以上はエルビウムの2016年のアルバムFalse Readings Onに対してRate Your Musicに寄せられた酷評。気になるのが「短い時間で済ませられる筈」という、音楽を聞くことのみならず人生すべてにわたる根本的な問題。会社員時代の若いころ、睡眠に充てる7時間ほどをカウントせず若いままで後で自由に使えるよう返してくれないかなどと妄想したことがある。
サーフロックのインストのヒット曲。シューマンやワーグナーに通じる勇壮なホルンが決定的。マーケッツは後にレッキング・クルーと呼ばれることになるLAの腕利きスタジオ・ミュージシャンの集まり。ジャック・ニーチー(本当はそう読むらしい)は有名プロデューサー、フィル・スペクターの右腕としてそうしたミュージシャンを束ね、編曲・オーケストレーションを行う。ローリングストーンズやニール・ヤングのアルバムにも初期から参加。ストーンズYou Can't Always Get What You Want、ヤングAfter the Gold Rushもホルン使用の代表例になっていて、それらに携わって「音楽の歴史を動かしている」ような自意識であっても前面に立つのはストーンズやヤング。フィル・スペクターは殺人犯として刑務所で最期を迎えたが、ニーチーも70年代は映画音楽に活動の場を移す一方うつ・薬物・銃身によるレイプ加害と苦難の人生に。2000年にハリウッドの病院で死去、63歳。
The Beach Boys / God Only Knows (1966)
ジャック・ニーチーの手腕か。現代の代表的ホルン使用として同じ年、ビートルズFor No Oneも。相互的な動き。ポピュラー音楽という容器に最も活気があった時代。今は商業面はともかく音楽的には容器の役割は終った。
ジ・エコーズ, みすず児童合唱団 / ウルトラセブンの歌 (1967)
Aretha Franklin / Angel (1973)
アリサ・フランクリンの驚異的なボーカル、クインシー・ジョーンズ編曲による短いが心をゆさぶるホルン、私にとってウルトラセブンやOut of Limitsと並ぶモメント。この曲はシンプリー・レッドによるカバー(96年)を先に聞いており、そちらはフジーズがラップで参加して評価高いそうだが原曲を知ってしまえばまったく要らない。
前述のチャーリー・ガルシアが3番目に結成したグループ「セル・ヒラン」。スイ・ジェネリスの成功にもかかわらず、次の野心的なグループ「ラ・マキナ・デ・ハセル・パハロス」は支持を得られず、経済的に苦境に陥ったガルシアはブラジル人の恋人と共に一時ブラジルのサンパウロに滞在、釣りをしたり果物を拾ったりする自然賛美の生活を送る。やがてブエノスアイレスに戻ってこのバンドを結成するも、スイ・ジェネリスのようなポップな作風を期待するファンとメディアの失望を買い、軍政批判の姿勢のため政府からも睨まれる。80年のアルバムに収められたEncuentro con el Diablo(悪魔との出会い)という曲は、陰で悪魔と囁かれていた軍人で内務大臣のハルギンデギと会談した経験に基づく。ハルギンデギは当時何人ものアーティストを呼び出して会談し、作品のトーンを下げるか国外へ出るよう迫ったとされる(次項のレオン・ヒエコもその一人)。
フロントマンのミゲル・アブエロが1967年にレコード会社にスカウトされた際「虚無の祖父母(Los abuelos de la nada)」というバンドを持っていると嘘をついたので急遽編成。80年代に再結成してから全盛となり、この曲を書いたアンドレス・カラマロは「エッジの効いた」アイドルを求める若者層の支持を集める。アブエロはエイズのため1988年に42歳で死去。