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三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

仏教と死刑(3)

2021年11月30日 | 仏教

死刑は国の制度ですから、古代インドでは国王が定めたはずです。
ですから、『サティヤカの章』や『宝行王正論』では、国王に死刑をしないよう説いています。
『宝行王正論』は龍樹がシャータヴァーハナ王朝の王に教えを説いた書簡体のものです。
http://media.dalailama.com/Japanese/texts/Nagarjuna-Precious-Garland-JPN-2019.pdf

龍樹は死刑囚や囚人についても、二個所で王を諭しています。

偉人の相好 三十二相について
殺生を犯すことなく、死刑囚を釈放するならば、身体は美しく、直立にして大きく、命が長く、指が長く、踵が広い者になられましょう。

 

慈愛と恩恵
たとえ彼らが正しい判断にもとづいて、処罰・入獄・笞打ちなどの罰を下すとも、あなたはつねに慈愛をもち、恩恵を施す者となりなさい。
王よ、あなたは常に慈愛によって、すべての人びとに対して利益する心を起こしなさい。たとえ恐ろしい罪を犯した人びとに対してであっても。
慈悲は、ことに恐ろしい罪を犯した悪人たちに向けられねばなりません。このような憐れむべき人びとこそ、心の高潔な人の慈悲にふさわしい対象でありますから。
囚人の釈放
毎日または五日ごとに、、力の弱った囚人を釈放し、また残りの者も適宜釈放してください。けっして拘禁しておくことがないように。
もしあなたに、ある人びとを釈放する心が起きないならば、彼らに対しては自制を欠くことになります。このように自制を欠くならば、永久に罪を受けるでありましょう。
また、彼らが拘禁されているあいだは、牢獄を楽しいものとし、理髪師、浴場、飲食物、薬、衣類を備えつけておきなさい。
処罰をなすときには、あたかも値打のない息子たちを値打のある者にしようと願って処罰を加えるように、慈悲をもって行なわねばなりません。けっして惜しみからしてはなりませんし、また財を欲してなしてはなりません。
事情を正しく考慮し判断して、たとえ罪深い殺人を犯した人びとであっても、処刑に処することなく、また責苦を与えることなく、彼らを追放しなさい。

龍樹の提言は今も死刑を廃止していない日本にも通用します。

死刑は執行人に殺人という悪業を作らせます。
『テーリー・ガーター』に、寒さに震えながら沐浴するバラモンとプンニカー尼とのやりとりがあります。

「バラモンよ。あなたは誰を恐れていつも水の中に入るのですか。あなたは手足がふるえながら、ひどい寒さを感じています」
「老いた人でも若い人でも悪い行ないをするなら、水浴によって悪業から脱れることができる」
「もしもそうなら、蛙も亀も竜も鰐も、その他の水中にもぐるものも、すべて天に生れることになりましょう。
また、屠羊者も屠豚者も漁夫も猟鹿者も盗賊も死刑執行人も、そのほか悪業をなす人々はすべて水浴によって悪業から脱れることになりましょう」

死刑執行人や業者は悪業を作る人とされているのです。
殺生の業報をいつか受けることになると、本人も思っていたでしょう。
しかし、死刑執行人は国王の命令に従っているだけです。
なのに国王は何の報いも受けないとしたらおかしな話です。

仏教は不殺生を説いているので、本来は戦争や死刑で人を殺すことも罪です。
ところが、時代とともに殺生を認めるようになりました。
敵を殺すことが菩薩行だとまで言う僧侶もいたほどです。
このようにして、殺生が正当化されていったのです。

アヒンサー(不害)が説かれたということは、残酷な刑罰や拷問が実際に行われていたからだとも言えます。
死刑は残酷な刑罰だという認識が現代では世界的に広まっています。
ところが日本ではそうではありません。

1948年、死刑制度の存在は違憲であるか、合憲であるかが争われた裁判で、最高裁判は「死刑制度は憲法第36条で禁止された「残虐な刑罰」には該当せず、合憲である」としました。
当時は死刑が残虐な刑罰ではなかったとしても、70年以上も経った現在は違うはずです。

2011年、パチンコ店放火殺人事件で、絞首刑は残虐で違憲と主張する弁護側の証人として元最高検検事の土本武司筑波大学名誉教授の証言しました。
岩瀬達哉『裁判官も人間である』からの引用です。

絞首刑が惨たらしいとはいえないとは実態を知らな過ぎる指摘というほかない。(略)
つい十数分前まで自分の足で歩いていた人間が、両手・両足を縛られ、顔は覆面をさせられ、刑務官のハンドル操作により踏み板が開落するや地下部分に宙吊りになり、首を起点にして身体がゆらゆらと揺れる。その際、血を吐いたり失禁をしたりし、やがてその宙吊り状態のままで、死の断末魔のけいれん状態を呈する――それはまさに見るに耐えないものであり、人間の尊厳を害することこれに過ぐるものはないということを痛感させられるシーンである。(『判例時報』2143号)

ところが、2016年、最高裁は「死刑制度が執行方法を含めて合憲なことは判例から明らかだ」という判決を下しました。
https://www.sankei.com/article/20160223-BHAAMD6OFNOWZNSWI6FQHFOB64/

中川智正弁護団『絞首刑は残虐な刑罰ではないのか?』には、絞首刑は残酷だということが詳しく説明されています。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/7b7140abd9acb8c5e42700c606da6fa2
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/cf4e163f561b3d22b69f3ed15682d31a
オウム真理教の死刑囚は全員執行されました。
日本では、死刑は今も残虐とはされていないのです。

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仏教と死刑(2)

2021年11月24日 | 仏教

『ミリンダ王の問い』で、ミリンダ王がナーガセーナに釈尊は死刑を是認していたかどうかを問答しています。

「尊者ナーガセーナよ、また尊き師は、次の〈詩句〉を説かれました。
「この世において、他人を害するなかれ。他人を喜ばし、親切なれ」
しかるにまた、「折伏すべき者は折伏に値いし、摂受すべき者は摂受に値いす」と言われました。
尊者ナーガセーナよ、折伏とは、手を切り、足を切り、なぐり、しばり、拷問にかけ、死刑に処し、生命の存続を断つことです。〈したがって〉この言葉は、尊き師にふさわしくなく、また、尊き師は、この言葉を口にするにふさわしくありません」(略)
「大王よ、盗賊は折伏者によって、このように折伏されるべきです。呵責すべき者を呵責し、処罰すべき者を罰し、追放すべき者を追放し、縛るべき者を縛り、死刑に処すべき者を死刑にするのです」
「尊者ナーガセーナよ、しからば、盗賊を死刑にするということは、もろもろの如来によって是認されましたか?」
「大王よ、そうではありません」
「しからば、なぜ、もろもろの如来は、盗賊が教誡されるべきものであると是認されたのですか?」
「大王よ、およそ、死刑に処せられる者は、もろもろの如来の是認によって、死刑に処せられるのではありません。みずからのなした行ないによって、死刑に処せられるのです。大王よ、しかしながら、思慮ある人が〈ブッダにより〉真理の教誡をうけていながら、しかも、罪なく過(とが)なき通行者を捕えて、殺すことができるでありましょうか?」
「尊者よ、そうではありません」
「大王よ、それはなぜですか?」
「尊者よ、〈その通行者には何ら〉罪がないからです」
「大王よ、それと同時に、盗賊はもろもろの如来の是認によって、殺されるのではなくして、みずからのなした行ないによって、かれは殺されるのです。これについて、教誡者が何かあやまちを犯すでしょうか?」
「尊者よ、そうではありません」
「大王よ、しからば、もろもろの如来の是認は正しい教誡です」

『ミリンダ王の問い』の折伏と摂受の注です。

折伏 折伏するとは非難し、とがめるまたは制御するの語義であるが、ミリンダ王は刑罰の意味にとった。「折伏」の反対語たる「摂受」は、手をさしのべる、恵みを与えることである。本来、仏教において、折伏と摂受は、車の両輪のごときものであると説く。摂受のともなわない折伏は、往々にして邪見に堕す。慈悲と空観の実践者たる菩薩たちにとって、折伏一辺倒は大乗仏教の精神にもとるから、斥けられるべきものである。


折伏一辺倒云々は某団体への批判でしょう。
それはともかく、折伏とは死刑・身体刑・拷問の意味だとする経典があったのか疑問です。

ナーガセーナは苦を列挙する中で、裏切り者に科せられる拷問の種類をあげています。

粥壺の刑(頭蓋を割って、沸騰した粥を流し込む)も苦しみである。
貝剃の刑(磨いた貝のように、砂利で頭皮をこする)も苦しみである。
ラーフの口の刑(口を鉄針で開き、そのなかに油を注いで、火を点ずる)も苦しみである。
光環の刑(全身を油布でまいて火をつける)も苦しみである。
光明の手の刑(手を油布でまいて火とつける)も苦しみである。
蛇の皮剥ぎの刑(首から膝にかけて皮膚を細長く剥ぎ、足のまわりにたらす)も苦しみである。
皮剥ぎ衣の刑(細布のように、剥いだ皮膚をそれぞれ毛髪で結び、ヴェールをかぶったようにする)も苦しみである。
かもしかの刑(膝と肘とをいっしょにしばり、鉄板の上にかがませて、下から火をつける)も苦しみである。
肉鉤の刑(肉鉤でつりあげられる)も苦しみである。
カハーバナ貨の刑(カハーバナ銅貨の大きさに、身体を寸断する)も苦しみである。
灰汁裂きの刑(刃物で身体を傷つけ、灰汁を注ぐ)も苦しみである。棒廻転の刑(両耳の孔を鉄棒で刺し通して、大地にころがす)も苦しみである。
藁ぶとんの刑(骨をつぶすほどたたいて、身体を藁ぶとんのようにする)も苦しみである。
熱した油をそそがれるのも苦しみである。
犬どもに喰われるのも苦しみである。
生きているまま串刺しにされるのも苦しみである。
刀で首を切られるのも苦しみである。

注に「インドの諸王のある者たちが、極端に残忍であったことは疑いなく正しいが、これら一連の刑罰名が、一般に知られていたものとは考えられない。おそらく、拷問が特別視されたとき、機械的につくり出されたものもあったであろう」とあります。

ミリンダ王はこうした拷問や死刑を釈尊が認めたかどうかと尋ねているわけです。
ところが、ナーガセーナはそれには答えず、死刑になるのは業の報いであり、釈尊の是認とは関係ないと言うばかりです。

死刑になるのは自ら作った行為(業)の報いではなく、死刑制度があるからです。
死刑制度がなければ死刑になることはありません。
ですから、死刑は政治の問題です。
ところが、ナーガセーナは政治の問題を業の問題にすり替えています。

戒律の一番目を不殺生戒とした釈尊が死刑や残虐な身体刑、拷問を認めたとは思えません。

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仏教と死刑(1)

2021年11月17日 | 仏教

杉木恒彦「インド大乗仏教経典に見られる刑罰・戦争論 十善はどのように王政として展開されるのか」によると、「仏教には、死刑を認める説と禁止する説の両方がある」そうです。
http://www.totetu.org/assets/media/paper/t181_267.pdf

『サティヤカの章』(『サティヤカの書』とも)は死刑禁止の立場、『ミリンダ王の問い』は死刑を肯定しています。
『サティヤカの章』はこのように説きます。

なぜ王は死刑をすべきでないのか。
刑罰の目的は罪人の矯正であり、罪人を決まりに従わせることである。
刑罰の目的が矯正であることは、医師と病人の喩えによって説明される。
医師が患者を治療するように、王は罪人の矯正を行う。

刑罰は慈しみをもって行うのであり、怒りをもってではない。
軽微な刑罰を行うのが基本である。
罪人に対し口頭での注意で刑罰の目的が達成されるなら、口頭での注意のみを施す。
もし口頭での注意のみでは目的が達成しないと分かったなら、死刑と目を潰す等の知覚器官の破壊と体肢の切断といった重い身体刑を除いて、慈悲の心から、拘束、収監、打つこと、威嚇、あるいはその他の軽微な身体刑、非難、叱責、居住地からの追放、罰金などにより厳しく対処する。

王が順守すべき基本的な戒めは十善である。
死刑と、目などの知覚器官を損壊させたり身体の一部を切断したりする重度の身体刑が禁止されるのは、十善の一番目である不殺生(殺さず、重刑をせず、危害を加えない)に反するからであり、罪人への憐れみからである。

どのような身体刑が行われていたのか、『ミリンダ王の問い』に、ナーガセーナが四苦八苦などの苦しみを列挙する中で、犯罪者に科せられる刑罰の方法を述べらています。

鞭で打たれるのも苦しみである。
籐で打たれるのも苦しみである。
半杖で打たれるのも苦しみである。
手を切られるのも苦しみである。
足を切られるのも苦しみである。
手・足を切られるのも苦しみである。
耳を切られるのも苦しみである。
鼻を切られるのも苦しみである。
耳・鼻を切られるのも苦しみである。

なぜ王は重度の身体刑をすべきでないのか。
破壊・切断された身体部位は元に回復できない。
それに対し、拘束や収監などは回復するので、矯正を目的とする刑罰として適切である。

罪人を適切に処罰することは憐みの実行である。
憐みの心によって厳しく処罰するとはどういうことなのか。
父は、悪さをする息子をしつけるために、息子への憎悪や害意からではなく、慈悲の心から軽微な処罰の方法により犯した罪を反省させ、また今後も罪を犯さないように、すなわち矯正のために息子を厳しく指導する。
王も、臣民たちを自分の息子と考え、怒りではなく憐みの心から、罪を犯した臣民の矯正のために軽微な処罰で厳しく対処する。

このように、不殺生の戒めに反することに加え、重刑は罪人を矯正するものではなく、不幸にするものなので、憐みある王は行なってはいけない。

王は十善のみを統治のよりどころとするのではなく、様々な具体的教えを説く経典や律典や論書に依拠して統治を行う。
だが、仏教外の伝統で編纂されたアルタ・シャーストラ群に依拠してはいけない。
なぜなら、それらは王の統治行為として暗殺や死刑や重度の身体刑といった殺生の実行を命じるからである。
王が依拠すべき教書は殺生の行使ではなく、三毒の克服を基調とするものでなければならない。

死刑執行は死刑囚自身の悪業の報いとして生じるのと同じく、戦場での敵兵殺傷は王への害意をもつ敵兵自身の悪業の報いとして生じる。
敵兵自身の悪業の熟した結果である罪とは、王への害意という悪業から発する、戦闘行為を含む敵対行為を指す。
戦場で殺されることは敵兵自身の自業自得である。

死刑は完全に禁止されるのに、なぜ敵兵殺傷は完全には禁止されないのか。
敵兵も憐れみの対象となるが、王にとっては臣民の守護(憐み)が第一であるため、戦場で敵兵を殺すことが臣民の守護のために不可避であれば、臣民への憐れみが優先される。
それゆえ、王は臣民を守る唯一・最後の手段として戦場で敵兵を殺傷することがあっても、自国の罪を犯した臣民には決して死刑などの重刑を課さない。

『サティヤカの章』は、死刑囚は憎悪の精神状態で死ぬので、地獄など悪趣への転生を繰り返すことになると説く。
しかし、殺された敵兵のその後については何も語らない。

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仏教と戦争(4)

2021年11月09日 | 仏教

 8 王の属性・義務としての戦争行為
『瑜伽師地論』によれば、王は勇敢でなければならないが、勇敢であるとは、軍隊を効果的に用いて未征服地を征服し、人々を守護することを意味する。

ハルシャ王や『瑜伽師地論』の王も、仏教的な転輪王というより、武力行使を行いながら征服していくクシャトリアとしての王に通じる面がある。
クシャトリア王のイメージを採用するとともに、殺生への言及を避け、勇敢に戦争に従事する王が業の報いを受けるかについて曖昧にし、その一方、仏法を推進するといった王の数々の善行を描き、王が来世で幸福な境遇を得ることを説く。

 9 布施などの善行により戦争行為という悪業の代償をする
戦士たちは戦わなければならないし、殺生しなければならない。
では、戦場で敵を殺す戦士は死後どうなるか。
罪をめぐる仏教の考え方は一様ではない。

戦争での殺生という悪業の報いについて、初期では業報は避けられないと説かれますが、次第に業報を受けることはないとされ、死後に天界に転生するとも説かれるようになりました。

①死後に地獄に転生する
『マハーバーラタ』などバラモン教聖典は、戦場において熱心に戦い、戦死した戦士は死後天界に転生するという教えが見られる。

仏教では本来、悪業の影響力の消去・減少は、寄進という善業によって実現するわけではない。
悪業と善業は相殺されることはなく、行為者は善悪双方の報いを、別の機会に、あるいは同時に受けなければならない。

釈尊は『ヨーダージーヴァ経』(パーリ語経典相応部)で、戦士は敵兵を殺そうという意図をもって戦っているため、その「劣った、悪しき、誤った心」ゆえに地獄に転生すると説く。

行為を企てる心の状態がポイントで、仏教は行為の意図がその行為の善悪を決定する要因であると考える。
では、善い意図で殺生を行う戦士は、死後に天界に行けるだろうか。

パーリ語アビダルマ文献群(上座部)においては、殺生に至る過程のどこかで憐れみなど善い心の状態が生じることはあるとしても、殺生行為そのものは必ず何らかの形の憎悪(瞋)によってなされるとされている。

『倶舎論』は、「たとえ徴兵されたとしても、たとえ戦いの目的が自分自身や友人や自国を侵攻者から守るためであっても、敵兵を殺す意図をもって戦う戦士は罪人である」と説く。
仏教では善い意図での殺生はあり得ない。
ということは、仏教では戦争は悪しき行為なのです。

②罪報を受けない
『サティヤカの書』によると、正しい王は敵兵を殺傷しても、殺生という悪業の報いを受けることはない。
なぜなら、殺生であっても、それが利益になり、憐みからなされるのであれば、その行為は罪にならないからである。
また、殺生によって多くの功徳がもたらされる。
なぜなら。王は人民の守護と一族のために自分の生命と財産へのとらわれを捨てて行なったからである。

罪の本質は、行為そのものより、その行為がどのような意図・精神状態でなされたかにある。
王の憐みは修行者の精神状態であり、三毒に動機付けられた俗的な偏愛ではない。
また、敵兵の戦死は、王に害意を抱く敵兵の悪業の報いとして生じるものである。

③死後に天界に転生する
『大史』によれば、ドゥッタガーマニ王は多くのドラヴィダ人を殺した戦争を悔いた。
すると8人の阿羅漢が、この戦争は王の天界への転生を妨げるものではないと慰めた。

・王は三宝に帰依した者1人と、五戒を守る者1人しか殺していない。その他は異教徒や悪人であって、家畜と同じである。
・王は様々な方法で仏法を繁栄させる。

最後に以下の旨の教えが説かれている。
「自分が望んで多数の人々を殺した事実と、殺しが危険であること(悪い報いを受けること)と、無常であるから彼らはそのように死んだのだということを心に念じるなら、その者は苦しみ(悪い報いを恐れる苦痛)から解放され、天界に転生することができる」

8人の阿羅漢の教えは、戦争の正当化というより、来世の報いに苦悩する王の慰め、すなわち一種のカウンセリングとして説かれている。
現代スリランカで比丘たちは、殺生をしなければならない兵士たちの慰めのためにドゥッタガーマニ王の物語を説いている。

これはひどい話だと思います。
異教徒や他民族を畜生扱いしているのですから。
この理屈ならどんな虐殺も正当化されます。
神国日本にまつろわぬ支那を膺懲するという考えにも同じ意識があったのでしょう。

④善業を積むことで天界に転生する
『大業分別経』(パーリ仏典経蔵中部)に「殺生など十悪を行なった者でも、それ以前、あるいはそれ以降に善行を行なっていれば、天界に転生することはある」とある。

王は戦争をしても、善業を積むことで、死後に天界に生まれる可能性がある。
悪業代償の方法としての善行の例がサンガへの寄進である。
スリランカと東南アジアでは歴史的に、サンガに布施をしたり、仏塔などを建立・寄進することが、王にとって戦争での殺生行為に対する代償だった。
つまり、悪いことをした後に善いことをすればチャラになるわけです。

⑤死後のことは曖昧なまま語らない
戦争での殺生やその業報が明記されない。
布施などの善行によって天界に転生するとしても、殺生という悪業の影響力は残ったままであり、別の生において報いを受けるかもしれない。

 仏教の戦争論
①正戦論 その戦争が正しいかどうかを検討するための理論的な枠組みを創出する。
②正当化論 検討なしに正しいと弁護する。
③聖戦論 戦争を神聖化、あるいは神的なものの命令とする。
④救済論 戦士が殺生の業報から免れるための方法を提供する。

仏教の戦争論は救済論である。
戦士が慰みや天界への転生を得るためには、戦士は十善を順守する、布施をするなどが求められる。
このように杉木恒彦さんはまとめています。

戦争は悪業だと考えていた仏教も、ヒンズー教やジャイナ教のように戦争での殺生を肯定するようになったのです。

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仏教と戦争(3)

2021年11月03日 | 仏教

 5 慈悲と自己犠牲の心をもって人民を守護する最後の手段として戦争を行う
①慈悲と自己犠牲による殺生
善い心の状態、あるいは善悪どちらでもない心の状態で他者を意図的に殺すことはあり得ると説く仏典もある。
慈悲と自己犠牲による殺生については、岡野潔「釈尊が前世で犯した殺人 大乗方便経によるその解釈」に論じられています。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/1187d9cb302406ee25d01777c8b43ffe

②人民を守護するための戦争
『サティヤカの書』によれば、正しい王は十善に従った統治を行う。
敵国の軍隊が戦争のために近くにいるとき、王がまず行うべきは、第1段階として友好、支援、威嚇という外交政策を行うことにより戦争を避けることである。

 第2段階
これらの方策によって戦争が避けられない場合は、正しい王は①臣民を完全に守るという決意、②敵に勝つという決意、③敵を生け捕りにするという3つの決意でもって戦争を開始するべきである。
王は不殺生の戒めを保持しており、自分の臣民はもちろん、敵兵に対しても憐みをもつので、敵兵を殺さず生きたまま捕らえることにより、この戦争に勝利し、臣民を守ろうと試みる。
しかし現実には、武器をかざして迫ってくる敵をすべて生け捕りにすることは困難である。

 最終段階
戦場において、王は軍隊を効果的に配置し戦う。
敵兵への憐みと臣民への憐みはいかなる状況でも全く同じというわけではない。
しかし、自分や仲間や共同体への偏愛があれば自由に敵を殺してよいのではない。
なお、戦争を最終手段とすることは、バラモン教の法典群と同じ考えである。

慈悲と自己犠牲による殺生と人民を守護するための戦争とは違いがある。
・王は罪業の報いを恐れることなく戦争行為を遂行できる。
・敵兵を殺傷しても、それは敵兵自身の悪業の報いである。
自衛のための戦争だったら、人を殺すことは罪ではなく、その報いを受けることもないということでしょう。

 6 仏法の拡大・定着のために領土拡大の戦争を行い、殺生をする
『大史』によれば、仏法のための戦争で多数のドラヴィダ人を殺したドゥッタガーマニ王(紀元前2世紀のスリランカ王)は、死後に天界に転生した。
当時、スリランカにはドラヴィダ人の王国が数々あり、ドラヴィダ人はほぼ全員が仏教徒ではなかった。
ドゥッタガーマニ王は仏法の定着のため、ドラヴィダ人の王たちと戦い、多数のドラヴィダ王と戦士たちを殺し、スリランカ統一を成し遂げた。

 7 仏法の拡大・定着と領土拡大という双方の目的のために戦争を行う
ハルシャ王(7世紀)の征服事業は王国の拡大と繁栄、仏法の拡大を目的とした。
度重なる軍事遠征によって支配地を拡大し、軍隊を強大化させたうえで、30年間の武力による争いのない平和的な統治が実現した。
ハルシャ王は仏塔や僧院を建立し、住民に殺生と肉食を禁じ、布施を行なった。
忠誠を受け入れた者には慈悲ある統治を行い、忠誠を受け入れない者は次々と征服して、インドの大部分を統べる王となった。

仏法拡大のための戦争とは、つまりは十字軍のようなものです。
西欧諸国によるアフリカ、アメリカ、アジアの植民地化はキリスト教の伝道とセットでした。

神田千里『顕如』によると、本願寺は戦国大名たちとの戦いに門徒を動員したが、動員の名目は仏法のための戦いだった。

永禄13年(1570年)近江国中郡の門徒へ織田信長と戦うことを命じた檄文。

親鸞の法流が存続するよう、命を捨てて忠節に励んでもらいたい。無沙汰する門徒は永久に門徒とは認めない。


天正元年(1573年)、越中をめぐる上杉謙信との争いで、加賀の北二郡一向一揆に宛てた消息。

仏法が破滅するのだろうかと思うと、これ以上の悲しみはない。信心決定すれば命も惜しくないのだから、是非とも全員が信心決定するように。打ち続く戦さでの疲れは察するにあまりあるが、団結し、断行して力を尽くすことが肝要である。

この時期、本願寺は近江で織田信長、越中で上杉謙信と交戦していた。

石山本願寺で籠城していた天正5年、諸国の門徒への御書。

本願寺のことは去年から籠城が続いており、人々の疲れをどうか察してほしい。本願寺の伝える仏法の教えが破滅してしまうに違いないと思うと嘆かわしいことこの上ない。(略)軍略の上でお金が必要なので、迷惑を顧みない依頼で心苦しいが、一層の尽力を頼むばかりである。なんとしても仏法が存続するよう志を励まれんことを希望する。

顕如はこうした手紙を数多く門徒に送っています。

天正11年、賤ヶ岳の戦いでは本願寺は羽柴秀吉方に軍事的にも協力した。
軍事行動をねぎらう慈敬寺顕智の手紙。

柴田殿が滅亡されたことはめでたいと思われる。羽柴殿はいよいよ御法主様へ心遣いをなされるから、これまで以上に仏法が繁昌するに違いなく、これをありがたく存ぜられなくてはならない。

昨日の敵は今日の友、仏教(=本願寺)を維持、拡大するためならどういう手段を使ってもかまわないのでしょう。

本願寺にとって教団の存続が仏法守護であり、本願寺に背く者は法敵とされました。
神田千里さんはこのように書きます。

仏法の語から仏教ないし親鸞の教義のみを現代風に想起する必要はない。幕府体制の一員として仏法そのものである本願寺が生き延びていくための戦いが仏法のための戦いだとみることは可能である。

仏法のためと言いながら、本願寺の勢力拡張のために多くの門徒が殺されています。
本願寺は門徒を守ってはいないように思います。

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