Here to Be Heard: The Story of the Slits@早稲田松竹/監督・脚本・撮影・編集:ウィリアム・E・バッジリー/出演:ドン・レッツ、ヴィヴ・アルバータイン、ポール・クック、アリ・アップ、デニス・ボーヴェル、テッサ・ポリット、ケイト・コラス、バッジー/2017年イギリス
超低予算、情熱だけで作られた作品。この映画は正直で残忍で、生々しいエモーションに満ちている。―テッサ・ポリット(スリッツ)
本作は世界初の女性のみのパンクロック・グループ、スリッツのドキュメンタリー。彼女たちの歴史を70年代中ごろのバンド結成時から、解散以後のメンバー個々のストーリー、2005年の再結成、そして2010年、本作の制作中にがんでボーカルのアリ・アップが亡くなるまでを追う。
アーカイヴ映像や初めて公となる写真の数々、メンバーの証言やファン、プロデューサーや評論家などスリッツに影響を受けてきた面々のインタビューで構成された本作を、まさにアリ・アップの言葉が端的に表わしている。「私は人に好かれようと思ってここにいるのではない。人に聴いてもらうためにここにいるの」。
監督は2011年のデビュー作であるワシントン州オリンピアのバンドKARPのドキュメンタリー映画『Kill All Redneck Pricks: A Documentary Film about a Band Called KARP』が10カ国で上映され好評を博したウィリアム・E・バッジリー。本作は長編第2作となる。
アーカイヴ映像や初めて公となる写真の数々、メンバーの証言やファン、プロデューサーや評論家などスリッツに影響を受けてきた面々のインタビューで構成された本作を、まさにアリ・アップの言葉が端的に表わしている。「私は人に好かれようと思ってここにいるのではない。人に聴いてもらうためにここにいるの」。
監督は2011年のデビュー作であるワシントン州オリンピアのバンドKARPのドキュメンタリー映画『Kill All Redneck Pricks: A Documentary Film about a Band Called KARP』が10カ国で上映され好評を博したウィリアム・E・バッジリー。本作は長編第2作となる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/6f/32d9cc7571420af0901c2a97b853a7c8.jpg)
The Slits / Typical Girls (1979)
わめきたてちゃダメ 反抗しちゃダメ
直感だけで行動すればいい どうせ何も決められないんだから
直感だけで行動すればいい どうせ何も決められないんだから
普通の女の子は、すぐ台無しにする
普通の子は、自制心なんてない
普通の子は、自制心なんてない
普通の子が何を考えてるかなんてお見通し
普通の子になろう
普通の子はとっても素敵
普通の子はいつも何か探してる
普通の子は雑誌を買う
普通の子は彼氏に頼る
普通の子は見栄っ張り
普通の子は反抗しない
誰が普通の子を作り上げたの?
最新の改良型が出てくる?
普通の女の子は普通の男の子と付き合っちゃえ
普通の女の子は普通の男の子と付き合っちゃえ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/92/ece1ace5cff8bd4955df47987a52abe6.jpg)
まるで老人の繰り言のように【福沢諭吉の学問のすすめは当時の識字率を上回るほど売れた】【私の同い年の従弟は親子で在特会・桜井誠の応援に出かけた】【ザ・クラッシュのフロントマン、ジョー・ストラマーは友人の恋人を寝取りたがる悪癖があった】の3つに当ブログで何度も触れてきた。この3つは互いに連環しているように思うし、恐縮ですがこれからも触れることになりそう。今回はもちろんジョー・ストラマーの件。
Pitchforkが1970年代の200曲を選んで発表した際 https://pitchfork.com/features/lists-and-guides/9935-the-200-best-songs-of-the-1970s/?page=1 対抗意識を燃やした私はそこに選ばれていない曲から200曲を選んで発表。堂々の1位に輝いたのがクラッシュのComplete Controlである。完全管理。「ちくしょう、この歌も管理されちまってる!」という自由を求めるストラマーの叫びは、普通の女より友人の彼女に対して欲望を爆発させてしまう彼のエゴと表裏一体で、どちらかが欠ければもう一方も失われ、ストラマーはストラマーでなくなる。
クラッシュの音楽には枠がなく、自由で、バラエティーに富んでいた。2枚組のロンドン・コーリングから1年ほどで3枚組のサンディニスタを発表。驚異のポテンシャルであった。しかし多くの曲を共作していたミック・ジョーンズが抜けると生彩を欠くようになり、解散後の活動もクラッシュ時代に比べ寂しいもので、2002年に50歳で死去。もう彼のエゴは存在しないから、私は安心してComplete Controlの自由を浴びるようにむさぼることができる。
スリッツのTypical Girlsは上記Pitchforkのリストで70位である。恥ずかしながら今回の映画で初めて歌詞を味わった。攻撃的ながら、普通の女の子そのものより、「普通」の基準を決める雑誌や広告の側に視線が向いていて、さしずめいまならバカホやツイッター・FBってことになるのか、鋭さは失われていない。しかし歌詞は凄いが、スリッツはポストパンクの第一集団とも位置付けられており、既に初期パンクの疾走感はない。ダブの影響を受けた混沌としたサウンドで、曲や演奏の魅力は歌詞ほどではない。
映画を見ると、当時の「女性はこうあるべき」という固定観念は非常に強く、音楽もまた男中心の「セックス&ドラッグ&ロックンロール」の世界でレコード会社やラジオや雑誌が主導権を握っており、スリッツの3人(4人の時期も)は先駆者として苦戦を免れなかった。音楽性の幅も広くなく、スリッツが輝いたのは短期間に過ぎなかった。その後の人生もこの映画のテーマであり、華やかではないが、普通の女性の喜びと悲しみがある。
いまはSleater-KinneyやYeah Yeah Yeahsなど作曲能力が高く、おばさんになっても持続できる女のパンク/オルタナティブが定着。一方で、「普通の子の基準」を決める側に韓国や中国が加わってきている—🚺