることこそ更生と関係あると言います。
受刑者は「被害者は自分を許すことはない」ということを胸に刻んで生きていかなければならないと同時に、彼らが更生するためには、人とつながって「幸せ」にならなければならない。
人とつながって「幸せ」になることによって、「人」の存在の大切さを感じることになる。
そして、人の存在の大切さを感じることは、同時に自分が殺めてしまった被害者の命を奪ったことへの「苦しみ」につながる。
幸せを感じれば感じるほど、それに伴って、苦しみも強いものになっていく。

犯罪を犯した人と反省についての岡本茂樹氏の指摘は、教育やしつけに通じるように思います。

私たちが日常的に行っている「しつけ」や「教育」が、実は子どもや若者たちを犯罪者にしている側面があるのです。


アリス・ミラー『魂の殺人』ですね。

私たちは子どもの問題行動を歓迎しています。なぜなら問題行動とは、「自己表現」の一つだからです。


多くの親は、自分のしてきた子育てを正しいと思い込んでいるから、他者の視点が入り込まないかぎり何も変わらない。
問題行動はヘルプの信号であり、親は、なぜ子どもが問題行動を起こしたかを考える機会を与えられたと考えるべき。
罰を与える前に、問題行動は「必要行動」と捉え直しをする視点を持って、「手厚いケア」をしてほしい。
いじめにしても、いじめが起きる背景には、正しいと思って刷り込まれている「我慢できること」「1人で頑張ること」「弱音を吐かないこと」「人に迷惑をかけないこと」といった価値観がいじめを引き起こす原因にもなっている。

犯罪のない社会を願うのだったら、厳罰化ではなく、社会が犯罪者を受け入れ、支援する体制を作ることが大切だと、私も思います。

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「祖父母殺害、少年が拘置所で告白 公園暮らし、壮絶な生い立ち」

2015年09月04日 | 厳罰化
祖父母への強盗殺人、懲役15年の1審判決支持(読売新聞 9月4日)
埼玉県川口市のアパートで昨年3月、祖父母を殺害して現金を奪ったとして強盗殺人罪などに問われた当時17歳の少年(19)の控訴審で、東京高裁(秋葉康弘裁判長)は4日、懲役15年とした1審の裁判員裁判の判決を支持し、被告側の控訴を棄却する判決を言い渡した。


毎日新聞の「記者の目:埼玉・少年の祖父母刺殺事件」(2015年9月3日)を読み、ネットを見てたら、少年に拘置所でインタビューした「祖父母殺害、少年が拘置所で告白 公園暮らし、壮絶な生い立ち」というニュースがあり、むむむと思っていたので、高裁の判決には悲しくなります。
記事とニュースをまとめてみました。

2014年3月、埼玉県で祖父母を殺害し金品を奪ったとして強盗殺人罪などに問われた孫の少年(当時17歳)に、さいたま地裁は懲役15年(求刑無期懲役)を言い渡した。

少年は自治体や学校が存在を把握できない「居所不明児」として育った。
小学4年のときに別居していた両親が離婚、母親は知人男性から金銭的な支援を受けるかたわら、ホストクラブ通いを続け、1カ月帰宅しないこともあった。

5年生になると、母親はホストだという男性と再婚、3人で静岡県内へ。
学校に通ったのは2カ月間で、その後、住民票を静岡に残したまま埼玉県内などを転々とし、自治体も居場所を把握できなくなった。
両親は定職に就かず、金があるときはラブホテルに泊まり、なくなると公園で野宿。

14歳のとき、少年は役所に生活保護を求め、一家は簡易宿泊所に落ちつき、児童相談所が支援して、少年はフリースクールにも通い始めた。
しかし、2か月後、母親が「鳥籠の生活は嫌だ」と宿泊所を引き払った。
役所や児童相談所は少年の居所をつかめなくなり、支援も届かなくなる。
ささいなことで義父に殴られ、前歯が4本折れたこともあったという。

永山則夫のことや、反貧困ネットワークの会報に戸籍のない男性(30代)の話が載っていたことを思い出しました。
戸籍のない男性は、父親(パチンコで生活)と一緒に車であちこち移動していたそうです。

こうした子供たちはすごく多い。
戸籍がないから福祉などのサービスは受けられないし、学校に行っていないから仕事を見つけるのも難しい。

さいたま地裁の裁判員裁判の1審判決は、少年が実母から「殺してでも借りてこい」と祖父母への借金を指示されていたことを認めつつ、「借金を確実にするための言葉に過ぎない」として少年に懲役15年(求刑・無期懲役)を言い渡した。

少年が実母と義父からネグレクト(育児放棄)や身体的虐待などを長期間受けていたことを考えると、無期懲役を求刑するなんてあまりにも酷で、検察は何を考えているのかと思います。
弁護人は少年院送致を主張しているそうですが、少年の更生、再犯防止を考えると、そっちのほうがましだと思います。

少年は、学校での勉強だけでなく、ろくな教育を受けていないわけですから、どういうふうに育て直すか、そこを裁判では考えるべきだと思います。
刑務所に15年も入ったら出所するときには30すぎ。
刑務所から放り出して、後は自己責任で、ということなら、あまりにも無責任です。

被告人質問の他の場面では「大人は信じられない」と語った少年だが、誰かが助けてくれるかもしれないという期待を捨てきれずにいたように感じ、胸が痛んだ。
少年が言葉にできないままに発し続けたSOSに社会や公的機関が気づき、救えた機会はなかったのだろうか。取材を通じ、「大人、そしてこの社会は子どもたちにとって信じるに足る存在なのか」と、問いかけられているような気がしている。

母親は強盗罪などで懲役4年6月、服役中。
母親の責任は大きいわけですが、でも、この母親だけを責めていいものかとも思います。
母親にしてもどういうふうに育ったのか、虐待されていたり障害があったりするのかもしれないと思うようになりました。

『棠陰比事』(宋の時代に書かれた裁判記録集)にこういう文章があります。

思うに、裁きをなす者はあくまでもその無実を疑うべきである。罪人が無実を訴えなくても、急いで判決をくだしてはならない。

裁判官や裁判員に読んでもらい、事件の背景をよく考えるようにしてほしいです。

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布施勇如「アメリカにおける死刑の現状」

2015年07月08日 | 厳罰化

「FORUM90」VOL.142に、布施勇如「アメリカにおける死刑の現状」という講演録が載っていました。

アメリカでは死刑判決も死刑執行も減っている。
2014年に死刑を執行したのは7つの州だけ。
一審は郡(カウンティ)の裁判所でさばかれるが、死刑が存置されている州の郡全体の2%でしか死刑判決が言い渡されていない。
死刑判決も死刑執行も減っている原因の一つは、殺人率の減少である。

ここで思ったのが、日本の殺人件数、殺人率は1950年代が多くて(戦前の殺人率はもっと高い)、1966年の犯罪による死亡者数は3661人、殺人認知件数は2198人ですが、2013年の犯罪による死亡者数819人、殺人認知件数939人と3分の1程度にすぎないのに、なぜか死刑判決はどんどん増えていることです。

死刑判決は、
日弁連のHPには、1991年から1997年までの7年間と、2001年から2007年までとを比較すると、第一審で約3倍、控訴審で約4.5倍、上告審で約2.3倍になっているとあります。

殺人に限らず、犯罪が減っているのに、死刑判決が増えている理由は何なのでしょうか。
新聞を見てたら、こんな記事がありました。
少年法適用、18歳未満8割賛成
 毎日新聞が4、5両日に実施した全国世論調査で、選挙権年齢を「18歳以上」に引き下げる改正公職選挙法成立を踏まえ、少年法の適用年齢を「20歳未満」から「18歳未満」にすることへの賛否を聞いたところ、「賛成」との回答が80%に上り、「反対」は11%だった。(略)
今年2月に川崎市中1男子殺害事件で17〜18歳の少年3人が逮捕されるなど少年が関わった凶悪事件が相次いだうえ、6月には1997年に神戸市で起きた連続児童殺傷事件の加害男性が匿名で手記を出版して波紋を広げており、こうしたことが今回の結果に影響したとみられる。毎日新聞7月6日

自民党の稲田朋美政調会長は2月27日、「少年事件が非常に凶悪化しており、犯罪を予防する観点から、少年法が今の在り方でいいのか課題になる」と述べたそうです。
少年事件は減少傾向にあるし、殺人など凶悪犯罪も大幅に減っていることを、弁護士の稲田朋美氏は知らないとしたら勉強不足です。

どうして多くの人は厳罰を求めるのか。
その理由の一つとして知らないということがあると思います。

ある講演会で講師が「殺人が増えている。平気で人を殺す」とか、「親が子を殺し、子が親を殺す。昔はそんなことはなかった。今の日本はおかしい」といった話をしたら、みなさん、そうそうとうなずいていました。
いつ自分や家族が犯罪に巻き込まれるかもしれないという恐怖。
だからこそ、厳罰を求めるのでしょう。

もっとも、刑罰を厳しくすることによる犯罪予防効果は実証されていません。
稲田朋美氏のように治安の悪化を憂える人はこのことを知らないのかもしれません。
厳罰化を求めることは、自民党の文化芸術懇話会での言論統制発言にも通じるように思います。

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川名壮志『謝るなら、いつでもおいで』(2)

2014年12月17日 | 厳罰化

御手洗恭二さんと次兄は佐世保小6女児同級生殺害事件事件の被害者遺族として、加害者や加害者の家族に対してどういう感情を抱いているでしょうか。

『謝るなら、いつでもおいで』のエピローグで川名壮志氏はこう書いています。

この父子は怜美ちゃんを失った喪失感を、憎しみで埋め合わせようとはしなかった。

孫を殺された男性が「(加害者と)同じ空気を吸いたくないんだ」(『死刑』)と森達也氏に語っていますが、御手洗さん親子の気持ちはそれとは違うようです。

あの子に死んでほしいと思うかって? ひどいこと聞くね。とんでもない。僕と同じように娘を失うという苦しみを、あの子の家族に与えたくはないし。

御手洗恭二さんにどういう質問をしたのかわかりませんが、加害者の死を望んでいません。
厳しく罰すべきだという意見でもないらしいです。

少年法の厳罰化とか言われているけど、それはねぇ、僕にはわかんないんだよね。少なくとも厳罰化が、これから起こりうる事件の抑止力になるかはわかんない。


ちっちゃい子でもオイタをすれば、パチンとたたかれるっていう、一番低レベルの話からあるじゃない。じゃあ、殺人というオイタに見合うものって一体なんだろうか。それは、どういう意味なのか。それが僕にはわからない。
……結局やっぱりそこで、自分のやったことと向きあわせるってことがなきゃいけないのかな。

許しているわけではありません。

向こうの親からは月1回のペースで手紙がきてます。向こうの親も非常に苦しんでいると思う。でも、「だから許します」というほど単純にはならないんです。


では加害者がどうなることを望んでいるのか。

あの子がどういう風に生きていくのかということを、僕は被害者側から求めるべきではないとも思っているんです。本人が考えて、本人が生き方を選ぶしかない。

 

あの子にも、生きていれば楽しいことや嬉しいことがあると思う。それを否定する気はないんです。背負ってほしいけど、でも人生そのものは全うしてほしいというか。あの子への思いを聞かれると、それはいつも僕にとって、自己矛盾なんです。


次兄も加害者に対する憎しみや恨みを語っていません。

あの子を憎んでも仕方がない。何というか、こっちが疲れるだけですから。親父さんも軽々しく復讐とかは言わないですよね。
相手にウジウジと悩まれるのも嫌なんですよ。お互いにひきずりたくないというか。こちらも、今までのことを断ち切って前に進みたいという思いがある。諦めじゃなくて、結果として僕が前に進めるから、一回謝ってほしい。謝るならいつでもおいで、って。それだけ。
結局、僕、あの子に同じ社会で生きていてほしいと思っていますから。僕がいるところできちんと生きろ、と。

『謝るならいつでもおいで』という題名は次兄の言葉からとられています。

僕は彼女に仕事をして、結婚して、子どもを産んでほしいとも思っている。何の仕事であろうが、きちんと……。何でそう思うかと言われると、いつのまにかそういう結論に流れ着いた。「結局、自分が何事もなく生活を送るためには、それが一番いいんじゃないか」って。


こんなふうに言えるのは妹の死だからで、子供を殺された親の気持ちは違うと思う人がいるかもしれません。
兄弟との死別は軽く思われがちですが、それは誤解です。
悲しみをどのように表現するかは人それぞれですから、心の傷はまわりの者にはわかりません。

事件が起きた時、次兄は中3でした。
福岡に引っ越して高校に入学しますが、6月に退学、翌年、別の高校に入り、ギリギリで卒業します。
事件の後、次兄は父親を見て「余計な負担をかけてはいけない」と思い込み、「感情を殺しちゃった」と話しています。
警察や家庭裁判所も、学校の先生もスクールカウンセラーも、次兄には事件の話はしないし、聞くこともなく、「ああ、僕の話は聞かないんだな」とガッカリしたそうです。

あのころの僕に一番必要だったのは「話をすること」だったんじゃないか。事件の話。怜美の話。そういうのを話した方が、楽だった。自分の中にため込んでいる膿をはき出せるというか。話すことができれば、負担が軽くなる部分があると思うんです。



加害者の家族はどういう気持ちでいるのでしょうか。

要するに、あの子とあの子の家族はやり直しができるんですよね。でも、僕のところはやり直しができない。失ったまま。(略)
あの子の親だって、大変だと思うよ、本当にね。それでもやり直しができるということは、向こうにとっての「救い」だよね。もちろんそれはイバラの道かもしれないけど。

このように御手洗恭二さんは話していますが、加害者の父親はこんなことを語っています。

本当にマスコミの方と同じぐらいたくさん、宗教の方も来ました。仏教でもキリスト教でも、何でもいいから、救ってくれるならそれにすがりたいんですけどね。そうできるなら、のどから手が出るほどそうしたいんですけども、それはできない。ずっと悩んでいくしかないと思います。

 

テレビなんかで、家族そろってご飯を食べる和気あいあいとしたシーンがありますよね。あぁ、うちの娘がいればなってフッと思うんです。
でも、ちょっと待て、御手洗さんはそういうことも考えられないんだって、我に返るんです。そうすると、どうしていのか、わからなくなる。一生そんな風に考え続けるんだろうな、ついて回るんだろうなって思います。自分の子育てが間違っていたんじゃないかと思う。すべてのことに自信をなくしてしまいました。

やり直しができるのだろうかと思いました。

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