三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

「東京拘置所・衛生夫が語った「死刑囚」それぞれの独居房 第二弾」1

2013年07月31日 | 死刑

「死刑囚」や「東京拘置所」で検索すると、なぜか「週刊新潮」2月7号に載った「衛生夫が初めて語った! 東京拘置所「死刑囚」30人それぞれの独居房」を紹介した拙ブログの記事が上位に来る。

死刑囚の世話をした元衛生夫(受刑者)が見聞した死刑確定囚について語っているのだが、本当に衛生夫だったのかは疑問である。
というのも、宮前一明さんについてこんなことを言っているからである。
「再審請求をしており、提出書類が3つ必要なのですが、彼はそれをわざと1通ずつ出す。そうすると裁判所から、〝書類が足りません。いつまでに提出してください〟と通知が来る。それを無視していると、もう少し強い調子で催促する通知が来ます。それでも無視すると、今度は〝このまま出さないと請求を取り消します〟という強い勧告がくる。そこで、彼はようやく2通目の書類を提出するのです」

知人の話だと、宮前一明さんに来た手紙の内容を衛生夫が知ることはあり得ないし、刑務官が衛生夫に教えることもないという。
衛生夫ではなく、刑務官が小遣い稼ぎで「週刊新潮」に情報を売ったのではないかという気がする。

「東京拘置所・衛生夫が語った「死刑囚」それぞれの独居房 第二弾」は「週刊新潮」7月25日号掲載。

この衛生夫は前回とは別の人物だそうだ。
この記事を見て、衛生夫経験者が金目当てに新潮社を続々と訪れ、あることないこと吹聴するだろうと思う。

「私は数年にわたって死刑囚の食事の配膳やフロアの掃除、身の回りの世話を行い、生身の彼らと接してきました」

最初に袴田巌さんについて語っている。
「その老人は、わずか4畳の独房をいつもヨボヨボと歩いていました。関節はうまく曲がらず、身体を傾けながら、30分でも1時間でも、声を発することなく、表情を変えるワケでもなく、同じところを行ったり来たり……。まるで動物園の熊のよう」

認知症のような症状がしばしば見てとれたそうだ。

「放っておくと、水を無制限に飲んでしまうので、洗面台の水が止められていました。また、便器の水を飲んでしまったこともあったそうで、夜はトイレにも水を流せないようになってしまっています。さらに、自分の名前も書けません。死刑囚は、買いたいものを「願箋」という紙に書いて僕らに出すのですが、袴田さんはその名前の欄に「大王神界~」などと、漢字をお経のようにズラッと書くのです。欄をはみ出してもお構いなしで、紙一杯に書く。しかも、毎回〝名前〟は変わるのです」

ええっと驚く話で、いくら死刑囚だからといって、この扱いはひどすぎる。
袴田巌さんは拘禁反応だと言われているおり、おまけに認知症かもしれない。
それなのに、東京拘置所は治療もせずに放っているわけである。

造田博さんもひどい状態に置かれている。
「罪と向き合わない点においては、「池袋通り魔殺人事件」の造田博死刑囚も同様であった」として、次のように語っている。
「造田は何もしゃべらず、下を向いて一日を過ごしています。〝お茶要りますか?〟と聞いても、やや間を置いて手でバッテンの合図をするくらいで、私は彼の声を一度も聞いたことがありません。また、汚くてどうしようもない人間で、シャツも洗濯しないから、白いシャツが真っ黄色になってしまっているんです。トイレも絶対に流さないので、房は臭くて仕方がない。一言で言えば〝廃人〟同然の人物で、扱いにくさでは、フロアで屈指でした」
〝廃人〟同然の人物に「罪と向き合わない」と責めているわけで、衛生夫の語りに記者の偏見が混じっているのがわかる。

造田博さんは事件の前から統合失調症を発症していたらしい。
犯行の2年前にこんな手紙を前に外務省などに送っている。
「日本人のほとんどは小汚いものです。この小汚い者達は歌舞伎町で、人間でなくなっても、動物でなくなっても、生物でなくなっても、存在しなくなっても、レイプし続け、暴行をし続けると言っています。
存在、物質、動物が有する根本の権利、そして基本的人権を剥奪する能力を個人がもつべきです。
この小汚い者達には剥奪する必要があります。
国連のプレジデントに届けて下さい。
Hiroshi Zota  造田博」
98年6月、造田博さんはアメリカのポートランドに行くが、日本領事館に保護された時は錯乱状態だったという。

保健所で殺された犬の仇討ちのために元厚生事務次官宅を襲撃した小泉毅さんにしても、精神的に何らかの問題を抱えているかもしれない。


山本譲治氏(元国会議員)の講演を聴いて驚いたのが、重篤な統合失調症の人は心神喪失とされて罪には問われないはずなのに、そんな人たちが刑務所に少なからずいること。

軽微な事件では責任能力を争う裁判はほとんどないそうだ。
というのも、国選弁護人の報酬は6万円、精神鑑定は20万円もかかる。
裁判官も審理が長くなることを嫌い迅速にすませようとする。
それで、精神病院を退院したばかりの人がワンカップを1本万引きして、実刑判決になる。

裁判所は造田博さんたちが統合失調症であることはわかっていても、心神喪失で無罪にしたくなくて死刑判決を出したんだろうが、死刑囚が精神障害や心神喪失状態にある場合は死刑の執行できない。(もっとも、精神病の死刑囚も執行しているのだが)

袴田巌さんが病気だとみんな知っているのだから入院治療すればいいのに、法務省は何もせずに病死するのを待っているわけである。

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最近読んだ小説

2013年07月27日 | 

最近でもないけど、読んだ小説の感想をいくつか。

 平安寿子『Bランクの恋人』『グッドラックららばい』

ダメ男を好きになる女たちがなぜか魅力的。
はずれっ子(オタク、ネクラ、気弱のモテナイ系)の私としては、はずれっ子コレクターの澄香さんみたいな人と出会っていたら、と妄想した。



 石田衣良『4TEEN』『6TEEN』

小説や映画を見て、登場人物がその後どうなるのか知りたくなることがある。
それで続編が作られるわけだ。
だけどワンパターンになりがちだし、過激になりすぎたりする。
『4TEEN』にしても、ゲイをカミングアウトしたり、大金持ちの早老症の同級生がいるなんて普通はないが、『6TEEN』ではもっとあり得ない話になる。
と言いつつ、彼らが大学ではどうしているかが気になる。



 恩田陸『夜のピクニック』
石田衣良もそうだが、恩田陸は学校が好きだったんだなと思う。
そこそこクラスの人気者で、そこそこもてて、勉強やスポーツもそこそこできて。



 荻原浩『四度目の氷河期』『オイアウエ漂流記』
明確な答えを与えずに終わるリドル・ストーリー的結末。
一応はハッピーエンドなのだが、それは、一人だけ生きていている少年や、父親を殴って逃げた少年の妄想ではないかという気もする。



 和田秀樹『今日から「イライラ」がなくなる本』

娘が父の日のプレゼントでくれた本。
まったく効果がなかった。



 井上荒野『静子の日常』
そんな私ですから、家族や周囲の人のためにさりげなく世話を焼く静子さん、自分のしたいことをさらりとやってのける静子さんのような老人になりたいけど、無理なのはわかってます。

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「日本を、取り戻す」

2013年07月23日 | 日記

「日本を、取り戻す」ということ、自民党の手に取り戻すということでなければ、何を取り戻すのだろうかと思う。
戦前、戦中の日本がいいというわけではないだろうし。

堀田善衛『インドで考えたこと』は、第一回アジア作家会議の日本代表として、1956年晩秋から1957年初にかけて、インドに滞在した時の記録。
見たことは少しで、ほとんどは考えたことばかり。

50年前の日本について、堀田善衛はこのように書いている。

「日本の電気、ネオンサイン、すさまじい消費。(略)ここインドでは、紙がない、紙は貴重なものだ。東京では、紙どころか、もう新聞紙に包んでおけばいいようなものまで、ビニールに包んでいる。われわれはものすごい勢いで新しいものをつくり、それをまた猛烈な勢いで消費している。要するに、消費のための消費」

昭和31年はもはや戦後ではないにしても、まだまだモノが豊富とは言えないと思うのだが、堀田善衛によるとすでに消費社会ということになる。

「しかし、怖ろしいスピードで走り、そのかげで、いったいわれわれの、モノではない方の、本物の心の方は、本物の創造の方はどうなっているのか」
「戦後レジームからの脱却」を訴えている安倍晋三首相だが、堀田善衛の戦後の日本批判に同意するとは思えない。

人間や社会は成長しているかどうか。

たとえば、親が経験したことが遺伝するなら、足し算や引き算を子供に教える必要はない。
だけど、親が苦労して学んだことであっても子供にはなかなか伝わらない。
社会はたしかに変化しているが、人間は精神的に成長していないと私は思う。
だからこそ、50年前の堀田善衛の指摘がいまだに有効なのである。

「五十年後の日本――私はそんなものを考えたこともないし、五十年後の日本について現在生きているわれわれに責任があるなどと、それほど痛切な思いで考えたこともない。われわれは日本の未来についての理想を失ったのであろうか。一般に、長い未来についての理想をもたぬものは、それをもつものの未来像のなかに編入されて行くのが、ことの自然というものではなかろうか。何かぎょっとさせられる」と堀田善衛は書いている。

だからといって、神武建国の精神に復ることが「日本を、取り戻す」だと言われては困る。
だけど、そうなったら50年後の日本がはたして存在しているかと心配です。

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浜井浩一『罪を犯した人を排除しないイタリアの挑戦』

2013年07月19日 | 厳罰化

浜井浩一『罪を犯した人を排除しないイタリアの挑戦』は、受刑者、精神障がい者、薬物への依存症者といった人たちに対するイタリアの取り組みを紹介した本である。

「日本では、こうした人たちは、普通の人と違う人として施設に収容される。犯罪を繰り返している人は刑務所に、精神に障がいがあり生活に困難を抱える人は精神病院に、薬物に依存している人は刑務所か精神病院のいずれかに収容されて社会から隔離される」
ところが、イタリアではこうした人たちをできるだけ地域社会の中で支えていこうとしている。

1979年に成立したバザーリア法(精神病院の入院施設を原則廃止する法律)によって、イタリアでは精神障がい者を精神病院から解放し、地域の精神保健サービスを充実させることで精神障がい者が地域で普通に生活できるようにした。

精神病院の改革が、犯罪者や薬物依存症者を地域社会で更生させる処遇のモデルとなっている。

「イタリアの制度に共通しているのは、社会的に困難に陥った人に必要な支援を届ける、その際に、困難に陥った理由によってクライアントを差別しないということにある。障がい者も薬物依存症者も受刑者も困難から回復するために支援が必要な人として等しく支援を受けることができる」

イタリアにおいて受刑者の60歳以上の割合は約4%で、日本は約16%。
なぜイタリアでは高齢受刑者が少ないかというと、70歳以上の高齢受刑者の場合には原則として(重大犯罪やマフィア犯罪を除く)実刑を回避することが検討され、自宅拘禁や福祉施設での刑の執行などが選択肢として検討されるからである。

「イタリア刑法にも、累犯加重という考え方がないわけではないが、だからといって万引きなどをいくら繰り返したとしても累犯というだけで刑務所に収容されることはない。また、家族や地方のソーシャルサービスによる福祉的支援があるため、知的障がい者が福祉的支援を受けないまま犯罪を繰り返したり、高齢者が犯罪を繰り返したりするという状態は考えにくいと多くの専門家が語っていた」

イタリアは憲法27条で刑罰の目的を更生と規定しているから、犯罪者の支援が行政の仕事と了解されている。

「イタリアの犯罪者処遇の特長は、行政の中に、犯罪が司法の問題ではなく社会問題であり、市民が社会的困難を抱えることによって犯罪が生まれるという認識を共有しているところにある。そして、それに対処するためには、彼らの抱える社会的困難を解決することが必要であること、そのためには様々な支援が必要であるという認識が共有されている」

それに対して日本では、最高裁判所が作ったパンフレット『裁判員制度ナビゲーション』には、刑罰の目的として「犯罪の被害を受けた人が、直接犯人に報復したのでは、かえって社会の秩序が乱れてしまいます。そこで、国が、このような犯罪を犯した者に対して刑罰を科すことにより、これらの重要な利益を守っています」とある。
国が被害者に代わって犯人に報復するのが裁判だということである。
必殺仕掛人や「月に代わっ て、お仕置きよ!」のセーラームーンじゃあるまいし、裁判所の役割が被害者に代わって報復することだと言ってるから、冤罪がなくならないわけである。

浜井浩一氏は、法曹(法律を扱う専門職)、特に裁判官、検察官、弁護士が「更生のプロセスを想像することができない」と指摘する。
「訓戒や教化などのいわゆる説示によって犯罪者の心に働きかけて反省を促すことが更生だと誤解している者も少なくない。自分の過ちに気付き、心の底から反省したからと言って社会に居場所ができるわけではないし、自立できるわけでもない」
宗教者も更生=謝罪・反省と考えているのではないかと思う。

「理解しておかなくてはならないことは、謝罪・反省しただけで人が更生できるわけではないということである。法廷で涙を流して反省する被告人は大勢いるし、その後すぐに再犯をする者も大勢いる。彼らが反省したふりをしていたわけではない。
言うまでもないことであるが、更生を目的とした刑事司法は、犯罪者を悔い改めさせて謝罪や反省を求めることではない。それでは「(遠山の)金さん司法」と何ら変わらない。謝罪や反省が、更生の条件として倫理的に課せられることがあるとしても、それは更生を目指した刑事司法において目的にはなりえない。「反省は1人でもできるが、更生は1人ではできない。」心を入れ替えただけで人は更生できない。人が更生するためには周囲からの手助けが必要である」

では、犯罪者の更生とは?
「法曹や刑事司法が変わっただけでも、人は更生することはできない。筆者が考える更生とは、単に再犯をしないことではない。更生とは、罪を犯した人が普通に生活できるようになることであり、誤解を恐れずに言えば、犯罪者が幸福な生活を送れるようになること、刑の執行後に当たり前の市民としての人生を送れるようになることである」
犯罪者の更生とはどう生きるかということである。

私は浜井浩一氏の本を読むたびに教えられるのだが、「犯罪者が幸福な生活を送れるようになる」ということに、「被害者のことを考えていない」とか「何を甘いことを言っているんだ」といった非難をする人がいそうである。

「筆者は、過失犯を除いて犯行前に幸せに暮らしていた受刑者を見たことがない。犯罪者の更生に一番必要なもの、それは、市民が、犯罪者と言われる人たちが同じ人間であることを理解することも重要である」

そして浜井浩一氏は日本国憲法第31条を次のように改正することを提案している。
「何人も、法律の定める手続によらなければ、その自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。刑罰は、人道的なものでなくてはならず、また更生を目的としたものでなければならない。死刑は、絶対にこれを禁止する」
96条よりもこちらを改正してほしいものです。

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坂上香『ライファーズ』3

2013年07月15日 | 厳罰化

坂上香『ライファーズ』によると、アミティは、再犯率が驚異的に低いそうだ。
プログラム修了者の再犯率は一般受刑者と比べて3分の1だという。
釈放後もアミティの継続プログラムに参加した場合は、再犯率はさらに低くなる。

それなのに矯正予算が削減され、2009年、アミティはカリフォルニア州内の7つの刑務所すべてでプログラムの閉鎖に追い込まれた。
もっとも、カリフォルニア州は財政難で教育予算をカットしたため、公立学校が音楽の授業を廃止したそうだから、矯正予算だけ削られたわけではないけれども。

日本の現状について坂上香氏はこのように言う。

「私たちが暮らす場は防犯カメラで包囲され、学校では携帯会社と警備会社主催の安全教室が授業の一環として開催され、子どもたちは防犯ベルを持ち、親たちはメールで届く不審者情報に右往左往し、自衛に駆り立てられる。「原発は安全である」という神話を、私たちの多くが疑わずにきたように、「社会は危険である」という神話を、私たちの社会は強固に信じ込んでいる」

不安感が厳罰感情を生み、そうして矯正予算の削減に結びついている気がする。
坂上香氏は「いかに加害者を厳しく処罰するかという社会的傾向が強まっているから、受刑者に対する長期的かつ継続的な支援などと言うと、世間からは「犯罪者を甘やかすな」とバッシングを受けるし、専門家からも「被害者支援を優先すべきだ」という声がしばしば聞こえてくる」と書いている。

「世間は加害者に厳しい。少年の立ち直りや被害者の回復を後押しするどころか、阻害する危険性もある」

その一例として、最高裁司法研修所が市民と裁判官を対象におこなった調査では、殺人事件の量刑に関して、「殺人事件の被告が少年ならば、成人よりも刑を重くすべきだ」と答えた市民が25.4%で、裁判官は皆無だったことを坂上香氏は紹介している。
裁判官よりも一般市民のほうが罪を犯した少年に厳罰的だというわけである。
ネットで調べたら、前田雅英首都大学東京教授と現役の刑事裁判官が中心となり、2005年8~9月にアンケート形式で行った調査だというから、あまり当てにならない気もするけど。

犯罪者や依存症者を排除すれば問題解決というわけにはいかない。
彼らも社会の一員であり、受刑者も社会に帰ってくるのだから。
「社会の長期的安全を真剣に考えるなら、刑務所と釈放後を分けて考えるべきではない。受刑者の大半は釈放され、やがて社会に戻ってくる。刑務所内でいくら素行が良くても、環境の異なる社会に出て、孤立した状況で、個々人が問題を乗り越えていくことは困難だ」

厳罰賛成の人であっても、映画『ライファーズ』を見て坂上香氏の話を聞けば考えを変えるのではないかと思ってたら、坂上香氏はこんな経験を述べている。
「主催団体や地域によっては、拒絶反応ともいえる強い情緒的なリアクションがみられた。警察が主催に名前を連ねたあるイベントでは、補導ボランティアをしているという高齢の男性が、暴力根絶を訴えつつ、交通ルールの違反をする子どもに対しては体罰も辞さないと発言した。それに賛同して会場のあちこちから拍手が聞こえた。私が反論すると、会場がざわめき、途中で席を立って出ていく人々もいた。厳罰主義やゼロトレランス(問題行動は徹底的に排除するという姿勢)的な価値観は、映画のテーマと対立する。しかし、そういった価値観が支持され、浸透していることを痛感させられることも少なくなかった」

私も似たような発言を耳にしたことがある。

ある研修会の質疑応答で「少年法という悪法を廃止すべきだ。学校に行っているのならともかく、働いているんだったら社会人と同じ扱いにすべきだ」と発言した保護司がいた。
少年でも刑務所にぶち込め、ということだと思う。
保護司だったら「社会を明るくする運動」の「犯罪や非行を防止し、立ち直りを支える地域のチカラ」という趣旨ぐらい知っているはずなのに。
聞く耳を持たぬ人たちに坂上香氏の話を聞いてもらいたいものです。

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坂上香『ライファーズ』2

2013年07月12日 | 厳罰化

坂上香『ライファーズ』は、アミティを取り上げたドキュメンタリー映画『ライファーズ』をもとにして書かれた本である。
信田さよ子、シャナ・キャンベル、上岡陽江『虐待という迷宮』も読んだ。
キャンベルさんはアミティ母子プログラムディレクター、上岡さんはダルク女性ハウス代表。

アミティは米国アリゾナ州を拠点とし、刑務所や社会復帰施設で更生プログラムをおこなっている。
創設者をはじめスタッフの多くは受刑者だった経験を持つ。
刑務所の中でおこなわれているプログラムでは、服役中の受刑者がスタッフとして働いている。

アミティでは、なぜ犯罪を犯すようになったのかを、語り合いを通して子供時代にまでさかのぼって見つめ、それぞれの傷を受け止める作業をおこなう。

犯罪者、依存症者の多くは子供のころから暴力と性的虐待(男も)と薬物にさらされてきた。
キャンベル「アミティに来る人の六割ぐらいは、最初のセックスがレイプです。それもほとんどが12歳以前なのです」

アミティ創始者の一人であるナヤ・アービターさんは実父からレイプを受け、母親はそれを放置。
14歳でヘロインを使い始め、17歳のときに薬物密輸で刑務所に入る。
18歳でシナノンという治療共同体につながり、そうしてアミティを始めた。

キャンベルさんも、2、3歳ごろから性的虐待を受け、アミティと出会うまでの暴力と薬物の凄惨な日々を語っている。

キャンベル「わたしが娘を置いていったあとで、父親が友だちに娘をあずけたことがあって、そこでまた娘が性的虐待を受けてしまった。彼らからドラッグの使い方を教えこまれたり……。シェリーナなそのとき12歳でした」
シェリーナは17歳のときに売春の仲介人とつきあってHIVに感染してしまう。

暴力と性について。
信田「暴力についてみなが口を閉ざしてしまうのは、どうもそこに性的なにおいがあるからではないかと思えるのです。
なぜ人は暴力をふるうのかという問いを立てると、「気持ちがいい」、つまり快感を得るという点を見逃すことはできません。その気持ちよさの中には当然、性的興奮が含まれます」

暴力と薬物について。

信田「(薬物依存症者の)多くは、小学校やそれ以下の年齢からずっと親からの暴力を受けている。その結果かどうかはわかりませんが、異性との関係においても加害・被害の両極を往還するような激しい暴力が出てくる。暴力被害、虐待経験と薬物使用とのあいだには、なんともいえない、すごくいやなつながりがあることを認めざるを得ないですね」

暴力と依存症の親について。
キャンベル「依存症の母をもつ子どもの多くは、小さいころからなんでも自分でやるか、あるいはほったらかしにされていたがために、規則や規律がわからないというタイプのどちらかです。(略)
子どもも暴力にさらされてきているので、とにかく反抗的な行動に出て、いやなことがあると暴力に走るという傾向が強いのです」

性的虐待と薬物について。
キャンベル「性的虐待を受けていた子どもたちというのは、恥の意識を隠して生きているわけですが、薬物を使うことによって恥の意識を感じなくてすむようになる、隠すという役割を果たすのです。しかし薬が切れれば強烈に恥ずかしさが戻ってくる。その繰り返しです」

虐待を受けてきた女性が性産業で働くようになるのはなぜか

信田「安心とか安全といった感覚がわからないとき、直接的な皮膚の接触だとか、抱かれることで、束の間の安心感に似たものが味わえるんじゃないでしょうか。(略)自分の行為で相手が満足する、その見返りとして承認されている感覚を味わうことだけを求めているんでしょう」

母親から暴力を受けていたダルクの女性のこんな話を聞いたことがある。
「人を痛めつけるような、攻撃性を持っている人が、私はわからないんですよ。それはなぜかというと、そういう暴力にさらされて育ってきたから。私は恐さというものを身体が遮断してきているから、暴力的な人がわからない。感覚的にわからないんですよ。暴力を受けてない人はわかるんですね。「なんか恐いな、この人は」とか。(略)
だいたい薬物依存症の女性が選ぶ男性は一緒なんです。スミの入ったヤクザっぽい、なんかいかがわしい、道でケンカでもするような男性をいつも選ぶんです。組織にいたとか、覚醒剤を使ったことがあるとか。暴力をふるわなくても、暴力的な言葉を吐く。または攻撃的なコミュニケーションしかできない。「選ぶ男性はよく似てるね」と言ったら、「そうですかね」って不審な顔をされるんですね」
たしかに、どうしてアホな男とばかりつき合うのかという女性がいます。

アミティではこうした自分自身の体験を率直に話し合い、分かち合う。
キャンベル「自分が傷ついたという話はなかなかできませんでした。自分が悪いことをしたということはけっこう話せるのですが、被害者としての自分を語るにはずいぶん長い時間がかかりました。恥の意識が強すぎて、自分がされてきたことを話すことができなかったのです」

青山俊董尼が『みちしるべ 正しい見方』に、
〝ああ、一番つらいこと、聞いてほしい心の痛みは、かんたんに口には出せないんだな。まして人の前ではしゃべれないんだな。しゃべらないからといって聞かないでよいのではなく、人にもしゃべれない心の深みのうめき、叫びを聞きとる心の耳を大きく開かねばならないのだな〟
〝反発という形、強がりという形で何を訴えているのか、言葉にも出せない悲しみを聞く耳を持たねばならないのだな〟
と書いている。
仏の神通力の一つである他心智通とは、声にならない叫びを聞くことだと思った。

2、3歳のころからヘロインを打たれ、父親と父親の友だちからレイプされていた22歳の女性はとても暴力的だったと、シャナ・キャンベルさんは話す。

「しかし彼女がアミティで歓迎されて、そこが安全な場所だとわかって、自分は排除されないんだ、捨てられないんだと確認できると、他人に対する暴力行為、あるいは自分に対する暴力、自傷行為というものも自然となくなるのです」

上岡陽江さんは19歳から26歳までアルコール・薬物依存、35歳まで摂食障害だが、上岡陽江さんの育った家庭はごく普通のように思う。
信田さよ子さんは「見えない強制とか、期待、支配があって、それで苦しむ人はたくさんいるんです」と言っていて、私も強制や支配をしてきたし……。

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坂上香『ライファーズ』1

2013年07月09日 | 厳罰化

坂上香『癒しと和解への旅―犯罪被害者と死刑囚の家族たち』(被害者遺族と死刑囚の家族が一緒に旅をして死刑廃止を訴える)には感動したが、アミティを取り上げた『ライファーズ 罪に向きあう』(ライファーズとは無期刑囚のこと)にも深い感銘を受けた。
というのも、人間は変わるものだということを教えられたからである。

アミティは犯罪者やあらゆる依存症者の社会復帰を支援する非営利団体である。
『ライファーズ』には、アミティに参加することによって生き方が変わった人たちが何人も登場する。
その一人がジミーである。

ジミーは9歳でマリファナに手を出し、11歳で薬物依存症と診断された。
11歳の頃から誕生日のほとんどを矯正施設で迎えている。
18歳の時、車の窃盗で起訴、以来30代前半まで刑務所を出たり入ったりの人生だった。
「アミティの刑務所プログラムでは、彼のように暴力傾向が強く、思春期以前から問題行動や非行を起こし、矯正施設の入所を繰り返してきた者が多い。彼らは人生の早期に、「更生不可能」の烙印を押されている。そして見事なまでに、「変わることはできない」と彼ら自身が信じ込んできた」

ジミー「俺は殺人罪に問われたことはない。でも、それが無実を意味するわけじゃないってこと、わかるよな?」

白人至上主義のギャングに入り、人種偏見に基づいた暴力沙汰も数多く起こしてきた。
「ジミーにとってドライブ・バイ・シューティング(車上からの銃撃)や暴行は日常茶飯事だった。血を流し、動かなくなった身体から金目のものを奪いとり、売りさばいた。それも一度や二度ではない。当時は罪悪感など抱かなかったという。白人以外は人種的に劣っていて、社会に不要だと信じ込んでいた」

そのジミーがこんなことを言うのである。
ジミー「刑務所には、生まれてきたこと自体、前向きに受け止められない奴らも多いんだ。俺もそうだったように、ね。自分の命さえ尊く思えない人間が、他人の命を大切にできると思うかい? まず、自分が生まれてきたことの本当の意味を、自分なりに考える必要があるんだ。親に望まれて生まれてきたかどうかじゃない。この世に生を受けた自分が、どんな人生を送りたいか、なんだ」
生き方が変わるとは、自分が社会復帰をすればいいということではない。

ジミー「自分は、同じ受刑者仲間に助けられたんだ。誰もがお手上げだった乱暴者のこの俺が、だよ。非人間的な状態から抜け出す鍵を、仲間から渡されたんだ。その鍵を必要としている仲間がたくさんいるのに、ポケットにしまいこんだままなんて、もったいないと思わないか?」

ロサンゼルスのコンプトンという町のギャングのリーダーだったチャールズ。
強盗や傷害致死罪等で、逮捕された回数は100回を超え、7つの刑務所に服役したことがある。
チャールズの弟は殺され、末弟のケルビンは17年から終身刑のライファーズ。

刑務所でアミティに参加したチャールズは出所後、アミティの社会復帰施設に二年ほど身を寄せたあと、生まれ育ったコンプトンにあえて戻った。
以前と同じ状態に戻ることは再犯を意味するのに、なぜチャールズは戻ったのか。

「今までと違う生き方をしたいなら、悪い環境からは身を離すというのが鉄則だ。ここには、かつてのギャングの仲間はもちろんのこと、敵のギャングも暮らしている。悪い誘惑が満ちあふれているはずだ。しかし、彼は、ゲットーの文化を自分の足下から少しずつ変えていきたいと考えていたのだった。近所の子どもたちのバスケットボールのコーチを務め、子どもたちの相談にのっていた。ギャングという安易な道に走るのではなく、将来のビジョンを持って生きられるように、自分の育った地域で脱ギャング化を行おうとしていた。同時に、そんな今までとは違う父親の姿を、自分の子どもやケルビンの子どもに見せることで、今までとは違う生き方を選択してほしいと言った」

衆生済度のために浄土から穢土に還る還相とはこういうことかと思った。
「誰でも過ちは犯す。問題はその後をどう生きるかだ」と坂上香氏は言う。
どう生きるかは、人とのつながり、関わりの中で見えてくるんだと思う。 

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高田明和『責めず、比べず、思い出さず』2

2013年07月04日 | 仏教

高田明和『責めず、比べず、思い出さず』で勧められる五つの実践の一つが「プラスの言葉遣い」である。

よい言葉には言霊という見えない力がある、よい言葉を常に自分に言い聞かせるようにしなさいと説き、次の二つの言葉を常に口にするように高田明和氏は勧める。
「困ったことは起こらない」
「すべてはよくなる」
何か嫌なこと、心配ごとが起きたときに、「困ったことは起こらない」と口ずさめば、気分はよくなり、心配ごとは消え、嫌なことは起こらない。
思ってもみないトラブルが起きたときなどに、「すべてはよくなる」とくり返せば、事態は改善し、悪いようにはならない。

こんなことを高田明和氏は実体験をまじえて書いているわけだが、自分の都合をかなえるポジティブシンキングを釈尊が説いているとしたら、私は仏教を信じない。

そして高田明和氏は、
「自分を信ずれば自信は生まれ、信じなければ自信は生まれない」
「自分を信ずれば、自分の心の力が働きだし、物事が成功するのです。つまり信ずればすべてを変えることができるのが、心なのです」
と言うのだが、これでは仏教がニューエイジと同じことになる。

業について高田明和氏はこのように説明している。
「私たちの思い、言葉、行動が善、あるいは慈悲に満ちていれば、それは善業といって、宇宙の業という貯金通帳に記帳されます。一方、思い、言葉、行動が悪、無慈悲から起これば、悪業といって業に記載されます」
業を実体的に考えているわけである。

仏教では輪廻転生を説くこともある。
霊魂は否定しているから、では何が輪廻するのかというと業識である。
「仏教では霊魂などというものは認めません。ただ死後も業は残るとします。
夫婦の精子と卵子が結合しようとするときに、その両親の業に似た業、宇宙にさまよっている業がこの受精卵に入り込みます。そして生命が誕生するのです。両親の業と似た業をもつ子どもが誕生するわけですから、子どもは両親ににるわけです」
なるほど、わかりやすい説明です。(もちろんこんなことを私は信じませんが)

業を実体視すると、こんなことを言うようになる。
古川堯道(円覚寺管長)「若いときに不陰徳(徳を損なう)をした人の晩年は必ず悪い」
高田明和氏も「私も年をとり、周囲の人の生き方をいろいろ見てくると、若いときに闘争的で、相手を傷つけても何とも思わず、言いたい放題のことを言って暮らしたような人の晩年は、必ず孤独、孤立し、愛情に恵まれない人生を送っています。ですから、若いときの成功などは、あまり意味がありません。
もし、人の心を傷つけ、しかも他人に愛情をもって接しないなら、必ず晩年は孤立し、しかも過去を後悔したり、心を病んだりするのです」と言っている。
これはカルマの法則である。

そしてカルマの清算。

達磨大師は「人は不運に巡り会うと非常に落胆するが、それは間違いだ。今までの借金を払ったのだから、借金なしになったと思えばよい」と言っているそうだ。

久保山教善氏の「物は考えよう 心は持ちよう というのは宗教ではない」という言葉に私は強く同感する。
我々は身を生きているのに、身と心を切り離して、宗教を心の問題に矮小化するのは間違いだと思う。

私は『責めず、比べず、思い出さず』を図書館で予約したのだが、一年近くかかってやっと借りることができたから、評判がいいのだろう。
アマゾンのレビューも高評価ばかり。
しかし、私なら仏教書を読みたいと言う人に『責めず、比べず、思い出さず』を勧めようとは思わない。

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高田明和『責めず、比べず、思い出さず』1

2013年07月01日 | 仏教

知人から「仏教書を読みたい人がいる。どんな本がいいか」と聞かれ、「仏教といっても宗派によって違う。どの宗派の話がいいのか」と答えたら、「そんなに違うのか」と驚いていた。

別の知人が高田明和『責めず、比べず、思い出さず―禅と大脳生理学に学ぶ知恵』をほめるので読んでみた。
高田明和氏は浜松医科大学名誉教授。
心のもち方で幸せになれますよ、という内容である。
「不安、心配、意欲の減退、自責などの感情は薬では治せません。自分の心で治すしかないのです」

高田明和氏は次の五つの実践を勧める。

「前向きな心のもち方」
「プラスの言葉遣い」
「呼吸を変えるだけで平安に」
「坐禅で無の境地に」
「写経・読経で人生を生きいきと」

いずれも一人で行うことである。
坐禅は師匠につかなければいけない、一人でするものではないと禅宗の人に聞いたことがある。
和久井みちる『生活保護とあたし』に「人間関係で生まれた傷は、人間関係の中でしか癒せない」とあるように、救いは人との関わりの中にあると私は思っている。

でも、高田明和氏はこんなふうに書いている。
「これらのどれか一つを実行すれば、晴ればれとした心になり、苦しみ悩んでいる人たちも、本来もっている輝かしい心と充実した生活を取り戻すことができるでしょう」

「本来もっている輝かしい心」とは何か?
「釈尊は私たちが「心」だと思っているものには実体がなく、この「心」という意識が尽きたところに、永遠に続く、清らかな心があるとしました」
「妄想、煩悩を減らすようにすれば、この心の光が輝いてきて、幸せになれるのです」
禅宗を唯心宗とも言うが、なるほど心の問題か。

『責めず、比べず、思い出さず』という題名はどういう意味かというと、「「責めず、比べず、思い出さない」で苦しまない幸せな生き方が可能になる」ということである。
責めない、比べないということはわかるが、思い出さないとはどういうことか。

私たちが苦しむのは、過去のことで悩み、未来を心配するから。
私たちが思い出すことの80%は嫌なことで、この率は年を取るほど増え、70代、80代になると、思い出すことのほとんどが嫌なことになっているそうだ。
だから釈尊は考えないようにと説いた、と高田明和氏は言うのである。

四諦について、中村元『仏教語大辞典』では次のように説明されている。
苦諦 この世は苦であるという真実。
集諦 苦の原因は煩悩・妄執であるという真実。
滅諦 苦の原因の滅という真実。つまり執着を断つことが苦しみを滅したさとりの境地。
道諦 さとりに導く実践という真実。

滅諦について高田明和氏は次のように説明する。
「苦しみから逃れ、心豊かに生きるにはどのようにしたらよいのかということになります。
それが滅諦です。苦しまないようにするには考えないことが大事だ、思い出さないことが重要だと説かれたのです」

「執着を断つ」とは、考えない、思い出さないことだと高田明和氏は言うのである。
「盤珪禅師は「記憶こそ苦の元なり」と常に言われ、記憶がなければ、思い出さなければ、憎しみも恨みも、さらに苦しみもないのだと説かれました」

憎しみ、恨み、悔恨、自責などにつながる記憶を思い出したからといって、どうすることもできないし、自分を苦しめるだけだということは私にもわかる。
過去と他人はどうすることもできないのだから。

しかし、高田明和氏は悲しみについては触れていないのだが、愛別離苦という苦しみについても死者や死別の記憶を思い出すべきではないと、高田明和氏は考えているのだろうか。
藤田庄市氏の話から。
「オウム真理教では情を切る修行をするわけです。田口さんリンチ殺人事件での見張り役だったOという信者が裁判で証言していましたけど、お兄さんが死んだという話を聞いてどう思ったかというと、悲しかったけど、悲しみが自分の30センチぐらいのところでとまった。悲しみはあるけれど、それに自分は邪魔されていない。つまり、修行が進んで煩悩が少なくなっているから悲しみに侵されないというようなことを言ったんです。
同じことを話をしてたのが、麻原彰晃の奥さんです。オウム真理教が事件を起こす前に話を聞いたんですけど、修行を積んである程度の段階になると、悲しみはあるんだけど、それが自分の身体の表面を伝って流れていく。悲しみに自分が左右されなくなる。そういうことを言ってました。
我々からすると、まともな人間の感情を失っているんじゃないかと、かえって心配しますね。ところが、彼らは悲しみを感じなくなるとか、他人に共感しなくなるのを修行が進んでいると考えるんです」

私も藤田庄市氏の心配はもっともだと思う。
親しい人が死んでつらい思いをするのはその人に執着しているからであり、死者のことを考えず、思い出さなければ悲しみがなくなるというのは筋としては正しいかもしれないが、そういうのは幸せとは言えないのではないか。

高田明和氏は「人生においては大きい問題ほど考えても解決できず、むしろ考えることで心が苦しく、不安になるだけです。死、人生の意味、幸福、生きがいなどは考えても結論のでない問題です。むしろ考えないことによって心の平静や幸福感が保てるのです」とも言う。

たしかに「なぜ生まれたのか」「なぜ生きなければならないのか」といった問いには答えはないが、こうした問いを大切にすることが人間らしさだと思う。
考えないことが幸せなら、ロボトミー手術をして、外界のできごとに対して無関心・無頓着になればいい。
何を考え、何を考えないのか、そこらが『責めず、比べず、思い出さず』を読んでもわからない。

「しあわせを感じられるってのは、同時に不幸を感じることができるてことにもなるんだ」(アイラ・レヴィン『この完全な世界』)

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