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三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

子どもの貧困 2

2011年05月29日 | 

堤未果氏の講演は「子どもの貧困」というシンポジウムで行われたもの。
弁護士、小学校教師、医師たちのパネルディスカッションもあり、初めて聞くことが多かった。
そこで阿部彩『子どもの貧困』と青砥恭『ドキュメント高校中退』を読んでみました。

阿部彩『子どもの貧困』に、
「児童養護施設で育つ子や、生活保護を受ける世帯に育つ子もいるであろうが、そのような子どもはごく少数の特殊な例であり、日本の大多数の子どもは「貧困」などからは遠い位置にあると多くの人が信じてきたのではないか。そして、多少の差はあるものの、すべての子どもがそれ相応の教育を受け、能力と意欲さえあれば、世の中で成功することができるのだ、と」とある。
私もそう思っていた。
一億総中流意識という幻想が私にも根強くあるわけです。
しかし、日本の現実は違う。

2006年のOECDの報告書で、日本の子どもの貧困率について次のように警告している。
①日本の子どもの貧困率が徐々に上昇しつつある。
②この数値がOECD諸国の平均に比べて高い
③母子世帯の貧困率が突出して高く、とくに母親が働いている母子世帯の貧困率が高い
貧困線は年収が1人世帯で127万円、2人世帯では180万円、4人世帯は254万円、それ以下が貧困層ということになる。
貧困となる割合が大きいのは高齢者で、貧困率は20~21%、つまり高齢者の5分の1は貧困状態である。
では、子どもの貧困率はというと、2004年が13.7%、2007年は14.2%と増えており、約7人に1人の子どもが貧困状況にある。(OECD22ヵ国中では8番目の高さ)

特に母子世帯は貧困率が高くて、2004年、母子世帯は全世帯の4.1%だが、母子家庭の貧困率は66%。
ほとんどの国ではひとり親世帯の就労率は40%以下だが、日本の母子世帯の母親の約85%は就労しているのにもかかわらず貧困率が高いわけで、そんな国は他にはない。
母子世帯のおかれている状況はとにかく悪く、母子家庭の5人に1人はダブルワークをしている。
母子世帯の母親は仕事時間が長く、育児時間が短い。
仕事時間は日本が平均315分で、アメリカ242分、フランス193分、イギリス135分。
6歳未満の子どもを育てながら働いている母子世帯に限ると、平日の平均の仕事時間は431分、育児時間は46分しかない(共働きの母親の平日の育児時間は113分)。
それだけ働いても、2006年、母子世帯の平均年間所得金額は211.9万円で、児童のいる世帯の平均718万円の3分の1以下なのである。

母親が長時間働くことを強いられたら、親は不在状況となる。
「母子世帯に育つ子どもの多くは、親と一緒に過ごす時間が少なく、教育をはじめ、ほかの多くの子どもが享受している便益について「がまんしなければならない」状態にある」
子どもが病気になっても、金がないし、仕事を休めないので、なかなか医者に連れていけない。
おまけに、医者に行くと「どうして放っておいたのか」と非難される。
というわけで、子どもを医者に連れていかないのはネグレクトだけではない。

阿部彩氏たちが行なった母子世帯の母親へのアンケート調査に、「不安に思っていることは何ですか」という問いがあり、その答えをいくつか引用。
「正職員になって二年目になりますが、仕事に追われて家庭にいる時間が減り、月の半分は土日も出勤しなければならず、子供たちと遊ぶ時間、余力がない状態になっています。(略)労働条件が過酷なので今後もつづけていけるかどうか不安です。(略)」
(母38歳、第一子8歳、第二子6歳)

「一日一日を生活するのが精一杯で先の事を考えて貯蓄するほど、収入(月額10万円)がない。公営住宅も優先される事もなく、家賃の高いアパートでの生活をしなければいけず、養育費も二年半とどこおっていて「もう関係ないから払う気がない」と言われ、子供は大きくなりお金もかかり、ノイローゼになりそうです。毎日、死にたい気持ちで暮らしています。たえられません」
(母35歳、第一子13歳、第二子10歳)

「母子世帯になってからダブルワークをするようになって、体調を崩したものの仕事の量を減らすことができずにいるので今後どこまで体が持つのか不安です。働かないと生活できないし……。生活保護の相談をしに市役所に行っても相手にしてもらえず、どうしていいのかわかりません」
(母43歳、第一子17歳、第二子15歳、第三子13歳、第四子11歳)

「看護師として仕事を続けなければ、収入は無い。しかしながら子供は女の子一人、夜勤に一人おいておくには、世の中あぶない……しかしながらあずけないと夜勤できない。お金もストレスも増大。娘は小四から完全不登校になり、15歳の時トリマーになりたいと言った。私学の専門で通信高校とあわせた学校が出来、入学したいとのぞんだ。しかしながら、夜勤しない看護婦はいらない(公務員です)といわれ、娘の学校へ行く行動を後おしする為、悩み悩み児童相談所と話し合い、中三の二月から今、施設にいる。18歳の来年家に帰るが、親としての、この三年間つらいとしかいえない」
(母46歳)

「母子家庭を思ってか、援助を受けようとしない次男が、学生でありながら、休日や深夜のバイトを二つも入れて、学業がおろそかになったり、健康を損ねたりしないかと心配」
(母50歳、第三子16歳)

「彼女らの多くは、現在の生活を維持するために精一杯であり、自分の老後や病気に備えた貯蓄はほとんどできていない。また、仕事と育児と家事を無理をしながら支えているので、身体的や精神的に病気になる人も多い」
知人の妹さんは、去年、ご主人が9歳と2歳の子どもを残して亡くなった。
妹さんもこういう状況なのだろうかと心配になってくる。

「日本の母子世帯の状況は、国際的にみても非常に特異である。その特異性を、一文にまとめるのであれば、「母親の就労率が非常に高いのにもかかわらず、経済状況が厳しく、政府や子どもの父親からの援助も少ない」ということができる」と阿部彩氏は言う。
青砥恭『ドキュメント高校中退』によると、離婚した母親たちが働く場所はパート等の不安定雇用しかない。
「夜は水商売に働きに出る母親も多い。毎日、昼働いた後、夜遅くまで店で客と飲み、体をこわして水商売すらできなくなり、いっそう貧困へ落ちていく」

貧困のスパイラルに落ち込むのは母子家庭だけではない。
阿部彩氏は「貧困状態にある人は、低所得であるが故に、無理に仕事をして身体を壊し、医療費がかさんで家を手放し、家賃が払えなくなって高利の借金をする、という風に、一つの「不利」が次から次へと別の「不利」を生み出し、ますます生活が困窮していくというようなことがよくある」と書いている。
行政は何とかしてほしいと思う。
もっとも、本当に支援が必要な親たちほど行政などに相談に来ないそうだけど。

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子どもの貧困 1

2011年05月26日 | 日記

一昨年の11月、新宿に行ったとき、雨の降る寒い日だったが、都庁の建物を結ぶ渡り廊下(?)の下にホームレスが大勢寝ていた。
インドでは、高級ホテルのすぐ横がスラムだったり、ホテル玄関の前で寝ている人もいるのを見て、へえと思ったのだが、日本だって変わりない。
そのころ、石原都知事がこんなことを言っていた。
「東京・日比谷の「年越し派遣村」などの求職者について「就職世話しても、これも嫌だ、あれも嫌だ、要するに生活保護受けた方が楽だという、そういう価値観。甘えているところがある」などと発言した。会議終了後、知事は記者団に「生活保護というのは、人生に対する姿勢としていかがなものかと思う」と述べた」
(2009年11月)

仕事はいくらでもある、と言う人がいる。
でも、仕事の内容が問題で、生活ぎりぎりの給料だったり、過労死するようなところや、いつクビになるかわからないところに就職したくないのは当たり前だ。
先日もこんなニュースがあった。
3月中旬、大阪の釜ケ崎で「宮城県女川町 10トンダンプカー運転手 日当1万2千円 30日間」という求人があり、60代の男性が応募したところ、福島原発敷地内で原子炉を冷やすための水を積んだ車の運転などをしたという。
男性は「5号機と6号機から数十メートル離れた敷地内で作業した。安全教育はなく、当初は線量計もなかった。(約2倍の)計60万円受け取った」と説明している。(朝日新聞5月9日
こうした状況を考慮せずに人を責めるより、石原都知事には新宿のインド化を何とかしてほしい。

去年のことだが、堤未果氏の講演「アメリカの現実と日本の子どもの未来」を聞き、すごく面白かった。
アメリカでは、大人10人に1人、子ども5人に1人が貧困層以下で、フードスタンプは4000万人以上がもらっている。
失業率は実質17%。
個人破産するのは1年間に141万人で、そのうち医療費で破産するのは90万人。
CTの検査料は100万円もかかり、医療保険に入っていても、保険会社が支払わないので、保健に入っている人でも医療破産する。
医者も医療訴訟が多いので、そのための保険に入っているし、過剰労働で自殺が多い。
そして、返さなくてもいい奨学金が減り、代わりに学資ローンが増えた。
90年代、クリントン政権で、学資ローンの自己破産は認められなり、大学は出たけれども、返済不可能な借金が残ったという人が少なくない。

なぜこうなったかというと、人間に投資しなくなったからで、その代わりに市場に投資する。
そうして、今まで市場にさらされていなかった教育、医療、子育て、福祉といった分野が市場化されている。
企業が参入すると、利益優先となる。
教育の現場では、外食産業が学校給食に参入することで、コストカットのために人件費がカットされる、給食にジャンクフードが増えた、自販機が多く設置されるetc。
あるいは、2002年にブッシュ政権で落ちこぼれゼロ法が作られたが、その中身は、教育予算を減らし、学力テストで成績の悪い学校の予算を削減するというものである。
アメリカは小さい政府という伝統があり、国が関与する部分を小さくする代わりコミュニティが支えていたが、それが崩壊して、福祉が自己責任となっている。
貧困層には低賃銀の仕事しかなく、軍隊に入る者が多いという貧困徴兵制という問題がある。
戦場に派遣された兵士の8割が戦争後遺症なのだが、軍を辞めても他の職業に就けないので、75%が軍隊に戻る。
女性兵士が増えているが、子育てする時間がない。

こうした事柄は対岸の火事ではないのに、日本の政治家はなぜかアメリカの真似をしようとするし、経済界はアメリカに見習おうとする。
日本でも福祉の民営化に伴い、貧困ビジネスが増えている。
金を出す余裕がある人はいいサービスを選んで受けることができるが、金がないと選択の幅が狭まる。
そういえば、アメリカは医療市場の開放を日本に求めているという新聞記事を先日、読んだが、そうなれば貧乏人は医療を受けられなくなるかもしれない。
自己責任、自立というといいイメージだが、障害者自立支援法のように実態は予算を削っての弱者切り捨てだから、結局はしわ寄せが子どもや高齢者、障害者などにくる。
そういった話だった。

しかし、アメリカがそういう状態なのにもかかわらず、中米から命がけでアメリカに密入国しようとする人たちを描いたのが、キャリー・ジョージ・フクナガ『闇の列車 光の旅』という映画である。
聞いた話だが、フィリピンから日本に来るからゆきさんの手取りは月4万円だという。
限りなく下があるわけである。

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今年のベストテン1位候補

2011年05月23日 | 映画

いささか早いのだが、今年のベスト1候補の感想を。

成島出『八日目の蝉』
久しぶりに泣けました。
左隣のおばさんは泣いていたけど、右隣のおじさんは泣いてなかったし、前の席からはいびきが聞こえた。
映画の初っ端から誘拐犯のほうに同情したくなる。
しかし、考えてみればひどい話で、母親にしてみたら、生まれたばかりの子どもを誘拐され、4年間という時間を奪われただけではなく、母親であることさえ奪われてしまったのである。
母親が「恵理菜ちゃんに愛されたいの」と娘に訴えるシーンは胸が詰まる思いがした。
その意味では、母親が一番かわいそうな人なのに、たぶん、私を含めた多くの人は誘拐犯に肩入れして、小豆島での生活が続くように願ってしまう。
今年の主演女優賞は永作博美、助演女優賞は森口瑤子で決まり。
原作は映画とどう違っているのか、原作を読んでみなくては。
映画のパンフレットに井上真央と永作博美の顔が並んでいて、永作博美のほうが幼く見える。


トム・フーパー『英国王のスピーチ』
ずっと以前見た映画で、ジョージ6世の、たしか新年の挨拶をするラジオを聞いていた人がホッとして、「つかえずに話してよかった。新年早々どもってたらな」というようなことを言ってて、日本ではそういうセリフを映画で言わせることはあり得ないと思ったものでした。
『英国王のスピーチ』だが、エリザベス2世が主人公の『クイーン』と同じように、王室の内幕暴露という外観を装いつつ、王制はあったほうがいいと観客に思わせる映画である。
そして、あるべき国王像として、兄のエドワード8世よりも弟のジョージ6世のほうがふさわしい人物(カッコ悪いが、王としての資質を持つ愛すべき存在)であり、第二次世界大戦をジョージ6世の治世下で戦ったことは幸いだったと感じさせる。
で、疑問なのだが、音楽を聴きながらだったらどもらないのだから、ラジオで放送される演説なら、音楽を流しながら演説をしてもいいように思った。

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小野さやか『アヒルの子』

2011年05月20日 | 映画

小野さやか『アヒルの子』は日本映画学校の卒業製作に作られたドキュメンタリー。
ヤマギシ会批判かと思って見に行ったら、自分探しの映画だった。

『アヒルの子』のHPにはこのように紹介されている。
「カメラの前に自らをさらけ出した監督・小野さやかが撒き散らす自己嫌悪の衝動は、親子の価値観の違い、姉妹間の愛憎、性的虐待・・・様々な[家族]の問題をえぐり出します」
「小野さやかは、自らの内面に巣食う生きがたさに悶え苦しんでいた。
自分は価値がない、誰にも愛されていない、必要とされていない、生きる意味がない」

生きづらさの原因は、5歳の時にヤマギシズム学園幼年部に一年間入れられて、自分は「親から捨てられた」と思い、二度と捨てられないためにいい子を演じてきたからだ。
このように考えた小野さやか氏は、家族に今までの鬱憤をぶちまけるのだが、そのあまりにもの生々しさにドキュメンタリー風のフィクションかと、最初は思った。
というのも、カメラの前で、長兄に性的いたずらされたことをとがめ、次兄へ愛情を訴え、ぐれたことのある姉と話し、夜中に両親をたたき起こして自分を捨てたと責める。
その横にカメラがあって、すべてを撮っているのだから、何だか不自然なわけで、ドキュメンタリーの虚構性を感じた。

で、ヤマギシ会のことだが、
『アヒルの子』HPには当たり障りのない説明がされている。
一部を引用。
「60年代後半以降、学生運動経験者が多数参画し始め、鶴見俊輔や四手井綱英、新島淳良等著名人も賛同していた。
80年代に入ると、子育て問題や環境問題などに関心の高い人たちに循環型社会のモデルとして好意的に受け容れられ始め、健康食ブームの時流に乗ったことで無添加・無農薬の農産物、畜産物の生産が伸び、三重県が中心だった拠点が全国各地に拡大していった。
「我執」を捨て去り「無所有一体」の生活を基盤とした幸福社会」を目指すことを信条とするため、参画するには一切の財産の供出を求められる。このことで脱会した参画者から財産返還を巡る訴訟が起こされることもたびたび報道された。90年代後半以降は健康食ブームも落ち着き最大時に比べて規模も縮小、従来の急拡大路線から徐々に変化していっている。
85年、ヤマギシズム(ヤマギシ会の思想体系の総称)を体現していく子どもたちを育てることを目的とした、ヤマギシズム学園幼年部が発足した(後に初等部、中等部、高等部が発足)。幼年部では、小学校に入る前の5歳の子供を対象に、1年間親元から離して学園の母親係と共に集団で生活させる。自然の中でのびのびと、争いのない中で子どもを育てるという方針に、受験戦争や校内暴力で荒れていた当時の教育環境全般に疑問を感じていた教育熱心な多くの親たちが惹きつけられた。監督・小野さやかはその5期生に当たる。最近では、村上春樹著『1Q84』に登場するコミューン団体のモデルとして再注目されている。」

小野さやか氏はヤマギシズム学園幼年部の同級生たちに会いに行き、話をする。
みんなヤマギシや幼年部での生活に肯定的なんですね。
そして、そのころのビデオを「お母さん」(子どもたちの世話役)から見せてもらう。
子どもたちはみんな楽しそうにしてて(子どもたちの笑顔がいい)、そんな悪いところではなかったんだ、と小野さやか氏は思う。
これならヤマギシ会が協力したのもわかる。
もっとも、子どもたちが「家に帰りたい」と泣いていたとしても、そんなビデオは残しておかないと思うが。
『アヒルの子』を見て、子供をヤマギシ会幼年部に入れようと思う人がいるんじゃないかと、映画を見て、いらぬ心配をしたわけでした。

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広田弘毅の無能とアイヒマンの凡庸

2011年05月17日 | 戦争

またまた広田弘毅のことです。
半藤一利、保阪正康、井上亮『「東京裁判」を読む』で、広田弘毅はこのように評されている。
半藤「私は始めから広田さんを認めない方なんです。(略)この人は大事なところで無能でしたよ。陸軍の言いなりで。責任は大きいですよ」
保坂「彼はやっぱり失態が多いですよ。一番問題なのは二・二六事件の後に首相として軍の要望を全部受け入れていったことです。(略)軍部大臣現役武官制も、陸軍から要求されて認めているし、五カ年計画だとか、みんな「ハイハイ」だもの」
半藤「「国策の基準」によって南方進出が確定したようなもんでしょう。それから日独防共協定でしょう。昭和史をあらぬ方向に動かす原点を作っています」
保坂「戦争のときにはいろんなタイプの外交官が出てきますが、昭和十年代に広田が外交官を代表する形で出てきたことは日本の最大の不幸ですね。出るべき人が出ないで、彼のような人が出たところが。重光も東郷も頑張ったけど、一番大事なときに広田があの場にいたことが一番の不幸です」
そこまで言うかというほどぼろくそ。

で、思いだしたのがアイヒマンである。
『スペシャリスト』は、1961年イスラエルで行われたアイヒマン裁判のドキュメンタリー映画。
「人類の敵」と糾弾されたアイヒマンとはどんな奴かと思ってたら、ごく普通のおじさんといった感じなのである。
極悪非道というわけではない。
裁判でアイヒマンは「命令に従ったにすぎない」と言っている。
たしかにアイヒマンは、強制収容所で何が行われているか、収容所のユダヤ人がどうなるかをわかっていたが、積極的に何かをしたわけではない。
「ユダヤ人問題の最終解決」を決定したヴァンゼー会議にアイヒマンは出席しているが、事務方の一人として座っていただけだという。
アイヒマンはユダヤ人を強制収容所に輸送する責任者で、与えられた仕事を忠実にこなす有能な管理職、つまり歯車の一つにすぎない。
そんなアイヒマンをハンナ・アーレントは「陳腐」「凡庸」と評している。
もしもアイヒマンが憎しみをぶつけることができるような悪の権化であれば、アーレントにとってよかったのかもしれない。
広田弘毅の無能とアイヒマンの凡庸は違うが、自分で考えようとせずにイエスマンに徹する点で共通しているように思う。

リヨンの人と呼ばれたクラウス・バルビーのドキュメンタリー映画が『敵こそ、我が友 ~戦犯クラウス・バルビーの3つの人生~』

バルビーは実際に大勢のユダヤ人やレジスタンスの虐殺、拷問に関わっており、本来なら戦犯として死刑になっていたと思う。
ところがアメリカが、バルビーは共産党に対する情報網の設置に役立つ有能な人物と判断して、アメリカ陸軍情報部隊の工作員として利用した。
フランスからのたび重なる引き渡し要求のため、アメリカはバルビー一家を南米に移した。
そして、ボリビアでも重宝されたバルビーはゲバラの処刑にも関わっている。
ボリビアの政権が変わり、邪魔になったバルビーは1983年、70歳の時にフランスに引き渡された。
いくら有能であっても、歯車であるかぎり無用となれば捨てられてしまうわけである。

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飯田哲也・鎌仲ひとみ「自然エネルギーの社会へ再起しよう」

2011年05月14日 | 日記

東電1号機「メルトダウン」認める  
 東京電力は12日、福島第1原発1号機で、燃料棒(長さ約4メートル)が冷却水から完全に露出して溶け落ち、圧力容器下部に生じた複数の小さな穴から水とともに格納容器に漏れた可能性があると発表した。東電は、この状態を「メルトダウン(炉心溶融)」と認め、格納容器ごと水を満たして冷やす「冠水(水棺)」作業の見直しに着手した。
5月13日

チャイナ・シンドロームかとびっくりしたのだが、メルトダウンという言葉、
「あいまいな言葉で、専門家はあまり使わない」そうだし、「原発で炉心溶融が起きたら高温の燃料が地球内部を突き抜けて中国に達するという冗談」とのこと。
もちろん、大したことはないというわけではない。
事態は収束しつつあるのかと思っていたのだが、実際のところはどうなのだろう。

飯田哲也・鎌仲ひとみ「自然エネルギーの社会へ再起しよう」(「世界」5月号)という対談のコピーを某氏にもらう。
飯田哲也氏は、福島原発の事故について「まさに人災だといえます」と言う。
「想定外」と言われるが、想定外の事故は今回が初めてではないそうだ。
「「想定外」という言い方がなされていますが、同じような言い方が、07年7月の新潟県中越沖地震の際に起きた柏崎刈羽原子力発電所の事故の際にも使われていたことを思い出さなければなりません」
「この事故を受けて耐震基準の見直しが行なわれることになりましたが、今回問題となっている福島第一原子力発電所については、09年7月に、原子力安全・保安院が大丈夫だというお墨付きを与えてしまった。しかし、その翌年の夏には、現在問題となっている福島第一原子力発電所三号機で、やはり外部電源が失われて冷却水の水位が下がるという事故が起こっているのです」
知りませんでした。

「このように、すでに幾度となく警告的な原発事故が起こってきたのです。にもかかわらず、東京電力は真剣に安全性を検証してこなかった。また、電力事業者を監督するべき立場にある原子力安全・保安院も、原発の安全性を疑問視する市民グループからの指摘にきちんと応えてきませんでした」
政府や電力会社が自分に都合の悪い意見には耳を傾けないのは、まあ、そんなもんだと思う。
で、不思議に思うのが、御用学者である。
本当に安全だと思っているのか、それとも社会的地位のためなのか。

裁判所や検察が依頼する精神鑑定医(=御用学者)にしてもそうだ。
たとえば、麻原彰晃の精神鑑定をした鑑定医。
弁護側が依頼した鑑定医6人は、麻原彰晃は拘禁反応の状態で、訴訟能力はないが、治療すれば治ると鑑定した。
ところが、高裁が依頼した精神科医は、精神科医が麻原彰晃に持たせた鉛筆を取り戻そうとしたら、握って離さなかったから詐病だと鑑定している。
「こんなことなら赤子でも猿でも裁判能力があるということになるでしょう」有田芳生氏はブログに書いている。

御用学者には学者としての良心はないのかと思うこともあるが、そういうことでもないらしい。
鎌仲ひとみ「各大学の原子力工学にかかわる人たちの多くは、日本の原子力は安全で不可欠だと、無批判に原子力産業の現状を受け入れています。そこから、同じような考え方をもつ学生が再生産されて、卒業すると経済産業省に入庁し、定年退職すると電力会社に天下る」
一種の洗脳というか、そういう構造になっていることもあるわけだ。

マイケル・マドセン『100,000年後の安全』は、フィンランドに建設中の高レベル放射性廃棄物の最終処分場についてのドキュメンタリー。
世界にある高レベルの廃棄物は25万トン。
無害になるのは最低10万年かかる。
フィンランドでは、18億年前の地層の岩盤に地下500mまでトンネルを掘り、そこに高レベル廃棄物の最終処分場オンカロを作っている。
完成は2100年代で、フタをして中に入れないようにする。
ここまでだと、高レベル廃棄物処理の問題は、フィンランド国内に限れば解決することになる。

ところが映画は、この処分場が危険なことを、どうやって未来の人間に伝えるか、という議論になる。
数千年前に作られたエジプトのピラミッドでも、何の目的のために作られたのかわからなくなっている。
何万年後となると、文字や絵によって伝えようとしても、未来の人間がどう理解するかわからない。
「危険!立ち入り禁止」と入口に書いたら、「財宝を隠すために危険と書いたんだ」と思って宝探しをするかもしれない。
10万年前というと、ネアンデルタール人の時代なわけで、ネアンデルタール人とどうやって意思の疎通をするかという話になる。
そうした議論を聞いていると、この人たちは数万年後の人類(ホモ・サピエンスは絶滅しているかもしれない)のことを心配しているわけで、誠実だと思った。
それに比べて、日本の政治家や経済人はこんな発言をしているんですから。
飯田哲也「与謝野経済相も地震は運命だから受け入れろ、原子力は必要なんだと発言しています。近藤洋介元経産省政務官も、東京電力はよくやっている、これで止まっているので日本の原子力が優秀だからだと言っていますし、日本経団連の米倉会長に至っては「千年に一度の津波に耐えているのは素晴らしいこと。原子力行政はもっと胸を張るべきだ」とさえ言っています」

福島原発は今まで経験したことのない状態になっているのだから、今後どうなるのかを断言できる人はいないと思う。
そして、福島原発から飛散している放射性物質が健康にどのような影響をもたらすかも、わからない。
日本では運転を開始してから40年たった原子炉は停止されることになっているそうだ。
だったら、原発を新しく建設することをやめ、だんだんと自然エネルギーに移行していくべきではないだろうか。
飯田哲也「世界全体で見ると、風力発電は毎年30%ずつ市場を拡大しており、2010年に原子力の半分に当たる2億キロワットに達し、あと三~四年で原子力の3.8億キロワットをほぼ追い越すだろうと言われています」

鎌仲ひとみ『ミツバチの羽音と地球の回転』に、スウェーデンの脱原発の取り組みを紹介しているのを見て、スウェーデンは人口が少ないからできるのであって、人口が十倍以上の日本の参考にはならないと私は思った。
ところが、筑紫哲也『若き友人たちへ』に次のように言われていて、考えを改めました。
フィンランドは教育がうまくいっているというので、日本から視察団がよく行くそうだ。
そして視察団は、人口540万人と少ないからできるんだと言う。
「でも、日本も500万人ぐらいずつ、例えば九州、北海道、東北、何県と何県、というふうに規模を見定めて教育の自由を与えてやれば、同じことができるわけです」
電力も同じことである。
自然エネルギーで電力を供給することは不可能ではないかもしれない。

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被害者意識について

2011年05月11日 | 日記

宮部みゆきは100%の悪を描くのがうまい。
『名もなき毒』では、会社をクビにされた女(原田いずみ)が執拗な嫌がらせをする。
この女の嘘はまわりの人を侵していく毒である。
兄の結婚式でのスピーチで、兄から性的虐待を受けていた、両親は知っていたのに黙っていた、中絶もした、なんてことをしゃべる。
その嘘によって兄嫁は自殺した。
原田いずみみたいな人がいるとは思えないが、宮部みゆきは、こういう人はいるなというエピソードを積み重ねていく。

なぜ原田いずみは嘘をつき、迷惑をかけ、困らせるか。
それは、いつも自分ばかりがイヤな目に遭う、誰もわかってくれない、という被害者意識の塊だからである。
被害者だということが免罪符になるから、人を傷つけても、それは相手が悪いからだと、自分のしたことをすべて正当化できる。
人を責める資格を持っていると考えているわけである。

こうした、被害者意識で人を攻撃することはよくあり、たとえば児童虐待もそうである。
虐待する親は、子どもがわざと食べ物をこぼして困らせようとしている、自分が被害者だと思ってるそうだ。
家庭内暴力をする子どもにしても、「お前のせいでこうなったんだ」と親を懲らしめるために暴力を振るう。
親としては、子どもがこんなになったのは自分の育て方が悪かったのではという自責の念があるから、子どもに責められても何も言えない。
それを知ってか、子どもは親の罪責感という弱みにつけ込む。

それとか、東京の知人に「なぜ石原都知事は人気があるのか」と聞いたら、「自分たちの気持ちを代弁してくれるからだ」と言うわけです。
その気持ちとは不安や恐れである。
たとえば、震災が起きると多くの中国人が帰国した、こんなに中国人がいるのかと不安になり、自分にも中国人を恐れる気持ちがあることに気づいた、と知人は言っていた。
石原都知事はいくら差別発言をしてもなぜか失脚しないのは、不安や恐れを煽るのがうまいだけではないと思う。
もちろん、こうした不安や恐れはファシズムにつながる感情だということは、知人も承知している。
ナチスは、ユダヤ人のせいでドイツはこんなに苦しんでいると、ユダヤ人を攻撃した。
多くのドイツ人はユダヤ人嫌いという自分たちの気持ちをナチスは代弁し、正当化してくれたと、好意を持ったのだと思う。
不安や恐れが被害者意識を生み、そうして攻撃性を持つ。

「茉莉花」Vol82にこんなことが書いてあった。
「こないだテレビで、どっか外国の大学でやった面白い実験をレポートしてた。
学生Aに学生Bを殴らせる。平手打ち。
で、Bに「今殴られたのと同じ強さ」でAを殴り返される。
これを、電極とか線をいっぱい体につけてデータを取る。たくさんのサンプル集めて検証する。
結果、殴られた人が受けた痛さを100とすると、殴り返す力は、なんと、140ぐらいになるんだって。
つまり、やられた人は4割増しの強さでやり返すってこと。
これって、人は4割増しの仕返ししないと納得しないっていうか、スッキリしないってことでしょ?
だったら、4割増しで仕返しされた人は、「そこまでやってない」って感じで、逆にやり返したくなるんじゃないの?
よく犯罪の被害に遭った人が「犯人にも同じ目にあわせてやりたい」って言ったりするけど、「同じ目」じゃ足りないのよね。4割増しじゃなきゃ満足しないのよ」

ほんと、被害者意識は下手すると他者への攻撃(それも倍返し)の原動力となる。
アメリカは9.11の被害者だからと、ビンラディン殺害を正当化するが、殺されれることでビンラディンも被害者になったわけです。

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麻原彰晃とオサマ・ビンラディン

2011年05月08日 | 問題のある考え

森達也『A3』に、ピースフル・トゥモロウズ(アメリカの対テロ戦争に反対する9・11の被害者遺族の会)について書かれてある。
2006年、ピースフル・トゥモロウズが同時多発テロから5年、世界中のテロや戦争の被害者たちをニューヨークに呼び集め、様々な集会やシンポジウムを行なった。
ルワンダの虐殺の生き残り、北オセチアの学校占拠事件の被害者、自爆テロで娘を亡くしたイスラエル人とイスラエル軍の砲撃で息子を亡くしたパレスチナ人、といった人たちが集まっている。
森達也氏はアメリカ軍の攻撃で子どもを失ったイラク人から「日本の憲法九条はすばらしい」と話しかけられる。
「憎悪と報復は連鎖する。連鎖し続ける。何度も反転しながら、決して終わらない」
しかし、彼らは少数派だそうだ。
「テロの被害者遺族でありながら対テロ戦争を批判する彼らに対して、アメリカ社会全般が向ける視線は相当に冷たい」

だけど、こうやって声をあげることができるという点では、アメリカは日本よりもましではないかと思う。
アメリカには、犯罪被害者遺族と加害者(死刑囚)家族が一緒になって死刑廃止運動をしている「MVFHR(人権のための殺人被害者遺族の会)」が活動している。
日本では、犯罪被害者遺族はもちろん、死刑囚の家族が死刑反対を訴えることは不可能に近いと思う。

森達也『A3』を読んで、アメリカ人にとってのビンラディンと日本人にとっての麻原彰晃は同じような存在だと思った。
2006年9月、麻原彰晃の死刑判決が確定しそうだというので、毎日新聞の記者からコメントを求められた森達也氏はこのように話す。
「地下鉄サリン事件以降、他者への不安や恐怖を激しく喚起された日本社会は、まさしく危機管理体制に移行しました。ひとりが怖い。集団に帰属したい。集団の一員なのだという意識を強く持ちたい。結束を希求する共同体は異物を探し、これを排除し、仮想的として攻撃します。ちょうと9・11以降のアメリカがそうであるように(略)」
「不安や恐怖が発動したその最大の理由は、オウムが事件を起こした動機や背景が分からないからです。グルに絶対的に帰依した弟子たちは、グルが言うのだからこの殺人は救済なのだと本気で思い込もうとしていました。ならばそのグルである麻原は、いったい何を考えて、何を目的として、サリン撒布を弟子たちに命じたのか(略)」
しかし、ビンラディンがテロを決意した理由は明らかだ、という記者の問いに、森達也氏はこう答える。
「ほとんどのアメリカ人にとって、イスラム教徒がなぜ怒っているのかは関心外です(略)」
「ビンラディンにしてみれば、同時多発テロの指示は正当防衛のつもりです(略)」
「いずれにせよ異なる共同体から身に覚えのない攻撃をうけたことによって喚起された恐怖が社会の意識を変えたという意味においては、1995年の日本と2001年のアメリカは、きわめて近いと僕は考えています」

キリスト教やイスラム教は一神教だから、善悪二元論であり、善と悪とのどちらにつくか、二者択一を迫られると、私は単純に思っていた。
しかし、日本も似たり寄ったりらしい
「ほとんどの観客は『A』の感想を、「オウムの信者があれほどに普通だとは思いもしなかった」とまずは述べる。言い換えれば、ほとんどの日本人はメディアによって、「オウムの信者は普通ではない」と刷り込まれていたということになる」
イスラム教徒に対しても「普通ではない」とか「何か怖い」という気持ちがあるように思う。
絶対善、絶対悪などないのだが、自分は絶対善にいるのだから、絶対悪を攻撃することは正義だと思い込む。

『A2』の撮影をしている時、茨城県三和町のオウム施設で、退去を要求する地域住民と出家信者とにこういうやりとりがあったそうだ。
「本当におまえたちに危険性がないというのなら、麻原彰晃の写真をこの場で踏んで見ろ」
「写真を踏むことと私たちの危険性に関係があるのですか」
「大ありだよ」
「どう関係があるのですか」
「踏めるのか踏めないのかどっちだ」
「……私は誰の写真も踏めません」
そして森達也氏はこう続ける。
「この言葉に、群衆から驚きと怒りの声があがる。「やっぱりこいつらは何も変わっていない」と嘆息する人もいれば、「とにかく早くここを出てゆけ」と怒鳴る人もいる」
ボケとツッコミみたいで、状況が違っていたらお笑いに使えるのではないかと思う。
そういえば、志布志事件という冤罪事件で、警察が踏み字を強要したことがあったけど。

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「正義は遂行された」

2011年05月05日 | 日記

オバマ大統領が緊急声明「正義は遂行された」
 オバマ米大統領は1日夜、ホワイトハウスでテレビカメラを前に緊急声明を発表し、2001年9月11日の米中枢同時テロの首謀者で、国際テロ組織アルカーイダの指導者ウサマ・ビンラーディン容疑者を「米国が実施した作戦で殺害した」と語った。米国が遺体を確保しており、本人と最終確認した。米国が最大の標的と位置づけていたビンラーディン容疑者の殺害で、米国が遂行するテロとの戦争は大きな転換点を迎えた。
 米国は先週、ビンラーディン容疑者がパキスタン国内に潜伏していることを確認。パキスタン当局と協議の上、米情報当局が拘束・殺害に向けた作戦を実施した。オバマ大統領は声明で、「正義は遂行された」と語った。
産経新聞5月2日

「正義」と言われても、それはアメリカにとっての正義=独善であって、他国の領土で勝手にふるまうことは主権の侵害であり、テロと変わらないと思う。
パキスタンがホワイトハウスを急襲してオバマ大統領を殺害しても、アメリカ政府や国民は何も言わないのならともかくとして。
それなのに、日本政府は「テロ対策の顕著な前進を歓迎する。引き続き、国際社会の(テロへの)取り組みに貢献していく」と評価している。
自国の領土で外国の政府が何をしようと問題ないのなら、北朝鮮による拉致事件だってOKだということになる。
でもまあ、1973年に金大中事件という、日本のホテルに滞在していた金大中が韓国のKCIAに拉致された事件があったが、政治決着で終わってしまったしね。
諸外国の反応も同じで、
「各国、米軍の作戦成功を歓迎」とのことである。
報復の可能性を、各国の政府も危惧しているのに。

アメリカ人はどう思っているかというと、世論調査では「93%がビンラディン容疑者殺害支持」「圧倒的に強い世論の賛同を得ている」そうで、オバマ大統領の支持率も上昇している。
それも単なる支持ではなく、「喜び爆発」なのである。
「USA!」ホワイトハウス前、喜び爆発
「米同時テロ首謀者ウサマ・ビンラーディンが死亡」――。
 あの9・11からほぼ10年、行方をくらましたまま、2代の米政権と米国民をいらだたせてきた男が最期を迎えたとの報に、ワシントンのホワイトハウス前では日曜深夜にもかかわらず大勢の市民らが続々と集結し、星条旗を掲げて歓声を上げる姿が見られた。
 人々は、五輪などでおなじみの「USA!USA!」のかけ声を繰り返したり、米国歌を大合唱するなどして、「宿敵」の終わりに喜びを爆発させていた。
読売新聞5月2日

はしゃいでいる人たちの映像を見ると、この明るさは何なんだ、と思う。
世界貿易センターにジェット機が突っ込むテレビの映像を見て快哉を叫ぶイスラム諸国の人たちとイメージがダブる。
そういえば、広島高裁で光市事件の被告に死刑判決が出た時、高裁前にいた人たちから拍手が起こったけれども。

遺族の気持ちはどうなのか
、こう言っている人がいる。
 夫リチャードさん(当時54歳)を亡くしたコネティカット州のジュディ・キーンさん(64)は2日朝、毎日新聞に「うれしいと言えるかもしれないが、別の部分ではうれしいとは言いたくない。終わりに向けた一つのステップとは思う。人々が1人の死を喜ぶ姿には少しうろたえている」と心境を語った。
毎日新聞5月3日
「人々が1人の死を喜ぶ姿には少しうろたえている」ということは真っ当な感覚だと思う。

墜落した乗っ取り機に乗り合わせたエドワード・フェルトさんの兄弟ゴードンさん(ニューヨーク州在住)はピッツバーグの地元紙の取材に「何が起きようと犠牲者は戻って来ない。でもビンラーディン(容疑者)がこれ以上、死をもたらすことができないと分かり、少しは安心している」と語った。
 世界貿易センタービルの崩壊現場に出動した消防士の息子=当時(35)=を亡くしたニューヨーク州の母親は地元ニュースサイトに「息子は家族も仕事も愛していた。これで区切りがついたなどということはない」と話した。
共同5月2日
単純に喜んでいるわけではない。

 杉山晴美さん(45)は2日、テレビ速報を見て、締め付けられるような頭痛に襲われた。2001年9月11日の同時多発テロで、ニューヨークの世界貿易センタービル内に勤めていた夫の杉山陽一さん(当時34)を亡くした。(略)
 事件直後は同容疑者を憎んだ。しかしそのうちに、事件の背景の根深さから「テロリストの行為は正当化できないけれど、個人は憎めない」と感じるようになった。(略)
 事件の時は幼児だった小学6年生の次男(11)に同容疑者の死亡を伝えると「それでどうなるの?」と聞かれた。どうなるとも思えないんだよね、と答えたという。
(朝日新聞5月3日)

 杉山陽一さんを失った住山マリさん(71)は、ビンラディン容疑者殺害のニュースを手放しで喜ぶことはできなかった。
 「これで真実が分からなくなった」。真相が分からないままでは、息子の死を受け入れられないという。
(スポニチ5月3日)
死んでしまったら真相が分からないままだということ、これは死刑の執行でも言われていることである。
ビンラディンを殺さずに逮捕することも可能だったらしい。
ビンラディンは武器を持っていなかったし、目撃した娘「急襲作戦開始数分後、ビンラディン容疑者は米軍特殊部隊員に捕まり、家族の前で射殺されたと主張している」そうだ。

「我々遺族の胸の中に区切りはない。子どもが帰るわけでもなく、悲しさや悔しさが増幅するだけです」。同時多発テロで、富士銀行ニューヨーク支店に勤務していた長男和重さん(当時35歳)を亡くした広島市安芸区の元銀行員、伊東次男さん(76)は、かみしめるように語った。
 2日昼、報道機関からの電話でビンラディン容疑者殺害を知った。米国が大変な犠牲を払った答えなのだろうと思うが、「同じ悲劇が蒸し返されるようなことはあってほしくない」と報復テロの活発化を心配する。(略)
 度重なる訪米の世話になった知人から依頼されて約2年前、「原爆体験」を多くの人の前で語った。広島に生まれ、1945年8月6日の原爆投下で12歳の兄を失った経験を持つ。「息子の死」も重なり、平和への思いは募った。地元の中学校や原爆資料館で、平和の大切さを訴えている。「一方にとっての正義は、一方にとって悪である場合もある。どうしたら負の連鎖を断ち切れるのか。世界中の人に考えてほしい」と訴えた。
毎日新聞5月2日
戦争と死刑は同じことなんだと、あらためて思う。
ビンラディン殺害は戦争なのか、それとも死刑(処刑)なのか。
戦争も死刑も本質は、暴力に対して暴力で対抗することである。
それは暴力の連鎖を生み出すことになる。
死刑廃止がEU加盟の条件なのに、どうしてEU各国はアメリカを非難しないのか、おかしいと思う。

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松尾剛次『親鸞再考』と佐々木正『親鸞・封印された三つの真実』

2011年05月02日 | 仏教

今まで親鸞伝研究は『恵信尼文書』と覚如の『御伝鈔』を基本資料としていたが、高田派の『正明伝』、仏光寺派の『親鸞聖人御因縁』を使って親鸞像を読み直すと、『親鸞再考』で松尾剛次氏は言う。
これは佐々木正氏が『親鸞・封印された三つの真実』などで同じ問題提起している。

両氏は玉日姫の実在を主張し、覚如が玉日姫を意図的に無視して『御伝鈔』を書いたとする。
越後に流された親鸞は赦免後すぐに関東に移ったのではなく、一度京都に戻り、そうして関東へ行ったと、『正明伝』や『親鸞聖人御因縁』にある。
「よく考えてみると、通常は京都から配流されれば、赦免した場合は、朝廷の責任で京都へ送り返すものだ」
「当時の刑法手続きから判断すれば、親鸞は赦免によって越後から帰京したのではないか。たとえどこかに行くにしても、その前にいったんは帰京したはずだと考えられる」
松尾剛次氏はこのように説明し、では、なぜ覚如は『御伝鈔』に、親鸞が越後から京都に戻り、そうして関東に赴いたことを書かなかったのかを問題にする。
それは、恵信尼の子孫を正統としたい覚如としては、玉日姫の存在を消したいためだという。

『正明伝』に、親鸞は法然の命で九条兼実の娘玉日姫と結婚したとある。
江戸時代までは事実とされていたが、現在は否定されている。
しかし、松尾剛次氏は「私見を結論的にいえば、九条兼実の娘との結婚は事実ではないかと考える」
「第一に、親鸞の公然たる結婚というきわめて革命的な行為を、親鸞一人の判断でできたとは考えがたい。法然門下として、法然の指示、言い換えれば「命令」があったとすれば容易に理解できる」
「第二に、これによって、先述したように『伝絵』などが、親鸞が配流地である越後から上京し、玉日姫の墓を詣でたという事実を隠そうとした点もよく理解できるようになる。親鸞は、配流を解かれたあと、京都へ戻り、正妻で、配流中に死亡した玉日姫の墓所にも詣でたのであろう。しかし、恵信尼系の覚如にとって、恵信尼以外の妻のことは無視したかったはずであり、そのために、帰京せずに直接常陸稲田へ向かったという話を作ったのであろう」
京都時代の親鸞は玉日姫が正妻で、恵信尼は側室だったと松尾剛次氏は書き、そして佐々木正氏は長男の印信が玉日姫の子どもだとするが、松尾剛次氏は善鸞も玉日姫の子どもだと言う。

うーん、どうなんでしょう。
木越祐馨「家系と出自」(『誰も書かなかった親鸞』)には「関東の門弟が手にとった『親鸞伝絵』での意図的な世系の創作は不可能であろう」とある。
関東の門弟は『御伝鈔』を受け入れているわけで、覚如が『御伝鈔』で玉日姫の実在を抹消しようとしたという考えは無理があるように思う。

それと、親鸞が玉日姫と結婚した理由である。
九条兼実が、肉食妻帯の破戒無戒の生活に沈んでいる俗人は劣った浄土に往生するのではないかと法然に尋ね、「出家の僧ひとりを選んで、私の娘と結婚させよ」と迫る。
それで法然は親鸞に九条兼実の娘と結婚するよう命じたので、親鸞は泣く泣く玉日姫との結婚に踏み切った。
これはいくらなんでも作り話めいている。
もしも事実だとしたら、佐々木正氏が「出家の僧侶とトップの貴族の娘が、正式に結婚することになった。当時としてはスキャンダラスな事件だった可能性がある」と言うように、当時の文献に書き残されてもおかしくない。

安藤弥「関東門弟 親鸞書状にみる門弟の動向」には、
「近年、親鸞伝の再検討が注目されるなかで、しっかりとした史料批判の手続きを経ずに、伝承史料を安易に用いる傾向がある。門弟研究においても注意すべき状況である。この問題は関係者が思っているよりも、かなり深刻であり、今あらためて親鸞研究をめぐる視点・方法を鍛える必要性を痛感している」と厳しいことを言っている。
はてさて。

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