三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

小谷信千代『真宗の往生論』

2016年02月26日 | 仏教

往生するのは信心をいただいた今なのか、死んでからなのか、浄土真宗の中でも考えが分かれています。
江戸時代までは死後往生とされていましたが、大谷派では清沢満之以降の近代教学が説く現世往生が主流だと思います。
しかし、小谷信千代『真宗の往生論』は、親鸞は現世往生を否定していると主張しています。

小谷信千代師も、親鸞は「往生」を、現世に正定聚に住することと、死んでから往生することの2つの意味に使っていたと思っていたそうです。

正定聚とは仏になることに定まることを意味し、浄土において正定聚に住するとされていたのを、親鸞は現生正定聚だと読み替えています。

親鸞は「即得往生」を「すなわち、とき・日をもへだてず、正定聚のくらいにつきさだまるを、往生をうとはのたまえるなり」と『一念多念文意』で説明しており、往生は信心をいただいた今だという根拠になっています。
ところが、小谷信千代師によるとそうではありません。
親鸞は「正定聚」の左訓に「往生すべき身と定まるなり」と付している。
「即得往生」の語は異訳本、サンスクリット本、チベット本にはない。

親鸞はその教説の特異性に気づいており、それゆえそれが文字通り「真実信心を得れば即座に往生すること」を意味するものでなく、「真実信心を得れば即座に正定聚につくこと」を意図するものであることを、「往生すべき身と定まるなり」という左訓を伏して示そうとしたのである。

即得されるのは、不退の位に至ること(住不退転)であり、往生の真因の決定すること(住正定聚)であって、往生ではない。
説得力があります。

しかし、増谷文雄『仏教概論』に、「仏教の歴史は異端の歴史」とあります。
キリスト教の歴史は異端の吟味の歴史であり、異端の追放の歴史であるが、異端に対する態度が仏教はキリスト教の場合とまったく違う。
大乗仏教徒は釈尊の名前を借りて大乗経典を次々と生産し、中国や日本においても偽経が作られた。
異端は追放されなかったばかりでなく、かえって仏教を活性化した。

親鸞も正定聚・不退転の位を現生に移すために『論註』や『無量寿経』の文章を読み替えています。
だったら、親鸞の文章を読み替えて、往生を現生にするのはいけないのでしょうか。

われわれの悩みや苦しみは自分では合理的で正しいと思っている考え(分別)によってこそ生ずる、というの仏教の教えである。合理的に正しく考えているつもりの人生に様々な悩みや苦しみが生ずる。それゆえにこそ、自分では正しいと思っているその考え方を批判し、別の視点を与えるものとして宗教は生まれ、今も必要とされている。命終後の往生という教説も、現在の自己の生き方に反省を迫り、新たな生き方を教えるものである。死後の往生の教説に何の意味があるか、などというのはあまりに稚拙な考えである。それに、人生を考えるために死後の存在を考えることを教えない宗教などが存在するであろうか。死後、浄土に生まれることを信じない住職は、門徒の葬儀をどのように考えて勤めるのであろうか。

このように小谷信千代師は言うわけですが、現世の往生とは「別の視点を与え」、「新たな生き方を教えるもの」と捉えることもできるように思います。

(追記)
小谷信千代師は、曇鸞の『浄土論』解釈を批判しています。
しかし、世親と親鸞の浄土教とは直接結びつくことはできないのではないでしょうか。
曇鸞の『浄土論』解釈を通して、親鸞は世親を見たわけですから。

もう一つ、阿満利麿『日本精神史』に、佐久間象山や横井小楠が狭隘なナショナリズムから解放された理由は、生涯依拠した朱子学という自らの学問的枠組みを現実のなかで読み替え続けたという点にあると、あります。
そして、丸山眞男の「古いカテゴリーを歩一歩吟味し、これを再定義しながら、内発的に自分の思想を成長させ豊かにしてゆく」という文章を引用しています。

「往生」を「生きる」「生活」と読むことは、文献的には間違っていても、現在に親鸞を再生させる試みと言えるのではないかと思います。
もちろん、どういうふうに読み替えたかをきちんと検証しなければいけません。
たとえば、スピリチュアル的な解釈をする人がいますが、そうしたものは誤りだとして、きちんと指摘し、断ち切るべきです。

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『卜部日記・富田メモで読む 人間・昭和天皇』と『「昭和天皇実録」を読む』

2016年02月19日 | 天皇

半藤一利、御厨貴、原武史『卜部日記・富田メモで読む 人間・昭和天皇』が天皇フリークである私にはおもしろく、それで原武史『「昭和天皇実録」を読む』も読みました。

『「昭和天皇実録」を読む』によると、「実録」の最大の問題は、天皇には戦争責任がないというスタンスで一貫させようとしており、昭和天皇は退位について考えたことがなかったという点です。
『木戸幸一日記』下巻や木下道雄『側近日誌』では、退位についてより踏み込んだ発言を昭和天皇はしている。
「実録」では、そのあたりの史料が引用されつつも、しかしかなり改竄されている。

昭和天皇は立憲君主であると意識し、自分の意見を言うことはなかったとされますが、そんなことはありません。

裕仁は天皇になると、かなり露骨に政治に対する関心を表明しています。


田中義一首相に、小選挙区制が導入されることによって無産政党が議会に進出できないような体制になると、逆に直接の行動をとるなどかえって不安定になる、合法的に議会に進出させておくほうがかえって安心ではないかと問うています。

戦後も昭和天皇は自分の意見を述べています。
天皇は「人間宣言」の修正案に対して、「天皇を以て神の裔なりとし」と訂正されたことに不満を漏らしており、現人神であることは否定しても、神の子孫であることまでは否定していない。
大日本帝国憲法の改正にあたり、松本試案に対し、松本烝治に意見を述べている。
「万世一系」自体には信念を持っていた昭和天皇は、大日本帝国憲法を根本的に変える必要性を認めておらず、天皇の憲法認識は日本国憲法とはほど遠かった。

また天皇は、木下道雄に自らの信条(「物事を改革するに当たっては反動が起きないよう緩やかに改革すべきこと」「宮内府改革の一環である人員削減については緩やかに行う方が良い」)を片山哲首相に伝えるよう依頼をしている。
首相や閣僚が天皇に対して国政の報告を行う内奏は、戦後も続き、芦田均外相は、新憲法になり、天皇が政治に立ち入るような印象を与えるのはよくないと書いている。

警察官が射殺された白鳥事件に共産党が関与していると疑われた事件に対しては、国家地方警察本部長官に進講させている。
昭和天皇は革命を恐れていたのです。

半藤「昭和天皇という方は、お気の毒なくらい、自分の地位がおびやかされるんじゃないかと、いつも不安に思っておられました」

戦争責任を取って退位する可能性もありました。

昭和天皇が戦争を終わらせようとしたのはいつなのかはわかりません。
1944年6月、高松宮は軍令部の作戦会議の席上、次のようなと発言をしている。

既に絶対国防線たるニューギニアからサイパン、小笠原を結ぶ線が破れたる以上、従来の様な東亜共栄圏建設の理想を捨て、戦争目的を、極端に云つて、如何にしてよく敗けるか、と云ふ点に置くべきものだと思ふ。(『細川日記』)


ところが昭和天皇は1945年に入っても、米軍を叩いて有利な条件で戦争を終結させるという一撃講和論に固執し続け、4月には、米軍が沖縄本島に上陸する前に日本軍が先手を打って上陸し、迎え撃ってはどうかと提案しており、戦争を止めようとする気配は感じられないと、原武史氏は言います。

5月、空襲で宮殿がほぼ全焼、大宮御所も全焼する。
6月、東郷外相に戦争の早期終結を希望している。
ところが、貞明皇太后にとって戦争終結という選択肢はなく、あくまでも戦争を継続し、本土決戦をする意志を持っていた。
昭和天皇が戦争の早期終結を願う一方で、戦い抜くという選択を捨てていないことには皇太后の意向が反映している。

昭和天皇と母親である貞明皇后との関係はうまくいっていなかったそうです。
1945年5月25日の深夜、空襲で大宮御所が焼けた直後、高松宮は「大宮様(皇太后)ト御所トノ御仲ヨクスル絶好ノ機会」と、『高松宮日記』に書いている。

原「昭和天皇は、思い込んだら母親に対してだろうが、ずばずばストレートにものを言う。一方、秩父宮は如才なくて、母親に反発することはなく、むしろ母親が喜ぶことを言えるようなところがあって、母親との関係を見る限り、秩父宮のほうがはるかにいいということを1922年の段階で言っているんです。そんな秩父宮を貞明皇后が溺愛したのは有名な話です」


敗戦後、皇族が積極的に天皇の退位について発言をしているし、皇太后も退位すべきだと考えていた。
もしも退位したら皇太后が摂政になるかもしれないことに、昭和天皇は恐れを抱いた。

御厨「兄弟や皇族との関係も含めて、昭和天皇は何度もそういう修羅場をくぐってきた。しかもそのたびに勝ち残っているんだから、そのサバイバルな強さって、なまはんかはものではないですよ。なかなかの策士です」


終戦直後、昭和天皇はキリスト教、それもカトリックへの改宗を考えていたというのですから驚きです。

原「ローマ教皇庁のガスコイン駐日代表が天皇のカトリック改宗の可能性につき本国に報告しているとか、あるいは、次期のローマ教皇と目されていたスペルマン枢機卿が来日して、天皇に実際に会っている」
御厨「たしかに改宗計画はあったと思いますよ。この時期の天皇は、ある意味でのサバイバル戦略から、生き抜く可能性のあるものは何でも触ったと思う」


戦前から天皇、皇后とキリスト教(特にカトリック)の関わりがあったが、戦後は関わりが深まり、多くのキリスト教徒と会って話を聞いたり、聖書の講義を受けている。
皇太子の家庭教師としてヴァイニング夫人が来日したのは、天皇自身の決定によるものだった。

聖園テレジア(ドイツ出身の修道女で、1927年に日本に帰化している)は「日本が戦争に負けたのは、国民に信仰が足りなかったことに原因すると思います」と語り、天皇も

こういう戦争になったのは、宗教心が足りなかったからだ。(徳川義寛『侍従長の遺言』)

と言っていますが、責任逃れという感じを受けます。

我が国の国民性に付いて思うことは付和雷同性が多いことで、(略)将来この欠点を矯正するには、どうしても国民の教養を高め、又宗教心を培って確固不動の信念を養う必要があると思う。(木下道雄『側近日誌』)

神道には宗教としての資格がなかったということだと、原武司氏は言います。

原武史氏は、昭和天皇の退位問題とキリスト教への改宗問題はセットで考えられるべきものだと説明しています。
退位をしないでどのように責任をとるか、それを考えたとき、神道を個人的に捨てて改宗するという可能性が出てきた。

原「だけどここは僕の深読みですが、やっぱりここでもまた皇太后との確執があるように思えるんです。

大正天皇が死去する2年前あたりから、貞明皇后が急速に神がかっていき、筧克彦の講義を受け、筧が唱えた「神ながらの道」の熱心な信者となる。

天皇がカトリックに接近したのには思惑があった。

皇太后の呪縛から逃れることができず、最後の最後まで敵国撃破を祈ってしまった天皇は、神道を捨てることで深い反省の念を示して自らの戦争責任に決着をつけると同時に、ローマ法王庁を中心とするカトリックに身をゆだねることで、表向きはアメリカと協調しつつ、その実アメリカに対抗できる別のチャンネルを確保しておきたかったのではないでしょうか。


東京裁判が結審し、自らは免訴となる。
1950年まではカトリック教徒との密接な関係が続いているが、サンフランシスコ講和条約が締結された1951年以降は少なくなる。
日米安保保障条約が結ばれることで、ローマ法王へと接近し、別の枠組を模索する道も途絶えた。

昭和天皇と母親との確執を中心として、戦争終結、そして改宗問題を映画にしてら、すごくおもしろいものになりそうです。

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杉浦正健『あの戦争は何だったのか』

2016年02月14日 | 戦争

「響かせあおう 死刑廃止の声2015」での杉浦正健元法相の講演録が「フォーラム90ニュース」に載っていたのですが、見当たらず焦っていたら、Youtubeに講演がアップされていました。

法務大臣になって真剣に死刑について考えるようになった。
国会議員を辞め、弁護士会の死刑廃止検討委員会に入り、5年間勉強してだんだん進化し、今は死刑廃止についての確信犯になった。
そういったことを話し、そして『あの戦争は何だったのか』という本を出したと杉浦正健氏が言っています。

読んでみると、戦前の農村は江戸時代と変わらない生活だったという実体験による指摘にはへえと思いましたし、死刑に関しては賛成ですが、全体としては自民党の国会議員だなというのが感想。

昭和9年生まれ、軍国少年だった杉浦正健氏は、玉音放送を聞き、負けるはずがないと教え込まれていた戦争になぜ負けたのか、そしてこの戦いは何だったのかという疑問を感じた。
日本の歴史、伝統から考えると、日本は負ける戦争はしなかった。
徳川家康、乃木希典、東郷平八郎がそうで、明治の初期までは無謀で愚かな選択はなかった。
敗戦が確実となった、少なくとも終戦一年前の時期に、なぜ終戦の決断ができなかったのか。
軍部は、敗戦に至るまで、本土決戦を呼号し、竹槍で上陸軍を迎え撃つと、その訓練を国民に強いていた。

まずこのようなことが書かれていますが、勝てる戦争ならしてもいいのかと思うし、貞明皇太后(昭和天皇の母)は本土決戦のつもりだったし、昭和天皇は米軍に一撃を加えて終戦工作を有利にしようと考えていました。

先月見た吉村公三郎『わが生涯のかがやける日』(昭和23年)に、軍閥が戦争を始めた、人民は被害者だといったセリフがあり、すべての戦争責任を軍部にあるとしていますが、それは単純すぎるように思います。


驚いたのが、靖国問題の解決のためにA級戦犯らの祭神を分祀するという考えです。

これらの「純化」された祭神の祀られる靖国神社であれば、政府首脳による慰霊の参拝に、中国をはじめとする国際社会から異議の生じる余地はないのではないか。そうであれば、天皇陛下も参拝できることになろう。


では、問題は分祀をどう実現するか。

合祀は、今は民間の一宗教法人にすぎない靖国神社が独自の合祀規準により行う宗教行為である。問題は、その宗教行為が国の安全や平和を脅かし国益を著しく害する場合、国や政府が干渉することができるか否かである。わが国は法治国家であるから、適正な法的措置により可能と私は考える。(略)
特別措置法の制定でそれが可能となるようにすべきではないか。


靖国神社がA級戦犯を合祀していることが「国の安全や平和を脅かし国益を著しく害する」のではなく、一宗教法人に公式参拝したがる政治家こそ国益を害しています。
法的措置を執ってまでしてA級戦犯を分祀させ、天皇や首相の靖国神社への参拝ができるようにすべきだというのは暴論だと思います。
法的措置によって靖国神社の祭神を変えさせることは宗教弾圧だと言ってもいいでしょう。

集団的自衛権の憲法解釈の変更についての意見もそうです。
反対意見の多くは、日本が「あの戦争」へ向かった道を再び歩むようになるのではないかとの懸念があるが、その心配はない。
戦争をしないためには、アジア各国との善隣友好関係を強化すればいい。
そして、自衛隊の最高司令官は首相であり、自衛権の発動は国会の同意が必須の条件となっており、戦前のように軍部の独断で動かせない。

杉浦正健氏の意見はピントがずれているように思います。
反対派は、集団的自衛権を認めたら日本はアジアの諸国を侵略すると考えていると、杉浦正健氏は思っているのでしょうか。
憲法を恣意的に解釈すれば憲法が形骸化するということに、杉浦正健氏は触れません。

杉浦正健氏は、自民党の憲法改正プロジェクトチームの座長をつとめ、自民党草案を作ったと語っていますが、憲法は国家権力を制限することで、国民の権利を守るものだというふうに認識していないという気がします。
そういう人が中心となって作られたわけですから、草案の内容は推して知るべし、です。

それにしても、杉浦正健氏は第二次世界大戦について、

国家の使命は、国民の生命・財産を保全することであるのに、それを放棄したとしかいえない国家になぜ日本がなってしまったのか。

と書き、「死刑」は「人権」問題だとして、

わが国民の人権擁護のために働く政府の組織は人権擁護委員会だが、日本の人権擁護委員会は法務省の人権擁護局の下にあるので、国際基準である「政府から独立した」ものではない。権限も弱く、人権擁護委員会のあらゆる国際会議から声がかからない(韓国には、政府から独立した「国家人権委員会」があり、強い権限を持って活発に活動している)。

と指摘しています。
まっとうな考えの持ち主のようにも思うし、死刑問題以外については考えが合わないし。

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2015年キネマ旬報ベスト・テン

2016年02月08日 | 映画

2015年の映画ベストテンがいろいろと発表されています。

まずはキネマ旬報ベストテンです。

日本映画ベスト・テン
1位『恋人たち』302点(ダントツの1位)
2位『野火』191点
3位『ハッピーアワー』185点
4位『海街diary』181点
5位『岸辺の旅』171点
6位『GONIN サーガ』155点(『GONIN』は選外だったのに)
7位『この国の空』146点
8位『ソロモンの偽証 前篇・事件』『ソロモンの偽証 後篇・裁判』105点
9位『母と暮せば』87点
10位『きみはいい子』74点
10位『ローリング』74点
『ソロモンの偽証』は前後篇を1作としていますが、『ニンフォマニアック』はVol.1とVol.2が別扱いのように、今までは別々に順位をつけていたんじゃないでしょうか。
ちょっとずるい。


12位『駆込み女と駆出し男』73点

12位『バクマン。』73点
14位『FOUJITA』72点
15位『さようなら』71点
16位『さよなら歌舞伎町』64点
17位『あん』54点
18位『百日紅~MissHOKUSAI~』49点
19位『トイレのピエタ』45点
20位『木屋町DARUMA』41点
私の予想は、ベストテンが7本、ベスト20は13本が当たりました。

その他

22位『映画「深夜食堂」』36点
24位『味園ユニバース』33点
54位『日本のいちばん長い日』10点(3人だけ。タメイキ)
『脳内ポイズンベリー』はなんと0点でした。

外国映画ベスト・テン

1位『マッドマックス 怒りのデス・ロード』154点
2位『アメリカン・スナイパー』147点
3位『アンジェリカの微笑み』121点
4位『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』115点
5位『黒衣の刺客』109点
6位『神々のたそがれ』91点
7位『セッション』87点
8位『雪の轍』81点
9位『インヒアレント・ヴァイス』78点
10位『おみおくりの作法』64点(ここからが大接戦)

11位『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』63点

12位『さらば、愛の言葉よ』62点
13位『サンドラの週末』61点
14位『パプーシャの黒い瞳』55点
15位『フォックスキャッチャー』52点
16位『ナイトクローラー』50点
17位『黄金のアデーレ 名画の帰還』45点
18位『独裁者と小さな孫』44点
18位『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』44点
20位『アリスのままで』42点(これ以下も接戦)
ベストテンは8本正解とまあまあですが、ベスト20はたったの10本。

その他です。

23位『裁かれるは善人のみ』
24位『キングスマン』
34位『ジュラシック・ワールド』
39位『マイ・インターン』
50位『博士と彼女のセオリー』
59位『薄氷の殺人』
69位『グリーン・インフェルノ』
74位『007 スペクター』
138位『ジョン・ウィック』3点(1人)

『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(12月18日公開)、『ストレイト・アウタ・コンプトン』(12月19日公開)、『クリード チャンプを継ぐ男』(12月23日公開)は0点。

なぜだ!
2016年の扱いなのでしょうか。

スクリーン誌のベストテン(洋画のみ)

1位『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』
2位『セッション』
3位『マッドマックス 怒りのデス・ロード』
4位『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』
5位『アメリカン・スナイパー』
5位『黄金のアデーレ 名画の帰還』
7位『パプーシャの黒い瞳』
8位『博士と彼女のセオリー』
9位『キングスマン』
10位『フォックスキャッチャー』

11位『ナイトクローラー』

11位『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』
13位『マイ・インターン』
14位『おみおくりの作法』
15位『アリスのままで』
16位『Mommy/マミー』
17位『イントゥ・ザ・ウッズ』
18位『はじまりのうた』
19位『インヒアレント・ヴァイス』
19位『ビッグ・アイズ』

21位『アンジェリカの微笑み』

26位『黒衣の刺客』
30位『雪の轍』
40位『神々のたそがれ』

映画芸術誌の日本映画ベストテン&ワーストテン
ベストテン
1位『この国の空』(荒井晴彦が監督だからでは?)
2位『ハッピーアワー』
3位『GONINサーガ』
4位『さよなら歌舞伎町』
5位『恋人たち』
6位『ローリング』
7位『バクマン。』
8位『野火』
9位『岸辺の旅』
10位『映画 深夜食堂』

ワーストテン

1位『日本のいちばん長い日』
2位『龍三と七人の子分たち』
3位『海街diary』
4位『天空の蜂』
5位『あん』
5位『ギャラクシー街道』
7位『恋人たち』
8位『岸辺の旅』
9位『FOUJITA』
10位『ラブ&ピース』
ワーストテンの点数を引いたものがベストテンの点数ですから、『海街diary』『恋人たち』はベストテンの点数だけならもっと上位のはずです。

ヨコハマ映画祭(邦画のみ)

1位『海街diary』
2位『恋人たち』
3位『百円の恋』
4位『バクマン。』
5位『野火』
6位『あん』
7位『岸辺の旅』
8位『トイレのピエタ』
9位『お盆の弟』
10位『さよなら歌舞伎町』
次点『ビリギャル』

映画秘宝ベストテン(邦画と洋画が混じってます)
1位『マッドマックス 怒りのデス・ロード』
2位『キングスマン』
3位『セッション』
4位『グリーン・インフェルノ』
5位『ジュラシック・ワールド』
6位『野火』
7位『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』
8位『ナイトクローラー』
9位『007 スペクター』
10位『ジョン・ウィック』

ベストテンといっても、選ぶ人によってさまざまなわけで、お遊びなわけですが、しかし毎年楽しみです。
今年もアメリカ映画のいい作品が目白押しです。

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辺見庸『1937(イクミナ)』

2016年02月02日 | 戦争

辺見庸『1937(イクミナ)』を開いてまず思ったのが、普通は漢字を使うだろう言葉が平仮名で書かれており、こりゃなんだということ。
「いぜん」「えんそう」「かんげい」「かくだい」「かんたん」「かんねん」「きんべん」「くべつ」「けいけん」「けいせき」「けっか」「げんてい」「けんお」「げんみつ」「こんなん」「こんぽん」「さいきん」「しっぱい」「じゅうよう」「しんけん」「ぜったい」「そくざ」「たんじょう」「どうよう」「ばしょ」「はんめん」「ひつよう」「びみょう」「ふくざつ」「へんこう」「まんえん」「もんだい」「りよう」「りんかく」「れんぞく」など。
「種」「全」「事」「特」「自」「純」「実」「関」「独」「現」「明」「出」「理」「時」といった漢字は使いたくないのかもしれない。

平仮名ばかりの文章は読みづらい。
「それらをときとして、さもじんじょうであるかのようにみせているいまとはなにか」
「いまはおりふりかんがえこむ」
「どういつのひとびとだったのだ」
「わたしはかくべつのかんしんをいだいてきた」

漢字と平仮名が妙に混じっていることもあります。
「被害者がわ」「払しょく」「成功り」「反対がいねん」「自己じしん」「過去・げんざい・未来」「不問にふする」「盲ろうあ」(聾唖が差別語だとしたら盲も)
「問いそれじたいのむげんの重みにせいじつに堪える答えがほんとうにないのだろうか」

ルビなしで難しい漢字も使われています。
「論攷」「忖度」
「悖理を恬(てん)として恥じない。そのようなきほんてき道理をあたまから無視する」

ルビのついている漢字。
「喋々(ちょうちょう)」「凝(こご)り」「経糸(たていと)」「緯糸(よこいと)」「偏頗(へんぱ)」
「推問(すいもん)」「奄々(えんえん)」はATOKでは変換できない。
カタカナのルビ。
「細部(ディテール)」「実時間(リアルタイム)」「供宴(サバト)「乱痴気(おーじー)」(乱痴気は借字)
言葉にこだわりがあることがわかります。

「そびきだす」という言葉がたびたび使われていて、どういう意味か分からないので調べると、「誘(そび)き出す だましてさそいだす」とあり、諫早や天草では「引きずり出す」という意味です。

漢語は漢字で書いたほうが読みやすいと再確認しました。

文句ばかりつけていますが、辺見庸氏の指摘はもっともだと思います。
1937年は盧溝橋事件が起き、南京虐殺のあった年です。

盧溝橋事件から敗戦時まで中国大陸にいた日本兵は最小でも230万人近くで、中国側死者数は低めに見積もっても1500万人。
日本兵1人あたり6人の中国人を殺している計算になる。
私の伯父やゼミの先生は、と考えました。

日本人は中国で何をしたのか、堀田善衛『時間』、武田泰淳『汝の母を!』、芥川龍之介『桃太郎』などの小説を引用しながら論が進められます。
『汝の母を!』は、放火の容疑者である母と息子を性交させ、そのあげくに焼き殺すという話です。
作者の武田泰淳は1937年に召集され、輜重補充兵として中支に派遣されているので、実体験だろうと辺見庸氏は推測しています。

小津安二郎も1937年に応召し、中国を転戦しています。
中国の戦地から帰還直後の談話。

かうした支那兵を見てゐると、少しも人間と思へなくなつて来る。どこへ行つてもゐる虫のやうだ。人間に価値を認めなくなつて、たゞ、小癪に反抗する敵―いや、物位に見え、いくら射撃しても、平気になる。(田中眞澄『小津安二郎周游』

小津安二郎がこんな人だったのかとガッカリしました。
南京でだけ虐殺があったわけではないということです。

中国で戦った父親について辺見庸氏はこのように書いています。

「皇軍」兵士だった父の中国での行状は、じつはわたしにとって、真に「知らずにすませられなかったもの」ではなく、すくなくとも父の生前は「知らずにすますことのできるもの」に、いや、さらにすすんで、「知らずにすますべきもの」にまでなっていたのではないか。

南京虐殺や慰安婦の強制連行はなかったと否定する気持ちの中には、「知らずにすますべき」という意識があるように思います。

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