マガジンひとり

オリンピック? 統一教会? ジャニーズ事務所?
巻き添え食ってたまるかよ

中央集権と出版社②

2024-01-14 18:45:27 | メディア・芸能
昭和27(1952)年11月、「文學界」で「新人作家文学を語る」という座談会があり、阿川弘行、三浦朱門、吉行淳之介のほか、武田繁太郎、伊藤桂一などと一緒に僕もそれに出た。つまり、「現在の会」の中で左翼系でない者、ノンポリ(そういう言葉は当時まだなかったが)の連中だけを集めたようなものだ。しかし、座談会に集っても、僕は何を発言していいのかほとんどわからなかった。だいたいイデオロギーに関心を持たない僕らは、手近に討論すべき対象が見つからなかったし、かといって文学そのものもどう語り出すべきか、その術を知らなかった。そのくせお互いに他人の発言に対してはことごとく突っかかる性癖があり、したがって発言はおよそ支離滅裂なものとなった。何の話からか、「中央線の電車が東中野駅のホームの直前を通過した」というのに、阿川が真っ赤な顔をして憤慨しはじめた。
「そんなはずはない。東中野駅ならホームから少し離れたところを…

(中略)隣にいた吉行が僕に囁いた。
「この座談会はモノにならんな。おれは編集者をやっていたから、こういうカンは当るのだ。こうなったらもう食うよりしかたない。食って、飲んで、それでおしまいだ」

(中略)驚いたことにその座談会は翌昭和28年「文學界」の新年号にそのまま発表された。およそ文芸雑誌の座談会でこれほど非文学的なものはなかったであろう。早速、あちこちの新聞、雑誌などの匿名批評の好餌となった。ある雑誌には「職業野球選手並みの頭脳」と書かれ、また「バカで図々しいのもここまで来れば泣いていいか笑っていいか分らない」などと嘆く批評家もいた。それで僕らはお互いに「バカズー」というのが呼び名になった。

しかし、この不評にもかかわらず、「文學界」では僕らに呼びかけて、毎月一回会合を開いてくれることになった。その会員は、小説家が三浦朱門、吉行淳之介、庄野潤三、島尾敏雄、小島信夫、近藤啓太郎、武田繁太郎、結城信一、五味康祐、安岡章太郎。評論家が奥野健男、進藤純孝、村松剛、日野啓三、浜田新一、等であった。会場は銀座の「はせ川」で、会費はたしか1人200円、残りは「文学界」で負担してくれた。そして、この頃から僕らは「第三の新人」と呼ばれるようになった。命名者は山本健吉氏で、その由来は戦後三番目にあらわれたグループということらしい。何にしても、そのころの文芸雑誌は新人育成にずいぶん熱心であり、親切でもあったことになる。どの雑誌も年に2、3回は新人特集をやってくれていた。 ─(安岡章太郎/僕の昭和史/講談社文芸文庫2018・原著1991)


東海林さだお時代から谷岡ヤスジ時代へと移り変る時、内面でいったい何が変化したのか。それは〝恥〟のとらえ方の変化ではないか、……とボクは前から考えているのだ。

東海林ギャグは〝恥〟に敏感であった。他人に後ろ指をさされ、ヒソヒソと軽蔑された登場人物は、まっ赤になってうつ向いてしまうのである。破廉恥な行動に出れば出るで、「オレこんなことしていったい……」とつぶやかざるをえないのであった。

しかるに谷岡ギャグはどうか? 反撃に出るのである。「テメーラ見世モンじゃねー」とわめき蹴ちらすか、あるいは「えーいワシャどーなってもヘーキじゃケンね」と尻をまくる。しかしその奥に〝恥〟の思想は厳然として残っているのだ。恥を恥と思うからこそ、右のようなヒラキ直りも出てくるのである。

谷岡時代のつぎに出現したのが黒鉄(くろがね)ヒロシであった。絵のテクニックは抜群である。ところが〝恥〟という思想がついに、 黒鉄マンガでは、ほぼその姿を消して──見栄は少々残っているが──しまうのである。他人が見ていようがいまいがオカマイナシな行動を、黒鉄漫画の主人公たちはとるのである。どんなにヒワイな、あるいはロコツなギャグもすべてこれ「冗談」でサラリと流し去ってしまう。実にあきれるほど平然としたものであるのだ。

この三代を見れば、今後のギャグ漫画の方向も自然とアキラカになるかも知れない。 つまり──いや、止そう。へタなこと描いて十年後に笑われるのはイヤじゃけんね。

セリフは「昭和情話」より。「ボクは百恵さん! たとえあなたに足が三本あろうと! オッパイが六つあろうと! 角がはえていようが! おシリの割れめが四つあっても! 嫁にもらうよ!」 ─(みなもと太郎/お楽しみはこれもなのじゃ 漫画の名セリフ/河出文庫1997・原連載1976-79)



「職業野球選手並みの」という形容が時代をしのばせるが、文學界は文藝春秋社の「純文学」誌で、同誌が設けた新人賞の第1号(1955・昭和30年)となった石原慎太郎が同じ「太陽の季節」で芥川賞を受け、社会現象化したことで芥川賞・直木賞は文春以外のメディアを巻き込み、メディアと芸能・広告産業全体を振興するような名士の登竜門として定着。「第三の新人」にせよ石原以降の流行作家、また漫画集団や新聞・雑誌のコママンガといったようなものは、欧米列強を模倣して「戦争できる国民国家」を短期間で作り、実際戦争に勝って領土拡大し好景気を謳う、政府にとって最も望まれる教育・広報と娯楽を兼ねた原点であったろう。各ジャンルの名士たちはキャラで棲み分け、プロレスを演じ、たとえばいしいひさいちの新聞4コマ「ののちゃん」に彼がそれまで描いてきたプロ野球選手や文化人が身近な人物として登場するように、メディア上で起っていることが世界のすべてであるかのように錯覚させる役割を担う。お座敷に呼ばれる芸者。芸よりも、名のあるメディアに呼ばれて賑やかしていることに価値があるので、大阪の貸本出版社が意気込んで出した漫画集団の新書判はまったく売れない。

明治政府にとって、江戸時代の身分制を脱して国民皆兵にすべく、積極的に欧米から取り入れる、学校を作って名士予備軍を海外留学させる、基盤を整え門戸を広げることで副産物として小説や映画の中には、いや名前だけじゃなく芸にも価値がありますよというものが現れるが、基本的に政府に従属する出版や新聞、さらにそこにぶら下がる個々の名士という構図。表現・創作には自主規制と他責的な甘えがはたらく。戦後米国に従属することで戦争は対岸に去り、政府も名士も堕落し、テレビと漫画の普及、1980~90年代のジャンル細分化と若者マーケット拡大に伴い相反する内向きと幼児化が進む。メディアに特権を与えられ守られていた黒鉄ヒロシらはネトウヨになり、松本人志はツイッターで墓穴を掘る。メディアと名士を通して「恥知らずのトリクルダウン」が繰り返された結果、失われた30年=政治経済にとどまらずあらゆる分野で国力の相対的な転落が起ったと申せましょう。


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1988 — ソウル五輪

2023-07-27 16:35:30 | メディア・芸能
韓国ソウルと日本の名古屋、2都市しか立候補しなかった1988年夏季オリンピック、開催地決定するIOC総会が行われた1981年、韓国の経済規模は日本の6%ほどに過ぎず、事前は名古屋有利とされていたが投票結果は52対27でソウル。冷戦の真っ只中であり政治上の理由から東側諸国のほとんどが名古屋に投票せざるをえなかったのに対し、ソウルは西側先進国をはじめ広く票を集めしたたかなロビー活動を実らせた。

80年代ニューヨークやロッテルダムなど大都市の賞金マラソンが一般化し、賞金を出せない建前の福岡マラソンや東京マラソンが東ドイツやエチオピアといった共産圏の選手に頼らざるをえなかった事情を想起させる。この結果を受け北朝鮮との共同開催も模索されたが南北の会談は物別れに終り北朝鮮は不参加。一方84年ロス五輪をボイコットしたソ連で85年にミハイル・ゴルバチョフが書記長就任、雪解けの機運が高まりソ連や東ドイツが参加し、不参加は北朝鮮・キューバ・エチオピアなど7ヵ国にとどまり72年ミュンヘン大会以来16年ぶりに大規模ボイコットに悩まされない大会に。


タカアンドトシのトシがこのレースのカール・ルイスの真似をしますよね。歴史的なレース、陸上男子100m。前年のローマ世界陸上で9秒83を記録しルイスを退けて王者となったカナダのベン・ジョンソン、さらに上回る9秒79の世界新記録で再びルイスを退け、「オリンピックの金メダルを誰も私から奪うことはできない」と勝利宣言するも一転、ドーピング検査で筋肉増強剤スタノロゾールの陽性反応。金メダルと世界記録の剥奪。帰国。

ところが実は決勝を走った8人のうち6人までが検査で陽性反応を示したか、あるいはパフォーマンス向上薬の使用や供給に関与していたのだという。繰り上げ銀メダルのリンフォード・クリスティ(英)については当時から疑惑が囁かれていたが、同金メダルのルイスについても代表選考会のドーピング検査で覚醒剤が検出され、出場させるべきか米国陸連内部で揉めたのだという。2013年に出版されたThe Dirtiest Race in Historyという書籍、ソウル五輪決勝に至るまでのルイスとジョンソンのライバル関係、「傲慢なナルシスト」ルイスと「純朴なジャマイカ移民」ジョンソンという人物像を克明に描いて話題になったそうだ。
 


テニスがパリ大会以来64年ぶりに復活。女子はシュテフィ・グラフ(西ドイツ)がこの年の4大大会制覇に加え金メダル。



「こんなに歓喜するブブカは初めて」と書いてある。1984年から94年まで棒高跳びの屋外世界記録を17回も更新したセルゲイ・ブブカ(ソ連⇒ウクライナ)であったが五輪金メダルはこの時だけ、それもかなり苦戦を強いられてのもの。



「霊長類最強」の本家、レスリング・グレコローマン130kg級をソウルからアトランタまで3連覇したアレクサンドル・カレリン(ソ連⇒ロシア、ブルガリアのゲロフスキーとの決勝)。ソ連は参加国中最多の55個の金メダルを獲得したが、4年後のバルセロナ五輪までに激動、連邦崩壊の道へ。



ハイテンション芸人? 議員? 小柄な松野明美(当時20)が女子10000m予選に出場、それまでの日本記録を大幅に更新するも予選落ち。女子10000を予選と決勝2回走らせるのも疑問に思うがこの大会、男子1500と5000は予選・準決勝・決勝の3回、男子800は1次・2次予選・準決・決勝と4回も走らなければならない過酷な日程が組まれ、ロス五輪で5000m優勝したモロッコの英雄サイド・アウイタは中距離2冠を狙ったものの800m3位に終り1500m予選で力尽き準決を棄権。



ベン・ジョンソンのスキャンダルを打ち消すようにクローズ・アップされたのが、女子100mを10秒54(追い風参考)、200mを21秒34と驚異的な記録で制した米国のフローレンス・グリフィス=ジョイナーである。フロージョーの愛称で知られる彼女は、前年までの記録は100m10秒96、200m21秒96に過ぎず、ロス五輪200mでは2位となったものの競技力よりは奇抜なコスチュームと伸ばした爪で話題に上る存在であった。

既にソウル五輪から35年の月日が流れたが、女性スプリンターはジョイナーの世界記録(100mは88年オリンピック代表選考会で記録した10秒49)を破れないままだ。ただし100m歴代2位のエレイン・トンプソン=ヘラ(ジャマイカ)が0.05秒差、200m歴代2位のシェリカ・ジャクソン(ジャマイカ)が0.11秒差まで迫っており、更新の可能性が視界に入ってきてはいる。同様に1980年代、短距離から長距離までソ連と東ドイツの選手によって作られた世界記録が高い壁となって長く残った例が多く、個々の選手は摘発を免れているとしてもそれらのほとんどが組織的ドーピングに助けられたことは明らかだ。

ジョイナーは国際陸連が抜き打ちドーピング検査を導入する前年1989年に引退し、98年に睡眠中てんかんの発作で死去(38歳)。現役中ドーピング検査に引っかかったことはない。しかし陸上・自転車・重量挙げ・米メジャーリーグなど薬物不正が蔓延した結果として、クリーンな選手を含めすべてのアスリートが疑惑の雲で覆われてしまう。ジャニーズ事務所のタレントは喜多川老人への枕行為を経ないとデビューできない。疑惑も糞も全員ということだ。テレビ・広告・大学スポーツ・巨額の契約金や生活支援。私はジョイナーは禁止薬物を使っていたと確信しているが、ジョイナー個人よりもアメリカのスポーツ界が汚れきっているのだ。2020東京五輪では一切テレビを見なかったので比較ということではないけれども1984ロスと1988ソウルはその前哨のようにいろいろ見苦しい点があったと思う。
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自己愛的かつ厭世的

2023-07-16 16:43:27 | メディア・芸能
昨秋の記事で用済みとしたエルヴィス・コステロの500枚、彼はアルバム単位で選ぶと共にその中からお気に入りの曲も挙げている(↓画像)。アルバム全曲を聞かないことが多い私が、ビッグネームながら見過ごしていて彼の推薦で聞くようになり非常に気に入っていた2曲、ジョン・レノンのHow? (1971)とビーチ・ボーイズのCuddle Up (1972)、最近だんだんとウンザリしてきて相次いで消去。


Cuddle Upはデニス・ウィルソンの作曲。ビーチ・ボーイズの芸術上のリーダー、ブライアン・ウィルソンがSMILE制作頓挫など精神混迷し、補うように兄弟のデニスとカールが曲作りの才能を発揮し始めたものの、ビーチ・ボーイズの世評はチャック・ベリー譲りの若者消費を謳うバンドであり、急速に変っていくロックシーンにあってブライアンですら芸術的に期待されているとは言い難く、70年代のビーチ・ボーイズは売り上げ低迷。デニスは悪い仲間と酒浸りの日々。

ヘッダー画像に引用したジョン・レノン評は、彼が音楽活動を止めていた時期のローリングストーンアルバムガイドにグリール・マーカスが執筆。「冒険と退却をくりかえす絶望的な放浪」「戦いの勝利はあきらかに相手側にあった」。後年マーカスは、ジョンの先妻の息子ジュリアンが音楽デビューし、「お父さんにはジョンがいたけどぼくらにはジュリアンがいるよ」という若いファンの声に対し、ジョンが不振のとき、われわれは彼の弱さや苦しみを受け取ることができた。ジュリアンには何もない、不振がすべてだからという傲慢ともいえる発言を行った。

私がコステロの500枚を知って集め始めたのは2010年1月、映画や演劇には何もないと薄々気づき始める時期だったと思う。なのでよけいHow?とCuddle Upの世に倦んでいる自己憐憫的な感覚に共鳴したのだろう。



イギリスの人類学者ロビン・ダンバーが明らかにしたように、われわれの頭脳は、150人以上の相手と相互の信頼関係を維持するキャパシティを持っていない。もっともこの数字は、いわば人類学的変数とでも言うべきものであり、たとえばソーシャル・ネットワークを通じて(どれほどコンタクトがあろうと)現実的に信頼関係を結んでいる友人の数に関する研究調査などを見ると、数値は変わってくる。それに加えて現実の生活においては、社会的統一性を保つために様々なヒエラルキーの形式、すなわち権威の形式が必要になる。こうしてホモ・サピエンスは労働と責任の社会的分担という課題に直面したのである。人類の歴史に政治が出現したことの証拠が刻まれるのは12000年前のことである。これに数々の技術革新が加わっていくことになるが、なかでも火を扱う技術の発達は土器造りに続く冶金技術の発達を促した。

こういったすべての要素が相まって世界の合理化の端緒が開かれ、その結果、図らずも脳を自由に使うための時間を解放する基礎ができ上がったのである。この脳の自由時間は、人類にとってまたとない一種の軍資金のようなものとなり、これまでの歴史を通じて、そこから様々な可能性、技術革新、技芸を汲み出し、それらをひっくるめて言うなら、様々な世界の開拓を可能にしてきた。新石器時代と呼ばれるこのカルチャーショックによって、考古学者のジャック・コーヴァンの言葉を借りれば、それまでは自然条件の運不運に左右される捕食者でしかなかったホモ・サピエンスが、生き残るプロセスを自ら工夫できる存在へと脱皮することができたということになる。つまり、生存するだけのために費やされていた労働の生産性を向上させることによって、自由時間に換算できる剰余価値を引き出せるようになったとも言えるだろう。 ─(ジェラルド・ブロネール/認知アポカリプス/みすず書房2023・原著2021)

ビートルズの後期、ジョンとオノ・ヨーコが音楽としては無意味な、全裸の2人がジャケになっている私的なアルバムを発表。もしその後ビートルズが解散したりジョンの才能が枯渇したり音楽活動を休止したりして、幻滅したファンが全裸のジャケを取り出して「こんな糞をつかませやがって」と恨みを募らせる可能性に思い至る…まあ無理ですよね、人気商売は麻薬のようなもの。新石器革命までの20万年、ヒトの集団は150人を超えることはなかったし、10人に1人は同族の手にかかって死んでいたというから、メディアを通して膨大な人数と関係できる事態にわずかな時間で対応して危機管理できる筈もない。

人を人とも思わない、他人の時間を軍資金と割り切って、湯水のように蕩尽する。その広告には、自らを単純化記号化した「自己愛的かつ現実主義」の者がいくらでも志願する。システムは一人歩きし、時間収集の効率をより高め、たとえば音楽のストリーミングであればそれに徹した、とうてい音楽といえないようなK-pop勢が時間集めの上位を占める。モーツァルトやビートルズのような音楽は今後現れることはないだろうと思うし、ジョン・レノンはじめ若くして亡くなった音楽家はそのような文明の黄昏を先取りする存在だったといえるのではないか。
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人間牧場

2023-06-04 15:05:32 | メディア・芸能
ミスター卑屈。当ブログでお分りのとおり、私の陰険で独善的な性格は変えられないと思うが、震災と原発事故・アベノミクスとその結果として円安と格差社会・コロナ禍・オリンピック強行と汚職発覚・統一教会・ジャニーズ性虐待などなど日本人全体を巻き添えにして価値を下落させる事態の連続で、とりあえずこれ以上〝卑屈〟である必要はないと悟る。金持ちだろうと社長だろうと人気者だろうと、日本を恥ずかしい現状に至らせた責任は孤独な私よりそいつらが負っている。


「関根さん雨男なんじゃないですかw」。いやお前もこの場にいるだろ。しかしより問題なのは関根勤がこの嫌味な男と複数回ゴルフコースを回り、その場で言わずにコサキンのラジオで陰口を叩いて、私も疑問を持たず会社員時代ずっとコサキンを心の友としていたことだ。

関根と小堺一機は当時としては珍しい大卒芸人だった。オーディション番組を物まねで勝ち抜いて欽ちゃんファミリーに属するということで、ドリフやひょうきん族にみられる昭和の演芸臭をよりソフィスティケートした形で親近感を抱かせてくれる新世代だったと思う。と同時に、コサキン初期のナンセンス路線から次第に「芸能人の悪口」が投稿コーナーの多くを占めていく様子は、とんねるず・ダウンタウンの〝イジリ〟、たけしや有吉弘行の〝毒舌〟とも軌を一にして、有名人なんて悪口を言われてナンボ、日々の娯楽としてガス抜きを図るやったもん勝ちの〝知名度=ポジション〟確保につながる。80年代以降、芸人だけでなく、いったん名の売れた者が退かず、ひな壇やバラドル転向などインフレーション。芸能事務所が学校を設け、大卒の志望者も増加。

アンタッチャブルの柴田って社長の友達がたくさんいるらしい。あるいは干されていた時も庇護してくれたかも。ハライチのラジオでも岩井のフリートークに「害虫駆除の社長」なる人物が。↑の映像で先ごろ死去した上岡龍太郎が「芸人とヤクザは一緒。楽したい。人と同じはイヤ。チヤホヤされたい。お金もようけもらいたい。ヤクザと交際厳禁と言われても、元々同じ人種なので」と吐露。何をもって笑いに換えるのか。それがヤクザの価値観そのままであれば恐ろしい。しかし網野史学が指摘するような「代官から接待を受ける鎌倉時代の図太い百姓」が、ヤクザと官僚を合せたような存在である武士階級のお気持ちお立場に、食うや食わずの小作人を集団で同化させる〝接待の価値観〟であるとすれば、萩本欽一とビートたけし以降芸人がテレビの権威となってきたことこそ、人権や民主主義が形骸化して日本が先進国から落後しようとしている現状を招く、最有力な影響源だったといえよう。


ラストFMの楽曲アカウントから、どんなコンピレーション盤で聞かれているか芋ヅル式に辿って、ホリプロが1990年に企画した自社回顧3枚組CDを発見。ホリプロがあるなら渡辺プロもあるでしょってことで探し、こちらは2006年の5枚組。ヘッダー画像に一部紹介した選曲が楽しい。比企理恵って笹塚中学の一学年下だったんですよ、歌が売れなかったのにいつまでもテレビに出ていたのはホリプロの力か。桑江知子が低調な79年の新人賞レースを制したのも渡辺プロの。そう考えると〝知名度=ポジション〟ってでっち上げられるんですよね。内海某=ホリプロ、河合某=渡辺プロと、おニャン子クラブのソロが両方の回顧CDに。AKBとかもそのやり方でしょ、あちこちの関係者に恩を売る、電通や創価学会や統一教会ライクな。

↑画像の、深刻な衝撃を集団で和らげて、解離性人格障害やPTSDを防ぐ日本人独特なあり方、最初読んで咄嗟にジャニーズの件を想起したんですが、光GENJIなんて7人もいたでしょ、年も離れて。しかしもっと当てはまるのはジャニーズのファンをはじめテレビのターゲットたる日本の女なのではないかと。喜多川の行いは、性欲の暴走だけでなく、若い衆が歯向かってこないよう去勢して手なずける意味も。彼の若い頃にも問題視されたが渡辺プロが喜多川を匿ったのだといい、芸能界全体も特に器量のいい女をめぐってそのようなヤクザまがいの経営手法が残っていることは察しがつく。去勢されてポジションを与えられたお人形のようなタレントやアイドル、あるいは「マリエちゃんやっちゃいなよ~」経営側におもねって空気醸成する男たち、日々そんなテレビを見る日本の女たちはどうでもいい情報を消費しながら何も考えずただ現状維持を生きるだけの存在になる。主婦なんて時間がたっぷりあるし長生きなのに。世界最悪の音楽、恥ずかしいオリンピック開会式は日本人の総意である。悪い、恥ずかしいと思ってもすぐ忘れる。人間牧場。
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1960 — ローマ五輪

2023-06-01 18:55:21 | メディア・芸能
1960年の夏季オリンピック大会は8月25日から9月11日の日程でイタリアの首都ローマで開催。パラリンピック大会が同時開催で初めて行われた。北米にテレビ中継された初めての大会で、CBSが独占放送権を獲得、放送衛星がない時代のため録画テープをジェット機で運ぶ。南アフリカ共和国のオリンピック参加は、アパルトヘイト政策への非難のためこの大会を最後に、黒人中心の政権発足後の92年バルセロナ大会まで途絶えることに。



男子体操団体総合のほか鉄棒と跳馬で優勝した日本の小野喬。「鬼に金棒、小野に鉄棒」と謳われる。体操はソビエト連邦が男子8種目のうち5種目、女子6種目のうち5種目を制し、全体でも43個の金メダルを獲得して3回目の参加にして初めてメダルテーブルの首位に立った。スポーツでも東西超大国の競争が激化。



自転車の団体ロードレースではデンマークの選手がトレーナーから興奮剤のアンフェタミンを投与されて出場し、ヌット・イェンセンがレース中に熱中症で倒れその後病院で死亡、他2人が入院するという事件が起った。



18歳のカシアス・クレイがボクシングのライトヘビー級で優勝。年内にプロ転向し、イスラム教に改宗してモハメド・アリと改名。



レスリングのグレコローマンスタイルは古代ローマ時代の遺跡「マクセンティウス聖堂」で行われた。



メルボルン大会で閉会式が盛り上がりに欠けた反省から陸上競技は日程の後半に。接戦の男子100mを制したのはアーミン・ハリー(ドイツ、東西の統一チーム、左端)



陸上十種競技、試合数日前の練習で談笑するアメリカのレイファー・ジョンソンと台湾(中華民国)の楊伝広。2人は元UCLAのチームメイト。10種目のうち短距離など5種目で1位になった楊に対し、ジョンソンは体重が利する投擲で差を詰め、最後の1500mで自己ベストを更新し楊を抑えて優勝した。

しばらくやっていなかったオリンピック(および世界陸上)の回顧記事。日本の没落、特に政治・経済にも増して文化のそれが決定的となり、歴史を問う意味であらためてシリーズ化したいと思います。
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広告糞野郎

2023-03-24 15:48:28 | メディア・芸能
ピーター・バラカンから音楽を教わったことはない。彼の嗜好はとても狭い。ポッパーズMTVでは単なる司会者。ロンドンの大学で日本語を学び、レコード店で働きながらシンコーミュージックの募集に応じて来日、やがてYMOの事務所に移り、メディア上で多彩な活動をするように。来日・就職したのも、メディアで重宝されるのも「英語ネイティブの白人だから」。

ミュージック・マガジン誌では年末にライター各氏が10枚のアルバムを選ぶ企画が恒例になっているが、90年代前半分を参照したところ、バラカンの選盤は白人ソウルやジャズなど毒にも薬にもならない、ワールド系を少し選んでいてもジャマイカ以外の中南米は1枚もない。音楽関係の著書が10種くらい出ているが母国にすら翻訳されたものは一つもない。その意味では日本礼賛のネトウヨ本と変りない。日本のメディアが「脱亜入欧」を広告するため、穏健で賢そうな白人のタレントを必要とし、人口ボーナス期に稼いだ知名度(昔の名前)で出ています。

聡明な白人の外タレ枠といえば、デーブ・スペクター氏のツイッターは駄ジャレと社会派の使い分けに定評があり、統一教会問題に鋭く迫ってフォロワー数をますます稼いだが、先日BBCにてジャニー喜多川の性暴力問題を扱う番組がOAされた際には一転、「欧米らしい正義感」「被害者主義」なるネトウヨ的なワードを用いてジャニーズを擁護し顰蹙を買った。

彼にとって
ネット上の好感度 < テレビ出演に支障を生じさせない
であるらしい。ジャニーズ事務所や電通などなど統一教会と利害が一致しており(日本国民、特に女にものを考えさせないようにすることで既得権化する)、統一教会さえ潰せないくらいなので、もう未来はないな、テレビもネットも日本語の情報はなるべく遠ざけて精神安定を図るべきだなと痛感。



椎名桜子が「処女作執筆中」という有名なコピーとともに女子大生作家として〝デビュー〟したのは、いまから14年ほど前、1987年4月の『an・an』グラビアページでのことだった。そして翌年3月に問題の処女作『家族輪舞曲(ロンド)』を出版するや、たちまちベストセラーとなり、自ら監督を務めてこの小説を映画化。さらに複数のCMにまで出演、一躍メディアの寵児となるのだ。
だが、この椎名桜子、その不可解な〝デビュー〟の仕方からも分かるように、もともと通常の作家とはわけが違っていた。
「彼女は『家族輪舞曲』の版元であるマガジンハウスの宣伝戦略によって〝作られた〟作家だったんだよ。実際桜子の小説にはゴーストライター疑惑が根強く囁かれていたし、3作目以降は小説も書けなくなり単なるタレントになってしまったからね。桜子本人は当時自分が〝作られた作家〟であることを否定していましたが……(出版関係者)」 ─(噂の真相2001年11月号/作られた」作家椎名桜子の不倫・極秘出産劇)


永田町にある山王森ビルってところに三浦瑠麗の株式会社山猫総合研究所が入ってるんだけど、それ以外に旦那のよくわからない会社が無数に入ってる。

TRIBAY CAPITAL
TRIBAY CAPITAL株式会社
TRIBAY WEALTHTECH株式会社
一般社団法人エネルギー安全保障研究所
中日本エネルギー開発合同会社
西日本エネルギー開発合同会社
東日本エネルギー開発合同会社
合同会社SANNO(西日本エネルギー開発合同会社)
SAKECAPITAL株式会社
Wealthtech Global Limited
ニッポン・ウエルス・プライベートバンク株式会社
STC1合同会社
STC2合同会社
STC3合同会社
STC4合同会社
STC5合同会社
和歌山観光開発株式会社(株式会社Bear Investment)
合同会社日高中津第一発電所
合同会社日高中津第ニ発電所
株式会社山猫総合研究所
株式会社TNS

・役職
文藝春秋読者賞選考委員(2019年1月 - 現職)
山猫総合研究所代表(2019年3月 - 現職)
フジテレビ番組審議委員(2019年4月 - 現職)
吉本興業経営アドバイザリー委員(2019年8月 - 現職)
一般財団法人創発プラットフォーム客員主幹研究員(2020年1月 - 現職)
東京国際大学特任教授(2020年7月 - 現職)
学校法人角川ドワンゴ学園N高等学校・S高等学校政治部特別講師(2020年9月 - 現職)
エンジン01文化戦略会議幹事(2022年4月 - 現職)
株式会社学究社社外取締役(2022年6月 - 現職)
大阪維新の会「2023年大阪市長選挙公認候補予定者予備選挙選考委員会」外部選考委員(2022年9月 -)

・出演中
朝まで生テレビ!(2015年 - 、テレビ朝日)
ビートたけしのTVタックル(2016年 - 、テレビ朝日)
ワイドナショー(2017年4月16日 - (不定期出演)、フジテレビ)
めざまし8(2021年3月30日 - 2022年9月27日 火曜日総合解説、2022年10月6日 - 木曜日総合解説、フジテレビ)

創刊100周年の『文藝春秋』2023年2月特大号発売。各分野の第一線で活躍する方々による特集「目覚めよ!日本101の提言」、「大座談会これが日本の生きる道」(東 浩紀さん×先崎彰容さん×中野信子さん×成田悠輔さん×三浦瑠麗さん)




主権在民、基本的人権の尊重、平和主義をうたった憲法の下にあるいまの日本で、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と宣言した人物が最高紙幣の顔であることはまことに誇らしい。しかし、その福沢諭吉が1万円札の顔に選ばれた(1984年)のは、なぜか「戦後政治の総決算」をとなえ、憲法改正が悲願だった中曽根首相時代だった。

(中略)「天は人の上に人を造らず~」は有名な『学問のすゝめ』(以下、『すゝめ』)の冒頭の一節だ。『すゝめ』を読んだことがない人は、「人の下に人を造らず」までを知っている(覚えている)だろう。しかし、(中略)『すゝめ』では、この後、学問をすれば、賢人、貴人になれるが、学問をしなければ、愚人、貧人になる、だから学問をせよという説教がつづく。「人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」といわれているが、学問をすれば賢人・立派になれるが、学問をしないとバカ、貧乏人になるぞという脅しを書き連ねた本だともいえる。

新しい四民平等の時代を迎えるために教育・学問が重要だという主張はとりあえず肯定しておこう。そのために慶応義塾をつくって若者に学問を伝え、亡命朝鮮人も受けいれる私学をつくったと理解しておこう。しかし他方でこんなことを臆面もなく書いているのをみると、疑問がわいてくるのではないだろうか。「官員・教員の俸給等、一切の校費を計算してこれを学生の数に割りつけ、授業料としてこれに課すべし。すなわち、貧生・富生を淘汰するの妙法にして、学につく者はただ富豪の師弟のみならん」「天下公共は人の私(わたくし)を助くるの義務あらざれば……貧家の子を救うるに公共の資本をもってすべからざるの理由もまた明白」(『時事新報』論説から、杉田聡『天は人の下に人を造る』から孫引き)。つまり教育は金持ちの子どもに対してだけおこなえばよく、貧乏人の子どもの教育に国の金を使うのはけしからんとあからさまにいってのける。しかももっとも恐れるべき相手は「貧にして知ある者」であり、そういう人間を育てるのは「前金を払うて後の苦労の種子を買うもの」であり、貧乏人に余計な知恵をつけさせる勉強などさせるなといっている。

慶応義塾の創設者であり、『すゝめ』で高らかに新しい時代を宣言するというなかなか自己宣伝も上手な人だったようだが、みずから創刊した『時事新報』(以下、『新報』)の論説では、露骨に本音をぶちまける人物だったようで、『すゝめ』や『文明論之概略』のような大きな著作で格好をつけて書いていることと『新報』で書いていることとのあいだの温度差をうめて理解しないとうっかりだまされてしまう。その極めつけが、悪名高い「脱亜論」だ。「アジア東方の悪友を謝絶」しろというところからアジアを抜けだせと宣言していると理解されがちだが、本音はむしろ、「西洋人がこれに接するの風にしたがって」アジアを分割統治する側になって帝国主義の一員になるべきであり、西洋人の目線からアジアを見ろといっている。学問をすればするほど、西洋人の目線に近づき、アジアを蔑視して(中国人を「チャンチャン」「豚尾(とんび)」などと、まるで現在の在特会のように表現している)、植民地獲得の対外侵略に乗りだせという野卑な人間になりさがっていくのだろうか? そういう思想が、日本を(アジアを)悲惨な戦渦に巻きこんでいったのではないか。

まことに改憲派中曽根の意にかなった人物ではないか。(中略)格差を拡大させ若者から教育の機会を奪うことばかり続けながら、戦後を否定し、基本的人権を制約する憲法をつくりたくて仕方なさそうな現政権にしてもまことに願ったり叶ったりのお師匠様かもしれない。 ─(黒田貴史/さようなら、福沢諭吉さん あなたに学ぶものはありません(抜粋)/現代の理論・第7号・2016年2月)
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中央集権と出版社①

2023-02-05 16:09:52 | メディア・芸能
三省堂の創業家の亀井家は、江戸時代は幕臣として現在の明治大学の場所を屋敷としていた。大久保彦左衛門の屋敷の前である。亀井家は幕府崩壊後は一時江戸を離れたが、明治になって戻り、1881(明治14)年に古書店を開くとともに出版も行う。85年には現在のすずらん通りで冨山房が創業、創業時と現在地が変わらない稀有の例。有斐閣も現在地に近い場所で77年に古書店を開業している。

1872(明治5)年に国民皆学をめざして学制が公布され、大学・中学・小学の3段階の学校制度が設けられた。しかし小学校の建設は地元住民の負担とされ、授業料も月額50銭(当時コメ10キロ36銭)と高く普及が遅れ、寺子屋を改造する例が多かった。一方8大学区の大学建設は国の負担で進められた。官立師範学校が各府県に設けられ人材育成がなされたことが、教育立国の基礎となる。77年に開校した東京開成学校(場所は湯島、後の東京帝国大学)が嚆矢となり、学生の街としての神保町の歩みがスタート。75(明治8)年から89年までの14年間、神田周辺は大学創設ラッシュであった。75年商法講習所(神田一ツ橋・後の一橋大学)、80年東京法学所(靖国神社付近・後の法政大学)、81年法律学校(駿河台・明治大学)、85年英吉利法律学校(神田錦町・中央大学)、89年日本法律学校(飯田橋・日本大学)が誕生している。当時はまだ近代出版の時代になっていないので本を必要とする学生は神田古書街に集まったのであろう。

1887(明治20)年、博文館の創業によって日本の出版界は一気に開眼した。明治を驀進した出版社は春陽堂と博文館である。文芸出版の春陽堂、総合出版社の博文館が業界をリード。明治末期から大正にかけ雑誌ジャーナリズムに火が付く。春陽堂は「新小説」、博文館は旗艦誌「太陽」「少年世界」他8誌を発刊している。 - 日本の古本屋「自著を語る」 能勢仁: 神田神保町は明治から賑わっていた(2023年1月)



幕末~明治創業の主な出版社
1857(安政4)年 吉川弘文館
1869(明治2)年 丸善
1877(明治10)年 有斐閣
1878(明治11)年 春陽堂書店
1881(明治14)年 三省堂
1885(明治18)年 冨山房
1886(明治19)年 河出書房
1886(明治19)年 中央公論社
1887(明治20)年 博文館
1895(明治28)年 東洋経済新報社
1896(明治29)年 新潮社
1897(明治30)年 実業之日本社
1904(明治37)年 美術出版社
1905(明治38)年 国書刊行会
1909(明治42)年 講談社
1912(明治45)年 福音館書店

大正創業の主な出版社
1913(大正2)年 ダイヤモンド社
1913(大正2)年 岩波書店
1914(大正3)年 平凡社
1915(大正4)年 白水社
1916(大正5)年 主婦の友社
1919(大正8)年 改造社
1922(大正11)年 小学館
1923(大正12)年 文藝春秋社
1925(大正14)年 創元社
1926(大正15)年 集英社

昭和創業の主な出版社
1931(昭和6)年 旺文社
1940(昭和15)年 筑摩書房
1945(昭和20)年 少年画報社
1945(昭和20)年 光文社
1945(昭和20)年 早川書房
1945(昭和20)年 凡人社(⇒平凡出版⇒マガジンハウス)
1945(昭和20)年 角川書店(現KADOKAWA)
1945(昭和20)年 みすず書房
1945(昭和20)年 三一書房
1946(昭和21)年 主婦と生活社
1946(昭和21)年 学研
1946(昭和21)年 暮しの手帖社
1946(昭和21)年 ベースボールマガジン社
1946(昭和21)年 PHP研究所
1947(昭和22)年 ポプラ社
1948(昭和23)年 双葉社
1948(昭和23)年 秋田書店
1954(昭和29)年 徳間書店
1955(昭和30)年 青春出版社
1955(昭和30)年 福武書店(現ベネッセコーポレーション)
1959(昭和34)年 朝日ソノラマ
1960(昭和35)年 晶文社
1960(昭和35)年 潮出版社
1967(昭和42)年 KKベストセラーズ
1968(昭和43)年 草思社
1971(昭和46)年 宝島社
1972(昭和47)年 竹書房
1973(昭和48)年 白泉社
1978(昭和53)年 明石書店



講談社は大衆娯楽誌『キング』が昭和初期に100万部突破するなど雑誌を武器に最大手にのし上がり、軍国主義を鼓吹する評論家・徳富蘇峰から「私設文部省」と批判されるほど若い世代に大きな影響力を持っていたが、大正末~昭和初期の円本ブーム=改造社・新潮社・平凡社などが単巻1円の予約配本で文学全集など全集ものを乱立させた=にはやや乗り遅れた。しかし戦後の高度経済成長が爛熟する1960~70年代には百科事典や各種全集が再び花盛りとなり、67年には1巻にクラシックのLPレコード2枚を収めた音楽全集で河出書房と講談社が老舗対決。河出の『世界音楽全集(全24巻)』と講談社の『ステレオ世界音楽全集(全18巻)』である。両社とも化粧箱入りで、業界的には河出の成功という評価だった。ところが、それまでも倒産して河出書房新社となるなど放漫経営の河出は世界文学全集だけでも3種類出す乱脈が祟り資金繰りが悪化、またしても会社更生法を申請、この緊急事態にライバルの講談社は大手取次と共に資金を融資した。音楽全集ブームには平凡社・筑摩書房も参加したらしく、私はやや遅れて73年に小学館が企画した世界名曲全集(全20巻・各LP1枚)によって第九やくるみ割り人形と出会うことに。



チェンソーマンはMAPPAの単独出資だから普通に配信の買い切りも入るから
この話とは少し違うしまだマシなほう(単独なので自社でしなければならない宣伝料には目を瞑る)。他の会社は出資すらさせてもらえないので、黒字になりやすい部分の配信も入らず、いまだに円盤くらいでしか稼げない。

でも大して円盤売れてないなろうが続編無限に作られつづけてるよね。

製作委員会方式で、配信の権利を持っている出版社とかは、配信だけじゃなく原作も売れるので得しかない。どんなクソアニメでも国内海外各所で配信の買い切りだけでクロ。どんなクソアニメでも原作は売れるのでクロと得しかない。
アニメ制作会社は配信原作の恩恵なく、クソアニメで円盤売れず赤字でも、製作委員会でパトロンやスポンサーの出版社がケツモチして、次作も確約したり出資してくれるので、製作委員会の奴隷である限り自転車操業で生き残ることはできる。
これがクソアニメも含めアニメ本数が毎クール過去最高数になるカラクリ。

配信はそんなに美味しくないって前から言われてたよね。中国向けは日本と同時じゃないと安く買いたたかれる。

つーか東映の決算でも海外配信が売上の66%占めてるから、海外向けに強いコンテンツがあるかでも差が出るが、げそが昨今の情勢理解してないだけ。 - 5ch嫌儲「悲報! げそいくお『アニメを配信だけで黒字にするのは無理。円盤売らないとダメ』」2023年2月
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Sony Essential ─ American Music

2023-01-16 14:56:16 | メディア・芸能
笑っていいとも最終回に犬猿の仲といわれるビッグネームが結集したのに対し、有吉弘行がラジオで「保守本流にいない感じw」と自嘲していて好感を覚えたものですが、いまやすっかり糞つまらない大御所の仲間入り。有吉・ハライチ・空気階段と、毎週聞いていたラジオを聞かなくなったのは、自分の考え方・価値観が変ったのもあるし、コロナ禍の長期化とオリンピック失敗などに伴って芸能・テレビ界がますます内向き後ろ向きに変ったのと両方でしょう。

有吉のラジオで聞いた靴ずれになりにくいサンダル、ハライチ岩井がラジオで紹介した個々に高さなどあつらえる枕をそれぞれ愛用しているが、そうした影響力があるだけに、紹介してもらったメーカーからのお礼として番組宛てに商品を送ってきた(上記とは別のメーカー)のを無邪気に自慢してしまうのは気になるし、空気階段などは最初からより広告志向で仕事を欲しがる。そんな中10年以上前のくりぃむしちゅーのオールナイトニッポンを順繰りに聞くうち、上田が好きだというカレー横綱あられを番組宛てに送ってくれたのに対し2人がそういう役得めいたことについて過去の体験など遡って突っ込んだトークを交わし、人格・素養の差を示す。

別の回では上田と有田が休暇で別々に訪れたラスベガスのカジノで偶然出会った話から、当地で見聞した米国ショービジネスの凄さの話に。大リーグ最多安打ながらレッズ監督時代に野球賭博に関与して永久追放となったピート・ローズが、場末のサイン会のような形で毎日営業しているがあまり気に留める人もいないこと。セリーヌ・ディオンがホテル内の劇場でほぼ毎日コンサートを行い、会場を温めるトークやバックダンサーの真剣さ、あらゆる点において完璧なプロであること。

くりぃむの2人は熊本の名門私学で出会い、東京の有名私大へ進んだけれどもお笑いを志し、下積みが結構長い。お笑いの基盤を高校の部活の友人や教師たちに置いて、特にテレビよりラジオでそれが発揮されるのが、唯一私が今でも楽しく聞けている背景でしょう。東京や大阪はまずメディアが腐敗しているから、その汚い水に順応するしか有名になる方法はない。中央集権のためすべてが同時に劣化し、保険がない。ヘッダー画像の各国の音楽家は、日本発祥のソニーではなく、米国のショービジネスに対し見劣りしないということでシリーズの仲間入りしているし、フランスやイタリアのソニーはこのシリーズの自国版を作らない。日本の音楽家については今さら言うまでもない。




Fred Astaire / Puttin' on the Ritz (1930)



Duke Ellington & His Orchestra / Caravan (1936)



Billie Holiday / Summertime (1936)



Glenn Miller Orchestra / Moonlight Serenade (1939)



Artie Shaw & His Orchestra / Star Dust (1940)



Lena Horne / Stormy Weather (1942 - The Essential Lena Horne: The RCA Years)



Mahalia Jackson / I Will Move On Up a Little Higher (Part 1) (1947)


Dinah Shore and Her Happy Valley Boys / Buttons and Bows (1948)


Flatt and Scruggs / Foggy Mountain Breakdown (1949)


Rosemary Clooney / Come On-a My House (1951)



Don Gibson / Oh Lonesome Me (1958)



Andy Williams / Can't Get Used to Losing You (1963)



Arthur Rubinstein / Chopin: Polonaise #6 in A flat, Op. 53, "Heroic" (1965)


Neil Diamond / Girl, You'll Be a Woman Soon (1967)


Santana / Oye como va (1970)



The Jacksons / Shake Your Body (Down to the Ground) (1978)



Lou Reed / Street Hassle (1978)



Miami Sound Machine / Conga (1985)



Starship / Sara (1985)


Hilary Hahn / J.S. Bach: Partita #3 in E, BWV 1006 - 1. Preludio (1997)


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心の不良債権

2023-01-01 16:20:16 | メディア・芸能
「洗脳が解けたらかえってかわいそう。70の老人から生きるよすがを奪うべきでない」
生きるよすが。老若男女問わず、日本人の大半が安倍暗殺犯の母親と同じ境遇に追いやられている様子を、あす親戚の新年会で検証するつもりです。コロナ・円安・統一教会などなど騒然とする世情、かえって「みな同じ考えだよね」と凝り固まってネトウヨ悪化していて不思議はない。

この2~3年の私はみるみる考え方が変り、過去の当ブログ記事が恥ずかしいのはもちろん、もっと遡って会社員時代や学校時代の恥をかいたり屈辱的な記憶が連日芋ヅル式によみがえってきてウワァ~っとなるのですが、そこまででない小さなことも。小1の最初の2ヵ月くらい、学校の帰り同じ団地の女子2人と帰っていて、他愛ない、何を話したかまったく覚えていない中で一つだけ、目玉焼き作れる卵焼き作れるって見栄張ったことを覚えている。

免疫というか危険信号というか、ウソをついたという心の負荷。目玉焼きどころか就職しても27まで子ども部屋おにいさん。母親を家事ロボット扱い、母もまた家事を私に教えようとはしない。「お客さん」にとどまり続け、人生の当事者性が阻害される。↑の山岸凉子の漫画では、逆にお父さんが全科目の教科書を自作できるような能力者でありながら世渡りが下手か何かで離婚して函館市の粗末な小屋に住み、山岸と同じ小1の男の子がリンゴをむいてもてなしたりそれで包丁を落として怪我をしても平静を装ったりと「大人になる子は早くから大人なんだよね」と結論づけられ次の話題に移る短いエッセイ漫画なのだが彼女の作品では最も心に響く。


自衛隊小平駐屯地でサイバーセキュリティー教育の責任者を務める一佐の私物のパソコンから、自衛隊内外の複数の女との不倫ハメ撮り画像が流出、ダークウェブからそれらを取得した謎のツイッターアカウントで昨年の正月早々に公開され、ネットでは炎上したものの文春をはじめとする不倫大好きメディアが後追いせず早々に鎮火してしまった。1月の内に当の一佐が職場の「付」に降格される人事があり、不倫ハメ撮りは事実とみられる。もちろん各国の諜報機関にはとっくの昔に筒抜けと思うし、自衛隊内部やOBの間にも一瞬で広まって当人は居たたまれないだろうけど首にはならない。

自浄能力のない役人の大群。継戦能力なんかあるわけないんだよ、いや自衛隊というより日本という国に。昔でいうと大佐=ブル連隊長と同じ階級の男が「伊勢丹の多目的トイレでセックスした」とか芸能人の真似をしてブログ風に加工しているのが象徴的。ハライチのラジオによればグルメやアパレルをはじめ女受けするおしゃれな仕事はギャラが高く払いもよいのだとか。自己愛的・見せびらかし的な女性型消費。芸人仲間によればアンジャッシュ渡部は「女をナンパする時が一番面白い。テレビは余技」なところを見込まれ、その種の広告的な仕事を多く請け負って、女を男が支配する資本主義の「お客さん」=囲われ者に甘んじさせる役割。

父権的な国家・資本主義の支配を母性的なヨコの監視が下支えする=日本の世間なるものは昭和期に異常特化した集団安全保障であった。大衆は自分と違う者を憎む。一億総中流の幻想に遠慮して金持ちもあまり贅沢しない。高度成長やバブル期の時価総額などよりむしろ、本来なら従属的で不安な立場である主婦層=日本の女の長寿こそ経済大国の証明だったろう。みんな一緒の安心は、民主主義から当事者能力を奪ってリスクのかたまりに化ける。世界に先駆けて分断と囲い込みが進み、まったく価値のない音楽CDが代わる代わる初登場1位に。私が過去の記憶でウワァ~っとなっても個人で背負える。黒歴史も正当に位置付ければ糧になる。東京オリンピックの話題は一から十までみっともないからネトウヨすら避けて愛国という脳内お花畑に逃げ込み、それがまたカルトやメディアの餌食になる。知名度と広告イメージがそのまま一生返せない物心両面の負債に化け、やむを得ずメディアで恥をさらし続けるアンジャッシュ渡部こそ令和の日本人の姿だ。
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女性型消費/モラトリアム

2022-12-21 20:16:44 | メディア・芸能
男「貧しさに負けた」
女「いいえ世間に負けた」
この町も追われた。いっそきれいに死のうか。男はお金や社会的地位をはじめとする大小・高低の競争的な価値観に、女は家族の世話や社交といった対人関係に身の安全を託す。前者が資本主義・国家主義により父権的なタテの支配を形成し、後者が母性的な「世間によるヨコの監視」でこれを下支えする。

パーリア「アイデンティティは闘争の産物。女は本来的に安定しているから男ほどはアイデンティティを必要としない。政治であれスポーツ競技であれすべての〝ジャンル〟は男が発明した」。



この漫画にも「本当に俺の子なのか」と、交際相手の妊娠中絶費用を出し渋る男が登場。女が「安定している」というのも月経・妊娠・分娩・授乳などを通じて地球・自然の一部であることが歴然としているから。心の安定ということで私が特に想起するのがかつて熱心に見ていた番組ロンドンハーツ内の侮蔑的な企画「よりによってなぜこの人のファン?」の、misonoのファン同士で結婚したという若い男女。「ウチの歌詞とブログ見て!!」がロンハー内の決め台詞になっているような、自分自分自分の情緒不安定が売りになっているmisono自身よりよほど穏健でどっしり安定したカップルのように見えた。



1960年代から70年代初頭にかけて、高度経済成長が頂点に達し、豊かな社会の中で青年期は延長し、若者文化がその花を咲かせた。ヒッピー、長髪、ジーンズ、全共闘、ニュー・レフト運動といった、さまざまの形での社会に対する青年の自己主張が公然化した。
この状況の中で、成人(おとな)世代がこの若者文化の影響を受け、逆に青年心理に適応するというプロセスがおこった。そしてこのプロセスを通して一般社会心理そのものの革新的な変化=青年心理化をひきおこした。しかも、歴史的にみると、この青年心理そのものにも現代に特有な質的変化がみられる。このようにして「モラトリアム人間」心理は、世代を超え、現代社会に暮すすべての人々の深層心理に共有される「社会的性格」となった。
(中略)現代の女性は、愛情の対象、夫、家庭、仕事、職場…といった、自分以外の何かに本当の意味で深くかかわることに充足と安定を得、それらとのかかわりやその世界への帰属意識が、生き甲斐になるような社会条件に、あまりにも恵まれていない。むしろ戦前、かつての「家」がーつの社会を意味するような時代には、女性が妻になり、母になることは、それなりの社会的地位を意味していた。(中略)ところが現代は、たとえ結婚しても、二人きりの核家族である。(中略)では共働きの場合はどうか。マスコミのヒロインになるような、少数の特別な才能に恵まれた女性は別である。そしてまた、上級公務員、医師、芸術家、教師といった一定の専門職として社会的に認められた職業の持ち主はともかく、いわゆるOL的な仕事の場合、職場からみると大多数の女性職員は、企業の中のお客さま的存在にすぎないことが多い。依然として25歳定年説的な考え方は、潜在的につづいている。またOLの側も、企業に対して強い帰属意識もなく、結婚するまでの一時的かかわりあいのつもりの人が多い。(中略)「どうせ大学を出ても女子はOL的な仕事しかさせてもらえない。それならよい相手をみつけて身をかためる方が勝ち」。 ─(小此木啓吾/モラトリアム人間の時代/中公文庫1981)



モラトリアム人間=猶予状態にある人間。YAWARA!!の主人公・猪熊柔は短大を出て旅行会社に就職し、音信不通の父親を捜しながらいずれは平凡なお嫁さんになりたいと考えている。しかし彼女の心を射止めたスポーツ紙記者の松田は柔が柔道家として大成することを望んでいるため、長い物語の最後になっても結婚しないままだ。

この主人公は男目線からかわいい保守的な女として造形されているのだろう。この点、内田春菊の漫画はより男のいやらしさ、色恋が絡むと愚かになる女の弱さが辛辣に描かれ、異性とまともに付き合ったことのない私など気後れしてしまうのだが、色恋の描かれ方としてはウシジマくんの吉永美代子がパチンコに「何も考えないでいられる」ことを求めながら負けが込んで売春し、男女間に起る不安・葛藤・興奮の方により囚われ、娘を巻き込んで悪意の連鎖を招いてゆく、こちらは楽しく読むことができる。


安倍暗殺犯の伯父が、暗殺犯の母親について「洗脳を解くのはかえってかわいそう。70の老人から生きるよすがを奪うべきでない」と発言したと聞く。地方の名家・知識階級に嫁いだ筈だったのに…。女性型消費とは、男社会に対し従属的な立場を強いられる女が、それを埋め合わせるため旅行・観劇・買い物・お稽古事といった自己愛的・見せびらかし的な消費に走ることを指し、たとえばサッカークラブの練習を見守るママ友たち、あるいは秋葉原事件の犯人の母親が過度の教育ママだったことなどもその変形といえるだろう。

ぼくちんテレビ局の撮影クルーなんだぞ(なだぎ)。俺はラップ王だから黒人でもトランプ大統領が真っ先に面会してくれるぞ。これらは世間的な「立場」を言っている。思想信条とは関係ない。都市化・情報化が進むと個々の人間はよそよそしく分断された時間商品・汎用品になってしまう。トランプがオワコン化するより早くカニエ・ウエストは誰からも相手にされなくなってしまった。自らメディア上に出しゃばり、監視を求めてきたから面目の施しようがない。

モラトリアム人間というテーゼを提唱した小此木氏は、ノン・モラトリアム=猶予を拒む人間の例として、立身出世主義者、そして「ロッキードの主役」を挙げている。70年代に書かれたので、現状を当てはめるとすればメディア・広告・囲い込み・相互監視に携わるすべてが、人を宙ぶらりんのモラトリアム状態に置いておくことを望み、既に制御を離れシステムとして一人歩きしている。
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