♪インドの山奥でっっ修行してぇ~~
1970年代、私が小2~3のころ放映されたレインボーマンは異色の等身大ヒーロー番組であった。主人公が「火の化身」「土の化身」といった7つの姿に変化(へんげ)する。悪の組織が「♪死ね死ね死ね死ね死んじまえ~」という異様な歌とともに現れ、偽札をバラまいて菓子パンが1個1000円というようなインフレ誘導し日本滅亡を企む。
サイト「1945年への道」大東亜ハイパーインフレ狂乱圏の項より。あまりにインフレがひどいため縦軸を「対数目盛」に。
1941年12月8日、開戦とともに日本海軍はハワイ真珠湾に奇襲攻撃を加え、航空母艦を除き米太平洋艦隊の主力を全滅させた。さらにマレー沖で英東洋艦隊の主力戦艦を沈め、西太平洋の制海・空権を握った。優勢な海空軍力に支援されて、陸軍はタイ、マレー、フィリピンに進出し、1942年1月にはマニラ、2月にはシンガポールを占領したあと、3月にはラングーン(現ヤンゴン)も占領した。蘭印(らんいん)(オランダ領インドシナ、現インドネシア)も3月には完全に攻略され、日本軍はニューギニア西岸からソロモン諸島に上陸し、この間オーストラリアのポート・ダーウィンにも日本機による空襲が行われた。太平洋では開戦と同時にグアム島上陸が行われ、マーシャル、ギルバート諸島の線にまで日本軍は進出した。
こうして西太平洋からビルマ(現ミャンマー)に至る広大な地域が日本軍の占領下に置かれた。アジアの諸民族がおのおのそのところを得る「大東亜共栄圏」の建設が日本の占領目的とされたが、具体的な占領政策は、資源の獲得と軍隊の「自活」を目的とした。また将来独立を与えるのはビルマとフィリピンだけで、現地民衆に独立の観念を植え付けるよりは、日本軍に一方的に依存し屈従するよう指導する方針がとられた。「大東亜共栄圏」の実態は日本を中心とする植民地体制にほかならなかった。日本軍は至る所で戦争遂行に必要な資源や労働力を略奪したので、現地の物資は欠乏し、生産は破壊され、激しいインフレーションのため民衆は窮乏した。たとえばベトナムでは約200万人が餓死したといわれる。それは、日本軍の過酷な軍政と相まって、各地民衆の占領に対する武装抵抗運動を発展させた。インドシナのベトミン(ベトナム独立同盟)や、フィリピンのフクバラハップ(抗日人民軍)などが抗日のための民族的な統一戦線として結成され武装闘争を行った。「大東亜共栄圏」の中核とされた中国では、日本の占領地域に中国共産党系の八路軍(はちろぐん)や新四軍(しんしぐん)が浸透して次々に解放区をつくり、終戦までにその人口は約1億(1945年8月15日朱徳総司令の米英ソ3国あて覚書)に達したとされた。これら諸民族の自律的な解放闘争の発展は、日本の占領を内部からむしばみ、その敗北をもたらす要因となった。 ─(ジャパンナレッジ/太平洋戦争)
こうして西太平洋からビルマ(現ミャンマー)に至る広大な地域が日本軍の占領下に置かれた。アジアの諸民族がおのおのそのところを得る「大東亜共栄圏」の建設が日本の占領目的とされたが、具体的な占領政策は、資源の獲得と軍隊の「自活」を目的とした。また将来独立を与えるのはビルマとフィリピンだけで、現地民衆に独立の観念を植え付けるよりは、日本軍に一方的に依存し屈従するよう指導する方針がとられた。「大東亜共栄圏」の実態は日本を中心とする植民地体制にほかならなかった。日本軍は至る所で戦争遂行に必要な資源や労働力を略奪したので、現地の物資は欠乏し、生産は破壊され、激しいインフレーションのため民衆は窮乏した。たとえばベトナムでは約200万人が餓死したといわれる。それは、日本軍の過酷な軍政と相まって、各地民衆の占領に対する武装抵抗運動を発展させた。インドシナのベトミン(ベトナム独立同盟)や、フィリピンのフクバラハップ(抗日人民軍)などが抗日のための民族的な統一戦線として結成され武装闘争を行った。「大東亜共栄圏」の中核とされた中国では、日本の占領地域に中国共産党系の八路軍(はちろぐん)や新四軍(しんしぐん)が浸透して次々に解放区をつくり、終戦までにその人口は約1億(1945年8月15日朱徳総司令の米英ソ3国あて覚書)に達したとされた。これら諸民族の自律的な解放闘争の発展は、日本の占領を内部からむしばみ、その敗北をもたらす要因となった。 ─(ジャパンナレッジ/太平洋戦争)
♪誰もわたしの心 見抜くことはできない
だけどあなたにだけは わかってほしかった
自分自分自分。あみんの「待つわ」は恐い歌だ。前回の中産階級ハーレムで、もしあみんが同じポプコン優勝の小坂明子のように一発屋で消えてくれたら、恋している状態の自分が好き(なので待つだけ)という女の本音が時代にヒットした、必死な良い曲として記憶に残ったでしょうにということを書いた。でも80年代、音楽業界は「女子大生」「曲が書ける」あみんの岡村孝子を放っておかなかった。松田聖子やビートたけしをはじめ、この時代は一度知名度を得ると専門分野外に進出したりゴシップを売りにしたりそのままずっとメディア上に露出し続ける芸能人が急増し、フレンドパークだの東京マガジンだの番組ごと老人ホーム化するケースまである。
それまでもスポーツや映画出身、2世タレント、歌舞伎や宝塚といった芸能人バンクはあったと思うが、この時代からはっきり異なってきたのは、NHK含めテレビに内輪の広告色が強まり、あらゆる分野で幼児化が進み、特に音楽市場が世界2番目の大きさであるにもかかわらず質の劣化傾向が定着したことである。
1980年、男性アイドルとしては画期的に歌が下手だった田原俊彦から4年連続でジャニーズ事務所が最優秀新人賞を獲得し、ジャニーズはテレビの権威になった。当時のジャニタレは例外なく寮に入ってジャニー喜多川の枕強要を受け入れることでデビューできたのだが。ジャニーの妻はメリーっていうんだっけ。統一教会(統一協会、現『世界平和統一家庭連合』)≒国際勝共連合の教祖夫婦とよく似ているな。博報堂に勤めていた本間龍氏の『電通巨大利権』によれば、欧米の広告業界では企業秘密保持・公正競争の見地から、ある業界で複数のスポンサーを担当できない一業種一社制が大勢なのだとか。ところが日本ではコンプライアンスの意識が低く、東京オリンピックに小口のスポンサー枠を設け、カドカワが講談社に「賄賂を贈って一緒にスポンサーに」と持ちかけるようなことが起きてしまう。電通は大企業幹部や政治家の子女を縁故採用し、リクルートは将来有望な官僚や政治家に値上がり確実な未公開株を贈る。統一教会が水面下でこれほどまでのさばったのは、安倍晋三元首相のせいだけでなく、彼らの工作を受け入れてしまう素地がわれわれに備わっているからで、そもそも戦前の日本軍と官僚のやり方が統一教会を生み出したのである。
学校のいじめ、各国にあるようですが日本の、特に女子のいじめで独特なのが「集団で一人を無視する」。外国では誰かが話しかけてしまうから成立しないらしい。このように集団内の空気・お立場・お気持ちでその都度動いていくのが日本の社会で、ぼく・きみといった一人称二人称も立場で変るし、自分の考えをしっかり持った人より、小グループ・派閥間の調整役タイプがリーダーに選ばれやすい。出る杭は打たれ、情報は隠され、IT化は進まない。日本全体としては80~90年代に経済的な頂点に達し、人口が多い国としては現在も平均寿命が最も長いが、それとて敗戦によって超円安になり、中国への戦争責任に蓋をしたままアメリカ傘下に入って、西側先進国の工場として人口急増期に賃金と物価の好循環を実現できた、戦争と貿易の20世紀に最適化した運のよさ。
ヒソヒソ。かわいいふりしてあの子わりとやるもんだね。主婦やママ友やOLの監視社会。オリンピックの悲惨な開会式を、私は断片的にしか知らないが、評する言葉で印象に残ったのは、あちこちに遠慮して結局は誰も意味が分らないものになってしまったという。北京冬季大会のそれと好対照。自由・責任ということについてはもはや後進国。狭い世間のたくさん連なった狭い世間。安倍が暗殺されたことで、日本人が30年の眠りから覚め始め、分断とヘイト、それを養分とする統一教会・電通・パソナ・ジャニーズ事務所などなど(政府にぶら下がって税金を分け合う)特殊法人が取り返し付かないほどのさばってしまっている事態が露わに。祖父と二代にわたる売国奴。歴史の必然。