三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

悪はなぜ存在するか(4)

2024年08月18日 | キリスト教
③自由意志論「神は人間に自由意志を与えた。人間はその自由意志の濫用で堕罪を犯し、それゆえいま悪がある。(アウグスティヌスの立場)」

アウグスティヌスは悪がなぜ存在するかという疑問の答えとして、自由意志論を提唱しました。
自由意志論を三宅威仁『神義論の諸相』は次のように説明します。
「この世界に存在する悪や苦難は神が作り出したものではない。神の創造した世界にはもともと悪や苦難は存在しなかった。神は人間に自由意志を与えた。自由意志とは道徳的に意味のある決断において善か悪のいずれかを自発的に選び取る能力である。神は人間に善も悪も行い得る能力を授けて、自由に行為するように任せた。しかし、残念ながら人間が自由意志を濫用し、道徳悪を、従って苦難を作り出した。
神は人間に自由意志を与えると同時に、善ばかりを選び取るように強制することはできなかった。自由と強制は論理的矛盾であり、同時に存在することはできない。いかに神でも論理的矛盾を犯すことはできない。
file:///C:/Users/enkoj/Downloads/003081020001-8.pdf

人間は操り人形ではない。
神は人間に自由意志を与えた。
人間が悪を行うことを自分の意志で選んだのだから、神には悪や苦しみに対する責任がない。
とがめられるのは人間である。

自由意志論に対する反論が本多峰子「悪の問題にむかう」に4つあげられています。
ⅰ 自由意志で善のみ行なう者もありうるはずだし、全能の神ならばそのような者のみを作れたはずである。
ⅱ 悪が全くない無垢の状態に作られたものが悪を行なうということは矛盾している。
ⅲ 自由はそれほど与えられていない。人間はそれほど自由ではない。
ⅳ 生物の進化などを見れば人間の進化も、低次から高次へと完成に近づくと見るほうが自然であり、人間がまず完全な形で作られ、堕罪を犯し、それを贖うために神の御子が受肉して十字架にかかったという教義自体信じられない。
https://core.ac.uk/download/pdf/229742825.pdf

「悪の問題にむかう」によると、C・S・ルイスは「神は全能であるが、神の全能もこの堕罪を防ぐことはできなかった」と説明しています。
自由意志を与えておきながら堕罪を犯させないように人間を縛るのは、自由を与え同時に自由を与えないという論理の矛盾だからである。

三宅威仁『神義論の諸相』には、反有神論者の批判への反論が紹介されています。
「全能者は何でもできる」という主張は誤りであり、いかに全能者といえども論理的な矛盾(丸い四角を作るといったような)を犯すことはできない。
全能で絶対善なる存在者であっても、何らかの悪を排除したためにより大きな善まで排除することになる、あるいはより大きな悪が発生することになる場合、その悪を排除しないと考えられる(逆に言えば、より大きな善の発生に貢献する場合、より大きな悪の発生を阻止する場合、より小さな悪は容認される)。

タイムトラベルしてヒトラーを子供の時に殺したら、世界はもっとひどい状態になったというような歴史改変SFはたくさんあります。

自由意志論にはいろんな疑問が浮かびます。
常に善を選ぶ存在として人間をなぜ造らなかったのか。
人間は知識や能力が不完全で限界があり、判断ミスや失敗を繰り返し犯すものです。

赤ん坊には善や悪を選択できない。
スピリチュアルが主張するように、自分で選んで生まれてきたのでないかぎりは。

選択肢は限られており、どの選択肢を選んでも悪を生み出すこともある。
ウイリアム・スタイロン『ソフィーの選択』では、強制収容所でソフィーは息子と娘のどちらをガス室に送るか選べと言われます。
選ばなければ2人ともガス室へ送られます。
選挙でも投票したい人がいない場合、誰に投票すればいいのか悩みます。

児童虐待という悪を排除して生じる、より大きな悪があるのか。
ユダヤ人虐殺にしても小さな悪とは言えません。

犯罪被害者は自分の意志で犯罪に巻き込まれるわけではない。
加害者もそうです。
ジャン・バルジャンは飢えた子供のためにパンを盗みました。
依存症者は自分の意志で依存をやめることは困難です。
そもそも、人間は常に善を選ぶことができるものでしょうか。

パウロの言葉です。
「肉の望むところは御霊に逆らい、御霊の望むところは肉に逆らう」ガラテヤ人への手紙
「わが欲するところはこれをなさず、かえって我が憎むところはこれをなすなり」ローマ人への手紙


悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているのですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にある筈がありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです。
夏目漱石『こゝろ』を引用するまでもなく、人間は何をするかわからない存在です。
人間にいつも最善の選択ができるわけではありません。
なぜ神は人間を不完全なものとして造ったのかと思います。
コメント
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