三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

滅罪とカルマの浄化(4)

2022年11月11日 | 仏教

 4 苦行による滅罪
釈尊は苦行を否定していますが、多くの宗派では苦行を行なっています。
滅罪のための苦行には、
・過去世から現在までの悪業を清算する。
・肉体と精神を浄化する。
・自分の悪業によって来世で受ける苦しみを軽くする・なくす。
・浄土往生する。
・他者の罪を消す(回向)。
・他者の業苦を自分が代わって受ける(代受苦)。
といった意味があるようです。

アップル荒井しのぶ「法華経と苦行と滅罪─東アジア仏教のパースペクティブ1」に、こうあります。

実践の過程で身体上に「苦痛を受ける」ことこそが、自己の滅罪、浄化を、身体感覚の上に確認する行為となりうる。


熊野では断食行・断穀・断塩、火断、捨身行、焼身行、山林修行、水行・滝行といった苦行による滅罪が行われていました。
平安時代から吉野の金峰山や熊野へ多くの人が参っていますが、一般の人にとって巡礼は苦行であり、滅罪行という意味もありました。

多くの苦行僧が仏や菩薩、天、神などを見ています。

我宿罪の故に仏身を見ず。(略)罪滅するを以ての故に、現に諸仏を見る。(『観仏三昧海経』)

清浄化の証しとして見仏という神秘体験をしうると考えられていた。
https://www.totetu.org/assets/media/paper/k024_266.pdf

アップル荒井しのぶさんは『観普賢菩薩行法経』の色を見る神秘体験を紹介します。

釈迦牟尼仏及び分身の諸仏を見たてまつらんと楽わん者、六根清浄を得んと楽わん者は当に是の観を学すべし。此の観の功徳は諸の障碍を除いて上妙の色を見る。


広瀬健一『悔悟』にも、オウム真理教の極厳修行で色を見たとあります。

極厳修行において、麻原とシヴァ神を24時間にわたって礼拝――立位の姿勢から五体を床に投げ出しての礼拝を繰り返す――したときのことです。(略)私は赤・白・青の三色の光をそれぞれ見て、ヨガの第一段階目の解脱・悟りを麻原から認められました。特に青い光はみごとで、自身が宇宙空間に投げ出され、周囲一面に広がる星を見ているようでした。

このように、教えの正しさと苦行の得益を神秘体験によって実感するわけです。

統一協会でも苦行による滅罪が説かれます。
櫻井義秀、中西尋子『統一教会』に罪と罪の清算についてこう書かれています。

罪とは何か。それは原罪、遺伝罪、連帯罪、自犯罪という四つである。「堕落論」によれば、原罪はアダム、エバの堕落によって人類全てが受け継いだ罪、遺伝罪は先祖が犯した罪、連帯罪は国家や民俗などが犯した罪、自犯罪は自分が犯した罪である。このうち原罪は祝福を受けることによって清算される。残りの三つ、遺伝罪、連帯罪、自犯罪は善行の積み重ねによって清算しなければならない。日本人女性信者達の韓国での生活はこの三つの罪の清算のためにある。


罪の清算は統一教会の言葉でいえば「蕩減」です。
蕩減の本来の意味は、借金を全部帳消しにすることです。

祝福(合同結婚式)では、アダムとエバが性の罪を犯したので、自らも罪を償う意味で新郎新婦が蕩減棒でお互いに尻を3回叩きます。
「オヤヂの呟き」という統一協会脱会者のブログに「蕩減棒の思い出」があります。

祝福の行事の一つ蕩減棒の儀式がやって来た。バットよりも一回り細い棒(何の木かは不明)で、新郎新婦がお互いのお尻を力一杯に叩く。最初は男性が女性のお尻を三回、続いて女性が男性のお尻を三回、六千年の蕩減を清算する為に、力一杯。先輩家庭から『総ての罪の清算だから、決して加減をしない様に』と言われていたから、やりましたよ。(彼女の六千年の罪が清算出来ます様にと念じながら)一発目ジャストミート! 奥方様は3メートル位飛んで行きました。顔面蒼白。すると、そこの宿舎のアベル(責任者)が小声で、『もう少し緩くしてあげて…』。

https://plaza.rakuten.co.jp/norihiro5/diary/200806120000/

統一協会では日本人が作った罪を清算しないといけないと説かれます。
合同結婚式で韓国人と結婚した日本人妻は、離婚や脱会は蕩減が重くなって地獄で永遠に苦しむと教えられている。
夫が仕事をせず酒を飲んでは妻を殴ることは日本人が韓国に対して作った罪の報いだから、それに甘んじることが罪の清算になると、肉体的苦痛によって実感する。
これも苦行による滅罪だと思います。

『ミリンダ王の問い』に、如来が暴力や殺人によって利益を与えると説かれています。

大王よ、如来は人々の利益のために〈かれらを〉打ち、人々の利益のために〈かれらを〉落とし、人々の利益のために〈かれらを〉を殺すこともするのです。大王よ、如来は人々を打ったのちにかれらに利益を付与し、落としたのちにも人々に利益を付与し、殺したのちにも人々に利益を付与するのです。


苦しみを与えて導くことを、オウム真理教ではカルマ落としと言います。

麻原は、竹刀で信徒を叩くことがありました。竹刀が折れるほど強く。また、様ざまな〝働きかけ〟をして、信徒を精神的に苦しめることもありました。よく聞いたのは、信徒の苦手とする課業を故意に指示し、信徒が強いストレスにさらされる状況を形成することです。このような方法で対象のカルマを浄化することを、「カルマ落とし」といいました。(広瀬健一『悔悟』)

https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/cd331bfbd4debe96de283f7a614bbd39

日本人妻は、自分が作った罪ではないのに罪の報いを受けると信じ込まされているわけです。
業報思想の問題の一つは、自分が現世で作った罪だけでなく、過去世で作った罪、あるいは先祖が作った罪の報いまでもが説かれていることです。
ですから、過去世や他人の罪も消さなければいけないことになります。
そんなことはほぼ不可能です。

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