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市場原理と男女の劣化 — 私のキモカネ論

2017-08-27 20:59:29 | マンガ
人間としての私たちの強みと弱みの一つが、注意をあるものから他のものへと切り替える、生まれながらの性癖である。これは私たちを取り巻く環境に何が起きているかを察知するのに役に立つ。インターネットによりいつでも即時に何でも手に入る状況は、この衝動を加速させる。「クラウド(Clouds)」=ウェブを通してアクセスできるバーチャルの貯蔵スペース=が第二の脳になって記憶やタスクを保存してくれるおかげで、私たちは過去や未来ではなく現在に集中できる。これはアクセスの手段され持っていれば、私たちがどこに行こうがついてくる素晴らしいテクノロジーだ。おかげで私たちは自分自身によりいっそう集中できるが、裏を返せば、まわりの世界や他の人々に対する意識は薄れてくる。なぜなら、彼らについて細かいことを覚えておく必要もなければ、彼らが私たちの差し迫ったニーズを満たせる相手でもなさそうだからだ。

2007年に神経心理学者のイアン・ロバートソンが三千人を対象に行った調査では、50歳以上のほぼ全員が親族の誰かの誕生日を即座に言えたのに、30歳未満で言えたのは半数以下だった。残りの人々は答えを見つけるのに携帯電話を取り出さねばならなかった。「ワイアード」誌のライター、クライブ・トンプソンは、答えを見つけるのに反射的にポケットに手を伸ばすこと自体に問題が凝縮されていると述べる。

(中略)同じものにはすぐに慣れてしまう。たとえ自分の性的指向とは一致しないもの=同性愛ものや女装男性ものなど=であっても、違うものなら集中力を維持できる。残念ながら、個人にとって長期的にはマイナスになるものが、ビジネスにはプラスになる。ゲームとポルノの業界が無限のバラエティを供給してくれるので、ポルノ依存者はいつでも自身の「麻薬」を手に入れられる。

興奮依存症は、ユーザーが次の「麻薬」を求めている間、その人物を「拡張した現在」という快楽主義的タイムゾーンに閉じこめる。今の瞬間が広がってすべてを支配するにつれ、過去も未来もはるかかなたに遠ざかる。そして、その現在は絶え間なく変化する画像とともに、並はずれてダイナミックなものになる。ポルノ漬けの脳は、変化や斬新さや絶え間ない刺激を要求できるよう、すでに新しいデジタル方式に完全に配線し直されている。(中略)興奮依存症が行動や生理的反応におよぼす影響は人によりさまざまかもしれないが、ポルノを見すぎることの生理、心理、感情面への将来的な影響を検証することには意味がある。なぜなら、それが自分自身の脳や、ポルノ視聴中や実生活での性交で性的興奮を得る能力に大きな影響をおよぼしているとは、ほとんど誰も考えていないからだ。 —(フィリップ・ジンバルドー&ニキータ・クーロン 『男子劣化社会(Man(Dis)connected)』 晶文社・2017年)





「Bewitching Bygone Baroque — 幻想のあめりか」の記事で、奥さまは魔女、あるいはタガメ女=ある種の専業主婦が夫を縛る=といった題材にちなんで、シンデレラ、アナと雪の女王などのアニメ映画も、女は恋愛と経済の両方で勝利を得なければならない、というマインドの醸成に貢献していると述べた。

タガメ女の本からの受け売りで、私はアナ雪がどんな話なのかも知らないのだが、少女マンガに同じような含みがあるということだったら、よく知っている。中3~高3にかけ、夢中でコミックスを読み、今も愛蔵している『エリート狂走曲』『伊賀野カバ丸』というストーリーギャグ漫画の傑作。この二作は構造が似ている。男の主人公が型破りな野生児に設定されており、都会の学校に転校してくる。女の主人公はそれを迎える側で、最初は男の野蛮さに拒否反応を示すものの、やがて惹かれ、相思相愛に。

男性作家(弓月光)によるエリート~の哲也は、起業家マインドというか、型破りながらも、どんな社会でも頭角を現すに違いないであろう発想と行動力の持ち主だ。やる気になれば学力もメキメキ上昇。恋愛でも経済でも勝ち組になることに説得力がある。が、女性作家(亜月裕)によるカバ丸はもっと意識が低く、マンガ的。山奥の忍者の家でスパルタ教育を受けて育ったことで、並はずれた運動神経と食い意地を発揮。私立の坊ちゃん学校で、当初はそれが「誤解」されて彼は人気者となり、駅伝大会や体力作り合宿や野球大会を通じ、本当のスターになる。どちらも、少女マンガと少年マンガの黄金時代のエッセンスが凝縮されており、連載当時に読むに越したことはないが、今も万人にお勧めできる娯楽長篇だ。

そしてもっと、意識的なマンガ読者がこぞって少女マンガを読む事態をもたらした、より文芸志向の作品にもこの傾向を見いだすことができる。例えばこれも最近「中産階級ハーレム — 東京オリンピック編」の記事で一部紹介した萩尾望都さんの古い短篇「マリーン」だ。貴族の家同士で決められた結婚。女は、いいなずけの男をテニスの技量で圧倒したプロ選手を一目見て本当の恋を知る。海に身を投げ、このプロ選手が過去に不幸な出自から立ち上がろうとする先々に幻影のように現れては勇気づける。注目すべきは、いいなずけもプロ選手もどちらもイケメンで、女が恋愛も(親譲りでない本当の)実力もと欲張った結果、主観的にはともかく、客観的には全員が不幸になっている、後味の悪い話であるということだ。

ただし、これは駄作の部類で、萩尾望都にはもっと鋭敏な問題意識の詰まった良作がいくらでもあるのだが、萩尾と一時同居していた竹宮惠子となると、代表作の『風と木の詩(うた)』の中で、もっとタガメ女に直結する結婚の問題を登場人物に語らせる。↑画像のパスカルだ。この作品は全寮制の学園内におけるジルベールとセルジュの同性愛関係が主題の筈だが、セルジュが先輩ながら落第を繰り返して同学年のパスカルの実家へ泊りに行く、このくだりの実用主義=女は最高の淑女かドタ足のロバでいい=が、かえって全体を観念論めいた色情ドラマとして照らし出し、この時代に流行った「少女マンガにおける男性同性愛」が、性の解放とは逆に、高度成長モデルと専業主婦システムを前提とした、ネオリベ的なサブカルの一種に過ぎなかったのではないかとの疑念を生じさせずにはおかない。




パスカルにはパトリシアという名の妹がおり、絵が好きで、男勝りの個性的ななりをしているが「本当は美人」。最高の淑女になる素質があった。竹宮が罪深いと思うのは、コマの隅っこで「ワタクシ、ダメ?」などと、パスカルの嫁=ドタ足のロバとして立候補するように装っておきながら、実際はパトリシア=最高の淑女=専業主婦のタガメ女の方に自己投影している気配が濃厚だということである。保守的で、意識が低い。

経済のグローバル化、IT化などにより、もはや夫婦のうち一人が働いた額で良い暮らしができるなどという神話は信じられなくなった。わが国の高度成長モデルと特有のメンバーシップ型雇用は、70年代の石油ショックによる不景気を最小限にとどめ、80年代には貿易の勝利とバブル経済により頂点を迎えたものの一転、生産年齢人口が減り始めると、逆に自由経済を阻害する壁として男女の問題や教育問題の解決を難しくしている。

欧米で、↑画像のような方程式がネット上を駆け巡った。女は時間と金を食うから男にとって問題でしかない。女を、男のルックスや経済力しか見ないよう、キモくてお金のない男は無視するよう導いたのは、旧来の構造が女の社会的地位を低くとどめ、男は男で学歴や成果主義で競わせて利益を最大化するよう計らったためである。人間が、物として、利益を生むよう要求されるプレッシャーは、例えばわが国の「草食男子」や「引きこもり」にもつながっているだろうし、おたくだニートだと、自ら社会から一歩引き、ゲームやポルノに溺れたら溺れたで、それもまたお金がすべての構造強化に還元されてしまう。

最近あまり言及していないが、依然として私はシロート童貞だ。そもそも一番好きなのは痩せた少年だし、オナニーのやり過ぎで、射精障害=女の膣をピストン運動してもオーガズムに達しない。根性も体力も乏しく、「学校教育を終え、社会に出て安定した労働力となり、恋愛して結婚し、子どもをもうけて育て上げ、退職後に豊かな老後を楽しむ」などというサイクルからは早々に離脱せざるをえなかった。現今のテクノロジーや、それを利用した新しい資本主義が、こうした問題を解決する方向へ向かうのかは分らないが、このブログや同人誌は一つの自助努力であり、寿命ある限り呼びかけとして続けてゆきたい—



男子劣化社会
高月園子
晶文社

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