三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

「べてるの家の当事者研究について」1

2011年09月28日 | 映画

「べてる楽会in広島」に行ってきました。
9月21日と24日に開かれると新聞に出てて、21日はミケランジェロ・アントニオーニ『赤い砂漠』が映像文化ライブラリーであるので、24日を申し込んだ。

『赤い砂漠』だが、予想どおり眠たくなる映画だった。
観客はほとんどが65歳以上(入場無料)の人で、終わると「つまらんかった」「さっぱりわからん」の声あり。
ミケランジェロ・アントニオーニは1960年代にカンヌ、ベネチア、ベルリンの世界三大映画祭で最高賞をとっている、たぶん世界でただ一人の映画監督である。
『情事』は1962年度キネマ旬報ベストテンで読者男、読者女の1位で、一般の人も高く評価していたわけだ。
だけど、私はミケランジェロ・アントニオーニのどこがいいのかわからない。


『赤い砂漠』の主人公(おなじみモニカ・ヴィッティ)は交通事故のショックで精神病院に入院したり、自殺未遂をしたりと、精神的に立ち直れない。
「これまで一貫して“愛の不毛”を描いてきたが、この映画ではそのテーマをさらに押し進め、“人間関係の不毛”を描いている」と評されるが、要は生きづらさに苦しんでいるわけである。
60年代には主人公の苦しみは多くの人に共感されたのだろうが、私にはだからどうしたとしか思えない(おそらく65歳以上の観客の多くも)。
たとえば、子どもが歩けなくなるので心配するが、実は幼稚園に行きたくないので歩けないふりをしただけだったとわかる。
映画ではそれだけのことだが、説明を読むと、主人公は子どもに「裏切られた思いだった。息子でさえ自分を必要としない」と思って深く傷ついたそうだ。
人は些細なことでも傷つくことがあり、その傷の深さは他と比べるべきではないけれども、それにしてもなあと思う。

一方、べてるの家の人たちの話を聞いてたら、「そうそう、わかる、わかる」と苦笑いしてしまう。
たとえば、べてるの家の亀井さんは、声をかけてもらったとかうれしくなったことがあれば、それをメモし、部屋に帰ってから、メモをにやにや見ながら一人で楽しむ。
わざわざメモを取る人はあまりいないだろうけど、孤独だと感じていて、声をかけられるなどしたらうれしく思って元気の出る人は少なくないはずだ。

万能川柳からいくつか。
鬼でも来い独り暮らしはもう飽きた 福士正和
老い一人退院ですよに喜べず 奥村トキ
さびしいと言えず気楽と笑ってる 渡辺次夫
亡夫の靴へふと足入れてみたくなり 中島節子
「ごはんよ」と呼ばれることのありがたさ 佐藤江里子

コメント (10)
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べてるの家 6 「個人苦」から「世界苦」へ

2011年09月25日 | 

向谷地生良氏の言う「「個人苦」が「世界苦」へ広がる」ということ。
他人の苦しみ悩みを共有できるということは、苦しみ悩みはその人個人だけのものではないからである。
「個人苦」が「世界苦」へとは、私の苦しみ悩みが私個人の苦しみ悩みではなく、みんなの苦しみ悩みだったという発見である。
これは、アジャセの苦しみはアジャセ個人の問題ではない、一切衆生の問題なんだ、ということと同じだと思う。

苦しみ悩みを自分一人で抱えていたら、そうはならない。
自分一人ではなかったという気づきは「弱さの情報公開」によって得られる。
中途失明の方がこんな話をされた。

目がどんどん悪くなったころは、恥ずかしいとか、みんなから嫌われるのではと思って、近所の人や友だちに「見えなくなった」とは言えませんでした。
そして、弱音を吐いてはいけない、自分でしなくてはと思うんですが、できないので落ち込むことを繰り返しました。
「実はこうなんです」と言えるまでは、もがき苦しみ、家にこもっていました。
そのころが一番つらかったです。
ところが、「実は目が見えなくなって」と人に話せるようになったら、自分の心がだんだん開いてきて楽になってきました。
人からも「何かお手伝いできることはありませんか」と声をかけてもらえるようになりました。
そして、同じ病気の人の集まりに出るようになると、いろんな人との出会いが生まれるし、さまざまなことを教えてもらいます。
そうやって少しずつ見えなくなったことを受け入れていくようになりました。
だから、つらいことを自分の中にため込んではいけないと思います。
みなさん、段階があって、障害を隠そうとして家に閉じこもり、一年ぐらいで外に出るようになれば、十年かかる人もいます。
これではダメだ、助かりたいと自分が思わないと、まわりの人がいくらあれこれアドバイスをしても意味がないのですね。

そういう話だった。
悩み事を人に隠し、自分一人で何とかしようと抱え込むことはよくある。
病気以外でも、子どもの不登校や非行、ひきこもり、夫の暴力、依存症などなど。
ところが、「弱さの情報公開」はつながりを作る。
「「弱さ」という情報は、公開されることによって、人をつなぎ、助け合いをその場にもたらします。その意味で、「弱さの情報公開」は、連携やネットワークの基本となるものなのです」
(向谷地生良・浦河べてるの家『安心して絶望できる人生』)
不登校だったら、不登校の親の会やフリースペースがあるし、依存症や摂食障害などは自助グループがある。
そこでは自分の抱えている問題=弱さを公開できる。
子どもがイジメにあって悩んでいるお母さんが、不登校の子どもを持つおかさんに、「ええね。不登校だったら横のつながりが増えて」と言って、悩み事を打ち明けたという話を聞いた。

自己分析を一人でやると、堂々巡りになるし、自己憐憫に陥る。
しかし、協力者がいる、発表する、聞いてくれる人がいる、共有してくれる人がいたら生きていける。
どうにもならないのに、自分が何とかしなくてはとあがいているから、道が開けない。
お手上げになったことを認め(機)、「助けてくれ」とまかせば(法)、救いの道は開かれるように思う。
ただし救いとは、問題が解決して楽になる、ということではなく、問題はそのままだが楽になることらしい。
吉野さん「そこで見えてきたのは「誰にも〝サトラレ〟ない、必要とされていないという絶対的な孤独感、孤立感」である。つまり、〝吉野雅子〟は、自分という存在を、誰かに「サトラレ」てほしかったのだ。「サトラセ」たかったのだ」という気づき(信知)。
虚しさガールズ「失敗だらけの人生で、自分を責めるのが得意技だけれど、これまでの人生経験が何よりの宝であり、お金には変えられない資本である」という受け止め(信受)。

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べてるの家 5 生きづらさ

2011年09月22日 | 

べてるの家のあり方は当事者中心であり、支援者は上から支援するのではなく、自らが降りていく。
向谷地生良氏は「降りていく生き方」をポール・ティリッヒの「ソーシャルワークの哲学」という小論から学んだという。(向谷地生良・浦河べてるの家『安心して絶望できる人生』)
ティリッヒは「人を愛するという営みは、困難に陥っている人を「引き上げる業(わざ)」としてあるのではなく、そのなかに「降りていく業」として現されなければならない」と説いているそうだ。
本田哲郎神父もティリッヒから影響を受けたのだろうか。

この「降りていく生き方」は戸塚宏氏と対照的である。
戸塚ヨットスクールでは本人の意志とは関係なく、上から引っ張り上げようとする。
 苦しみ悩みを解決できる人
   ↓支援
 苦しみ悩む状態にある人
その人の抱えている問題を自分の苦しみ悩みとして共有しなければ、「降りていく生き方」はできないと思う。

向谷地生良氏はこうも言っている。
「当事者研究の持つ力の一つに、「個人苦」が「世界苦」へ広がる経験を当事者がするということがあると思います。当事者の感じる孤立感の一つに、自分の抱える生きづらさが、周りの人との間で共有されないという苦しさがあります」
なるほど。

まず、生きづらさが共有されない苦しさということ。
斉藤道雄『治りませんように べてるの家のいま』に、浦河弁といって、べてるの家で生まれた言葉を紹介している。
その一つが「お客さん」で「頭のなかに浮かぶネガティブな思考全般のこと」である。
たとえば、「みんなは自分のことをきらっている」とか「自分はダメな人間だ」「人が自分の悪口を言っているのではないか」「仲間から非難されている」といった疑念、思い込みが「お客さん」で、そんな思いが頭に浮かぶと「お客さんがきた」とか「お客さんが入った」という。
私も「お客さん」が来ます。
たとえば、私はカウンセリングスクールに一年半かよって挫折したのだが、それは自分の嫌なところが見えてきたり、講師に私の心を見透かされている(サトラレですね)と思ったりしてしんどくなった、ということがありました。

他人が自分をどう思っているかを気にしすぎると身動きがとれなくなる。
鈴木さん「自分のきょう、あそこがダメだったここがダメだったって、すごい責めだして。で、いまのあたしにだれかマルをつけてほしいってなって。それがかなわないから、なんかダダこねちゃって」
人が自分のことをどう思っているか、そんなこと気にしなければいいわけだが、生きるのが下手な人は簡単に気持ちの切り替えはできないし、忘れることもできない。
こうなると人間との関わりが苦になる。

こうした生きづらさとは精神障害者だけの問題ではない。
萱野稔人氏は『「生きづらさ」について』の中で、「生きづらさ」は二つのレベルで生じると言う。
一つは物質的なレベル、金がないこと。
もう一つはアイデンティティのレベル。
「つまり、社会からまともに扱われない、自分の存在を認めてもらえない、居場所がない、といった状態です」
たとえば、場の空気を読むということ。
いじめが起きるのは、
「空気を読み合うことで生まれる重圧をなんとか解消しよう」とするためだと萱野稔人氏は言う。
「いじめられないためには、空気を読んで、うまくたちまわらないといけない。これってたぶん、いじめだけでなく、いまの社会生活のどこにでも当てはまることですよね」
雨宮処凜氏も「自分以外の誰かがターゲットになっていじめが始まったら、一気にその場の緊張感がゆるむというか、やっとみんなホッとする」と言う。
「合コンなんかでいじられキャラがいると初対面での緊張感がなごみやすい」

萱野稔人「日本人がむこう(パリ)でフランス人と話すと浮くんですよ。どうしてかというと、気を遣い過ぎるからです。たとえば過剰に笑みをたたえていたりとか。(略)相手が不愉快にならないように気を遣い過ぎて、逆に空回りしてしまう」
気をつかいすぎで生きづらくなるのは日本特有なのかもしれない。
萱野稔人「空気を過剰に読んで、まわりに過剰に配慮する、というコミュニケーション能力が、それだけこの社会では要求されているってことです」
そして、孤立する。

近藤恒夫『薬物依存を越えて』に、
「依存症は〝孤独感がもたらす病〟でもある」とある。
「依存症者とは相手との距離感を適切にとることが苦手な人のことである。依存すべきときに依存ができず、依存してはいけないときに依存してしまうのが依存症者の特徴で、それゆえ彼らは常に対人関係にストレスを抱えていることになる」
孤立すれば、苦しみ悩みを一人で抱え込むことになる。
その人たちの中には、アルコールや薬物に依存する人がいれば、幻聴さんに依存する人もいるというわけである。

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べてるの家 4 「幻聴さん」依存

2011年09月19日 | 

「治さない医者」である川村敏明医師はこう言っている。
「私が感じるのは当事者研究をやりはじめた人たちは、いわゆる、あまり治そうとしなくなってきたという感じがするね。(略)それまでは健常者を目標にしてとか、あるいは医者がどう見ているとか、病気以外の人たちを基準にしてものを見て判断して頑張ってきたんじゃないかな。そうすると、それに応じて医者も病気の症状があるとそれを少しでも減らさなきゃいけないんじゃないかとがんばってしまう」
(向谷地生良・浦河べてるの家『安心して絶望できる人生』)
医者と病人が病気を治す気がないとは、何を考えているのやらと感じるのが常識。
でも、どうなることが「治す」ことなのか。

病気と健康、どっちがいいかとなると、普通は答えは決まっている。
ところが、統合失調症や鬱などの症状が回復した後は自殺率が高まるそうだ。
向谷地生良氏はこのように言っている。
「薬の力によって幻聴を取り去られた人たちは共通してこういうことを言うのです。「心が空っぽだよ。向谷地さん、幻聴さんのいた非現実的世界から抜け出て、現実世界で心が空っぽだよ」と。症状が改善して、気持ちが落ち着いて、イライラもなくなった。喜ぶべきことにもかかわらず、その症状が改善した人たちは、未来が見えない、わからないと言うのです」

現実を生きることがはたしていいものなのか。
吉岡忍氏も、戸塚ヨットスクールに入校して三日目に自死した18歳の女の子について、次のように書いている。
「意味のある手応えが何もないこと。それが普通になることだと気がついてしまったら、生から死への垣根を越えるのはさぼど困難なことではなかったかもしれない。
『平成ジレンマ』は特殊が普通へ、異常が正常へ、不適応が適応へと転轍するさまざまな場面を描く一方で、普通や正常とされる状態に適応することが、実はさほど心躍るものではないのかもしれない、という暗い予感も写し取っている」
(『戸塚ヨットスクールは、いま』)
となると、病気が治って正常になることが幸せなのか。

精神病という病気は現実の世界から自分を守ろうとするはたらきがあるそうだ。
清水さん「幻聴さんの世界ってのはやっぱりなんていうか、離れがたい魅力があるんですよね、つらさのなかにね。(一方)現実のつまんない、自分の苦労と直面したらおもしろくないじゃないですか。たとえば恋人ができないとかさ」
斉藤道雄「幻聴は、つらいといっても起伏にとみ、激しい感情の動きで人を魅了し、現実を見ないようにさせてくれる」
幻聴への依存、妄想への依存、病気への依存は深い充実感をもたらす。
清水さん「苦労の多い現実の世界では自分の居場所を失い、具体的な人とのつながりが見えなくなると、『幻聴の世界』は、どこよりも実感のこもった住み心地のいい刺激に満ちた『現実』になる。それは、つらい、抜け出したい現実であっても、何ものにも代えがたく、抜け出しにくい『事実』の世界だった」

統合失調症の女性メンバーの言葉。
「幻聴が和らいだ時期がある。幻聴が和らぎ雲の切れ間から日が差すような感じになった時の空虚さに私は耐えられなかった。私は代償としてアルコールに浸り、買い物に夢中になっていった。つまり、幻聴と被害妄想は空虚さという私の心の隙間を埋め尽くし、生きていることの虚しさという現実から私を避難させるという役割を果たしていたとさえ言える。被害妄想だと気づくことそのものが私にとっては怖いことだったのかもしれない」
ある依存がとまると、他の依存になるそうで、幻聴依存から脱却したと思ったら、アルコール依存、買い物依存になってしまったというわけです。

現実に押しつぶされそうになると、精神障害者は幻聴さんに、薬物依存症者は薬物に逃げ込む。
ダルクのK氏が自己憐憫についてこんな話をしている。
「罪悪感が強すぎると、自己憐憫、自分で自分を憐れむ状態になりやすいんです。シンナーを吸う時もそうですね。寂しい曲をかけるんですよ。カルメン・マキの「時には母のない子のように」とか、ものがなしいメロディーを聞きながらシンナーを吸って、「私はなんてかわいそうな人間なんだろう」と思うのが、すごく気持ちいいんですよ。自己憐憫の感情に酔うというか、自分はだめなんだという思いに酔いしれるというか、それがすごくいいんです。自己憐憫はクスリを使いつづける大きな道具なんです」
私も自己憐憫大好き人間なのでやばいなと思う。

向谷地生良「幻聴であろうが妄想であろうが、やっぱりそれが、自分と現実とのあいだにひとつの壁、バリアーとなって自分を守っているものとして、私たちは理解しているんですね。でもその病気が、またはバリアーであるいろんな症状が、だんだん薄くなって、現実感をとりもどして、そしてその現実感の向こうに見えてきた社会とか人生ってのが、やはりほんとに生きやすいだろうか、って思ったときに、そこでこう、たじろぐ、そういうたじろいだときに、またその症状がぶり返すようにして襲ってくる、そういうことのくり返しをしているんですよね」
(向谷地生良・浦河べてるの家『安心して絶望できる人生』)

現実が生きづらく、充実感がなければ、回復するよりも病気のままのほうがいいということになる。
どちらを選ぶかは自分自身である。
「自分が被害妄想にまみれた『幻聴の世界』で生きることを選ぶのか、それとも、人間関係の苦労をともなう生々しい『現実の世界』で生きることを選ぶのかという『選択の仕方』なのだ」
「私たちが問われていることは『どの悩みを生きるのか』という〝苦労の選択〟だと考える」
清水さんのこの言葉は深いと思う。
べてるの家を知ると、病気を治すことよりも大事なことがあるのかもしれないという気になってくる。

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べてるの家 3

2011年09月15日 | 

「べてるの家の人びとは総じて、原因の究明やわかりやすい説明にはあまり関心を示さない」と、斉藤道雄『治りませんように べてるの家のいま』にある。

そもそも、べてるの家は病気を治すことが第一目的ではないし、苦しみをなくすのでもない。
「勝手に治すな自分の病気」はべてるの家の理念だが、
「いかに治すかではなく、いかに生きるか、なんのために生きるかを問われるのである」と斉藤道雄氏は言う。
もちろん、患者を好きにさせてほったらかしにしているということではない。
「治さない医者は、ただ治さないのではない。治せないのともちがう。治すときの方向を、治すということの意味を問うているのである。患者に対して、あなたはどうしたいのか、どう生きたいのかと問い、治すということはただ病気の症状を消そうとするのではなく、もっとずっと深いところで捉えなければならないことではないかと、問うているのである」

べてるの家の当事者の言葉をいくつか。
林さん「わたし、これ以上病気をなくしてほしいとは思っていません。むしろ病気をなくされたらこまると思ってます」
斉藤道雄「この町で、こんなにたくさん、みんなに支えられて自分は多くの収穫を得た。それ以上は望まない。その収穫は、病があったからこそ手にすることができたのではないか。人生でこれ以上の収穫があるだろうか」

清水さん「(幻聴が)聞こえるとか、(サトラレを)感じるとか、それはいまだに治らないし、なくならないと思ってるし、わたしは自分では一生なくならないだろうなあと思ってるけど、そういうことがあるのがわたしだから。だから別にそれを消さなければならないという必要性がいまんとこ、いまは感じられない」
「サトラレ」とは、他人に自分の考えていることを読まれている、という妄想である。
清水さん「病気をもっているわたしでもそのままのわたしなんだから、別になんの問題もないっていうふうに、ほんとになんていうのかな、実感として湧いてくるっていうか、うん」
斉藤道雄「病気でもいいというより、病気なのが自分であり、病気をひっくるめての自分がある。それをなぜ治すのか」

山本さん「ぜんぜん治ってないっていうか、それなのに楽しいぞ、みたいな」
斉藤道雄「ただ病気を治すことより、もっとずっとたいせつなことがあるのではないか。ただ働くだけではない。もっともっと視野の広い生き方があるのではないか」

で思ったのが、アルコール依存症や薬物依存症の人から「依存症という病気になってよかった」と聞くことがある。
依存症になるよりは、酒を楽しんで飲めるほうがいいに決まっていると思ったが、それは依存症でなかった自分と病気の自分を比べ、どっちがいいかと二者択一するからである。
依存症は酒を飲むことはできないという現実を受け止め、そうして「依存症になってよかった」と言えるように変わるのは、仲間ができたということがある。

鈴木さん「いちばんの薬は仲間だなって、思いました……仲間を得たら不安が亡くなったというか」
加藤木さん「ふつうに生きて、そこにいていいんだよみたいな感じで思われてるっていうか。態度とかしぐさとか、そういう存在している姿だけで、もうそれを感じとれるっていうか、もうそれ、存在しているだけでね」
斉藤道雄「とはいえ、どうもそれは仏の慈悲のようなものではなく、「しょうがない、お互いそうなんだから」という、あきらめにも似た許容であるようだ」

山本さんの「いいかげんな共感」という言葉もスグレモノである。
斉藤道雄「いいかげんな共感をみせる仲間も、そのいいかげんさがいいと思う自分も、そうなるまでにはやはり相当の年月がかかっている。経験が、苦労が必要だった」
回り道が必要だったということである。
斉藤道雄「べてるの家には、人間は苦労するものであり、苦悩する存在なのだという世界観が貫かれている。苦労を取りもどし、悩む力を身につけようとする生き方は、しあわせになることはあってもそれをめざす生き方にはならない。苦労し、悩むことで私たちはこの世界とつながることができる」

加藤木さん「(自分の)いろんなことが許せなかったんですよね。もうぜんぶ罪、罪悪感が大きすぎて。生きてること自体も存在自体も罪で、生きてること自体でいろんな人に迷惑かけるし……いま、それがぜんぜんなくてすむのは、許されたって。いままで過去のことも許されたし、いま自分が起こすいろんなことも許されてるって、やっぱ、うん、それは大きい」
斉藤道雄「自分もまた「生きていていいんだ」と思えるようになったのは、浦河では「許されている」という思いがあったからだ」
許されている=そのままでいい=問題だらけが当然→こんな自分でも生きていていい

斉藤道雄「なんで自分は苦しまなければならないのか。なぜこんなにもつらくみじめな思いをしているのだろう。にもかかわらず生きなければならないとするなら、それはなぜなのか。あるいはもっと直裁に、自分はなぜこうなのだろうかと問いつめ、悩みつづけること。そうした問いのすべてについて考えるのをあきらめるということは、自分のすべてを失うようで、とてもできない空恐ろしいことだった。だが、すべてを捨てるというのではなく、そうした悩み苦しみをとりあえず横においておく、あるいはみんなに任せてしまう、みんなのなかに放り出してみる」
戸塚ヨットスクールに我が子を送りこもうとする人には
『治りませんように べてるの家のいま』を読んでほしいと思う。

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べてるの家 2

2011年09月12日 | 

不登校やひきこもり、ニート、家庭内暴力、アルコールや薬物依存、自殺願望、リストカットなどは病気だから治さなければいけない、矯正しなければいけない、治すためには体罰が必要だというのが、戸塚ヨットスクールの基本理念だと思う。
原因(脳幹論)を解明し、そうして改善していく。
だけども、と思う。
思春期は疾風怒濤の時期である。
「実は、「自分を知る作業」というのは、想像以上に苦しさを伴います。自分を知る作業がはじまるのは、いわゆる「思春期」です。子どもから大人へと脱皮する作業は、人間という生き物が延々と繰り返してきた自然の営みであるはずが、いつの間にか「逸脱」や「病理」の世界として括られ、問題視されるようになってきました」
(『安心して絶望できる人生』)という向谷地生良氏の言葉は、戸塚ヨットスクール的な考えを批判しているように思う。

『平成ジレンマ』を見ると、俺がやらねば誰がやる、という悲愴感がただよっていると感じる。
戸塚ヨットスクールでは訓練生が失敗すると、罵声を浴びせ、暴力を振るう。
『平成ジレンマ』を見るかぎり、戸塚ヨットスクールには笑いはなさそうだが、べてるの家にはユーモアと笑いがある。
べてるの家には、爆発系といって、突然キレる人もいる。
ある人なんかは家族に暴力を振るい、ついには自宅に火をつけて全焼させ、浦河に来ても、共同住宅の自室に火をつける。
これはさすがに何とかしなくてはいけないと私も思うが、浦河赤十字病院では当然のことながら体罰なんかしない。

「弱さを絆に」など、べてるの家の理念には思わずうなってしまうものがあり、「私は私の人生を生きている」は、霊魂が生きているという妄言としか思えない御遠忌テーマ
よりもずっといい。
こんな言葉が日常的な会話の中に行きかうと、向谷地生良・浦河べてるの家『安心して絶望できる人生』にある。
「自分の行き詰まりに手ごたえを感じる」
「この困り方は、いい線をいっているね」
「悩み方のセンスがよくなってきた」
「自分の悩みや不安に誇りを感じる」
「あきらめ方がうまくなってきた」
「マイナスのお客さん満員御礼状態」

べてるの家では、自分の体験をみんなに告白し、聞いている者は共感しながら笑う。
当人は大まじめなのだろうが。
幻聴や爆発をなくそうとし、なくせない(治らない)自分を否定するのではなく、幻聴さんや爆発とつき合っていく方法を学び、身につけていく。
そのためには、自分の問題を隠すことなく正面から向き合い、解明していく。
べてるの家で行われている当事者研究を読んで笑ってしまった。

たとえば千高のぞみさん
千高のぞみさんは仕事は商品の管理と販売を担当している。
千高さん「「千高さんが店番をすると、すぐ試食品がなくなる」といわれているが、試食をすることによって、製品の味が変わったりしてもすぐわかるので、誉められた」

千高のぞみさんの幻聴さんは「永田町幻聴(小泉首相をはじめとする政治家たちが登場)」「チンピラ幻聴」そして「自分の分身幻聴」など。
千高さん「小泉さん幻聴のいいところは、何といっても、自分を誉めてくれることだ。「千高さん、がんばっているね」とあの笑顔でいわれるとたまらない」

「チンピラ幻聴」は千高さんを叩いたり蹴ったりする。
「自分の分身幻聴さん」はこんなこと。
千高さん「朝起きると、自分の体が二つに裂けたり、顔がポロッと取れたり、裂けた体が私に断りもなく勝手に好きなところに行ってしまうということが起きる。これが起きたときには、本当に驚いた。朝起きたら、急に首が取れてしまい、びっくりして日赤病院の救急外来を受診した。後で向谷地さんに報告したら「よく、首を忘れないで持っていったね」と感心された」
千高さん「一番びっくりしたのは、体が半分に裂けて勝手に東京に行ってしまったときである」
小泉さんに会いに東京へ行った半身を向谷地生良氏が連れて帰る。
戸塚ヨットスクールだったら、眉をひそめ、「体罰を認めないからこんなにひどくなったんだ」なんてことになるんでしょうね。

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べてるの家 1

2011年09月08日 | 

齋藤潤一『平成ジレンマ』に、母親が娘(18歳の女子高生)をだまして戸塚ヨットスクールに連れてきたが、女の子は入校して3日目に屋上から飛び下りて死ぬ。
彼女は自傷行為をくり返し、精神科に通院して向精神薬を服用していた。
斉藤道雄『治りませんように べてるの家のいま』、向谷地生良・浦河べてるの家『安心して絶望できる人生』、向谷地生良『「べてるの家」から吹く風』を読んで、この女子高生を家族が
べてるの家に連れていったら、少なくとも死なずにすんだのではないかと思った。

戸塚ヨットスクールには薬物依存だった訓練生もいる。
精神的に問題を抱えている子どもたちを戸塚ヨットスクールに預けても、戸塚宏氏たちが治せるとはとてもじゃないが思えない。

1978年、浦河赤十字病院を退院した患者が作ったグループが、べてるの家の源流である。
べてるの家のメンバーは100~150人、浦河町内の十数ヵ所で共同生活をしている。
統合失調症やアルコール依存症などの病気や生きづらさを抱えている当事者だけでなく、浦河赤十字病院の川村敏明医師たち、看護師、ソーシャルワーカーたち支援者も関わっている共同体である。

統合失調症など精神障害者の抱える問題と、非行・不登校・ひきこもり・ニート・家庭内暴力などの対処について同列に論じるのは間違っているかもしれないが、べてるの家と戸塚ヨットスクールの考え方は正反対であり、その違いは大きな問題を提起しているように思う。
それは「治す」とはどういうことかという問題である。

向谷地生良氏(浦河べてるの家理事)によると、日本の精神医療の現状は以下の状態である。
日本の精神医療の予算は年間1兆9千億円ほどだが、予算の9割は医療費に当てられ、福祉に向けられる予算は1割に満たない。
世界中の先進国がベッドを減らしてきたのに、日本の精神保健は、国がどんどんお金を注ぎ込み、病院やベッドを増やし続けている。
その結果、世界の精神科病床の約2割を日本が占めているのが現状である。
「今や入院患者33万人のうち、私の感触では六割以上の患者がいわゆる社会的入院――地域に受け皿があればいつでも退院可能な患者――という状況となり、病院は「医師、看護師付きの下宿」と化した。国際的にもWHOから改善を勧告されるほど、大きな社会問題となっている」

また、精神科の患者が飲んでいる薬の量は、世界の先進国の平均の5倍から10倍の投与量である。
ある当事者が、「このまま、ただ年をとっていくのが不安です」と主治医に話したら、抑うつ状態と診断されて、抗うつ剤を処方された。
別の統合失調症の患者は、毎日20錠ほどの薬を服薬しており、主治医に「薬を減らしたい」と相談したら、「君、大丈夫か?」
と言われ、注射を打たれたという。
まさに薬漬けの状況になっている。

「統合失調症などの生きづらさをかかえた当事者は、どこで暮らしているのかといえば、家族がかかえ込むか、入退院をくりかえしているのである。全国各地の講演先では、そのような当事者をかかえた家族の悲鳴にも似た相談が数多く寄せられる」
こうしたことも戸塚ヨットスクールが必要とされる理由の一つだろう。
戸塚ヨットスクール訓練生たちの親は、学校や病院、児童相談所などに相談しても、問題は解決せず、見放され、最後に頼ったのが戸塚ヨットスクールなのである。
しかし、戸塚ヨットスクールが親の期待に応えているどうかは別の問題である。

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戸塚ヨットスクール 2

2011年09月04日 | 映画

体罰やいじめは効果あると戸塚宏氏は主張する理由は何か。
東海テレビ取材班『戸塚ヨットスクールは、いま』にこうある。
「ヨット訓練で、なぜ情緒障害が治るのか、戸塚校長は、その理由を自らが提唱する「脳幹論」で説明する。
一言で言えば、肉体的、精神的な文明病は脳幹の虚弱により生ずるという仮説だ」

脳幹論とは何か、戸塚宏『教育再生』から次の文章が引用されている。
「脳の機能を増大させるようなトレーニングをすれば解決する。これが脳幹論だ。
具体的な方法は、より質の高い不快感を常に発生させて、脳にそれを乗り越えられる耐性をつけさせることだ」
だから、体罰やいじめによって進歩するというわけである。

『戸塚ヨットスクールは、いま』が戸塚宏の理論を支持しているように感じるのは、
「医学的に確立されていない「脳幹論」を認める医師はほとんどいない」と書いているにもかかわらず、なぜか脳幹論を正しいと考える産婦人科医の意見を紹介しているからである。
そして、戸塚ヨットスクールを研究して論文を書いた中学教諭の「ヨットスクールの存在理由について改めて見直す必要がある」
「学校や社会が戸塚ヨットスクールから学ぶことは多いはずです」という考えも紹介する。
戸塚ヨットスクールへの批判は山ほどあるのに、そちらには触れない。

体罰が暴行ではなく、教育的配慮をしているのなら、訓練生によってそれぞれ対応の仕方は違うはずだが、こまめな対応をしているようには思えない。
そもそも死者が出たのだから(過失致死だとしても)、体罰によって矯正するという考えは方法論として失敗である。

あるいは、『平成ジレンマ』で、21歳の優等生と思われた訓練生が卒業間近なのに脱走する。
親が戸塚ヨットスクールに連れ戻すと、また逃げだし、今度は虐待された児童を支援する団体のところに駆け込む。
沖縄の農場で働いていた男性もいなくなった。
ところが戸塚宏氏は「ご覧の通り、効果がなくなった」と、体罰を封印されたせいにする。
自分のやり方に問題があるのでは、と考えないのだろうか。

それと齊藤潤一『平成ジレンマ』を見てて腹が立ったのは、ニートやひきこもり、不登校を犯罪予備軍扱いしていること。
「ニートが高齢化している。家庭内暴力に向かうケースも多く、子どもが親を殺したり、親が子どもを殺したり、家庭内殺人の温床となっている」
NHK取材班『無縁社会』にも「孤独死、家庭内暴力、悲惨な結末の可能性を秘めるひきこもり」とある。
誰にだって「悲惨な結末の可能性」はあるんですけど。

不登校や非行など情緒障害児は治療しなければいけないそうで、情緒障害児の治療施設があるそうだ。
「情緒障害児短期治療施設は、軽度の情緒障害のある児童生徒を一年程度入所させ、治療をする施設」
「このような治療施設は公立と民間を合わせても、全国に33ヵ所しかなく、定員は全部で1400人である。全国には、約18万人いるといわれる不登校の児童生徒の1%も受け入れることができない」
不登校は治療しなければいけない病気というわけである。

『戸塚ヨットスクールは、いま』の最後に、『平成ジレンマ』を見た感想を三氏が書いている。
吉岡忍氏「彼や彼女の何がいけないのか?」と問う。
「(ニートは)勉強する気も働く気もなさそうで、ほかの子や若者たちとはちがって見えるけれども、だが、それがいけないことなのか。
普通って何だ。正常や人並みとはどういうことだろう」
戸塚宏氏にしろ、東海テレビ取材班にしろ、戸塚宏氏の講演を熱心に聞く人たちにしろ、情緒障害児治療施設にしろ、不登校やひきこもりは普通じゃないし、正常ではないと考えているわけで、そこを吉岡忍氏は問うていると思う。

名取弘文氏は、戸塚ヨットスクールを軍隊の暴力や、虐待をしつけと言い訳する親と並べている。
そして、体罰をこのように定義している。
「体罰は強い立場の者だけが使える暴力である。子どもが教師がいうことをきかないからと体罰を与えることはない。それは校内暴力とされてしまう。親を反省させようとして「腹筋100回」と命令してもやってくれる親はいない。親を拳骨で殴ったり棒で叩けば家庭内暴力とされてしまう」
戸塚宏氏は「体罰を定義できますか。できないでしょう」と講演で言っているが、名取弘文氏の定義にどう反論するか。
体罰を肯定するなら、親や教師が間違った時には子どもや生徒が体罰をしたっていいという理屈は正しい。

もう一人、森達也氏は、毎度お馴染みライオンとトムソンガゼルのたとえを書いている。
しかし、戸塚ヨットスクールと光市事件弁護団は世間から叩かれた点では同じだが、同一に論じることはおかしい。
光市事件弁護団は刑事弁護人として当然の仕事をしているのだから、非難するほうが間違っている。

戸塚宏氏の夢は小学校を作ること。
教育方針は「全寮制にして、学校や寮では、先生の言うことは絶対である。寮のなかでは、いじめが横行。いじめられることにより、子どもが自分に足りないものを知り、補おうと必死になる。そして強くなる。また、仲間を作って、仲間対仲間の争いが起きる。それが、子どもの成長を促す」
まずは戸塚ヨットスクールを支援する会の会長である石原慎太郎氏が、自分の孫やひ孫を戸塚小学校に入学させ、体罰やイジメを受けてほしいものである。

コメント (6)
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