長谷川博一氏は臨床心理士、人と寄り添い、対話を通してその人の心を理解し、それまで背負ってきた荷物を少しでも降ろしてもらうことで、しあわせな人生への歩みなおしをお手伝いすることだと、『殺人者はいかに誕生したか 「十大凶悪事件」を獄中対話で読み解く』の冒頭に書いています。
長谷川博一氏は裁判所からの正式鑑定や、弁護士の依頼による心理鑑定で、あるいは誰からも依頼されずに加害者本人に会って、個人の生育のストーリーを丹念に辿り、精神疾患との関連も検討し、犯行時に置かれていた環境を精査する。
すると、「十大凶悪事件」の加害者は虐待を受けて育ったことがわかった。
池田小学校事件の宅間守がそうで、母親は父親に毎日殴られていたし、母親は宅間守を妊娠したときに堕ろそうとした。
心の中に「虐げられた子ども」が存在していて、親に対する大きな怒りの感情に翻弄されている。
8回目の面会で、こんなことを言ったそうです。
「途中で、もうやったらいかん、やめないかん思って、そやけど勢いがあって止まらんかった。誰かに後ろから羽交い締めされたとき、やっとこれで終われるって、ほっとしたんや」
「本能ちゅうんですかね、良心の呵責ですわ」
宅間守は危険運転や5階からの飛び降りなど、身に危険が及ぶ行為を何度も繰り返しています。
幼女誘拐殺人事件の宮崎勤は統合失調症だと言われているが、長谷川博一氏によると解離を生じていた。
解離性健忘は、記憶が現在の意識との連絡を絶ってしまう。
解離性同一性障害(多重人格)は、別人格が台頭し、本来の人格はそれを把握していない。
離人症は、自分の心が身体から遊離して、現実世界を生き生きと過ごせない。
自分がしたことを覚えていないのです。
虐待を受けた人は、大多かれ少なかれ解離性障害を示す。
他の事件の加害者にも解離性障害の人がいます。
連続児童殺害事件の畠山鈴香さんの人生は悲惨というほかありません。
小学1年のとき、宗教活動に熱心な担任から「水子が憑いている」と言われ、子どもたちから「心霊写真」とはやし立てられた。
小学4年のとき、給食指導に熱心な担任は給食を全部食べさせようとし、時間内に食べることのできない畠山鈴香に「両手を出して。食べ物入れるから」と言い、掌に食べかけの給食を入れた。
指のすきまから汁が落ち、机や服が汚れるので、「ばい菌」というあだ名がついた。
ばい菌は汚いから洗ってやるという理由で、トイレの個室に閉じ込められ、上からホースで水をかけられることもあった。
高校の卒業文集には
「いじめられた分、強くなったべ。俺たちに感謝しなさい」
「もう二度と秋田の地に帰ってくるな」
と書かれ、最下部には「畠山鈴香・・・自殺・詐欺・強盗・全国指名手配・変人大賞・女優・殺人」と記してある。
このような文集を許した学校・教師が存在すること自体が犯罪だと思います。
ひどいことを言われ、いじめられても反発しないのは、父親の暴力を受けていたことによる。
母親を殴っていた父親は娘も殴るようになり、最初はかばっていた母親も、かばうと余計に激昂するので見て見ぬふりをした。
畠山鈴香さんは夫と離婚し、生活保護を受けながら子育てするが、精神科で処方される薬は増えていき、普通の人が服用すると丸一日は起き上がれないほどの量だった。
娘を橋の欄干から突き落としたとされるが、本人は覚えていない。
解離性健忘のためである。
だから、子供がなぜ川に落ちたのかはわからない。
どの死刑囚も、なりたくて犯罪者になったわけではありません。
自殺サイト連続殺人事件の前上博は、犯行前から継続して病院やカウンセリングに通い、治療してくれるよう懇願していた。
スウェーデンの学者が行った研究。
生まれて間もなく里子に出された子どもたちが青年期に入るまでの間、行動の追跡がなされた。
子どもたちには実の親と育ての親がいて、どちらの親も「犯罪歴をもつ」と「犯罪歴をもたない」で分けると、4つの群ができる。
①「実の親に犯罪歴あり・育ての親に犯罪歴あり」
②「実の親に犯罪歴あり・育ての親に犯罪歴なし」
③「実の親に犯罪歴なし・育ての親に犯罪歴あり」
④「実の親に犯罪歴なし・育ての親に犯罪歴なし」
子どもたち自身の犯罪歴を調べたところ、①が40%、②が12%、③が7%、④が3%という発生割合だった。
この結果は、遺伝的要因も、環境的要因も、どちらもそれ単独では子どもを犯罪に走らせる力は強くないということを示唆する。
生来(遺伝)的なリスクを抱えていても、環境にそのリスクを助長するような条件がそろわない場合には、犯罪行為に走りにくいと考察できる。
生まれながらのモンスターはいないということです。
我が家は大丈夫だとは言えません。
他人事ではないと思います。