私の龍馬イラスト展inお江戸オープニングパーティ@森下文化センター(1月27日)
『龍馬イラスト展』を記念して、展示会のプロデューサーであるミュージシャン、サエキけんぞう氏の司会で、出展したマンガ家各氏によるライブペインティング、イラストライター南伸坊氏らによるトークショーを行う。
サエキけんぞう&Boogie theマッハモーターズによるミニライブ
出題に答える形で、蛭子能収、後藤友香、久住(くすみ)昌之、島田虎之助、真珠子(しんじゅこ)、富崎NORI、とり・みき、花くまゆうさくの8名のマンガ家がイラスト対決。西原理恵子らの『画力対決』が人気なので柳の下のドジョウを狙ったとのこと
お題「西郷隆盛」を花くまゆうさくが
お題「龍馬が現代に来たらビックリしそうなこと」を島田虎之助が
久住昌之のバンドによるミニライブ
「時代を切り開いた先駆者たち~ガロ・COM マンガの時代」と題し、南伸坊、長谷邦夫(マンガ家)、手塚能理子(アックス編集長)によるセッショントーク
東京事変がどうかするとかで、初めてマジマジと椎名林檎の顔を認知してみると、美人とはいえないがカリスマぶって信者を囲い込むという、小森純のやり方をちょっとばかり巧妙にしたような。
いや歌を聞いたこともないではないが、正直、音楽の才能はほとんどないでしょ。あるとしても、広告とか山師としての才能でしょ。
私の若い頃にも、やや似たタイプで、戸川純さんという方が。
しかし、「玉姫様」と「レーダーマン」だったか、2度ほど『夜のヒットスタジオ』に出演した戸川純は、椎名林檎なんかとは違っていた。スタジオにいるほぼ全員を凍りつかせ、テレビを見る私の心をワシづかみにした。あれは本物のロックンロールだった。
ただ、本物には付きものなことかも分からないが、彼女は音楽活動においてそのテンションを長く保つことはできなかった。自己模倣の繰り返しにならざるをえなかった。
そのあたり、ぬるいニセモノだとしても長く続けている椎名林檎には商才があるということだろう。
才能があっても、それを市場の中で活かすことができるかどうかは、また別の才能が必要になってくる。
「レーダーマン」のB面は「母子受精」という、共にハルメンズが世に出した曲であったが、当時と変わらぬアマチュア臭さで歌うサエキけんぞうを目の当たりにしながら、ある種の感慨がよぎるのだった。
例によってジジイの繰り言になりつつあるが、お付き合いいただけますでしょか。
多いんだよね。ガロ周辺には、ジジイになってもしぶとく業界で生き延びる人びとが。
『花のズボラ飯』がヒット中の、久住昌之という人も。いいトコロを突いた題材でもあり、買ってみたんだけど、かつての泉昌之(画・泉晴紀とのユニット)としての作品と比べ、何度も読み返したくなるような、マンガとしての面白さには乏しい。アイデアの勝利だ。
本人も絵を描くが、ほとんどの場合は相方に任せ、原作を担当。このたびのステージでは歌まで披露。洋楽を、妙な日本語詞でカバー。いや、昔から好きだったんだけど、実のところ単なる業界ゴロに過ぎなかったりして。
後半のトークショーに登場した長谷邦夫という人などは、正直、私がマンガ界の実情に疎かった学生時代すでに、才能あるのかないのか「赤塚不二夫のブレイン」と称して、業界をチョロチョロと御用伺いするウサン臭い存在として知られた。
絵を描く人は、急速に燃え尽きてしまう場合も少なくないけれども、そのように鉱脈に食らいついたら、原案、原作、あるいはマネージメント側に回るのが、持続できる賢いやり方なのかも。
『ガロ』は1964年、『COM』は1967年に、それぞれ白土三平、手塚治虫という御大が大長編を自由に描き発表できる場として創刊されたものの、やがて商業性になじまない中堅どころや新人が実験を試みる場としても大いに盛り上がることに。いちばん上の画像、創刊号の表紙レイアウトは、ガロが朝日ジャーナル、COMが平凡パンチを下敷きにしたのだとか─
『龍馬イラスト展』を記念して、展示会のプロデューサーであるミュージシャン、サエキけんぞう氏の司会で、出展したマンガ家各氏によるライブペインティング、イラストライター南伸坊氏らによるトークショーを行う。
サエキけんぞう&Boogie theマッハモーターズによるミニライブ
出題に答える形で、蛭子能収、後藤友香、久住(くすみ)昌之、島田虎之助、真珠子(しんじゅこ)、富崎NORI、とり・みき、花くまゆうさくの8名のマンガ家がイラスト対決。西原理恵子らの『画力対決』が人気なので柳の下のドジョウを狙ったとのこと
お題「西郷隆盛」を花くまゆうさくが
お題「龍馬が現代に来たらビックリしそうなこと」を島田虎之助が
久住昌之のバンドによるミニライブ
「時代を切り開いた先駆者たち~ガロ・COM マンガの時代」と題し、南伸坊、長谷邦夫(マンガ家)、手塚能理子(アックス編集長)によるセッショントーク
東京事変がどうかするとかで、初めてマジマジと椎名林檎の顔を認知してみると、美人とはいえないがカリスマぶって信者を囲い込むという、小森純のやり方をちょっとばかり巧妙にしたような。
いや歌を聞いたこともないではないが、正直、音楽の才能はほとんどないでしょ。あるとしても、広告とか山師としての才能でしょ。
私の若い頃にも、やや似たタイプで、戸川純さんという方が。
しかし、「玉姫様」と「レーダーマン」だったか、2度ほど『夜のヒットスタジオ』に出演した戸川純は、椎名林檎なんかとは違っていた。スタジオにいるほぼ全員を凍りつかせ、テレビを見る私の心をワシづかみにした。あれは本物のロックンロールだった。
ただ、本物には付きものなことかも分からないが、彼女は音楽活動においてそのテンションを長く保つことはできなかった。自己模倣の繰り返しにならざるをえなかった。
そのあたり、ぬるいニセモノだとしても長く続けている椎名林檎には商才があるということだろう。
才能があっても、それを市場の中で活かすことができるかどうかは、また別の才能が必要になってくる。
「レーダーマン」のB面は「母子受精」という、共にハルメンズが世に出した曲であったが、当時と変わらぬアマチュア臭さで歌うサエキけんぞうを目の当たりにしながら、ある種の感慨がよぎるのだった。
例によってジジイの繰り言になりつつあるが、お付き合いいただけますでしょか。
多いんだよね。ガロ周辺には、ジジイになってもしぶとく業界で生き延びる人びとが。
『花のズボラ飯』がヒット中の、久住昌之という人も。いいトコロを突いた題材でもあり、買ってみたんだけど、かつての泉昌之(画・泉晴紀とのユニット)としての作品と比べ、何度も読み返したくなるような、マンガとしての面白さには乏しい。アイデアの勝利だ。
本人も絵を描くが、ほとんどの場合は相方に任せ、原作を担当。このたびのステージでは歌まで披露。洋楽を、妙な日本語詞でカバー。いや、昔から好きだったんだけど、実のところ単なる業界ゴロに過ぎなかったりして。
後半のトークショーに登場した長谷邦夫という人などは、正直、私がマンガ界の実情に疎かった学生時代すでに、才能あるのかないのか「赤塚不二夫のブレイン」と称して、業界をチョロチョロと御用伺いするウサン臭い存在として知られた。
絵を描く人は、急速に燃え尽きてしまう場合も少なくないけれども、そのように鉱脈に食らいついたら、原案、原作、あるいはマネージメント側に回るのが、持続できる賢いやり方なのかも。
『ガロ』は1964年、『COM』は1967年に、それぞれ白土三平、手塚治虫という御大が大長編を自由に描き発表できる場として創刊されたものの、やがて商業性になじまない中堅どころや新人が実験を試みる場としても大いに盛り上がることに。いちばん上の画像、創刊号の表紙レイアウトは、ガロが朝日ジャーナル、COMが平凡パンチを下敷きにしたのだとか─