マガジンひとり

自分なりの記録

カルトリーダー健在

2006-03-22 20:52:21 | マンガ
『大奥・1』よしながふみ(白泉社)
若い男だけが罹患する疫病が流行したために男子の人口が著しく減り、徳川幕府も三代将軍・家光から女子が将軍を継ぐことになった。
つまり「大奥」も男が取り仕切る男だけの世界になったのである。
武士としては豊かな家ではなかったが武術が得意で義侠心に富む水野祐之進は自ら大奥に奉公することを決め、幼なじみのお信に別れを告げてその特殊な世界に身を投じるが、新たに将軍を継いだ気性の荒い八代・吉宗の目にとまったことから…

イトコの姉ちゃんの奨めで読んだ。
まさにSF、それもフェミニズム色の濃厚なSFで、意外性の驚きに満ちあふれている。
ストーリーだけなら満点である。
しかしなぜか、心の底からの感動というほどではないのである。
よく見てみると、その理由は自分にとってストライクの絵柄ではない、ということだったのだ。
これが「絵で説得する」ことも必要とされるマンガという厳しい世界の奥深さとも感じられる。
もう一つ難を言えば、祐之進が吉宗の目にとまるきっかけとなった、黒一色にいぶし銀の流水紋の入った裃のデザインが、暴走族やヤクザやホストのセンスに近くて生理的嫌悪を誘う、ということもある。
とはいえ、日本の少女マンガが現在でも創造力のポテンシャルを保っていることはたいへん喜ばしい。

思えばそのイトコの家で、どれほど多くのマンガに出会ったか数知れない。
小学校低学年の時には意味もわからず少女コミック誌をめくって、萩尾望都さんの『11人いる!』や楳図かずおさんの『洗礼』にもリアルタイムで間に合っていたのである。
中でも最大の驚きが小6の夏休みの手塚治虫先生の『火の鳥・復活編』で、まだB5判での復刊による再ブームの来る前だったが、その家の3人のイトコの誰かが貸本屋で借りて置いてあったのを夢中になって読み耽ったものだった。
もちろんアニメなどでは既に手塚ワールドに親しんでいたが、その偉大なマンガの業績に関してはそれが初めての認識で、もう人生が変わるほどの大ショックであった。
その人には私の人生のどん底の時にも助けてもらっており、恩を受けっ放しなのだが、去年『夕凪の街・桜の国』と『失踪日記』を送ってあげて、ほんのちょっぴりだけではあるが恩を返した。
大奥 1 (1)

白泉社

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『ヒストリー・オブ・バイオレンス』

2006-03-14 20:48:32 | 映画(映画館)

東銀座・東劇にて、デイヴィッド・クローネンバーグ監督。
トム・ストール(ヴィゴ・モーテンセン)と弁護士の妻エディ(マリア・ベロ)は2人の子供たちと静かに暮らしていた。
だがある夜トムは、彼の店を襲った2人組の強盗をとっさの判断の正当防衛で射殺して店の客や友人たちを救い、街のヒーローとしてメディアに採りあげられる。
その後から彼ら家族のことをフォガティ(エド・ハリス)という不審な男とその部下が執拗に付きまとうようになり、信頼に満ちた家庭の幸福に崩壊の足音が忍び寄る…

演劇がもたらしてくれる濃密な時間のとりこになっているけれど、まだまだ映画のマジックも生きている。
ネタバレすると興趣の半減する作品なので、ストーリーの後半はそれぞれ確かめていただくしかないが、エンドロールの最後でタイトルがぴたっと止まって、そうだったのかと感慨にふけるような。
おどろおどろなカルト映画出身の監督だが、『デッドゾーン』という作品でスティーヴン・キングの長編を雰囲気を損なわずにコンパクトにまとめたのを見て、映画という表現形式に対する誠実さを感じていた。
「情を尽くしてから理を説け」という言葉があり、情におぼれても理に走っても人を説得できない、というような意味だと思うが、クローネンバーグ監督は情と理のバランスがとれているのである。
映画監督というのが独善におちいりやすい仕事なだけに。
私が特にひどいと思うのがマイケル・ウインターボトム(自分の立ち位置がわかってるんだったら、別にいいけどね)で、それに少し近いのがガス・ヴァン・サント、私は評価するがキム・ギドクやラース・フォン・トリアーも、価値観の違う人を振り向かせられるかどうか、ということが問われる。
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