三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

2016年キネマ旬報ベスト・テン予想

2016年12月31日 | 映画

キネマ旬報ベストテンの予想です。
今年はネットで見たいろんな人のベストテン予想をもとに考えてみました。

まずは日本映画から。
『この世界の片隅に』
『永い言い訳』
『淵に立つ』
『怒り』
『ディストラクション・ベイビーズ』
『湯を沸かすほどの熱い愛』
『シン・ゴジラ』
『オーバー・フェンス』
『君の名は。』
『リップヴァンウィンクルの花嫁』

11位以下です。

『ヒメアノ~ル』
『クリーピー 偽りの隣人』
『葛城事件』
『団地』
『64−ロクヨン−』
『聖の青春』
『海よりもまだ深く』
『溺れるナイフ』
『俳優 亀岡拓次』
『家族はつらいよ』

主演男優賞は三浦正和を推したい。
主演女優賞は宮沢りえ。
助演男優賞は香川照之、助演女優賞は山田真歩(気になる女優さんです)。

私のベスト3。
『聲の形』
『ヒメアノ~ル』
『グッドモーニングショー』

外国映画のベストテン。
『ハドソン川の奇跡』
『レヴェナント 蘇えりし者』
『サウルの息子』
『山河ノスタルジア』
『スポットライト 世紀のスクープ』
『キャロル』
『ルーム』
『オデッセイ』
『ヘイトフル・エイト』
『ブリッジ・オブ・スパイ』

11位以下です。
『ディーパンの闘い』
『シング・ストリート 未来へのうた』
『リリーのすべて』
『さざなみ』
『イレブン・ミニッツ』
『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』
『光りの墓』
『ブルックリン』
『マネー・ショート 華麗なる大逆転』
『クリード チャンプを継ぐ男』

私のオススメを順不同で。
『レヴェナント 蘇えりし者』
『オマールの壁』
『ラサへの歩き方』
『最愛の子』
『10クローバーフィールド・レーン』
『ジャニス:リトル・ ガール・ブルー』
『キャロル』
他にもありますが、とりあえずこういうところです。

コメント (2)
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藤原弘達『創価学会を斬る』

2016年12月26日 | 問題のある考え

『創価学会を斬る』を書いた藤原弘達の夫人である光子さんは、『創価学会を斬る』の出版妨害に際に「あの時はダンボール箱に三箱以上の嫌がらせの投書が来ましたし、警察がうちの子供に警備をつけなくてはならないほど脅迫が相次ぎました」(「週刊新潮」2000年3月30日号)と語っています。
さらには、藤原弘達が亡くなった日、夜中じゅう、「おめでとうございます」という電話が続いたそうです。
『創価学会を斬る』の出版は1969年、藤原弘達が死んだのは1999年ですから、30年も経っているのにです。

図書館に『創価学会を斬る』があったので読んでみたら、創価学会の政治への関わりを主に問題にしており、教義についてはさほど触れられていません。

藤原弘達は創価学会の折伏についてこのように書いています。

折伏であるということで入れかわり立ちかわり押しかけてゆく。そして一種の洗脳がはじまるわけである。学会員にとっては、折伏こそ不可欠の宗教的義務であり、使命なのであるから、他人の都合など全くおかまいなしなのである。それも時には集団で押しかけるから、よほど意思強固、思想的立場のはっきりした人でないと、ズルズルと押し切られてしまうことになるようである。その際、現世利益をふりかざすのも彼等の常套手段である。


「折伏」の意味をネットで調べると、

1 仏語。悪人・悪法を打ち砕き、迷いを覚まさせること。摂受 (しょうじゅ) と共に衆生を仏法に導く手段。
2 転じて、執拗に説得して相手を自分の意見・方針に従わせること。

とあり、創価学会の折伏は二番目の意味だと、藤原弘達は考えているのでしょう。

『折伏教典』から引用しています。

個人の不幸、家庭の破滅、社会の悲劇、これらはすべて根本的には邪宗教に根源をもつ。逆にいうならば、正法を誹謗したり、正法を知らない罪により起こっているのである。

 

富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である。

現在の創価学会会員は大石寺の御本尊を拝んでいないと思います。

池田大作『立正安国論講義』からの引用です。

相手のもつ邪法を打ち破り、邪見、偏見におおわれていた、清浄無染にして、力強い、尊厳極まりなき、妙法蓮華経という大生命をあらわさんがためである。これ最も相手を尊敬する行為であり、かつ生命の尊厳を基調とする民主主義の先駆をなすものではないか。しかもまた、いかなる迫害にも屈することなく一切衆生の幸福を願って忍耐強く折伏していくことは、最大の寛容ではないか。


藤原弘達の意見です。

彼等にいわせれば、折伏は慈悲の行為なのであるから、大いにそういうようにおどしあげたり、中傷することも、それぞれ慈悲の行為の変形として許されるという理屈になるのであろう。


『創価学会を斬る』の「創価学会・公明党七つの大罪」という章から、大罪を3つご紹介。
・時代錯誤(アナクロニズム)の罪

日蓮の段階で果たしえなかった一種の宗教改革をば、現代社会の条件に強引にあてはめようとする、はなはだしいアクロバット性に大きな問題があるということである。

これは日蓮原理主義ではないでしょうか。

時代錯誤と歴史性無視のマイナス面が、逆にこの宗教勢力の魅力になっている。


・他人を「ノロウ」ものの罪
他人に対する寛容性のなさを実例を挙げて批判しています。

創価学会教学部編になる『日蓮正宗創価学会批判を破す』という本の中に次のように書かれている。
「ちょっと前のことになりますが、学会の悪口をいっていた宗教学者の佐木秋夫氏がお山へ行きたいというので、戸田先生から案内するようにいわれて同行することになったのですが、出発の日に、東京駅で私が待っていたところ、佐木氏の方では、その前日でしたか『子どもが死んだから行けなくなった』というのですね。これは、ハッキリとした罰ですよ。そして帰ってきてからきいたのですが、佐木氏はイナカへ帰って、邪宗日蓮宗で葬式をだしたというのです。まるっきり、なっちゃいないですね。」(略)
 いったい創価学会は人間の死というものをなんと心得ているのであろうか。(略)創価学会を批判する人であったとはいえ、その人の子供の死を罰としてとらえ、しかもこれを当然視する態度はいったい何たることであろうか。

 

「御利益」とか「救い」というが、実は折伏そのものが、人の不幸につけこむものだと断定せざるをえない。
家族が死んだ、病気になった、破産した、クビになった、そうした不幸な人々のところにわざわざやってきて「それは邪教を信じているからだ。日蓮正宗を信じなさい」と説くわけだ。こうしたやり方にも、会員個々の主観的意図とは別に、人間性を無視した目的のためには手段を選ばないサディスティックな異常性を認めざるをえない。


・思考停止、愚民化誘導の罪

創価学会のもっている行動様式の中で、もっとも危険なものと考えられるのは、一種の盲目的服従を組織の原理にしているというところにある。

藤原弘達によると、創価学会の内部からは批判らしい批判が起こっていないそうです。
では、自民党の言いなりになって安保法制やカジノ法案などに賛成している現在の公明党に対する創価学会会員の批判はあるのでしょうか。

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佐々木閑『「律」に学ぶ生き方の智慧』

2016年12月22日 | 問題のある考え

佐々木閑『「律」に学ぶ生き方の智慧』に、「生き甲斐のための組織」が問題ある組織かどうか、律と照らし合わせて評価するチェックポイントが書かれています。
私なりにまとめてみました。

・運営の仕方
教団がどういう仕組みで運営しているか、規律がどういう手段で守られているか。
オウム真理教などは、教祖やその側近の恣意的な命令で決まり事が決定される。
統率者の個人的思惑で方向が決まる組織は暴走する可能性が高い。
しかし、サンガという組織を運営するためのマニュアルである律は、サンガのみんなで決めており、釈尊の命令ではない。

・勧誘の方法

どのように勧誘するかについての問題点は、藤原弘達『創価学会を斬る』からご紹介しますので、またまた次回をお楽しみに。

・入会の手続き

仏教のサンガは入会も脱会も自由で、やめたければ、「やめます」と言えば、それで脱会となる。
出たり入ったりを繰り返すことも構わない。
出家は我慢の道ではない。
自分の本当の居場所だと思い、修行生活が自分の進む道だと確信しているから、サンガにいる。
ただし、親の許しがないのに人を比丘・比丘尼にすることはできない。

また、生まれたときからサンガで生活する人はいない。

サンガのメンバーは一般社会の中で生まれ育ち、ある年齢に達してから自分の意志で入ってくる人たちである。
サンガの中で生まれたり、物心がついたらサンガのメンバーだったということはない。
宗教団体やコミューンには、オウム真理教のように家族ぐるみで加わるというスタイルのものがある。
すると、そこの価値観で育った子供は特定の固定化した物の見方しかできなくなり、一般人として普通の価値観で暮らす自由を子供たちから奪うという問題がある。

・信者の扱い

信者をどう扱おうとしているか、組織内の上下関係がいかなる基準によって決定されているか。
特定の人物の主観的な基準で決める組織や、競争主義で序列が決まる組織は、組織全体の勢力拡大を目的としている可能性が高い。
内部が厳しい上下関係で統制されているなら、個人よりも組織の発展やリーダーの面子を重視する全体主義的組織である。
サンガでの師弟関係は、修行の効率化という目的に沿った合理的なものである。
師匠と弟子との関係は、上の者が権力で下の者を支配することは許されない。

師匠と弟子との関係が理性的なものである以上、体罰が用いられることは決してない。

律は「いかなる理由があれ、僧侶が他者に暴力行為を働くことは許されない」と規定している。
ところが、日本の仏教ではこの原則が無視され、指導のために弟子を殴ることが違和感なく認められることがある。

このことで思うのが、仏教では苦行でも快楽でもない中道を説きます。
ところが、明治政府から僧侶の肉食妻帯が許されると、どの宗派の僧侶もいそいそと戒律を捨てました。
その一方で、釈尊が否定している苦行を行い、時には暴力を振るうこともあるように、ある面では厳しいというのも妙な話です。

・資金の獲得方法

組織の資金をどんな方法で獲得しているか、メンバーに負担をかけないように運営している組織か、生活に脅威を与えるほどの寄付を要求する組織か。
法外な寄付を要求するなら、必要以上の金銭を集める強欲な集団といえる。
オウム真理教は、出家者の個人資産すべてをオウム真理教に寄付させていた。
仏教の場合、出家する人が自分の財産をどう処理するかは、その人が決めることであって、サンガが口を出すことは決してない。

・社会との関係

教団と社会との関係をどう設定しているのか、公開されているか密室か。
生産活動を一切しないサンガが存続するためには、世間からの支援なしには運営が立ち行かないので、サンガ内部は常に開かれていた。
そのためには尊敬される姿を見せなければいけないので、最低限、世間から非難されることのない行儀作法を身につく行動マニュアルが律である。
世間での信用を失墜させる行為は御法度である。
オウム真理教は外部に自分たちの実態が漏れることを嫌い、教団を閉鎖的な秘密空間にした。

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中川智正「当事者が初めて明かすサリン事件の一つの真相」

2016年12月16日 | 問題のある考え

某氏より中川智正「当事者が初めて明かすサリン事件の一つの真相」(「現代化学」2016年11月号)をいただく。
オウム真理教の事件で死刑判決を受けた中川智正死刑囚が書いた手記です。
前半はオウム真理教がサリンを作成した経緯について、後半は毒性学のAnthony T.Tu博士(コロラド州立名誉教授)の質問に答える形で執筆したものです。

「現代化学」に掲載されているわけですから専門的ですが、〈質問5 どうして高学歴の科学者がオウム真理教のような宗教に入り、事件を起こしたのか?〉は興味深い内容でした。

 私個人でなく、教団の科学者一般の話を書きます。
 第一に、そもそも科学と宗教はまったく別のものです。化学は検証可能な仮説を証明しようとします。一方、宗教は原理的に証明不可能な命題に対してある種の判断を与えるものです。たとえば宇宙の起源とされるビッグバンがどのように(How?)起こったかは科学の対象です。なぜ(Why?)起こったかは科学の対象ではありません。そこに神がいるとしても、いないとしても、科学とは矛盾しないと思います。
 第二に、重大事件にかかわった者が入信したのは、ごく一部の例外を除き1988年以前で、当時の教団は殺人やサリン製造などとは無縁の宗教団体でした。教祖の麻原氏は、そのような宗教団体を犯罪組織にしたという点で、宗教家以前に犯罪者ですが、ヨガや瞑想の指導者としての能力はきわめて高かったのです。また、麻原氏は、教団の外部に対してだけでなく、内部の大部分の者に対しても、「実際に殺人を行う(行っている)」とは言いませんでした。私を含めて、教団が殺人を犯すなどと思って入信した者は皆無でした。少し考えていただければわかりますが、このような事情がなければ、いくら1990年代前半でも、日本とロシアで数万人の信者が教団に入信するはずがありません。ヨガや瞑想の部分で麻原氏に対して絶対的な信頼をおいてしまった者が、私を含め、事件に関与したのです。逆にいうと、麻原氏は自分を深く信頼している者を選んで、殺人や化学兵器の製造などを命じたのです。具体的には本稿で実名を出した者たちに大してです。率直にいって、麻原氏を単なる詐欺師であると書くことは簡単で世間の受けもよいのですが、事実は事実として述べないと質問にお答えする意味がないので、あえてこのような内容を書きました。
いかなる理由があろうとテロは許されない、とはしばしばいわれます。これはそのとおりです。しかし、ある人物が、危険な宗教やテロ組織に入ってしまう背景と後にテロを実行する背景は、多くの場合、違っているように思われ、両者は区別すべきではないでしょうか。この辺りから考えていただくことが、今まであまり実施されていないテロ対策につながるのではないかと思います。
最後に、事件の被害者の方々、ご家族の方々には重ねてお詫び申し上げます。

「本稿で実名を出した者たち」とは、サリン製造に関わった村井秀夫、上祐史浩、土谷正実、遠藤誠一といった人たちです。

手記には、「教団が殺人を犯すなどと思って入信した者」はいないのに、どうして「事件に関与したのか、その説明はありません。
中川智正さんが個人的な手記を書いて、そこらを説明してくれることを期待しましょう。

誰もが「危険な宗教やテロ組織に入ってしまう」可能性はあるわけで、まともな宗教と、そうではない教団をどのようにして見分けたらいいのか。
佐々木閑『「律」に学ぶ生き方の智慧』に、一生を支えてくれる「良い生き甲斐組織」と、不幸をもたらす「悪い生き甲斐組織」の違いを区別する判断基準が律だと書かれています。

人は死ぬまでずっと変わらない本当の生き甲斐を探し求める。
生き甲斐の代表が宗教であるし、宗教以外にも生き甲斐はさまざまある。
同じ生き甲斐を共有する組織を作るようになると、中身に善し悪しがでてくる。
中には表看板と内実がまったく違っていて、とんでもないニセモノだったということがある。
充実した人生を手に入れるつもりで入った組織が、その人自身やまわりの人に不幸をもたらすケースがいくらでもある。
さらには、ニセモノだと気づかないうちに洗脳されてしまって、ニセモノの世界でニセモノの幸福に身を任せることがある。
たとえば、ヒトラーを崇拝してナチス党員になった人、大東亜共栄圏の理想を信じて軍事政権に従った人、革命を夢見た連合赤軍のメンバーなど。

生き甲斐を求める人たちを不幸に突き落とす恐ろしい罠はいたるところにある。
だから、惹かれて入った教団の裏側に隠された内実を的確に見抜く目が必要となる。

律(ヴィナヤ)の意味は「正しく導くもの」「指導」。
律という仏教世界の法律集、組織運営のためのマニュアルは、この判断基準を明確に示してくれる。
たとえばオウム真理教と仏教の教えはほとんど同じだが、律のあるなしが大きく差を生じさせる。

ということで、佐々木閑『「律」に学ぶ生き方の智慧』に説明されている判断の仕方は次回のお楽しみに。

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小熊英二『生きて帰ってきた男』

2016年12月10日 | 

『生きて帰ってきた男』は、小熊英二氏が父親の小熊謙二氏に聞き取りした伝記ですが、すこぶるおもしろい。
昭和・平成の社会史、生活史でもあります。

小熊謙二は1925年、北海道常呂町佐呂間生まれ。1932年、母親が亡くなり、東京に住む母方の祖父母に育てられる。
祖父は高円寺で菓子屋を営んでいた。
食事は米と漬け物が中心で、魚は3日に一度くらい食べた。
「水道はあるし、佐呂間より食生活はいいように感じた」
小熊家は佐呂間では上の階層に位置していたが、それでも生活程度がよいと感じさせるほど、都市と農村の格差は大きかった。

謙二の兄は中野の公設市場で天ぷら屋を営んでいたが、兄が結核で20歳で死ぬと、祖父が天ぷら屋を引き継いだ。

野菜天ぷらが1個1銭、イワシ天ぷらが1個2銭から3銭だった。
1929年の時点で、小学校員の月収は46円だったが、東京の市立中学の入学年次の学費は、直接経費だけで146円19銭だった。
1937年の中等教育への進学率は13%、旧制中学に限れば7%だった。

謙二は佐呂間に住む父親に学費を出してもらって、早実中学に入る。

1940年、燃料や材料が手に入らなくなり、祖父は天ぷら屋を廃業する。
1942年、謙二は富士通信機製造に就職、月給取りになる。
1944年、召集され、満州で敗戦、そしてシベリアに抑留される。

独ソ戦争でのソ連側の戦死者は1500万人とも2000万人ともいわれる。

ソ連の人口は、1940年の1億9597万人が、1946年には1億7390万人、約11%減った。
集団農場(コルホーズ)の男女比は、1940年が1対1だったのが、1945年には1対27となった。
日本の戦歿者は約310万人、1940年の内地人口約7306万人の約4%。

1946年3月までにシベリアで死亡した日本軍捕虜は約10%とされる。

ドイツ軍の捕虜になったソ連軍将兵は約570万人、前線での虐殺や収容所での悪待遇で200万人から300万人が死亡し、死亡率は約6割といわれる。
おまけにスターリンは独ソ開戦直後の1941年8月に「捕虜になることは祖国への背信行為、裏切りであり、極刑に処される」という命令を出していたため、生きてソ連に帰った人たちは悲惨だった。
ソ連軍の捕虜になったドイツ軍将兵約330万人のうち、死亡者は約100万人。
日本軍の捕虜になった英米軍捕虜の死亡率は約27%。

ちなみに
泰緬鉄道建設による連合軍捕虜の死者は1万2619人、死亡率は約20%。
マレーシア、インドネシア、タイ、ビルマのロームシャは約7万4000人が死んでいて、死亡率は37%。
日本軍も1万2000人のうち、1000人が死亡。


「ソ連軍は日本軍よりましだと思った。ソ連軍は、任務を離れたプライベートな関係のときは、将校と兵士が気楽に話しあっている。メーデーなどの休日には、収容所に家族を連れてきて、一緒にダンスをしたりする。上官は暴力をふるわないし、理由がちゃんとあれば兵士が抗弁することもできる」


1946年12月、謙二は数人の捕虜仲間とロシア人の民家に泊まった。

戦争未亡人らしい女性と子ども2人だけで暮らしていたが、着のみ着のままで、家具がなく、暖炉だけはあったが、あとは炊事用の鍋と食器くらいで、土間の部屋には寝台もなく、寝るときに外套をはおって横になっていた。
「戦前戦後を通じて、日本でこんな生活を見たことがない」
こうした状況のために、捕虜に供給された物資が、ロシア人たちによって横流しされた。

ソ連内務省の予算収支によると、捕虜労働による収益が収容所の維持管理費に見合わず、1946年度には3300万ルーブルの赤字を連邦予算から補填した。

日本でも、朝鮮統治は赤字だったともいわれる。

1948年8月に日本に帰り、父親の住む新潟に行く。

ここまでで約半分、なんとも波瀾万丈の人生です。
戦後も住まいや仕事を何度も変え、結核にかかって1951年から1956年まで結核療養所に入っています。
立川のスポーツ品店に勤めて、ようやく生活は安定します。

2013年に聞き取りをしたそうですが、88歳のお父さんの記憶力のよさには驚きます。

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「カジノ法案」衆院委員会で強行採決し可決

2016年12月03日 | 日記
「カジノ法案」衆院委員会で強行採決し可決
カジノを含む統合型リゾート(IR)整備を促す議員立法の「カジノ法案」が2日午後、衆院内閣委員会で自民、維新の会などの賛成多数で可決した。民進党が抗議する中で、採決が強行された。自民党などは6日の衆院本会議で法案を通過させ、参院に送付し、今国会での成立を目指す。(エコノミックニュース12月3日


知人との会話。
「カジノを合法化して、その収益で依存症の治療に当てるというのは矛盾だ」
「カジノを認めるんだったら、覚醒剤や大麻の売買や使用も認め、そのもうけで薬物依存症者の治療をしたらいい」
「金さえ儲かったらいいのか」

公金を着服、横領したというニュースは珍しくありません。
理由のほとんどが、ギャンブルにはまってとか、ギャンブルで借金を作り、とかです。

賛成した国会議員、カジノを誘致しようという自治体の知事、市長、職員には帚木蓬生『ギャンブル依存国家・日本』を読ませるべきです。
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/a334b95d32ceeb19213d3ca5d59a1de9
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/f391919374e4c0d84b09779868c39dde
http://blog.goo.ne.jp/a1214/e/bf1b3ec119ea1c645550f5528b4cf62d

カジノ法案に賛成する議員は、憲法改正、原発再稼働にも賛成しているように思います。
目先のことしか考えない依存症タイプのようです。

(追記)
「大阪府の松井一郎知事(日本維新の会代表)はカジノ法案の衆院通過を受けて「IRは観光立国・日本を目指すために必要なツール。大きな一歩だ」と歓迎。参院でも迅速な成立を求め、「外国人観光客が1000万人増え、1兆円の消費拡大が見込め、雇用、所得も増える」とメリットを強調した。依存症増加などへの懸念には「IRを見たことも聞いたこともない人の発想だ」と切り捨てた。」(毎日新聞12月7日)
松井知事はギャンブルの弊害について見たことも聞いたこともないようです。
「報道ステーション」での街頭インタビューでも、ある人は「中国から大勢やって来て金を落としてくれる」と、取らぬ狸のなんとかを言ってました。
外国人観光客がどれくらい来るのかを試算したのでしょうか。
カジノが儲けるためには誰かが損をしないといけないわけで、人の不幸を期待するというのも浅ましい話です。

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