三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

お待ちかね、キネマ旬報ベストテン予想

2012年12月31日 | 映画

ただでさえ少ないアクセス数が年末年始にはどっと減るので、待ちかねている人はほとんどいないだろう恒例のキネマ旬報ベストテン大予想です。
数値目標は邦画が7割、洋画が5割と、2%よりはるかに高い目標設定をしております。

『終の信託』(周防監督はやはりここが定位置)

『夢売るふたり』(西川監督も)
『ヒミズ』(賞を取った作品は上位に)
『桐島、部活やめるってよ』
『わが母の記』
『鍵泥棒のメソッド』
『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』
『かぞくのくに』
『ふがいない僕は空を見た』
『おおかみこどもの雨と雪』

11位から20位まで。

『北のカナリアたち』
『この空の花 長岡花火物語』
『あなたへ』
『苦役列車』
『アウトレイジビヨンド』
『天地明察』
『黄金を抱いて翔べ』
『僕達急行 A列車で行こう』(森田芳光監督の遺作なので)
『おだやかな日常』
『愛と誠』(『テルマエ・ロマエ』とどっちにするか)

かなり充実しています。

『ライク・サムワン・イン・ラブ』が邦画の扱いならベストテン入りに。

邦画はヨコハマ映画祭ベストテンと報知映画賞ノミネート作品を参考にしました。

次は洋画ですが、週刊文春の映画評を参考にしました。
他にいいものがあるのでしょうか。

『J・エドガー』(イーストウッドも間違いなし)

『人生の特等席』(監督作品じゃないけど)
『アーティスト』(アカデミー賞は強いので)
『別離』(上に同じだけではない)
『アルゴ』
『トガニ』
『最強のふたり』
『メランコリア』
『レ・ミゼラブル』
『ダークナイト・ライジング』

11位から20位です。

『最初の人間』
『ローマ法王の休日』
『桃さんのしあわせ』
『哀しき獣』
『ル・アブールの靴みがき』
『ポエトリー アグネスの詩』
『ミッドナイト・イン・パリ』
『愛について、ある土曜日の面会室』
『おとなのけんか』
『少年と自転車』

スピルバーグ、スコセッシ、クローネンバーグ、ダルドリー、アルモドバル、フィンチャー、ケン・ローチ、姜文、ワイダといったベストテンの常連がはみ出しました。


私の好みは、邦画はベストテン予想をした中のいくつか。

洋画は
『メランコリア』(地球を巻き込んでの自死)
『桃さんのしあわせ』(観客もしあわせ)
『フランケンウィニー』(これも愛するものの死)
『きっとここが帰る場所』(これも)
『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(これも)
『SHAME シェイム』
『ニーチェの馬』(世界の終わり)
といったところで、ずいぶん真っ当でした。
それにしても、映画を見てもすぐに忘れてしまう。

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松永和紀『食の安全と環境』3

2012年12月27日 | 

松永和紀氏は『食の安全と環境』で、次の三点が重要だと言う。
1,安全と安心を区別して判断する
「心情による「安心」を満たすため、さまざまな資源の無駄が増え環境負荷が大きくなっている」

2,食べ残しなどの廃棄量を減らし、食生活を見直す
「消費者ができるもっとも簡単な資源の保護は、食べられるものは捨てずにきちんと食べること。特に調理された後の食事を残すのは厳禁だ」
食品表示のわずかな間違いによる回収も問題。
「実際には健康影響はまったくもたらさないささいなミス、たとえば、重量表示をわずかに誤ったとか、原材料の表示の順番を誤ったなどという事例でも、回収され廃棄されている」

3,科学技術の短絡的な批判をやめ、多様な生産方式を認める
「学校教育の改善も重要だろう。中学・高校の副読本の中には、食品添加物の継続摂取などに対して懸念を示すものがあり、農薬や遺伝子組換え食品の安全性に対する不安を強調し、これらはできるだけ摂取しないことが望ましいと示唆するような副読本まであるという」

まず安全と安心について。
「農業者や食品メーカー、流通などが、「食の安全・安心を大切にする」というイメージを守るために、法律違反ですらない食品まで自主回収している実態がある」
たとえば、2008年、農水省が工業用として限定して売却した事故米穀が食用として不正に横流しされ、事故米が使われたとみられる日本酒やせんべいなどが回収された事件があった。
しかし、事故米を使ったせんべいや焼酎などのリスクは心配する必要がなかったそうだ。

「こうした問題の背景には「安全」と「安心」がセットにして使われている混乱がある」
松永和紀氏は「安全と安心はまったく違う」と言う。

安全…科学的に評価された結果得られる客観的なもの
「障害を起こすリスク要因に対して事前及び事後の対策が施され、障害の発生を未然に防ぐことができる、または障害の程度を許容範囲に止めることができる状態」
安心…心情
「個人の主観によって決まるものであり、「安全であると信じている」状態」

食の安心に関する過剰反応は体感治安の悪化と似ていると思う。
日本は世界でも珍しいくらい安全な国なのに、国民の多くは、犯罪が増えている、しかも凶悪化していると思い込み、厳罰化を求め、セキュリティ産業を栄えさせている。
不安に対して理屈で説明しても、感情的になってなかなか納得してもらえない。
すべての人の安心をかなえる策は存在しないから、不安はエスカレートするばかり。
食の問題でも同じで、安全ではなく安心を求め、「心情を満足させる過剰な策をどうしても追い求めがち」である。

安全と安心との混乱のいい例が遺伝子組換えだと思う。

遺伝子組換え作物は何となく怖いというイメージは私にもある。
しかし、組換え作物は飼料や食用油の原料として大量に輸入されているそうだし、組換え食品が販売されるようになってから十数年、認可された組換え食品で、安全性に疑問符がついて、認可取り消しになったものはない。

「組換え技術によって導入された遺伝子や、その結果できるタンパク質は、胃や腸によって分解され体の中にそのまま蓄積されることがなく、子孫にも伝えられない。そのため、遺伝子組換え作物を長年摂取した後に影響が出たり、後の世代に影響が出たりすることはあり得ない、というのが科学者のほぼ共通の考え方だ」

食品添加物にしても身体によくないというイメージがあるが、
「適正な使われ方をしている限り、食品添加物の安全性には懸念はない、というのが科学的には周知の事実である」そうだ。
ところが「消費者の無添加志向は強い」ため、おにぎりや弁当などの傷みやすい食品は製造段階から冷蔵設備が欠かせないし、消費期限も短めに設定して、廃棄することになる。

「電気や化石燃料を大量に消費して冷蔵管理をし、早めに捨てる日本人。「なんとなく、人工的なものはいや」という気分の判断、科学的な思考の欠如は、こんなところでも資源の無駄使いを招いている」

次に食品の廃棄量を減らすことと、食生活の見直しについて。
食の無駄使いや環境への負荷は、おいしいものを安く、しかも安全にという消費者の勝手な要求が一番の原因である。
無駄使いの好例がこれ。

「小麦粉とあんこで作る饅頭は、衛生的な工場で製造し、包装時には空気を抜き微生物が入らないようにして、脱酸素剤といっしょに包装すれば、現在の技術なら三~四か月は軽く日持ちするし、味もそれほど大きく変化しない。
だが、菓子メーカーは賞味期限を三か月とは表示できないという。なぜならば、科学技術の進歩を知らない消費者には、饅頭が三か月もそのまま日持ちするという事実が信じられない。なにか、体に悪いものが入っているに違いない、保存料を入れているのに表示していないのだろう、などと疑う。そうした疑い、苦情を避けるために、菓子メーカーは賞味期限を二〇日間に設定して販売しているのだ。その結果、消費者はまったく問題のない饅頭を「賞味期限が過ぎたから」という理由で捨てている」

野菜でも、消費者は見た目がきれいで、形のよいものを望む。
となると、農薬使用量が多くなってしまう。
「傷一つないピカピカのナスやピーマンを作るにはやはり、余分の農薬が必要だ」
それなのに農薬を嫌い、無農薬だと安心だと思い込んでいる。

「消費者は食べる場合の安全性に対して不安を持ち、いっそうの減農薬を求めている。だがその一方で、直売所や生協などでよく聞くのは、「虫がついていたから」と返品する消費者の話である。私から見れば、消費者の行動には大きな矛盾がある」
たしかにそのとおり。

エコや安全を言いつのりながら、ぜいたくな食生活を望む消費者の責任。

「濃厚飼料をたっぷり食べさせた家畜の肉を望んだのは、消費者である。牛に牧草を中心に食べさせると、脂肪の少ない赤みの肉になる日本人は脂肪が霜降り状に入った肉を好み、赤身では高値で売れない。牛乳も高い乳脂肪分が要求され、農家は家畜に栄養分の高い穀物を食べさせざるを得ない。
豚や鶏も、栄養価の高い飼料が要求されるようになった。残飯では栄養成分が不安定になり、肉の色もよくない。「おいしい肉や卵、牛乳をなるべく安く」という消費者の強い要望が、飼料による莫大な養分輸入を招いたのだ」

そして、科学技術の短絡的な批判をやめ、多様な生産方式を認めることについて。
遺伝子組換えについて日本では、「市民の遺伝子組換えに対する科学的な理解が進んでいない」

2008年、内閣府が中学校・高校の教員を対象に意識調査を行った。
問い「遺伝子組換え作物には昆虫を殺す毒素を作るものがあり、これを昆虫が食べると死んでしまうが、人間が食べても害はない」
答えは「正しい」だが、正解率は21.8%。

2009年のアンケートでも、遺伝子組換え食品に対して「非常に不安」「ある程度不安」が64.6%。
市民の反対が強く、「日本で商業栽培がすぐに始まることなど、ほぼあり得ない。にも関わらず、自治体は条例を作るなどして規制をかける」
その結果、日本では組換え作物の研究がほとんどされていない。

「農薬と化学肥料を使わなければエコ」という誤解は、マスコミにも責任がある。
「マスメディアは科学的な根拠を欠いたまま、減農薬や無農薬をもてはやす」
そして農水省の責任。
「なにせ、1992年から推進している「環境保全型農業」の定義は「農業の持つ物質循環機能を生かし、生産性との調和などに留意しつつ、土づくり等を通じて化学肥料、農薬の使用等による環境負荷の軽減に配慮した持続的な農業」である」
国が農薬や化学肥料に対する誤解を拡大させているわけである。

その陰で忘れられているのが、食料生産におけるエネルギーの大量消費である。

「消費者は、自分たちの「おいしいものを安くたくさん、自由に食べたい」という欲求が環境に大きな影響を与えていることに気づかず、地元の農産物や有機農産物などを買えばエコであると思い込んできた。消費者がライフスタイル、食生活を改め判断を変えなければ、抜本的な環境を守る対策とはならない」

原発問題でも、現在の生活をもっと快適・便利にしたいが、原発はイヤだというのは勝手すぎると思う。
「「食の安全性」を叫び「環境保全」の重要性を訴える。だが、その二つが両立しないとしたら、あなたは、地球の環境を守るために若干の健康リスクを許容することができるだろうか?」

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松永和紀『食の安全と環境』2

2012年12月24日 | 

化学合成農薬と化学肥料は日本では特に問題視される。
しかし、数十年前の農薬と現在の農薬とでは違うそうだ。
「昔の農薬は、食糧増産を目的に比較的毒性の大きな農薬が多用された」
しかし、現在の農薬は「リスク」の考え方によっている。
「生き物にどの程度、害を与えるかという「リスク」の大きさは、それが本来持つ「毒性」と、体の中に取り入れる「量」の両方から決まる」
現在の農薬は「人やほかの動物などへの毒性が低く、ターゲットとなる病害虫や雑草などにのみ効果を発揮する選択毒性の研究が進んだ。(略)
使用されて効果をもたらした後は、速やかに分解する易分解性もなければならない。そのうえで、使い方や使う量、使う時期などを厳しく規制することで、人やほかの動物などの曝露量を減らし、リスクを小さくしてゆく」

メダカがいなくなったのは農薬のせいだと思われているが、そうでもないらしい。
加藤倫教「除草剤をいっぱいやるから、メダカがいなくなったんだという。それもないとはいえないんですが、だんだんわかってきたことは、作付けのほうが影響しているという研究結果があるんですよ。
米の品種を全部コシヒカリにかえてしまった。(略)このあたりでコシヒカリを作ろうとすると、田んぼを中干しする時季に、トノサマガエルはまだオタマジャクシに脚が生えていないんです。だから、中干しして水がなくなったあとに、累々たるオタマジャクシの干からびたのが連なる。(略)
いままでは、土地にあった別の品種を作っていたのが、早生のコシヒカリにしたもんだから、自然環境に影響を及ぼしてしまったということですよね。(略)
去年と一昨年、うちの田んぼとつながる用水路を、水を止めずに、ずっと入れっぱなしにしたことがあったんです。そうしたら、メダカだらけになりましたから」(朝山実『アフター・ザ・レッド』)

化学肥料についても誤解だらけ。
「日本では、化学肥料は徹底的に嫌われている。インターネットで検索してみると、「毒である化学肥料は使わず、堆肥や有機質肥料で栽培した安全で環境によい野菜」というような記述が多く見つかる。(略)
しかし、堆肥や有機質肥料も分解されれば無機物となり化学肥料と同じ成分になるのだから、「化学肥料は毒」と断定するのは間違いだ」

化学肥料がなければ地球上で現在の三分の一から半分程度の人口しか養えない。

堆肥や有機質肥料のほうがいいのかというと、病原性微生物の問題があるそうだ。

「有機農業が化学肥料を使わず、家畜由来の堆肥や有機質肥料などを多く使うことは、病原性微生物による汚染という観点からは懸念材料になる」
有機農産物と慣行栽培農産物を比較すると、大腸菌の感染割合は有機農産物が約六倍高い。

家畜糞尿の量は年間約9000万トン、現在は主に堆肥化が行われている。

「だが、堆肥を使うから環境に良いとは限らない。堆肥でも使いすぎれば土壌に養分が蓄積し、地下水も汚染するからだ。化学肥料であれば養分含有量は一定であり、計算しながら作物にやることができる」

こんなこともあるそうだ。
「古くから土づくりのために堆肥の利用を推し進めてきた産地や有機農業産地で、長年の過剰使用がたたり野菜のNO3濃度や重金属濃度が高くなる例が最近目立っている。ブランドに傷がつくため公表されることはほとんどないが、農業関係者の公然の秘密である」
知りませんでした。

有機農業も環境への負荷を免れない。
「有機農業を行う有機農家は、合成化学物質の利用を極力避け旬の栽培を行い加温栽培などはしないため、環境負荷はなさそうに見える。だが、有機農家も害虫よけのネットやビニールなどの資材を多用する。また、家畜糞尿や稲ワラなどから堆肥を作り畑に持って行き投入するという作業にも、機械やトラックが必要」

作物がなんの障害もなくすくすくと育ち実ったと仮定して得られる収量を100とすると、
病害虫や雑草をまったく防除しないで得られる収量 34.2
農薬などを用いて防除して得られた収量 61.9
農薬を使わない場合の減収率は、
リンゴ 97%
モモ 70%
キャベツ 67%
キュウリ 61%
ジャガイモ 33%
コメ 24%

「コメを無農薬で栽培した場合、収量は農薬を使用した場合の7~8割というのが通説だ。収量の低下を抑えるため、農家はさまざまな工夫をし、虫をとったり雑草を手で抜いたり機械で刈り取ったりするなどして働き、労働時間は増える」

リンゴの栽培で農薬の使用回数を半分に減らすためには、通常であれば除草剤を二、三回使うところを、一回しか使えない。
「果樹栽培は、雑草との戦いでもある」
雑草が繁茂すると、水分や養分がリンゴの木に行き渡らなくなり、木の生育が悪くなるし、害虫やカビや病原菌なども増殖しやすくなる。
アルバイトを雇って草刈り機で草刈りするのに一週間かかる。
それを二、三回しないと、除草剤一回散布の代わりにならない。

「現実には「農薬の使用は環境に悪い」という前提で、生産者は機械による除草を行い、労働量の増加、人件費増に喘いでいる」
ところが、国は化学肥料や農薬の使用回数を減らすように指導している。

「有機農産物=安全」かと思ってたら、そういうわけではないらしい。
イギリス食料基準庁は2003年に「有機食品がより安全だとか、より栄養があるという科学的な根拠はない」という見解を明らかにしている。

・農薬
「有機農産物は農薬の使用量が通常の農産物よりも低いか、不使用だが、現在の一般的な農薬は分解性が高く、使われても農産物が店頭に並んだ段階で不検出になっている場合も多い」

・カビ毒
「農薬を使わずにカビの増殖を抑えるのは容易ではない」

・植物のストレス耐性
「植物は温度変化や水分不足、病害虫の襲来などさまざまなストレスに対して、体内で自ら防御物質を作り身を守る性質を持つ。(略)農薬をあまり使わない有機農産物は、病害虫の食害などストレスを受けており、農薬を使い病害虫などを防いでいる慣行栽培に比べて、より多くの二次代謝産物を作り出している可能性がある」
この二次代謝産物が人間にとって毒になることがある。

「農薬や化学肥料を使わないから安全、という世間一般の思い込みは、あまりにも単純化された思考だと言えるだろう」

「農薬や化学肥料、遺伝子組換え、抗生物質などを頭から否定してしまう有機農業の姿勢は科学的ではない」
農薬や化学肥料は適度に使えばいい。
「化学合成農薬や化学肥料などの使用量を抑え資源の循環利用を進めるとともにそれらの利点も活かし、遺伝子組換えなどの新しい技術もリスク評価したうえで利用し、食料生産力アップへつなげていく―。それが世界の趨勢だ」

松永和紀氏は「有機農業は主義主張」だと言う。
エコや有機農業の考え方の中にはニューエイジ・スピリチュアル的なものがあって、あやしい主張もある

安全や健康を求め、環境を大切にするのがどうしていけないと言われると返答に窮するのですが。

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松永和紀『食の安全と環境』1

2012年12月21日 | 

食の安全を守ることは環境の保全につながると思っていたが、そう簡単にはいかないことを松永和紀『食の安全と環境』を読んで知った。

トレードオフという言葉がある。
「一つの事柄だけに注目して解決を目指すと、知らないうちに別の問題が発生していることが世間にはよくある。こうした現象をトレードオフと呼ぶ。(略)
食料生産においては、トレードオフがひんぱんに発生している」

たとえば地産地消。
地産地消の売りの一つは「環境を守る」ということで、輸送距離が短くてエコロジーだということになっている。
だが、現実はそう単純ではない。
「輸送といっても、大量の化石燃料を消費する航空機で運ぶのと、燃料効率のよい大型船で時間をかけて輸送するのでは、環境負荷の大きさはまったく異なる」

1トンの貨物を1km運ぶために必要なエネルギーは、
航空 5291キロカロリー
トラック 699キロカロリー
鉄道 116キロカロリー
内航貨物船 67キロカロリー
外航コンテナ船 23キロカロリー

「数万トン級の大型船に何万トンもの穀物を乗せ大海原を運び日本に輸入し港の近くにある工場で加工して食品にする場合と、国内で古く小さなトラックに数十キログラムの農産物を乗せ数十キロメートル離れた加工場に届ける場合」とでは、どちらが温室効果ガス排出量が多いか。

生鮮トマトの多くは、温室栽培か雨よけ栽培(ビニールの屋根の下で栽培する)である。
地産地消と大型トラックで移出、温室栽培と雨よけ栽培、この4通りでのCO2の排出量を調べると、「輸送距離の違いはCO2排出量の大きな差にはつながっていない。それよりも、温室栽培によるCO2排出量がはるかに多かった」
温室栽培では冷暖房をするので石油を使うからである。

冬季に地元産の温室栽培トマトを食べるよりも、暖かい地域で加温せずに栽培されて長距離を運ばれてきたトマトのほうが環境にはよい。
「露地で栽培される旬の農作物はエネルギー効率が非常によいが、市場流通量が多く価格が低下し、生産者にとっては儲けが少ない。それどころか、流通量が多すぎて出荷調整しなければならなくなり、(略)そのために、生産者はなるべく旬の時期を外して出荷しようとし、ビニールハウスを建てて加温したり逆に冷房したりして栽培する」

国産小麦と北米産小麦でCO2の排出量を比較すると、食パン一斤あたりの原料小麦のCO2排出量は
北米産小麦 102グラム
国産小麦 103グラム
北米から約7900kmの距離を運んできたのに、なぜ国産小麦のほうが多いのか。

小麦は水分含有率が高いと加工しづらく、カビ毒の増加など安全面でも問題が大きい。
北海道は北米に比べて降水量が多く、小麦の水分含有率が高いので、化石燃料を使って乾燥させなければならないからである。

というわけで、各国の石油換算量1トンあたりの農業生産額を見ると、日本は先進国のワースト3位。
エネルギー効率はアメリカの5分の1、イギリスの7分の1である。

地産地消にはこういう問題もある。
畝山智香子・国立医薬品食品衛生研究所主任研究官の指摘。
「農産物は、その土地のミネラル分を吸収して育つので、特定の土地のものばかり摂取していると、必須ミネラルの不足や有害重金属の過剰摂取も起こりうる」

日本は土壌中のカドミウム量が比較的多く、農産物のカドミウム含有割合も外国に比べると全般に高い。
日本のコメのカドミウムの平均濃度は0.06ppmだが、アメリカは0.01ppm、タイは0.02ppm。
FAO/WHO合同食品規格委員会では1998年、コメの上限許容量を0.2ppmに強化する案が浮上したが、これでは国産米の数%が食べられなくなる。
日本国内で行っている0.4ppm未満を食用とするよう主張して、2006年、それが認められた。

「皮肉なことに、コメのカドミウム濃度が高くても、日本人が健康影響を心配せずにすむのは、コメを食べる量が減ったからだ。(略)日本人が再びコメを大量に食べるようになれば、カドミウムの摂取量は増え健康影響をもたらす可能性もあり、規制をより厳しくする必要が出てくるかもしれない」

私は食糧自給率を上げるためにはコメを食べればいいと思っていたが、間違いのようです。

畝山智香子「安全性の視点からは、世界中からあらゆる食品を輸入している現在の日本の状況の方が、リスクの分散ができているという意味で「より安全」と言えます」

こんな笑い話みたいな地産地消もある。
「中国地方の団体が地産地消活動の一環として、地元産のコメをレトルトパックのご飯にして売ることにした。だが、ご飯のレトルトパックは地元企業では作れないため、関東地方の企業にわざわざ地元のコメを持ってゆき加工したそうだ」

都会から地方の直売所に車で行って野菜などを買うことはエコの感覚を味わえる。
しかし、近所のスーパーに歩いて買い物するほうが環境にはやさしい。
「消費者の「気分のエコ」の対象となっているのは、地産地消ばかりでない。減農薬や有機農業、食品リサイクルなど、褒めそやされるさまざまな事柄をじっくりと検討していくと、多くの問題が隠されていることに気付く」

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筒井清忠『帝都復興の時代』2

2012年12月17日 | 

東日本大震災が起きると、全国から多額の義捐金が集まり、多くの人がボランティアにかけつけました。
筒井清忠『帝都復興の時代』によると、関東大震災直後にも共同性・平等性意識が強調されたそうです。

ところが、地震後の比較的早い段階に天譴論が言われます。
たとえば渋沢栄一。
「九月一日の大震災に対して、私の心に感ずる処が決して迷信的でなく、どうも一種の天変地夭とも云うべき事ではないかと云うような感がしたものですから、或る方面の人に、是は天譴と思うが宜かろうと云うことまで、逸早く申したのであります。(略)世の中が浮華軽佻に赴いた時分に、或変災を来たすと云うことは、蓋し免れぬように思うのであります」
「甚だ利己主義に傾いて、真正なる真摯質実というものを欠いて居る、そうして甚だ奢侈に趨るというような風がありはしないか」
「私自身は丁度六十年の昔、若い時に人を試練しようと思ったのを、今日自然の力でその試練を受けるような感じが致します」
「この位な激しいお灸がすわらなければ、本当に人の心を心底から改革することは、難かしいのではないかと、斯うまア少くとも私としては想いたいと思うのであります」

こんな大事が起きたのは国民の道義が乱れていたからだということです。
石原慎太郎氏の「津波をうまく利用して我欲を洗い落とす必要があるね。積年たまった心の垢をね。これはやっぱり天罰だと思う」という発言には前例があったわけです。

筒井清忠氏は「天譴論が、結局は、格差・都市・人工物・機械産業等に象徴される近代産業文明への根本的批判であり、平等・自然環境・自然素材・農業等に象徴される「自然回帰」への讃歌であることが窺えよう」とまとめています。

天譴論への偽善性を柳田国男はこう指摘しています。
「本所深川あたりの狭苦しい町裏に住んで、被服廠に遁げ込んで一命を助かろうとした者の大部分は、寧ろ平生から放縦な生活を為し得なかった人々では無いか、彼等が他の碌でも無い市民に代って、この惨酷なる制裁を受けなければならぬ理由はどこに在るか」「例えば銀座通りで不良青年がたわけを尽した故に、本所で貧民の子女が焼け死ななければならぬという馬鹿げた道理は無く、それは又制裁でも何でも無いのだ」

お前なんかに言われたくないと思った人が多かったのか、天譴論という「お説教」への反発からか、復興景気のためなのか、一、二年後には享楽化・頽廃化に向かいます。

そして、享楽化・頽廃化への反動として、今度は北一輝や西田税たちの運動が盛んになりました。
「「華美」「堕落」への反発が青年将校運動の一起点なのであった」
「関東大震災の「此ノ血此ノ火」を「旧日本ノ死而シテ新日本誕生ノ屋床ヲ浄ムル」ものと見た北一輝を原動力とした青年将校の運動は、五・一五事件、二・二六事件などを引き起こす草の根からの「堕落」批判運動の主軸となるのである」
そうして陸軍が台頭していくわけです。
ここらも現在の日本と似ているように思います。

政党がたくさんありすぎて、どこに投票したらいいかわからないと言う人がいます。

でも、新聞社は憲法改正や原発などの是非を候補者に質問をしていますから、新聞を見れば候補者がどういう考えなのかわかるはずです。

安倍首相は憲法を改正し、自衛隊を国防軍と位置づけ、人員や装備、予算を拡充していくそうです。

安倍自民党に投票した人は安心して戦争のできる国にしたいと思ったのでしょう。
石原維新の会代表は「核を持っていないと発言権が圧倒的にない」「核兵器に関するシミュレーションぐらいやったらいい」と言っています。
維新の会に投票した人は日本は核を持つべきだと思っているのでしょう。

日本維新の会の候補者は「日本の核武装」について次のように答えています(毎日新聞12月14日)。

A候補「核兵器は抑止力としても、決して持つべきではない。しかし、今後の国際情勢次第では、「したたかな外交」の観点から、外交カードとしていつでも軍事転用できる技術の高さをアピールしたり、議論をする余地はある」
B候補「被爆2世でもあり、人類は核兵器を持つべきではないと考える。だが明日なくせるかと問えば答えはNO。日本もまずは「抑止力」を準備するために核保有をシミュレーションし、それを踏まえて議論を高めていく」
「持つべきではない」と言いながら、核保有の可能性を示唆しているわけで、矛盾したことを平気でおっしゃってます。
それでも、お二人とも当選したのですから、何をか言わんや。

石原慎太郎氏はこんな発言もしています。
石原氏 自民と協力し改憲 拉致問題「戦争する、で解決」
 日本維新の会の石原慎太郎代表は十日、東京都内での街頭演説で、衆院選後に自民党が政権に復帰した場合は、同党に協力して九条を含めた憲法改正を目指す考えを示した。「自民党が(衆院選で)過半数を取りそうだ。そうしたら憲法を変えよう。私たちも賛成する」と述べた。
 石原氏は北朝鮮による日本人拉致問題に触れ「二百人以上の日本人が拉致され、殺された証拠があったのに、九条のせいで日本は強い姿勢で北朝鮮に臨むことができなかった。九条が自分たちの同胞を見殺しにした」と現行憲法を批判。「あんなモノがなければ(拉致被害者を)返してくれなかったら『戦争するぞ』『攻めていくぞ』という姿勢で同胞を取り戻せた」と述べた。東京新聞12月11日
まだ享楽化・頽廃化のほうがましだと思います。

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筒井清忠『帝都復興の時代』1

2012年12月14日 | 

筒井清忠『帝都復興の時代』は東日本大震災のあと、衝撃を受けて書かれた本だそうで、現在の日本の状況と比べながら読むと、なかなか興味深い。

関東大震災の直後に山本権兵衛内閣が成立します。
当時の新聞は山本内閣を期待していたそうです。
「『朝日新聞』は、多数党が腐敗し、第二党が陋劣な中、既成政党打破と政界改革を「変態内閣」に期待するとしている。犬養にも期待しつつ、総選挙において既成政党外の真に国民の意志を代表する新勢力が勃興することを期待する、というのである。『東京日日新聞』は、既成政党は国民からあきられ厄介者扱いされている、という。党利を中心都市「国利民福」を考えないからであり、それは「営利機関」化し国民と「別個の存在」となっているので、超然内閣による政界の廓清を期待するとしている」

筒井清忠氏は続けて新聞批判をします。
「日本の新聞はいつも、既存の政党の批判と新勢力の台頭への期待ばかりを言いつのっていることがわかろう。議会政治は政党政治たらざるを得ず、従ってその発展はいかにして健全な政党を育成するかにかかっている、ということへの認識が不足しているともいえよう。昭和前期に「新勢力」=陸軍が台頭しやすい環境を新聞が作っていたといえなくもないのである」

山本内閣で一番人気があった閣僚は後藤新平内相でした。

後藤新平は新党を作って政界再編をしようと画策します。
「後藤はこの頃、「無党派連盟」の重要性を強調していた。新聞論調があのようなものであれば、国民的支持を得ようとすればこうした主張となるのも当然であろう。(略)「無党派連盟」という主張にはわかりにくいところもあるのだが、既成政党に属さない新しい政治勢力の結集という風に解せば、そのためには普通選挙が実施されなければならないことは自明であった」
しかし、後藤新平の新党計画は挫折し、山本内閣は三カ月で総辞職します。

筒井清忠氏はまとめの中でこう指摘しています。

「政党政治確立期に政党的基盤を持たなかった後藤は、大衆的人気を支えにするしかなく、いつも壮大なアイデアを出して耳目を引いたが、それを確実に遂行する誠実な持続力や安定感を持たなかった(「後藤子は常に云う所の立派な事は世人総ての見る行である而(しか)も行わんとする所は余りに拙く小規模であるのを遺憾とする」とは第47臨時議会における憲政会議員〈横山勝太郎〉の言である)」

後藤新平にはこんな評価があります。
三浦梧楼「風呂敷を拡げ其括(くく)りの出来ぬは後藤の病気である」
西園寺公望「後藤は実に馬鹿な男だ」「芝居掛り等にて彼是面倒のことを云う人」etc
後藤新平は大風呂敷を拡げて人気をさらうのが得意であっても、それを実行する政治的意志と技法に欠け、後始末ができなかったそうです。

『帝都復興の時代』を読んでいて、私は後藤新平と橋下徹氏とがダブって感じられました。

橋下徹氏は受け狙いのためか発言がコロコロ変わっているし、橋下府政で大阪府の借金は増えているそうですし、日本維新の会の公約に最低賃金制度の廃止なんてとんでもないのがありますし、正直なところ馬脚を露わしたと言ってもいいと思います。
それなのに日本維新の会に投票しようという人が少なからずいるのはどうしてでしょうか。
「橋下さんならやってくれる」と期待しているんでしょうけど、具体的に何をしてもらいたいんでしょうね。

島田佳幸中日新聞社会部長がこんな記事を書いています。
「比例で自民党に入れるとした人の三割弱が、「憲法九条」の改訂には反対だと答え、実に半数近くが、将来的な「原発ゼロ」を求めているのである。(略)
こうした〝矛盾〟、考えられる理由は二つだ。一つは、九条や原発以外にその党を選ぶ決め手の公約があるという可能性。そして、もうひとつは、その党の主張をよく咀嚼せず、「何となく」投票先に決めているというパターンだ。前者ならまだしも、後者はあまりに危険である」(12月5日)
やっぱりそうなのかと思いました。
自民党に投票する人だけでなく、維新の会に投票する人も橋下徹氏の公約や政策そのものには関心がないのかもしれません。
まだ後藤新平の大風呂敷のほうがましだと思います。

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司馬遼太郎「心と形」3

2012年12月11日 | 仏教

司馬遼太郎氏は「心と形」で、「仏教ではいっさいの〝我〟は固体的実体ではない、というのです。人間の迷いは、〝我〟が固体的実体だと思いこむことから生ずる、〝我〟もまた仮のものだ、という。
またそのように思え、というのです。さらには〝我〟を無くすべし、「無我」こそ、宇宙の原理(仏)に一体化してゆくための実践の道である、というのです」と話しています。

中村元氏は、大乗仏教では「無我とは、ものに我(永遠不変の本体・固定的実体)のないこと」と論ぜられたと説明しています。
司馬遼太郎氏の言う「宇宙の原理」は「永遠不変の本体・固定的実体」のように思うのですが。
また、「宇宙の原理に一体化」ということは、手塚治虫『火の鳥』や『ブッダ』であらゆる存在が火の鳥で象徴される宇宙生命と一体化するような感じを受けます。

遠藤周作氏の考える死後も『火の鳥』的です。

キリスト教で言う復活についての質問に、遠藤周作氏はこう答えています。
「あなたは復活と蘇生と間違えているようですが、復活というのは蘇生と違いますよ。復活には二つの意味があります。
イエスの死後、使徒たちの心の中で、イエスはキリスト(救い主)という形で生き始めました。イエスの本質的なものがキリストで、その本質的なものが生き始めたということです。現実のイエスよりも真実のイエスとして生き始めたこと、これが復活の第一の意味です。
それから、イエスが復活したということは、彼が大いなる生命の中に戻っていったことの確認です。滅びたわけではなくて、神という大きな生命の中で生前よりも息づいて、後の世までも生きていく。これを復活と言ったのだと思います」
私は、キリスト教は肉体の復活を説いていると思っていました。

そして、遠藤周作氏は「あなたは、死後の世界について、どう考えておられますか」という問いの中でこんなことを述べています。

「死後の世界について、カトリック教徒はどう考えるのか、それは人が死ぬとキリストの入っていった永遠の世界へ戻ると考えるのです。それを天国、神の国というのですが、要するに神の生命の世界なのです」
「神の生命の世界」とは何か。
「仏教では生まれる前の世界を考えますが、カトリックのほうでは、人間が生まれる前は生命がなかったんだから、神の生命体の中へ行けるというふうに考えていると思います。
私の場合、そこへいろんなものが入っています。母に会えるとか、兄に会えるとか、日本人だから仏教的な感覚もあります。(略)親しい人たちもそこにいて、そこで会えるという確信が私にはあります」

「宇宙の原理」とか「神の生命体」というのはブラフマンみたいです。
梵我一如を釈尊が否定していたかどうか説が分かれますし、大乗仏教は梵我一如的だと言う人もいますから、梵我一如は仏教ではないとは言えませんが。

「心と形」での司馬遼太郎氏の考えについてですが、もう一つ、寺院に墓があることは「死霊の管理」だということにも賛成できません。

仏教は霊魂を否定しているわけですから。

墓に骨を収め、墓参りをするのは情だと思います。
親しい人の死を悲しむのは、その人に執着しているからであり、煩悩です。
しかし、煩悩をなくせと言われても無理なように、死別の悲痛は人間の情ですからなくなりません。
というか、なくすべきではありません。

仏像がどうして作られるようになったかを考えてみたらいいと思います。
仏像は釈尊が生きている間はもちろん、入滅後もしばらくは作られませんでした。
しかし、釈尊を慕う人たちが釈尊の姿を形に表そうとして仏像を作るようになります。
仏像を拝むのは土や木に対してではなく、仏像という形をとおして釈尊の心をいただくことです。

墓も同じことで、死者を敬慕して墓を作り、墓を通して死者を偲ぶわけです。
ただし、そこに追善、慰霊、鎮魂という気持ちがあるなら、「死霊の管理」になるかもしれませんが。
形だけだとしても、日本の仏教が現在まで続いているのは、そうした形によってだと思います。

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司馬遼太郎「心と形」2

2012年12月08日 | 仏教

遠藤周作『私にとって神とは』では仏教についても触れていますが、その説明に首をかしげる個所があります。
もっとも仏教といってもいろいろあって、仏とは何か、どうすれば仏になるかといった中心となる教えでも、上座部仏教、チベット仏教、日本仏教、それぞれ説いていることが違うし、日本仏教でも宗派によってまるっきりと言っていいほど考えが異なっています。
同じ仏教ではあっても、共通するのは教祖が釈尊だという点だけではないかと思うことがあります。
ですから、仏教はこうなんだと簡単には言えないし、違うとも言いきれません。

無我についてもそのことが言えます。
無我とはどういう意味か、アートマンがあるかどうか、諸説あるそうです。

司馬遼太郎氏にならって、中村元『仏教語大辞典』の「無我」の項の解説を引用します。
「パーリ語聖典において、無我の原語はanattanである。この語には「我ならざる(こと)」という意味と、「我を有せざる(こと)」という二義が存する。初期の仏教では決して「アートマン(我)が存在しない」とは説いていない。もとは「我執を離れる」の意であり、ウパニシャッドの哲学がアートマンを実体視しているのに対し、仏教はこのような見解を拒否したのである。これは、我(アートマン)が存在しないと主張したのではなく、客体的な機能的なアートマンを考える考え方に反対したのであり、アートマンが存在するかしないかという形而上学的な問題に関しては釈尊は返答を与えなかったといわれている。すなわち「わがもの」という観念を捨てることを教えたのである。原始仏教においては、「五蘊の一つ一つが苦であるゆえに非我である」という教説、また「無常であるがゆえに無我である」という教説が述べられている。これは我でないものを、我、すなわちアートマンとみなしてはならないという考え方であって、特に身体をわがもの、アートマンとみなしてはならぬと主張された。そして、「われという観念」「わがものという観念」を排除しようとした。説一切有部では、人無我を説き、アートマンを否定したが、諸法を実有とし、法無我を説かなかった。後になると次第に「アートマンは存在しない」という意味の無我説が確立するにいたった。この立場は、説一切有部、初期大乗仏教にも継承された。大乗仏教では、無我説は空観と関連して、無我とは、ものに我(永遠不変の本体・固定的実体)のないこと、無自性の意味であるとして論ぜられ、二無我(人無我と法無我、人法二空)が説かれた」
無我の意味は時代、宗派によって異なっていて、無我だからアートマンはないとは言えないようです。

『ミリンダ王の問い』で、輪廻の主体は何かとミリンダ王は何度か質問します。

私にはナーガセーナの説明はなんのことやらさっぱりわかりません。
霊魂は否定するが輪廻は認める、というのは無理があると思います。

もっとも、霊魂の実在や輪廻転生を説く宗派のほうが多いのではないでしょうか。

チベット圏では風葬が行われています。
人が死ぬと霊魂は別の肉体に転生するから、死体は魂が抜けた空っぽの入れ物にすぎない、だったら鳥に死体を布施したら功徳になるからそっちのほうがいい、ということです。
つまりは死体の有効利用です。

脳死による臓器移植にしても、死体はモノだという考えだと思います。
車が壊れて廃車になっても、使える部品は有効に利用しないともったいない。
同じように、人間が死んでも使える部分は、鳥に食べさせたり、臓器移植したりして使えばいい、そういう理屈でしょう。
だったら、食べるものがなければ人肉を食べてもOKということになるはずです。

森岡正博『生命観を問いなおす』に、「脳死になった人は死んでいるのだから、脳死の人を人体実験に使ってもいいはずだという考え方が出されています」と書かれています。
「もう生きた人間とは呼べない(と法律が考える)「脳死の人」」を、新薬のはたらきを調べるためや人工臓器の性能を調べるための実験台、血液や臓器の供給源として、あるいは診察や実習の訓練のために利用しようというわけです。
実際に人工心臓の実験に脳死の人が使われたそうです。
「アメリカでは、死んだ人間の身体をバラバラに分解して、それを心臓弁や骨や皮膚や細胞などのパーツごとに収拾し、使いやすいように加工して、医療の材料として売りさばく商売があります」
『生命観を問いなおす』は1994年発行ですから、事態はもっと進んでいるでしょう。

森岡正博氏は、原始仏教の基本教理によると「他人の臓器をもらってまでも生き延びたいという発想は、この世での生に対する過度の執着にもとづいている。(略)臓器移植を望むことは、そういう執着を助長し、火に油を注ぐようなもの」であり、これが臓器移植への解答だと思うと書いています。

たしかに無我を「我執を離れる」という意味と受け取るなら、臓器移植してまで長生きしたいと思うのは我執そのものです。
しかし、執着ということで言えば、献血や骨髄移植も「生き延びたいという発想」によるものですからダメということになります。
どこで線引きをするかということになりますが、脳死による臓器移植は明らかに「過度の執着」です。
臓器移植と無我と日本仏教と結びつけるのは、落語の三題噺みたいなもので、無理があると思います。

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司馬遼太郎「心と形」1

2012年12月05日 | 仏教

知人から司馬遼太郎「心と形」を勧められたので、「心と形」が収められている『春灯雑記』を読みました。
たまたま同じころに読んだ遠藤周作『私にとって神とは何か』に、「なぜ仏教ではなく、キリスト教を信じつづけるのですか」と問われた遠藤周作氏が、仏教についてこのような説明をしています。
「仏教では、この世にあるものはすべて頼りがたいものである。それ自体で存在しているものはひとつもない、お互いもたれ合っている、それが空だという考えでしょう。すべての頼りがたいものを放棄して、煩悩、執着、つまり欲望―五蘊悪性というか、そういう執着するものを捨ててしまって仏にすがる」

私は不勉強で、五蘊悪性とはどういうことか知りませんが、遠藤周作氏の言ってることはおかしいです。
煩悩や執着を捨てることができるなら、わざわざ仏にすがる必要はありませんから。

その点、司馬遼太郎氏は「原始仏教には救済の思想はありませんでした」と明快です。
「仏が人間を救済してくれるという要素は、大乗教典以前にはほとんどありませんでした」
仏教にはもともと救いは説かれませんでしたが、大多数の人は煩悩や執着を捨てることは不可能です。
そこで大乗仏教で利他が説かれるようになりました。

では、救いとは何か?
司馬遼太郎氏にとって救いとは浄土往生なのでしょう、「心と形」でこういう問いを発します。
「私の家の宗旨は浄土真宗ですから、死ねば私はお浄土へゆくことになります。しかし、私を構成している何がゆくのでしょう」
なぜこのように問うかといえば、仏教では霊魂を否定するからです。
「仏教そのものが、人間には霊魂があって、肉体がある、というようなキリスト教的な霊的二元論はとっていません。
そうなると、親鸞思想(浄土真宗)にあっては何がお浄土にゆくのか、朽ちはててゆく肉体をふくめてぜんぶがゆくのか、という点で、あいまいさが残るのです。
浄土真宗にかぎらず、本来の仏教にとっては霊魂(アニマ)などは存在しません。
先祖が冥々裡に現世に影響をあたえるという意味での祖霊思想も仏教にはありませんし、菅原道真の怨霊がたたりをおこなったという御霊思想も、むろん存在しません」

「心と形」は東北大学医学部同窓会総会での講演をもとにして加筆されたものです。
おそらく臓器移植について話をしてほしいと頼まれたのではないでしょうか。

司馬遼太郎氏によると、キリスト教は肉体と霊魂(ソウル)の二元論です。(私は、キリスト教では人間は「肉体(ボディ)」「精神(ソウル)」「魂(スピリット)」の三つで構成されると、どこかで読んだことがありますが)
「キリスト教的な人間理解の観念にあっては、死は単に肉体という道具の崩壊にすぎません」
死によって肉体が滅びても、霊魂は天国に行くので、もはや不要となった臓器を提供することに抵抗を感じない、ということでしょう。

では、自分の臓器を提供しようとする日本人が少ないのはなぜか。

「ひょっとしたら、十三世紀以後、怠けつづけた日本の仏教界のほうに問題があるのではないでしょうか」と司馬遼太郎氏は言います。

なぜかというと、仏教では無我が説かれます。
「〝我〟は絶対的に実在しているものではなく、〝縁起〟として(関係として)存在しているだけのものだ」

司馬遼太郎氏は中村元『仏教語大辞典』「無我」の項を引用します。
「我ならざること。我を有しないこと。われというとらわれを離れること。我でないものを我(アートマン)とみなしてはならないという主張。われという観念、わがものという観念を排除する考え方。アートマンは存在しないこと。霊魂は存在しないこと」

自分の体は自分の所有物ではない、我執を離れよと仏教では説かれているのだから、臓器を他の人のために役立ててもいいようなものですが、日本ではそういうことにはならないのは、無我という仏教の中心思想をきちんと説いてこなかったからだということでしょう。

司馬遼太郎氏はさらに日本仏教を批判します。
「寺領をもたない寺が、葬式をはじめたのも、室町時代からだと思います。そんな室町時代でも、さすがに僧位僧階を持った正規の僧は葬式をつとめたりはしませんでしたが、私度僧、聖とよばれる人々が、死者をとむらっていくばくかの金を得るようになりました。(略)
さらには、仏教としては信じがたいことに、寺がその境内に墓地をもつようになったのです。
寺が、死霊(仏教にはこの概念はありません)たちの管理をするようになったのです。驚天動地の変化でありました」
たしかに、インドや中国では僧侶が葬儀を執り行うことはなかったし、骨にこだわるのは執着ですし、ましてや追善供養という考えは仏教には本来ありません。
「いずれにしても僧や寺が食べるために教義を変えた、というのはよろしくありません」

このようにきちんと説明しながら、はっきりと意見を述べるところが司馬遼太郎氏の人気の秘訣でしょう。
でも、司馬遼太郎氏の意見には納得できない点もあります。

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辻邦生『ある生涯の七つの場所』

2012年12月01日 | 

ずっと以前、辻邦生『霧の聖マリ』(1975年刊)から3冊ぐらいを読んだ『ある生涯の七つの場所』は連作短編集(?)で、プロローグとエピローグを合わせて100の短編、全8巻。
ふと思い出しで全冊を読みました。

1巻目の『霧の聖マリ』のあとがきによると、1920年代から戦後までの40年間の話になる予定で、一人の主人公の幼年から老年までがタテのストーリー、7色で幼年期から少年期、青年期、壮年期、老年期が語られます。
ヨコのストーリーもあって、「黄色の場所からの挿話Ⅰ」「赤色の場所からの挿話Ⅱ」というように、Ⅰ群の挿話シリーズ、Ⅱ群の挿話シリーズというように別の主人公14人の物語もある、という構成です。

もっとも、実際にはそのようになっておらず、それぞれの群の挿話シリーズに共通する人物がいるわけではありません。
とはいえ、最初は関係のなさそうなエピソードが、読み進むにつれて見知った名前や思いがけない名前が出てきて、こういうつながりがあるのかという発見が楽しい。

しかし、名前が同じでも、同一人物かどうか、関係があるかどうかが不明な場合が少なくないんですね。
ゲオルグが同一人物で、弓子(3人いる)は別人だとはっきりわかるからいいけど、ミッシェルやアロンソなどは別人かどうか判別しがたいし、瀬木という姓の人物が4人出てきて、どういう関係かは書かれていない。
英二(従兄)の姉の婚約者はアメリカで苦学していた「高村」で、良子(英二の姉)の夫「高村富士雄」は陸軍大尉。
ウィリーに小説を書くように勧めたのが高校教師のウィリー・カーペンター。
わざわざ同じ名前にしたのは深い考えがあってのことなのか、うっかりなのか。

8巻目『神々の愛でし海』(1988年刊)には、プロローグが別刷りで付けられていて、次のことがわかります。
1931年(昭和6年)父がアメリカに行く
1936年(昭和11年)2月 父のヨーロッパ行き
1936年(昭和11年)7月 革命記念日のデモ
1939年(昭和14年)9月1日 私に長男誕生

ところが計算が合わない。
父が渡米した昭和6年に「私」は13歳(中学受験前だから小学校6年)。
となると、長男が生まれた昭和14年には21歳ということになる。
しかし、中学が4年、高等学校が3年、そして大学は1年留年し、出版社に勤めてから大学の講師になっているわけで、21歳ということはあり得ない。

それと、一人の主人公なんだから、日本に住む「私」とフランスにいる「私」は同一人物かと思ってたら違ってました。
では、フランスにいる「私」は何者かというと、1939年に生まれた息子なんですね。
恋人のエマニュエルがアメリカから4年ぶりにパリに戻った時、「私」は新聞でカミュ(1960年死亡)の論説を読んでいる。
エマニュエルも「もちろん第二次大戦の直前に生まれた」とありますから、年はほぼ一緒。
ということは二人とも20歳ぐらいなわけですが、「私」はエマニュエルがアメリカに行く直後から大学で教えてる。

『神々の愛でし海』のあとがきで辻邦生は「ただ一つお詫びしなければならないのは、この短編連作の第一巻『霧の聖マリ』の「あとがき」で、この短編連作全体がある一人の主人公の生涯であると書いていることです」と断っています。
当初は同一人物として書いていたが、「私」の父や息子の話にスペイン内戦(1936年~1939年)をからませようとして、無理が生じたのかもしれません。
「ぼく」(「私」の孫)がスペインに行った時が、スペイン内戦50周年。
あるいは、昭和49年から15年間かけて書き続けたので、最初の予定とは違ってきたのかもしれません。

もっとも、一番最後の小説「桜の国へ そして桜の国から」(エピソードの前)に、「私は幼少時はほとんど祖母と一緒に暮した。こうした生活は、私の高校二年の年に祖母が死ぬまで続いた」とあるのに、その数ページ後には「祖母が亡くなったのが、私がフランスにいってからあとだった」と書かれていて、いくらなんでもいい加減じゃないかと思いました。
こちらもお詫びしてほしいものです。

辻邦生は細かいことにこだわらない性格なのかもしれないですが。

私 ドイツ文学者
私(父)農業政策の調査でアメリカへ
私(息子)エマニュエルの恋人、宮部音吉の研究者
ぼく(孫)1965年生まれ

黄の場所 私(息子)とエマニュエル前編(スペイン内戦から20年後)
赤の場所 私の小学校から中学校まで
緑の場所 私(息子)が宮部音吉の足跡を調べる
橙の場所 私の高等学校時代
青の場所 1~11は私(父)のアメリカとパリの見聞、12~14は日本にいる私
藍の場所 スペイン内戦とゲオルグ
菫の場所 私(息子)とエマニュエル後編(4年後)

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