畑中三応子『体にいい食べ物はなぜコロコロ変わるのか』は題名どおりの本。
戦後、大学教授や医者が米を食べると頭が悪くなるとか太ると言うので、私もパン食がいいと思ってました。
ところが、米は健康食品だと言われ出すかと思うと、今は糖質制限などと言われます。
小麦にしても、血糖値を上げる、小麦は依存性があるなどという研究結果があるそうです。
肉や牛乳も人によって健康にいいのか悪いのか、考えが全然違います。
肉を食べるとガンになると言う人がいますし、完全栄養食といわれた牛乳も、2000年ごろから牛乳害悪論が出だしたそうです。
体にいいとされていた食べ物が、いつの間にか体に悪いとされるんですから、何を食べたらいいのか、誰を信じたらいいのかと悩みます。
畑中三応子さんは明治からの健康にいい食べ物の流行をたどります。
食の西洋化と食の国粋主義との間で揺れ動いてきた。
19世紀末、粗食のルーツである石塚左玄は食養(食物修養)をとなえました。
正しい食事によって体質を改善すればすべての病気は治癒できると主張。
肉食礼賛の風潮に、人間はもともと穀物食だという説を展開し、肉は食べる必要がないと断言した。
しかし、人間は穀物食ではなく、雑食動物。
体を構成しているタンパク質は20種類のアミノ酸から形成され、そのうち9種は体内で合成することができず、食事で摂取する必要がある。
肉、牛乳、卵、魚は9種の必須アミノ酸をすべて備えている。
森下敬一は玄米菜食を治療に取り入れた国際自然医学会の会長。
肉、卵、牛乳は血液が酸性化する、汚れた血液がガン細胞に変わると説いた。
しかし、玄米は酸性食品、牛乳はアルカリ性食品。
酸=悪、アルカリ=善の単純な二元論で語られることが多い。
肉や卵などの酸性食品を食べ過ぎると、血液が酸性化するという説があるが、血液のpH値は食物によって変動することはない。
腎臓障害などの病気がないかぎり、酸性食品ばかり食べ続けても、つねにpH値7.4前後の弱アルカリ性に保たれる。
にもかかわらず、いまだに酸性食品を忌み嫌う人は多い。
マクロビオティックの創始者桜沢如一は石塚左玄の弟子。
玄米正食はマクロビオティックや自然食に受け継がれた。
しかし、玄米は炊飯に白米の二倍以上の時間がかかり、よく噛んで食べないと下痢をしやすいし、消化吸収率が非常に悪く、栄養分が糞便に出てしまう。
粗食は低栄養を招き、かえって体に悪いと考えるのが主流になりつつある。
そんなに穀物中心の粗食という昔の食事が健康にいいなら、昔の人は長生きだったはずです。
和食を最上とするのも民族主義の一種。
自然=善、人工=悪という単純な二元論がある。
自然食には危険なデメリットもあり、食品添加物には安全なメリットもある。
栄養のバランスが大切なのだが、玄米のような自然食は盲信されやすい。
そもそも、自然食には定義がないそうです。
万能な食品はこの世に存在しない。
一種だけで完全な栄養をまかなえる食品などありえない。
自然食を好む傾向はニューエイジの一種なのでしょう。
何とか健康法の中には宗教じみたものが少なくありませんが、民間療法もアヤシイものが多いと思います。
自分の尿を飲むという民間療法は、血糖値が下がる、ガンが治るといった体験談を耳にすることがあります。
飲尿法について松尾貴史さんが中島らもさんに語っています。(『逢う』)
中島「尿というのは、この世でいちばん清潔な水であるっていうのは確かやけどね。無菌状態で出てくるから。いちばんきれいなことはきれいなの」
松尾「そやけど、体の中に置いててもしようがない毒素も出してるわけですから。尿が身体にいいいう根拠っていうのが、どうもね。
尿の中には、人間の前の日一日の、まあ、どんな行動して何食うたかわからんですけど、そのときの身体のすべての、どこが悪い、どこがいいっていう情報が組みこまれたものが出てるんですって。だから、次の朝いちばんの、ほんとに凝縮された尿をのどの扁桃腺を通すことによって、扁桃腺の付近にセンサーがあるっていうんですが、それが、パーッと情報を読み取って、自然治癒能力を高めるべく命令を下すっていうんですよ。どこそこが弱ってるから、こんなものが入ってきたら、それをたくさん吸収しろよとかね。
そういったことを、ガンの権威か何かの人がいうているから、それは正しいっていう。俺は違うと思うんですけどね」
中島「それいい出したら、ウンコも食べないかんやろ」
松尾「そうでしょう。俺が神様なら、尿道の途中にそのセンサーつけるわ。そんなもんいちいちのどに返さないかんっていう、そんな自然の摂理があるんやとしたら、自分の小便飲んでる動物がいるはずでしょ。おりますかって、そんなん」。
ごもっとも。
万能食品がないように万能薬もありません。
いろんなものをバランスよく、かつ腹八分目が健康にいいという当たり前の結論でした。