三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

「葬儀は近親者で営んだ」

2015年11月26日 | 仏教

原節子さんが亡くなりました。
新聞には「葬儀は近親者で営んだ」とあります。

新聞の死亡記事(お悔やみ欄)を時々見ます。

社長、教授、芸能人、小説家、政治家といった有名人でも、「葬儀は近親者で営まれた」「葬儀は近親者のみで執り行われる」などと書かれてあることが多いです。
「営まれた」ということは、人には死んだことを知らせていないのでしょう。
今は葬式のほとんどが家族葬だし、親戚や近所の人にも死んだことを知らせないようです。

ある葬儀会館は、広い式場がいっぱいになるような葬式がないので、わざわざ新しく建て直して、式場を小さくしたそうです。(葬儀会館を新築するのに何億円もかかるだろうに、それでも採算がとれるところがすごい)

60年安保闘争に関わる過程で友人に裏切られたと感じた歴史学者の上原専禄は、妻の死を契機に、息子にも行き先を告げずに、娘とともに行方をくらまして隠遁し、「おれの死んだことはだれにも知らせるな」と娘に遺言しました。
娘は上原専禄の遺骨を苔寺に埋め、3年7か月後に公表しています。

東京では3割が直葬だというのですから、上原専禄ほど徹底はしていないにしても、死んだことを誰にも知らせない人は今や珍しくないわけです。


なぜ直葬が選ばれるのか、島田裕巳『0葬』は直葬専門の葬儀社社長の説明を紹介しています。

1,経済的な事情により、葬儀費用がない人。
2,身寄りのない遠縁が亡くなり葬儀を引き受けることになったが、お金をかけたくない人。
3,過去に父母などの葬儀に高い金を支払ったことがあり、今回は簡素に済ませたい人。
1が4割弱、2が4割強、3が2割。
以下、島田裕巳『0葬』からの引用。

葬儀の費用は2007年の調査では平均231万円(葬儀社への支払い、飲食接待費、寺への布施、香典返しなど)。

2010年の葬儀費用の平均は199万8861円。3年間で1割以上下がった。(もっとも、参列者は香典を持ってくるので、遺族が全額負担するわけではない)
世界の葬儀費用は、1990年代前半の調査では、アメリカ44万4000円、イギリス12万3000円、韓国37万3000円。
1995年の東京都での調査では、葬儀での寺への支払額の平均は63万8000円で、約70%は75万円未満、100万円以上は20%。
2010年、葬儀の寺院費用の全国平均は51万4000円。

墓の永代使用料と墓石とを合わせた費用が高いのは、東京都が278万3000円、茨城県が233万円、大阪府が209万6000円で、もっとも安いのは大分県の92万4000円。

墓石の購入費用は、2010年の全国平均165万2000円とあり、上の調査と数字が合わないように思います。
骨壺に入った遺骨を自宅に置いたままという家が増え、およそ100万柱の遺骨が自宅にあると言われている。

ということで直葬が増えている、葬儀も墓も不要だというので、島田裕巳氏は0葬を勧めているわけですが、お金だけの問題ではないように思います。
他者との関係を切って死んでいくことへのあこがれみたいなものがあるような気がします。


ベント・ハーメル『1001グラム』では、ノルウェー国立測量研究所に勤める女性の父親が死に、この父親は測量学者らしく学界では名の知れた人なのに、父親が火葬にしてほしい、儀式はしないと言ってたので、葬儀はせず、骨は母親の墓の隣に埋めます。

父親はパリで開かれる学会に出席する予定でしたから、人づきあいをやめて隠遁しているわけではありません。

約900人の臨終について書かれた山田風太郎『人間臨終図鑑』の「上原専禄」の項に、「自分の死をも他人にかくしたい希望の持ち主は意外に多いのではあるまいか」とあります。

死んでいく人はそれでいいでしょうが、残された者としてはどうなのか。
『1001グラム』でも、家族がいなくなって「周りにあるものがすべて壊れていくみたい」と言う主人公は、長年会っていない父の弟の姿を探します。
消えるように死んでいきたいという気持ち(一人称の死)は私にもありますが、身近な人の死による不在(二人称の死)を当然のことだとして簡単に割り切ることはできないように思います。

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帚木蓬生『ギャンブル依存国家・日本』(3)

2015年11月18日 | 

2007年、橋下徹大阪市長がカジノ構想をぶち上げたとき、そんなのできたらろくなことにはならないのではと思いましたが、帚木蓬生『ギャンブル依存国家・日本』を読み、その意を強くしました。

アメリカ以外の国のカジノは、自国民への被害を防ぐために、地元の人間はカジノにはいれないようになっている。
ヨーロッパのカジノの外観は全く目立たないように規制されており、中にはいっても、静寂が支配している。

ところが、日本ではギャンブルを総合的に統轄する機関がなく、無法地帯に他ならない。

パチンコ店は規制などどこ吹く風で、テレビや新聞で広告し、建物は派手で、夜には空に向けてビームが放たれ、店内では音と光は耳をつんざくようである。

勝ったときの記憶のみを強化する方策に精通しているのが、パチンコ店です。勝ったときは、光の洪水になり音が響き、否応なく勝者が興奮する仕掛けになっています。反対に負けたときに、電流が流れるような仕組みであれば、負けの記憶こそが残り、誰もギャンブルをしなくなるのにと、私はいつも思います。

託児所を完備している店、買い物帰りの主婦が生鮮食品をいれておけるよう冷蔵庫つきのロッカーを設けている店、ATMを設置している店。

2014年、「時代に適正した風営法を求める会」という、パチンコ店内での換金化を立法しようという国会議員が集まった会の発起人集会があったし、カジノ法案の成立をめざす「国際観光産業振興議員連盟」には206名の国会議員が名前を連ねている。
こんな議員たちは全員落選させるよう運動すべきだと思います。

カジノ解禁の目的は、経済効果と雇用創出で、金さえもうかればいいのかという話ですが、実際にはうまくはいかない。

アメリカのアトランティックシティでは、観光客はもくろみよりも少なく、落ちる金もわずか、逆にカジノ維持のための社会的な費用が増え、税金はむしろ高くなった。
周辺の商店街は次々と閉店し、カジノの周辺はゴーストタウン化した。
犯罪発生率がアメリカでトップになり(それまでは50位)、児童虐待は増え、青少年の逮捕者が多い地域となり、乳児死亡率も十代での妊娠率も州で一番高くなった。
マカオや韓国の江原でも事情は同じ。

カジノを誘致しようとする大阪市はJRや地下鉄の延伸を考えているが、工費は5000億円以上かかり、インフラ整備で財政赤字が膨らんでいくことは間違いない。

大阪市議会は今年6月、IR(カジノを含む統合型リゾート)の調査費7600万円を3千万円に減額修正したとのことで、お金だけはどんどん使っているわけです。

他の先進国にカジノがあって、日本だけにないのはおかしいという理屈は通じない。

パチンコ店は全国に約1万2000店ある。(ローソンの店舗数が1万1000、セブンイレブンが1万7000)
パチンコ店のギャンブル機器の数は約460万台で、全世界のギャンブル機器の総数が720万台だから、およそ3分の2が日本に存在する。
外国にはパチンコも競輪も競艇もオートレースもなく、日本はすでにギャンブル王国なのだから、カジノを作ればギャンブル地獄になる。

それなのに、厚労省や精神医学界からはカジノ法案反対の声は上がっていない。

厚生労働科学研究費補助金を受け、障害保険福祉総合研究事業の一環として、ギャンブル障害の研究班が立ち上がったのが2007年、帚木蓬生氏を含む20人弱の研究協力者が集められた。
この研究班の目的は、将来カジノを創設した際、どういう害が出るかを探るためだった。
ところが、ギャンブル対象としてパチンコ・スロットが除外されていた。

カジノ法案なんて、金さえ儲かればいい、自分さえよければどうなろうと知ったことか、という話で、かつて経済成長を第一として公害問題を放置していたことを思い出します。
それにしても、橋下市長は政界引退を明言したのに、大阪維新の会という政党を作るそうで、こんなに発言がころころ変わる人とその一党を支持する大阪市民とは不思議な人たちだと思います。

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帚木蓬生『ギャンブル依存国家・日本』(2)

2015年11月14日 | 

国民がギャンブル地獄だと感じていないのは5つの不作為が働いているからだと、帚木蓬生『ギャンブル依存国家・日本』は指摘しています。

 ①政府を含めた行政
DSM-5(精神障害の診断と統計マニュアル第5版 2013年)が嗜癖をもたらす原因としてギャンブルと並置した物質は、アルコール、カフェイン、大麻、幻覚剤、鎮静剤・睡眠薬・抗不安薬、興奮剤、タバコなどがある。
これらの嗜癖物質は、カフェインを除いて、何らかの使用規制が加えられ、タバコやアルコールの販売には企業が危険性を警告する義務がある。
ところが、日本ではギャンブルだけが野放しにされ、国が主体となってギャンブルを展開し、嗜癖患者を生み出している。

2013年、兵庫県小野市で、生活保護費や児童扶養手当をパチンコ・競輪・競馬などに費消するのを禁じ、そうした例を発見した市民に通報を求める条例が成立した。

まずこうしたギャンブル症者に対する相談事業や、治療の勧め、さらには予防と啓蒙に努めるのが、市の役目ではないでしょうか。ここに行政のギャンブルに対する不作為があると思うのです。その対策をやらずして、ギャンブル障害のありそうな生活保護者を通報しろ、では無責任と言えます。(略)
そんなやり方でギャンブル障害がやむと思ったら大間違いです。食事は切りつめても、万難を排してギャンブルをしたいというのが、ギャンブル症者の常です。罰するだけでは何の解決にもならず、治療と予防のために体制を整えることが、先決なのです。

しかし、国がギャンブルの胴元になっているから、積極的に予防しようとはしない。
それどころか、各省庁は公営ギャンブルの宣伝にうつつを抜かしている。

2013年、大阪市立体育館で開かれたフィギュアスケートの四大陸選手権大会では、リンクの壁には某大手のパチンコ店の名前が堂々と書かれていた。
この宣伝を許したのは大阪市当局で、市の言い分は、借主が日本スケート連盟(橋本聖子会長)であり、そこが仲立ちになって広告を受け入れたという。

最近まで大阪の市営地下鉄では、車両全体が大手パチンコ店のラッピング広告で覆いつくされていた。
2012年、市民オンブズマンの中止を求める訴えを大阪市が無視し続けたので、市民団体は裁判を起こしたが、大阪市は広告は継続すると主張、差し止め請求の棄却を求めた。
結局、パチンコ店と広告会社が撤去の意向を示したが、大阪市は非を認めていない。

2011年、厚労省の研究班がギャンブル障害の有病率が男性9.6%、女性1.6%だと結論づけたとき、この数字を公表しなかった。

厚労省がギャンブル障害の対策に乗り出せば、ギャンブルを仕切っている各省や警察庁、公安委員会にもの申さざるを得なくなるから、事無かれで黙認していると、帚木蓬生氏は推測しています。

 ②警察
パチンコにはまって借金まみれになった人が起こす犯罪(多くは横領、詐欺)が毎月のように起きているにもかかわらず、警察はギャンブルが原因だとは公表せず、ただ借金があったようだとしか言わない。

 ③メディア
犯罪の裏にギャンブルがひそむことを記事にしないし、タバコやアルコールのCMは規制しても、パチンコのCMは朝から晩まで垂れ流す。
メディアもギャンブル業界から流れる広告費にどっぷり浸かっているから、業界と行政や警察の癒着に批判を加えないのかもしれない。

 ④精神医学界
ギャンブル症者はアルコール症やネット依存、統合失調症や認知症の患者数よりも多いから、精神医学界はギャンブル障害の恐ろしさを訴え、治療よりも予防が大切だと訴え、対策に取り組んでもいいはずなのに、政府の施策に異議申し立てをいない。
薬のない病気は存在しないように扱うのが精神科医の癖になってしまっており、精神医学界は本腰を入れて研究や治療に取り組まない。

 ⑤法律家
ギャンブルによる借金は応々にして債務整理に結びつくから、ギャンブルによって多重債務者が生じていることを法律家は知っているのに、声をあげない。
債務整理に関与する弁護士や司法書士が、精神科に相談したほうがいいとか、GAに行くようにと、治療に対して助言することはまずない。

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帚木蓬生『ギャンブル依存国家・日本』(1)

2015年11月08日 | 

ギャンブル依存症者の話を聞く機会があり、ほお~と思ったのですが、帚木蓬生『ギャンブル依存国家・日本』を読むと、ギャンブル依存症は依存症者個人の問題にとどまらず、ギャンブル依存の問題を放置している政府・行政、メディア、精神医学界などにも責任があることがわかります。

 1 ギャンブル依存症の現状
2014年、成人の依存症を調査している厚労省の研究班によると、ギャンブル依存の有病率は4.8%(男8.7%、女1.8%)で、日本には536万人のギャンブル依存症者がいる。
アメリカは1.6%、香港は1.8%、韓国は0.8%と、日本よりずっと少ない。
ちなみに、ネット依存は421万人、アルコール依存が109万人。

帚木氏の診療所を訪れたギャンブル依存症者100人(男92人、女8人)の報告。

ギャンブルの開始年齢 平均20.2歳
借金の開始年齢 平均27.8歳
精神科に相談にくる年齢 平均39.0歳
受診するまでの20年間につぎ込んだ金額 50万円~1億1000万円(平均1300万円)
ギャンブルの種類 パチンコ、スロット、パチンコ・スロットがらみが8割強

 2 依存症とは

ギャンブル障害は精神疾患であり、自分の意思ではやめたくてもやめられない。
脳内の報酬回路は、Aという行為をすれば、Bという利益が得られると学習して、利益に結びつく行為を強化していく。
人の脳内報酬回路は2つあり、一つは衝動的な報酬回路、もう一つが思慮的な報酬回路。
2つの回路はうまく補完し合って、人間の行為を調節している。
ところがドパミンが過剰になると、衝動的な報酬回路が優位になり、今すぐの利益と興奮を求めての行動に走り、そんなことをすれば大変な損失を蒙るという考えは吹き飛んでしまう。

ギャンブルによるハラハラドキドキの期待感や危機感で、神経伝達物質ドパミン優位の脳になると、簡単には元に戻らない。

アメリカでは依存症者について「一度ピクルスとなった脳は、二度とキュウリには戻らない」と言うそうで、帚木蓬生氏は「一度たくあんになった脳は、二度と大根に戻らない」と言い換えています。

アルコール依存症の離脱症状は1週間程度なのに、ギャンブルの離脱症状はひと月、ふた月にわたって続く。

はまり込むにつれて多少の金額を賭けるのでは興奮せず、次第に大金を賭けるようになったり、本命に賭けるのではおもしろくなくなり、穴狙いになる。

判断能力を失い、ウソと借金を重ね、家族を崩壊させ、犯罪へと走る。

ギャンブルによる犯罪事件は横領、窃盗、幼児の車内放置、そして殺人など。
帚木蓬生氏が列挙しているパチンコ・スロットがらみの殺人事件は2009年は25件、2010年は20件。

シベリアに抑留された軍医の回想記を帚木蓬生氏は引用しています。

将兵たちは手製で花札をつくり、日々のなけなしの食糧を賭け始めたのです。ソ連軍から支給される黒パンだったり、スープだったり、丸々1食分だったりしました。ある兵士は、続けて何食分も負け、とうとう餓死したというのです。

食糧をまきあげて死に至らしめるというのもすごい話で、相手もギャンブル依存だったんでしょう。
「ギャンブルやめますか? それとも人間やめますか?」とキャンペーンしてもいいくらいです。

 3 利権

なぜ日本ではギャンブル依存が多いのか、行政はどうしてギャンブル依存の対策に取り組もうとしないのでしょうか。

日本でのギャンブル禁止の最初の記述は『日本書紀』で、689年のこと。

その後もたびたび禁止令が出され、罰則も厳しくなる。
ところが、国家によるギャンブルの統制が敗戦後に一挙に崩れ、政府は自らが胴元となって公営ギャンブルを展開した。
敗戦の2か月半後に政府は宝くじを発行し、競馬が1946年、競輪が1947年、競艇が1951年に始まる。

日本には公営ギャンブルは競馬、競艇、競輪、オートレース、スポーツ振興くじ(トトなど)、宝くじの6種ある。

公営ギャンブルの総売り上げは約5兆3000億円。

国家自体がギャンブル依存に陥っているのです。


公営ギャンブルはさまざまな省の所轄下にあり(競馬は農水省、競艇は国交省、競輪とオートレースは経産省、宝くじは総務省、スポーツ振興くじは文科省が監督官庁)、官僚の天下りと横すべり先を含む権益を持つ。

公営ギャンブルが儲かってばかりかというと、そうではない。

軒並み赤字なので、客離れをとめるためにギャンブル性を高めて客を集めようとして、逆に客足を遠のかせている。
赤字だからといって、廃止するにも巨額の費用がかかる。
荒尾競馬場の場合、失職する調教師などへの補償金、競馬場の解体費用、委託先との契約解除金などで、精算には30億円から40億円かかると見積もられている。
なのに、特殊法人の給料は国家公務員に比べて高い傾向があり、JRAの給与水準は国家公務員と比べると4割増。

パチンコ店の監督官庁は警察庁で、パチンコ業界の関連組織は警察OBの天下り先となっている。

警察は天下りを含めた自分たちの権益を確保したいので、パチンコ店が出玉を換金しないからという理由で、パチンコ・スロットをギャンブルとみなさない。

パチンコ店の年商は19兆円から20兆円だから、マカオの年間売り上げ約4兆7000億円の4~5倍。

20兆円はトヨタの年商に匹敵し、全国の百貨店の年商は6兆2000億円。

パチンコ・チェーンストア協会の政治分野アドバイザーを務めている国会議員が43名いる。(2014年10月現在)

パチンコ業界の関連市場は、液晶市場、セキュリティ市場、空気清浄器市場、コンピュータシステム関連市場など、そして広告業界、テレビや新聞といったマスコミもパチンコ店の広告収入をあてにする。
こういう構造になっているから、何ら対策を講じないというわけです。

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小熊英二『日本という国』(2)

2015年11月04日 | 戦争

小熊英二『日本という国』は、明治維新以降の日本の歩みを敗戦の前と後とで分けていますが、戦後はさらに冷戦終結で大きく変わっています。

韓国、台湾などのアジアの独裁政権が倒れて民主化が行われ、ソ連が崩壊して冷戦が終わった1990年代以降、日本のあり方は変化をせまられた。

1990年代になってから戦後補償問題が浮上したのはそれなりの必然性があった。

アジア各地の政権が日本に遠慮する必要がなくなり、独裁政権に押さえつけられていた戦争被害者の声が表に出て、日本政府に補償をもとめる訴訟が相次いだのである。
日本政府はアジアの民間からの補償要求には「国家間では解決済み」と主張するが、シベリア抑留問題では「国民個人からの請求権まで放棄したのではない」と、矛盾した表明をしている。

日本の保守政治家が「日本の誇りをとりもどす」といいながらやっていることは、あまり賢明とはいえない。

「中国や韓国の抗議に屈するな」とかいって、靖国神社に参拝する。
歴史教科書を書きなおして、アジアに「侵略」していないと言いはる。
「アメリカから押しつけられた憲法をやめて自主憲法をつくろう」という名目で、第九条を改正して「自衛軍」を海外派遣できるようにしようと主張する。

まず靖国問題だが、1972年の日中共同声明で中国は賠償請求をとりやめたが、中国民衆の不満が大きかった。

これに対して中国政府は、日本の軍国主義者が悪かったのであって、民衆は被害者だ、軍国主義者は東京裁判で裁かれたのだから、日本の民衆と仲良くしなければいけない、という建て前で、民衆の不満を押さえようとした。
ところが、A級戦犯を合祀した靖国神社に首相や大臣が参拝に行くと、「悪かったのは軍国主義者で、民衆は被害者だ」という中国共産党の建て前がぶちこわしになる。
だから、中国政府としては靖国参拝に抗議せざるをえない。

憲法を改正して軍隊を持つことだが、1999年、アメリカの世論調査で、アメリカ軍が日本に駐留している目的を尋ねたところ、「日本の軍事大国化防止」と答えた人が49%、「日本の防衛」と答えた人は12%だった。

アメリカ政府も「安保条約で在日米軍がいるのは日本を軍事大国にさせないため」と、アジアの国に言ってきた。
憲法9条を変えたら、アメリカの世論からも反発されるだろう。

靖国神社公式参拝や9条の改正などをすれば、アジア諸国との関係は冷えこむ。

そうなれば、冷えこんだアジア諸国とのあいだを取りもってもらうために、日本はますますアメリカに頼るしかない。

冷戦終結後に表れたもう一つの変化は、アメリカの自衛隊を海外に派遣しろという対日軍事要求が強まったこと。

アメリカ軍は1995年までに国内の大型基地を約100か所ほど閉鎖し、ドイツや韓国でもアメリカ軍の撤退が決まったが、在日米軍とその基地はほとんど減っていない。
なぜかというと、在日米軍の基地は駐留経費の約7割(米軍基地の日本人従業員の労務費、基地の光熱費、施設整備費など)を日本が負担しているので、アメリカ国内に基地をおくより、日本に軍隊を駐留させるほうが安上がりだからである。
2003年は日本駐留の米兵一人あたり年間約12万ドルで、駐留米軍が一番多いドイツでも駐留米兵一人あたり年間約1万ドル、韓国は約2万ドル。

1997年の新ガイドラインの特徴は、周辺事態に対処するものとされている。

世界のどこであろうと、「日本の平和と安全に重要な影響を与える」と判断された事態が起きれば、日米の軍事力が協力することになるから、事実上、アメリカがとる軍事行動はすべて周辺事態になる。
アメリカが戦争をするときには、必ず同盟軍と連合を組んで一緒に闘うというかたちをとるので、ベトナム戦争における韓国軍みたいに、自衛隊がアメリカ軍の補助軍として戦闘に参加することになる。

戦争するにはお金がかかる。

イラク侵攻後の戦争作戦では約2510億ドル、さらに一か月ごとに約60億ドルもアメリカ政府は支出しており、経済学者の試算だと、イラク戦費は最大230兆円。
自衛隊がアメリカ軍といっしょに世界各地で戦闘するようなことになったら、戦死者が出なかったとしても、日本の財政はどうなるだろうか。

戦後の日本は、アメリカの方針にしたがいながら、アジアへの戦後補償を安上がりにすませて経済成長した。そしてアメリカ軍に基地を提供し、自衛隊をつくってアメリカのいうままに海外派遣するまでにいたった。

アメリカとの関係さえよくしておけば、アジア諸国との関係はなんとかなるというやり方が、これからも通用するのかと、小熊英二氏は疑問を呈しています。

以下、私の感想です。

冷戦終結でアメリカの要求は変わったけど、基本的に戦後の日本はアメリカの言いなりで、集団的自衛権、安保法制もこの流れにあります。
10月18日、安倍首相は現職首相として初めてアメリカ軍空母に乗艦したことを、保守ブログでは喝采してますが、アメリカにどこまでもついて行きます、という表明のように私は思います。
安保法制に賛成する人は、中国が尖閣諸島に攻めてきたらどうするのか、と言います
が、アメリカが日本のために動いてくれる保証はありませんし、南沙諸島で中国とアメリカが衝突すれば、自衛隊は知らん顔はできません。
沖縄の小学生が米兵に強姦され、加害者の3人が日本側に引き渡されなかったとき、米軍基地への抗議行動をするような日本の保守や右翼はほとんど見当たらなかったと知人のインド人に話したら驚いていたと、小熊英二氏は書いています。
どうして保守や右翼までもアメリカべったりなのか不思議です。

もう一つ不思議に思うのが、保守ブログの中には、皇太子夫妻、さらには天皇皇后までも非難したり、からかって笑いものにしているものがあります。

右翼は主張が異なっていても、「天皇万歳」で一つにまとまると鈴木邦男氏が書いていますが、ネトウヨの皇室批判をどう考えたらいいのでしょうか。
護憲発言が気に入らないのかもしれませんが、でもなぜか秋篠宮夫妻には好意的なんですね。
山折哲雄氏や八木秀次氏のように、忠臣づらして秋篠宮が後継者となるべきだと主張する人たちはお家騒動を起こそうとしているんでしょうか。

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