三日坊主日記

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平松令三『親鸞の生涯と思想』

2009年11月16日 | 仏教

平松令三「親鸞の生涯」(『親鸞』)を読み、750年前に死んだ人のことなど新しい発見はもはやないと思っていたら、結構あるもんだと驚いた。
そこで平松令三師の『親鸞の生涯と思想』を買う。

今井雅晴氏が善鸞事件に疑問を出し、親鸞が善鸞に出した義絶状は偽作ではないか、という見解を示していることへの批判を平松令三師はしている。
私も今井雅晴『親鸞の家族と門弟』を読み、善鸞に出した手紙を関東の弟子たちが持っているのは確かに変だと思った。
ところが平松令三師によると、戦後、一部の研究者の中に善鸞事件について否定的見解を示す人々があり、義絶状は偽文書だと決めつけたそうだ。
それに対して宮地廓慧師や平松令三師が偽作説は不当だという論文を発表し、その後は義絶状の信憑性について云々されることはなかった。

ところが、今井雅晴氏が再び義絶状偽作説を活発に主張した。
「今井氏は、この事件の枠組みを、親鸞の命によって関東に下向した善鸞が、関東で勢力を伸ばしていた親鸞面呪の直弟たちと対立するようになった結果であって、初期教団内部の主導権争い、と理解する。
善鸞事件についてのこうした視角は、従来の研究者にはあまり見られなかったところであって、注目される」
と平松令三師は説明している。
私なども不勉強で偽作説の経緯を知らないものだから、『親鸞の家族と門弟』を読んで、今井雅晴氏の説になるほどと思ったわけです。
しかし、平松令三師は「(今井)氏の立論はほとんどが感情移入的・心理分析的推測手法であって、史料に基づくものではない」と厳しい。

義絶状は親鸞自筆のものが伝わらず、顕智の書写本が専修寺にだけ伝わっていること、書状の記載形式が不自然だ、と今井雅晴氏は指摘する。
そして、性信にあてた善鸞義絶を通知した手紙も今井雅晴氏は偽作だと断じる。

それに対して平松令三師は「義絶状のような種類の書面は、受取人に届けられたらそれで事が済む性質のものではない」と言う。
義絶状は関係者に告知するのが必要な文書である。
「事件の関係者、とくに善鸞の行動によって被害を受けた側の人々へ周知させなければならない性質のものである。動揺した教団へ通告するのはむしろ親鸞の義務でもあったはずである」
『国史大辞典』には「中世には義絶は親子の関係に用いられた。(中略)義絶の際は親は義絶状を作成し、一門あるいは在所人らの証判を得るとともに、官司へも義絶の旨を届け出た」とあるように、鎌倉時代の義絶状は様式が定まっていたという。
善鸞への義絶状は一般の義絶状とは大きく異なっており、このことが偽文書ではない証左だと平松令三師は言う。
納得でした。

『親鸞の生涯と思想』には、平雅行『日本中世の社会と仏教』で論及されている聖覚評価への反論もなされている。
嘉禄の法難(法然の墓を破却し、寛らの処刑という専修念仏弾圧)の時、聖覚は弾圧する体制側に属し、朝廷に対して念仏宗停廃の申請を行なったことが歴史的事実であると、平雅行氏は立証した。
「これまでの専修念仏者としての聖覚像を一八〇度転換させるものであった」と平松令三師と評価する。
しかし、平松令三師は聖覚を擁護しているのだが、主観的な印象批評のように感じられ、素人判断だが平雅行氏のほうが説得力があるように思いました。

それにしても平松令三師は1919年生まれ、今年90歳である。
頭が下がります。

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