マガジンひとり

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巻き添え食ってたまるかよ

Top 20 Hits of 31-Aug-2013

2013-08-31 17:44:08 | Weekly Top 15
1. ← 5. 2 "Hello Stranger" Julia Holter (2013 - Loud City Song)
2. ← 1. 3 "The Sound of Law" Daughn Gibson (2013 - Me Moan)
3. ← 6. 3 "Bring the Noize" M.I.A. (2013 - Single)
4. ← 2. 4 "Green Blood" Sonny & the Sunsets (2013 - Antenna to the Afterworld)
5. ← 8. 2 "If I Gave You My Love" Myron & E (2013 - Broadway)
6. ← 3. 8 "Glacier" John Grant (2013 - Pale Green Ghosts)
7. ← 12. 3 "Head On" Man Man (2013 - Single)
8. ← 9. 3 "Delicate Cycle" The Uncluded (2013 - Hokey Fright)
9. ← 4. 9 "Pink Rabbits" The National (2013 - Trouble Will Find Me)
10. ← 15. 2 "Wildfire" John Mayer (2013 - Paradise Valley)
11. ← 7. 5 "Dreary Town" Nadine Shah (2013 - Love Your Dum and Mad)
12. ← 14. 2 "Birds" Death Grips (2013 - Free Download)



13. NEW 1 "1120 (Golden Arrow?)" Darkside (2013 - Free Download - Psychic)



14. NEW 1 "Demons" The National (2013 - Trouble Will Find Me)
15. ← 10. 5 "Hold My Liquor" Kanye West (2013 - Yeezus)



16. NEW 1 "Pyrrhic" Julianna Barwick (2013 - Nepenthe)
17. ← 19. 2 "One Half" Julianna Barwick (2013 - Nepenthe)
18. ← 11. 7 "Axis" Pet Shop Boys (2013 - Electric)



19. NEW 1 "Avant Gardener" Courtney Barnett (2013 - Single)
20. ← 13. 6 "Stalker" Fuck Buttons (2013 - Slow Focus)
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寂しき情熱家 - 「マンガの神さま」を世に送った酒井七馬

2013-08-27 21:01:47 | マンガ
『「新寶島」の光と影 謎のマンガ家・酒井七馬伝』 中野晴行 (小学館クリエイティブ・2011年)
1947(昭和22)年1月に刊行されベストセラーとなった、手塚治虫の単行本デビュー作『新寶島』の原作者でありながら、その後、同書が大きな役割を果たした戦後マンガ史からは消えてしまったもう一人の天才・酒井七馬(さかいしちま・1905~1969)の生涯を追うドキュメンタリー。2007年に筑摩書房から発刊されたものに、その後の取材で得られた証言・資料を追加した増補改訂版。




↑同書の図版より、手塚治虫さんは『新宝島』を講談社版全集に収める際、冒頭の少年が車を運転する様子をはじめ、全面的に描き直してしまった。
ことに初期の作品では、他にもそうした例が多いものの、『新宝島』に関してはそれによって同作における酒井七馬の存在が完全に消されてしまい、同氏がその後は不遇で餓死同然の死に方をした–という鴨川つばめさんも信じていた「伝説」まで生むことになってしまったのも、中野氏が本書を執筆する大きな動機になったという。

手塚さんがヒット作を連発して、マンガ及びアニメ界を代表する神話的人物になったのと対照的に、酒井氏は大阪にとどまり、赤本マンガ(零細な業者が扱う、通常の書籍流通ルートを経ず、露店や駄菓子屋で売られるマンガ本)がすたれた後は紙芝居を中心とする活動だったので、話に尾鰭が付いたとみられ、中野氏は丹念に関係者をあたり、その実像を探る。

戦前は大阪マンガ界の中心的存在として雑誌の創刊や編集に携わり、さらに日活の漫画部で草創期のアニメーターとしても活動。
一貫して映画の表現をマンガ・アニメに結び付けたいという思いがあり、その過程で同じ志向を持つ若き日の手塚さんと合作する運びに。
1945年に描かれた手塚さんの『オヤヂの宝島』という長大な未発表原稿は習作の域を出ず、彼が日本のマンガ史にもたらしたとされる「映画的表現」は、『新宝島』の合作を通じて酒井氏から吸収したものが大きかったのではとの見立て。

酒井氏の手になるハイカラな装丁も『新宝島』や手塚さんのその後の業績に貢献したとみられるものの、奥付に手塚さんの名が記載されてないことで一時的に気まずくなり、師弟関係が定着することなく、手塚さんは東京の出版界で売れっ子となる。
いっぽう酒井氏も大阪では人気があり、紙芝居でも『少年ローン・レンジャー』などのヒットを放ったし、テレビ時代が始まるとクイズ番組の解答者を務めるほど知名度があったというが、アニメでもマンガでも紙芝居でもエログロ風味の挿絵でもこれぞ!という後に伝えられる業績は少なく、没後は『新宝島』を通じた極端な風説の主として幻の存在に。




遠藤賢司さんの「不滅の男」に、このような一節が。

♪年をとったとか そういう事じゃないぜ
俺が何を欲しいか それだけだ
そう俺は本当に 馬鹿野郎だ
だから わかるかい 天才なんだ

「バカヤロだから天才」。
すべてのマンガ家さんのための言葉ではないだろうか。アメトークの特集をきっかけに最初の13冊を買って見始めた『カイジ』に思う。
バカヤロな設定、バカヤロな絵柄、バカヤロな主人公。
しかし福本伸行さんは他の誰でもなく、この世界観を発明したのだ。

一コマ一コマ数え切れないほどの絵を描き、寿命さえ縮めかねない「虚仮の一念」が、大勢の人の心をつかむマンガを生む。
こう考えると酒井七馬という人は知性的なプロデューサー・タイプで、実作においてはいずれの分野でも器用貧乏にならざるをえなかったのかも。

最晩年、さびしいエピソードが。
1968年、奈良県の遊園地で催されたマンガショーの司会を務めたのだが、「続いて若いマンガ家の皆さんに絵を描いてもらいましょう」とのことで登壇した『ぐら・こん関西』という若手同人グループの作家たちが不慣れで、人前で模造紙に大きい絵を描くということが理解できず、舞台の進行は台無しになったというのだ。
今だと逆に西原理恵子さんがやってるのとか、大喜利的なマンガの催しが増えてるじゃないですか。
ついに時代と交わりえなかった酒井七馬氏を象徴するようで–




↑後列左端が手塚治虫、前列左端が酒井七馬。1948年の関西児童漫画協会の席で撮影されたとみられる。この後も手塚さんと酒井氏の交流は続いた
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Top 20 Hits of 24-Aug-2013

2013-08-24 17:52:18 | Weekly Top 15
1. ← 5. 2 "The Sound of Law" Daughn Gibson (2013 - Me Moan)
2. ← 3. 3 "Green Blood" Sonny & the Sunsets (2013 - Antenna to the Afterworld)
3. ← 1. 7 "Glacier" John Grant (2013 - Pale Green Ghosts)
4. ← 2. 8 "Pink Rabbits" The National (2013 - Trouble Will Find Me)



5. NEW 1 "Hello Stranger" Julia Holter (2013 - Loud City Song)
6. ← 11. 2 "Bring the Noize" M.I.A. (2013 - Single)
7. ← 4. 4 "Dreary Town" Nadine Shah (2013 - Love Your Dum and Mad)



8. NEW 1 "If I Gave You My Love" Myron & E (2013 - Broadway)
9. ← 13. 2 "Delicate Cycle" The Uncluded (2013 - Hokey Fright)
10. ← 10. 4 "Hold My Liquor" Kanye West (2013 - Yeezus)
11. ← 8. 6 "Axis" Pet Shop Boys (2013 - Electric)
12. ← 19. 2 "Head On" Man Man (2013 - Single)
13. ← 6. 5 "Stalker" Fuck Buttons (2013 - Slow Focus)



14. NEW 1 "Birds" Death Grips (2013 - Free Download)



15. NEW 1 "Wildfire" John Mayer (2013 - Paradise Valley)
16. ← 9. 5 "Get It" Run the Jewels (2013 - Free Download - Run the Jewels)
17. ← 7. 4 "Waiting On the Heart" KT Tunstall (2013 - Invisible Empire // Crescent Moon)
18. ← 12. 4 "Bound 2" Kanye West (2013 - Yeezus)



19. NEW 1 "One Half" Julianna Barwick (2013 - Nepenthe)
20. ← 16. 3 "Are You Sure" David Lynch (2013 - Single)
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Sumo Decade - 1974

2013-08-18 22:14:32 | Bibliomania
相撲界にとって昭和49(1974)年はまさに新旧交代の1年となった。大関・清国からはじまって、元大関・前の山、横綱の琴桜と北の富士、そして大関・大麒麟が引退。代わって横綱まで一気に駆け上がった北の湖や魁傑、若三杉らが台頭した




初場所・初日に輪島を寄り切りで破った関脇・北の湖。14勝1敗で初優勝を遂げ、場所後に大関に昇進




春場所は輪島が5度目の優勝。この場所から元・栃錦の春日野親方を理事長とする新体制がスタート(↑千秋楽の協会挨拶)




夏場所は三保ケ関と花籠の部屋対抗戦のごとき様相で、大関・北の湖が優勝し、横綱近しを思わせた




名古屋場所は千秋楽に横綱・輪島が大関・北の湖を下して共に2敗で並び、優勝決定戦でも輪島が勝って逆転優勝。優勝同点の北の湖は場所後に21歳2ヵ月の史上最年少で横綱に推挙された(↑本割の一番)




名古屋場所途中に引退した横綱・北の富士は井筒親方として独立、8月22日に部屋新築の上棟式と婚約発表を行う。相手の女性は19歳!?の短大生だったが後に破談に




秋場所は輪島が14勝1敗で連続優勝した。新横綱・北の湖は11勝4敗




九州場所・7日目、小結・魁傑が北の湖を下す。この2人の優勝争いは千秋楽に輪島(魁傑と同部屋)が北の湖を破ったことにより優勝決定戦に持ち込まれ、再び魁傑が勝って初優勝




春場所で再入幕した若三杉は以降5場所連続で勝ち越して、魁傑に次ぐ大関候補に。甘いマスクで人気もうなぎ上り




後列左より麒麟児、若三杉、金城、前列左より大錦、北の湖。そろって昭和28年生まれの「花のニッパチ」として期待を集めた




私が相撲誌の年末に出る総集号を買うようになったのは翌昭和50年からのことで、たいへん信頼していたのだが、前年にとんだ手落ちが。初場所の写真特集のキャプションが春場所のものと入れ替わっており(↑右)、さらに春場所の星取表が丸ごと前年昭和48年春場所のものになっているという(↑左)。印刷物は証拠が残ってしまうからこわい
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Top 20 Hits of 17-Aug-2013

2013-08-17 17:16:09 | Weekly Top 15
1. ← 2. 6 "Glacier" John Grant (2013 - Pale Green Ghosts)
2. ← 1. 7 "Pink Rabbits" The National (2013 - Trouble Will Find Me)
3. ← 6. 2 "Green Blood" Sonny & the Sunsets (2013 - Antenna to the Afterworld)
4. ← 3. 3 "Dreary Town" Nadine Shah (2013 - Love Your Dum and Mad)



5. NEW 1 "The Sound of Law" Daughn Gibson (2013 - Me Moan)
6. ← 4. 4 "Stalker" Fuck Buttons (2013 - Slow Focus)
7. ← 8. 3 "Waiting On the Heart" KT Tunstall (2013 - Invisible Empire // Crescent Moon)
8. ← 5. 5 "Axis" Pet Shop Boys (2013 - Electric)
9. ← 10. 4 "Get It" Run the Jewels (2013 - Free Download - Run the Jewels)
10. ← 13. 3 "Hold My Liquor" Kanye West (2013 - Yeezus)



11. NEW 1 "Bring the Noize" M.I.A. (2013 - Single)
12. ← 11. 3 "Bound 2" Kanye West (2013 - Yeezus)



13. NEW 1 "Delicate Cycle" The Uncluded (2013 - Hokey Fright)
14. ← 7. 7 "Nightcall (feat. Lovefoxxx)" Kavinsky (2010 - OutRun)
15. ← 12. 6 "Man" Neko Case (2013 - Single)
16. ← 17. 2 "Are You Sure" David Lynch (2013 - Single)
17. ← 15. 3 "Brazil" Gold Panda (2013 - Half of Where You Live)
18. ← 9. 5 "Airglow Fires" Lone (2013 - Single)



19. NEW 1 "Head On" Man Man (2013 - Single)
20. ← 20. 2 "Arlington Busy" Graham Parker & the Rumour (2012 - Three Chords Good)
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日本幻景 #6 - GHQの見たニッポン

2013-08-15 21:33:30 | Bibliomania
終戦の日を控え、やはり気になるのだろうか、先日「100 Best Jewish Songs」で触れた、『終戦のエンペラー』なる映画で占領軍の立場が妙に弱く描かれているという件を、検索してこられるお客さんがちらほら。
そも侵略を「進出」と、占領軍を「進駐軍」と言い換えるなども、痛みを伴う歴史の不都合な部分を隠蔽し先送りしがちなわれわれの心理の表れといえよう。

きょうの安倍晋三首相の式辞においても、「祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に倒れられたみ霊(たま)、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異郷に亡くなられたみ霊の御前に、政府を代表し、式辞を申し述べます」との言葉は、20万以上に及ぶ日本軍の死者の半数が、戦闘中の死でなく、餓死や、栄養失調状態が招く伝染病などによる病死だということに蓋をし、死者の尊厳を汚すというだけでなく、彼らをそうした状況に追い込んだ無能な戦争指導者を同じ「英霊」として靖国神社に祀るような、内向き・国粋主義的な人気取りこそ安倍内閣の支持率を支えているという、われわれ自身の問題に他ならない。

例えば北朝鮮のひどい指導者は言うに及ばず、韓国や中国の企業経営者も、海外進出して現地人を雇ったり、あるいは自国の農民や貧困層を扱うやり方がおおむね日本の経営者よりひどいとは耳にする。
この場合、韓国や中国の政治家やロビー団体が戦争や領土問題について反日宣伝活動を言い募ることには、そうした自国の恥部を隠すねらいもあるだろうから、わが国としては過去の後ろ暗い部分についても堂々と証拠を明らかにして、謝罪なり補償なり誠意を尽くしてこそ、国際的にわが国の立場を強め、短期的に痛みと直面しても長期的には最終解決して名誉ある道を歩むことを可能にするのではないだろうか。





ポツダム宣言を受け入れ連合国に対し無条件降伏した日本の占領・統治の権限は、連合国最高司令官に任命された米太平洋陸軍総司令官ダグラス・マッカーサー元帥に委ねられた。
マッカーサー元帥は1945年8月30日午後2時5分、愛機バターン号から神奈川県・厚木飛行場に降り立ち、日本占領が始まったのである




焼却処分のためガソリンをかけられる陸軍航空機(1945年11月)




国会議事堂前で切腹自殺をはかった元陸軍少佐の決意書と刀を調べる鈴木幹雄警視総監(中央・1946年6月)




旧陸軍衛生試験所で発見されたモンゴルからの生アヘン792キロ(中央下部の缶)と満州からの生モルヒネ500キロ(左側の缶)。他にも多量のヘロイン、アヘン、未精製の麻薬類が後ろの箱に詰められている。この麻薬類は北京と天津の日本軍司令官により徴発されたもの(1945年11月)




敗戦に伴い満州国は消滅し、東京・麻布の大使館も廃墟となった(1947年3月)。この場所には後に中国大使館が設けられた




1946年元旦にいわゆる「人間宣言」を行った昭和天皇は、翌2月から全国巡幸を行った。爆撃で家を失った人びとのための仮設住宅を視察する昭和天皇(1946年2月)




浅草の東本願寺で共同給食を受け取ったあと2人で話をする戦争被災者(1946年5月)




日本の深刻な食糧不足を憂慮したGHQ(連合国最高司令官総司令部)が米政府に掛け合い、食糧の緊急輸入が行われた。↑米軍から放出された1000トンの携帯口糧の積み出しについて話し合う缶詰会社の幹部たち(1946年4月)




衛生状態が悪化して発疹チフスが流行し、媒介するシラミを殺すためDDTが各所で散布された(↑駒込・1946年12月)。DDTは体内で毒性が持続するとして1971年に使用が禁止された




食糧不足の中で高値のヤミ取引が横行、ヤミ市の強制捜査を激励する田中栄一警視総監(1948年12月)。ちなみに田中総監はこの約ひと月前に上野公園を視察中、男娼ら約30人に殴られたばかりだった




1945年10月当時のヤミ価格を基準価格と比べた表




「海の幸」を積んで南極海から帰ってきた捕鯨船・日新丸。東京芝浦ドックでGHQや政府関係者を集めて慰労パーティーが開かれた(1948年4月)




日米の模型飛行機同好メンバーが集まり、各自の飛行機を見せ合う(1947年6月)




政治犯として拘禁されていた在日朝鮮人たち。解放され、GHQ司令部の前で万歳を叫ぶ(1945年10月)




朝鮮戦争勃発に伴い、マッカーサー元帥は在韓国連軍最高司令官を兼任することになり、当地へ乗り込んで指揮をとったが、後にトルーマン大統領との確執から解任される。日本は米軍への補給物資特需で湧いた。↑東京兵器廠センターの革工場で働く従業員(1952年、以上の写真はGHQおよび米陸軍の写真部が撮影したもので『GHQの見たニッポン 戦後ドキュメント1945~1952』、世界文化社、2007年、より)
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Top 20 Hits of 10-Aug-2013

2013-08-10 17:43:45 | Weekly Top 15
1. ← 1. 6 "Pink Rabbits" The National (2013 - Trouble Will Find Me)
2. ← 2. 5 "Glacier" John Grant (2013 - Pale Green Ghosts)
3. ← 8. 2 "Dreary Town" Nadine Shah (2013 - Love Your Dum and Mad)
4. ← 4. 3 "Stalker" Fuck Buttons (2013 - Slow Focus)
5. ← 3. 4 "Axis" Pet Shop Boys (2013 - Electric)



6. NEW 1 "Green Blood" Sonny & the Sunsets (2013 - Antenna to the Afterworld)
7. ← 5. 6 "Nightcall (feat. Lovefoxxx)" Kavinsky (2010 - OutRun)
8. ← 15. 2 "Waiting On the Heart" KT Tunstall (2013 - Invisible Empire // Crescent Moon)
9. ← 6. 4 "Airglow Fires" Lone (2013 - Single)
10. ← 12. 3 "Get It" Run the Jewels (2013 - Free Download - Run the Jewels)
11. ← 16. 2 "Bound 2" Kanye West (2013 - Yeezus)
12. ← 11. 5 "Man" Neko Case (2013 - Single)
13. ← 17. 2 "Hold My Liquor" Kanye West (2013 - Yeezus)
14. ← 7. 5 "The World Set Free" William Tyler (2013 - Impossible Truth)
15. ← 20. 2 "Brazil" Gold Panda (2013 - Half of Where You Live)
16. ← 9. 5 "Blurred Lines (feat. T.I. & Pharrell)" Robin Thicke (2013 - EP)



17. NEW 1 "Are You Sure" David Lynch (2013 - Single)
18. ← 10. 3 "Shout It Out" Mikal Cronin (2013 - MCII)
19. ← 14. 7 "Weakling Paradinas" µ-Ziq (2013 - Chewed Corners)



20. NEW 1 "Arlington Busy" Graham Parker & the Rumour (2012 - Three Chords Good)
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文明の礎石 - 100 Best Jewish Songs

2013-08-08 21:16:04 | 音楽
きのうの夕刊に載った小コラムに、気になる記述を見つけた。
筒井清忠という筆者が、公開中の日米合作映画『終戦のエンペラー』が、アメリカ占領軍の中で日本政府中枢の戦争責任追及を担ったボナー・フェラーズ准将を描く意欲作であるとする一方、「フィクションとはいえ、占領軍の将校が日本の高官に会おうとしても困難だったり、飲食店で日本人に殴られてもそのままなど占領軍の立場が妙に弱く描かれている」ことを指摘していたのだ。

わが国は大がかりな戦争で無条件降伏した。
その直後には、おそらくあちこちで屈辱的な事態が多発したろうが、そうした、いまのわれわれにとって不都合というか「痛み」を伴う史実を伏せ、戦争に負けても毅然とした日本人という偽りのイメージを流布するのは、いちじるしく危険である。
失敗や敗北、屈辱を直視し、そこから学ぼうとしない者は、同じ過ちを繰り返すだろうから。




当ブログはこれまでもアメリカを中心にユダヤ人・ユダヤ系の音楽家による業績を取り上げてきたが、ユダヤ人自らが選んだベスト100曲のリストを3ヵ月ほど前に見つけ、著名なポップ曲・スタンダード曲や、ヘブライ語やイディッシュ語の民謡・童謡、さらにはイスラエル愛国歌まで含む内容を吟味し、まだ60曲ほどしか集めてないけれども、冒頭の映画の件や韓国人サポーターによる「歴史を忘れたうんぬん」の件もあり、きょう紹介しようと。

ロックがまだ黒人のものだった頃に多くの曲を提供したリーバー&ストーラー(26)や、あるいは黒人のランDMCと白人のエアロスミスを引き合わせたプロデューサーのリック・ルービン(35)のように、異なった文化を接着する役割を引き受けているユダヤ音楽家は少なくない。
またユダヤ系社会のみに伝わる民謡やダンス曲も、それらが披露される婚礼や成人式の場にはふさわしくないのではないかと思われるほど悲しげなものが多い。
飛び飛びになるが100位の「ルーザー」からカウントダウンして、最後に流れてくる「虹の彼方に」は圧巻である。

かつてジョン・レノンは「神とは人間が自らの痛みを計るための概念だ」と歌った。
痛みの大きさを知り、自らの遺伝子に刻み込んで、子々孫々に伝えること。
これこそ、ユダヤ人が発見し、人類の将来を切りひらいた、最大の貢献に他ならない。





●Songs of Songs - 100 Best Jewish Songs
1. “Over the Rainbow” (1939)
2. “Hava Nagila” (1918)
3. “Highway 61 Revisited” (1965)
4. “Kol Nidre” (13th century)
5. “Hatikvah” (1888)
6. “My Mammy” (1918)
7. “Shema Yisrael” (19th century)
8. “White Christmas” (1942)
9. “Be My Baby” (1963)



10. “I Got Rhythm” (1930)
11. “Adon Olam” (11th century)



12. “God Bless America” (1938)
13. “The Internationale” (1871)
14. “Blitzkrieg Bop” (1976)
15. “Avinu Malkeinu” (1st century)
16. “Strange Fruit” (1936)



17. “In My Country There Is Problem (Throw the Jew Down the Well)” (2004)
18. “My Funny Valentine” (1937)
19. “Eli, Eli” (1896)
20. “I’m Against It” (1932)
21. “Ol’ Man River” (1927)
22. “If I Were a Rich Man” (1964)
23. “Oseh Shalom” (1974)
24. “Der Heyser Bulgar” (1923)
25. “Hallelujah” (1985)
26. “On Broadway” (1963)
27. “Summertime” (1935)
28. “Lekha Dodi” (16th century)
29. “Bei Mir Bist Du Shein” (1932)
30. “What the World Needs Now Is Love” (1965)
31. “Dayeinu” (9th century)
32. “I Wanna Be Black” (1978)
33. “Somewhere” (1957)
34. “Im Nin’alu” (1968)



35. “Walk This Way” (1986)
36. “The Way We Were” (1973)
37. “Rudolph the Red-Nosed Reindeer” (1948)
38. “Rozhinkes mit Mandlen” (1882)
39. “Mayim Mayim” (1946)
40. “Nature Boy” (1947)
41. “Some of These Days” (1910)
42. “Rumania” (1925)
43. “(You Make Me Feel Like) a Natural Woman” (1966)
44. “Los Bilbilicos” (Medieval Spain)
45. “Talkin’ Hava Negiliah Blues” (1963)
46. “Hound Dog” (1952)
47. “Tzena, Tzena” (1951)
48. “There’s No Business Like Show Business” (1946)
49. “You’ve Lost That Lovin’ Feeling” (1964)
50. “Lechi Lach” (1986)



51. “Mein Shtetele Belz” (1932)
52. “September Song” (1938)
53. “No Sleep Till Brooklyn” (1987)
54. “Ich Hob Dich Tzu Fil Lieb” (1934)
55. “I Say a Little Prayer” (1967)
56. “Brother, Can You Spare a Dime?” (1932)
57. “I Have a Little Dreidel” (20th century)
58. “Hallelujah” (1979)
59. “Oifn Pripitchik” (1899)



60. “America” (1980)
61. “You’re so Vain” (1972)
62. “Manhattan” (1925)
63. “La Rosa Enflorece” (16th century)
64. “Popcorn” (1969)
65. “Exodus (This Land Is Mine)” (1960)
66. “Yo Ya” (1973)
67. “The Chanukah Song” (1994)
68. “Copacabana” (1978)
69. “Je T’aime … Moi Non Plus” (1969)
70. “Yidl Mitn Fidl” (1936)
71. “My Yiddishe Mamme” (1925)
72. “Yerushalayim Shel Zahav” (1967)
73. “Take Me Out to the Ball Game” (1908)
74. “Hello Muddah, Hello Fadduh (a Letter From Camp)” (1963)
75. “Flash Light” (1977)
76. “Still Crazy After All These Years” (1975)
77. “Shir LaShalom” (1969)
78. “Pata Pata” (1967)
79. “King Without a Crown” (2004)
80. “Di Griene Cusiene” (1920s)
81. “Ray of Light” (1998)
82. “Tumbalalaika”



83. “Rehab” (2006)



84. “A Brivele Der Mamen” (1932)
85. “Rock and Roll All Nite” (1975)
86. “They Ain’t Making Jews Like Jesus Anymore” (1974)
87. “Movin’ Out (Anthony’s Song)” (1977)
88. “Od Yavo Shalom Aleinu” (1998)
89. “Dunkin’ Bagel” (1946)
90. “Funkytown” (1980)
91. “Bashana Haba’ah” (1968)
92. “Second Hand Rose” (1921)
93. “I’ve Gotta Be Me” (1968)
94. “Neighborhood Bully” (1983)
95. “Eli’s Coming” (1968)
96. “National Brotherhood Week” (1965)
97. “This Undoing World” (1997)



98. “Dixie Flyer” (1988)
99. “Joseph, Joseph” (1923)
100. “Loser” (1993)
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Top 20 Hits of 3-Aug-2013

2013-08-03 18:16:39 | Weekly Top 15
1. ← 1. 5 "Pink Rabbits" The National (2013 - Trouble Will Find Me)
2. ← 2. 4 "Glacier" John Grant (2013 - Pale Green Ghosts)
3. ← 3. 3 "Axis" Pet Shop Boys (2013 - Electric)
4. ← 9. 2 "Stalker" Fuck Buttons (2013 - Slow Focus)
5. ← 4. 5 "Nightcall (feat. Lovefoxxx)" Kavinsky (2010 - OutRun)
6. ← 6. 3 "Airglow Fires" Lone (2013 - Single)
7. ← 5. 4 "The World Set Free" William Tyler (2013 - Impossible Truth)



8. NEW 1 "Dreary Town" Nadine Shah (2013 - Love Your Dum and Mad)
9. ← 7. 4 "Blurred Lines (feat. T.I. & Pharrell)" Robin Thicke (2013 - EP)
10. ← 13. 2 "Shout It Out" Mikal Cronin (2013 - MCII)
11. ← 12. 4 "Man" Neko Case (2013 - Single)
12. ← 16. 2 "Get It" Run the Jewels (2013 - Free Download - Run the Jewels)
13. ← 8. 5 "Another Love" Tom Odell (2013 - Long Way Down)
14. ← 10. 6 "Weakling Paradinas" µ-Ziq (2013 - Chewed Corners)



15. NEW 1 "Waiting On the Heart" KT Tunstall (2013 - Invisible Empire // Crescent Moon)



16. NEW 1 "Bound 2" Kanye West (2013 - Yeezus)
17. NEW 1 "Hold My Liquor" Kanye West (2013 - Yeezus)
18. ← 15. 3 "Strandbar (disko)" Todd Terje (2013 - Single)
19. ← 11. 6 "Blood On the Leaves" Kanye West (2013 - Yeezus)



20. NEW 1 "Brazil" Gold Panda (2013 - Half of Where You Live)
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東京ウシジマ新聞 #40 - 日中戦争

2013-08-01 20:55:37 | Bibliomania
天津は、気違い騒ぎだった。すでに、そこにあつまってきているおびただしい数の日本人は、火事場どろぼうであり、侵略した中国をどこからかぶりつこうかと、下見に来た連中であった。大阪の道頓堀から進出してきた大きなキャバレーは、夜も昼もなく、そういう連中で芋を洗うようであった。酒と女の渦巻きのなかで、浮きつ沈みつしながらの商談である。前線から交代してきた若い将校たちは、蒙古帽と泥靴で、傍若無人にふんぞり返り、鯨飲し、気にさわれば何をするかわからない剣幕なので、客のなかには、こそこそ逃げ腰になるものもあった。

日本の有名なデパートも店を開いて、姑娘(クーニャン)たちが、片言の日本語で、愛嬌笑いをふりまいた。目ぬき通りの店は、日本の雑貨や、みやげもの店まで軒を並べ、まるで日本の町を歩いているようであったが、それよりも目にたつのは、日本の料亭や、一杯飲み屋、喫茶店、バー、おでん屋などのごみごみした商売と、町をうろうろしているぽん引きや、ばくち打ちふうな、怪しげな連中であった。

どこでも、夜中の2時、3時まで、前線を見に来て記事を書くつもりの連中や、知識人たちが、殺気立って議論を戦わしていた。僕はそこで杉山平助や、松葉杖を突いた早坂二郎に巡り会った。早坂は、昔の友である北中国の傀儡政府の要人によばれて、政府顧問格を約束されて渡ってきたが、その要人が北京から新京まで、飛行機で鮪の鮨を食いに行って帰ってくるなり、赤痢にかかって、あっけなく死んでしまった。そこで、彼自身も、ご破算になって日本へ舞いもどるやさきとかで、ここ2、3日酒びたりになって、八つ当たりをしている最中であった。

早坂は、日本の資本家に対して、とりわけ激しい怒りをもやしていた。戦場で敵味方の撃ち出した砲弾の殻を、一手で回収する権利をつかんだとかで、「三井ともある日本の大財閥も、死人の金歯をとる隠亡(おんぼう)にいつ成りさがった?」とののしった。そして、その余禄でわずかなふるまい酒にありついて、しっぽを振ってる軍の幹部なんて、哀れなやつだと放言した。魏の国の王曹操をののしった禰衡(でいこう)のように、その後、彼もまた、自分の発言が招いた災いのために命を落とした。皇后について不敬なことを放言したというので、憲兵に殺されたのだ。しかし、彼の言葉が根のないでたらめでないことは、僕が北京から奥地にはいっていったとき見聞したすべてで、うなずけた。 –(金子光晴 『絶望の精神史』より、1965年)





外国貿易は、1978年の中国の国民総生産(GNP)のわずか7%を占めるにすぎなかったが、1990年代の初頭にはその割合は40%に急上昇し、その後もこの水準を保っている。同時期、世界貿易に占める中国のシェアは4倍になった。2002年の時点ですでに、中国の国内総生産(GDP)の40%以上が海外直接投資によるものだった(その半分が製造業である)。その時までに中国は、発展途上国の中で最大の海外直接投資受け入れ国になっており、多国籍企業は中国市場を開拓して利益を上げてきた。GMは、1990年代初頭に中国での事業に失敗して撤退したが、90年代の終わりに中国市場に再進出し、2003年には、アメリカ国内での事業よりもはるかに大きな利益を中国での事業であげていると発表した。

輸出主導型の発展戦略は見事に成功したかのように思われた。しかしこれは、1978年にはまったく予想されていないものだった。鄧小平は、毛沢東の自力更生政策と決別する姿勢を示したが、外国への最初の開放は試験的なものであり、広東の経済特区に制限されていた。広東の実験の成功に注目した共産党が、成長は輸出に主導されるということを受け入れたのは、ようやく1987年になってからのことであった。さらに、1992年の鄧小平の「南巡」後に初めて、中央政府は、外国貿易と海外直接投資への開放を全力で支援した。たとえば1994年に、二重為替相場(公式レートと市場レート)が、公式レートの50%切り下げによって廃止された。この切り下げは国内に多少のインフレ局面を誘発したが、これによって、貿易と資本流入がいちじるしく拡大する道を準備し、中国は今では世界で最も成功した経済としての地位を固めた。このことが新自由主義化の将来にとってどのような意味を持っているかはまだ未知数である。なぜなら、それは競争的な地理的不均等発展を通じて絶えず変化する傾向があるからである。

鄧小平の戦略が当初成功を収めることができたのは香港のコネクションのおかげであった。アジアの「タイガー・エコノミー」の先頭グループの一つである香港は、すでに資本のダイナミズムの重要な一中心地であった。国家計画性にかなり頼っている他のアジア諸国(シンガポール、台湾、韓国)とは異なり、香港は国家による大した指導もなく、より無秩序で企業主導的な方向で発展した。都合の良いことに、香港は、重要な世界的コネクションをすでに有していた華僑の拠点であった。香港の製造業は、労働集約型の低付加価値路線で発展した(筆頭は繊維産業)。しかし、1970年代末にはすでに、外国との厳しい競争と深刻な労働力不足に苦しんでいた。ちょうど国境を挟んで中国側にある広東には、低賃金の労働者が豊富に存在していた。それゆえ、鄧小平の開放は思いがけない幸運となった。香港資本はこの機会を捉えた。彼らは、国境を越えて中国とつながる多くの秘密のコネクションを活用して、中国がすでに行っていたあらゆる外国貿易の仲介役として機能するとともに、グローバル経済へと通じる彼らの市場販売網を通じて、中国製品をやすやすと流通させることができた。

1990年代半ばになっても、中国における海外直接投資の約3分の2は、香港を通じて行われていた。その一部は、外国資本のより多様な源泉を仲介する香港ビジネス界の手腕によるものであったが、いずれにせよ香港に近接しているという幸運な事実が全体としての中国の経済発展にとって決定的であったことは疑いない。たとえば、深圳の都市部に省政府が設定した経済開発特区は、1980年代初めにはうまくいっていなかった。香港の資本家を引きつけたのは、農村地域に新たにつくられた郷鎮企業であった。郷鎮企業が仕事をし、香港資本が機械や投入物や販路を提供した。こうした事業スタイルがいったん確立すると、他の外国資本化もそれを模倣した(とくに台湾資本は開放後の上海を中心にこうした事業方法を展開した)。海外直接投資の出資国は、1990年代にはるかに多様なものとなり、アメリカの企業だけでなく、日本と韓国も、中国を海外生産の拠点として大々的に利用するようになった。

1990年代半ばにはすでに、中国の巨大な生産市場が、外国資本にとってますます魅力的なものになっていることが明らかになった。生まれたばかりの成長しつつある中産階級の購買力を有しているのが人口のわずか10%にすぎないとしても、10億人以上の人口の10%は十分巨大な国内市場を構成するであろう。ショッピングセンターやハイウェイや「豪華な」マイホームばかりでなく、自動車、携帯電話、DVD、テレビ、洗濯機を彼らに供給するために、競争戦が展開された。自動車の月間生産量は、1993年の約2万台から徐々に増えて、2001年にはちょうど5万台を突破した。しかしその後、2004年半ばには、月産約25万台にまで急上昇した。制度の不安定さや、国の政策の変わりやすさ、過剰設備投資の明らかな危険性が存在したにもかかわらず、将来の国内市場の急速な発展を期待して、外国投資が=ウォルマートやマクドナルドから、コンピュータ・チップの生産まであらゆるものについて=中国へ殺到した。

海外直接投資に大きく依存している点は、日本や韓国と比べて、中国のケースの特殊性である。その結果、中国の資本主義はあまり統合されていない。新しい交通手段に莫大な投資が行われてきたが、国内の各地域間の取引はあまり発展していない。広東省などの地方の場合、中国の他の地域とよりも外国との取引の方がはるかに多い。昨今、企業合併の動きが猛烈に進み、各省の間に地方間の提携を生み出そうと国家主導の努力がなされているにもかかわらず、資本が中国のある地域から別の地域へと移動することは容易なことではない。したがって、海外直接投資への依存が減るのは、中国の国内において資源配分と資本間の提携が改善される場合のみだろう。

中国の対外貿易関係は時とともに変化してきたが、とりわけこの4年間の変化は顕著であった。2001年にWTOに加入したことがそれに大いに関係しているが、他方で中国国内における経済発展の激しいダイナミズムと国際的な競争構造の転換によって、貿易関係の大規模な再編が不可避となった。1980年代には、グローバル市場における中国の位置は主として低付加価値生産によるものであり、国際市場で安い繊維製品やおもちゃやプラスチック製品を大量に売っていた。かつての毛沢東主義的政策のおかげで、中国は、エネルギーと多くの原材料(中国は最大の綿花生産国の一つである)を自給することができた。それゆえ中国にとって必要だったのは、機械や技術を輸入し市場にアクセスすることだけであった(都合のよいことに香港の厚意があった)。中国には、安い労働力を利用することができるという大きな競争上の優位性があった。繊維産業における時給は、1990年代末の中国で30セントであり、これに対して、メキシコと韓国は2.75ドル、香港と台湾は5ドル前後、アメリカは10ドル以上であった。しかしながら、最初の段階において中国の生産はたいてい台湾と香港の商業資本に対して従属的な地位にあった。これらの商業資本はグローバル市場へのアクセス経路を掌握しており、貿易で得られた利益の最大部分をかすめとるとともに、郷鎮企業や国有企業を買収するかそこに投資することによって、生産の後方統合をしだいに達成していった。珠光(じゅこう)デルタ地帯では、4万人もの労働者を雇う生産施設もめずらしくない。さらに低賃金は資本節約型の技術革新を可能にしている。生産性の高いアメリカの工場は、高価なオートメーションを用いているが、「中国の工場はこの過程を逆転させて、生産過程から資本を引き上げ、より多くの労働をそこに再導入している」。必要な投下資本量が3分の1ほど少ないのが普通である。「より低い賃金とより少ない資本の組み合わせによって、おおむね、アメリカの工場の水準を上回る資本収益をあげている」。

中国は、賃労働に関してこのような途方もない優位性を持っているおかげで、低付加価値生産部門(たとえば繊維)において、メキシコやインドネシア、ベトナム、タイといった他の低賃金諸国を向こうに回して互角に競争することができるのである。アメリカ市場における消費財の主要供給国として中国がメキシコに追いついた時、メキシコはわずか2年間で20万人の雇用を失った(NAFTAがあったにもかかわらず)。1990年代、中国は生産の付加価値度の序列を昇りはじめ、電子機器や工作機械などの分野で、韓国や日本、台湾やマレーシア、シンガポールなどと競争しはじめた。こうしたことが起こった理由の一つは、これらの国の企業が、中国の大学システムが大量に生み出している低賃金で高度な技術をもった労働者の巨大な予備軍を活用するために生産を中国に移転しようと決めたからである。当初、最も多くの資本が流入したのは台湾からであった。今では100万人もの台湾人企業家と技術者が中国に移り住んで働いていると考えられており、それにともなって高い生産能力も中国にもたらされた。韓国からの流入も大きかった(↑図参照)。韓国の電子機器会社の事業展開は今では実質的に中国でなされている。たとえば2003年9月にサムソン電子は、パソコン製造業務を、すでに25億ドルを投資した中国に全面移転し、「販売子会社を10、生産会社を26つくり、トータルで4万2千人を雇用する」と発表した。日本の生産の中国へのアウトソーシングは、日本における製造業の雇用を、1992年の1570万人から2001年には1310万人へと減少させる一因となった。また日本企業は中国へと移転するために、マレーシアやタイその他から撤退しはじめた。日本企業は現在では中国に膨大な投資を行っており、「日中貿易の半分以上が、日本企業同士の取引である(※2004年時点)」。アメリカでもそうなのだが、企業は繁栄しているが、その本国は苦境にあえいでいるわけである。中国は、アメリカから奪った雇用よりも多くの雇用を日本や韓国、メキシコその他から奪い取った。国内的にも、また国際貿易上の地位においても中国のめざましい成長は、日本の長期にわたる景気後退や、東アジアの他の諸国や東南アジアにおける成長の遅れ、輸出の停滞、周期的な危機を軌を一にしていた。多くの国に及ぼすこうした否定的な競争上の影響は、おそらく時とともにますます深刻になるだろう。 –(デヴィッド・ハーヴェイ 『新自由主義 その歴史的展開と現在』より、2005年)


◆郷鎮企業:人民公社解体後に設立された村営・町営の企業のこと。郷も鎮も村や町を意味する下位の行政単位。業種は農業・工業・商業・建設業・交通運輸・飲食業など多岐にわたり、中国経済の中心を担うようになった



冒頭写真:カッパブックス『三光 日本人の中国における戦争犯罪の告白』より、中国の農民を日本軍人が試し斬りにした瞬間とされる
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