法然の絵伝である『法然上人行状絵図』(『四十八巻伝』)には数々の奇瑞が書かれており、三昧発得にも触れられています。
三昧発得を『浄土宗大辞典』にこのように説明されています。
三昧発得については、『三昧発得記』(『拾遺漢語灯録』所収、『西方指南抄』は「建久九年正月一日記」)に詳しく記されています。
http://www.yamadera.info/seiten/c4/hottokukiD.htm
建久9年(1198年)から元久3年(1206年)正月までの記録です。
建久9年は法然66歳、『選択本願念仏集』を著した年です。
少々長いので、簡潔な『法然上人行状絵図』から引用します。
それよりのち進々に勝相あり、或時は左の眼より光をいだす。眼に瑠璃あり、かたち瑠璃のつぼのごとい。つぼにあかき花あり、宝瓶のごとし。或時ははるかに西方を見やり給に、宝樹つらなりて、高下心にしたがひ、或時は座下宝地となり、或時は仏の面像現じ、あるときは三尊大身を現じ、或時は勢至来現し給。すなわち画工に命じて、これをうつしとゞめらる。或時は宝鳥、琴笛等の種々のこゑをきく。くはしきむね御自筆の三昧発得の記にみえたり。(『法然上人絵伝』)
『現代語訳 法然上人行状絵図』
それから後は、次々にすぐれた様相が現れた。ある時は左眼から光明を放たれた。眼中に瑠璃があるように見え、形は壺のようであった。壺には赤い花があり、まるで宝瓶のようであった。ある時は遠く西方を眺められると、宝樹が連なり、心のままに高くなりあるいは低くなり、ある時は座っておられるところが宝地となり、ある時は仏のお顔が現れ、ある時は大きな阿弥陀三尊が現れ、ある時は勢至菩薩がお越しになった。上人はすぐに絵師に命じてこれらの有りさまを写し留められた。また、ある時は美しい鳥や琴笛などの種々の音声を聞かれた。詳しいことは、上人ご自筆の『三昧発得記』に書かれている。
『三昧発得記』には、なぜ浄土の荘厳を観ることができたかが書かれています。
新井俊一『親鸞「西方指南抄」』
中野正明「「三昧発得記」偽撰説を疑う」に、田村圓澄氏は『三昧発得記』が内容的に非法然的であるとして偽撰であると述べられたとあります。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/38/1/38_1_131/_pdf/-char/en
しかし、法然自らが筆をとって書いたようです。
神秘体験したのは念仏を数多く称えた功徳だと、法然が喜んでいたとはがっかりです。