三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

朝山実『アフター・ザ・レッド』2

2012年09月27日 | 

連合赤軍はなぜ仲間をリンチしたのか。
朝山実『アフター・ザ・レッド』によると連合赤軍のメンバーは山には入るにあたって、詳細を知らされていない。
だから、キャンプに行くような軽装のものもいたし、着替えを持参していなかった人が多かったし、赤ん坊を抱いて夫婦で入ったものもいた。
加藤倫教「あとから参加したひとたちは、『参加したいやつは手をあげろ』と言われたりしたわけではない。来いと言われてきただけだというのが半分くらい。そういうひとは、いやになったら逃げようとしますよね。逆に、そういうことがトップのひとたちには、わかっていた。半ば強引に集めたという意識があるもんだから、逃げるんじゃないかと疑心にかられるんでしょう」
なぜ山には入るのかという意識の違いも事件の要素の一つということである。

革命が成功したらどんな世の中になると思っていたか。
前澤虎義「成功したら……。俺たちは、人民民主主義革命といっていたから、社会主義と資本主義の間くらいの体制をまずつくって、それを社会主義に変えていく。ただ、ソ連が崩壊し、中国が変質していくのを見て、これは難しいと思いましたね。
ホームレスや失業者のいない社会を目指すというのはありましたけど、それをどうやって実現するのかというところでは、ヨーロッパのワークシェアリングがあっているのかなぁといまは思いますけど、あの当時はそういうことを具体的に突き詰めて考えたりはしなかった」

加藤「そこはねぇ、当時は考えてなかったと思います。機関紙の頭のところに、スローガンが書かれていて、要約すれば、平等な社会、平和な社会をつくろうということになるんだけど、それは概念で、具体的にどうするか、個別のことは考えているひとはいなかったんじゃないでしょうか」

植垣康博「いや、ぜったい失敗していたでしょう。ポル・ポトのような世界になっていたでしょうから、ならなくてよかったんだと思う。何百万という人間を殺してしまうハメになっていたかもしれない」
この回答はいずれも面白い。

加藤倫教さんはこうも言っている。
「名古屋のある政治組織のひとたちに呼ばれて、環境保護活動について講演したあとに、あなたがたは権力を取ったらどういう社会をつくろうとしているのかと訊いたことがあるんですが、わからないというんですよね。政治権力を取るというのが目的になっていて、具体的な社会のありようについて、どうしたいのかということは後回しになってしまっている」

日本を変えると言う人はいるが、どのような社会にしたいのか、そのためにはどうしたらいいのか、そこがはっきりしていないように思う。
世の中が閉塞しているのは○○のせいだと仮想敵を作り、こうしたらすぐにでもよくなるという、そんな耳に快い言葉に酔い、ムードに流されるようでは、連合赤軍のことを笑えない。

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朝山実『アフター・ザ・レッド』1

2012年09月24日 | 

連合赤軍事件とオウム真理教事件は、私にとって気になる事件なので、何冊かの本を読んだ。
朝山実『アフター・ザ・レッド』は最近読んだ本。
連合赤軍に関わった前澤虎義、加藤倫教、植垣康博、雪野建作の4人へのインタビュー。

なぜ仲間をリンチして殺したのか、私がその場にいたらどうしただろうか、ということを考えていたので、リンチ事件に関わった3氏の話は興味深かった。
だけど、ますますわからなくなった。

前澤虎義さん

朝山「総括のときには殴ったりはしたんですね」
前澤「しました。絶対命令の雰囲気があったのと、正直腹も立つんだよね
彼らは半ば、誘導尋問にひっかかって、あれやりました、これやりましたと言わされるんだけど。聞いていると、みんなが一生懸命やっているときに、なにやってんだコイツラはというのもあるんですよ。永田や坂口から求められているものを言い出すんだよね。それで、なんかわけわからないうちに、自分が仲間を殴るということにも腹が立つし。なにやってんだオマエらはというのもあるしで、ともかく腹が立つんですよね」

二度目のインタビュー。
朝山「なんだか、不条理なシゴキみたいですよね」
前澤「それは違うんじゃないのと納得できずにいるんだけど、ただ感情的なものもあって。(略)
言ってみればフラストレーションがたまっているところに、つまんない問題を出されるとイライラッとくるわけですよ。総括しろと言われているのに、その夜に、こっそりキスしたとか、オッパイもんでいたとか。『あんたたち、こういうことを許していいの』と言われると、『このヤロウ、何やってんだ。おまえのせいで、肝心のことが先延ばしになるじゃないか』と。
被総括者というか、やられたひとに対する怒りはあったんだよね。
それで、一人目が死んだあとも、二人目、三人目と同じように追及されて、同じような答え方をする。なんで一人目のときに、そんな答え方したらダメだっていうのがわかんねぇのかというのもあるし。共産主義化がどうのじゃなくて、こんなときに何やってんだよ、というのがあったと思う」

植垣康博さん
朝山「なぜ仲間を次々と死に至らしめるあのような展開になったのか、わからないんです」
植垣「それはねぇ、山の総括について、追い詰められて内部で殺し合いをやっちゃったという、よくそういうふうに言われるんだけども、僕は、あれは森さんにとっての一つの挑戦だったと思うんです。新しい闘いを切り開くための」
新しい闘いを切り開くために仲間を殺して、それからどうするつもりだったのだろう。

連合赤軍の指導者は森恒夫と永田洋子だった。
森恒夫には異論や反論をすることができない状況だったと、前澤虎義氏は言う。

前澤「森が話をするときは、とうとうとしていて、有無を言わせずみたいにして圧倒されるところはありましたね」

植垣康博氏も同じことを言っている。
朝山「最高指導者が、みんなを前にして指示したものに対して、公然と異論を挟むというのは、できづらい環境にあったということですか?」

植垣「ほとんどできなかったね。山には入ってからは、直接森さんが指示するようになって、俺たちはまったくペイペイの兵隊扱いになってしまったから、僕がどうしようとしまいと状況は変わらなかった」

赤軍派では指導部は雑用はしなかった。
植垣康博氏たちがご飯を作ったり、生活の面倒をみていた。
山に入っても、道を造ったり小屋を建てたりといった作業も森恒夫はしなかった。

加藤倫教さんはお兄さんがリンチで殺されている。
「正直、真っ白。わからないですね。政治的な評価の仕方はあるにしても、人間的にどう評価していいのかわからない。僕にとっては、永田さんみたいにわかりやすいひとではなかったですね。(略)言っていることは、トンチンカンなことだし」
「森さんは、いまだによくわからない。頭でっかちの理論派で、外見はいかついお兄さんというくらいで。しかし、ひとによっては臆病なひとだったというひとがいるし」

では、永田洋子はどんな人だったのか。
植垣康博氏はそれなりの評価をしているが、加藤倫教氏は永田洋子に厳しい。
加藤「僕から見たら、あのひとは卑劣なひとにしか思えないんです。個人的な趣味や性格をとりあげて、改めようのないことを反省しろというのは問題だと思うんです」
「永田さんというのは、言動を見ているとわかりやすいひとだったんです。強く導いてくれるひとがいると、それに従おうとする」

私は森恒夫の責任は重大だと思っているのだが、当事者の考えは違うらしい。

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忙中 閑あり

2012年09月21日 | 青草民人のコラム

青草民人さんです。

閑けさや 岩にしみ入る 蝉の声

日本人の感性は、動と静。強と弱、陰と陽のように、物事を対比させて、表現することが多いです。松尾芭蕉のこの有名な俳句も、騒々しい蝉時雨のなかで、他の音を一切受け入れることのない世界を「閑けさや」と表現しています。

ここで、「しずけさ」を「静けさ」と表現しないことも、注目すべきことです。  
「静けさ」というとらえかたは、音を意識的にとらえた表現ですが、「閑けさ」という表現は、状況の表現ではなく、心の内面を表現した言葉です。 
辺りは、騒々しい蝉時雨なのに、心の内面は音のない、閑寂とした世界に芭蕉は身を置いているのでしょう。

「忙中閑あり」という言葉があります。
「忙しい」という文字は、「忄」に「亡」と書きます。「忄」は「りっしんべん」といい、部首では「心」を表します。「亡」は「なくす」「うしなう」「消え去る」という意味ですね。「忙しい」という文字は、まさに「心」を「亡くした」状態をいうのです。

人は、忙しい状態に陥ると、ついつい心ない発言をしてしまったり、行動を取ったりしてしまうものです。また、自分勝手に物事を考えたり、他人の言動を不愉快に思ったりもするものです。自分のことしか見えずに、他人のことを思いやることを忘れてしまいます。

『淨土論註』という曇鸞大師の書物に、「蟪蛄 春秋を識(し)らず」という言葉が出てきます。蟪蛄(けいこ)とは、夏の終わりに鳴く蝉のことです。日本でいえばツクツクボウシでしょうか。
蝉は、長い間土の中で暮らします。七年間といわれていますが、外の世界に出て鳴くのはわずか一週間だそうです。
夏の暑いさなかに外に出てきた蝉は、自分が今いる季節を夏だとしりません。それは、春も秋も識らないからです。

この喩えは、十念という、経の言葉をたくさん念仏をしないと往生できないと、念仏の回数ばかりを問題にしている人を蝉(何回も鳴く)に喩えて批判している場面で用いられています。念仏は、心を凝らし、想いを注いですれば、回数は問題ではないということをいっているのです。

忙しい状態の私は、忙しいという状況の中に身を置いているので、周りの状況が見えなくなっています。『おー忙しい、つくづくおー忙しい』と鳴いているツクツクボウシのようです。蝉の声を「閑けさ」やと詠んだ芭蕉のように、感性豊かな暮らしをしたいものです。樹心が書けるこの夏休みの季節は、まさに忙中の閑かもしれません。

皆様、この残暑、ご自愛ください。次号はいつに…つくつく。

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石射猪太郎『外交官の一生』

2012年09月17日 | 

石射猪太郎は陸軍嫌いだったらしい。
「(海軍は)陸軍に比べるといちじるしく保守的であり、非謀略的であるので、私はこれと親しむことができた。ただ兵員の不注意から、中国人や諸外国人に及ぼした損傷の責任を男らしく認めようとせず、反対に他から加えられた損害はしつこくこれを追究してやまないという、海軍は陸軍なみの病を持っていた。(略)
私が上海で見た海軍は、犯罪性を持たない正直者、陸軍はここでも智能犯性を持った悪漢であった」
とはいっても個人的に親しい軍人もいて、柴山兼四郎中将には好意的である。

『外交官の一生』には石射猪太郎のいろんな人物評が書かれており、柴山兼四郎のようにほめている人のほうが多いのだが、悪口のほうが面白いので、いくつかご紹介。

松井石根。
「松井石根将軍も、一、二度やって来た。大アジア主義なるものを中国人に押し売りするので、至るところ気まずい話題を醸し、その来遊は中日国交上有害ですらあった」

先輩である広田弘毅。
「この人が心から平和主義者であり、国際協調主義者であることに少しも疑いを持たなかったが、軍部と右翼に抵抗力の弱い人だというのが、私の見る広田さんであった」

そして近衛文麿。
「私は近衛人気に好意を持てなかった。かねがね近衛公の側近者方面から洩らされた消息を総合すると、「本領のないインテリ」以上に公を評価し得なかったからだ」

へえっと思ったのが、大谷光瑞。
「何を聞いても知らないことのない博学と、その独創的な対外強硬論とに随喜する者もあったが、異常性格のゆえに識者からは鼻つまみにされ敬遠された。そのなめらかな京都弁と、腰の低さにつられて、こちらから狎れ狎れしい態度に出ようものなら、たちまち不興を蒙って、どこかで仕返しを受ける。(略)陰ではみんな光瑞坊主と呼びながら、面と向かっては猊下猊下と奉った」
杉森久英『大谷光瑞』にはこんなことは書かれてなかったと思う。

吉林総領事時代に満州事変が起きている。
「将士の生理的需要に応ずるために、多数の朝鮮婦人が輸入されたが、商売は繁昌しなかった。東北農家の窮乏を反映して、兵達の多くが給与を郷里送金するからであった」
慰安所の設置は上海事変以降らしい。
となると、吉林の娼家の話なのだろうか。

国際連盟がリットン勧告案の票決をしたとき、反対は日本だけ、棄権はタイの一票だけだった。
タイが日本に好意を持っていたためだと思ってたら、そうではないそうだ。
シャム公使時代のタイの友人の話によると、「国際連盟でのリットン勧告案の票決にしても、イエスと投ずれば日本がこわいし、ノーと投ずれば、国内二百五十万の華僑が納まらない。やむなく無難な棄権へと逃避したのだが、それを日本への行為の表示ととられたのは、自分らの全く意外とするところであった」ということである。

『外交官の一生』を読んで、大変だろうなと思ったのが、海外勤務のほとんどが単身赴任だということ。

アメリカに赴任した時は長男と長女を両親に預けて、妻を連れているが、出産のために妻は日本に帰っている。
子供と共に生活した時間はほとんどないのではないかと思う。
亭主元気で留守がいい。
もっとも給料が驚くほど安かったそうだが。

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「預言者侮辱」に抗議 領事館襲撃で駐リビア大使ら4人死亡

2012年09月13日 | 戦争

米国で制作された映画がイスラム教の預言者ムハンマドを侮辱しているとして、リビア東部ベンガジの米領事館に11日、抗議に押し寄せた群衆の一部が対戦車砲を撃ち込み、ロイター通信によると、駐リビア大使と職員3人の計4人が死亡した。米メディアによると、公務中の米大使が殺害されるのは1979年以来という。
 オバマ米大統領は同日、「非道な攻撃だ」と強く非難した。エジプトの首都カイロにある米大使館前にも11日、数千人が集まり、一部が敷地内に侵入して米国旗を引きちぎった。米国への抗議が他のイスラム諸国に飛び火する可能性もある。
 問題となっているのは昨年、米国で制作された映画「ムスリムの純真」で、俳優が演じるムハンマドは強欲で好色な人物として描かれている。
 偶像崇拝を禁じるイスラム教では、一般的に神や預言者の姿を映像化することはタブーとされており、インターネットの動画投稿サイトに掲載されたこの映画のアラビア語版の一部が今月、テレビで紹介されたことなどからイスラム世界で強い非難を呼んでいた。
 米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)などによると、映画はイスラエルと米国の二重国籍を持つビジネスマンがユダヤ人から500万ドル(約3億9千万円)の寄付を募ってプロデュースした。一昨年9月にイスラム教の聖典コーランを焼却すると宣言し物議を醸した米フロリダ州のテリー・ジョーンズ牧師も宣伝に関わっていた。産経新聞9月13日

ムハンマドを侮辱する映画を作れば、イスラム教徒がどういう行動を取るかわかっているはず。
それなのに、わざわざ映画を制作するのは確信犯である。
だからといって、アメリカ領事館を攻撃していいという理屈にはならない。
それで思ったのが、石射猪太郎『外交官の一生』に書かれてある事件である。

石射猪太郎(明治20年~昭和29年)は外交官として

『外交官の一生』は昭和25年に出版された。

石射猪太郎の上海総領事時代、中国の週刊誌「新生」が「日本、イギリスの各皇帝は骨董品」という記事を書いたことに対して、不敬事件だとして上海の邦字紙が書き立てた。
イギリスの対応はどうかというと、「イギリス皇帝にも悪口をあびせているにもかかわらず、イギリス人社会は静まりかえって音もたてない」
イギリス総領事は「イギリス国皇帝の地位はわれわれイギリス国民が一番よく了解している。外国人がどんな批評を加えようと問題でない。『新生』の記事なんか、イギリス国民の神経には少しも感じないのである」と語ったという。

石射猪太郎「私は過去の事例で、不敬事件や国旗侮辱事件を騒ぎ立てるほど逆効果を来す馬鹿げたことはないと思っていた。(略)政治家・右翼が事件を利用し、言論機関がきまってこれに迎合し、事を大きくするのが、いつも取られるコース」

中国大使が乗っている公用車の国旗を奪った事件に対する日本政府の対応は手ぬるいと、私は思ってた。
しかし、石射猪太郎が書いている国旗侮辱事件がどういう事件だったのかわからないが、「騒ぎ立てるほど逆効果を来す馬鹿げたことはない」という文章を読み、頭を冷やされた思いがした。

石射猪太郎によると、霞ヶ関正統外交は「国際協調主義」「平和主義」「対華善隣主義」である。
ところが、幣原外交は軟弱外交として非難され、政党や国民は強硬外交を喝采した。
「一時、国民外交が叫ばれた。国民の世論が支柱となり、推進力とならなければ、力強い外交は行われないというのだ。それは概念的に肯定される。が、外務省から見れば、わが国民の世論ほど危険なものはなかった。政党は外交問題を政争の具とした。言論の自由が暴力で押し潰されるところに、正論は育成しない。国民大衆は国際情勢に盲目であり、しかも思い上がっており、常に暴論に迎合する。正しい世論の湧こようはずがないのだ」


一例として、1940年1月に起きた浅間丸事件(浅間丸が房総半島沖でイギリス軍艦の臨検を受け、ドイツ人乗客が連れ去られた)について、石射猪太郎はこのように書いている。
「イギリス軍艦としては、国際法上認められた権利を行使したまでのことであったが、日本の強硬論者が騒ぎ立てた。たとえ領海外の臨検であっても、いやしくも富士山の見ゆるところでのこの権利行使は許しておけないと怒号し、合理的に問題を解決しようとする政府の態度を軟弱外交だとして責めた」

石射猪太郎が「国民大衆は国際情勢に盲目であり、しかも思い上がっており、常に暴論に迎合する」は国民を愚民視するもので賛成できないが、吉林総領事時代のこんな経験をしているからかもしれない。

満州事変が起き、「長春から鉄路三時間かかる吉林は、一朝擾乱する時は孤立無援となる。居留民の不安がるのも無理はなかった」
「わが居留民も動揺し始め、民団幹部がやって来て、せめて居留民と婦女子だけでも吉長鉄道が通じている間に長春方面に移したいという」
日本機が飛んできて、第二師団が吉林に向かって進軍中だとわかる。
「今まで脅えていた居留民はこの瞬間から強気になり、中には日本刀を腰にして寄らば切るぞと肩で風を切る者もいた」
「居留民は第二師団進駐の瞬間に、私から離反した。事変前の総領事は、居留民の生命財産の保護者として彼ら社会の中心をなしていたのであるが、今や吉林省官民が軍の威力の前に屈従している以上、総領事の存在は居留民の必要とするところでなくなったばかりか、軍に接近して総領事を非難することが、彼らの利益となってきた」

先日、某氏と話してて、「尖閣諸島を国が買っても、中国や台湾が認めるわけがない」と言うので、某氏を対中強硬派と思ってた私は驚いた。

国有地になることによって、外交上、何かプラスがあるのだろうか。
浅間丸事件や国旗侮辱事件と、尖閣諸島や竹島の問題とを同一に論じることはできないが、強硬な態度を取れば国民は喝采し、話し合いで解決しようとすると非難するのは、今も昔も同じ。
お互いがエスカレートしたらどうなるかは、今回のおバカ映画騒動を見ればわかるというものである。

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櫻井義秀『霊と金 スピリチュアル・ビジネスの構造』5

2012年09月09日 | 問題のある考え

インチキ宗教にだまされているとしても、本人がそれでいいと思っているのなら、はたの者があれこれ言うべきじゃないという意見がある。
たとえば、サラ金から借金をして某宗教に何百万円かの寄付をした人がいて、本人が「某宗教に救われた」と言っているのだからそれでいいのか。
北朝鮮でもそうで、国民が苦しい生活を強いられていても、幸せと思っているのならそれでいいのか。
だまされていることを教えてやるべきか、本人の好きにさせるべきか。

櫻井義秀『霊と金』にそのことについて書かれてあった。
「このような問題点に対して、「ヒーリング・サロンで効用があったと納得している顧客もいる以上、神世界を違法なヒーリング商法をなす団体とみなすことはできないのではないか」という現在の顧客や、一般読者の方もおられるかもしれない。(略)「当事者が納得しているのならばいいではないか」という論法は根強い。(略)
副作用を訴える患者が続出する薬を使い続ける医師や製薬会社、或いは中毒症状を訴える市民が出るような食品を販売し続ける会社が社会的に許容されるだろうか。「治った」という人がいれば、治らずに症状を悪化させた人がいてもそれで良しとされるだろうか」

客観的に見て明らかに問題があるのに、マインド・コントロールによっておかしいとは思わなくなることがある。
マインド・コントロールとは、相手のビリーフ・システム(信念体系)を変容させることで、相手を自分の意のままに動かすことである。
本人がだまされているという自覚がなく、それで満足しているのは信念体系がマインド・コントロールによって十分に変容しているからである。

マインド・コントロールが解けて、それでも「かまわない」というのであれば、本人の自由かもしれない。
だけど、そういう人はいないんじゃないか。
統一教会の被害者が「青春を返せ裁判」を提訴したように、普通は腹が立つし、だまされる人がいなくなるよう行動すると思う。

マインド・コントロールとは違うかもしれないが、『霊と金』に、強烈な心理的圧力をかけずにソフトなお願いだけで、どのようにして献金させることができるのか、ということについて書かれてある。

統一教会の信者たちは統一教会特有の用語と論理を共有しており、一つの言語に一つの感情、一つの言い回しに一つの論理が自動的に連結するようになる。

だから、救済のキーになる言葉を語ることで献金させることができるそうだ。
「統一教会の論理だけで回る生活が長期に及んだ一般信者や、祝福家庭を形成した家族は、統一教会の思考の枠から抜け出すことをおそれ、自縄自縛の状態が継続するのである」

山本直樹『ビリーバーズ』というマンガはオウム真理教などをモデルにしているが、ある団体の3人の会話は他では通用しない、内輪だけの言葉の羅列である。
連合赤軍に山本直樹氏は触れているが、連合赤軍事件の手記を見ても、「共産主義化」とか意味不明の言葉を大切にしている。

すぴこん(スピマ)でのスピリチュアル・ビジネスを信じる人がいるのは不思議だが、これも統一教会やオウム真理教、連合赤軍などと同じことで、スピリチュアル業界でしか通用しない言葉、論理にずっぽりとはまっているために、おかしいとは思えなくなっている。

そのことがスピリチュアルに批判的な意見に耳をふさがせ、スピリチュアルの仲間から離れることができなくさせているのではないかと思う。

櫻井義秀氏は20人以上の元統一教会信者に聞き取り調査を行っている。

「彼らが比較的明確に回想できるのは、入信前後から統一教会員として自覚を深めるまでの期間と、宗教活動に疑問を抱き脱会して、その後社会復帰するまでの期間である」
統一教会にはまり込んでいる時は、自分で考える余地もなければ、その必要もないから、その間の記憶が曖昧になるらしい。
「もっと言えば、被害を受けた人達の記憶ですらこのように曖昧になっているのだから、加害の側にあって霊能師の役割を演じて何十人、何百人相手に因縁の話を説いてきた統一教会信徒の記憶も実に曖昧なものである」
加害者もマインドコントロールされているわけで、被害者だと思う。
となると、誰の責任になるのでしょう。

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櫻井義秀『霊と金 スピリチュアル・ビジネスの構造』4

2012年09月06日 | 問題のある考え

『映画で学ぶ現代宗教』に、ドリュー・エリオット『ザ・シークレット』(2006年)という「引き寄せの法則」についてのドキュメンタリー映画が取り上げられている。
古代バビロニアから「引き寄せの法則」は秘密にされていたが、プラトン、シェークスピア、ニュートン、アインシュタインたち、歴史上の偉人はこのシークレットを知っていた。
では、「引き寄せの法則」とは何か。
前向きで明るい思考は、前向きで明るい現実を引き寄せるということである。
なんだ、アホらしいという秘密なのだが、『ザ・シークレット』のDVDと同名の書は大ヒットしたんだそうだ。

ポジティブ・シンキング(プラス思考)とは楽観的な考え方という意味にとどまらず、楽観的、積極的な考えをしたら物事がいいようになるという信仰で、「心が世界を変える」というニューエイジの中心教義の一つ。
ポジティブ・シンキングは、「思考は現実化する」という19世紀以降アメリカで広まったニューソート(新思潮)、そしてニューエイジの流れにあるそうだ。

『ザ・シークレット』の解説を書いた小池靖氏はニューソートについて、このように説明している。
「1980年代にはチャネリングや自己啓発セミナーによってニューエイジ運動が起こり、そうした運動は現在のスピリチュアル・ブームを形作っていったが、ニューソートは、思想的にもそうした運動の先駆けであった。(略)
精神的安定、健康、そして物質的成功までもが、人間と宇宙との調和によってもたらされると説いた。聖書に基づく病の癒しを説いたクリスチャン・サイエンスは、ニューソート系の団体である。日本の新宗教では、生長の家がニューソートの影響を受けている」
谷口雅春氏は、日本がアメリカに負けたのは日本人が勝てると思わなかったからだと言ってたそうだ。
戦争に勝つという強い信念を持てば必ず勝つというのは精神論だと思ってたが、ニューソートだったんですね。

小池靖「良いことを思えば良いことが起こり、自分自身を強く信じていれば夢はかなうといった発想は、今やアメリカ大衆文化に広く浸透している」
なるほど、アメリカ映画は「なせばなる」「やればできる」というメッセージを発信しつづけている。
ニューソートとキリスト教福音派とは関係があるのか、そこらも興味深そうである。

小池靖「ポジティブな思考がポジティブな結果を生むという考え方は、自己啓発書ではもっともありふれた発想である」
たとえば、五日市剛「ツキを呼ぶ魔法の言葉」という冊子。
ツキを呼ぶためには「ありがとう」「感謝します」と声に出し、汚い言葉は使わない、人の悪口を言わない。
そして、「自分は運が良い」「ツイているんだ」と信じ、それを言葉にしていれば、ツキがやってくる。
こんなお説教がなぜか評判がいいようで、真に受ける人がそれだけ多いのかと、日本の先行きが不安になる。

櫻井義秀『霊と金』によると、神世界の魅力は「ポジティブ・シンキング」と「カウンセリングの需要」(肯定的に話を聞いてもらいたい)ということだそうだ。
神世界の被害者のAさん(女性)のこんな経験。
「サロンに通う間に不思議な体験もした。通りを歩いていて信号機にさしかかると全て青信号になり立ち止まらずに済んだ。レジに並ぶと、自分の所だけ早く進む」
それをスタッフに語ると、「効果が出ましたね」と言われる。
ささやかではあるが、これも「物事をいいほうに考えるといいことがある」という一例である。
もっとも種明かしすると、「人は都合の良いことだけを記憶するものであり、そうした記憶は他人からの肯定で強化される」というだけのことなのだが。

ポジティブ・シンキングは一種のご利益信仰なのである。
小池靖「この映画(『ザ・シークレット』)の考え方は、中産階級の物質主義をあまりにも率直に肯定しているとも言える。実際、24人の証言者たちのうちの1人が、映像の中で「いわゆるスピリチュアルな人々は病気か貧乏な人たちが多い」という本音を漏らしている」

櫻井義秀氏によると、
「ポジティブ・シンキングは、自立・自律するためではなく、勝ち残る・生き残るための短絡的な処世術として日本に浸透」したそうだ。
ヒーリング・サロンに通う女性は専門職やゆとりのある生活をしている主婦が少なくない。
「ミドルクラスの人達は時代の雰囲気に影響されやすい。競争社会でキャリアアップする、自分を磨く、子供にいい教育を与える、健康に気を遣う、こうした事柄に敏感な人ほど日常生活にストレスも抱えている」
小池靖氏もこう書いている。
「こうしたメッセージが受け入れられる背景としては、個人個人の自己実現が叫ばれる社会でありながら、現実にはなかなか思うようには成功できない人々が多くいるということや、競争社会の中での個人の不安の拡大が挙げられるだろう」
で、ヒーリング・サロンにはまってだまされると。

櫻井義秀氏はポジティブ・シンキングについて、「「前向きに生きれば人生は向上する」という考え方は一見、正しい。しかし、少しでも人生経験があるならば、ことはそう単純ではないことも知っているはずだ。そもそも、それでは現在恵まれない生活をしている人は、「考えが後ろ向きだから」そうなっているとまで言えるのだろうか」と指摘する。
もっともな指摘だと思うが、ポジティブ・シンキング信者は聞く耳を持たないと思う。
五日市剛氏の講演を聞いて感動した知人に問題点の指摘をしたら、「感謝の気持ちを持つのがどうしていけないのか」とか「嘘は言っていない」という返事でした。

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櫻井義秀『霊と金 スピリチュアル・ビジネスの構造』3

2012年09月02日 | 問題のある考え

櫻井義秀『霊と金』は、まず神世界について書かれてある。
神世界が運営するヒーリングサロンで多額の金銭をだまし取られた被害が全国各地で発生した。

「ヒーリング・サロンというのは、一見したところスピリチュアリティ・ブームにのった現代的な霊感商法なのだが、日本の新宗教に固有の特徴をいくつか備えている」

神世界は大本から分かれた世界救世教(浄霊・手かざし)の分派である。

なぜ神世界のヒーリング・サロンが短期間に実績を上げられたのか。

櫻井義秀「答えは案外単純だ。「宗教をやめたこと」が成功の元である」
なるほどね、オウム真理教は「ヨガ教室に来ませんか」と勧誘していたし。

ヒーリング・サロンは「何より、敷居が低い」
「ヒーリング・サロンにおいては、本来の神霊治療に付加されていた修養・修行や教会生活を円滑にするための倫理規範が取り払われた」

ヒーラーたちの癒しの技法の特徴
①世界の諸現象を統一的に説明する論理を有している。
世界・宇宙には調和が求められるが、現在は人間の心身を含めて不調和な状態にある。これが身体・精神の病の原因とされる。

②癒しは病の元を除去することにつきる。

西洋医学は対症療法的であるために症状を生じさせる真の病因に迫ることができないと考えられている。
癒しの技法は、人間の力を利用したもの(ハンド・パワー、自然治癒力等)、器械や薬剤を用いるもの(オーラ、波動、パワーストーン、各種健康食品)、超自然的存在の活用(祈り、チャネリング、宇宙エネルギーの活用等々)の類型がある。

③ヒーリングは呪術や妖術に近い。

原因不明の病気や大けがをしたり、自然災害等に遭ったりしたときは、彼らの精神状態をケアすることも癒しである。
病の原因は祖霊の祟りや精霊の仕業、怨みを抱いた人の邪視などだから、霊を慰め、供物を献げ、呪術で相手を懲らしめる。

なぜ現代にヒーリングがはやるのか。

「それに対する一つの解答は、現代人が不可抗力である事態にたじろいだ際に、それを受け止める度量も世界観も失っているからではないか」

「宗教をやめたこと」が神世界の成功につながったということは、宗教の衰退ということだと思う。

病気が治ってあたりまえ、子どもが親の思うように育ってあたりまえ、幸せになってあたりまえ。
人生山あり谷ありと言いながらも、心の中にどこかそういう思いを持っている人は少なくないと思う。
ところが、現実はままならない。
うまくいかないのは何かが邪魔しているからだ、だったら邪魔しているものを取り除けばいい。
邪魔しているものとは霊とか業(カルマ)とかになるのだろうけど。

宗教がちゃんと根づいているなら、世の中そんなものだという、いい意味でのあきらめ(事実認識)があった。
ところが、宗教の影響が衰えるとともに、そうした受けとめ方を忘れてしまい、あやしげなセラピーやヒーリングにはまる人が増えたのではないかと思う。

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