三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

2020年度キネマ旬報ベストテンの予想

2020年12月31日 | 映画

2020年度キネマ旬報ベストテンの予想です。
ヨコハマ映画祭ベストテンと毎日映画コンクールなどを参考にしました。

邦画です。
『海辺の映画館 キネマの玉手箱』
『アンダードッグ』
『朝が来る』
『スパイの妻』
『本気のしるし 劇場版』
『空に住む』
『アルプススタンドのはしの方』
『37セカンズ』
『一度も撃ってません』
『佐々木、イン、マイマイン』

20位まで。
『罪の声』
『MOTHER マザー』
『ラストレター』
『喜劇 愛妻物語』
『浅田家!』
『れいわ一揆』
『はりぼて』
『ミッドナイトスワン』
『なぜ君は総理大臣になれないのか』
『星の子』

私の好みは『ドロステのはてで僕ら』『ワンダーウォール』『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』など。

洋画です。
『パラサイト 半地下の家族』
『異端の鳥』
『はちどり』
『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』
『燃ゆる女の肖像』
『1917 命をかけた伝令』
『リチャード・ジュエル』
『TENET テネット』
『レ・ミゼラブル』
『家族を想うとき』

20位まで。
『Mank/マンク』
『フォードvsフェラーリ』
『シカゴ7裁判』
『ミッドサマー』
『在りし日の歌』
『薬の神じゃない!』
『ペイン・アンド・グローリー』
『行き止まりの世界に生まれて』
『その手に触れるまで』
『死霊魂』(上映時間8時間26分なので何人が見ているか)

『一人っ子の国』『ルディ・レイ・ムーア』などが劇場公開されていたら上位に入ったと思います。

キム・ギドク『人間の世界』
ジム・ジャームッシュ『デッド・ドント・ダイ』
ウディ・アレン『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』
などベストテンの常連監督ははみ出ました。
ウディ・アレンは最後の作品になるかもしれません。

『この世界に残されて』は12月18日上映なので来年まわしでしょうか。
年末に公開された映画の扱いが毎年変わっています。
統一すればいいのにと、いつも思います。

私の好みは『スキン』『ようこそ映画音響の世界へ』『CLIMAX』などです。

コメント (3)
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大倉幸宏『「昔はよかった」と言うけれど』(3)

2020年12月26日 | 

戦前は高齢者を大切にしたり、お年寄りに敬意を払っていたのかと思っていたら、大倉幸宏『「昔はよかった」と言うけれど』には、高齢者を虐待し、死に至らしめる事件が紹介されています。

親を置き去りにしたり、行政の担当者が保護を求めた老人を遺棄することもあった。
養老院の経営者が配給品や寄付を横領して暴利をむさぼる。

高齢者の自殺も多かったです。

我国自殺の特徴として、高齢者の自殺の夥しい高率という事実がある。六十歳以上の老人の自殺率は我国が何処の国よりも高い。(読売新聞1934年11月29日)


1940年に自殺で亡くなった65歳以上の高齢者は2054人、2000年の統計では7550人。
10万人当たりの死亡率では、1940年は59.5、2000年は34.3で、1940年のほうが高い。
1940年の自殺率は、全年齢層が13.7、80~84歳だと88.2、85歳以上は94.1と高齢になるほど高い。
戦前の日本が高齢者にとって住みやすい社会ではなかったことはこの統計からも想像できる。

核家族化の兆候は戦前から現れていました。
1920年の国勢調査によると、「夫婦+未婚の子」の世帯が約40%、「夫婦のみ」を含めると半数以上の世帯が核家族だった。
三世代同居の世帯は約23%を占めるにすぎない。
平均寿命が短かったため、三世代がそろう状況が生まれにくかったという背景もある。

「昔はよその家の子供でも悪いことをすれば叱っていた」と言われるが、子供のしつけが厳しかったわけではないそうです。

従来の風習として、我々日本婦人は他人の子供の悪いことをしているのを見た場合、彼等に対して決して親切な態度をとりませんでした。先ず悪戯をしている子供と何の関係もない者であると、子供の仕ている事が、いかほど悪いことであろうと、知らない振りをして通り抜けてしまって、蔭でその子の悪口をでもいう位のことです。もしまた、子供の家と自分とが親しい間柄ででもあると、心掛のよい人は偶々それを制すであろうが、先ず多くの人は、そうはしません。子供の仕ている悪戯が悪いことだと承知していながら、無用な遠慮心から、それを制することなく、妙な処に妥協して、そのままそれを黙過してしまいます。(帆足みゆき『現代婦人の使命』1929年)


かつての農村の家庭や都市部の下層から庶民層にかけての家庭では、親が子供を叱るのは、家の仕事や手伝いに関する場合のみで、社会的なマナー・モラルが厳しく教えられる機会はほとんどなかった。

正宗白鳥

日本では徳川時代にもその前の時代にも、特有の礼法が武士の社会にも町人の社会にも規定されていて、それを破るものは擯斥されていたらしかったが、維新後には次第に古い風習が廃れて、新しい行事作法は整わず、私などは不行儀無作法御免の時代に成長したような有様であった。(読売新聞1938年6月11日)


長谷川如是閑

維新前までの日本の教育で大いに重視されたもので、明治後全く無視されないまでも、極めて軽視されたのは「躾」の教育である。(読売新聞1940年4月5日)


明治維新を境に礼儀・しつけが廃れはじめ、戦後その傾向がさらに強くなり、そして現在、日本人の道徳は地に落ちたということになります。

しかし今は、裸体での外出、川にゴミを捨てる、他人の荷物からモノを抜き取るなどは罰せられ、子供や老人への虐待は処罰が下される。
実際は戦前の日本人よりも、むしろ今日の日本人の道徳心は戦前に比べて格段に高まっている。

日本人の他者に対する礼儀の欠如、公共の場における傍若無人な振る舞いについて、大倉幸宏さんはこのように論じています。

身内や仲間、知人には礼儀正しく、やさしさや思いやりを向ける一方で、見知らぬ人に対しては冷たい態度をとる。「ウチ」と「ソト」を区別する日本人の習性は古くから多くの論者が指摘してきました。(略)
昔のよかった面だけでなく、悪かった面にしても冷静に目を向け、先人たちがその悪い部分とどう向き合い、何を試みてきたのかを見極めることも重要です。そうした物事を複眼的にとらえようとする姿勢こそが、本当の意味で歴史から学ぶというに値するのではないでしょうか。一面的な歴史認識、恣意的な歴史解釈は、社会を誤った方向へ導く危険性を秘めています。


そして、道徳教育についてこのように指摘しています。
安倍晋三内閣のもとで、道徳の教科化に向けた検討が進められているが、本当に有効な施策なのか。
戦前は修身という教科があったが、人々の道徳心向上に寄与したかどうか疑問である。
社会の秩序は教育によってのみ高められるのではなく、さまざまな制度やシステム、環境を整えることによって構築されていく。

昔はよかったと言うことは、ただ単に現在のさまざまな事柄が気に入らないだけと思います。

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大倉幸宏『「昔はよかった」と言うけれど』(2)

2020年12月20日 | 

大倉幸宏『「昔はよかった」と言うけれど』によると、戦前は商道徳が守られていたわけではないようです。
さまざまな不正が行われていました。

酒や牛乳に水で薄めて売る。
積み荷の抜き取りが横行した。
商品の重さや量をごまかす。
粗悪品が雑じる。
見本と現品が違っている、など。

米国へ向けた我国シャツの送荷が、先方で開封するとボタンが全部糊付けであったとか、送ったマッチにはマッチが入っていないで箱ばかりであった。(新愛知1921年1月3日)


医療の面でも信じられないことがたくさんあります。
患者を麻酔で眠らせて暴行する。
いい加減な診断を下し、薬を与え、注射をし、手術をする。

妊娠の初期において、胎児が死んでいると称して流産させ、その流産手術代、入院料等をとるのであるという。(東京朝日新聞1933年4月20日)


こんなヤブ医者もいました。

かねてから「人殺し医者」という風評があった(略)。同医師にかかった患者を片ッ端から調査してみると、去る昭和8年1月開業以来同人の手にかかった千百四人の患者中実に八十七名という死因不審の患者が現われた。そこで更に五十嵐警察署がこの死因不明の八十七人について調べてみると、死ぬのも道理、これが殆んどモヒ(モルヒネ)注射一天張りの治療を受けており。(読売新聞1935年12月10日)


医師免許を持ってない人を雇う診療所がありました。

立派な医師を雇う場合には普通百円から百五十円位はどうしてもださねばならぬ。これが代診が出来るとか称されるだけで免許を持っていない、いわゆるインチキ医師なら最高八十円位で雇いいれる事が出来るところから、営利を目的とする診療所で雇いいれるのである。しかもこれ等インチキ医師の紹介所までが本郷区内にあるというのであるから驚くべきである。(東京朝日新聞1933年8月15日)


教師による殺人、暴行、放火、横領、万引き、生徒に対する猥褻行為などの犯罪が報じられています。

小学校主席訓導松本信夫は、受持の尋常六年女性と十数名を裸体にし変態性欲行為があったことが発覚し、この程免職処分になった。(読売新聞1928年2月18日)

校長の職を得るために多額の金銭を視学に贈ることが習慣化していた。
親から金品を受け取って内申書を改竄する教師がいた。

児童虐待、ネグレクトもありました。
「継母が毎日弁当を詰め込むとき生きたミミズを御飯にいれているのです」と担任に訴える6年生の女児。

養育費を受け取って子供を譲り受け、その後に殺してしまうもらい子殺しが横行していました。

同人は他の婆々連二名と共謀し、始末に窮したる私生児を四、五十円の附け金にて貰い受け、三日も経たぬ間に絞殺または蒲団巻きにして殺害せる数十二、三名に達し、死体は夜陰に畑地または溝の中に深く埋めたる。(大阪毎日新聞1913年6月4日)

殺害した子供の数は二百人以上、明治31年から16年間にわたって犯行を繰り返していだことが捜査で判明した。
東京のある集落では住民多数が共謀して子供をもらい受け、多くの子供は放置されて亡くなっている。

児童労働は当たり前でした。
丁稚奉公、飲食店の給仕、サーカスの曲芸、そして障害児を見世物にすることまで行われていた。

幕末から明治にかけて日本に滞在した外国人の著作を読むと、日本の子供は甘やかされており、親が叱ることがないと書かれてあります。
実際は例外がかなりあったようです。

大倉幸宏さんはなぜ児童虐待があったのか、このように指摘しています。

昔の日本社会は近所付き合いが濃密で、近隣住民が互いの家の内情をよく知っていたと言われます。しかし、戦前の児童虐待事件のなかには、発覚するまでに長い時間を要しているケースが多々ありました。親しい近所付き合いがあれば虐待を防げる可能性は高いわけですが、実際はそうではない事例が多かったのです。虐待が行われていることに気付かなかった、知っていたが通報するのをためらった、しつけと認識していた、単に見て見ぬふりをしていたなど、近隣住民側の事情はさまざまですが、人間関係の希薄さが見えてきます。かつての地域社会に対する今日のイメージは、単に美化されているだけの部分が少なくないのかもしれません。
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大倉幸宏『「昔はよかった」と言うけれど』(1)

2020年12月11日 | 

戦前はのんびりしていたとか、アメリカの押しつけ憲法と戦後教育のせいで日本人の道徳心は退廃したなどと言う人がいます。
大倉幸宏『「昔はよかった」と言うけれど』には、そんなことを言ってる国会議員の発言が引用されています。

2006年5月26日、衆議院の教育基本法に関する特別委員会での大前繁雄委員の発言

今の日本の国のモラルの低下というのは実に深刻なものがございますので、私は、戦前というのはいろいろ批判されますけれども、モラルという面では非常に水準が高かったと言われております。


2008年5月14日、参議院の国民生活・経済に関する委員会での佐藤公治委員の発言

僕は本当に今政治家になってつくづく思うことは、毎日のように痛ましい事件が起こる中、何かやっぱりおかしくなっちゃっている。教育基本法というのができたとき、もう御存じの方々もいらっしゃると思いますが、当時、戦中においては教育勅語というのがあった。親を大事にするとか、お年寄りを大事にするとか、兄弟、家族仲よくしていくということ、当たり前なことが当たり前に書かれていた。ほかの部分では問題があったかもしれません。しかし、そういった当たり前なことをあえて教育基本法に入れる必要はないというので、外して作ったのが教育基本法なんですよね。実際、その外したことが、当たり前のことが今当たり前にできなくなっちゃっている。


2011年10月27日、参議院の文教科学委員会での義家弘介委員の発言

親殺しや子殺し、虐待、そして、例えば親が亡くなったことさえ届け出ずに、その年金を当てにして生活する、そんな事件が相次いで起こっております。日本の根幹あるいは教育というものはどうなってしまったのか。これは多くの人々が感じていることであろうと思います。公共の精神の欠如、そして個人主義に入り込んで、自分さえ良ければいい、とにかく今楽しければいい、そういった傾向をまさにつくり上げてきたのがこの日教組教育であろうと私は思っております。

ウィキペディアの記事を信じるなら、義家弘介さんに教育問題を語る資格があるのかと思います。
せめて管賀江留郎『戦前の少年犯罪』を読み、「そんな事件」が戦前も多かったことを知ってほしいです。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/s/%E7%AE%A1%E8%B3%80%E6%B1%9F%E7%95%99%E9%83%8E

日本人が伝統的に受け継いできた高い道徳心が、戦後の教育や経済発展のなかで失われてしまったという指摘は正しいのか。
実際はどうなのでしょうか。
大倉幸宏さんはたくさんの新聞、書籍などから引用して、道徳心の喪失は大正、そして明治でも言われていたことをあきらかにしています。

井上哲次郎『我が国体と国民道徳』(1925年)

我日本の道徳上の現象を観察して見ると、日露戦争以後大分悪化した形勢があるけれども、今日は中々それどころではない。世界大戦以後は余程ひどくなって来たのであう。あの時に比べて見ると十倍もそれ以上も悪化した形勢が見える。


加藤弘之『公徳養成之実例』(1912年)

我国の道徳の壊頽今日より甚しきはあらず。公徳私徳共に紊乱を極め、社会の風致まさに地に堕ちんとするの危機に際し、公徳養成の必要漸く四方に反響し来らんとするの風あるは、社会道徳の為大(おお)に慶ぶべき事と謂うべし。

さらに多くの事例を大倉幸宏さんは引用しています。

列車でのマナーのひどさ。
列車に乗るために整列せず、降りる人がいるのに押しのけて乗車し、席の奪い合いをする。
混んでいても座席に荷物を置いたりし、高齢者、傷痍軍人、女性に席を譲らない。
弁当、菓子、果物などのゴミを床に捨てる。
窓からゴミや空き瓶を捨て、線路の保安員にあたって重傷を負うという事件もあった。

期限切れの定期券の使用、他人の定期券の使用、使用済み乗車券の使用などの不正乗車が行われた。
また、組織的に偽造定期券を製造・販売、偽造乗車券を製造して駅の待合室で売りさばく事件もあった。

駅弁の比較的入手難な現今において、すべて旅行はニギリメシを持参するという現象の反面に、純米のオニギリなどが三等車はもちろん二等車までも、毎日相当量のものが投げ捨ててある。(秋田魁新報1943年10月19日)

食糧不足だったはずの昭和18年に食べ残しが問題にされていたとは驚きです。

電車での化粧は近年だけのことではありません。

電車の中や汽車その他人混みの場所で、ところ構わずコンパクトを出してはパタパタ顔をはたき、果ては衆目を浴びつつ口紅までも御念入りに塗っている人達をよく見受けます。(東京朝日新聞1935年6月18日)


道路や公園、川などにゴミを捨てる、痰唾を吐く、立小便をする。
公園の花を盗る、椅子を壊す、ゴミを捨てる、通行禁止のところに入る。
名所旧跡、神社仏閣で落書きをする。
花見客で賑わう飛鳥山公園で。

人波にもまれながら公園の入口に来た時、何ともいえない異様な臭気に胸が一杯になった。そればかりではない。見渡す限りの紙くずはたいしたものだ。(略)空きびん、むしろ、ミカンの皮などの上へ醜態極まりない酔いどれが正体もなくゴロゴロ塵にまみれて寝ていた。そして不潔な濁水が便所の外まであふれだしている。(東京朝日新聞1930年4月8日)


図書館の本を盗む、切り取る、書き込みをするというように、公徳心が低かったのです。
このように、戦前の日本人は公共の場でマナーがよかったわけではありません。

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