三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

仏教と戦争(2)

2021年10月29日 | 仏教

 3 他集団との問題を戦争以外の方法で解決
『クータダンタ経』(パーリ語経典長部)は、理想の王は、よく訓練された軍隊を具えるなど、戦わずとも威光によって敵王たちを圧倒すると説く。

『アショーカ物語』によれば、アショーカ王は自らの善業の力により軍隊を超自然的に出現させ、神々は軍事遠征する各地の人々に「アショーカ王に対抗してはいけない」と命令した。

『サティヤカの書』(大乗経典4~6世紀)によると、インド古典において、王の最も重要な義務は臣民を守ることである。
外国の軍隊による危害から臣民を守ることは憐みの実行である。
戦争のための軍隊が近くにいるならば、王は第1段階、第2段階、最終段階の3種類の手段の善巧方便によって対処する。

 第一段階
王は戦争を開始する前に、3つの方策、すなわち①友好、②支援、③威嚇(広範囲の同盟関係とそれにより大きな対抗勢力となる恐怖などを敵に抱かせること)のいずれかにより戦争の阻止を試みる。
3つの方策のうち、①と②はバラモン教の法典群の懐柔と贈与に相当し、3つ目の方策は分断である。

王は、敵は何か原因があって罪(この戦争)を犯そうとしていると考え、その原因を取り除いてやることによって敵と友好関係をもつべきである。
贈り物など必要な支援を与えたり、あるいは同盟国とともに敵軍を威嚇したりして、戦争を回避する努力をしなければならない。

これらの方策を試みることは、不殺生などの十善の戒めによるものであるとともに、敵兵に対する王の憐みによるものでもあろう。

これは、外交によって戦争を回避する、あるいは圧倒的軍事力の差によって威圧するという手段です。
1962年のキューバ危機で核戦争が回避されたのは、フィリップ・E・ テトロック、ダン・ガードナー『超予測力』によると、こういう経緯があったからです。

1961年、CIAは亡命キューバ人を訓練し、カストロ政権にゲリラ戦を仕掛けようとした。
ところが、ゲリラ部隊がビッグス湾に上陸すると、キューバ軍が待ち構えており、ゲリラ軍は殺害されるか捕虜になった。

1962年、キューバにソ連のミサイル基地ができ、ソ連の戦艦が近づく。
キューバ危機によって米ソの核戦争が勃発するかと思われたが、アメリカとソ連が合意に達して戦争は回避された。

ビッグス湾事件の失敗は全会一致主義が根本原因であり、再発防止のため意思決定のプロセスが変革された。
徹底した自由な議論がなされるためにケネディ大統領が席を外すこともあった。
ケネディ大統領はソ連のミサイル発射装置への先制空爆は承認せざるをえないという危機感を持っていたが、議論に影響を与えないよう誰にも言わなかった。
委員会では10の選択肢が議論され、核戦争ではなく交渉による平和をもたらした。

軍事力の差による威圧の例です。
ポール・コリアー『民主主義がアフリカ経済を殺す』によると、西アフリカや中央アフリカにあるかつてのフランス植民地国にはフランス軍基地があり、フランスによる軍事保障は各地の内戦の発生を抑制した。

2008年 チャドで内戦が突入し、反政府勢力が大統領官邸の門に迫った。
フランスは反政府軍に、撤退しない場合はフランス軍が撃退すると告げると、反政府軍は撤退した。
この手段は軍事力に圧倒的な差があっても難しいそうです。

『サティヤカの書』(『サティヤカの章』)の漢訳名は『仏説菩薩行方便境界神通変化経』(5世紀)、『大薩遮尼乾子所説経』(『菩薩境界奪迅法門経』6世紀)です。
第二段階、最終段階については後ほど。

 4 戦争をするが殺生をしない
釈迦国がコーサラ国によって滅ぼされましたが、このことについては森章司「釈迦族滅亡年の推定」に詳しく書かれています。
http://www.sakya-muni.jp/pdf/mono19_ke08.pdf

進軍するコーサラ国の軍隊が通る道の枯れ木の下に釈尊は座り、2度軍隊をとめた。
3度目の進軍で釈尊もあきらめ、釈迦国は滅ぼされた。
マガダ国の阿闍世王は釈尊の信者なのだから、助けを求めてもいいと思うのですが、それもしていません。

コーサラ国が釈迦国のカピラ城を攻撃した時、弓矢の名手である釈迦国の戦士たちは矢を放って抵抗したが、コーサラ国の兵士を傷つけないように矢を射った。
ヴィドゥーダバ王王は怖れて逃げようとしたが、釈迦族は不殺生戒を保っているので、人を傷つけることはないと大臣に言われて、城を攻めた。
その時、釈迦族の若者が戦って多くの敵兵を殺したが、釈迦族の人たちが非難したので若者は国を去った。

森章司さんによると、釈尊が死んだ時に遺骨を8つの国に分けたが、釈迦国もその一つだったから、全滅してはいないのではないかとのことです。

杉木恒彦さんは『大般涅槃経』(大乗経典)に説かれる、仏法の衰退する時代における在家の特殊な戒を取り上げています。

仏法衰退の時代、戒を正しく保つ比丘たちは身の危険にさらされているゆえ、旅をするとき、比丘は王など武装した在家信徒を護衛として同伴させてよい。
持戒の比丘は仏法の確かな保持者であるので、道中、武装した在家信徒は、敵対者たちから比丘を守らなければならない。
だが、敵を殺してはならず、武器は敵の攻撃を止めるためにのみ使う。
こうして戦死や寿命が尽きて死んだ在家はアシュク仏の浄土へ転生し、そこで悟りを得る。

釈迦族の滅亡と『大般涅槃経』の所説は、敵を殺傷しないかぎり、敵の攻撃を退けるための武器の使用を容認している。

また、『アリーナチッタ前世物語』(『ジャータカ』)『ボージャージャーニーヤ前世物語』『サティヤカの書』では、敵を殺さずに生け捕りにすることによって戦争に勝利する方法が説かれている。
主人公たち(釈尊の前世)は勇敢に突撃し、敵王を生け捕りにして戦争を終結させ、敵王に二度と敵対しないと誓わせた後、解放している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仏教と戦争(1)

2021年10月23日 | 仏教

インドの宗教は不害(アヒンサー)ということを大切にします。
生き物を傷つけない、殺さないということです。

しかしウィキペディアによると、ヒンズー教やジャイナ教では正当防衛で相手を殺すことは認められます。
ですから、他国から攻撃されて戦争になったら、武器を持って戦い、敵を殺傷することは罪になりません。
また、死刑も肯定しています。
殺生を禁じていながら、戦争と死刑という殺人は認めているわけです。

仏教も不殺生を説きます。
では、仏教は戦争や死刑についてどのように説いているでしょうか。

杉木恒彦「戦士の宗教 インド仏教の戦争論の俯瞰からの私論」(『越境する宗教史』)と「インド大乗仏教経典に見られる刑罰・戦争論 十善はどのように王政として展開されるのか」に、仏教における戦争論と死刑論が論じられています。
https://researchmap.jp/read0136289/books_etc/30952834
http://www.totetu.org/assets/media/paper/t181_267.pdf

杉木恒彦さんによると、仏教の戦争論は、古くは非戦・不殺生に傾倒する立場であり、時代が下がるとともに戦争での殺生を何らかの形で容認する教えを説くようになりました。

 仏典の戦争論
1 転輪王の征服
2 戦士の役割からの撤退      
3 戦争せずに問題を解決する
4 問題解決のために戦争をするが殺生をしない
以上は、不殺生戒を遵守する反戦者の論(とりわけ2)。
5 憐れみと自己犠牲の心をもって人民を守護する最後の手段として戦争を行う
6 仏法の拡大・定着のために領土拡大の戦争を行い、殺生をする
7 仏法の拡大・定着と領土拡大という双方の目的のために戦争を行う
8 王の属性・義務としての戦争行為
9 布施などの善行により戦争行為という悪業の代償をする
5~9は不殺生戒と戦士の役割を融和させる調停者の論。
とはいえ、戦争行為を無条件に認めるものではない。

 1 転輪王の征服
転輪王は全世界を統治する理想の王。
『転輪王経』(パーリ語経典長部)によれば、転輪王は法(ダルマ)による統治によって人民を守護し、法に従って征服事業を行う。
転輪王が依拠する法とは五戒と十善である。
転輪王の侵攻と征服は殺生をともなわない。
軍隊を率いて陣を張ると、その地の王は戦わずして転輪王に服従を申し出て、その地の統治者という立場を維持したまま、転輪王に服従する。

これは古代インドでは非現実的な理想論であり、戦争なしに問題解決をすることは難しい。

 2 戦士の役割からの撤退
戦士が殺生の業報によって地獄に転生しないためにとるべき方法は、戦場で殺し合いをしないこと。
それを実現する方法は、戦闘の義務から免れるために戦士の身分を捨てることである。

『転輪王経』によれば、転輪王たちも晩年は戦士の身分を離れて出家している。
『アショーカ物語』によれば、アショーカ王の敵であったバドラーユダは敗戦後、戦士の身分を捨てて出家した。
『大史』(5世紀に編纂されたスリランカの王たちの伝記)によれば、3世紀のサンガボーディ王は内乱軍が首都に迫ってくると、戦いでの殺生を避けるために王位を捨てた。

アンベードカル『ブッダとそのダンマ』によると、釈尊が出家した動機はコーリヤ国との戦争を避けるためです。
シャカ族の国とコーリヤ国とは国境を流れる川の水利権を争っていたが、とうとう怪我人が出る衝突があり、宣戦布告をするかどうかが話し合われた。
話し合いで解決するよう提案した釈尊は、主戦論が可決されたので、出家して国を去ることにした。

根岸鎮衛『耳袋』にこんな話があります。
真木野久兵衛は道場を構える剣道の達人だった。
3人の町年寄が来て剣術を伝授してくれと言う。
弟子になると、秘伝の伝授ばかりせっつく。
久兵衛は桜の馬場で伝授をしようと、馬場の端から端まで走った。
3人は「ご伝授ください」と言うのに、久兵衛は「もうすんだ」と答えた。
「剣術は身を守るためのもので、こなたより求めて立ち向かうのではない。避けようとしてもままならぬときに用立つのが剣術である。あなたがたは武家ではないから逃げるのが一番だ。武士は逃げることができぬ身分だが、町人は逃げて苦しからず。当流の極秘はその外にはない」
三十六計逃げるにしかず、です。

しかし、戦士の身分を捨てるだけならともかく、一般人が戦場から逃げるということは家族が難民になることです。
「ペシャワール会報No.149」に、アフガニスタンで亡くなった中村哲さんの言葉が載っています。

水が善人・悪人を区別しないように、誰とでも協力し、世界がどうなろうと他所に逃れようのない人々が人間らしく生きられるよう、ここで力を尽くします。内外で暗い争いが頻発する今でこそ、この灯りを絶やしてはならぬと思います。

逃げるということは普通の人にとって問題の解決にはならないと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

慈悲と善巧方便にもとづく殺生(4)

2021年10月17日 | 仏教

岡野潔「釈尊が前世で犯した殺人 大乗方便経によるその解釈」は、『大乗方便経』に説かれる、方便としての殺人を肯定する教えは後世の仏教に悪影響を与えたと指摘しています。
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/16922/p139.pdf

釈尊がカディラ樹の破片で怪我をした出来事の前生譚(前世での殺人譚)は、後代の大乗徒と密教徒にとって「菩薩が殺人を犯しても罪悪とならず、逆に福徳を生じさせる場合」として、殺人が許容される場合の判例の役割を果たした。

『大乗方便経』の編集者が船上の殺人の話の扱いにおいて、その殺人行為を英雄譚とし、話の結末において殺人という罪の行為が何ら悪業を生じさせなかったと記述したことは、この殺人譚は後世に禍根を残した。
結果的にその後の大乗仏教の道徳観の形成に、独善的な傾向性のあるネガティブな影響をも与えることになった。

釈尊が前世で殺人を決意した段階では、菩薩はその業により地獄に堕ちるつもりでいた。
慈悲と自己犠牲の精神により殺人を犯したのである。

しかし、『大乗方便経』の編集者が殺人行為に無罪を宣告し、殺人の結果をハッピー・エンドにしたことによって、その行為から自己犠牲の性質が失われてしまった。

この法話を聞いた後では、大乗徒たちは殺人という手段が目的さえ尊ければ許され、しかも自己犠牲も必要とせず、人を殺しても得をする場合があることを意識するようになったであろう。
そのような打算的な意識が心のどこかにあれば、自己犠牲の行為は穢されてしまい、台無しにされてしまう。
人がもし『大乗方便経』のこの殺人譚の幸せな結果だけを見て、最重要な「自分はこの行為によって自ら地獄に堕ちよう」という菩薩の自己犠牲の生き方を見ないのであれば、単純に無節操な殺人の肯定に結びつく。

密教の注釈家たちは後期密教における呪殺を正当化する聖典的根拠の一つとして、『大乗方便経』のこの話を挙げる。
呪殺とは密教行者が隠れて秘かに行う方法であり、『大乗方便経』の菩薩のような自己犠牲の精神がない。
自分が傷つかず、いかなる悪業も受けずに人を殺せることを当たり前のことと考える。
殺人請負人のように、他人から依頼されて謝礼を受けて呪殺を行うこともある。
菩薩行とはかけ離れた打算がある。

呪殺については正木晃『性と呪殺の密教』が詳しいです。
https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/a5804d7d0e9183226d9636884b002bed

岡野潔さんはこのように締めくくります。

この話を編集者が釈尊の無業報の立場を取る『大乗方便経』の中に採用したことによって、殺人行為が悪業を発生させず、逆に十万劫の間、輪廻を超越するメリットがあったという蛇足的な記述を、必然的に話の最後に付け足さざるを得なくなった。しかしその蛇足こそがこの英雄譚から自己犠牲の性質を奪ってしまい、後世においては、自己保身のために邪魔な者を抹殺しようとする、虫のよい自称仏教徒たちの卑怯な振舞に口実を与えてしまったように思う。
『大乗方便経』のこの話は、後期密教の思想の影響を受けたオーム真理教が犯した殺人行為につながってゆくのである。


釈尊はいかなる意図があろうと殺生を禁じていることは、律の殺人戒を読めばわかります。
http://www.sakya-muni.jp/pdf/mono18_r25_010.pdf

ところが、殺人を方便だとして許容し、殺すほうも殺される側も死後に天界に転生すると説いたのですから、オウム真理教のポアの考えとどう違うのかと思います。

増谷文雄『仏教概論』に「仏教の歴史は異端の歴史」だとあります。
時代や地域、社会が異なれば、教えや決まりも変わってきて当然です。
教祖の言葉を一字一句変えず、教団も同じ形のまま維持しようとするなら、それは原理主義であり、今を生きる教えにはなりません。
だからといって、自分の都合のいいように変えていいというわけではありません。

外してはならない基本線というものがあります。
仏教では縁起と不殺生だと思います。

釈尊が前世で、盗賊を殺すことによって多くの人命を救ったということだけなら許容範囲かもしれません。
しかし、盗賊を殺すことで盗賊が地獄に堕ちることを防いだのだから、殺人の罪報を受けることはないとし、さらには盗賊は殺されたことで天界に転生したと説くのですから、不殺生という仏教の基本線を越えています。

戦前の仏教界は、兵士が戦争で敵兵を殺すことを菩薩行だと賞賛しました。
釈尊の前世だけに認められた慈悲と善巧方便にもとづく殺生(一殺多生)を拡大解釈したのです、
外道に堕したわけです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

慈悲と善巧方便にもとづく殺生(3)

2021年10月07日 | 仏教

藤田光寛「〈菩薩地戒品〉に説かれる「殺生」について」は『瑜伽師地論』「菩薩地戒品」に説かれる殺生肯定論ついて論じています。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jeb1947/1995/191/1995_191_L152/_pdf

古代インドにおいて、不殺生 (ahimsa) という教えは、ジャイナ教、 バラモン教などに共通してみられ一般的倫理だった。
インド仏教においても、初期の時代から不殺生が仏教の基本的立場だった。
比丘の具足戒において、波羅夷法(これを犯せば僧伽から永久追放)の断人命戒では人を殺すこと、他の人に教唆して人を殺させることが禁止され、さらに自殺や安楽死も否定されている。

波逸提法(これを犯せば比丘の前で懺悔しなければならない)では、掘地戒(大地に生命があると世間では信じられているので、自分の手で大地を掘ったり、他の人に指示して大地を掘らせてはならない)、伐草木戒(植物に生命がやどるので、自分で草木、樹木を伐ったり、他の人に伐らせてはならない)、用虫水戒(虫が死ぬから、水の中に虫があるのを知りながらその水を用いたり、泥や草の上にその水をそそいではならない)、奪畜生命戒(殺そうという意志をもって動物を殺してはならない)、飲虫水戒(水の中に虫があるのを知りながらその水を飲んではならない) などがあり、人のみならず、動物や植物などあらゆる生き物を殺してはならないとしている。

在家者は五戒を保つのであるが、その第一が不殺生戒である。
ところが、インド仏教の基本的な倫理である不殺生に反すると思われる記述が大乗仏教経典に見られる。

「戒品」には、在家の菩薩が有情に対する憐愍(思いやり) の心をもち、利他のための善巧方便として行なうならば、性罪を犯しても許容されるとする記述がある。
性罪(しょうざい) とは、仏陀によって禁止されているか否かに関係なく、殺生などのように本質的に罪悪である悪行為です。

すなわち、十善戒のうち、①不殺生、②不偸盗、③不邪淫、④不妄語、⑤不両舌、⑥不悪口、⑦不綺語は一定の要件においてであれば犯しても罪にならないとする。
もっとも、出家の菩薩には①~⑦のいずれかを犯すことも許容されない。
この場合の「在家の菩薩」とは、世俗社会においてさとりを求めて修行する大乗の仏教者の在家者であれば誰でもというのではない。

不殺生に関して「戒品」に次のように説かれている。

多くの[五]無間業の行為をなした強盗や窃盗が、多くの生き物、如来、声聞・独覚・菩薩たちを少しの財物を欲しいために殺そうとしている。それを見た菩薩は次のように考える。〝たとえ私がこの強盗や窃盗の命を奪って地獄に再生するであろうとも、私は喜んで地獄に再生したい。この有情が無間業をなして地獄におちることなかれ〟と。菩薩はこのような意向をもって、自分のこの意向が善なる心、または無記の心 であると知り、[他の方法がないので]恥じつつも、本来のこの有情(強盗、窃盗)に対する哀愍の心をもって(この有情にとって本来において利益となることを考えて) この人を殺す場合、違犯のある者にならず、かえって多くの福徳が生じる。

望月信亨『仏教大辞典』に「古来、一殺多生の説と称せらるゝ所なり」とある個所です。

「戒品」に説かれる戒律観は、インド中期密教(7世紀頃) の経典にもみられる。

『大日経』「受方便学処品」に説かれる十善戒の解説の中において、その第一の不奪生命戒では、その人の悪業の報いという苦しみから解脱させるために、自分で罪悪なることを受け入れて、恨みの心はなく大悲の心をもって殺すことが方便行として認められている。

ブッダグフヤ『大日経広釈』では、「受方便学処品」の解説に、「戒品」に依拠して般若と善巧方便をもった在家の菩薩が利他のために、時には十の不善なることを行なっても許されるが、出家の菩薩には許されないと説く。

『理趣経』「降伏の法門」でも、「もしこの般若波羅蜜多の理趣を聞いて受持し読諦し[修習するなどの十法行を]なすならば、[その人はすべての煩悩を既に]調伏することになるから、たとい三界の一切の有情を害しても、悪趣に堕せず、速やかに無上正等菩提を得ることができる」とある。

『初会の金剛頂経』「降三世品」に「一切の有情の利益のために、仏陀の教説の故に、もし一切の有情を殺しても、彼は罪悪に汚染されない」という記述がある。

このような考えはインド後期密教 (約8~12世紀) においてさらに展開する。

メナンドロス1世(紀元前2世紀)とナーガセーナとの対話である『ミリンダ王の問い』にも殺人を肯定している個所があります。

デーヴァダッタがサンガを破壊し、そのことで一劫のあいだ地獄で苦しみを受けることを釈尊は知っていたのに、なぜ出家を許したのかと、ミリンダ王がナーガセーナに問います。

「デーヴァダッタが業の上に業をつみかさねて、一兆劫の間、地獄から地獄へ、破滅の所から破滅の所へと行くのを見られたのです。善き師は全てを知る智慧によって、「かれの無限の業は、わが教えの下で出家したならば終りをつげるであろう。前生〈につくった業〉に基づく苦しみは、終りをつげるであろう。だが、出家したとしても、この愚かな人間は一劫の間、〈苦しみをうける〉業をなすであろう」と知って、デーヴァダッタを出家させたのです」
「尊者ナーガセーナよ、しからば、ブッダは〈初めに人を〉打ったのちに、〈傷に〉油を塗る。崖に落としたのちに、〈救いの〉手をさしのべる。殺したのちに、蘇生を求める。すなわち、ブッダは初めに苦しみを人にあたえ、そののちに楽しみを付与してやるのですね」
「大王よ、如来は人々の利益のために〈かれらを〉打ち、人々の利益のために〈かれらを〉落とし、人々の利益のために〈かれらを〉を殺すこともするのです。大王よ、如来は人々を打ったのちにかれらに利益を付与し、落としたのちにも人々に利益を付与し、殺したのちにも人々に利益を付与するのです」

かなり古くから、救済や教化のための殺生を正当化していたようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

慈悲と善巧方便にもとづく殺生(2)

2021年10月02日 | 仏教

岡野潔「釈尊が前世で犯した殺人 大乗方便経によるその解釈」によると、釈尊が前世で盗賊を殺した話は、小乗の経典と『大乗方便経』では大きく違っています。
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/16922/p139.pdf

小乗文献では、前世の釈尊はこの殺人の罪により、死後久しく地獄で苦しみ、さらにその業の残余がカディラの破片の事件となって現われたとする。
『大乗方便経』では、前世の釈尊はこの殺人により地獄に堕ちるどころか、「十万劫の間、輪廻を滅ぼし、捨て去った」とする。

『大乗方便経』の智勝菩薩への話は、船での殺人という釈尊の前生譚(Aパート)と、カディラ樹の破片が足に突き刺さった今世の出来事(Bパート)に分かれている。
Bパートは次のように説かれます。

舎衛城に、最後身の者(解脱前の最後の生存にある者)20人と、その20人の怨敵である20人がいた。
そして怨敵20人はそれぞれの悪だくみをもって、「私らは友のふりをして、それぞれの怨敵の家に入り込み、彼らを殺そう」と考えた。
釈尊のもとに40人が赴いた。
釈尊は目連に「この場所からカディラ樹の破片が出現して如来(釈尊のこと)の右足の裏に突き刺さるであろう」と語った。
カディラ樹の破片が地面に刺さり、如来がカディラ樹の破片の上に足を踏み下ろした。

アーナンダは私(釈尊)に「世尊がいかなる前世の業の障礙を作られたので、その業の異熟がこのように現われたのでしょうか」と尋ねた。
私は「アーナンダよ、私は前世に大海を航行していた時、奸佞な商人を矛で突き刺して殺した。これはその業の残余である」と説いた。

すると殺害を意図して友のふりをしていた20人は「如来ですら業が異熟するなら、われらにどうして業が異熟しないだろうか」と考えた。
彼らはただちに釈尊に「世尊よ、私どもは人を殺害しようと思っておりました。われらは世尊の前で、その過ちを告白しますので、世尊は私たちの告白をお受け下さいますようお願いします」と、罪過を告白した。
釈尊は彼らに、業の作用と、業の消滅・業の発動等々の法を教示したので、40人に智慧の現観があった。

釈尊の足にカディラ樹の破片が突き刺さったのは、このような因と縁によるものであり、これも菩薩と如来の善巧方便である。

船上の殺人が前世の業因であることを釈尊が説いた小乗の聖典を論拠にして、小乗徒が前世の悪しき業繋を主張したため、『大乗方便経』の編集者は、アーナンダへの説法を釈尊が自ら否定するという構成を取って、小乗徒が依拠する聖典の権威を無力化することを意図した。

『大乗方便経』では、小乗の聖典が釈尊の足の怪我は前世の殺人が業因であると説いたことは、40人を教化するための方便であり、その怪我も釈尊がわざとやった芝居であって、過去世の業報ではなかったとする。

前世での菩薩の殺人事件を全否定するより、英雄譚に変えることが得策であり、その際に菩薩による殺人が可能な条件を細かく明らかにすべきであると判断したのではないか。

『大乗方便経』がAパートで、前世の業因となった殺人事件を取り上げ、その殺人行為を正当化したことが思想史的に重要な意味をもったことは否定できない。
「菩薩が積極的に殺人を犯すことも特定の条件の下ではありうる」という大乗特有の律を示す重要な例として、その後の大乗における戒律の考察に影響を与えた。

特に『瑜伽師地論』(4世紀)「本地分」の「菩薩地戒品」にある三聚浄戒の違反の規定には、『大乗方便経』の菩薩の殺人の記事を参照していると思われる記事である。
菩薩の殺人は菩薩戒に違犯するところにならず、それどころか多くの功徳を生じるという。

『大乗方便経』によって、殺生が罪にならないとされるようになったわけです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする