三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

葬式と墓 2

2010年10月14日 | 仏教

東京では葬式をせずに直に火葬場に運ぶ直葬が3割だという。
親しい人だけで行う家族葬はおそらく4割
となると、今までどおりの葬式はせいぜい2割から3割ということになる。
なぜ家族葬、直葬が増えたのか。
1,面倒だから
2,迷惑をかけたくない
3,高齢化
ということではないかと思う。

まず、面倒だということだが、
『よくわかる家族葬のかしこい進め方』の最初に、「一般的な仏式葬儀の、臨終から初七日までの流れ」というのが8ページにわたって書かれてあって、これだけのことをしないといけないのか、こりゃ大変だと思った。
家族葬だと、参列者の席次、焼香の順番から、供花、供物の並べる順位、弔電を読む順、礼状や返礼品などが省略できる。
とはいえ、しなければいけないことは山ほどある。
こんなに繁雑なことをやるのは面倒だ、葬式なんてしないほうがいいと、正直なところ私も思いましたね。

香典返しも大変そうで、小谷みどり『変わるお葬式、消えるお墓』に、「お香典を辞退する遺族が増えている背景には、相手に気をつかわせたくないという気持ちもあるが、じつは、お返しをするのが大変だからという理由もある」とある。
私も香典を受け取らないか、福祉に寄付するかにしようと、実は考えている。

関東の習慣らしいが、東京では通夜ぶるまいや火葬の後の精進落としで食事や酒を出すそうである。
どういう意味があるかというと、『よくわかる家族葬のかしこい進め方』には「通夜ぶるまいには、故人を供養するという意味と、弔問に対するお礼の意味があり、死の汚れを清め、故人を供養するものとして、日本酒やビールなどの酒を用意するのが習わしです」
通夜の席に酒が出るのはケガレを清めるためとは知らなかった。
しかし、『変わるお葬式、消えるお墓』には「葬儀や火葬終了後に持つ食事の席のことを「お清め」と言う人もいる。これは栄養をつけて死者の悪霊を追い払うという意味からきており」とある。
どっちにしろ仏教的ではないことはたしかであるが、これも大変。

でも、葬式は葬儀社まかせだったので何がなんだかわからないうちに終わってしまった、という人も少なくない。
葬式よりも、死亡届を出し、保険や年金の請求、死亡届の提出、預金や土地などの名義変更などなど事務手続きが山ほどあって、悲しんでいる暇がなかったと聞く。
どちらにしろ、人がなくなるのは大変なことである。

葬式をするのが面倒だということは、自分が死んだときのことを考えると、こういう面倒なことをさせるのは子どもに負担をかけるのではと心配になる。
小谷みどり氏は直葬の相談を受けることがあって、その相談は、家族が死んだら直葬にしたいというのではなく、自分が死んだら直葬にしてほしい、どうしたらいいのか、という相談だという。
お金はあるし、子どももいるのに、なぜ葬式をしたくないか。
家族に迷惑をかけたくないからだそうだ。
自分が死んだときに迷惑をかけたくない、だから死んだことは誰にも知らせるなと家族に言うわけである。

また、葬式の費用のことがある。
ネットで調べると、日本消費者協会の調査では平成22年で1,998,861円(寺院の費用も含む)、関東は313万円(2003年)。
じゃあ、家族葬は安上がりかというと、互助会の人に聞いたら、家族葬だからといって安いわけではなく、かえって高くなることもあるそうだ。
葬式というと、参列者が香典を出し、それで葬式の費用をまかない、ちょっとは残る。
ところが、家族葬では香典をもらわないし、家族葬の料金は普通の葬式とそれほど変わらないので、出費は家族葬のほうがかかることになる。
気になるお値段のほうだが、『よくわかる家族葬のかしこい進め方』には、家族葬の料金例が868,350円とある。
ある葬儀社のプランだと、30万円から240万円まで。
お棺でも5万円から40数万円まであるそうだし(180cmの人は2割増)、骨壺も大理石や九谷焼だと高くなる。
霊柩車もマイクロバスからリムジン、宮型とお値段いろいろ。
通夜葬のお値段は民営で火葬すると246,225円、公営だと204,250円と『よくわかる家族葬のかしこい進め方』にある。
直葬は一般に18~30万円というところらしい。

もっとも、みんなに負担をかけたくない、迷惑をかけたくないというので家族葬か直葬ですると、「後日、死の事実をみんなに知らせると、弔問に見えたり、お香典を送ってくださる人が出てきます」「毎日のようにその応対に追われるのは、それはそれでとてもたいへんなようです」と小谷みどり氏は言う。
家族葬は費用がかかるということもそうだが、迷惑をかけたくないと思ってしたことが、かえって迷惑をかけてしまうわけで、まさに人生そのものです。

そして高齢化ということ。
「これくらいの年代になると、勤めていた会社との縁も切れ、地方から都会へ出てきた人は、親族とも疎遠になり、葬儀に参列するような深いつきあいをしている人はごく限られています」
「また、喪主となる子世代のなかにもすでに現役を退いた人もおり、そうなると喪主関係の参列者も少なくなります。現役で働いていたとしても、不況のあおりもあり、起業は以前ほどは社員の葬儀にあまり関与しなくなってきています」
「さらに都市部では、地域社会とのかかわりが浅く、同じマンションやアパート、あるいは同じ町内に住んでいても、葬儀に参列するほど親しくないというのが一般的です」

というのが『よくわかる家族葬のかしこい進め方』の説明。
高齢になると、友人の多くはすでに死んでいるか、体調が悪くて外に出れない。
子どもも退職しているし、近所づきあいはあまりしないし、親戚も縁が遠くなっている。
となると、義理で葬式に参列する人がいないというか、死んだことに関心を持ってくれる人が少なくなっている。
ということで、高齢でなくなると、必然的にごく身近な人だけの葬式となってしまうわけである。

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4 コメント

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Unknown (そうくう)
2010-10-15 07:29:29

考えささせられました。
私の父が行くお年寄りの葬式は、人が来ない淋しいものばかりだったそうで、父は、どうせ自分の時も人が来ないんだからしなくていい、挨拶に来る人もいないだろう、と言ってます。定年前の葬式だったら、大勢来ただろうね、という父は寂しそうでした。おっしゃるように、葬式する人が減ったのは高齢化と関係ありそうですね。
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私が死んでも誰も泣かない ()
2010-10-15 10:18:53
お葬式に来てくれるかどうかは別として、私が死んだときに悲しんでくれる人が何人かでもいたらうれしいです。
上原専禄という歴史学者がいます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%8E%9F%E5%B0%82%E7%A6%84
山田風太郎『人間臨終図鑑』によると、72歳の時に娘を連れて行方を絶ち、一人息子とも縁を切り、誰にも知らせず変名で生活します。
76歳で死去。
「みんなおれの死ぬのを待っている、おれの死んだことはだれにも知らせるな」と娘に遺言し、死が公表されたのは三年七ヶ月後でした。
これも一つの生き方ですけどね。
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Unknown (そうくう)
2010-10-15 13:58:39
ありがとうございます。

>お葬式に来てくれるかどうかは別として、私が死んだときに悲しんでくれる人が何人かでもいたらうれしいです。

本当にそうですね。大勢人が来るか来ないかより、少数でも本当に悼まれている人は幸せですよね。自分の時を想像したらぞっとします。

ご紹介ありがとうございます。
誰にも知らせたくないという気持ち、わかる気がします。

「人間臨終図鑑」とは、おもしろそうな本ですね。 

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死に様 ()
2010-10-15 19:21:45
山田風太郎『人間臨終図鑑』は八百屋お七から泉重千代さんまで、どういうふうに死んでいったかが書かれています。
私は小泉八雲のように死ねたらと思います。
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