校正の鬼
点訳の校正をしています。
私は人のあらを探すのが好きだから、間違いを見つけるのは得意のはずですが、雑な性格のほうがまさっているようで、間違いを見落とすことがたくさんあります。
もっとも校正ミスをするのは私ばかりではないらしく、以前、点訳の3校をしてもらって、それでも訂正個所がかなりあったものです。
それだけ間違いだらけの点訳をした私が悪いわけですが。
小川洋子『ミーナの行進』だったと思いますが、本を読んでは誤字脱字を見つけ、それを出版社に手紙を書いて知らせるのが趣味という人物が出てきます。
私も本を読んでいて、誤字脱字を時々見つけることがあります。
プロの校正者だって見落とすんだ、ふふふという気持ちになります。
倉阪鬼一郎『活字狂想曲』は、印刷会社で校正の仕事をしていた怪奇小説家のエッセイです。
校正というのは誤字、脱字だけをチェックすればいいものではないことを知りました。
倉阪鬼一郎氏の仕事は広告の校正が多く、色やデザインが企画書どおりかをきちんと確認しなくてはいけない。
ところが、その企画書が印刷をよく知らない者が作っていると、もうお手上げ。
そういう愚痴話が楽しい本でした。
校正で思うのは、新聞です。
あれだけの量を毎日校正するのはただひたすらすごい。
新聞社は東京の本社だけでなく、大阪、北海道、西部などの支社によって記事が違い、同じ支社の中でも地域によって内容が異なり、同じ地域でも何刷りも発行するそうです。
それら何種類もある新聞の校正刷りをいちいち確認するとなると、その労力たるや想像を絶するじゃないですか。
おまけに、誤字、脱字だけではなく、不適切な表現も当然見落としてはならず、それは校正者の一存では決められないこともあるだろうし、そういう時は一体どうなるものやら。
図書館で借りた丸谷才一『青い雨傘』を見たら、驚いたことに目次のページが間違っていました。
「マエストロ! 48」からがなぜか間違っていて、すべて3ページほど少ない数字になっています。
それは私が発見したわけではなく、誰かが一つ一つ直しているんですね。
以前、少年向けシャーロック・ホームズ・シリーズのある作品を点訳していて、章の題と内容が一致しないことに気づき、たしか3章と5章だったかの題が入れ替わっていたことに気づいたことがあります。
そういうことでもないかぎり、目次なんて見ないし、ましてページ数を確かめることなんて普通しません。
校正の鬼が隠れたところにいるということに感動してしまいました。