三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

悪はなぜ存在するか(2)

2024年08月04日 | キリスト教
苦悩はその原因が発見されないかぎり、人々を不安にする。(エリアーデ『永遠回帰の神話』)

家族の死や難病、災害に遭う、犯罪被害者もしくは犯罪加害者家族になる、職を失う、親友から裏切られる、など。
そんな時、「何でこんなことに・・・」と思います。

人は苦の原因を知り、苦しみの意味を求め、そうして苦を受け入れようとします。
しかし、「なぜ」という問いの答えはありません。
そうした答えのない問いに応えるのが宗教だと思います。

ジョン・キャメロン・ミッチェル『ラビットホール』は一人息子が交通事故で死んだ母親が主人公の映画です。
夫と子供を亡くした親の会に出席しますが、娘を亡くしたある父親が「娘は天使になって神様のそばにいる」と話すのを聞いて、主人公は「そんなに天使が必要なら、自分で作ればいいのよ。だって神なんだから」とキレます。
神という物語ですべての人が救われるわけではないのです。

キリスト教徒にとって、神は全知全能であり完全な善です。
ところが、神が創造した世界には悪が存在する。
「なぜ世界は理不尽と苦しみに満ちているのか」
「なぜ神は悪を許すのか」
「なぜ神は悪を防ごうとしないのか」
「人間が罪を犯すことを予知できなかったのか」
「罪を犯す人間をなぜ造ったのか」
「神は本当に全知全能で善なのか」
こういった疑問が生じるでしょう。

悪が存在するにもかかわらず、神が正しいことを証明しようとするのが神義論です。
神学にまったく無知の素人なので、以下の論文や本を読んでみました。

本多峰子「新約聖書と神義論の問い」
file:///C:/Users/enkoj/Downloads/%E6%96%B0%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%81%A8%E7%A5%9E%E7%BE%A9%E8%AB%96%E3%81%AE%E5%95%8F%E3%81%84%20(1).pdf
本多峰子「悪の問題にむかう 神学と文学における考察に関する試論」
https://core.ac.uk/download/pdf/229742825.pdf
三宅威仁「神義論の諸相」
file:///C:/Users/enkoj/Downloads/003081020001%20(1).pdf
スティーヴン・T・デイヴィス編『神は悪の問題に答えられるか』

本多峰子「新約聖書と神義論の問い」に、
①神は全能である。
②神は善である。
③この世に悪が存在する。
④神は全知である。
という4つの命題の矛盾を解き、悪の存在は全知全能絶対善なる神の存在や、その神による世界の創造の反証にはならないと示すことが神義論の課題だとあります。

まず、悪とは何かについて。
本多峰子「悪の問題にむかう 神学と文学における考察に関する試論」に、「善と悪の関係について、大きく分けて一元論と二元論が考えられる」とあります。

一元論は、世界を究極的には善と考え、悪は善の欠如、影、対立はするが、結局は善に支配されるものと考える。
宇宙は究極的には調和していると見る。
悪は一見悪に見えても、総体的に見れば善であることがわかる。
『ヨブ記』では、神はサタンに好きなようにさせます。

二元論は、この世を善と悪との闘争の場と考える。
善と悪とはまったく妥協の余地なく対立し、片方が他方を打ち負かすことによってしか克服できない。
二元論はゾロアスター教やマニ教です。
キリスト教は一元論の立場なので、悪が存在することが問題となります。

悪は道徳悪と自然悪の2種類に分けられます。
道徳悪とは、道徳的規範から逸脱した行為によって引き起こされる人間の邪な行為である。
殺人、窃盗、嘘、傲慢、嫉妬、貪欲、争いなど。自然悪とは、自然の災害や病気によって引き起こされる痛みや苦しみである。
地震、疫病、飢饉、洪水など。

こうした悪はどうして起こるのか、宗教はさまざまな答えをしています。
本多峰子「悪の問題にむかう 神学と文学における考察に関する試論」で、「神が全能かつ善であるならば、なぜ悪が存在するのか」という問いに答える選択肢を4つあげています。

①神は全能でありしかも善であるが、それと悪の存在は矛盾しない。
②神は全能であるが、完全に善であるわけではない。
③神は善であるが、全能ではない。
④神は善ではないし、全能でもない。

①の「神は全能でありしかも善であるが、それと悪の存在は矛盾しない」という見方を保持する立場には次のようなものがある。
a われわれの苦しみは、神の罰である。
b すべては神の神秘であり、人間の知の及ぶものではない。すべてに神の摂理があると信じて受け入れるべきである。
c 神は人間に自由意志を与えた。人間はその自由意志の濫用で堕罪を犯し、それゆえいま悪がある。(アウグスティヌスの立場)
d 悪の存在は人間の成長の糧となり、人間を完成に導くために不可欠である。(イレナエウスの立場)
e この世は、理論的にありうる限りで最善の世界である。
f 自由意志論と、成長の糧論の混合。
https://core.ac.uk/download/pdf/229742825.pdf
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