マガジンひとり

自分なりの記録

旧作探訪#118 『愛のイエントル』

2011-01-23 22:50:01 | 映画(レンタルその他)
Yentl@VHSビデオ、バーブラ・ストライサンド監督(1983年アメリカ)
男装の少女が男子寄宿学校に乗り込んだが─!?
1904年の東欧。まだ学問が男だけのものだったころ、「なぜ?」と問いかける少女がいた。その名をイェントル(バーブラ・ストライサンド)。ラビの父から秘かにタルムードを教わっていたイェントルは、父の死後、たった一人、家を出る。目指すは、女人禁制のイェシバ(ユダヤ教神学校)。夢を実現するため、アンシェルという名で男装して男の世界にもぐり込んだ彼女だったが、やがて仲良くなった学友アビグドウ(マンディ・パティンキン)を愛し、その婚約者ハダス(エイミー・アーヴィング)が彼女を女と知らず愛したことで、のっぴきならない境遇へ追い込まれてゆく─。
女であることへのハンデに敢然と反旗をひるがえし、未知の世界への冒険に羽ばたいた一女性。原作の短編小説に惚れ込んだバーブラが、15年の準備を経て、製作・監督・脚本・主演・歌唱の1人5役をこなして完成にこぎ着けた意欲作。



◆からむニスト─視聴者の期待忘れないで
今期の連続ドラマもほぼ出そろったが、相変わらず、主役をはじめキャストに代わり映えのない番組が目立つ。その一つが日テレ『美咲ナンバーワン!!』で、内容も『ごくせん』の二番煎じで新鮮味に欠ける。
物語は売れっ子・香里奈が扮する六本木のナンバーワンキャバクラ嬢が名門高校の落ちこぼれクラスを担当し、やる気のない生徒を立ち直らせるというものだが、まず学校とキャバクラを同じ土俵とした設定に無理がありすぎる。教育はサービス業という考えもあろうが、その次元ではない。何かにつけ、六本木ナンバーワンを連発し、あげくは生徒たちを店に連れて行くなどむちゃくちゃだ。
とはいえ、ドラマは始まったばかり。今のところは荒唐無稽の内容だが、今後、生徒たちの生活環境や人間関係が描かれていくことを願う。香里奈のパワーばかりが強調されると、スーパーマンの活躍を見ているようで何とも味気ない。良質なドラマを作ってきたこの枠への視聴者の期待を忘れないでほしい。 ─(ギャップ、東京新聞1月21日)



いまは、学校がキャバクラなのかァ─ホストクラブみたいな学校だったら、すでにあった気もするけど=『花ざかりの君たちへ』。
そもそも原作↑には「イケメンパラダイス」っていう副題はなく、ドラマとは別物との評も目にしたが、それにしても、男装して男子高の寮にもぐり込むなんていう無理のある設定で、よく23巻も話を続けられたもんだね。さぞかし、意味不明なドタバタが多いんだろうね。
ドタバタもないではないが、意味不明なものをそぎ落とし、誇り高い主人公と周囲の人物に運命的なドラマをもたらすのが、この映画。映画化を志してから15年も過ぎて、この時点でバーブラは40歳に達しており、男子学生を演じるのは無茶なようでもあるが、気迫で押し通す。鳥には翼がある。高く飛んで、大空のすばらしさをさえずるため。人間には心がある。「なぜ?」と問うため。女にも心がある。生きる意味を問い、学問の道を歩むことは、決して神の摂理に反することではない─。



イェントルにとって、生きることは、すなわち疑問を持ち、学ぶことである。が、その頃のユダヤ人社会では、学ぶのは男がすることで、女は家庭を守る貞淑な存在であればよかった。そんな中で男装して神学校へ入ることは、命がけの反逆でもある。因習的な性役割への。
『花ざかりの君たちへ』の先駆けのような設定で、ドタバタや三角関係もあり娯楽作としても素晴らしいが、根本にあるものは、大いなる夢なのだ。
5年ほど前に見たアングラ演劇で、「夢と欲望、それってどう違うの?」という台詞がひときわ印象的だったのだが、今なら、それは向上心と上昇志向の違いのようなものだ─と答えられようか。
イェントルが人生の目的として学問を志すのに比べ、前にも同じことを述べたのでしつこくなるけれども、福沢諭吉は食うか食われるかの人間社会あるいは国際関係で、食われないために、学問が必要だと説いたのだ。手段なのである。
結果として、食う側、勝利者になればいいのであれば、相手の足を引っぱったり蹴落としてでも、相対的に浮上すればいいということになりうる。それが上昇志向である。
向上心は、そうではない。結果が伴わないとしても、信念を貫き、わずかでも前進すること。映画の中で、アビグドウに弟が自殺した過去があり、保守的なハダスの家から婚約を解消される─(そしてハダスはイェントルと結婚することに─イェントルは実は女なのに─!?)─という展開があるのだが、おそらくユダヤ教で自殺が厳しく戒められるというのも、挫折や敗北のせいで自殺するというのなら、結果によらず信仰を、向上心を貫きなさいという神の教えに背くことになるからではないだろうか。
最期の最期まで、あきらめるべきではない。夢を。
それこそ、《夢と欲望、向上心と上昇志向、イェントルとキャバクラやホストクラブ》の違いであり、わが国のマスコミ・芸能界は夢を持たず、欲望を正当化する必要に駆られて、どうしようもないドラマを電波に乗せ続けるのでしょう。

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「カチューシャの唄」─音楽が、その威力を知ったとき

2011-01-21 22:58:15 | 読書
『流行歌の誕生 「カチューシャの唄」とその時代』 永嶺重敏 (吉川弘文館・歴史文化ライブラリー、2010年9月刊)
♪カチューシャかわいや、わかれのつらさ─大正初期に空前の大ヒットとなった「カチューシャの唄」。歌ったのはスター女優・松井須磨子で、恋人・島村抱月の芸術座の舞台で、劇中歌として作られたものである。
ラジオがなく、レコードもほとんど流通していない当時、この歌は芸術座の地方巡業や、それを見た学生、流しの演歌師などにより、全国的に愛唱される、わが国のポピュラー音楽史上初のヒット曲となる。本書は、その過程にたずさわった人びとの姿に焦点をあて、かつて流行歌がわが国の社会でどのような役割を果たしたかを明らかにする。

きょう昼、いつものようにアイチューンを流していると、山下達郎の「ヘロン」が聞こえてきた。悪い曲ではないが、前後を、洋楽のポップスに挟まれては、いかにも演歌然としていることは否めない。
しかも直後にかかったのが、デルフォニックスの「Didn't I (Blow Your Mind This Time)」なのだ。
山下さんはさァ、デルフォニックスの「La-La-Means I Love You」をカバーしたことがあったでしょう。彼らの代表曲。
「Didn't I~」は、2番目のヒット曲である。オラのアイチューンには、デルフォニックスは、その2曲しか選ばれていない。
が、山下達郎の直後にかかると、いずれにせよ日本人には逆立ちしても書けない曲だということがあからさまに。
結局、デルフォニックスには、同じ英語圏にライバルが1000組とか2000組とかひしめいているから2曲しか線上に上ってこず、山下達郎は5曲選ばれているといっても日本という音楽低国の中にあって優秀だというのに過ぎないと実感。
山下さんが長く活躍し、「RIDE ON TIME」や「クリスマス・イヴ」をはじめ、多くの国民に音楽を知らしめているということは、日本語という非関税障壁に守られた閉鎖的な市場においてのみ“相対的に”起こる現象で、全世界の無差別な土俵で、彼の音楽が“絶対的に”すぐれているかどうかの保証には、まったくと言っていいほど、ならないのだ。



↑芸術座の舞台『復活』でカチューシャを演じる松井須磨子

絶対的な品質の保証にはならないが、《日本国》あるいは《日本語》が続く限り、その中での相対的な品質は保証され、その間はそれに基づいてお金と権力が得られることもありましょう。
すなわち、世界の音楽の中で、J-POPや演歌・歌謡曲が、奇妙な音楽に聞こえるゆえんであり、その発祥が大正3(1914)年の「カチューシャの唄」にあることを、本書によって知った。
ラジオがなく、レコードは普及し始めたばかりの時代、音楽とは「聞くもの」ではなく、「歌うもの」だったという。明治大正の人びとは学校や公共空間、日常生活のさまざまな場面で、声に出して歌う習慣になじんでいたというのだ。
そして、そこで歌われる歌を、知らせる、ラジオでもレコードでもなく歌詞とメロディーを教えるものは、人力の口コミがもっぱらで、ことに酒場や縁日で2人1組となって営業する「演歌師」は大きな役割を果たしたが、どちらかといえばそれは「下からの動き」である。客層や曲目も、野卑なものが多かったろう。
そこへ初めて「上から」大きな流布力を発揮したのが、トルストイの『復活』が悲恋ものに脚色され舞台興行にかかり、その中で2度、主演の松井須磨子によって歌われた「カチューシャの唄」であった。
若い貴族ネフリュードフから手ごめにされた召使いのカチューシャは、転落してやがて殺人の嫌疑がかかった法廷でネフリュードフと再会し、彼からの求婚を断って、ついにはシベリアへ送られる─。
曲調も、唱歌風のハイカラなもので、観劇した者は、劇場の廊下に貼り出された歌詞の前で、ノートに記したり、覚えたてのメロディーを口ずさんだり、ひいては曲が目的でリピーターとなって劇場に通ったり─といった熱狂ぶりを示した。そして、芸術座が巡業を打った土地では、たちまちのうちに学生や若い労働者を中心に、燎原の火のごとく歌が広まっていったという。



↑同じく芸術座が大正4年の『其前夜』で使った「ゴンドラの唄」では、ライオン水歯磨の協賛広告も登場

流行歌の出発点として、ことに重要に思われるのは、この歌が演劇=伝統芸能ではない、日本人が白人の貴族を演じる=の劇中歌であり、演劇と音楽が相互に演出効果を発揮するということと、さらに言えば松井須磨子の歌唱力はほとんど問われなかった=貧弱なものだったらしい=ということである。
紆余曲折あれど、いま、アイドルとの握手で釣って同じCDを何枚も買わせるとか、アニメやゲームに没入する者のための音楽、そうした例に限らなくても、冒頭の山下達郎みたく、ロマン派クラシックの系統の演歌、いや演歌そのものがクラシックに基づくので、極論すれば浪花節─とまで言いたくなるような、わが国のすべての音楽の現状に直結する、日本国民であることの原点まで明治大正の人びとの姿にしのぶことのできる一冊でした。
と同時に、100年ほど前から、そんなふうに続いてきたのだとすれば、世界の音楽と混ぜ聞きして、日本人の音楽に覚える奇妙なもの、それこそが《日本人らしさ》なのではないかとも思い、さらにほかの分野も併せ、ほじくり返してみようかとも。
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Child Star─宮脇康之の圧縮された人生

2011-01-07 22:57:45 | メディア・芸能
『ケンちゃんの101回信じてよかった』宮脇康之(講談社、2004年1月刊)
1961年、東京生まれの著者は、3歳から児童劇団に所属し、TBS系のホームドラマ『チャコねえちゃん』の弟役に抜擢され、台詞回しなどリアルな子どもらしいかわいさで人気を呼ぶ。彼を主役とする『ケンちゃん』シリーズも、1969年から、1977年にケンちゃん役を2代目に引き継ぐまで8年間続いた。しかし、ケンちゃんというモンスターは、彼中心の暮らしを余儀なくされた宮脇家を崩壊に導き、子役時代にチヤホヤされ過ぎた彼自身の人生をも狂わすのだ。
1980年前後には学園ドラマなどで聞かれたその名前も、日活ロマンポルノに出演したことなどがきっかけで、聞かれなくなってゆき、以降彼は漫才師の付き人、ディスコの黒服、墓石の販売、居酒屋の皿洗い、ガスの検針など40近くの仕事を転々とする。沖縄にいた頃は1億円もの借金を背負ったが、完済。結婚して子どももでき、本書の出版当時には還元水生成器などのマルチ商法で成功を収めていたが、芸能界への夢は捨てきれず、芸名を「宮脇健」と改めている。



↑初の単独主演となった『ジャンケン・ケンちゃん』(1969~70年)のころの彼



↑妹のトコちゃん役に佐久間まゆみを迎えた『ケンちゃんトコちゃん』(1970~71年)のレコード。ずっと後に銀座のホステスになっていた佐久間さんと再会することに



↑『ケーキ屋ケンちゃん』(1972~73年)の1シーン。今は見られない、太ももむき出しの半ズボンがケンちゃんのトレードマークで、真冬の撮影はつらかったとか



↑彼がケンちゃんシリーズに出演していた末期のころ、父母役の牟田悌三さん、岸久美子さんと。子どもながら人気番組を支える宮脇氏への待遇は破格なもので、ロケ先のホテルで彼の部屋に招かれた牟田氏の顔がサッと曇ったという話も

きょうは引用しないが、毎度毎度画像を引用させてもらっている『闇金ウシジマくん』の「スーパータクシーくん」編でも、若いホストを乗せた主人公・諸星信也が、ホスト生活に捧げた20代を振り返って、「がんばってください…。ホストは、辞めてからの人生のほうが長いンですよ…」とつぶやく。
まして5歳や6歳のころから茶の間の人気をさらった名子役にとって、その後の人生がどのようなものに感じられるかは、われわれの想像を絶する。
「ケンちゃん」のイメージに縛られ、子役からの脱皮ができず、人気を失ってゆく彼に、手のひらを返したような態度をとるスタッフたち。ケンちゃんシリーズから去ってしばらくは、堀越高校に通い、『ナッキーはつむじ風』『翔んだカップル』などに出演していたようだが、ジャニー喜多川社長から誘われてジャニーズの合宿所にいたこともあるとか。
が、「あることが原因で、大事にしていた自分のドラムセットも洋服も全部そのままにして、合宿所を飛び出た」んだそうな。
ははァ~ん。察しはつきますよね。
でも、まあ、それを彼が我慢したところで、ジャニーズ系の歌って踊る人気者になることは難しかったろう。
子どもとしては、あいくるしい。しかし、大人の男としては、どうにもとりえのない…。
彼より3学年下のオラにとって、TVのケンちゃんシリーズは同年代の誰もが見ている、もちろんオラにも見逃せないものだったが、特に忘れられないシーンがある。
1974年の『ケンにいちゃん』から、弟のケンジ役に岡浩也を迎え、宮脇氏のケンイチと2人でTV局に見学に行く─というようなシーンだったと記憶する。そこにあったモニターに、数年前の『ケンちゃんトコちゃん』あたりの映像が映し出されて、不思議そうに覗き込むケンジを、「行こう!!」と促すケンイチ─。
これは現実!?過去!?未来!?
やがて1977年には宮脇氏がケンちゃんシリーズを去り、ケンジからケンイチとなった岡くんも1982年には去る。その半年後には、視聴率が下降していたシリーズ自体も終わってしまう。
最初の15年ほどで、すべてを生ききってしまい、それほどの栄光は2度とめぐって来ない、圧縮された人生。
過酷なことだが、あの時代に、たった一人が選ばれて、その人生を生きたのだった。



↑2010年夏、上石神井の居酒屋で、49歳の宮脇氏。マルチ商法のその後は定かでないが、しぶとく生きているようだ

※前身となったチャコちゃんシリーズを含む全ケンちゃんシリーズの放送データを集めたサイト
※同じく放送データを集めたブログ記事で、ことにレコードの画像が貴重
「芸能界を去った2代目ケンちゃん・岡浩也」(2011年11月3日の弊ブログ記事)
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旧作探訪#117 『ファンタスティック・プラネット』

2011-01-03 23:13:04 | 映画(レンタルその他)
La Planète Sauvage@レンタルDVD、ルネ・ラルー監督(1973年フランス=チェコ)
ルネ・ラルー初の長編(73分)アニメーションとなった本作は、ステファン・ウルのSF小説を原作とし、脚本と基本デザインをローラン・トポールが担当しているが、初期段階でトポールが手を引き、チェコのイジー・トルンカ・スタジオのスタッフたちもやや非協力的だったため、制作に4年を要した。しかしシュールで幻想的な独特の世界観は、同年のカンヌ映画祭でアニメーションとして初めて審査員特別賞を受けることにもつながり、アニメーション史に確かな足跡を刻んでいる。
真っ赤な目と青い肌を持つ、巨大で長命なドラーグ人が、人類をペット、あるいは害虫のようにあつかう惑星が舞台。みなしごのテールは、ドラーグ人の少女ティバに拾われてペットとして飼われるうち、ドラーグ人が学習に用いる、脳に直接知識を送り込むヘッドフォン様の機械によって、現状に疑問を抱き、ティバのもとから逃げて原始的な生活を送る人類の部族に加わる。
ドラーグ人は定期的に毒ガスなどで人類を“駆除”していたが、反撃に遭って1人を殺されたことから、人類みな殺しの必要性を覚え始める。テールたちの部族は放浪のすえ、ドラーグ人のゴミ捨て場に住みつき、そこの機械類から学んで科学技術を急速に発展させる。ドラーグ人の偵察機械に発見された彼らは攻撃を受け、ロケットで脱出してたどり着いたファンタスティック・プラネットで、種族保存のためドラーグ人がとる奇想天外な方法を知る─。



年に1度か2度のことで、きのう親戚の家に集まって、深酒したが、しばらくぶりで参加するイトコがいて。いつもの、亡くなったイトコの姉ぇーちゃんの兄弟や嫁さん旦那さんがたは、故・母の長兄の子どもなのだが、次兄の息子さんで、製薬会社に勤務して長く青森や、その次には大阪に赴任していた、オラより1コ上の。
分かりにくいっすか。次は、系図でもこしらえようかね。
オラ、むしろ会社を辞めてから、このブログのおかげもあって、いわゆる“コミュニケーション・スキル”は向上した気がしていたのだが、その人は小さい頃から穏やかな人格で、剣道をやり、大学へ進んで、会社では医者相手の営業を長くやってきた。
オラと反対に、まったくの正攻法で、鍛え上げられた社交性なのだ。会話にソツがない。しばらくぶりでも、アッという間に打ち解ける。
いや、居酒屋などで聞く、世間の狭そうな会話しかできないサラリーマンばかりではないんだよね。資質もあると思うけど、子どもの頃からの優しく、正々堂々としたお人柄のままで。
ところが、その人がなぜか結婚できていない。医者相手の高額な接待も多く、太ってしまって糖尿病にも。
会社のため献身的に働いてきた、今は管理職で年収も1千万超ではないかとも思われるけれども、正々堂々と生きてきたのに健康や家庭生活を犠牲にしなければならないとすれば、卑怯で異端な道を突き進んだ結果の“無職・シロート童貞・精神科入院歴”であるオラのほうがお得な気がしないでもない。
まあ、かねがね思う、「大企業の正社員」を基準とする、日本経済の富国強兵システムが、この時代に立ち行かなくなってきたことの表れも、いくらかはあろう。
で、「日本のサービス業は生産性が低い」とされる中、マンガやアニメやゲームや、日本産のポップカルチャーは、一定の競争力があり、各国の市場で独自の存在感を発揮してはいる。いるのだが、このアニメ映画など見ると、それはしばらくぶりのイトコのソツのない社交性や会社中心の人生の裏返しのようにも感じる。
「草木国土悉皆成仏」という言葉に表されるような、循環的で、和を尊ぶ、八百万の神がいる、わが国の風土が、裏を返せば相互にもたれ合って責任を回避することにもつながりかねないのに対し、一神教の規律のもと、敵や自然環境と戦い、克服して生き残る─という厳しさ。
オウムや九官鳥は言葉をしゃべることができるが、テープレコーダーが録音を再生しているようなもので、言葉をしゃべれる体の構造を持っているから知性や文明を発展させるということにはならない。なぜ、人間だけが、現状のような文明を築いたのだろうか。
しかも、生殖の方法は、オスとメスが交尾して、子どもが小さい頃はメスが授乳するという、人類以前の多くの動物がとってきたやり方を踏襲するしかないという制約の下。
考えてみれば不思議だ。この映画には、その不思議さ、人間が人間たるゆえんを見つめる目が光っており、そのまなざしには、先に述べたような一神教の厳しさがある。わが国のアニメとは、発想が極めて異質で、それだけに“クールジャパン”などとうぬぼれていられない、ここから学ばなければいけないのではないだろうか─という焦りにも似たものを呼び起こされる気がする。

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