三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

『現代アメリカの陰謀論』と『現代オカルトの根源』5

2014年01月29日 | 陰謀論

なぜ霊性進化論がはやるのか、つまりニューエイジ・スピリチュアルがブームになるのか、大田俊寛『現代オカルトの根源』によると、こういうことらしい。

大田俊寛氏は、霊性進化論はダーウィンの進化論に対する共鳴と反発によって生み出されたと言う。

進化論によれば、人間は本質的に他の動物と変わらないその一種と捉えられ、人間に備わった固有の霊性が黙殺されることになるからである。

なるほど、シュタイナー教育で有名なシュタイナーも神智学の流れを汲んでいて、ダーウィンの進化論を否定しているのもそのためか。そういえば、以前読んだ幸福の科学の雑誌にマンガが載ってて、地獄で苦しむダーウィンとマルクスが出てきました。

ダーウィンの進化論が及ぼした広範な影響についての大田俊寛氏の説明をまとめました。

キリスト教の世界観は地動説によって最初の打撃を受け、地球は宇宙の中心としての地位を追われた。
そして進化論によって、人間は神によって地上の支配者として創造された特別な存在という地位から追われることになった。
そのために人は自己のアイデンティティの基盤を見失うことになる。

マックス・ウェーバーは『職業としての学問』において次のように述懐している。
現代の文明は「無限の進歩」を前提としているため、現代人は必然的に、進歩の過程の途中で死を迎えざるをえない。ゆえに、彼にとって自己の生は、常に不満足で無意味なものに映ってしまう、と。

このような状況に置かれた現代人にとって、霊性進化論はほとんど唯一の福音とも思われるほどに、魅惑的に響く。

肉体が潰えた後も霊魂が存在し、輪廻転生を繰り返しながら永遠に成長を続けることによって、人間は世界の進化と歩みをともにすることができると考えられるからである。

日本ではキリスト教的世界観の崩壊はともかくとして、アイデンティティの崩壊が霊性進化論への共感を呼ぶという指摘にはうなずかされる。

山崎行太郎『保守論壇亡国論』です。

人間は何事であれ、「わかりたい」、「問題を解決したい」と欲する動物である。そして、「わかりやすい答え」にすぐ飛びつく。インテリであれ大衆であれ、それは変わらない。先の見えない暗中模索の時代になると、不可思議な人間が暗躍するようになる。「わかりやすい答え」が威力を発揮するのはそういう時代である。


霊性進化論では、生まれてきた目的は霊性を向上させることだと「わかりやすい答え」を提示する。

おまけに、死んでも死なないのだから、死の恐怖もなくなる。

大田俊寛氏は霊性進化論のプラス面とマイナス面を次のように指摘している。

人間を単なる物質的存在と捉えるのではなく、その本質が霊的次元にあることを認識し、絶えざる反省と研鑽を通じて、自らの霊性を進化・向上させてゆくこと。それが霊性進化論の「正」の側面であるとすれば、しかしこの思考法は、その裏面に強烈な「負」の側面を隠し持っている。端的に言えば、霊性進化論は往々にして、純然たる誇大妄想の体系に帰着してしまうのである。

霊性の進化・向上が正の側面とは思えない。

負の側面について、大田俊寛氏は三点を述べている。

(1)霊的エリート主義の形成
霊性進化論においては、人間の有する霊性が実体的なものとして捉えられ、しばしばその性質に対して、レベルや種別の区分が設定される。そして霊性進化論の信奉者たちは、その思想に慣れ親しむうちに、自分こそは他の人々に先んじて高度な霊性に到達した人間であると考えるようになる。また、その集団においては、最高度の霊格の持ち主と見なされる人物が「神の化身」として崇拝され、他の成員たちは、彼の意思に全面的に服従することを要請される。それとは対極的に、集団の思想を理解しない者、その体制や運動を批判する者に対しては、「霊性のレベルが低い」「低級霊や悪魔に取り憑かれている」「動物的存在に堕している」といった差別意識が向けられ、しばしば攻撃が実行される。

霊性進化論の基本的な考え方は、霊格の高い者が低い者を教え導くことにより、世界には正しい秩序が形成されるというもので、つまり上から目線。

(2)被害妄想の昂進
霊性進化論の諸思想は、その端緒においては、目に見えない世界の法則をついに探り当てたという喜びと昂奮によって、楽観的な姿勢運動を拡大させる。しかし、その思想や団体が社会的に認知され、一定の批判を受けるようになると、彼らの思考は急激に「被害妄想」へと反転する。すなわち、目に見えない闇の勢力によって自分たちは攻撃・迫害を受けており、真理を隠蔽されようとしていると思い込むのである。その論理はしばしば、闇の勢力が広範囲にわたるネットワークを形成しており、人々の意識を密かにコントロールしているという、陰謀論の体系にまで発展する。

陰謀論者の妄想は本人にとっては真実なのである。
自分たちの主張が社会から認められないのは陰謀のせいだというのは、陰謀論者の常套文句。

(3)偽史の膨張
霊性進化論は、「人間の霊魂は死後も永遠に存続する」というプリミティブな観念を、近代の科学的な自然史や宇宙論のなかに持ち込もうとする。その結果、地球上に人類が登場する前から、さらには地球が誕生する前から、人間の霊魂がすでに存在していたという奇妙な着想が引き寄せられることになる。そしてこのような論理から、人類は地球に到来する前に別の惑星で文明を築いていた、あるいは、有史以前にすでに科学文明を発達させていたなど、超古代史的な妄想が際限なく膨張してゆくのである。歴史は、光の勢力と闇の勢力が永劫にわたって抗争を続ける舞台となり、両者の決着が付けられる契機として、終末論や最終戦総論が説かれることもある。

ムーとかレムリアとか。

もう一つ、レイチェル・ストーム『ニューエイジの歴史と現在』に指摘されているこういう問題もある。

人類は今、パラダイム・シフトの時期にあり、意識を変化させることで、神的な存在に変容しようとしている。そのような変容を達成しようとする戦いでは、知性がその敵となる。

科学、そして科学的思考の否定。

大田俊寛氏は結論としてこのように述べる。

霊性進化論の数々のヴァリエーションを概観してきた今、その理論が実際には、妄想の体系以外のものを生みだしえないということを、もはや結論して良いと思われる。しかし、果たしてわれわれは、その思想を一笑に付して済ますことが許されるだろうか。
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『現代アメリカの陰謀論』と『現代オカルトの根源』4

2014年01月25日 | 陰謀論

陰謀論者は異星人には善意の異星人と悪意の異星人がいると考えている。

この世は不可視の存在によって支配されているとするオカルティズムの発想は、楽観的な姿勢としては、人類は卓越したマスターたちに導かれることによって精神的向上を果たすことができるという進歩主義を生み出し、悲観的な姿勢としては、人類は悪しき勢力によって密かに利用・搾取されているという陰謀論を生み出す。(大田俊寛『現代オカルトの根源』)

善意の異星人は、人類の進化を手助けしようとしている。
悪意の異星人は、霊性進化に向かう人類の歩みを阻み、地球侵略をもくろみ、人類の奴隷化、家畜化をたくらんでいる。
悪意の異星人の手先の中にはアメリカ政府の高官など特権エリート層もいる。

まずは善意の異星人から。
1947年にケネス・アーノルドが「水面をスキップする円盤のように」飛行する不思議な物体を目撃して以来、空飛ぶ円盤の目撃事例が急増する。
1951年、ロバート・ワイズ監督の『地球の静止する日』が公開される。
人類による核兵器の使用を危惧した宇宙人が警告のために円盤で地球に飛来するという話である。
この映画には元ネタがあるかどうか知らないが、善意の異星人論者に与えた影響は大きいそうだ。

キリスト教根本主義の団体に、UFOは本当は天使であり、キリスト再臨と最後の審判を告げにやってきたと信じる連中がいる。(テレンス・ハインズ『「超科学」をきるPartⅡ』)

レオン・フェスティンガーが『予言がはずれるとき』(1956年刊)で取り上げたキーチ夫人の団体がその一例である。
1954年にキーチ夫人は、大洪水が起きるが、少数の人は空飛ぶ円盤によって他の惑星(高次の世界)に連れて行かれる、という予言をした。

これは携挙の宇宙人版である。
携挙とは、正しいキリスト教徒だけが神によって天に引き上げられることである。
ところが、イエスによってではなく、宇宙人が天に引き上げてくれると考える人たちが出てきた。
ニューエイジで言うアセンション(人間もしくは世界そのものが高次元の存在へと変化すること)は携挙と関係がある気がする。

キーチ夫人は若いころ神智学に興味を持ったという。
『現代オカルトの根源』によると、なんと空飛ぶ円盤で有名なジョージ・アダムスキーも神智学と関係があるそうだ。
アダムスキーは『地球の静止する日』と似たり寄ったりのことを主張している。(どちらが先なのかはわかりません)
アダムスキーが接触した宇宙人(スペース・ブラザーズ)は神智学で言う「大師」である。
高い知性を持つ友好的な人類の導き手タイプで、人類は惑星間を転生しながら生き続けることを伝え、核兵器の開発によって人類が破滅の危機に瀕していることを警告する。

スペース・ブラザーズ(というか、アダムスキー)によれば、地球は罪人の追放場所で、「厄介な利己主義者が集められた更生施設」なのである。
そのために地球は戦乱が絶えない惑星となってしまったので、スペース・ブラザーズは何度も救世主となる人物を地球に送り込んだが、人間によって殺害されてしまい、地球の状況は改善されず、このままでは地球は終末を迎えてしまう。
こうしたアダムスキーの主張には批判が多く、アダムスキーは「自分を批判する動きは、「サイレントグループ」という名称の陰謀勢力によって引き起こされている」と主張した。

次は悪意の異星人です。
秘密結社を牛耳る悪の権力は、実は爬虫類型宇宙人(蛇族)だと主張する人たちがいる。

宇宙から飛来した「爬虫類型異星人(レプティリアン)」である。彼らは「変身」の能力を用いて、あたかも地球人であるかのように振る舞い、世界各国の政治や経済における指導者として君臨し、その他の人類を家畜として管理・利用している。(略)
今や彼らは、政治・軍備・金融・メディア・宗教等のあらゆる分野を通して、人類を思うがままに操作している。(大田俊寛『現代オカルトの根源』)


私が小学生のころ読んだ「少年マガジン」に、なぜ人は蛇を見ると気持ち悪く感じるのかというと、はるかな昔、蛇族(爬虫類人)と人間との戦いがあり、その記憶が我々に残っているからだという話が載っていた。
『現代アメリカの陰謀論』によると、身体が人間で頭が蛇の形をしており、任意に人間に姿を変える能力を備えているという蛇族を最初に思いついたのは「コナンシリーズ」のロバート・E・ハワードで、『影の王国』(1928年)という小説なんだそうだ。

森達也『職業欄はエスパー』に、秋山眞人氏がグレイという爬虫類が進化したタイプの宇宙人がいると話しているので、ネットで「グレイ」で検索すると、画像がたくさんあった。
グレイは『E.T.』に出てくる宇宙人みたいな姿で、蛇族という感じではない。

大田俊寛『現代オカルトの根源』によると、驚くことに大川隆法氏も悪意の爬虫類型異星人について注意をうながしているそうです。

近年の大川は、宇宙人に関する理論を積極的に展開しているが、そのなかではエンリルという神に対して、さらに特殊な性質が付与されている。それによればエンリルの正体は、宇宙から飛来した「爬虫類型の異星人である。

古代シュメールの神である「エンリル」という霊格は、世界の裏側を支配する神で、その系統からは祟り神、悪魔、邪術を操る者が生み出されたとのこと。
さらには、大川隆法氏に大きな影響を与えた師と言うべき高橋信次もエンリルの系統と位置づけが変更されている。
話題のものはなんでもと取り入れる大川隆法氏の懐の広さを讃えるべきかもしれません。

さらには、空洞になっている地球内部に住む蛇族の高度な文明が作り上げたUFOが地球の内部から飛来すると主張する人たちがいる。

ここ(地球の内部)は邪悪なグレイの住処であった。グレイとは、一般的に想像される大きな頭をもつ短躯の生き物であるが、最近ではグレイはレプトイド=爬虫類人と結び付けられている。(大田俊寛『現代オカルトの根源』)


悪の異星人は地球に飛来したり人間の精神を操るなど、高度の科学技術を持っているんだから、とてもじゃないけど地球人が太刀打ちできるとは思えません。

もし陰謀論者が信じるほど陰謀者が強大な権力と狡猾さを備えているとすれば、善の力が最後の勝利を収めることをいったいなにが請け合ってくれるのか。(マイケル・バーカン『現代アメリカの陰謀論』)

陰謀論者は人類の未来に楽観的だと思います。

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『現代アメリカの陰謀論』と『現代オカルトの根源』3

2014年01月21日 | 陰謀論

生まれ変わりをしながら霊性を向上・進化させるという霊性進化論がどうして陰謀論と関係するのか。
ブラヴァツキー夫人の考えを大田俊寛『現代オカルトの根源』はこのように説明している。

人類の歴史は、「霊的進化」と「物質的進化」という二種類の進化のラインの交錯によって形作られており、そのなかで人類は、霊の進化のラインに従えば神的存在に近づくことができるが、それとは反対に、物質の進化のラインに導かれれば、悪魔や怪物を含む動物的存在に堕してゆくことになるのである。

大田俊寛氏によれば神智学の教説は、霊の性質によって神人と獣人を区別するという二元論的思考であり、人類の霊性を進化・向上に導く善と、動物へと退化・堕落させる悪との対立、戦いという図式で世界を見る。

というわけで、霊性進化論が陰謀論と結びつき、
「動物への退化」の道を歩む悪の勢力、闇の勢力が秘密結社を作って、神的本質を有する人間を脅かしている、という陰謀論のお話になる。

陰謀論とは、悪の勢力が善の勢力を支配しようという善と悪との対立なわけで、言っちゃなんですが、何かあればすぐに悪の勢力のせいにしてしまう陰謀論者の世界はきわめて単純にできている。

ブラヴァツキー夫人の当時、ヨーロッパのオカルト的宗教結社の内外では、『シオン賢者の議定書』に基づくユダヤ陰謀論が唱えられるようになった。
ユダヤの秘密結社は金融制度とメディアの力を駆使して人々をマインド・コントロールしている、というわけです。

ナチスも神智学の流れを汲んでいるそうです。

ナチズムにおける民族的運動が、通常の近代的ナショナリズムの範疇を遙かに超える暴挙に結びついた原因の一つとして、霊性進化論に基づく特異な世界観からの隠然たる影響があったということを、われわれは決して見逃してはならないだろう。


オウム真理教でも、「神的種族(神人)」と「動物的種族(獣人)」の対立が、近い将来に最終戦争=ハルマゲドンの勃発になると説いた。

オウムの理論によれば、多くの人々が動物化するその背後では、邪悪な組織が密かに活動を展開している。麻原はその存在を「ユダヤ=フリーメイソン」と名指した。ユダヤ人の秘密結社であるフリーメイソンは、政治・教育・メディア等を操作することによって人々の意識を誘導し、彼らを家畜として支配することを目論んでいる。


幸福の科学について大田俊寛氏はこのように書いている。

光の指導霊に従うことによって人間の霊性を進化させ、ユートピア社会を建設するという方向性と、人間を堕落させ、文明を破局に導く悪霊の働きを退けるという方向性


ナチスのユダヤ人殲滅とオウム真理教事件は善と悪との対立という陰謀論で結びついているわけで、その考えの根本はスピリチュアルや幸福の科学とも共通しているわけです。

それと、キリスト教右翼と陰謀論。
『現代アメリカの陰謀論』の訳者である林和彦氏はあとがきにこう書いている。

米国ではいわゆる艱難をもたらすものとして、秘密結社の陰謀、共産主義への激しい敵意、冷戦対決、さらにはイスラエルへの極端な肩入れやイスラム諸国への激しい敵視などが生まれるとともに、一部の人たちに核戦争を待望したりUFOによる携挙を待ち望んだりするという常軌を逸した信念体系が長年に亘って生み出されてきた。

艱難や携挙とはキリスト教の考え。
この世の終わりには救世主が再臨し、理想的世界である千年王国が地上に実現されるという千年王国信仰はキリスト教国であるアメリカで根強い。(再臨が千年王国の前か後かは説が分かれる)

グレース・ハルセル『核戦争を待望する人びと』によると、善と悪との勢力の最終戦争(艱難)で世界は終わりになり、その時にキリストが再臨して最後の審判が行われる、と信じているファンダメンタリスト(聖書根本主義者)や福音派がアメリカには大勢いて、かなりの勢力を持っている。

『核戦争を待望する人びと』によって彼らの考えをまとめると、秘密結社、共産主義、イスラム原理主義などがサタンやアンチ・キリストである。

神の定められたことの成りゆきでは、善であるアメリカと、悪の勢力であるサタンに率いられた軍隊とが核兵器を駆使するハルマゲドンが避けられない。
艱難は歓迎すべきことであるとキリスト教右翼は考える。
なぜなら、キリストが再臨すれば自分たちは天上に引き上げられる(携挙)からである。

友人や身内が地獄に堕ちても、彼らの苦しみは天国で生き延びた者たちの心を悩ませないことになっている。

イエスを救世主として認める者のみが救われ、あとは永遠に地獄で苦しむと信じる人たちはハルマゲドンが起こることを期待し、ハルマゲドンが起きなければ自分たちで起こそうとする。
ということで、陰謀論とキリスト教右翼が結びつくわけです。

千年王国信仰の前提として善(キリスト教徒)に対する悪の勢力がいないといけない。
アンチ・キリストと見なされていたのがソ連である。

マイケル・バーカンによれば、ソ連はすべてのアメリカ人たちキリスト教徒と「自由世界」の兵士たちが隊列を整えて立ち向かうべき悪の帝国であり、唯一の敵だった。
ところが、ソ連が消滅してしまったために、善と悪の闘争という二元論的世界が見えなくなった。

しかしながら、ソ連が世界地図から消えても、陰謀論者はくじけない。
UFOが登場するのである。

マイケル・バーカン『現代アメリカの陰謀論』によると、ソ連の崩壊という敵対者の喪失を埋め合わせたのが新世界秩序理論である。

大雑把に言えば「新世界秩序」理論とは、世界支配をもくろむために悪魔のように狡猾で邪悪なある秘密結社が、あらゆる出来事を操っているという唯一の筋書きを、現在の政治の説明に適用しようとするものである。

新世界秩序の思想は1990年代にUFO陰謀論と合体したそうだ。
世界支配をもくろむ秘密結社の支配者が地球外生命体だというわけである。

そんなアホな話をと思ったが、1997年のタイム誌とCNNの世論調査では、異星人による誘拐を信じるアメリカ人は17%もいる。
『MIB』や『フォーガットン』(宇宙人による子供たちの拉致に政府が関わっているという話)のような、宇宙人の陰謀にアメリカ政府が荷担しているという映画は結構ハリウッドで製作されている。
アメリカ人はこんな与太話を本気で信じている人が少なくないらしい。

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『現代アメリカの陰謀論』と『現代オカルトの根源』2

2014年01月16日 | 陰謀論

次に、大田俊寛『現代オカルトの根源─霊性進化論の光と闇』で論じられている「霊性進化論」について説明しましょう。

 1 霊性進化論とは何か?
以前、ブライアン・L. ワイス『前世療法』を読んだ時には、宗教はいらなくなるのではないかと思いました。
患者に退行催眠を施したら前世の記憶を甦らせたことから、人は生まれ変わりをくり返しながら霊的に成長する、霊性の成長のために生まれる際に課題を持って生まれてくると、『前世療法』に説かれています

この「生まれ変わり成長論」とでも言うべきニューエイジ・スピリチュアルの中心思想を、大田俊寛氏は「霊性進化論」と名づけている。

人間の存在を、霊性の進化と退化という二元論によって捉えようとするこの図式を、本書では「霊性進化論」と称することにしよう。


人間の生の目的は、輪廻転生を繰り返しながらさまざまな経験を積み、霊性のレベルを進化・向上させてゆくことであり、ついには神的存在にまで到達することができるという考えが霊性進化論である。
霊性進化論では、人間の歴史は霊性を進化させる歩みとして理解されるが、しかしその道を転落し、「獣人」へと退化・堕落してしまう霊魂も存在するという、神か動物かの極端な二元論を説く。

この霊性進化論の影響はオウム真理教などの新宗教やオカルティズム、SFや『美少女戦士セーラームーン』とかのアニメといった領域にまで及んでいるわけです。

 2 霊性進化論の流れ
『現代オカルトの根源』には、「霊性進化論」の起源と変遷がたどられている。

① 神智学
霊性進化論で主張されていることはありふれているので、古今東西のさまざまな宗教にいくらでも見つけることができると思うのだが、大田俊寛氏はそうではないと言う。

なぜならそこには、「進化」という近代特有の概念が、明確に刻み込まれているからである。(略)
霊性進化論は、ダーウィンの『種の起源』が発表されて以降の世界、すなわち、19世紀後半の欧米社会で誕生した。


霊性進化論の源流を形成したのは、ブラヴァツキー夫人(1831~1891)が創始した「神智学」という宗教思想運動である。
レイチェル・ストーム『ニューエイジの歴史と現在』によると、霊媒師だったブラヴァツキー夫人が神智学協会を創設する。
ロンドンの心霊科学協会は夫人を詐欺師と認定したが、ネルーやガンジー、イェーツ、カンディンスキーといった著名人も協会に加わっていた。

大田俊寛氏は神智学の教説を次のようにまとめている。

西洋オカルティズムの世界観を基礎に置きつつ、秘密結社・心霊主義・進化論・アーリアン学説・輪廻転生論といった雑多な要素を、その上に折衷的に積み重ねていったものと捉えることができる。


霊性進化論の中心的要素。

(1)霊性進化――人間は、肉体の他に「霊体」を持つ。人間の本質は霊体にあり、その性質を高度なものに進化させてゆくことが、人間の生の目的である。
(2)輪廻転生――人間は、霊性を進化させるために、地上界への転生を繰り返す。地上での行いは「カルマ」として蓄積され、死後のあり方を決定する。
(3)誇大的歴史観――霊体は永遠不滅の存在であるため、個人の歴史は、天体・人種・文明等の歴史全体とも相関性を持つ。これらの集合的存在もまた、人間と同様に固有の霊性を有し、円環的な盛衰を繰り返しながら進化を続けている。
(4)人間神化/動物化――人間は霊的な成長を遂げた結果として、神のような存在に進化しうる。しかし、霊の成長を目指さず、物質的快楽に耽る者は、動物的存在に退化してしまう。
(5)秘密結社の支配――人類の進化全体は、「大師」「大霊」「天使」等と呼ばれる高位の霊格によって管理・統括されており、こうした高級霊たちは、秘された場所で結社を形成している。他方、その働きを妨害しようともくろむ悪しき低級霊たちが存在し、彼らもまた秘密の団体を結成している。
(6)霊的階層化――個々の人間・文明・人種は、霊格の高さに応じて階層化されている。従来の諸宗教において「神」や「天使」と呼ばれてきた存在の正体は高級霊であり、それとは反対に、「悪魔」や「動物霊」と呼ばれてきた存在の正体は低級霊である。
(7)霊的交信――高級霊たちは、宇宙の構造や人類の運命など、あらゆる事柄に関する真実を知悉しており、必要に応じて、霊媒となる人間にメッセージを届ける。
(8)秘教的伝統・メタ宗教――霊性進化に関する真理は、諸宗教の伝統のなかに断片的な形で受け継がれている。ゆえに、それらを総合的に再解釈し、隠された真理を探り当てる必要がある。

2番目の「カルマ」によって次の生のあり方が決まるということだが、霊性進化論には、生まれ育つ環境や自分の能力などを自分で選ぶ(障害者という経験をするために障害を持って生まれるなど)という説もある。

② アメリカ
大田俊寛氏によると、アメリカでは霊性進化論は「ポップなオカルティズム」として多くの人々に受容され、1960年代に盛んになったニューエイジの大きな要素を占めた。
ニューエイジは神智学とほとんど変化していないが、新奇性やエキゾティシズムを感じさせるさまざまな装いが施されているそうだ。

③ 日本
日本で「精神世界」の流行や「第三次宗教ブーム」があったのは1970~80年代以降。

日本における霊性進化論の展開
 ・ヨーガや密教の修行を中心とする流れ
クンダリニー・ヨーガの修行による超能力の開発が重視される。
神智学系ヨーガの流れ 三浦関造、本山博、桐山靖雄
代表する新宗教の団体 オウム真理教

 ・スピリチュアリズムを中心とする流れ
高位の霊格との交信が重視される。
スピリチュアルの流れ 浅野和三郎、高橋信次
代表する新宗教の団体 幸福の科学

スピマやオウム真理教、幸福の科学、あるいはサイババや江原啓之といった人も霊性進化論の流れの中にあるわけです。

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『現代アメリカの陰謀論』と『現代オカルトの根源』1

2014年01月13日 | 陰謀論

マイケル・バーカン『現代アメリカの陰謀論―黙示録・秘密結社・ユダヤ人・異星人(読みにくいのでオススメはしない)を読み、陰謀論とキリスト教右翼、UFOにつながりがあること、そして、人類を支配しようとしている爬虫類型宇宙人にアメリカ政府が支配されていると信じている人たちがいると知って驚いた。

そしたら、神智学からオウム真理教・幸福の科学への流れについて書かれている大田俊寛『現代オカルトの根源──霊性進化論の光と闇でも宇宙人陰謀論に言及している。
この世界は奥が深いと感心しました。

どのようにご紹介しようかと悩みましたが、まずは陰謀論から。
町山智浩『教科書に載っていないUSA語録』によると、アメリカ国民の3割がオバマ大統領は外国生まれだと考えているそうだ。
オバマ大統領はアメリカで生まれていない、だから大統領になれない、と信じる人々をバーサーズと呼ぶ。

バーサーズの主張は何か?

オバマは外国のスパイで、真の目的は内部からアメリカを滅ぼすことだ。

つまり、アメリカにはこんな陰謀論を信じている人が3分の1もいるわけです。

マイケル・バーカン『現代アメリカの陰謀論』によると、陰謀論者たちは世の中全般が事実とみなしているものが虚構であり、虚構とみなされているものが実際には真実であると言い張る。

たとえば、フランス革命やロシア革命、あるいはケネディの暗殺、エイズの猖獗、世界貿易センターへの攻撃などについて、多くの人は本当の真実を知らない、と陰謀論者は主張する。

陰謀信仰の核心は、悪を明確に解説することにある。

世界征服を企む悪の勢力とされるのは、フリーメーソンなどの秘密結社やユダヤ人が牛耳る金融資本など。
モルデカイ・モーゼ『日本人に謝りたい―あるユダヤ人の懴悔』によると、共産主義はユダヤマルクスに注文して作らせたものなんだそうな。

陰謀論は、集団そのものと集団の活動が秘密か公開かによって分けられる。
集団も活動も秘密にされているのがユダヤ人の陰謀である。
集団は公知だが活動は機密というのは、フリーメーソンやCIAなど。
ちなみに、集団は秘密だが活動は公知なのが匿名の寄付だそうだ。

マイケル・バーカンによれば、ほぼすべての陰謀論は以下の三つの原則に分類される。

●何事にも偶然はない……陰謀とは、世界が偶然の符合などの排除された意図的なものを基盤とするとみなすことを意味している。あらゆる出来事は意図的に発生する。これが最も極端にまで走ると、実世界よりはるかに首尾一貫した幻想世界という結末に至る。

 

●何事も表面とは異なる……陰謀を画策する者たちは、正体や活動を隠蔽するため、表面上は欺瞞的となる。したがって外見が清廉潔白に見えるからといって、その個人なり集団が無害という保証にはならない。

 

●何事も結託している……陰謀論者たちの世界に偶然のはいり込む余地はない。そのため、表面的な見方ではわからなくても、あらゆるものにある決まったパターンが存在すると信じる。したがって陰謀論者たちは、隠された結合を描き出すために常に連鎖や相関を打ち立てなければならない。


秘密にされているにもかかわらず、どうして陰謀論者だけが真実を知っているのか。

1,どうして多くの人は真実を知らないのか?

陰謀がきわめて強力なため、情報伝達のほぼすべての経路――大学やメディアなど――を支配している。そのうえ陰謀は、活動の隠蔽に全精力を注ぎ込むため、真相を暴露しようとする人たちを誤解させるための知識の生産や普及に支配力を発揮する。

多くの人々は洗脳されて、支配者の意のままに操られていると陰謀論者は考える。

たとえば、マイクロチップの体内埋め込みによって精神を支配され、政府の奴隷にされていると信じている人たちがいるそうで、この人たちはコンピュータが作り出した仮想現実だったという『マトリックス』を真実だと思ってるんでしょうね。

2,どうして陰謀論者は洗脳からまぬがれているのか?

信奉者たちは、マスメディアなどの情報源が信用できないと退けることにより、大多数を欺くのに用いられるマインド・コントロールや洗脳を回避している。


3,どうして陰謀論者は他の人が知らない真実を察知しているのか?

陰謀者たちの支配の許から滑り落ちたと称する、それゆえ内幕の真相が暴露されている本物の証拠を握っているのだと言い張る。

政府の機密文書や「シオンの長老たちの議定書」などがその証拠とされる。

だけど、そんなに悪の勢力が強力で、アメリカ大統領も彼らの手先だとしたら、とっくの昔に世界は彼らの手に落ちていると普通なら思う。
しかし、陰謀論者はそんな常識に耳を傾けはしない。

陰謀論者はどうしてそんなに自信たっぷりなのか、『情報時代のオウム真理教』はこのように説明する。

自己にとって認めがたい社会の諸々を「誤り」とみなし、その原因を邪悪な何者かの陰謀に帰することによって、自己の正しさを損なうことなしに現実を「理解」するのである。

「自己にとって認めがたい社会」というのがポイント。
バーサーズの場合だと、町山智浩氏によれば「バーサーズは黒人の大統領を受け入れられない白人たちの拒絶反応が歪んだ形で表出したもの」である。


もう一つ、

陰謀論を主張する人々の心理には、正しいものが脅かされている危機感と切迫感、自分だけは真実を見抜いているという「衆愚」に対する優越感と孤立感、およびそれに伴う使命感が観察される。(『情報時代のオウム真理教』)

使命感もさることながら、自分だけが真実を知っている、それにひきかえ他の奴らは、という優越感は快感だと思う。
報われない毎日、つまらない日々という受け入れがたい現実を、陰謀論によって世界を整然とした意味のあるものにすることができるのだから。

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『銀幕のなかの死刑』2

2014年01月07日 | 死刑

死刑は犯罪の抑止になるとか、社会の秩序を守るために必要だとか、日本では8割が死刑に賛成しているとか、そういった死刑賛成論に反論することは難しくないが、被害者は厳罰を求めている、遺族の気持ちを考えれば死刑は当然だという被害者感情論は反論しにくい。
『銀幕のなかの死刑』にある、岡真理氏による『私たちの幸せな時間』の解説を読み、被害者感情が応報感情とイコールになったら問題だと思った。

殺したんだから、死刑によって命を奪うのは当然だと言うのなら、自動車事故で死なせた、加害者は自動車で轢き殺すべきだということになる。
実際、イエメンで加害者は轢き殺されたという。
岡真理氏は聞いた話としてこういう出来事を紹介している。

1970年代にイエメンで、フランス人が誤って車でイエメン人の子供をはねて殺してしまった。
「命には命」なので、子供を殺されたイエメン人の父親が、車でそのフランス人を轢き殺すことになった。
公開で行われ、その一部始終をフランス人の奥さんも観る。
轢いてもなかなか死ななくて、何度も何度も轢いたそうだ。

岡真理氏はイランでの例も紹介している。
言い寄った男性を断ったことを逆恨みされ、硫酸を顔にかけられたアームネ・バフラーミー(アメネ・バハラミ)さんに、硫酸を男の目に垂らして失明させる権利があるという判決が下った。
タヘレ・バハラミーさんが夫の不倫相手の女性に硫酸をかけられ、顔がただれて両眼を失明したという事件でも、タヘレ・バハラミーさんには相手の女性を同じように失明させる権利があるという判決が下りた。

こういう話を聞くと、イスラム世界は野蛮だと思う。
しかし、岡真理氏はこう異議をはさむ。

でも、「命には命を」だ、「殺したんだから死刑にすべきだ」と言う人たちが、「目には目を」の話を実践している社会の話を聞くと「野蛮だ」と言うとしたら、それはちょっとおかしいんじゃないか、論理が一貫していないように思います。


日本だって「命には命を」というので死刑がある。
ネットで調べたらアームネ・バフラーミーさんの写真を見ることができた。
日本で同じような事件があれば、ネットでは「加害者にも同じ目に遭わせろ」という論調の書き込みが少なくないと思う。

イランでは、死刑を執行するのはイエメンの場合と同じように遺族なんだそうだ。

イランは絞首刑ですが、首を縛られた死刑囚が立った死刑台の台座の羽目板を引いて死刑囚を落下させる、その羽目板を引くのは、遺族の役目なのです。


しかし、イランでは被害者は加害者を「許すこと」ができる。
被害者は、自分たちが被ったのと同じことを加害者に対して行う「権利」があるが、許すこともできる。
死刑囚でも、遺族が「許す」と言えば、死刑は執行されない。
アッラーは「許すことを喜びたもう」、許すことが神の教える道なのである。
アームネ・バフラーミーさんとタヘレ・バハラミーさんも、イラン政府が国際世論に配慮したこともあり、刑の執行をとりやめ、国のために加害者を許すと言ったそうだ。

日本ではどうなのか。

日本における死刑のあり方というのは、殺したんだから殺されて当然と、一見、命の重みということを言っているように見えながら、今の死刑制度の在り方というのは、まったく逆ではないのか。(略)殺す以上は、たとえ殺人者であっても、人の命を奪うということのその暴力性、その重みに、死刑を存置させているこの社会に生きている私たち全員が、きちんと向き合わなければいけないのではないかと思います。

日本では死刑囚も死刑執行も見えない。
そして、死刑は分業である。
死刑を求刑する検事、死刑判決を下す裁判官、死刑執行命令に署名する法務大臣、死刑囚を刑場に連れていく刑務官、首に縄をかける刑務官、ボタンを押す刑務官、遺体を片付ける刑務官。
だから、自分が殺したという意識が薄くなる。
ナチスのユダヤ人虐殺も、それに関わった多くの人は直接手を下していない。
自分に割り当てられた職務を忠実にこなしているだけだから、600万人という大量殺戮が可能になったと、岡真理氏は言う。

自分が運転する車のタイヤが何度も何度も、もがき苦しんでいる男性の上を行きつ戻りつするその感触を、つまり、自分は生きている人間の命を奪ったのだという記憶を一生涯、抱えて生きることになる。息子を殺した男が殺されたからと言って、息子の仇をとってやったぜ、というような晴れ晴れとした幸せな気持ちになど、なれるはずがない。でも、殺人犯であれ、人の命を奪うとはそういうことではないのでしょうか?
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『銀幕のなかの死刑』1

2014年01月04日 | 死刑

銀幕のなかの死刑』は、京都にんじんの会が死刑をテーマにした映画を上映した「死刑映画週間」での講演・対談をまとめたもの。

『サルバドールの朝』は、フランコ政権末期の1974年に処刑されたサルバドールが主人公。
スペインでは1978年に一般犯罪に対する死刑が廃止され、1995年には完全に廃止されており、スペインで一番最後に死刑になったのがサルバドールである。
     

サルバドールは反体制活動に関わり、銀行強盗をし、警察との銃撃戦のさい、警官を射殺したとして死刑になる。
テロリストじゃないかと、私は映画を見た時には思った。
しかし、鵜飼哲氏はこう話す。

死刑という刑罰を考える場合、いわゆる政治的犯罪と一般的犯罪の区別が伝統的にありました。

鵜飼哲氏の話をまとめてみましょう。

日本で死刑が廃止できない理由を考える場合、日本では政治的犯罪と一般的犯罪の区別がほとんど理解されていないことがある。
ドイツやイタリアなど第二次世界大戦の敗戦国は、戦後の早い時期に死刑を廃止している。
ナチスなどの独裁の期間に死刑が乱用されたことを身にしみて体験したからである。

ファシズムに抵抗して捕らえられ、裁かれ、死刑を宣告され、処刑されていった人々が、実は正しい人々だったという表象が社会的に成立するということは、死刑という法的機構そのものに対する強い疑念を呼び起こします。

こうした歴史的背景をもつからこそ、ヨーロッパで『サルバドールの朝』を観る人は、このような闘いに参加して、死刑を宣告され、処刑されるようなことは決してあってはならないことだというメッセージを当然了解する。
韓国や台湾でも、植民地時代に独立運動弾圧のために死刑が乱用され、戦後も独裁体制によって何人もの政治犯が死刑囚として処刑されした。
スペインと類似した経験を経てきた韓国や台湾では、独裁時代を人々が知っているから、死刑が廃止されてはいなくても、執行はしない、あるいはきわめて抑制的であるという状態を作り出す要因になっている。

鵜飼哲氏の話を読み、なるほどと思いました。
スターリン体制での粛清も一応裁判を行なっていたし、張成沢の処刑でも裁判はしている。
日本だって、死刑の執行は時期を見てなされている。
たとえば、去年の9月8日に東京でオリンピックが開催されることが決まり、12日に執行したように。

死刑廃止国はキリスト教文化圏が主で、イスラム圏やアジアでは死刑は廃止になっていない、死刑廃止問題は宗教や文化の問題だと言う人がいる。
それは間違いで、死刑とは政治の問題なんですね。

鵜飼哲氏は

死刑囚という存在は、犯した犯罪の動機が何であれ、ある意味で「政治犯」であるという側面があるのですね。

と言っている。
ということは、「死刑になりたくなければ悪いことをしなければいい」という道徳のお話ではない。
死刑は自分も科される刑罰だという想像力を持つべきである。

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