三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

『命の灯を消さないで』2

2010年11月28日 | 死刑
死刑囚へのアンケートをまとめた『命の灯を消さないで』に収録されている匿名男性B死刑囚の文章はかなり長いが、理路整然としてしごくもっともな意見が書かれてある。
一部引用。
「現状(現在)で起きている凶悪事件の報道が過激であればあるほど死刑執行がやりやすくなる。法務省からすれば、事件が大きく報道されればされるほど「世論は死刑執行を支持している」ということになるからです。しかし今も述べた通り、現在の過剰な報道によって、当局から「今が執行のチャンスである」とばかりに、独居房から引きずり出され、吊されてゆくのは、何年も何十年も罪について反省の日々を送っていた人たちなのです。同じ立場でもある私がいうのも変ですけど、彼らは一様におとなしく普通の人です。長い収容生活にもかかわらず、一度としてあばれたり問題を起こしたりしたこともありません。中には職員らから“紳士”と呼ばれ慕われている死刑囚の方もおられます。私から見ても、なぜこの人が……と思えるくらい普通の人なのです。世間の喧騒の裏でひっそり吊されてゆくのはこうした普通の人間性を取り戻した、まことに穏やかな人々であるということをぜひ知っておいてもらいたいのです」

マスコミの過剰報道が厳罰化の一因となっているのは事実である。
権力をチェックするはずのマスコミが権力の走狗になっているわけである。
事件報道(特に雑誌)を読むと、こんなひどい奴は人間じゃない、許せんと思う。
しかし、死刑囚だからといって、ことさらに凶悪、狡猾、残忍、非情というわけではないらしい。

話は飛ぶようなのだが、マイクル・シャーマー『なぜ人はニセ科学を信じるのか』に「これまた私見だが、奇跡や怪物や謎を信じている人々のほとんどは、嘘つきやペテン師でもなければ、気が狂っているわけでもない。ごくふつうの一般人で、何かのせいで誤った考えかたに足を踏み入れてしまっているだけなのだ」とある。
特別異常な人間というのはそうそういるものではないと思う。
死刑囚もたぶん同じである。
死刑囚の多くはちょっとしたはずみが積み重なって事件を起こしてしまった普通の人だと思う。
匿名男性B死刑囚「その多くの根本的原因は、精神的に追い詰められての凶行がほとんどです。裁判で「計画的であった……」などと指摘されたとしても、やはりその前提には貧困や恐怖、社会に対しての身の置き所のない不安や絶望感が、その者たちを凶行に走らせてしまったのだと思います。その瞬間というのは、誰もが精神を病んでいた状態であったともいえるのです。そして逮捕、起訴され……ゆっくりと考える時間がもてるようになってはじめて「はッ!! 自分はなんというバカなことをしてしまったのだ」と、目を覚ますことになるのです。そしてその日から自分の犯した罪の深さに対して、後悔と反省の日々を送ることになるのです」

後悔と反省の日々を過ごす死刑囚がいるかと思うと、こんな人もいる。
『命の灯を消さないで』を読むと、これは何なんだ、という文章があって、たとえば上田宜範死刑囚(無罪を主張している)は自分のことはさておいて、松本健次死刑囚のことを心配している。
「大阪拘置所在監・松本健次死刑囚はえん罪であり、早急に弁護団を結成すべきである。松健氏は知能が低く(決して差別表現ではない)、取調べで自供を強要された節があり、大阪拘置所の調査で、知能が低いから、取調べで丸めこまれたのであろう、死体遺棄は手伝ったかも知れないが、殺人についてはやっていないと結論が出ており、その旨が法務省への報告され、法務省も同じ見解を示している。松健氏を救って上げてください」
その松本健次死刑囚はどういうことを書いているかというと、
「福島みずほちゃんへ 俺と文通をよろしくお願い致します。文通する相手をよろしく。全員で10人程支援人を増やして下さるように、福田首相さん、保岡興治法務大臣さま達へ報告を。レーダー光線を外部から中止して下さるよう国会議員達へ報告をして下さい。命の大切さは良くわかりましたので、トクー償金等のために特別出廷願いを弁護士たちに現在お願い中です!」
松本健次死刑囚は胎児性水俣病による知的障害だそうだ。
主犯の兄が自殺したために、その代わりに死刑になったらしい。

「レーダー光線」は長勝久死刑囚(殺人を否認している)も書いている。
「美しい“福島みずほ先生”へ[P.S.]」として
「自分は、獄中生活上で、拘置所の職員からマインドコントロール等されて苦しめられています。
(1)頭部の機能操作。(特殊な電波照射による同操作)
生活している上で、一定の間、断続的や全く思考することができない状態や、思考上で変な内容を思考する状態や、頭に一部の思考した内容を固定してそれ以外思考できなくなる状態や、記憶ができなくなる状態にされているのです。
(2)麻痺刺激。(特殊な電波照射による同刺激)
生活する上で、断続的に膀胱や肛門を感電しているようにされているいるのです。
(尚、自分は健康でどこも悪い所はないのです。)」
詐病とは思えない。

山本峰照死刑囚(2008年9月11日執行)の文章もウーンというもの。
「福島みずほ様
わだわだアンケイ用紙を送って下さいましたが、お力ぞえにならず気を悪くなさらないで下さい。裁判の時は判決で死刑 私しは死刑にして下さいといいましたが、弁護士がこおその手続をしましたが、私しはその日に取下をし死刑にせんねんしました。死刑が確定すれば半年以内で処刑されると聞いていましたので、それが約4年になりますが、一行にそんなそぶりも有りませんので、私しも困っています。
私しの書いた事とアンケイトは関係は有りませんが、福島みずほ様のお力で法務省のほうに年内まぜの間いだにどおか処刑出来ますように法務大臣にお力ぞえをよろしくお願いします。毎日 一日でも早くお告がくくるように私は手を合せて、お告のくる事を心まちにしています。どおか福島みずほ様 どうおかよろしくお願いします」
山本峰照死刑囚はどんな人だったのか気になる。
それとか藤波芳夫死刑囚(2006年12月25日執行)は「歩くことができず車椅子で刑場に連行され、刑務官に体を抱えられ投げるようにして執行されたと伝えられている」

何年も死刑囚と接し、そしてある日突然、執行に立ち会わなければならない(刑場まで連行したり、ボタンを押したり、遺体を清拭したり)なんてこと、誰だってしたくはない。
まして、深く罪を悔いて反省している人、知的障害者、精神障害者、身体障害者、冤罪を主張している人、そういった死刑囚の絞首刑を刑務官にさせるのは残酷だと思う。
以前、自分が選んで刑務官になったんだ、いやだったらやめればいい、とコメントした人がいたが、薄情だと思う。
コメント (16)
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裁判員裁判初、少年に死刑判決 3人殺傷事件で仙台地裁

2010年11月25日 | 死刑

裁判員裁判初、少年に死刑判決 3人殺傷事件で仙台地裁
 元交際相手の姉や友人ら3人を殺傷したとして、殺人罪などに問われた宮城県石巻市の元解体工の少年(19)の判決公判が25日、仙台地裁で開かれ、鈴木信行裁判長は「犯行態様や結果の重大性から考えれば、更正可能性は著しく低い」として、求刑通り死刑を言い渡した。少年が被告の裁判員裁判で、死刑が言い渡されるのは初めて。
 最大の焦点だった、犯行当時18歳7カ月の少年への死刑選択の是非について鈴木裁判長は「年齢には相応の配慮をするべきだが、死刑を回避する決定的な事情とはいえない」と説明。弁護側は専門家が矯正の可能性を認めていることなどを根拠に、更生の可能性があると訴えていたが「実母への暴行で保護観察中の犯行であることや、元交際相手の少女に日常的に暴力を振るっていたことも考えれば、更生の可能性は著しく低い」として、死刑が相当と結論づけた。
 鈴木裁判長は量刑理由で、昭和58年に最高裁が死刑選択の指針として示した「永山基準」と照らしながら説明。犯行態様について「無抵抗の被害者をためらうことなく、次々と牛刀で刺した。傷の多くが内蔵に達するなど、極めて執拗かつ残忍」と指摘したほか、動機面などでは「元交際相手の少女を連れ戻すために、邪魔する者はすべて排除しようとした。欲しいもの奪うという点では、強盗殺人に類似した側面もある」と断じた。
 判決後、会見に応じた弁護側は「(判決言い渡し後の)接見時、少年は比較的落ち着いた様子だった」と説明。少年が判決を「受け止めたい」と話していることを明かしたうえで、「弁護側としては説得して控訴したい」と述べた。
産経新聞11月25日

検察は「更生の可能性は皆無」と死刑を求刑し、判決文には更生の可能性については「著しく低いと評価せざるを得ない」とある。
どうして更生の可能性がないと言い切れるのか。
被告の更生のために検察や裁判官が何かしようというつもりはないと思う。
たとえば、裁判官と裁判員が週に一回、数年間被告と話し合うことをし、そうして「やっぱりこいつはダメだ」ということであれば、まだ話はわかる。
ところが、せいぜい一、二週間程度で更生の可能性の有無の判断を下さないといけないわけで、いくらなんでもそれは無理である。
記者会見した裁判員「ほんとうに怖くて一生悩み続けるんだなと思いました」
と語り、もう一人は「自分の中でどうしていいかわからなくなったというのが率直な感想です」と語っている。
よくわからないまま死刑判決が決まってしまったということなのだろう。

某氏に「北方圏」第151号の「犯罪防止に死刑は意味がない―ノルウェー王国大使館 ドッテ・バッケ一等書記官に聞く(特集  北欧にはなぜ死刑がないのか?)」というインタビュー記事のコピーをもらう。
その中でドッテ・バッケ一等書記官はこんなことを話している。
「オスロ市内の市電で、行きずりの若者が1人殺されました。犯人は移民で精神病を患っていました。移民をどう処遇すべきか、精神疾患を持つ人をどうケアすべきか、みんなで議論しました。どうしたらそのような人を社会にスムーズに受け入れ、犯罪を防止できるか、という視点の議論になりました。どのくらいの刑罰に値するかとか、被害者家族の気持ちはどうかといったことは一切、焦点になりませんでした」

犯罪者を更生させ、そのことで犯罪を減らそう、というのが更生保護である。
法務省のHPに、
「更生保護」とは
人はみな,生かされて生きてゆく 犯してしまった罪をつぐない,社会の一員として立ち直ろうとするには,本人の強い意志や行政機関の働き掛けのみならず,地域社会の理解と協力が不可欠です。
とある。
法務省保護局の「更生保護って何だろう」というパンフには、「犯罪や非行を防止し、立ち直りを支える地域のチカラ」とある。
犯罪を犯した人が立ち直って更生するために、まわりの人たちがさまざまなはたらきかけをする更生保護ということを、法務省の職員である検事はご存じのはずだ。
法務省は「罪を犯した人の更生」「立ち直りを支える」という更生保護を訴えながら、一方で「矯正は不可能」だと矛盾したことを言ってるわけである。

平川宗信中京大学教授の講演録「死刑制度と私たち」に、
「刑罰には、犯罪者を改善・更生させ、再び社会に復帰させ、正常な社会の一員として生活できるようにするという要素がなければいけないということです。死刑は、犯罪者を社会から排除し、抹殺するものであり、「社会復帰」の要素は全くありません。死刑は、刑罰として、正しい刑罰とは言えません」とある。
匿名男性B死刑囚も『命の灯を消さないで』に、
「ほとんどの死刑囚は過去を振り返り、悔い改め、生まれ変わった思いで今を過ごしているのです。ロープを首にかけられるその日まで一日一日を大事に生きているのです。……何度もいうようですが、このように本来の人間性を取り戻した人間を、何十人吊そうとも、なんの解決にもならないのです。死刑制度があろうが無かろうが、心のケアがきちんとサポートできる社会でなければ、今後も凶悪と呼ばれる犯罪は決して無くならないと思います」と書いている。
死刑にして抹殺するよりも、更生保護の観点のほうが社会のためにも大切だと思う。
しかし、光市の事件で下がった死刑のハードルがますます下がっている。

警察官や検事は厳罰じゃないと犯罪は減らないと考えているらしい。
ある講演会で講師である警察関係者が、凶悪犯罪が増えている、アメリカではスリーストライク法によって犯罪が減っていると話すのを聞いて驚いた。
坂上香「死刑と終身刑を考える」によると、話はちょっと違っている。
アメリカの終身刑受刑者の中には信じられないぐらい軽い罪で終身刑に科せられた人が大勢いる。
たとえば、ポケットにナイフを持っていて物を盗んでしまい、窃盗であるはずのところを強盗罪とされた。
そういった犯罪が2回ほどあって、3回目にリンゴとかCDを盗もうとして終身刑になってしまったケースもある。
これは三振法(スリーストライク法)といって、三度目の罪を犯したら終身刑になるという法律や、情状を酌量せずに強盗をやったら必ず15年間服役というふうに杓子定規に罰する流れが80年代から始まったことによる。
厳罰化が社会の流れになっている。
しかし、更生保護の理念を大切にすべきだと思う。

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『命の灯を消さないで』1

2010年11月22日 | 死刑

「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」が、2008年7月に確定死刑囚105人にアンケートを送り、返ってきた77通をまとめたのが『命の灯を消さないで―死刑囚からあなたへ 105人の死刑確定者へのアンケートに応えた魂の叫び』である。
死刑囚には冤罪を主張する人が多い。
冤罪と言っても、100%無実だという人だけはない。
「まったく身に覚えがないと冤罪を叫ぶ人のほか、複数の事件で有罪とされ死刑判決を受けたものの自分のやっていない事件まで押しつけられたと訴える人、判決の事実認定と罪名の適用に大きな誤りがあると主張する人もいる」
強盗殺人・放火だとされているが放火はしていないとか、4件の殺人事件のうち2件は無実だとか。
あるいは、殺意がない、計画していない、共謀していない、主犯ではなく従犯だなど。

殺意があろうとなかろうと、被害者にとっては同じだ、という意見もある。
だけど、強盗殺人や殺人を犯した人がみんな死刑になるわけではなく、死刑はその罪で有罪になった人の2%以下だそうだ。
「殺人にたいする応報は死刑以外にない、という考え方もあります。しかし、殺人の全てが、死刑で応報されているのではありません。殺人の大部分は、懲役刑にされています。その限りでは、殺人にたいする応報も、懲役刑で足りると考えられているのです」
(平川宗信「死刑制度と私たち」)
殺意がなかった、計画性がない、共犯、それなのに死刑になったとしたら、誤った判決だと思う。

匿名男性B死刑囚はこんなことを書いている。
「死刑囚の中には共犯として起訴されたのに、一方の者は死刑を言い渡され、片や残りの者は極刑判決ではなく、無期又は有期刑の判決を下された者が多くおります。そうなると、命を断たれる死刑と今後生き続けられ、社会復帰の可能性が残る無期刑との境は何だったのかということになるのですが……。
これがまたなんとも杜撰きわまりない認定によって生死を分けられているのです。裁判では複数犯の場合、主犯的立場であったのか、もしくは従属的な立場で犯行に加わっていたのかが重要なポイントになるのですが、裁判所による判断のおそまつなこと……その実態を知れば誰もが呆れ返ると思います」
「現実の日本の裁判というのは、本当に驚くほど杜撰に行われています。犯行に使用されたとされる凶器が未発見であろうと、物的証拠が一切なかろうと、自白がなかろうとも、共犯者の作り話を参考に「検察が起訴したのだから……」のひとことによっていとも簡単に死刑判決を下すのがこの国の裁判官たちなのです」
死刑囚が何を言うかと思う人もいるだろうが、匿名男性B死刑囚も冤罪だと主張しているのである。

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裁判員裁判 初の死刑判決

2010年11月18日 | 死刑

裁判員死刑判決 制度定着へ意味は大きい
裁判員裁判で、初の死刑判決が横浜地裁で言い渡された。犯行の残虐性や悪質性などを考慮すると妥当で適切な判断だったといえよう。
 死刑制度が存続する限り、死刑求刑事件を担当する裁判員はだれもが究極の判断を迫られる。制度スタート時点で懸念されたのも、一般から選ばれた裁判員が、そうした重責に耐えられるのかということだった。その意味で今回の判決は、裁判員がプロの裁判官と伍して、厳しい判断ができることを示した点で大きな意味がある。
 今月1日に東京地裁で判決が言い渡された耳かき店員ら2人殺害の裁判員裁判でも、検察側は死刑を求刑した。そこで裁判員らが下した結論は無期懲役だった。
 どちらの事件も被害者が2人と同じでありながら、死刑と無期懲役に分かれたのは、判決で指摘の通り、横浜の事件には殺害方法などで同情する余地が全くなく、極刑を回避する理由も見当たらないということである。
 被告の犯行は命ごいをする被害者の首を電動のこぎりで切断するという想像を絶する残忍さで、検察側は「被告が死刑でなければ、死刑になる人はいるのか」と訴えたほどだ。犯行の態様や計画性、被害者の人数など、最高裁が示した死刑適用の「永山基準」に照らしても極刑を選択せざるをえない事件であった。
 とはいえ、極刑も視野に判断を迫られる裁判員の心理的負担は大きいのも事実だ。裁判終了後、記者会見に応じた男性裁判員は「毎日が大変で気が重かった」と語っている。裁判員経験者について最高裁は、24時間利用できる電話相談窓口を設けてはいるが、心理面の万全な事後ケア制度を構築する必要があろう。
 裁判長は判決言い渡し後、被告に「重大な結論なので控訴を勧めたい」と異例の説諭をした。その是非には議論があろうが、控訴審の可能性を示すことで裁判員の精神的負担を和らげる配慮だったとすれば理解もできる。
産経新聞11月17日

死刑賛成の産経新聞らしい社説である。
しかし、裁判員裁判で死刑判決が出たからといって、どうしてそのことが制度定着になるのだろうか。
私は制度を見直すきっかけにすべきだと思う。
産経新聞ですら裁判員の「心理的負担は大きい」から「心理面の万全な事後ケア制度を構築する必要」があると主張している。
他の新聞でも、読売新聞の社説では「評議で死刑の適用を巡り苦悩した。そうした精神的ダメージを受けた裁判員には今後、継続的ケアが不可欠だ」
毎日新聞「初の死刑判決 裁判員に精神的ケアを」東京新聞「裁判員には大きな心の負担がかかったはずだ。裁判の間はもちろん、一生引きずる重荷にもなりうる。だから、裁判員の心のケアには十分、配慮せねばならない。希望者には臨床心理士のカウンセリングが受けられるが、初の死刑判決を受け、その態勢の再チェックが求められる」と、裁判員の心のケアをと訴えている。
しかし、これはどう考えてもおかしい。
死刑判決を下さなければいけない裁判員の「精神的ダメージ」は最初からわかっている。
なのに、心のケアをすればいいというのでは、人を殴る前に「PTSDにならないようカウンセリングを受けてもらうから」と言って殴るようなものである。
マスコミの仕事は、心のケアがどうのこうのと言うよりも、心のケアを必要とする状況を変えるのが筋である。
それは「一生引きずる重荷にもなりうる」ような負担を強いる裁判を一般人にさせることをやめればいいだけの話である。
そもそも、カウンセリングは万能ではないし、カウンセリングで心の傷が治るというものでもない。

しかしまあ、裁判員の苦悩に思いをいたしているだけましなのだが、あきれたのが朝日新聞
裁判員と死刑―仲間が下した重い決断
 証拠を検討したうえで、裁判員と裁判官が全人格をかけて結論を導き出したとしか言いようがない。裁判という営みは、結局はそこに行き着く。
 これまでは、その営みを職業裁判官に委ねていれば済んだ。「ひどい犯行だ」と眉をひそめたり、「判決は甘い」と批判したりして、そこで事件を忘れ、日々を過ごしていた。
 だが裁判員制度が始まり、状況は一変した。私たちは、いや応なく究極の刑罰に向き合わねばならなくなった。「自らの意思でそうした仕事を選んだのならともかく、なぜ普通の市民が」と疑問を抱く人も多いかもしれない。
 しかし、自分たちの社会の根っこにかかわる大切なことを、一握りの専門家に任せるだけではいけないという思想が、この制度を進める力となった。長年続いてきた「お任せ民主主義」との決別をめざしたと言っていい。
 きのうの判決はそのひとつの帰結であり、これからも続く司法参加の通過点でもある。熟議を重ねて到達した結論は、表面をなでただけの感想やしたり顔の論評と違って、圧倒的な存在感をもって迫ってくる。
 判決言い渡しの後、記者会見に臨んだ裁判員の男性は、背負ってきた重圧を語り、あわせて「日本がいまどんな状態にあるかを考えると、一般国民が裁判に参加する意味はあると思う」という趣旨の話をした。
 こうした経験の積み重ねは長い目でみたとき、この国の姿をきっと変えていくに違いない。死刑の存廃をめぐる論議も、国会を巻き込みながら、従来とは違う深度と広がりをもって交わされていくことになるだろう。
「裁判」という言葉を「戦争」に置き換えてみればいい。
「日本がいまどんな状態にあるかを考えると、一般国民が戦争に参加する意味はあると思う」
国民皆兵制になって「普通の市民」が戦場に赴くことになれば、国防を「一握りの専門家に任せるだけではいけない」という思想が生まれ、「お任せ民主主義」と決別することになるだろう。
それいけどんどんである。

娘さんを殺され、被告の死刑を求めた木下建一さんへのインタビューが毎日新聞に載っていた。
木下建一さんの葛藤を知れば、朝日新聞論説委員がいかに「したり顔」をしているかがわかる。
広島・小1女児殺害:事件から5年 「極刑主張、苦しかった」あいりちゃん父、告白
 広島市で小学1年の木下あいりちゃん(当時7歳)が殺害された事件から22日で5年になるのを前に、父建一さん(43)が毎日新聞の取材に応じた。殺人罪などに問われたペルー国籍のホセ・マヌエル・トレス・ヤギ受刑者(38)の裁判は今年8月、無期懲役が確定。極刑を主張し続けた建一さんは「あいりのことを思うと、『許せない』という気持ちは強い。しかし、人の命を奪う主張をすることは非常に苦しかった」と、複雑な胸中を明かした。
 事件は今年7月、差し戻し控訴審で広島高裁が1審の無期懲役を支持し、検察・弁護側双方が上告を断念し確定した。
 4年以上に及んだ裁判の間、建一さんは法廷や記者会見で「極刑」を訴え続けた。亡くなったあいりちゃんの「敵討ち」だと信じていた。しかし、その言葉を口にするたびに重圧を感じていた。「極刑を主張することは殺すことと同じ。それではヤギ受刑者と同じことになるのではないか」との思いがぬぐえなかった。
 差し戻し控訴審の判決後、建一さんは「あいりに申し訳ない。死刑判決が必ず出されるものと思っていた」と無念さを隠さなかった。それから3カ月余り。「人の命を左右するようなことにかかわらなくなり、非常にほっとしている」との思いが正直な気持ちという。
毎日新聞11月16日
裁判員は「人のいのちを奪う主張」をするのではなく、「人のいのちを奪う」ことを決定するのであり、それは「殺すことと同じ」である。
いつか死刑が執行された時に、死刑判決を下した裁判員はどのように感じるか。
元裁判官の荒木友雄・流通経済大客員講師(74)は語る。
 思い出すのは東京高裁の裁判長として00年、事件当時21歳の男に対し、1審と同様に無期懲役を言い渡した判決だ。男は2人を殺害し1人に重傷を負わせた。殺害方法は残虐だが、仲間内のいじめがエスカレートした末の事件だった。悩み抜き、極刑は回避した。
 07年12月、荒木氏は別の殺人事件で判決にかかわった死刑囚の刑が執行されたと聞き、判決文を読み返した。内容に自信はあるが、実際に死を突きつけられると、穏やかではいられなかった。「プロですら『大丈夫だったか』と思う。裁判員が死刑執行を耳にした時のショックは計り知れないだろう」。
毎日新聞11月18日
死刑でなくても、足利事件みたいに実は冤罪でしたということになったらどうか。

被告が無罪を主張し、検察が死刑を求刑する裁判が始まった。
鹿児島老夫婦殺害の裁判員裁判、死刑を求刑
 鹿児島市の高齢夫婦殺害事件で、強盗殺人罪などに問われた同市三和町、無職白浜政広被告(71)の裁判員裁判の第10回公判が17日、鹿児島地裁(平島正道裁判長)であった。
 検察側は論告で犯行の残虐性などを強調し、死刑を求刑した。同日午後には、弁護側の最終弁論と、白浜被告の最終意見陳述が行われ、被告側は改めて無罪を主張する方針。裁判員裁判での死刑求刑は東京、横浜地裁に次ぎ3例目で、否認事件では初めて。判決は12月10日に言い渡される。
読売新聞11月17日
裁判員の苦悩は今回の裁判の比ではない。
裁判員制度を変えないのなら死刑制度を廃止すべきである。

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五木寛之・帯津良一『健康問答』2

2010年11月15日 | 

帯津良一氏は手かざしによる治療も行っている。
帯津「私は五年間、イギリスのスピリチュアル・ヒーリング、手かざし療法ですけれど、それの研修ツアーをつくって行っていました」
五木「ほう。いわゆるハンド・パワーですか」
帯津「ええ。イギリスの手かざしは、宇宙の根源からエネルギーをもらって、患者さんの体内に送りこむというものです。ある一定のトレーニングを修了すると、だれにでも施療者として開業できるんです。しかも病院のなかに設置されていれば、健康保険もきくんです」
五木「それは進んでいますね。さすが、心霊研究の中心地だな」
帯津「ええ。さすがは大英帝国と感心しました」
ここらもすごい会話である。
心霊学なんてコナン・ドイルの時代の話かと思ってた。
スピリチュアル・ヒーリングレイキは同じものか、手かざしで病気を治す宗教とはどう違うのか、不勉強なのでわからない。
崇教真光の教えでは、手かざしで病気治しがなぜ可能なのかというと、
「手のひらから高次元の真の光を放射し、一切を浄め、あらゆる悩みや問題を解消していく」からである。
「宇宙の根源からのエネルギー」と「高次元の真の光」は似てるように思うのだが。

気について。
五木寛之氏が「私は、できるだけ病院に近づきたくない」と言うと、帯津良一氏は「五木さんがおっしゃるように、なかには、悪い気が流れている病院がありますから(笑)」と受け、そしてこう言う。
「人間を肉体の塊、物質のようにあつかって治療をすると、魂の部分が大変辛い思いをし、それが、暗い怨念や怒りとなって発散され、病院内にこもる。これを五木さんは、悪い気と感じられたんじゃないですか」
この気は単なる雰囲気とは違って、測定できる未知のエネルギーである。
五木寛之氏もこういう考えを持っている。
「その場に漂っている「気」が、癒しの気じゃなければならないと。神社仏閣の多くは、太古から、清浄な強いエネルギーの噴き出す「癒しろ地」だったわけですから、病院もまた、癒しろ地でなければなりませんね。その病院にはいったとたんに、なにか症状が軽くなったり、病気が治癒の方向に向かうような」

帯津良一氏は気は臓器と臓器をつなぐ隙間にあると考えている。
帯津「その隙間には、電線が重層するように、つながりがいっぱいあると、私は仮定したんです」
五木「ネットワークですね」
帯津ネットワークをもっと細かくすると、電磁場の「場」になるんです」
五木「場が大事だと」
帯津「だからやっぱり、体のなかに「命の場」というものがあって、そのエネルギーを、われわれは「命」と呼んでいるんじゃないか。その仮説を打ち立てたころから、だんだんホリスティック医学に傾斜していったんです」
五木「「命の場」が涸れてくると、気が涸れてきて、道教でいうように、生命がなくなる」
帯津「涸れてくるといいますか、「命の場」のエネルギーが低下してくるんです」
二人の息がぴったり合っていて、うらやましいぐらいである。

五木寛之氏の受け答えは絶妙としか言いようがない。
次のやりとりもそう。
五木「ああいうもの(プロポリスなど)は、どの程度、効き目があるんでしょうか」
帯津「人によりますね。やっぱり、科学的証拠というか、エビデンスは乏しいんです」
五木「そうでしょうね」
帯津「まあ、薬ではないから、しようがない。その上の可能性を求めていくしかないけれど、その上というのは、たとえばプロポリスだったら、やっぱり自然界のスピリットがはいっていることでしょう。蜂のスピリットは、花のスピリットですね」
五木「なるほど」
帯津「花のスピリットは大地のスピリット」
五木「そういう風に、理解しなきゃいけないんだな」
帯津「自然のスピリットがはいっているから、捨てがたいものがあるんです」
五木「やっぱり、捨てがたいものがあるんですね。いい話を聞いた」
対談がいい雰囲気で行われたことが伝わってくる。
五木寛之氏の対話術は見習うべきだと思った。

最後に、五木寛之氏の真宗理解について。
「いい方にめぐり合えるというのも、「他力」のはたらきがあって、お会いするときはきっとくるから、黙って待っていようと思っていたんです。そういう、大きなものに身をまかせて、そのエネルギーの流れのなかに自分を自覚するという「他力」の考え方は、いささか我流の他力観ではありますが」
「真宗の思想では往還といいますが、一遍、浄土に往って、浄土にただずっといるわけではなくて、しばらくそこで心を休めて浄化されて、ふたたび菩薩行のために地上へ戻ってくるんだということです」
五木寛之氏の考える他力や往還二回向は真宗スピリチュアル派だと思う。

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五木寛之・帯津良一『健康問答』1

2010年11月12日 | 

『健康問答』は、五木寛之氏が、水を一日に2リットル飲むとか、塩を取らないとか、菜食主義といった食事療法や健康法、サプリメントなどについて質問して、帯津良一氏が答える。
どういうふうに答えているか。
おいしいもの、食べたいものを適量食べる。
あれがいい、これは悪いと、あまり神経質にならないほうがいい。
無理をしたり、我慢したり、偏ってはいけない。
食べ過ぎ、飲み過ぎ(酒だけでなく水、牛乳、コーヒーなども)はいけない。
ほどほどが大切。
トンデモ発言を期待したのに、当たり前と言えば当たり前の話で物足りない。

なるほどと思ったこと。
健康食品のよしあしをどう判断したらいいか。
1,値段が適正であること
2,断定的ないい方をしないこと
治癒率95%とかあり得ない。
3,人相を見ろ。
「売っている人が、いい人相の人だったら、買いなさいと」
これは冗談だろうか。

もう一つ。
帯津「長年ガン患者さんとつき合ってきて、痛切に感じるのは、「明るく前向きにという思いくらい、脆いものはない」ということなんです」
五木「病の半分は気の持ちようだからといって、わざと笑わせたり、明るい気持ちにさせるのも、どうかと思う」

しかし、読み進むにつれて、だんだんとあれっという話になる。
「(抗菌グッズは)結果的に、免疫力を下げて、病気を吸い寄せてしまいかねない」と五木寛之氏が言う。
それに応えて帯津良一氏が「ええ。あまり過敏にならないこと。「抗」、抗うというのは、あまり良くないですね。アンチでしょう。抗生物質、抗ガン……それにアンチエイジング。どれも不自然ですね」と言う。
アンチエイジングはともかく、抗生物質や抗ガン剤が不自然だからあまりよくないとはね。


調子が出てきたなと思ってたら、帯津良一氏のこの発言。
「人間は体と心と命とから成ります。体のなかには電磁場もあれば、重力場もありますが、そのほかにも、さまざまな生命に直結した物理量が存在してそれぞれに対応した場をつくっています。もちろん、まだ発見されていないものがほとんどですから、私は、これらを一まとめにして、「命の場」(生命場)と呼ぶことにしています。
この命の場のエネルギーこそが、まさに生命なんで、このエネルギーが高いほど健康ということになります」
待ってました!という感じでうれしくなる。
「命の場のエネルギーは、いまの科学では測定できません」
つまり、命の場=生命とは、測定できて、数字で表すことができる物理量なわけである。
いかにも疑似科学的お言葉に、うふふと笑ってしまった。

帯津良一氏によると「命の場」「エネルギー」と「ホメオパシー」は無関係ではない。
「私、先日こんな経験をしました。いま降りた車の前輪に、左足を轢かれてしまったのです。倒れてしまったのですが、起き上がってみたら、骨には異常が無いのはわかりました。帰宅して見ると、左足の甲がかなり脹れています。もちろん痛みもあります。ホメオパシーの薬アーニカを一粒、口にふくんで寝ました。
翌朝、起きてみたら、脹れは完全にひいていました。少しも痛くありません。まったくなにも起こらなかったようです。ホメオパシーの効果に、あらためて目を瞠ったものです」
この手の話だったら、手かざして病気が治るという宗教の機関紙には、病気だけでなく、家庭や仕事のトラブルが解消した、子どもの縁談がまとまったなどの話が実名、写真入りでわんさと書かれてあるけど、それでもやっぱりほほーと感心してしまう。


では、ホメオパシーとは何か。
帯津良一氏の説明によると、ホメオパシーをはじめたサミュエル・ハーネマン(1755~1843)は、マラリアの治療薬であるキニーネを自分で食べてみたらマラリアと同じような症状が起きた。
「マラリアに効くものを、健康な人に飲ませたり食べさせたりすると、マラリアと同じ症状を起こす。だから、ある症状を起こすものは、それと同じ症状で悩んでいる人には、これが効くんだと推定して、「似たものが似たものを治す」という原則を考えた」
「実際に、たとえば熱が出ている人に発熱剤を与えたら、熱がもっと高くなるわけです。それじゃ医療にならない。彼は、薄めればいいかもしれないと思って、薄めだした。そうしたら、薄めれば薄めるほど効くんです。
結局、一分子もはいっていないような、ただの水みたいなものがいちばん効くとわかった。それで「最小有効量を用いる」という、二つ目の原則ができた」
だったら、キニーネを薄めたほうがマラリアによく効くということになるが、そこらはどうなんでしょう。

帯津良一氏はホメオパシーをエネルギー医学だと言う。
帯津「要するに、物質の持っている物質性を排除して、エネルギーだけ残し、一分子もはいっていない状態にして、それを水に投影させるんです。それを飲むことで、人間の「命の場」のエネルギーにはたらきかける、体じゃなくてね」
五木「体じゃなく、魂というか、スピリチュアルな部分に、直接影響を与えるんですね」
帯津「ええ。そこで、エネルギー医学という考え方が出てくるんですけど、それはわたしたちの仮説です。まだエビデンス(科学的根拠)はありません。だれも証明していない」
何だかあやしい会話ではあるが、二人の息が合っていることは間違いない。

ホメオパシーではレメディという薬を処方する。
「自然物質を採取してきて、それをアルコール溶液で百倍に薄めて、激しく振るんです。百倍希釈を、三十回繰り返すんです」
「面白い話があって、振るのは、心がきれいで腕の太い女性がいいそうです。そして、振るときに、聖書を下に置くと、効き目が上がるといわれているんです(笑)」
これは冗談なのか、本気なのか、微妙である。

どうしてホメオパシーに帯津良一氏がはまったのか、こう説明している。
「気の勉強会のとき、ホメオパシーというものが面白そうだから、話を聞いてみようということになって、講師の人を呼んだんです。その人が、ホメオパシーの説明のとき、「レメディとは、『薬の霊魂』だけを残したものだ」といったんです。私、それまで居眠りしながら聞いていたんですが、「霊魂」という言葉にハッとして、飛び起きちゃったんです。
薬も、エネルギーの場をもっているのかもしれない。完全に希釈したレメディは、ほんらいのエネルギーを純粋な形で宿し、それが、人間の命の場にストレートにはたらきかけるのでは……。これはホリスティック医学をめざすものとして、腰をすえて勉強しなければいけない、と直感で悟ったんです」
普通なら「霊魂」と聞いたら逃げ出すところだが、そこで目が覚めるところが凡人とは違うところである。

ホメオパシーは身体だけではなく、心にはたらきかけるレメディがたくさんあり、身体的症状をとり除きながら心の状態を正していけるそうだ。
しかし、そんなのプラシーボ(偽薬)効果ではないかという疑問がわく。
それに対して帯津良一氏は、プラシーボは「医療にとって、いちばん大事なはたらきなんですよね」と説明する。
小麦粉で病気が治ったとかいうのがプラシーボ効果だと思っていたが、帯津良一氏によるとそうではない。
患者と医療者の信頼関係があるからこそプラシーボ効果が出てくるし、プラシーボ効果の大きさは薬の本当の効果に比例するそうだ。
なるほど。
私は信じがたいと思うのだが。

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五木寛之『親鸞』

2010年11月08日 | 仏教
五木寛之の熱心なファンとは言えないが、何冊か小説を読んでいる。
五木寛之の魅力はというと優しさだと思う。
『親鸞』に「放埒」という言葉が出てくる。
「馬場で馬を飼うときは、ふつう柵をもうけてそのなかに馬をいれます。その柵のことを埒というのです。そのラチから外へ追いだすことを放埒という。わかりやすくいいますと、放埒人とは放りだされてしまった人のことです」
埒の外に放り出されてしまった人たち、弱者やあぶれ者や異形の者たち、地獄の中で暮らす人。
『親鸞』では、石つぶてのごとき者、たとえば乞食聖、遊芸人、遊び女、狩人、印地、河原の者たちである。
そうした人の優しさを描く五木寛之の視線は、彼らの中に己を見ている。

さげすまれ、差別され、悪人とされた埒外の人と親鸞は8歳の時からつき合っていた、というところから『親鸞』は始まる。
ところが、偉人伝にはよくある話だが、五木寛之は親鸞が子どものころから並みの人間とは違っていたことを強調する。
5歳の時に、ある僧侶が親鸞を見て、「一歩まちがえれば大悪人、よき師にめぐり会えば世を救う善知識ともなる」と言う。
8歳にして埒外の者たちをひきつけ、悪人ですら心を揺るがす歌を歌う。
十年の回峰行をした行者に「おぬしには、なにかがあるのじゃ」と言わせている。
9歳で得度する時、慈円は「ただ者ではあるまい」と言い、「そちの歌には、人の心を揺るがすふしぎな響きがあるようじゃ」とまでほめている。
神童というのは読者に受けるけど、ちょっとなとひいてしまう。

『親鸞』のテーマは放埒の人たち、そして罪ということだと思う。
親鸞の幼少時に世話をした下人のサヨが、比叡山を下り、ある女性を傷つけたことで悩む親鸞にこう問いただす。
「あなたさまは、ほんとうに自分自身が罪ぶかい業をかさねていると、どこまでふかく身にしみてお感じになっていらっしゃるのでしょうか」
そして「ほどほどの悪人に悪人面されたんじゃ、迷惑というものです」と親鸞を叱る。
「わたしたちは懸命に生きてきました。たくさんの人を踏み台にして坂をのぼり、人をだし抜いて商売をひろめてきました。必死になればなるほど、真剣に生きようとすればするほど悪をさけることはできません。いま勢いのあるお武家衆は戦場で人を殺して生き残ります。世の中はみなそうなのです。サヨは口惜しゅうございます。綽空さまが中途半端に、自分に罪がある、などと、ぬけぬけとおっしゃることが、です」
当時の人にとって地獄は実在した。
藤原道長たちは死後の極楽往生のために造寺や写経をし、死ぬときには臨終の儀式をきちんとした。
そうした善根功徳を積むことができない一般庶民や女性が抱えていた堕地獄の恐怖は現代の我々には想像もできないことだと思う。
しかし、親鸞が自分の罪をサヨに語るのは一種の自己憐憫かもしれない。
露悪と罪の自覚とは違う。
親鸞の罪の意識の甘さを下人として育った女性がとがめずにはおれなかったのだと思う。

比叡山の座主慈円に「奈良の大寺も、高野山も、そしてこの比叡山にも、尊き仏燈はともっておる。だが、いま宗門は変わらなければならない」と語らせているのは、五木寛之からの既成教団へのメッセージだと思う。
では、どのように変わっていったらいいのか。
その答えの一つを安楽房遵西の行動として『親鸞』では描く。
承元の法難で死罪になった遵西は、法然の夢を実現すると言って、民衆蜂起を企てる。
もちろんこれはまったくの創作なのだが、「この国の仏の道を一挙に変革するのは、いま、この時しかない。よいか、これまで誰もやらなかったあたらしい事をやるには、中途半端ではだめなのだ。徹底的に戦い、主導権をうばいとる必要がある。行き過ぎるぐらいにやってこそ、事は成るのだ」というセリフを読み、オウム真理教を思い浮かべた。
「旧勢力は本気で弾圧にかかってくる。法然上人にも法難がふりかかるだろう。そのときこそ、これまで虫けら扱いされていた下々の大衆がたちあがる。われらはその先頭にたって、戦い、そして死ぬのだ。そうすれば念仏の声は国中に満ち、あたらしい仏道の時代がくる」
これは一向一揆か。
「命がけで念仏の世をつくろうとしているのだ。立身出世のためでも、我欲でもない。古い仏門勢力を打ち倒して、この国を念仏一色でうずめつくすのが、わが仲間たちの夢だ」
国立戒壇を目指す日蓮正宗やその信者団体を連想した。
となると、オウム真理教と一向一揆はどう違うのか、政治にすり寄る教団はどうなのかと思う。

『親鸞』は親鸞が越後に着くところで終わる。
河原房浄寛は関東にいるし、黒面法師は死んだわけではないらしい。
続編を読みたくなってくる。
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平松令三『親鸞』

2010年11月05日 | 仏教
平松令三『親鸞』を読む。
初めて知ったことがいろいろあって、へえーと思った。

親鸞は『教行信証』で、法然の主著『選択集』の書写を許されたこと、そして法然の肖像を図画することも許してもらった感動を述べている。
『選択集』は理解が進んだ一部の門弟にだけ伝授されたらしい。
どうして一部の弟子にだけ書写を許したかというと、誤解されるのを防ぐためということがある。
平松令三師はそれだけではないという。
外部からの弾圧を心配する必要のない時期に秘書扱いにしたのはなぜか。
「それは法然がこの書を書写を通じて教団の重要な門弟との間に特別に強い師弟の絆を結んでおこうとしたからではないか、と私は考えている。言うなれば、とくに信頼の置ける人物に対して、師弟関係を確認するために、『選択集』を利用したもの、と考えたい。それは一種の教団統制策だった可能性がある。親鸞が「選ばれた一人」であることを知って、歓喜しているのを見ると、法然のこの施策は有効に機能していたことがわかる」
ええっという指摘だが、肖像画の模写に法然に賛銘を書いてもらったことについても、平松令三師はこう言っている。
「既成の肖像画を貸出して模写させ、それに自筆の賛銘を書き加えて与えるという方法は、それまでの日本にあったのだろうか」
「このような多くの肖像画を制作させた人物は、それまでの日本の祖師の中にはなかったのではないだろうか」
「これが『選択集』の伝授と同じく師弟の絆を確認する手段であったことは、もはや言うまでもないだろう」
今でいうなら、教祖の写真を拝ませる宗教とどう違うのかという話になる。

そして、親鸞の名前だが、ある先生が、鸞は天子の乗り物なのに、それを自分の名前に使うものかという疑問を呈されていた。
平松令三師によると、「成人には実名と仮名とがあり、これを使い分けていた。日常生活で呼び交わされる名は仮名で、俗名とも字名とも呼び名ともいわれた。それに対して実名は諱名ともいわれるように同輩や目下の者から呼ばれることを忌み憚かる名前だった。そして当時、浄土教教団の出家者たちは、実名のほかに、房号を持ち、これが呼び名(仮名)となっていた」
たとえば法然は房号で、源空が実名である。
親鸞の場合はどうなのか。
平松令三師は、善信房が房号で、親鸞が実名であり、法然の門下に入って、善信房綽空と改め、さらに法然の真影に賛銘を書いてもらったときに親鸞という名前を書いてもらい、善信房綽空から善信房親鸞に改名したと言う。
ところが、一楽真『親鸞の教化』に、「正像末和讃」の初稿本には撰号が「愚禿親鸞」となっているのに、文明本では題号の下に「愚禿善信集」とあるから、「房号を撰号にするとは考えにくい」「「綽空の字を改めて」と言われる名のりが「善信」だと考える」とある。
文明本は蓮如が開板したものだから、親鸞が「善信」と書いたかどうかはわからないと思うが、どうなのだろう。
先日聞いた本多弘之先生の講義では法然につけてもらった名前が親鸞だと言われてた。
また、寺川俊成先生も「真宗」11月号に親鸞の名を法然からもらったと書いている。
善信派は断然旗色が悪いようです。
寺川俊成先生が引用しているが、『歎異抄』には「善信房の信心も如来よりたまわらせたまいたる信心なり」、『恵信尼文書』にも「善信の御房」とあって、善信が房号だという説のほうが正しいように思う。
では、親鸞の手紙に、弟子の名前に蓮位房とあったり真仏坊とあったりするのだが、房と坊は同じか違うのだろうか。
また弟子たちには唯円房○○というような別の実名があったのだろうか。

これもびっくりしたのだが、越後から関東に入ってすぐのころ、親鸞は佐貫で三部経千部読誦しようとした。
水害に苦しむ(干ばつという説もあるが)人々を見た親鸞は三部経を千部読誦しようとするが、途中でやめる。
このことについて平松令三師は、親鸞は善光寺聖であり、勧進聖は一団を組んで行動する、水害にあった村人に懇願されて、何人かの仲間と三部経千部読誦をした、と言う。
「この千部読誦も善光寺の勧進(募金)を兼ねての法要」なんだそうで、祈祷というか呪術というか、そういうことを村人から頼まれるままに親鸞はしたわけだ。
私は、苦しむ民衆を見た親鸞が何とかできないかと思って個人的に三部経の読誦したのだと思っていた。
善光寺聖として村人から頼まれたというのなら、公開の場で読誦したわけであり、途中でやめることは村人の信頼を失うことになったのではないかと思う。

750年前に死んだ人だからすでに研究しつくされているのかと思ってたら、新しい発見、新しい見解が次々と出てくるのだから、世の中面白いものだと思う。
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伊坂幸太郎『重力ピエロ』と港かなえ『告白』

2010年11月02日 | 
映画『重力ピエロ』で、末期ガンの父親が次男に出生の秘密を語るシーンにはええっと思った。
母親が強姦されて生まれたのがお前だなんてこと、親としたら墓の中に持っていくべき秘密でしょう。
父親役は小日向文世、あなたのことはよくわかってますよ、という演技が得意な人である。
小説『重力ピエロ』では、十年ぐらい前だから高校生の時か、やはり父から知らされたということになっている。
もっとも、どうしてそんなことを教えたのかは書かれていない。
不思議に思うのが、親戚や近所の人たちがこの秘密を知っているということ。
普通なら隠すことだし、父親の実子の可能性があるのに、どうして強姦犯の子どもだとみんな断定しているのだろうか。

それと、なぜ放火したのか、遺伝子と関係づけたのはどうしてか、その謎解きはウンチクと合わさって面白いのだが、まるっきり説得力がない。
主人公兄弟は犯罪被害者だし、加害者は悪いことをしたとも思っていない。
だから、兄弟の行動は正しい、というお話に『重力ピエロ』はなっている。
次男は「意味を考えていると、物事は複雑になってしまうんだ。人が誰かを殺したとするだろう? そうするとみんなで原因を追及するんだ。恨みがあったのか、情状酌量の余地はないか、もしかしたら、精神的な混乱があったのかもしれない、なんてね。そんなことをしているから、にっちもさっちも行かなくなる。結果だけを見ればいい。人を殺したという結果だけを。そうでないとどこかの知った顔の優等生の子供が、『なぜ人を殺してはいけないんですか?』なんて言ってくる」と言う。
ただの殺人ではない、天誅だ、天に代わって成敗するというわけである。
だけど、被害者だったら何をしてもかまわないのかと思う。
老人がやけどし、建物が燃えようと、この兄弟は被害者なんだから何をしてもいいのか。
まあ、たしかに加害者はどうしようもなくひどい人間として描かれてはいる。
だからといって、少年法で加害少年が守られているのはおかしいという理屈は論理の飛躍である。

港かなえ『告白』で、H市母子殺人事件について中学校の女の子がこんな感想を書いている。
「私は、裁判なんて必要ないじゃないか、犯人を遺族に引き渡して、好きなようにさせてあげればいいじゃないか、と思っていました。(略)
犯人の少年にだけでなく、必要以上にかばい立てし、誰がどう聞いてもおかしいだろうという理屈を平然と並べ立てる弁護士にも腹が立ちました。その人なりに崇高な理想があるのかもしれませんが、それでも、テレビにその弁護士が映ると、この人が目の前を歩いていたら背中を突き飛ばしてやりたい、この人の家を知っていたら石でも投げてやりたい、そんなふうに思ったことが何度もあります。(略)
でも、この手紙を書いている今は、少し考え方が変わりました。
やはり、どんな残忍な犯罪者に対しても、裁判は必要なのではないか、と思うのです。それは決して犯罪者のためにではありません。裁判は、世の中の凡人を勘違いさせ、暴走させるのをくい止めるために必要だと思うのです。
ほとんどの人たちは、他人から賞賛されたいという願望を少なからず持っているのではないでしょうか。しかし、良いことや、立派なことをするのは大変です。では、一番簡単な方法は何か。悪いことをした人を責めればいいのです。それでも、一番最初に糾弾する人、糾弾の先頭に立つ人は相当の勇気が必要だと思います。立ちあがるのは、自分だけかもしれないのですから。でも、糾弾した誰かに追随することはとても簡単です。自分の理念など必要なく、自分も自分も、と言っていればいいのですから。その上、良いことをしながら、日頃のストレスも発散させることができるのですから、この上ない快感を得ることができるのではないでしょうか。そして、一度その快感を覚えると、一つの裁きが終わっても、新しい快感を得たいがために、次に糾弾する相手を捜すのではないでしょうか。初めは、残虐な悪人を糾弾していても、次第に、糾弾されるべき人を無理矢理作り出そうとするのではないでしょうか。
そうなればもう、中世ヨーロッパの魔女裁判です。愚かな凡人たちは、一番肝心なことを忘れていると思うのです。自分たちには裁く権利などない、ということを…」

これは被害者の聖域化に便乗して勝手なことを言っている人への批判である。
マスコミやネットでの弁護団への異常なバッシング騒ぎを通して、港かなえ氏自身が感じたことだと思う。
でも、これを読んで、自分のことを言われている、と思って反省した人はいない気がする。

伊坂幸太郎氏の小説の会話はアフォリズムであふれている。
たとえばこれ。
「小説を読むのは、でたらめを楽しむためじゃないか。細かい誤りを取り上げて、つべこべ言うのは実は小説が嫌いな人だ」
しかし、デタラメだからといって何でも許されるわけではないし、細かい誤りを気づかせずにうまく騙してほしいと願うのが読者というものである。
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