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マガジンひとり

オリンピック? 統一教会? ジャニーズ事務所?
巻き添え食ってたまるかよ

ユダヤ音楽家の作詞作曲3

2010-08-29 21:42:41 | 音楽
◆NEW FRONTIER (Donald Fagen) - 大意、以下同
どんちゃんパーティーが始まるぜ
共産主義者のミサイルに備えて
俺の親父が作った退避壕の中さ
合い言葉は新開拓地でサバイバル
あのすごいブロンド娘を紹介してくれよ
あの娘なら新開拓地で生き延びるのに十分
都市に引っ越すまで待てやしない
デザインを学び、海外留学する
きみの目が好きだし、ブルーベックの音楽も好きだよ
新開拓地の挑戦に進んで参加するのさ

◆CITY OF NEW ORLEANS (Steve Goodman)
ニューオーリンズ目指し列車がゆくよ
15両編成で3人の車掌、郵便物の入った25個の袋を乗せて
南部をめぐるオデッセイ、過ぎ去る景色は
老いた黒人でいっぱいの貨物ヤード
錆付いた自動車たちの墓場
車軸のギシギシが床から伝わる
こいつはお父さんの魔法のじゅうたんさ
おはよう!アメリカ、調子はどうだい
俺たちは生まれついてアメリカの息子
ニューオーリンズまで500マイルの旅なのさ



◆KICKS (Barry Mann, Cynthia Weil)
昨夜は魔法の絨毯に乗ったけど
朝起きてみると、世界が蹴りつけてくるような日々だ
どうやらますます厳しくなりそうだけど
あんたがやり返したところで楽になりはしない
手遅れになる前に、まっすぐに生きてみるのさ
破片でもいいから天国を見つけると言うが
考え直しなよ、どうあがいてみたって
自分から逃げることはできない
手遅れになる前に、まっすぐに生きてみるのさ

◆I AM A CAMERA (Trevor Horn, Geoffrey Downes)
思い出は、あっという間に色褪せる
この心で、あなたを決して放さない
わたしはカメラ、カメラ、カメラ
わたしはカメラ、カメラ、カメラ
水辺ではワイド・レンズになって
私とあなた、静けさに身をあずける

◆A HOUSE IS NOT A HOME (Burt Bacharach, Hal David)
誰も座っていなくても椅子は椅子だ
でも椅子は家ではない
抱きしめてくれる人が、おやすみのキスをする相手がいないなら
家は家庭ではない
ずっと私はあなたの名前を呼んでいる
突然あなたの顔が現れても
もう涙の中に終わったものなら
それはただの狂ったゲームに過ぎない
独りで生きていくつもりはないんだ
このただの家を家庭にしよう
階段を上って鍵を開けたとき
お願いだからそこにいてほしい、まだ愛している

◆EVERY GRAIN OF SAND (Bob Dylan)
懺悔の時、私の最も心から求める時間
滝のごとく涙が落ち、足元に広がったそれは
新しい種子を育てる水となる
いまカインのごとく
私が辿らねばならなかった曲折を
一連の摂理として見ている
貧しい時も富める時も、真冬にも真夏にも
波のごとく古代からの足音を聞き
あらゆる木の葉に、あらゆる砂粒に
主の手がおよんでいることを感じる

◆KING WITHOUT A CROWN (Matisyahu Miller, Josh Werner)
俺の拠り所は神様だけ、神様だけを求めているんだ
魂が渇きを覚えるとき、あなた(神様)はそれを潤す水になってくれる
四方八方から、誘惑の魔手が伸びてきても
確固とした信念があれば、やがて暗闇は晴れる
身分や階級をきれいさっぱり忘れ去って
自分自身を解き放つことで、望んでいた自分になれる
溺れそうで苦しんでいるなら、ハッシェムに救いを求めればいい
神様は、王冠のない王様のように、さり気なくどこかにいて下さる
湧き上がるこの思いはなんだろう?
神様への愛が今にもあふれ出して、天井を突き抜けてしまいそうだよ

◆SEARCH AND DESTROY (Iggy Pop, James Williamson)
俺は忍び足で歩くチーター、ナパーム弾を抱え
俺は核「A」爆弾の逃亡息子、世界から忘れられた子どもさ
気をつけろよハニー、ニュースやテクノロジーのせいで
謝罪の時間なんかありゃしない
ハニー、俺の目を眩ませてくれ
誰か、俺の魂を救ってほしいんだ
そして俺は世界から忘れられた子ども
探し回っては、破壊する

◆FREAK SCENE (J Mascis)
君を見つめられるほど十分に見たけど
君を試そうとしすぎてきた
二人の間には妙チクリンが流れている
フリーク・シーンは僕たちを信じられない
どうしてクールになって
僕たちを放っておいてくれない?

◆THE FREED PIG (Lou Barlow)
君が間違っていて僕が正しいことを証明しようと
何の益もない争いばかり
悲しいよ、君のせいじゃないんだ
僕が独りよがりで、しかも正しくないのさ
君の忍耐さえぶち壊しにしてしまう
僕を切り捨てるのは、たやすく
これからの君を自由にするよ
ビョーキの人たちもすがりついて来ず
君の頭脳は、成長余地を得るのさ
僕の決して知ることのない、栄誉

◆THE WALL STREET SHUFFLE (Eric Stewart, Graham Gouldman)
ウォール街のシャッフルをやろう
お金にブイブイもの言わそう
そんな大金を作るのには
賭けを仕切る側に立ちでもしないとね
ゲッティ家やロスチャイルド家みたいになりたいなら
クールにやるのがウォール街の作法さ
ほら、ダウ平均が下がるよ
どうしよう、どうしよう、のらくら者には無理な世界
売った、買った
切った、張った
ウォール街で血を見ることは避けられない

    

◆DIRTY WORK (Walter Becker, Donald Fagen)
いまの世は不景気で、借金も返せない
自由になるため、金づるを見つけなければ
中世風ゲームで追い込まれた城将のように
惨敗するのがわかっていながら
俺はここでこうしてるだけ
あんたの汚い仕事に手を貸すなんて
俺もそうとう愚か者さ
引き受けたくないのに
汚れ仕事を引き受けちまった

◆COWBOY (Randy Newman)
丘があった場所に
今では冷たい灰色のビルが建つ
鉄とコンクリートが視界をさえぎり
都市の外観があらゆる景色につきまとう
昔はならしたものさ
カウボーイ、カウボーイ…
走れない、隠れる場所もない
もはや手遅れ!!戦うには…気力も失せた

◆THREE DAYS (Jane’s Addiction)
3日間は朝だった
3とおりの道は朝で、3人の恋人たちが3つの道にいる
いずれにせよ俺は誇り高き男─
われわれは朝の光の影と、夕暮れの太陽の影を
影と光が一つになるまで見ていた
狩りが終わり、追いかける獲物がいなくなると
人は互いを獲物とする
われわれは、親族ではない見知らぬ者たちを受け入れた
われわれみなに翼がある
われわれみなに翼が─
パズルの破片のように互いがぴったり合わさり
エロティックなイエスがマリアたちと寝ている
夜は裸の震えを隠してくれるところ
われわれみな翼があるんだ



◆ISOLATION (Iggy Pop, David Bowie)
お前が必要だった
いま俺の手も心も空っぽで
孤独の中に立ちつくすだけ
収容者が小話を求めるように
詩人が押韻を求めるように
肉体が魂を求めるように
俺には少しの愛が必要だ
なにもかも空っぽで孤独の中に立ち
バンド演奏の開始さ
なにかしなければ、言わなければ
人生を生きる、孤独の中に立って

◆WALK ON BY (Burt Bacharach, Hal David)
あなたに出会うたび、私はボロボロになって泣いてしまうから
そのまま歩いて行って
そのまま行ってちょうだい
私の涙を見なかったふりで
あなたを失うことが、どうしても耐えられないの
そのまま歩いて行って
馬鹿げたプライドなんか捨てたわ
こぼした涙と悲しみを隠させて
そのまま歩いて行って(立ち止まらないで)

◆SHORT PEOPLE (Randy Newman)
背の低い人びとは意味がない
背の低い人びとは意味がない
生きる意味がない
お笑い芸人として成功し
富も栄誉も得たナインティナイン・岡村隆史
ゴルフで横峯さくらと、テニスで杉山愛と
短期間の訓練でハンディ試合を戦えるほど
運動神経も抜群だ
が、背が低くて、私生活では無口だという
で、トウが立ったグラビアアイドル、熊田曜子
「SM映画に出て吊るされるしか(将来は)ない」(有吉弘行・談)
そんな女からさえ、モーションかけられた末
「いや、結婚まではちょっと…」と、もてあそばれた
心身の不調で長期休養に入る一方
相方の矢部は女子アナと結婚するとかしないとかで幸せそう
背の低い人びとは愛する人を得られない
背の低い人びとと一緒に居たくない

◆ALL ABOUT SOUL (Billy Joel)
人生は決してフェアなものではない
暗くなること、寒くなることもある
優しさを失った人たちもいる
彼女は私の帰りを待ち、せいいっぱいの優しさで
私の苦しみを取り除いてくれる
彼女にもつらい時があったろうに
すべてはソウル次第
誰かがどんな気持ちでいるか気づき
信じて、心から献身すること
すべてはソウルにかかっている

◆100,000 FIREFLIES (Stephin Merritt)
夜通しマンドリンを弾くと自殺したくなる気持ちさ
森へ出て10万匹のホタルを捕まえたよ
それは君の輝く瞳を思い出させて、最悪の夜になっちまった
友だちはみんなニューヨークに居るのに
なぜ僕らはいつまでもこのひどい町に住んでいるのか
僕と一緒じゃ君は幸せになれないだろうか
もう一度チャンスをくれないか
君のいない暗闇は恐すぎる
君のいない暗闇は恐すぎる
そばにいて

◆ON BROADWAY (Barry Mann, Cynthia Weil, Jerry Leiber, Mike Stoller)
ブロードウェイのネオンライトは明るいという
空気中にはいつも不思議な力が漂っているという
だけど食いぶちもなく彷徨っていると
町のきらめきに負けて自分を見失ってしまいそう
みんな俺がそのうちグレイハウンド・バスに乗って
故郷に帰ってしまうと言っている
だけどそれは間違いだ、俺にはギターがある
ブロードウェイでスターになるまであきらめないさ
このブロードウェイで
このブロードウェイで



iTunesプレイリスト <ダビデの星─6> 104分
1. "New Frontier" Donald Fagen (1982)
2. "City of New Orleans" Steve Goodman (1972)
3. "Reich: Electric Counterpoint - 3. Fast" Pat Metheny (1989)
4. "Kicks" Paul Revere & the Raiders (1966)
5. "I Am a Camera" Buggles (1981)
6. "A House Is Not a Home" Brook Benton (1964)
7. "Every Grain of Sand" Bob Dylan (1981)
8. "King Without a Crown" Matisyahu (2006)
9. "Search and Destroy" Iggy & the Stooges (1973)
10. "Freak Scene" Dinosaur Jr. (1988)
11. "The Freed Pig" Sebadoh (1991)
12. "Gould: Boogie Woogie Etude" Shura Cherkassky (1955)
13. "The Wall Street Shuffle" 10cc (1974)
14. "Dirty Work" Steely Dan (1972)
15. "Cowboy" Randy Newman (1968)
16. "Violin Duet" Black Ox Orkestar (2006)
17. "Three Days" Jane's Addiction (1990)
18. "Isolation" Iggy Pop (1986)
19. "Walk On By" Dionne Warwick (1964)
20. "Short People" Randy Newman (1977)
21. "All About Soul" Billy Joel (1993)
22. "Korngold: Violin Concerto in D, Op. 35 - I. Moderato nobile" Jascha Heifetz, Alfred Wallenstein; Los Angeles Philharmonic (1953)
23. "100,000 Fireflies" The Magnetic Fields (1992)
24. "On Broadway" The Drifters (1963)

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旧作探訪#103 『ベティ・サイズモア』

2010-08-16 23:37:41 | 映画(レンタルその他)
Nurse Betty@レンタルDVD、ニール・ラビュート監督(2000年アメリカ)
きっかけは無邪気な憧れだった…。
カンザスの小さな軽食店でウェイトレスとして働くベティ(レネー・ゼルウィガー)は、親切で誰からも好感を持たれていたが、夫のデルは隠れて浮気をし、副業としてドラッグを売りさばくなど粗野な男だった。ベティは、病院を舞台にした昼メロドラマ『愛のすべて』を見るのが楽しみで、仕事中にも店のテレビに釘づけになってしまうほど。
そんなある日、ドラッグ絡みのトラブルで二人組の殺し屋チャーリー(モーガン・フリーマン)とウェズリー(クリス・ロック)が夫を惨殺するところを目撃し、精神の均衡を保てなくなったベティは、自分が看護婦で、ドラマの主人公のハンサムな医師デイヴィッドが彼女を待っていると思い込み、車でハリウッドへ向かって、ついにはデイヴィッドを演じる俳優ジョージ・マッコード(グレッグ・キニア)とも対面する。しかし、殺人の現場を見られたことに気づいたチャーリーとウェズリーも、彼女の行方を追いかけてくる─。



NHKの『7時のニュース』を見ていて、見たくないニュース、たとえば小沢征爾が復帰するとか、カーリングの女がチームを移るとかの話題が長く続きそうになると、しばらく他のチャンネルに替えようとリモコンを操作する、そのとき無意識のうちにNHK教育、次いでテレビ東京を優先し、それ以外の民放を避けるように習慣化されていることに気づいた。
夜7時台の民放の番組は、NHKのニュースを見ていない層、ニュースを見るとしても民放が夕方にやっている死ぬほどくだらないニュース番組でも別にかまわないと考える層を相手に作られている。ゆえに、島田紳助はあのように振る舞うし、他も大差ない。ひと目見るのも汚らわしい。
といってNHKの7時のニュースも、土日は民放が夕方のニュース番組をやらず、差別化を図る必要もないためか、構成がバカっぽくなるようだ。山本志織はかわいいんだけどね。
テレビ番組も相互作用である。みのもんたや紳助も、最初からあのように横暴だったわけではない。紳助なんか、コントで女装して明石家さんまのホテルの部屋から締め出されまいとくるくる回って、倒れて一言…「寒い…」。
ええ、彼は立派なお笑い芸人さんでした。視聴者が甘やかすから、だんだんと増長して、あんなふうに。それはまた昨今の政治風景とも深く関わっている。酒場などでほかのお客の会話を聞いていると、東国原が口蹄疫と戦うとか、橋下が大阪維新で戦うとかを、まるでテレビ番組のヒーローのごとく捉えて、我がことのように思い入れて、応援している人が思いのほか多いようだ。また、そういう人たちに限って、民主党や左派の政党を敵視する向きも強いように感じる。
このように、無力で無名な自分に代わって、テレビタレントや政治家が、司会するとか、筋書きを書いて他人をプロデュースするとか、あるいは何かと戦うとかのヒーロー待望論は、独裁政治や戦争にわれわれを導きかねない、民主主義の危機的状況の表れではないだろうか。
この映画の中で、レネー・ゼルウィガー演じるベティは、病院へ潜入して、運び込まれてきた救急患者に応急処置するとか、熱烈でリアルな思い込みぶりを買われてドラマ本編にも出演することになるとか、すべてがとんとん拍子に進む。終盤に、彼女が夢から覚めてからの展開も緊迫感あって、巧みな脚本だが、それは見るからに善良そうだが完璧な憑依能力を持った優秀な女優レネー・ゼルウィガーあってこそ成立する。現実のアメリカでは、優秀な俳優を育てるのはたいへんだしお金もかかるので、もっとだらしなくて、脈絡もよくわからないような素人さんを出演させてリアルな反応を消費する「リアリティ番組」と呼ばれる形態の番組が増しているようだ。そこには、芸能界やスポーツ界や軍隊といった育成システムが、潤沢な予算などお金が回っている経済状況に依拠したものであるという現実もかいま見える。結局のところそのお金というのはわれわれがお客さんとして払うお金だったり国民として払う税金だったりするので、そうした、薄く広く集めた大きなお金を左右できる利権を死守すべくテレビ局や政治家のみなさんが劇場型政治を行うための、マスコミ=政治権力の源泉といっても過言ではない。この集金システムがうまく運ばなくなってきているのが、現今の若者の雇用状況の悪化やテレビ離れにも結びついている。
彼らが地デジの普及に血眼となるゆえんだが、島田紳助とか大河ドラマとかだったら、画質をよくする以前の問題だと思うよん。
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ジャケットでいくのさ - 戦争は人間の業なのか

2010-08-15 22:34:21 | 音楽
iTunesプレイリスト <Epic Album Covers> 147分
1. "お富さん" 春日八郎 (1954 - 春日八郎・全曲集)



2. "Wondaland" Janelle Monáe (2010 - The ArchAndroid)



3. "Three Days" Jane's Addiction (1990 - Ritual De Lo Habitual)



4. "Peace -A Theme" King Crimson (1970 - In the Wake of Poseidon)



5. "Crusades" Fucked Up (2006 - Hidden World)



6. "Speed King" Deep Purple (1970 - Deep Purple in Rock)



7. "The Eton Rifles" The Jam (1979 - Setting Sons)



8. "The Bottle" Gil Scott-Heron & Brian Jackson (1974 - Winter in America)



9. "Suppé: Light Cavalry Overture" Herbert von Karajan; Berliner Philharmoniker (1970 - Rossini; Suppé: Ouvertures)



10. "Blood and Thunder" Mastodon (2004 - Leviathan)



11. "Epic" Faith No More (1989 - The Real Thing)



12. "Spiderwebs" No Doubt (1995 - Tragic Kingdom)



13. "I'm a King Bee" Slim Harpo (1957 - The Best of Slim Harpo)



14. "おんな港町" 八代亜紀 (1977 - 八代亜紀全曲集「舟唄」)



15. "Shattered" The Rolling Stones (1978 - Some Girls)



16. "Living For the City" Stevie Wonder (1973 - Innervisions)



17. "Evil" Earth Wind & Fire (1973 - Head to the Sky)



18. "Stuff Like That" Quincy Jones (1978 - Sounds...and Stuff Like That)



19. "Can't Stand the Pressure" Aswad (1976 - Aswad)



20. "Rocks" Primal Scream (1994 - Give Out But Don't Give Up)



21. "Lion in Winter" Bee Gees (1971 - Trafalgar)



22. "Tchaikovsky: Marche Slave, Op. 31" Neeme Järvi; Gothenburg Symphony Orchestra (1990 - Tchaikovsky: 1812 Overture; Borodin: In The Steppes Of Central Asia, Etc.)



23. "Wake Me Up When September Ends" Green Day (2004 - American Idiot)



24. "Soldiers' Chorus (from The Decembrists)" Col. Boris Alexandrov; Soviet Army Chorus & Band (1956 - Red Army Ensemble)



25. "Soldier of Love" Arthur Alexander (1962 - The Greatest)



26. "愛は勝つ" KAN (1990 - 野球選手が夢だった。)



27. "Total Eclipse of the Heart" Bonnie Tyler (1983 - Greatest Hits)



28. "Scott: Lotus Land, Op. 47/1" Fritz Kreisler & Franz Rupp (1938 - Icon: Fritz Kreisler)



29. "Achilles Last Stand" Led Zeppelin (1976 - Presence)



30. "The Road Home" Conspirare (2009 - Requiem)

アース・ウインド&ファイアーの17「Evil」では、われわれの脳には悪が、体には悪い血が流れていて、われわれそのものが悪のようなものだが、それでも何処かで、われわれの魂と心の小さな光を輝かせられたら、祈ることを学んだら、われわれの中の悪は愛に変わり、罪は消えるだろう─というようなことが歌われる。
そんな場所はあるのか、そんな日は来るのか、果てしなく遠いように思われてならない。人類が続く限り、悪徳がなくなることもない─。
前回の「オサ~レ」では日本人の出る幕はなかったが、こういうことなら同列に加われましょう。ジャケの印象からは、3のジェーンズ・アディクションと5のファックト・アップを直接つなげたかったが、どちらもギトギトコッテリなので、クリムゾンのあっさり短いインスト曲をはさんでみました。



国宝・波夷羅(はいら)大将立像 木造 像高115.4センチ 鎌倉時代・13世紀─奈良県・興福寺蔵

◆武力肯定した大乗仏教
釈迦の晩年、かつて彼が太子であった釈迦国が滅び、彼の兄弟を含む一族は皆殺しになったと伝えられるが、このような釈迦族の運命に対して、釈迦がどのような態度をとったかはほとんど伝えられていない。太子の彼が国を捨て出家したことも釈迦国衰退の一因ともなったであろうし、母国の滅亡と一族の全滅を釈迦は深く悲しんだに違いないが、不殺生を第一の戒とした彼が復讐を思い立つはずはなく、深い悲しみと諦観、大量の同類殺害すなわち戦争を繰り返してきた人間世界へのペシミズムが釈迦の涅槃(ねはん)の思想など彼の説いた仏教を貫いていたように思う。
こうした釈迦仏教に反逆し、仏教に生の思想をもたらしたのが大乗仏教ではなかったろうか。大乗仏教の創始者というべき龍樹(りゅうじゅ)は若き日、性の快楽をむさぼろうと友人たちと宮廷に忍び込んで多くの侍女と交わり、その過程で友人たちが斬り殺されて一人助かったことをきっかけに仏教に帰依したという。
龍樹は、山林に引きこもって悟りを開こうとする修行者たちを「声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)」と呼び、その教えを小さな乗り物の仏教=小乗仏教といい、苦しめる大衆の中に飛び込んで救おうとする人間すなわち菩薩(ぼさつ)の教えを大きな乗り物の仏教=大乗仏教といった。また大乗仏教を中国に広め「法華経」を翻訳した鳩摩羅什(くまらじゅう)は、すぐれた人間の種を絶やしてはいけないという皇帝の命により、昼間はサンスクリット経典の翻訳に精進するが、夜は美女と子づくりに励んだといわれる。
このように人生を肯定する向きのある大乗仏教から武力肯定の思想が生まれたのは当然であり、日蓮は『立正安国論』で大乗の正法を護る者は刀剣・器杖(きじょう)を持つべしという「涅槃経」の言葉を引き、不殺生戒の否定へと向かった。

◆日蓮の『立正安国論』
法然・親鸞の浄土教、栄西・道元の禅仏教、日蓮の法華仏教といった鎌倉仏教はその後おおいに発展し、日本人の大多数を信者とするに至る。その一人である日蓮が、仏教がもっとも重要な戒とした不殺生戒について否定的意見を述べたことは重要である。
貧しい猟師の子として生まれ、天台宗の本山である比叡山延暦寺で学んだ日蓮は、従来救済の対象から外されていた声聞・縁覚だけでなく女人・悪人などすべての人が仏になれると説く一乗仏教すなわち法華仏教こそ釈迦の説いた正法であると主張する。そして38歳のとき日本国を正法の国に戻せと述べた『立正安国論』を鎌倉幕府に提出するとともに、法然というよこしまな僧の説く浄土念仏の教えが日本人に広まり、そうした邪宗の繁栄によって、天候不順や外国からの侵略など「薬師経」で説かれた七難が国を襲うと警告した。
当時の鎌倉幕府の高官の多くは禅仏教に帰依していたこともあり、日蓮の過激な主張は容れられず流罪になったが、14年後、蒙古襲来すなわち文永の役が起こったことから、日蓮は警告が的中したと自説への自信を深めた。
仏教徒であった鎌倉幕府の武士たちにとって、日本が他国の侵略を受けたならば、仏教者が武器をもって侵略者たちと戦い殺害すべきかどうかが問題になる。そこで釈迦のような態度をとらないとすれば、当然、侵略者を殺し、不殺生戒を犯さねばならない。しかし日蓮によれば、このような殺害は仏が賞賛する行為だというのだ。

◆親鸞「千人殺せば往生」
それでは浄土真宗の宗祖・親鸞はどうだったであろうか。私が70年前から『歎異抄』を何百回と読んできて、もっとも理解し難かったのは、親鸞が唯円に「人を千人殺せば必ず往生することができる」と言い、唯円が「私には一人でも殺す器量がありません」と答えると、親鸞はさらに「人を百人、千人殺すのも、また一人も殺さないのも前世の因縁によるものであり、その人の心がよいか悪いかではない」と言ったくだりである。
これは「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という悪人正機説に通じるのであろうが、いささか異常に思われる。
清沢満之の再発見や、その高弟・暁烏敏(あけがらすはや)が広めたことにより『歎異抄』は「悪人正機説」のバイブルとなったが、暁烏の考えるような性欲を抑えられず次々と女色の罪を重ねる悪ではなく、ここでいう悪は明らかに人殺しの悪なのであり、それは親鸞の主著『教行信証』でもはっきり語られている。
私は親鸞のこの異常な思想が何に起因するのか長い間わからなかったが、浄土教研究家の吉良潤氏が文献考証により親鸞の母は源義朝の娘であるという説を出したのに賛同する。源義朝は保元の乱において敵となった父・為義を殺したし、また源氏の大将として百人、千人の人を殺したことは間違いないからである。
厳しい自己省察の人である親鸞は自己の血の中にそのような悪人を感じ、そのような悪人でも念仏を唱えれば往生できるという思想に魅せられ、師の高僧・慈円のもとを離れ、一介の聖にすぎない法然のもとに走り、浄土念仏の教えの熱烈な讃仰(さんぎょう)者になったのではないだろうか。親鸞ほど救われた喜びを高らかに語った祖師はいないし、また親鸞の念仏は、法然の念仏よりはるかに感謝の念仏という性格が強い。

◆僧兵と武士の登場
意外にも鎌倉仏教の祖師たち、日蓮や道元や親鸞は、仏教において重要な不殺生戒を厳しく守れとは語らなかったのだが、これは当時の日本の宗教事情を考えれば当然のことといえよう。
平安時代の末期に初めて設けられたとされる僧兵、これは僧であるとともに兵であり、武器を持ち、場合によっては敵を殺害しなければならない。こうした制度を日本仏教最大の宗派であろう天台宗が公認したとすれば、天台宗は不殺生戒を犯すことを許容あるいは奨励したとすらいえる。この僧兵制度はやがて奈良仏教の興福寺や東大寺にも波及した。
当時、宗教的権威を背景にもつ僧兵がいかに恐れられたかは、歴代の天皇や上皇の中でもとりわけ強い権力をもっていて思い通りにならないものはほとんどなかった白河法皇が、山法師すなわち叡山の僧兵を意のままにならないものとして嘆いた言葉が『平家物語』に残されたことでも示される。
鎌倉仏教の祖師たちはすべて叡山で学んだので、そこにおける僧兵の存在を見ていたに違いないし、従来権力を独占していた天皇や貴族の朝廷に対し、鎌倉の地に武士たちが新しい政権を樹立したような時代精神をも考慮したであろう。
武士は禅を信仰したが、禅においては道元のいうように不殺生にも殺生にもとらわれない境地に立つことが悟りとされる。そして源氏の血を体内にもつ親鸞の思想には、百人・千人を殺す武士の罪障を阿弥陀(あみだ)の慈悲によって解消する一面があることは否定できない。
仏教とは、不殺生戒を厳しく守り、大量殺人である戦争を強く否定するものであると思っていたが、日本仏教の伝統は必ずしもそういうものではなかったのだ。

◆平和憲法に どう対応
不殺生戒を厳しく守ることを説いた日本の仏典を探したが、江戸時代の真言宗の僧・飲光(おんこう)の『十善法語』以外に見つけることはできなかった。僧兵を設けた平安仏教や、鎌倉仏教の祖師たちも、不殺生戒を厳しく守れとは誰も説かなかった。
こうした伝統を考えるとき、明治以降における仏教のあり方がよく理解される。明治初年から昭和20年にいたる約80年間は大量殺人の時代であったといえよう。特に、満州事変に始まり太平洋戦争にいたる十五年戦争での日本人の死者は約300万人であり、アジア人・欧米人の死者はその8倍ほどに上るともいわれる。
このような大量殺人の時代に、不殺生戒を重要な柱とする仏教は、なんの抵抗もできなかった。キリスト教のクエーカー教徒のように、あえて戦争に参加せず、ゆえに国家の保護も受けられない生活を送ったという仏教徒はほぼない。『歎異抄』の普及者として一世を風靡した暁烏敏などは熱烈に戦争を賛美さえした。
私の旧制高校1年のときに文科系学生の徴兵延期が撤廃され、いつなんどき赤紙が届くか分からないという運命に立たされた。太平洋戦争は激化し、軍隊に行けば死は確実のように思われた。敗戦が濃厚な状況で、戦争で死ななければならない不合理を納得させるような思想を哲学および仏教に求め、鈴木大拙や田辺元の書を耽読したが、田辺は禅思想に基づいてわれわれ青年に「大死一番生きよ」と語った。多くの先輩は田辺の哲学書を読んで、死の覚悟を固めて戦争に行き、大死一番死んだが二度と生き返らなかった。私の予想より戦争は早く終わり、幸いに私は生きて帰ったが、田辺の言葉に疑問を感じ、一転して田辺哲学の批判者になったのである。
おそらく鈴木大拙もこのような戦争に抵抗できなかった自らを深く反省したのだろう。戦後、彼は「日本精神」という言葉を使わなくなり「日本的霊性」という言葉を使い出した。霊性に従っていれば決して戦争を肯定できなかったはずだと鈴木は言いたかったのであろうか。
この不殺生戒の問題は、平和憲法を否定し、戦前のような憲法に帰れというような動きに対して、仏教はどのように対応すべき言葉を持っているのかが問われる、重要な問題なのである。 ─(哲学者・梅原猛氏が東京新聞月曜夕刊への連載『思うままに』で最近「戦争は人間の業か」というテーマで執筆した内容より要約)
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竹中英太郎

2010-08-10 23:33:41 | Bibliomania
横溝正史「鬼火」挿画 昭和10年




左から竹中英太郎、一人おいて子息の竹中労、赤尾信(英太郎の労働運動の同志) 昭和27年ころ


【竹中英太郎(たけなかえいたろう)】
明治39(1906)年、福岡市の零落した武士の家系に7人きょうだいの末っ子として生まれる。父は1歳のころ死に、盲目の長姉は旅の雲水とともに行方知れずになり、他のきょうだいもみな奉公か嫁に出て、英太郎と母だけの暮らしとなり、母が仕事から帰るのを待ちながら独り絵を描くことを覚えたという。

学校では神童あつかいされるほど成績優秀だったが中学校を中退して熊本警察署の給仕となる。特高課に配属されたため、社会主義活動家が拷問されるのをかいま見たり、押収された文献などからも影響を受ける。創刊されたばかりの『新青年』誌にも絵を投稿するなどする。

大正11(1922)年、16歳、警察署を辞めて鉄工所で働くかたわら、労働運動や被差別の解放運動にも加わって、次第に頭角を現す。大正13年には田代倫らと「熊本無産者同盟」を結成し、熊本初のメーデーを組織する。その後、仲間たちと筑豊炭鉱の組織化のため労働者として潜入するが、炭鉱労働の過酷さに仲間たちは次々と脱落し、英太郎も筑豊を去ることになった。この頃、炭鉱で体験した地獄の釜のような労働や、事故で不具となった労働者の姿が後年の画業に活かされたともいわれる。

同年秋に上京し、外国語学校や画学校へ通う。いくつかの雑誌で絵の仕事をするようになり、探偵小説を多く紹介して熱心な読者を集めていた『新青年』の編集長・横溝正史の抜擢により昭和3(1928)年、江戸川乱歩の復帰作「陰獣」の挿絵を描く。

その異様な迫力のある画風は注目され、新進の挿絵画家としていくつもの雑誌をかけもちする売れっ子となっていった。この年、結婚して長男・労も生まれている。

当時の英太郎の原画には、線画の部分と濃淡の部分があって、従来の製版のやり方では階調をうまく再現できなかったため、写真版に網目を添えて濃淡を表現するハイライト版というやり方が用いられることにもつながり、作風以外に技法上でも他の画家たちに影響をおよぼした。

しかし、彼が絵を提供する小説の多くには伏せ字があるなど、エロ・グロ・ナンセンスとして当局から指弾される存在でもあり、労働運動の志も捨てていなかった英太郎は、昭和10(1935)年に集大成として横溝正史の「鬼火」を手がけたあと、昭和11年に単身、満州へ渡ってしまった。

この後、探偵小説ファンには彼の情報はいっさい入ってこず、トラウマになるほど強い印象を与えながらも筆を折って満州へ渡った挿絵画家として、徐々に忘れられた存在となる。英太郎は満州から帰ると品川区で鉄工所を開業したり、再婚したつね子夫人の郷里・山梨県甲府で新聞社に勤めるなどする。

戦後は労農記者として活躍するかたわら、持ち前の行動力で労働組合活動のリーダーとして、メーデーや各地の労働争議に携わる。多忙のためもあって画業にはまったく見向きもしなかったが、やがて子息の竹中労が芸能ルポライターとして成功し出すと、労が企画した公演やレコードに絵を提供するようになる。昭和49(1974)年に労のプロデュースによりマレーネ・ディートリッヒが来日公演を行った際には、ポスターやプログラムのデザインを担当、また帝国ホテルのディートリッヒが泊まる部屋に彼女をモデルとする3枚の絵を描いて飾り、うち1枚は彼女が持ち帰ったとされる。昭和63(1988)年、所用で上京中に心臓発作で倒れ、急死。享年82。 ─(図版・経歴は弦書房刊、鈴木義昭著『夢を吐く絵師・竹中英太郎』より)




江戸川乱歩「陰獣」挿画 昭和3年




江戸川乱歩「悪夢」挿画 昭和4年─当初「芋虫」という題名で『改造』に掲載の予定だったが内容が不穏なため『新青年』に回され題名も変えられた




江戸川乱歩「押絵と旅する男」挿画 昭和4年




夢野久作「ココナットの実」挿画 昭和6年




「戦闘曲・第2号・表紙」 大正14年




「夢を吐く女」 昭和45年─『日本禁歌集④笑福亭松鶴・へそくずし』のジャケットに使用



夢を吐く絵師・竹中英太郎
鈴木 義昭
弦書房
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