2020年度キネマ旬報ベストテンの予想です。
ヨコハマ映画祭ベストテンと毎日映画コンクールなどを参考にしました。
邦画です。
『海辺の映画館 キネマの玉手箱』
『アンダードッグ』
『朝が来る』
『スパイの妻』
『本気のしるし 劇場版』
『空に住む』
『アルプススタンドのはしの方』
『37セカンズ』
『一度も撃ってません』
『佐々木、イン、マイマイン』
20位まで。
『罪の声』
『MOTHER マザー』
『ラストレター』
『喜劇 愛妻物語』
『浅田家!』
『れいわ一揆』
『はりぼて』
『ミッドナイトスワン』
『なぜ君は総理大臣になれないのか』
『星の子』
私の好みは『ドロステのはてで僕ら』『ワンダーウォール』『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』など。
洋画です。
『パラサイト 半地下の家族』
『異端の鳥』
『はちどり』
『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』
『燃ゆる女の肖像』
『1917 命をかけた伝令』
『リチャード・ジュエル』
『TENET テネット』
『レ・ミゼラブル』
『家族を想うとき』
20位まで。
『Mank/マンク』
『フォードvsフェラーリ』
『シカゴ7裁判』
『ミッドサマー』
『在りし日の歌』
『薬の神じゃない!』
『ペイン・アンド・グローリー』
『行き止まりの世界に生まれて』
『その手に触れるまで』
『死霊魂』(上映時間8時間26分なので何人が見ているか)
『一人っ子の国』『ルディ・レイ・ムーア』などが劇場公開されていたら上位に入ったと思います。
キム・ギドク『人間の世界』
ジム・ジャームッシュ『デッド・ドント・ダイ』
ウディ・アレン『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』
などベストテンの常連監督ははみ出ました。
ウディ・アレンは最後の作品になるかもしれません。
『この世界に残されて』は12月18日上映なので来年まわしでしょうか。
年末に公開された映画の扱いが毎年変わっています。
統一すればいいのにと、いつも思います。
私の好みは『スキン』『ようこそ映画音響の世界へ』『CLIMAX』などです。
戦前は高齢者を大切にしたり、お年寄りに敬意を払っていたのかと思っていたら、大倉幸宏『「昔はよかった」と言うけれど』には、高齢者を虐待し、死に至らしめる事件が紹介されています。
親を置き去りにしたり、行政の担当者が保護を求めた老人を遺棄することもあった。
養老院の経営者が配給品や寄付を横領して暴利をむさぼる。
高齢者の自殺も多かったです。
1940年に自殺で亡くなった65歳以上の高齢者は2054人、2000年の統計では7550人。
10万人当たりの死亡率では、1940年は59.5、2000年は34.3で、1940年のほうが高い。
1940年の自殺率は、全年齢層が13.7、80~84歳だと88.2、85歳以上は94.1と高齢になるほど高い。
戦前の日本が高齢者にとって住みやすい社会ではなかったことはこの統計からも想像できる。
核家族化の兆候は戦前から現れていました。
1920年の国勢調査によると、「夫婦+未婚の子」の世帯が約40%、「夫婦のみ」を含めると半数以上の世帯が核家族だった。
三世代同居の世帯は約23%を占めるにすぎない。
平均寿命が短かったため、三世代がそろう状況が生まれにくかったという背景もある。
「昔はよその家の子供でも悪いことをすれば叱っていた」と言われるが、子供のしつけが厳しかったわけではないそうです。
かつての農村の家庭や都市部の下層から庶民層にかけての家庭では、親が子供を叱るのは、家の仕事や手伝いに関する場合のみで、社会的なマナー・モラルが厳しく教えられる機会はほとんどなかった。
正宗白鳥
長谷川如是閑
明治維新を境に礼儀・しつけが廃れはじめ、戦後その傾向がさらに強くなり、そして現在、日本人の道徳は地に落ちたということになります。
しかし今は、裸体での外出、川にゴミを捨てる、他人の荷物からモノを抜き取るなどは罰せられ、子供や老人への虐待は処罰が下される。
実際は戦前の日本人よりも、むしろ今日の日本人の道徳心は戦前に比べて格段に高まっている。
日本人の他者に対する礼儀の欠如、公共の場における傍若無人な振る舞いについて、大倉幸宏さんはこのように論じています。
昔のよかった面だけでなく、悪かった面にしても冷静に目を向け、先人たちがその悪い部分とどう向き合い、何を試みてきたのかを見極めることも重要です。そうした物事を複眼的にとらえようとする姿勢こそが、本当の意味で歴史から学ぶというに値するのではないでしょうか。一面的な歴史認識、恣意的な歴史解釈は、社会を誤った方向へ導く危険性を秘めています。
そして、道徳教育についてこのように指摘しています。
安倍晋三内閣のもとで、道徳の教科化に向けた検討が進められているが、本当に有効な施策なのか。
戦前は修身という教科があったが、人々の道徳心向上に寄与したかどうか疑問である。
社会の秩序は教育によってのみ高められるのではなく、さまざまな制度やシステム、環境を整えることによって構築されていく。
昔はよかったと言うことは、ただ単に現在のさまざまな事柄が気に入らないだけと思います。
大倉幸宏『「昔はよかった」と言うけれど』によると、戦前は商道徳が守られていたわけではないようです。
さまざまな不正が行われていました。
酒や牛乳に水で薄めて売る。
積み荷の抜き取りが横行した。
商品の重さや量をごまかす。
粗悪品が雑じる。
見本と現品が違っている、など。
医療の面でも信じられないことがたくさんあります。
患者を麻酔で眠らせて暴行する。
いい加減な診断を下し、薬を与え、注射をし、手術をする。
こんなヤブ医者もいました。
医師免許を持ってない人を雇う診療所がありました。
教師による殺人、暴行、放火、横領、万引き、生徒に対する猥褻行為などの犯罪が報じられています。
校長の職を得るために多額の金銭を視学に贈ることが習慣化していた。
親から金品を受け取って内申書を改竄する教師がいた。
児童虐待、ネグレクトもありました。
「継母が毎日弁当を詰め込むとき生きたミミズを御飯にいれているのです」と担任に訴える6年生の女児。
養育費を受け取って子供を譲り受け、その後に殺してしまうもらい子殺しが横行していました。
殺害した子供の数は二百人以上、明治31年から16年間にわたって犯行を繰り返していだことが捜査で判明した。
東京のある集落では住民多数が共謀して子供をもらい受け、多くの子供は放置されて亡くなっている。
児童労働は当たり前でした。
丁稚奉公、飲食店の給仕、サーカスの曲芸、そして障害児を見世物にすることまで行われていた。
幕末から明治にかけて日本に滞在した外国人の著作を読むと、日本の子供は甘やかされており、親が叱ることがないと書かれてあります。
実際は例外がかなりあったようです。
大倉幸宏さんはなぜ児童虐待があったのか、このように指摘しています。
戦前はのんびりしていたとか、アメリカの押しつけ憲法と戦後教育のせいで日本人の道徳心は退廃したなどと言う人がいます。
大倉幸宏『「昔はよかった」と言うけれど』には、そんなことを言ってる国会議員の発言が引用されています。
2006年5月26日、衆議院の教育基本法に関する特別委員会での大前繁雄委員の発言
2008年5月14日、参議院の国民生活・経済に関する委員会での佐藤公治委員の発言
2011年10月27日、参議院の文教科学委員会での義家弘介委員の発言
ウィキペディアの記事を信じるなら、義家弘介さんに教育問題を語る資格があるのかと思います。
せめて管賀江留郎『戦前の少年犯罪』を読み、「そんな事件」が戦前も多かったことを知ってほしいです。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/s/%E7%AE%A1%E8%B3%80%E6%B1%9F%E7%95%99%E9%83%8E
日本人が伝統的に受け継いできた高い道徳心が、戦後の教育や経済発展のなかで失われてしまったという指摘は正しいのか。
実際はどうなのでしょうか。
大倉幸宏さんはたくさんの新聞、書籍などから引用して、道徳心の喪失は大正、そして明治でも言われていたことをあきらかにしています。
井上哲次郎『我が国体と国民道徳』(1925年)
加藤弘之『公徳養成之実例』(1912年)
さらに多くの事例を大倉幸宏さんは引用しています。
列車でのマナーのひどさ。
列車に乗るために整列せず、降りる人がいるのに押しのけて乗車し、席の奪い合いをする。
混んでいても座席に荷物を置いたりし、高齢者、傷痍軍人、女性に席を譲らない。
弁当、菓子、果物などのゴミを床に捨てる。
窓からゴミや空き瓶を捨て、線路の保安員にあたって重傷を負うという事件もあった。
期限切れの定期券の使用、他人の定期券の使用、使用済み乗車券の使用などの不正乗車が行われた。
また、組織的に偽造定期券を製造・販売、偽造乗車券を製造して駅の待合室で売りさばく事件もあった。
食糧不足だったはずの昭和18年に食べ残しが問題にされていたとは驚きです。
電車での化粧は近年だけのことではありません。
道路や公園、川などにゴミを捨てる、痰唾を吐く、立小便をする。
公園の花を盗る、椅子を壊す、ゴミを捨てる、通行禁止のところに入る。
名所旧跡、神社仏閣で落書きをする。
花見客で賑わう飛鳥山公園で。
図書館の本を盗む、切り取る、書き込みをするというように、公徳心が低かったのです。
このように、戦前の日本人は公共の場でマナーがよかったわけではありません。